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太陽を盗んだ男

プロローグ


投稿者名:UG
投稿日時:06/ 9/ 2

 南イタリア
 現在はプーリア州と呼ばれる、長靴の踵からアキレス腱にかけての地域。
 ヨーロッパと東方諸国との境界に位置したこの地は、遙かな昔から交易や十字軍の玄関先として栄える一方、様々な侵略者たちに脅かされ続けていた。
 ギリシャ、ローマ、ビザンティン、ランゴバルド、イスラム、ノルマン、スペイン、攻め込んでくる者の中には時代の覇者とも言える存在もあった。
 様々な国や民族がこの地を支配し、この地は破壊と再生を繰り返しつつ自らを複雑かつ多様に変化させる。
 そんな地方の片田舎にブラドー伯爵と名乗るバンパイアの領主がいたことは歴史の片隅に埋もれて久しい。
 時は13世紀末
 エルサレムを無血開城したことで有名な神聖ローマ皇帝フェデリーコ二世の死去により、一旦は終末を見たイタリアの覇権を巡る争い―――ギベリン(皇帝派)とゲルフ(教皇派)の対立が再び再燃しだした時代。
 太陽に憧れる風変わりなバンパイアが太陽の名を持つ女と出会ったことからこの物語は始まる。





 ――― 太陽を盗んだ男 ―――




 その晩、ブラドー伯爵は上機嫌だった。
 ほんの気まぐれに足を伸ばした夜の散策。
 そこで出会ったソリスという名の女に、ブラドーは陽光のイメージを重ねていた。
 もちろん、彼に実際の陽光を目にした経験はない。あくまでも書物で知るところの、眩しく、温かいというイメージだった。
 しかし、彼はその女との出会いに、長年追い求めていた太陽への手がかりを掴んだような気がしていた。
 ブラドーはいつもよりも早めに散策を打ち切ると居城へと急ぐ。
 日の出までは相当時間があるにもかかわらず、それを理由にソリスの元を去ったのは自分の気持ちに整理をつける為だった。
 気まぐれから生じた偶然の出会い。その出会いを原因とするいつもより早めの帰還は、彼にもう一つの出会いを用意していた。




 小高い丘の上に立つブラドーの居城
 それは本来の城の機能からかけ離れた八角形の外観を有していた。
 堀や跳ね橋、駐屯兵の宿舎や生活の場はなく、いざという時のための地下通路すらない構造は、軍事的な意味に於いては城の体を全くと言っていいほど為してはいない。
 それについて象徴的な構造は城内に作られた左回りの螺旋階段だった。
 下から駆け上がってくる敵の右手を自由にしてしまうこの構造は、兵士による防衛を考えた場合あり得ないデザインである。
 そのため、この城を気に入ったブラドーは、呆気ないほど簡単にこの城を手に入れることが出来ていた。
 軍事的機能を有さない城への籠城を嫌い、前の領主はすぐにこの城を放棄している。
 だがそれは、この城本来の役割を前の領主が理解していないだけのことだった。
 この城を建築したフェデリーコ二世の死去後、南イタリアを襲った大混乱のどさくさにその領主はこの城を手に入れたに過ぎない。
 高度な魔道の知識を持つ者が目にすれば、この城の計算し尽くされたデザインに目を見張ることだろう。
 この城の設計者は紛れもない天才だった。

 その設計の基本は太陽にあった。左回りの螺旋階段は地球の自転、公転を表現し、中庭の外壁はそれ自体が巨大な日時計となり太陽の軌道を正確に城へと刻みつける。
 この城は中世最大の天文台と言えた。
 ブラドーが気に入ったのはそこだけではない。城の内部に執拗に繰り返される八角形のデザインは、象徴解釈学的に「八」という数字が表す、無限、宇宙の均衡を意図したものであり、建物の至る所に散りばめられた黄金比による制御を意図的に崩すことにより無限の分岐を回廊に生じさせる。
 兵士による防衛ではなく、魔道技術による防衛がこの城本来の機能だった。
 侵入した敵は単純な八角形構造の城内を彷徨い続け、やがては衰弱し死に至る。
 この機能の御陰で、ブラドーは他のバンパイアが行う人狼などを使役した防衛をせずに、昼間の眠りにつくことができていた。 




 「折角の良い気分を・・・」

 居城に戻ったブラドーは、夜の一族の超感覚で何者かが侵入していることを察知する。
 散策後の自分が感じるいつものように無機的な・・・言い換えれば出迎える者の誰もいない静寂さはそこにはなく、侵入した何者かが発する緊迫感がひしひしと感じられた。
 
 「余の居城に夜訪れるとは、単なる馬鹿か、それとも・・・」

 目をこらすと書庫の中に人影が浮かび上がる。人影の近くで輝いているのはランプの炎だろう。
 視細胞の可視領域を広げ、ブラドーは視覚的に侵入者の体温を捉えていた。
 侵入者の数は1名。ブラドーを滅ぼすために訪れたとしたのならば相当な自信家のようだ。
 だが、時折訪れるバンパイアハンターの存在を思い出し、ブラドーはその可能性を頭から振り払う。
 過去の長きにおいて、夜、自分に戦いを挑んできたのはドクターカオスただ一人である。
 その彼も、カオスフライヤーという重装備を携えての戦いだった。

