椎名作品二次創作小説投稿広場


VISITORS FROM THE ABYSS

怪異の岬


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:06/ 7/25






 武器を入手し老犬を解放した後、ベスパは村をもう一度見て回った。まるで人の気配がなく、デュナミスがうろついているのは、やはり何かがあったとしか思えない。さっきの老犬のように無事でいる人間がいるかも知れないと家を見て回ったが、やはりどこにも人間の姿は見あたらなかった。
 そうしてしばらく歩き回ったベスパがある民家を覗いたとき、テーブルの上に無線機が置かれていた。船舶に取り付ける無線機を改造したもので、どうやら電源も繋がっているらしい。


「そうだ、通信を――!!」


 村の様子も気になるが、まずは自分自身の使命を優先させなければ。ベスパは無線機に手を伸ばすと周波数を合わせ、魔界に向けて救難信号を発信してみるが、激しいノイズが続くばかりで返信は帰ってこなかった。首を傾げるベスパに、マリアが答えた。


『およそ・六ヶ月前を・堺に、アルマスの・通信状況は・不安定になっています。島全体に及ぶ、原因不明の・磁気異常と・時空歪が・観測されています』

「文字通り、絶海の孤島ってわけか」

『磁気異常と・時空歪の・影響により、魔界・および・人間界中継基地への・信号がブロックされました。通信不能です』

「ちっ……仕方がないね……」


 忌々しそうに無線機を軽く小突くと、ベスパは民家を出た。空を見上げてみると、抜けるような青い空に細かくちぎれた雲が浮かんでいる。とてもこの場所が、目に見えない怪異に包まれているなどとは信じられないくらいに綺麗だった。胸一杯に空気を吸い込み、気分を切り替えたまさにその時。どこか遠くの方から、かすかに声が聞こえた気がした。呼吸を殺し耳を澄ましてみるとそれは確かに、そして繰り返し響いている。急いで声のした方に駆け出していくと、岬の灯台へと続く小さな一本道が延びており、さっき解放したブラウンの毛並みを持つ老犬がしきりに吠え続けていた。


「何だ……?」


 老犬が吠えている先――灯台へ続く道の脇にある茂みが、がさがさと動いている。その様子をじっと見守っていると、やがて黄土色のデュナミスが姿を現した。その奇妙な昆虫は吠え続ける老犬に興味を示すこともなく、くるりと背を向けて岬へ向かっていった。しかもそれは一匹で終わらず、どこからともなく次々とデュナミスが現れては、同じように岬へ移動していく。まるで、何かに引き寄せられるかのように。この先にはきっと何かがある――そう確信したベスパは年老いた犬を村の方へ帰すと、ショットガンを構えたまま用心深く岬へと向かうのだった。
 剥き出しの岩が転がる、舗装のなされていない小道を五分ほど歩いた頃。ベスパの目に奇妙な物体が飛び込んできた。入り江を一望できる岬の先端に、巨大な樹木がそびえ立っているのだ。道の脇にある小さな看板には『灯台』という文字と矢印が描かれているが、そんな物はどこにも見あたらない。不気味なツタが絡まって出来たような樹木は毒々しい赤紫の葉を生い茂らせ、周囲の空気を淀ませている。そして、その幹や根元には多数のデュナミスが集まり蠢いていた。


「……マリア」

『イエス、ミス・ベスパ。ロングレンジ・スキャン開始――』






 ――分析結果表示――

 植物と思われる巨大な生物の表面から、有毒な気体の発生を検知。また、表皮から分泌される液体をデュナミスが摂取していることを確認。クリーチャーはこれを求めて群がっているようです。また、植物の根本周辺に多数の生命反応を感知。現在地からは、詳しい分析は不可能です。






「ありがと。どっちにしろ、近づいてみるしかないか……」


 ベスパは物音を立てないように、姿勢を低くして巨大な植物に近づいていく。そうして残り五十メートル程まで近づいた時、改めて状況の異常さにベスパは息を飲んだ。植物の周囲には異様な瘴気が充満し、それに当てられた小鳥や海鳥の死骸があちこちに転がっていたのである。


