椎名作品二次創作小説投稿広場


VISITORS FROM THE ABYSS

デュナミス(可能性)


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:06/ 6/25






 セーフティスキャン始動。
 霊力の喪失によりチャクラへの循環異常が発生。
 多数の能力を失いました。


     霊波砲:使用不能
    飛行能力:使用不能
    物質透過:使用不能
    妖毒生成:使用不能
    身体能力:大幅に低下
 物理・霊的耐性:大幅に低下
    温度耐性:消失


 現在の総合能力は、ベストコンディション時の10%以下。
 人間女性とほぼ同等レベルに低下しています。






「な、何なのこれは?」

『感覚の・共有化により、分析結果を・視界に・表示できます。他にも・目視した物体の・スキャンが・可能です』


 突然目の前に現れた文字に驚くベスパに、マリアは独特の間隔を持つ言葉で答える。ベスパが足元のヒカリゴケに目を向け尋ねると、映像を含めたスキャン情報が視界に表示された。


 ――ヒカリゴケ亜種――

 暗く湿っぽい場所を好む、原始的なコケ類の一種。
 本来は冷涼な地域に生息します。
 既存データとの相違点を複数確認。新種の可能性大。


『コマンド要請により・情報の収集・および分析を・実行します』

「……なるほど、願ってもない機能だね」


 闇に包まれた地の底で、ようやくベスパは顔を上げた。いつまでもここでぐずぐずしているわけにはいかないと、気持ちを切り替える。身体を張って守ってくれたジークのためにも、生きて脱出しなければ。彼のシードを胸元にしまい込むと、確かな足取りで立ち上がった。とは言うものの、どこをどう行けば出口なのかまったくわからない。四方を見渡してみても、近くに勢いの激しい川が流れている以外は洞窟の壁が見えるだけである。天井を見上げてみると、遙か高い場所から光が漏れている部分があった。その向こうは恐らく地表なのだろう。これは幸運だとベスパはそこまで飛ぼうとするが、今までのように精神を集中しても何も起こらなかった。


「そうか、今の私は……ちくしょう、さっきの表示は冗談じゃないって事か」


 悔しさとみじめさに唇を噛むベスパだったが、そんな感傷に浸るヒマもなく体内のマリアが警告音を発していた。


『警告・警告!!複数の・動体反応を感知。近づいています!!』


 視界左上部分に、円形のサイトが表示される。そして、その中心にある丸い点に向かって複数の四角の点が近づいていた。やがて周囲の暗闇からギチギチと、どこかで聞いたような硬質な音が響き渡ってきた。そう、意識を失う前に襲われた、あの黒い虫が発する音である。反射的に掌をかざして霊波をお見舞いしてやろうとしたが、当然何も発射されない。そう、今のベスパにはそれすらも出来ないのだ。


「や、やば……」


 ベスパの視界にも、やがてはっきりとその姿が見えてくる。ラグビーボールのような楕円の身体に鋭いアゴと長い足を持つ虫は、床や壁を這うように迫ってくる。冷たい汗が頬を伝うのを感じながら、ベスパは小さく呟いた。


「……あんたはどうしたらいいと思う?」

『現時点での能力・および装備による・敵生物の撃破は・ほぼ不可能です。速やかに・離脱してください』

「離脱ったって――!!」


 他に行き場のないベスパが声を上げた瞬間、黒い虫たちが飛びかかってきた。間一髪で横に飛んでそれをかわすことは出来たが足がもつれて倒れ込んでしまう。身体が信じられないほど重く感じ、イメージした通りに動いてくれない。この事実もまた、能力が失われてしまったことを痛感させるものであった。ベスパは次第に周囲を囲まれ、追いつめられていく。後ずさる足が川岸にかかったとき、もろくなっていた足場が一気に崩れ落ちた。