 「やはりコソ泥の類か・・・」

 侵入者に対しての防御機構は夜間には機能させていない。
 自分の外出を狙い、財宝目当ての盗賊が入り込んだのだとブラドーは思っていた。

 「いや、それにしては入り込む場所がおかしい・・・ふむ」

 ブラドーはその侵入者にほんの僅かであるが興味を持った。
 あまり物欲のない彼は、この城を奪うときに放棄された財宝をほぼそのままの形で放置してある。
 その財宝には目もくれず、書庫を目指した侵入者は何を目的としているのか?
 ブラドーはさして警戒もせず、自分の蔵書を置いてある部屋へと向かっていった。



 その男は部屋を埋め尽くす書物と格闘していた。
 年の頃は二十代後半、エスニックな衣装を身に纏い、やや長めの黒髪を目にかからないよう赤い布で無造作にまとめている。
 なかなか夜目が利くらしく、男は灯したランプの僅かな光で素早く本のタイトルに目を通していく。
 本棚を幾つか渡り歩いた後、目当ての書物を発見した彼の表情が子供のような輝きを見せた。
 彼は震える手で本を取り出すと表紙の文字を確認する。
 そこにはギリシャ文字でクリティアスと書かれていた。

 「そんな所で何をしている・・・」

 背後から急に声をかけられ、男は慌てたように振り返る。
 ブラドーの接近を、彼は察知することが出来なかったようだった。
 城主に見つかった事を悟った男の顔にある種の覚悟が浮かぶ。
 ブラドーと侵入者の間に緊張の糸が張りつめ・・・そしてあっさりと切れた。

 「堪忍やーっ!!」

 もの凄いスピードで土下座をし、石造りの床に額をこすりつける侵入者。
 その姿にブラドーは軽い目眩を覚える。
 命がけでバンパイアの居城に忍び込んだ者の行動としてはあまりにもお粗末すぎた。

 「余の居城に忍び込むのは命がけのはず。お前は何者だ?」

 「仕方なかったんやーっ! どうしても読みたかったんやーっ!!」

 微妙に噛み合わない会話に苦笑しながら、ブラドーは男の手にした本に視線を移す。
 男がなぜ命がけでその本を読もうとしているか興味があった。
 しかし、その本のタイトルを目にしたブラドーの顔から笑いが消える。
 男が手にした本には先ほどとは違うタイトル―――ティマイオスと書かれていた。

 「俺は、アトランティスのことを知りたいだけなんやーっ!」

 「先程の目眩・・・小癪な」

 何かに気付いたブラドーは、土下座を続ける男の後頭部に手の平を向け霊波砲を放つ。
 ダンピールフラッシュを数段上回るエネルギーが男の姿を消し飛ばし、石造りの床に僅かな焦げ跡を残した。

 「ふん、やはり幻覚か・・・面白い技を使う」

 跡形もなく消えた男に苦笑すると、ブラドーは周囲に視線を走らせる。
 侵入者の体温が城の外へと逃げ出すのが見えた。

 「それに逃げ足も早い・・・」

 ブラドーは壁に開いた明かり取りの穴を見つめると、苦痛を顔に浮かべながら霧へとその姿を変えていった。




 「ヤバかったーっ!」

 城から走り出た侵入者は木の陰に飛び込むと荒くなった息を整える。
 その手には大事そうに本が抱えられていた。
 男は愛しそうにその表紙を指でなぞり、そのページを開こうとする。

 「いやイカン、今は無事に逃げるのが先決だな」

 残念そうにページを元に戻すと男は思案顔をする。
 日の出まで逃げ切れば本は自分の物になるはずだった。

 「しっかし、何日も張り込んで行動を読んだつもりだったけど、まさかこんなに早く帰ってくるとは」

 「偶にはそんな気分になるのだ」

 上空からかけられたブラドーの声に男は顔をひきつらせる。
 そのうちバレるとは思っていたが、こんなに早く自分の技が破られるとは計算外だった。

 「えーっと、健康のためには規則正しい生活をお勧めしたいんですが・・・」

 「先程の技はもう通じんぞ」

 腰のポーチに手を伸ばそうとした男の手が止まる。
 先程の軽口はブラドーの隙を誘うためか。
 ブラドーは油断無く男の前に降り立ち男の手にした本を確認する。
 男の手に握られているのは自分の蔵書であるクリティアスという本だった。