『大気中に・有害なガスが・充満しています。現在、毒に対する耐性を・喪失しています。長時間の滞在は、生命損失の・恐れあり』


 マリアの警告に頷きながら周囲をさらに確認すると、眼前の不気味な植物には無数のデュナミスが幹にへばりつき、幹から分泌されるぬらぬらした液体を舐めていた。
 だが、ベスパの目を惹いたのはそれではない。遠目からはよく見えなかった、樹木の根元にあった多数の生命反応。樹木の根元には人間がひとり入れそうなほどの白い糸で作られた繭が、幹を取り巻くようにズラリと並んでいる。その数はおよそ十五人分ほどだろうか。そして、その中で何かが息づいているのがはっきりと分かる。それが、説明のしようがない嫌な感覚をもたらすのだ。老犬が吠えていたこと、村の住人が忽然と消えたこと。そして、目の前にある謎の繭。それは確証など何もない、単なる想像にすぎない。それでも、べスパの胸の奥は嫌な予感にざわついて仕方がなかった。
 もう少し詳しく調べようと、そびえ立つ不気味な樹木に近づいたその時。背後で、空気が揺れた。空間を越える時に感じるのと同じ、特有の波動である。ベスパが咄嗟に振り返ると、空間に波紋のような輪がいくつも広がっており、そこからデュナミスがぞろぞろと這い出してきた。それは瞬く間に周囲を埋め尽くし、完全にベスパの退路を塞いでしまった。だが、幸いと言うべきかその色は孤独相である黄土色をしており、こちらに飛びかかってくる様子はまだ無い。うかつに刺激するのはまずいと思い、銃のトリガーに指をかけて構えたまま、ベスパはデュナミスの様子をじっと観察していた。


(こいつら、別の次元から這い出してきた……やっぱり、ただの昆虫じゃない。それに、どうして急に集まってきたんだ?)


 ベスパを警戒してか、黄土色のデュナミスは一定の距離から近づいてこようとはしない。しかし、胸の奥にざわつく予感はますます加速していく。何かがおかしい、危険だ――と。そして、それは始まった。


 ――どくん。


 背後で脈打つ鼓動。確かにそれを感じた。決して気のせいなどではない。鼓動は次第に大きく早くなっていく。振り返って確かめたいが、目の前の昆虫の群れから目を離すわけにもいかない。全身はじっとりと汗ばみ、加速する嫌な予感がベスパを包み込む。そして次の瞬間――ベスパの周囲を取り囲んでいたデュナミスが一斉に動き出した。


「――ッ!?」


 あと少しでトリガーを完全に引いてしまうところで、ベスパは指を止めた。デュナミスはベスパには目もくれず、背後にある植物の根本に群がっていったのである。そして、繭を顎でかじり、表皮を食い始めた。
 やがて繭のひとつが完全に食い破られると、その中で影が蠢いたのをベスパは見た。透明の粘液に包まれながら立ち上がったもの――それは、二本の足で立つ、羽化したての真っ白な昆虫人間であった。


「ま、まさか……これ全部、村の人間が――!?」


 ベスパの予感は的中してしまった。デュナミスが他の生物に取り付くことは、先の戦いで知ることが出来た。となれば、連中がより高度な生物を求めて同化することは想像に難くない。より強く、大きく、知恵を持つ生き物を。その中で、人間は格好のターゲットであろう。魔族に取り付いた姿に比べれば体格も小さく容姿も丸みを帯びて大人しいが、それでも今のベスパにとっては恐るべき驚異になることは間違いない。もはや、躊躇っている余地は無かった。
 彼らに恨みはないが、生きるためには非情に徹しなければならない。羽化したてで装甲も固まっていない今なら、容易に倒せるはず。氷のように心を冷たくした彼女が、ショットガンのトリガーを引こうとしたその時だった。


『いけません!!ミス・ベスパ!!』


 頭蓋をシェイクされるような大音量で、マリアの声が心に響いた。面食らったベスパが頭を振っていると、さらにマリアが続けた。


『ヒューマノイドタイプの・デュナミスから、人間と同じ・細胞組織を確認。クリーチャーに・憑依されたものと・推測。彼らを殺傷することは・プログラムに・反します!!』

「じゃあどうしてっての!!このままじゃあたしら食われて終わっちまうんだよ!?」

『攻撃は・昆虫型のみに・限定してください。ヒューマノイドタイプに・殺傷の可能性がある・攻撃動作を・行った場合、サポートを・停止します』

「無茶苦茶言うんじゃないよ!!」


 ベスパとマリアが言い争っている時、不気味な植物を取り囲むデュナミスに変化が起こっていた。昆虫人間を守るように陣取り、ベスパを見つめてザワザワと身体を震わせ始めている。統一された、威嚇するような行動。その音が高揚するにつれ、黄土色の体色がだんだんと濃くなり――次第に黒色へと変化していく。


