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ニューシネマパラダイス

太陽を盗んだ男―予告編―


投稿者名:UG
投稿日時:06/ 8/13

 地下室へと向かう暗い石段を幼い兄弟が踏みしめている。
 先を歩く5歳ぐらいの少年は後ろを歩く弟を気遣い、手を引きながら一歩、また一歩と着実に歩を進めていく。
 数段も下ると明かり取りから差し込む夕日はその効力をすっかり失っていた。
 しかし、不思議なことにこの兄弟たちは石段を踏み外すことなく確かな足取りで地下室に辿り着く。
 二人は息をひそめると、足音を立てないようにそっと部屋の中央に歩み寄る。
 彼らの目は部屋の中央に横たわる棺を捉えていた。

 「・・・・・・・・・」

 何か言いかける弟を口の前に立てた人差し指で沈黙させる兄。
 この兄弟は暗闇の中でお互いの行動を認識できているようだった。
 兄弟はそっと棺の前にしゃがみ込み、中で眠る人物の目覚めを待つ。
 そろそろ日が沈み夜の一族の時間が始まる。

 キィッ・・・

 独特の軋みを立て棺の蓋がゆっくりと開いていく。
 兄弟たちは待ちきれないように立ち上がると、棺から起き出そうとした人物に向かって満面の笑顔で飛びつくのだった。

 「おじーちゃん、おはよーっ!!」

 子犬のようにじゃれついてくる二人の孫に抱きつかれ、ブラドー伯爵は苦笑とは似て非なる笑顔を浮かべた。

 「・・・おはよう。いい夜だな」

 首筋に抱きついてきた孫をぶら下げたまま石段を上がると、昨日から里帰り中の息子夫婦が仲良く食事の支度をしているのが目に付いた。
 本来はそこそこの広さを持つ居城だったのだが、現在では居住スペースとしてリフォームされた一角だけが生活の場となっている。
 里帰りの度に持ち込まれる日常的風景に、既に中世の面影を残すのは亡き妻が過ごした部屋と寝室である地下室くらいだった。

 「すみませんお義父さん、昨日から子供たちが騒がしくって・・・」

 「いや、全然構わんよ」

 嫁のエミに軽くあいさつすると、ブラドーは蛍光灯に照らされたダイニングに足を踏み入れそのまま自分の席に着いた。
 その時になってやっと左右にぶら下がっていた少年たちが離れ、父親のピートを手伝い皿をテーブルに並べ始める。
 やっと解放されたと安堵のため息をつく暇もなく、足下にしがみつく何かにブラドーは目を向けた。
 自分の足をよじ登ろうとする少女と目が合う。
 3歳になったばかりの長女だった。

 「じーちゃん、おはよ」

 「おはよう」

 ブラドーは困ったような笑顔を浮かべると、まるで雛鳥を扱うようなたどたどしさで少女を抱き上げ自分の膝の上に座らせる。
 昨日から自分の膝はこの少女の指定席になってしまっていた。

 「お前も大変だな・・・」

 ブラドーは若干の同情を込めて、二歳の次女を抱きかかえたまま器用に薔薇の入った花瓶を運ぶ息子に声をかける。

 「え、何がですか?」

 心の底から何のことかわからないと言った様子の息子にブラドーは力なく笑った。
 どう見ても兄弟にしか見えないピートとブラドー。
 そのせいもあり、孫たちは父親そっくりのブラドーにすぐ懐いていた。

 「さて、それじゃ食事にしましょう」

 乳飲み子を背負ったエミが手に持った大鍋をドスンとテーブルに置く。
 以前と体型こそ変わらないが、行動の端々に母親ならではのパワフルさが備わっている。
 5人の子供を産んだとはとても思えないプロポーションに、ブラドーは一時期息子の嫁が本当に人間か疑った程だった。
 自分で吸血した経験がなければその疑いは今も晴れていないだろう。
 子沢山のバンパイア一家という冗談のような光景は、ひとえにこの嫁と息子の相性によるものだった。
 ブラドーはいとこの奥さんの兄にこの光景を見せることを想像し笑いをかみ殺す。
 太陽に乏しいトランシルバニアの領主だった彼には想像もつかない光景だろう。
 ブラドーは太陽が降り注ぐ地に居城を定めた自分を密かに誇っていた。