 「ティマイオスを盗むときにアレをやったと言う訳か?」

 男の顔に二重の意味で驚きが広がる。
 目の前のバンパイアは技の存在だけでなく、その本質まで見抜いているようだった。

 「偉ぶったヤツを油断させるには土下座が一番っスからね」

 男はふて腐れたようにその場に座り込む。
 何から何までお見通しという状況が面白くなかった。

 「さて、今宵の余は機嫌がよい・・・余の蔵書を盗もうとした訳を話してみよ」

 「・・・いいっスけど長い話っスよ」

 「ほう・・・どれくらいだ?」

 ブラドーの問いに男は思案顔になる。

 「そうっスね・・・手短にまとめても昼ぐらいまで。聞きますか?」

 人を喰った答えにブラドーは口元を緩める。
 タイプこそ異なるが、一晩で二人もバンパイアを恐れぬ人間に会えるとは思ってもみなかった。

 「残念だな・・・理由如何ではその本を与えても良いと思っていたのだがな」

 ブラドーの意外な申し出に男は目を丸くする。
 どうにか逃げだそうと目まぐるしく働いていた頭脳が別なベクトルに働き始めた。

 「マジっスか? それじゃあ、3分程度にまとめます。えーっと、さっきドコまで見ました?」

 さっきとは、書庫で見た幻影のことだろう。

 「アトランティスのことを知りたいと言っていたな」

 「あ、じゃあ、殆ど済んでます。アトランティスのことを知って、そこに行ってみたい。ただそれだけです」

 「それだけか? 到着してからの目的は?」

 ブラドーの問いに男は困ったような顔をする。

 「いや、特に・・・だって、有るか無いか分かんないものを見つけるって楽しいじゃないっスか! この本の存在だって半信半疑だったし・・・完結してるクリティアスが本当にあるとは・・・さっき見つけた時はメチャクチャ嬉しかったっスよ!!」

 男が盗もうとした本は、古代ギリシャの哲学者プラトンの対話篇で、アトランティスについての記載があるうちの一冊だった。
 すでに男が手に入れているらしい『ティマイオス』の他には、未完の『クリティアス』、未筆の『ヘルモクラテス』が歴史に名を残している。
 男が忍び込んだブラドーの書庫には、未完としてしか後の世に伝えられなかったはずの『クリティアス』が完結した形で所蔵されていたらしい。
 どこでそのことを知ったのか、それを手にし子供のような笑顔を見せた男にブラドーは苦労して笑いをかみ殺す。
 城に侵入してきたのはただの馬鹿ではなく、夢見る馬鹿だったらしい。
 ブラドーは懐の中身を確認すると、頭に浮かんだ気まぐれを口にする。

 「お前、馬車を操る事はできるか?」

 「へ? あちこち旅してたんで一通りは・・・!!」

 返事と同時に放られた物をキャッチし、マルコの目が大きく見開かれる。
 無造作に放られたのは大粒のルビーだった。

 「余はしばらくの間、人間の従者を雇いたいと思っておってな・・・お前がその気なら、明日の日没までにそれで馬車用の馬を手に入れてこい。クリティアスはその駄賃にくれてやろう」

 「なッ、アンタは・・・」

 「ブラドー・・・”様”をつけろ」

 「ブ、ブラドー様は俺がルビーとクリティアスを持ち逃げするって思わないんスか?」

 普段の男ならそんなことを聞かず確実にそうしている。
 しかし、そうしてはならない何かを男は感じていた。それはブラドーが自分の夢を笑わなかったからかも知れない。
 自分でも不思議だったが、男は目の前のバンパイアを気に入り始めていた。

 「そうしても構わないがアトランティスは遠のくぞ・・・ヘルモクラテスを読む機会を失うのだからな」

 男はブラドーの言葉に衝撃を受けていた。
 未筆、つまり本として存在しないとされるヘルモクラテスを、ブラドーは所有していると言ったに等しい。

 「あ、あるんスか本当に・・・」

 「写本が伝わらなかったと言うだけで存在はしておるのだ・・・生憎ここではなくイオニア海に浮かぶもう一つの我が居城にだがな。お前がしばらくの間、従者として忠誠を誓うなら、その島へ行く機会に渡して・・・」

 ブラドーの言葉は、自分の手を両手で力一杯握りしめる男によって止められていた。
 それがその男が表現する最大限の感謝であることをブラドーは知らない。

 「お前、一体・・・」

 「マルコです・・・俺はベェネツィアのマルコ。全力でブラドー様に仕えさせていただきます」

 ブラドーは深々と頭を下げるマルコの姿に、吸血した下僕が見せる忠誠とは違う何かを感じ戸惑いの表情を浮かべた。
 どこか居心地の悪いむず痒さに、ブラドーはマルコの手を振り払うと居城へと踵を返す。
 今夜は調子が狂わされぱなしだった。

 「あ、そうだ・・・マルコとやら」

 ブラドーは途中で振り返り、それがたった今思い付いたことであるかのようにマルコに話しかける。

 「ついでに人捜しを頼む。我が領地の外に住むソリスという名のシスターだ」

 そういうとブラドーは気まずさを隠しきれない様子でそそくさとその場を後にする。
 マルコは浮かんだ笑いをブラドーに見られないよう深々と頭を下げた。
 彼は忠誠を誓ったばかりのバンパイアのことを堪らなく気に入っていた。


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