『警告・警告!! デュナミスの・体組織が・変質しています。相変異による・群生相と・思われます。攻撃性・及び・驚異レベル・上昇!!』

「迫り方も少しは工夫して欲しいもんだね。いい加減うんざりだよ!!」


 視界に映るデュナミスの甲殻が全て黒に染まり終えたそのとき。おびただしい虫どもはひとつのうねりとなって、ベスパに襲いかかる。そして、トリガーに掛けられたベスパの指が目一杯引かれたのは同時だった。
 空気を引き裂くような音と共に、鉛の散弾が巨大な昆虫の群れを貫き吹き飛ばす。ベスパは銃の反動を受けて飛ぶと、後方宙返りをして間合いを取る。次の瞬間、今までベスパの立っていた場所には大量のデュナミスが雪崩れ込み、小さな山のように積み上がっていた。素早くスライドを引き、装弾を終えたベスパはそこへめがけてさらに銃弾を放つ。まとめて数匹を仕留めた後、さらに霊波砲を撃ち込んで追い打ちをかけると、そこにいた大半は肉片となり、四散していた。しかし、迫り来るデュナミスはその程度で終わってくれるような数ではない。ゾロゾロと周囲から集まってきてはベスパに飛びかかってきた。


(くそ、一匹一匹は弱いけど、こうも次々出て来られたんじゃ……それにこいつら……)


 左右に跳びながら昆虫の突進をかわし続けるベスパだったが、確かな違和感を感じていた。最初はデタラメに飛びかかってきているだけだと思っていたが、デュナミスが襲いかかってくる角度は、全て自分の死角からである。正面にいる連中は今にも飛びかかってきそうな挙動をしているが、実際にはベスパが目を離した隙にしか攻撃を仕掛けては来ない。
 牽制し、隙を作り、死角から攻撃をする――その動きはまるで、高度に統率されているように感じられる。だが、この場にそんな指令を出しているような存在は見受けられない。羽化したての白い昆虫人間も、身体を乾かすためかじっとして動かず、特別な指令を出している動作や反応は見えない。だが、現実に昆虫の群れは何者かに統率されており、死角を突こうと回り込んでくる。ベスパは持ち前の反射神経で攻撃を回避しつつ、デュナミスが一ヶ所に集まったところを狙って散弾を浴びせる。だが、敵の数は多く、このままでは弾薬と体力が先に尽きてしまうことは目に見えていた。追いつめられる前にこの謎を解かねばならなかったが、絶え間なく続く攻撃をかわすので精一杯のベスパに、余計なことを考えている余裕はなかった。
 そうしているうちに、ベスパをさらに追いつめる一手が積み上がる。真っ白で動きを止めていた昆虫人間達の身体が次第に色付き、褐色へと変化していく。さらに色は濃くなっていき、真っ黒に変色した装甲にはもはや脆弱さは見あたらなくなっていた。羽化の完了した昆虫人間の複眼にはデュナミスと同じ真っ赤な光が宿り、やや緩慢ながらも真っ直ぐにベスパへと近づいていった。


「うっ!?」


 その接近を目にしたとき、ベスパの表情は凍りついた。決して手を出してはならぬ相手。しかし、彼らは確かに殺意を持って、ベスパに迫る。デュナミスの群れを越えて近づいてきた昆虫人間は、ベスパに向けてガチガチとアゴを鳴らし威嚇する。自身を取り囲むおびただしい殺気に当てられながら、ベスパの脳裏にはある疑問が浮かんでいた。
 初めてこの怪物どもを目の当たりにした時、ジークは言った。『どうやらこいつは我々に――特にお前に用があるらしい』と。考えてみれば実に奇妙なことである。見たこともない、ましてや存在すら知らなかった怪物が、自分に何の用があるというのだろう。教会で出会った怪物も問答無用で襲いかかってきたし、目の前の群れもまた、異常とも言える反応を見せている。霊力を失い、人間の娘と変わらぬまでに弱体化した自分を、なぜこうも執拗につけ狙い襲いかかってくるのか。


(まさか、恐れていると……? でも、どうして――)