 「コラ、お行儀悪い!」

 エミが食事をかき込む兄弟をしかる姿ももう見慣れてしまった。
 夫婦の方針か、栄養摂取は極力食物から行うため子供たちの食欲は旺盛だった。
 以前エミが口にした「おかずは兄弟の数で割れる数に作る」という言葉は、ブラドーに宇宙の真理にも似た感銘を与えている。

 「だって、早く食べてじーちゃんに虫取りにつれてってもらうんだ!」

 口の中のものを急いで飲み込み、長男が口にした言葉にブラドーは顔をひきつらせる。
 イタリアには生息しないヘラクレスオオカブトやコーカサスオオカブトを期待する孫をうまく誤魔化したのは昨日のことだった。

 「わたしもいくー! ちゃんとおひるねしたからいいでしょ」

 膝の上であがった少女の声に、ブラドーは微かな希望を得た。
 息子一家では夜遊ぶには昼寝をしないといけないらしい。

 「そうだ、お前たち昼寝はしたのか? 余のように昼ちゃんと寝ておかないと大きくなれないぞ!」

 ブラドーの言葉に兄弟たちは顔を見合わせる。
 自然に恵まれたブラドー島にあって、少年たちが昼間じっとしていられるはずはなかった。
 陽光の下、元気に走り回る少年たちを想像したブラドーの表情は不思議と穏やかだった。

 「おじーちゃん、お日様を見たことがないの?」

 次男の口にした問いにエミが咎めるような顔をする。
 バンパイアハーフのピートたちと違い、純粋なバンパイアであるブラドーは陽光を浴びると滅んでしまう。
 しかし、そんなエミの気遣いなど無用とばかりにブラドーは孫の問いに笑顔で答えるのだった。

 「もちろんあるぞ!」

 この答えにはピートやエミの方が驚いた。
 驚きを隠せない二人を他所に、ブラドーは遙か遠い過去を思い出すように目を閉じる。
 その瞼の裏にはかって見た太陽の姿が浮かんでいるのだろう。
 ブラドーはピートですら見たことがない笑顔を浮かべていた。

 「初めて見た太陽は、眩しくて、温かくて・・・」

 目を開いたブラドーは興味津々といった様子の息子夫婦に気付く。
 夜はまだまだ長い。
 ブラドーは初めて太陽を見たときの事を語り始めた。








 ――― 太陽を盗んだ男 予告編 ―――










 夜空に浮かぶ満月
 その中央に人影が浮かんでいた。
 人影は手足を大きく伸ばし、全身に月の光を浴びている。
 漆黒のマントが風に揺らめき、柔らかで癖のない金髪が月の光を反射させキラキラと輝く。
 人影―――ブラドー伯爵はもどかしげな表情で月を睨み、幾度となく繰り返してきた問答を胸の中で呟く。



 ―――太陽とはなんぞや?


 ―――太陽とは力である


 ―――力はどのように伝達するのか?



 ブラドーは月の光が太陽光の反射であることを知っていた。
 それだからこそ何かを感じようと己の顔を照らす月の光に意識を集中する。
 時折使役する狼にとっては何か感じる所のある光らしいが、彼にとっては別段どうということのない光だった。
 その光は彼に眩しさも温かさも感じさせてはいない。
 自分たち夜の一族に破滅をもたらす力は、月に反射することによりその効果を失っていた。

 「何故、陽の光だけが・・・」

 未だ答えが出ない問いが自然に口からこぼれる。
 彼は以前から太陽の持つ力に興味があった。

 原子核を構成する中性子と陽子、その結合力は途方もなく強い。
 それは万有引力の10の40乗倍にも匹敵する。
 物質が物質でなくなる瞬間に発生する巨大な力はこの星を生命で満たし、その一方不死者である彼らバンパイアを滅ぼす。
 彼はこの現象に大きな疑問を感じていた。

 「陽光が我らを滅ぼすというのなら、何故、我らはヒトの血を啜るのだ?」

 彼らにとって血液とは生命力の源である。
 それでは血液の持つ力とはなんであるのか?
 ヒトはそれを維持するために他の生物を捕食する。
 数代も遡れば緑色植物の光合成に行き当たる食物連鎖によるエネルギーの受け渡し。
 不死者の生を維持するのがヒトの血液ならば、自分たちも太陽の力によって生を得ているはずだった。
 ブラドーは自分たちバンパイアも食物連鎖の一部、いや、生物界を構成するピラミッドの頂点であると考えていた。
 しかし生態系の頂点とも言える不死の肉体は、日が出ている間は活動を中止し仮初めの死を迎えてしまう。
 それだけではない。日の光を直接浴びたバンパイアの末路は完全なる滅びだった。
 強靱な生命力と相反するような陽光に対しての脆弱性。
 彼はその大いなる矛盾点にこそ、一族に広がる緩やかな衰退の原因があると思っていた。