 考えたところで、謎に満ちた怪物どもの考えなど分かるはずもない。そして、一番先頭に立って近づいてきた昆虫人間のかぎ爪がベスパに振り下ろされた。反射的に銃口を向けたベスパだったが、耳をつんざくマリアの警告が引き金を引くのを思い止まらせる。間一髪でかぎ爪をショットガンの銃身で受け止めはしたものの、その力は想像以上に強く、全身の力を込めて踏ん張るのが精一杯だった。そして、その隙を見逃すまいと数匹のデュナミスが飛びかかってきた。咄嗟に昆虫人間を前蹴りで吹き飛ばしたが、ベスパの回避は間に合わない。鋭いアゴに左腕と脇腹、右の太腿を切り裂かれ、傷口から鮮血がしたたり落ちる。人間のものではない、魔族の色をした血が。


「ぐっ……!!」


 焼けるような熱さと痛みが、全身を駆け巡る。だが、引く道は無い。どうあっても前に出て、活路を切り開く以外に選ぶ方法は無いのだ。ベスパは自身を鼓舞するように吼え、怪物どもの群れに突っ込んでいった。
 軍隊でさんざん訓練した体術を駆使して雨のように降り掛かるデュナミスを避け、立ちはだかる昆虫人間をの足を払い、投げ飛ばす。霊力を失おうと、鍛えられた戦いの知識と技術はベスパを戦士たらしめるに充分であった。が、それも勝てる戦いならばの話である。所詮は多勢に無勢。周囲から数で押されては、さしもの格闘技術も役には立たなかった。ベスパは周囲から少しずつ切り刻まれ、満足に反応することもままならない。そして、疲労と痛みに足の止まったところへ、昆虫人間の鉄棒のような腕がベスパの脇腹を捉えた。横なぎに振り抜かれ、派手に吹き飛んだベスパは固い地面に転がって苦痛に身を折り曲げて悶絶した。


「うぐっ……げほっ、げほっ……!! だ、だめだ……キリがない……うぐっ」

『ダメージレベルが・レッドゾーンに到達。霊力残量低下。危険です!!』

「はぁ、はぁ……ヤバイと思ってるんなら、何かいいアイデアでも出してよね……ッ」


 血を吐きながら立ち上がるベスパだったが、すでに満身創痍であり、傷口から有毒ガスが染み込み意識が朦朧とし始めていた。それに、ショットガンもどこかに落としてしまったらしい。もはや彼女に、落ち着いて考える余裕も、それを許す状況も残されてはいない。最後まで勇敢に戦った――せめてその意志だけは貫こうと、肩に掛けていた銛を手にとって構えたその時。聞き覚えのある声が、耳に飛び込んできたのである。


「お前――!?」


 それはベスパが追い返したはずの老犬だった。追い返されてなお、年老いた犬は後を追ってここまでやってきたのだ。敏感な嗅覚のおかげか、瘴気の中には足を踏み入れてはいなかったが、やや離れた場所で植物に向かって激しく吠え立てていた。デュナミスは老犬に気が付いてはいるようだが、ほとんど関心を示そうとはしていない。


『あの犬は・肉体の老化ゆえ、デュナミスの・同化対象から・外れた模様です。何らかの音波を・聞き取っている・動作を確認。犬の可聴領域は、人間より・広いことが・知られています』

「……そうか、マリア!! どこかに音を出してるものがあるはずだ、探して!!」

『イエス、ミス・ベスパ。周辺の・音波を・解析します!!』


 マリアがそう答えると、素早く分析結果が視界の端に表示されていく。植物の幹を見上げると、赤いサイトで囲まれたターゲットが表示され、その中には、葉と同じく毒々しい色彩の赤い花が咲いている。


『スキャニングの・経過を報告します。三ヶ所に咲く・花から・デュナミス反応を感知。この植物自体が、進化形態・エネルゲイアと・思われます。花の部分より・高周波の音波を発し、デュナミスを・コントロールしています。』