 ―――太陽の力を手にしたとき我らの世界は変わる


 ブラドーはいつの日か太陽の力をその手に握るつもりである。
 陽光降り注ぐ南イタリアに居城を定めたのもその為だった。
 暗く冷たいトランシルバニアに居城をもつ同族から向けられた奇異な視線も、彼にとっては何処吹く風であった。



 その日の彼は気まぐれから領地を僅かに離れていた。
 当てもなく夜の森上空を散策するブラドーは、足下から聞こえてきた馬の嘶きに思索を中断する。
 そちらに視線を向けると狼の群れに包囲されている荷馬車が目に入った。
 河原を背にし煌々とたき火を焚いてはいるが、狼の縄張り内での野営など無謀な行為に他ならない。

 「前に食事をしたのはいつだったか・・・」

 ブラドーは前回行った吸血の記憶を思い出そうとする。
 彼にとって吸血行為は食事以外の何ものでもなかった。
 他のバンパイアが時折見せる嗜虐的な意味をもつ吸血を彼が行うことはない。
 ただ吸い、その命を奪う。
 擬似的ではあれ生態系の頂点であるバンパイアの数を増やす気は毛頭なかった。
 従って彼は下僕を持たない。
 この地を治めていた領主を追い出し、その居城を奪ったのも彼一人だった。
 彼は独りで国を奪い、独りで攻め入る敵を撃破してきた。そういった意味において彼は一人でも紛れもない国家といえた。
 一時、世界を手中にすることも考えたが、人間側の抵抗が大きいことと領地の維持が煩雑なため止めている。
 彼はドクターカオスに受けた傷を癒す間に気づいたのだった。
 自分の治めるべき国は棺を置くだけの広さがあればよいことに。
 彼は自分の強大な力を持て余し始め、永久とも言える時間を思索と散策に費やしていた。


 時は経ち、彼の治める領地には微妙なバランスが成立していた。
 税を始め何一つ領民に対し要求しないブラドーのもとで、領地は徐々にだが豊かになっていく。
 時折、彼の牙にかかり命を落とす者がでたが、その数は他の土地で領主の圧政によって命を落とす者の数よりもずっと少なかった。
 そして、薄々領主の正体に気付いた領民は夜間の外出を控える。
 やがてブラドーの喉を潤す役割は、豊かになった領地を脅かす隣国の兵士か、山賊、海賊が担うこととなる。
 皮肉にも自然界におけるアリとアリマキのような共生関係が両者の間に出来上がっていた。

 「久しぶりの食事・・・狼どもにくれてやるのも惜しい」

 ブラドーはそう呟くと久しぶりの獲物を求め荷馬車に向かって降下していく。






 狼への恐怖から馬は恐慌状態に陥っていた。
 口から泡を吐き、括り付けられた樫の木から必死に逃走をはかろうとする。
 馬を外した荷馬車近くでは、一組の男女が松明を手に迫り来る狼を何とか撃退しようとしていた。
 陣形を組んでいるかのような狼の連携に、二人はなんとか死角をつくらないよう交互に位置を変え周囲に目を走らせる。
 時折荷台に視線を向けるのは、そこに横たわる女を二人が何とかして守ろうとしているからだった。
 牽制する狼を追い払うように、体格の良い農民らしき男が松明であたりをなぎ払う。
 その隙をつこうとした別な狼をシスター姿の女が松明で牽制した。
 しかし、一進一退の攻防を繰り返す均衡は、荷台から上がったうめき声に男が気を取られたことにより崩される。
 死角から襲いかかった狼の牙を何とか腕で受けたものの、松明を手放し地面に引き倒された男に数匹の狼が同時に牙を剥いた。
 男を助けに行こうとしたシスターだったが、背後で隙を窺う狼に牽制され荷馬車から離れることは出来ない。
 必死に首などの急所は守っているものの、このままでは男の運命は明らかだった。
 いや、守りの一角を失った三名の運命といっても構わないだろう。
 ブラドーが地上に降り立ったのはそんなタイミングだった。

 「そこまでだ・・・」

 音もなく降り立った人影の正体を悟り狼は動きを止める。
 群れのリーダーらしき個体は尻尾を丸めブラドーに従順の意志を示していた。

 ガウッ!