「そ、そうとわかれば……!!」


 ベスパは残った霊力を振り絞り、花に向かって霊波を撃ち込む。しかし、球状の霊波はゴムボールのように跳ね返り、反射されてしまった。


「なっ――!?」

『――スキャニング・完了。分析結果を・表示します』






 ――エネルゲイア・プラントタイプ――


 デュナミス進化形態のひとつ。
 細胞組織に強い毒性を持ち、光合成の際に毒素を大気に放出している模様。周辺の環境が汚染されています。
 デュナミスに憑依された魔界軍兵士が、異界の植物と融合し異常進化した可能性あり。
 本体は動けませんが、デュナミスの好物である樹液と超音波のシグナルを利用して彼らを使役しています。
 超音波の発信源は三ヶ所に咲く花と確認。
 樹皮は霊的エネルギーを反射するフィールドを発生させており、通常の霊波攻撃ではダメージを与えられません。
 反面、物理的な耐久度は低く、強い衝撃で容易に破壊可能です。
 なお、クリーチャーの体内から喪失した霊力と同パターンの波動を感知しました。






 分析結果を確認したベスパの目は、すでにある物を探して素早く動いていた。花を破壊するための武器を、もう一度手にしなければならない。そして、それはデュナミスの包囲の向こう、老犬がいる方向に転がっていた。殴られた拍子に、ずいぶん飛んで行ってしまったらしい。ベスパは再び銛を構え、正面に立ちはだかる昆虫人間に矛先を向けた。


『ミス・ベスパ!! ヒューマノイドタイプへの・攻撃は・許可出来ません!!』

「ったく、あたしが死ぬのは構わないって言うの? いいから黙って見てな!!」


 銛を水平に構えたまま、ベスパは駆け出した。全身の傷口からは体液が流れ出て、その軌跡を地面に残す。
 そして――。


「うりゃあああああッ!!」


 隙間のない怪物の群れが目前に迫ったとき、気合いと共に矛先が地面に突き立てられた。そして次の瞬間、ベスパの身体は棒高跳びの要領で天高く舞い上がり、昆虫人間とデュナミスの包囲を飛び越えていた。
 膝を抱えて数度回転し着地したベスパはさらにもう一度前方に跳躍、地面を転がりながらショットガンを手にすると、その勢いを利用して身構えたまま起き上がった。ショットガンのスライドを引いて装弾すると、頭上で咲き誇る毒々しい花に向けてトリガーを引いた。
 散弾を浴びた花が、生々しい音を立てて飛び散る。すると、その下にいるデュナミスと昆虫人間達に異変が生じていた。無数のデュナミスそれぞれがギチギチとアゴを鳴らし、落ち着き無く周囲を見回している。昆虫人間達も、頭を押さえて混乱しているようだった。確かな効果を実感したベスパは続けて発砲し、もうひとつの花も破壊する。


「よし、これで最後!!」


 こいつさえ潰してしまえば、この戦いにケリが付く。そう確信してトリガーを引いたベスパに返ってきたものは、カチッという味気ない金属音だけ。そう、あろうことか先程の一発で弾薬が尽きてしまったのだ。咄嗟には現実を認識出来なかった彼女は何度かトリガーを引いてみたが、何度やっても結果は同じだった。


「嘘だろ……こんなお約束、テレビかマンガだけにしてよね!!」


 そうひとりごちているうちに、デュナミスや昆虫人間達の混乱は収束しつつあった。残っている花が音波の出力を上げ、コントロールを回復しようとしていた。周辺の気配が怪しくなってきたのを感じ取った老犬が、不安に怯えるような声を上げた。その足元に小さな小石を投げつけ、ベスパは老犬にこの場から去るように促す。このような場所で、お前まで無惨な最期を遂げることはない、と。しかし、老犬は少し驚いたような素振りを見せただけで、その場から離れようとはしなかった。
 振り返ったベスパの正面には、いつの間にか一体の昆虫人間が立っていた。右手にはベスパが地面に突き立てた銛を持ち、無言でこちらを見つめている。その右手が振り上げられたとき、ベスパは覚悟を決めた。ところが――。


「……」


 昆虫人間は視線を老犬に向けた後、くるりと背を向ける。そして、頭上に掲げられた銛は、そびえ立つ植物の最後の花を貫いた。唖然としているベスパを他所に、周囲では大きな異変が起こり始めていた。音波のコントロールを失い、昆虫人間達は頭を抱えてうずくまり、統率の取れなくなったデュナミス達は狂ったように植物に群がって、その幹や葉をデタラメに食い荒らし始めたのだった。


「ど、どうなってんの?」

『クリーチャーの・ベースとなった・植物は、元々・デュナミスの好物・だった・模様。現在は・細胞組織が・変質し、毒性を帯びています。コントロールが失われ、クリーチャーは・極度の興奮状態に・陥っています』

「ってことは……」


 全体をほとんど食い尽くされ、不気味な植物はもはやその姿を留めてはいなかった。細胞が死滅し剥がれ落ちたその下から、白く立派な灯台が姿を現している。そして、植物を食い荒らした全てのデュナミス達は毒によってもがき苦しんだ後、電源が切れた玩具のようにピタリと動きを止めて絶命していた。


『崩壊した・花の中心部・より、エネルギーが分離しています。喪失した・霊力の一部と確認。吸収可能です』


 ベスパは花の残骸に近づくと、薄紫に輝いて浮かぶ光の球に手を伸ばす。直後、全身に霊力が行き渡り、無数にあった傷口も元通りに塞がっていた。


『喪失した・霊力の一部を獲得。これにより・潜在能力の一部が覚醒。妖毒の精製・及び、毒素に対する・抵抗力を・獲得しました。なお、霊波砲の出力が・上昇しました』

「妖毒か。少しは戦いが楽になりそうだね」

「霊力値の低下が、妖毒の効果にも・影響しています。現在の能力では、毒素も弱まっており、耐久値の・高い敵には、わずかな時間・麻痺させるのみに・留まります』

「簡単に上手くはいかない、か。それに――」


 ベスパの視線の先には、放心状態になった昆虫人間達が取り残されたままになっていた。その場に座り込んだりボーッと遠くを見ていたりと、襲いかかってくるような気配はない。しかし、このまま放置しておいたらどうなるのか――嫌な想像が脳裏をよぎり、ベスパは首を振ってそれを追い出そうとした。
 そんな時、一体の昆虫人間がベスパの前に歩み出た。それはさっき銛を投げつけ、危機を救ってくれた者だった。


「ウ……ググ……あ、ありがとよ。おかげで少しだけ意識が戻ってきた……」


 その昆虫人間は、はっきりと人間の言葉を口にした。驚いているベスパの前に跪くように座り込むと、さらに言葉を続けた。


「わ、わしらはいきなり現れたバケモノに襲われて、気が付いたらこんな姿にされていた。あの花をぶっ潰してくれたおかげで、呪縛が少し弱まったらしい。そ、それで、ジャックがあの花を狙えと教えてくれたんだ……」

「ジャック?」

「わしの家族だ。そこにいるだろ」


 昆虫人間の指す方向には、大人しく座っている老犬の姿があった。


「アンタの犬だったのか」

「そ、そんなことより聞いて欲しい事がある――」


 跪いたままの昆虫人間の頼みを聞いて、ベスパは言葉を失ってしまった。彼はこう言ったのである。自分を、そして他の連中も今すぐ殺してくれと。


「バカなこと言うんじゃないよ!!それにお前はともかく、他の連中のことまでどうして勝手に決めるんだよ!?」

「わしらに取り付いてるバケモノは、まだ死んでねぇ……い、今も奴らが、心に爪を立てているのが分かるんだ。遅かれ早かれ、俺たちは身も心もバケモノになっちまう……だ、だったらせめて心が残っているうちに、ひと思いに……頼む」


 うつむいたまましばらく沈黙していたベスパだったが、やがて暗い表情のまま顔を上げた。そして、瞳に氷のような冷たさを宿したまま昆虫人間の首筋に手のひらを当てた。


「この距離、この場所なら――苦しまずに済むね」

『ミス・ベスパ!?』

「止めても無駄だよ。こうしなきゃ、私達が危険かもしれない」

『ノー!!どのような・理由が・あろうと、人間を・殺傷する事は・認められません!!』

「好きでこんな事言ってると思ってるのかい!!」

『……』

「私だって……何もかも納得してるわけじゃない。けど、生きてるって事が……苦しみになることもあるんだよ」

『いけません、今すぐ・中止してください!!』


 心の奥にしまったはずの過去の傷が、にわかに疼く。ベスパは唇を噛みしめ、目を閉じて霊力を集中させる。マリアのけたたましい警告も、意識の隅に追いやるコツが分かってきた。たとえ視界をシャットダウンされようと、的を外すこともない。そして、霊波を発射しようとしたその時。