 次期リーダーを狙う跳ねっ返りの個体だけが未だにブラドーの正体に気づいていない。
 先程、鼻先を松明で殴られた個体だった。
 その個体は制止の合図を送るリーダーを無視しブラドーに向かい飛び掛かる。
 そして、いとも簡単にその鼻先を空中で捕捉された。
 ブラドーは気に入らない玩具を扱う子供のように狼を軽々と投げ捨てる。
 どれ程のパワーが込められていたのか、樫の木に激突したそれは熟柿のようにつぶれただの肉塊へと姿を変えた。

 「去れ・・・」

 その一言にどれ程の強制力があったのか、狼の群れは我先へと逃走に移った。
 狼がいなくなった事を確認すると、シスターは倒された男の元に駆け寄る。
 傷の痛みに意識を失っているが命に別状はない。
 そう判断したシスターは背後を振り返り、危機を救ってくれた人物に礼を言おうとした。

 「ありがとうございます。おかげで・・・」

 「なに、礼には及ばんよ。余は自分の食事を守ったに過ぎない」

 そう言いはなったブラドーの口元に牙を見つけ、シスターは彼の正体にようやく気付いた。

 「あなたは・・・」

 胸元のロザリオに手を伸ばすが無駄だった。
 その理由は女が一番よく知っている。

 「狼から逃れられ安心したいだろうが、喰われる運命が血を吸われる運命に変わっただけだ・・・」

 ブラドーは魔力を込めてシスターを睨む。
 後は、いつものように血を吸うだけだった。
 しかし、通常ならば抵抗の意思を奪われるはずの女は、ブラドーを見据え彼に問いかける。
 訓練を積んだ霊能力者と等しい気力が彼女を支えていた。

 「私の血であなたの空腹は満たされますか?」

 ブラドーはシスターの言葉に驚く。
 彼女からは不死を求め自ら血を吸われようとする者特有の媚びは感じられない。
 それどころか、バンパイアの超感覚で感じられる彼女の鼓動は早鐘のように鳴り響き、汗腺からにじみ出る冷や汗は彼女が恐怖を感じていることを物語っている。
 ブラドーは彼女を支えているモノの正体に興味が湧いた。

 「ああ、おまえの血ならば半年は保つだろう・・・」

 ブラドーは目の前の女が、バンパイアが最も好む血を有していることに気付いていた。

 「それならば、狼に襲われるよりマシと考えるしかありません」

 女はそういうと目深にかぶったフードずらす。
 しなやかな銀髪が月の光を反射し、ブラドーはほんの一瞬だけまぶしさに目を細めた。
 意志の強そうな整った顔立ちがブラドーを見つめている。
 髪を飾る薔薇の花がブラドーの目を引いた。


 ―――この娘・・・


 「狼と違い、あなたなら交渉可能でしょう。私の用事が済むまで血を吸うのを待ってください」

 間髪入れずに語られた女の言葉に、ブラドーは無意識に肯いてしまった。







 それからシスターが取った行動は迅速だった。
 荷馬車には万が一に備え様々な道具が積み込まれていた。
 男の手当をするのと同時に、たき火に鍋をかけ湯を沸かす。
 その時になってようやく、ブラドーは荷台でうめき声を上げている女が産気づいていることに気がついた。

 「先程の狼はこれを嗅ぎつけたのか・・・」

 「そのようです。もうとっくに破水している・・・これからここで出産させます」

 シスターは女に畳んだ布を噛ませると頑張るように励ます。
 ブラドーの正体を知らない彼女に、狼の脅威は去ったとシスターは安心させるように語りかけた。

 「手を握っててくれませんか?」

 咄嗟にかけられた一言に、ブラドーはシスターの手を握りしめる。

 「違います、この人の手です。旦那さんが気を失っているからその代わりに」

 「あ、スマン」

 どうもブラドーは女のペースに飲まれてしまったらしい。
 慌てたように手を離すと産気づく女の手を握りしめる。
 長年生きているブラドーであったが、お産の場に立ち会うのは初めてだった。





 一時間以上経過したが産まれる兆しは現れなかった。
 長時間つづく緊張に耐えかねたようにブラドーが口を開く。
 不死の肉体を持つといえどその精神は男のものだった。

 「何故、妊婦をわざわざ移動させた?」

 「初産で難産が予想されたから、私の先生にお願いしようとして・・・狼が現れなければ問題はありませんでした」

 「先生とはウィッチドクターか?」

 ブラドーは先程シスターが使用した薬品に魔力が込められているのを感じ取っていた。

 「そうです、精霊信仰がまだ盛んなこの土地では太古の技術を伝える方が残っています。私はその方から色々な事を教わっているんです」

 シスターはそういうと、陣痛に苦しんでいる女に先生の薬は良く効くから大丈夫だと声をかけた。

 「先程の薬は何に効くものだ?」

 一向に産まれない赤ん坊に、ブラドーは薬の効果を疑い始めていた。
 その問いにシスターは答えずらそうな顔をする。
 頑張っている妊婦に不安を与えたくないことを理解し、ブラドーは握っていた手を離し女の瞼を塞いだ。

 「何をしたんです?」

 急に大人しくなった女にシスターが驚きの声をあげる。

 「少しだけ眠らせた・・・話すことがあれば今のうちだ」

 「・・・逆子なんです。先生から貰った薬を飲ませてはいますが、直接この子を見て処方した物ではないし・・・魔法薬は飲ませる者の力量も効果に影響を及ぼしますから」

 シスターは先程から自分が感じている不安を妊婦に伝えないよう振る舞っていた。

 「母子共に体力が続くうちに産道に頭が向かないと・・・」

 先生という人物から習った逆子の解消法なのだろう。
 シスターは祈るようにして妊婦のお腹をさすり始めた。
 状況を理解したブラドーは少しだけ彼女に手を貸すことを思い付く。
 それは、ほんの気まぐれだったのかもしれない。

 「ようは、赤子の位置がずれれば良いのだな・・・」

 彼は肘まで袖をまくり上げると、シスターの腕をとり同じように袖をまくる。
 柔らかで白い腕が闇夜に浮かび上がった。

 「何をするつもりです!」

 「慌てるな、余が直接触れるとどのような影響が出るかわからんからな・・・」

 ブラドーはシスターの手に自分の手を重ねるようにして女の腹に当てる。
 二人の指先が霧に姿を変えながら女の腹部にめり込んでいくのを、シスターは信じられないものを見るような目で見つめた。

 「落ち着け、子宮内部に辿り着いたら徐々に指先を実体化させる。後はおまえ次第だ」

 シスターは指先が熱く柔らかい感触に包まれるのを感じる。
 体内の赤ん坊は産まれようと必死に彼女の指を握りしめていた。

 「大丈夫よ・・・少し体をずらすの。そう、もう少し・・・」

 お腹の赤ん坊に直接語りかけながら、シスターは産道の位置に向かうよう導き始める。
 ほんの数分の出来事であったが、二人が手を引き抜くと子宮内の赤子の位置は正常に戻っていた。

 「さて、余が手を貸すのはこれまで・・・後はお前の用事が済むまで待つとしよう」

 何度も礼をいうシスターを手で制し、ブラドーは女にかけた催眠を解くと少し離れた岩の上に腰を下ろす。
 その顔にはどこか照れたような複雑な表情が浮かんでいた。
 






 目の前で行われている出産を、ブラドーはどこかぼんやりした表情でながめている。
 先程行った心霊手術まがいの荒療治から30分程が経過していた。


 ―――何故、こんな事になったのか?


 今置かれている状況を冷静に考えれば考えるほどブラドーは混乱を深めていた。
 吸血するはずだった娘の要求通り出産が終えるのを待つ。
 それだけでなく自分は逆子の解消にまで手を貸していた。


 ―――以前の余なら絶対にしない行動だ・・・あの時感じた輝きが原因か?


 ブラドーは唯一思い当たる点を思い出す。
 シスターがフードをとった瞬間に感じた輝き。
 それは単に月の光の反射ではなく、ブラドーに未知の感覚を与えていた。
 もう一度、その輝きを確認しようとシスターを見つめるが、お産の手伝いをしている彼女からはその輝きを感じることは出来ない。



 「もう少しよ、頑張って!」

 まもなく産まれるのか、シスターの励ましの間隔はどんどん狭くなっていった。
 その声に応えるように妊婦のあげるいきみ声が一層大きくなる。
 一際大きな声が闇夜に響くと後には静寂だけが残された。

 「産まれたわ・・・」

 赤ん坊を取り上げたシスターが羊水を吐き出させるように軽く揺すると、力強い産声が闇夜の静寂を再び打ち破る。
 シスターは岩から立ち上がったブラドーに、血と羊水にまみれ泣き続ける赤ん坊を掲げた。

 「どうです? これが人間の命・・・例え今日、1000人に死が訪れようとも、私たちは同数、いや、それ以上の命を産み出し生き続ける。素晴らしいでしょう!」

 シスターは笑顔を浮かべていた。
 その笑顔にブラドーは目を細める。
 ブラドーにはシスターの笑顔が、眩しく、そして温かな光を放ったように見えたのだった。


 ―――何だ・・・今の輝きは?