「――待て、二人とも。少し落ち着くんだ」


 いつの間に姿を見せていたのか、小さいままのジークが胸元から身を乗り出し、状況を見つめていた。


「ちょっ、どこから出てくるのよ!?」

「そ、そんな話は後だ。マリア、今までの状況を私に送信してくれ」

『イエス、ミスター・ジークフリード』


 シードに今までの記録が転送されると、ジークは考え込んだ後顔を上げて言った。


「マリア、君の犠牲者を出してはならないという考えは立派だが……実際に戦っているのはベスパとその身体だ。殺人を認めろとは言わないが、もう少し彼女の事情も理解してやって欲しい」

『……申し訳・ありません。しかし、殺人は・原則的に・認められていません』

「ああ、わかっているさ。だが、今後は言い争う前に、どうやって状況を切り抜けるべきか一緒に考えてやってくれ」

『イエス、ミスター・ジークフリード』

「よし……それからベスパ」

「う、うん」

「霊波の出力をもう少し落として人間の波長に近付けて……そう、その波動で昆虫人間に注入してみてくれ」

「でも、大丈夫なの?」

「ああ、少し思い当たることがあるんだ。悪いようにはならないはずだ。マリアも信用してくれ」

『……イエス、ミスター・ジークフリード』

「……ふーん、ジークの言うことは素直に聞くのね」


 マリアの態度に違いに、ベスパは思わずジト目になってジークを睨む。


「あのな、そんなこと気にしている場合じゃないだろう……」

「ま、まあいいわ。じゃあ、行くよ――」


 気を取り直したベスパは、指示された通りの霊波を昆虫人間に送り込んだ。無論、その中にはごく弱いながら妖毒も含まれている。身体を大きく震わせると、昆虫人間は悶え始め、苦しそうなうなり声を上げ始めていた。


「ねえ、本当に――!?」

「もう少し様子を見るんだ。恐らくこれで――」


 地面にうずくまって苦しむ昆虫人間に、やがて変化が訪れた。体中の甲殻に亀裂が走り、白い煙のようなものが立ちこめる。それが消えた頃、残骸のように散らかった黒い装甲の破片の真ん中に、老いてはいるが精悍な顔つきをした男が座り込んでいた。その姿は紛れもなく、人間そのものの姿だった。


「こ、これは?わしは一体……?」

「も、元に戻った!?」


 驚いたのは男だけではなく、ベスパも同様だった。どうなっているのかジークに尋ねると、少し長くなるという前置きをして彼はひとつずつ答え始めた。
 話はベスパとジークが初めてデュナミスに遭遇したところまで遡る。初めて連中と遭遇した際、シュバリエと呼ばれた個体も含めてベスパに異常とも言える敵対心を見せていた。
教会でのことも、この灯台での出来事も然り。そして、ベスパの毒性を吸収した植物を食べてデュナミスが死滅したことを考えると――。


「つまりベスパ。お前は奴らにとって天敵だということだ」

「て、天敵――?」

「考えてみれば自然な話だろう。連中は集団で行動するときは凶暴化するが、それ以外はどちらかというと草食昆虫の習性に近い。そしてお前はスズメバチの化身だからな。毒も効果的らしい」

「そっか……やっぱり、恐れてたのか。私を」

「これで状況は大きく変わった。妖毒を取り戻したことで、お前はデュナミスに憑依されることは無いだろう。それに、攻撃力も確実に戻ってきている。そう、我々は逃げる側から、奴らを狩る側になったのだ」

「でも、まだ油断は出来そうもないね」

「ああ、敵も仲間を失って行動を起こし始めているかも知れない。十分注意しろ」

「ええ」

「さて、お前の妖毒は憑依された人間へのワクチンにも使える事が証明された。残りの村人も救ってやってくれ」

「了解」


 それからベスパはうずくまっている昆虫人間達に霊波を流し、デュナミスの憑依から解放してやった。村人からはやはり大した情報は得られなかったが、老犬の飼い主である男はベスパの事情を聞くと、入り江の反対側にある町へ向かう方法を教えてくれた。
 陸路を北に行って回り込むのが確実ではあるが、途中は深い森が存在し、現在はデュナミスが多数出現するという。そこで、入り江を渡って海上を進むのが良いらしい。そのために、彼が持っていたエンジン付きの小さなボートを貸してもらえることになった。
 波の穏やかな入り江に浮かぶボートに乗って、ベスパはアルマス最大の港であるアヴィニオンへと向かう。はたして、この先に何が待ち構えているのであろうか――



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