 呆然と立ちつくすブラドーを尻目に、シスターは赤ん坊を産湯に浸からせ清潔な布でくるむと母親に抱かせてやった。
 そしてブラドーの手を引き荷馬車から少し離れた所まで彼を誘導する。

 「あの親子には手を出さないと約束してくれますね・・・」

 「・・・その前に、余はお前の名を知らん」

 ブラドーの問いかけにシスターは一言、ソリスとだけ答える。
 ソリス―――ラテン語で太陽の意
 その名を聞き、ブラドーは笑いを堪えることが出来なかった。
 眩しく温かな何かを感じさせた女が、自分が求める物と同じ名だったことが彼には堪らなく可笑しかった。

 「ソリス・・・」

 ブラドーは初めてソリスの名を口にする。
 不思議と温かさが胸に満ちた。
 そして、その感覚を噛みしめつつ、ブラドーはいつもの茫洋な調子で続く言葉を口にするのだった。

 「余はお前の用事がなんなのか聞き忘れてしまった。その用事とやらはまだ済まんのか?」

 ソリスは驚きの表情を浮かべた。
 目の前のバンパイアは自分たちを見逃すらしい。
 呆然としているソリスから、髪に飾られていた薔薇が抜き取られた。

 「日の出も近い・・・今宵はこの薔薇の精気で我慢するとしよう」

 ブラドーの手の中で薔薇の花はみるみる枯れていった。
 そして夜空に身を躍らせると、ソリスを見つめ再会を誓う言葉を口にする。

 「我が名はブラドー。ソリス、今度会うときはその用事とやらを聞かせてくれ」

 ソリスの浮かべた笑顔に照れたように、ブラドーは足早にその地を後にする。
 その姿は何か大切な物を発見した高揚感に満ちあふれていた。











 「おじーちゃん、お日様はいつ見るの?」

 ブラドーの居城
 昔語りが一段落したのを感じ取り、長男の少年がずっと感じていた疑問を口にする。
 5歳の少年には比喩や暗喩といった表現を理解することは出来ないようだった。
 ブラドーは孫たちに微妙なニュアンスが伝わらなかった事に苦笑する。

 「まあ、余にとってソリスの笑顔は太陽以上に眩しかったということだ」

 「ソリスさんて?」

 「・・・君たちのおばあちゃんだよ。そして僕のお母さんでもある」

 長男の疑問に答えたのはピートだった。
 その目は追憶の彼方に向けられている。
 初めて聞く両親のなれそめに、彼は母親の事を思い出していた。
 最後まで人間だった彼女は700年近く前に他界している。

 「お義母さんは用事をなんと言ってました?」

 同じ運命を選択したエミは、ブラドーと再会した義母が何と答えていたのかが気になっていた。

 「いい男と出会い、子をなし、命を繋ぎ死んでいく・・・なんのことは無い用事だったが結局、余はずっと待たされることになった。仕方がないからいい男役を引き受けたがな」

 「母さんらしいや・・・」

 ピートはそう呟くと、テーブルの下で愛する妻の手を握りしめる。
 寿命の異なる種族が永遠の愛を誓い合う。
 700年前に父と母がしたであろう壮絶な覚悟をこの二人も固めていた。

 「おじーちゃんたちは、それからどうなったの?」

 孫の問いに、ブラドーは微かにその表情を曇らせる。
 二人が問題なく愛を育めたのならば、ブラドーは島を霧で隠す必要が無かった。
 気遣う様子を見せた息子夫婦に、ブラドーは気遣い無用とばかりに笑顔を見せる。

 「聞きたいか?」

 孫たちの声を揃えての返事にブラドーは目を細める。
 亡き妻の命が確実に未来に繋がっていくのが実感できた。
 彼は領民が運んできたワインを一口啜ると、自分とソリスに起こった出来事をゆっくり噛みしめるように語り出した。



 ―――太陽を盗んだ男 本編へ続く―――


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