「――!?」


 悲鳴を上げる間もなくベスパは流れに飲み込まれ、暗い洞窟のさらに奥へとその姿を消してしまうのだった。













「ぶはあっ!!はあっ、はあっ……!!」


 息も絶え絶えになりながら、ベスパは海を泳いでいた。正確に言うならば、ほとんど流されているに近いのだが。それでも重たい腕を動かし、少しずつ水を掻いて陸地に向かう。ようやく小さな砂浜に辿り着くと、彼女はうつ伏せになって倒れた。そんなベスパに興味を持った数羽のウミネコが近づき、背中に乗ったり周囲をうろついてミャアミャアと騒ぎ立てるが、ベスパはピクリとも動かなかった。
 それから数十分後、ジリジリと照らす太陽の光に当てられて少し体温が上がったのか、ベスパは鉛のように重い身体を起こして砂浜に座り込んだ。少しきつい潮の匂い。絶えず浜に寄せる波の音。そして抜けるような青い空を仰いだとき、どうにか窮地を脱したことを彼女は悟った。


「……し、死ぬかと思った……」


 洞窟に流れていた川は、島の南側にある入り江の海底に繋がっていた。水中に放り出されたベスパは――ちょうど引き潮の時間と重なった事もあり――勢いよく沖に向かって流されてしまう。泳ぎや潜水は苦手ではなかったが、力を失った今はそれだけで非常に体力を消耗する。それこそ、この砂浜にたどり着けなければ力尽きて海の藻屑となっていただろう。
 ゾッとする考えを頭から振り払うと、ベスパは周囲の様子を確かめた。マリアが視界に表示した島の地図と現在地点を確認すると、自分のいる砂浜は半月状の入り江の西南端に位置しており、地下水脈と合わせて相当な距離を流されてしまったようだ。人が多く集まる港町はちょうど正反対の東側にあり、こちら側には港や民家はほとんど見あたらず、人が住んでいるような気配があまり感じられない。大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けたベスパは、これから自分がどうするべきかを頭の中で整理した。
 まず、自分はこの島を脱出し助けを呼ばなくてはならない。能力を失い空を飛べないこと、そして長時間泳ぐこともできない現状では、取るべき行動は限られてくる。まずは通信装置を探し救難信号を発信すること、そしてもうひとつは船舶あるいは飛行機を探し、それを利用して脱出する事である。
 能力さえ万全であれば、こんな歯がゆい思いをすることもなかったはずだ。しかし、それを嘆いたところで事態が好転するわけではないし、落ち込んでいるヒマも無い。今、自分がやるべき事をやらなければならないのだ。
 ベスパはこの先に待ち受ける困難に立ち向かう決意を固め、まずは東側の町に向かうべく、海岸線に沿って歩き始めた――。




 海沿いの溶岩で出来たゴツゴツとした地形を北へ二十分ほど歩くと、小高い丘が見えてきた。丘の上には煉瓦造りの古びた教会が建っており、何か情報が得られるだろうとベスパはその教会へ足を向けた。
 年季の入った木造の扉を開いて中に足を踏み入れると、同じ木材で揃えられたベンチや見事な装飾の十字架、そして光を受けて鮮やかな色彩を放つステンドグラスなどが彼女を出迎えた。ここが地元の人間にとっての拠り所として利用されていたのは想像に難くない。しかし、何度呼びかけても返事が無いため、ベスパはため息を吐きながら手近なベンチに腰掛けた。
 思えば、今日は一度に色々なことが降り掛かってきてゆっくり考える余裕もなかった。ワルキューレ達の失踪、見たこともない機械兵器と軍隊、正体不明の生物――とにかく謎だらけである。少し休憩するついでに今までの情報を整理するため、ベスパは自らの中にいるマリアに声をかけた。


「――マリア、だっけ?色々と聞きたいことがあるんだけど」

『イエス、ミス・ベスパ』

「まず最初に……あんたは妙な機械と兵隊に追われてたけど、連中は何者なんだい?」

『機密事項に関する質問と・認識。制限付きにて・回答します』

「はあ?この非常時に隠し事なんて――」

『ミス・ベスパの・個人データ不足。制限解除の・条件を・満たしていません』

「要するに……私がまだ信用出来ないから言えないってこと?」

『……申し訳・ありません』

「いいさ、マリアは間違っちゃいないよ。じゃあ、言えるところまで全部教えて」

『イエス、ミス・ベスパ。映像・及び・音声データの・再生を開始します――』








 ドクターカオスにとってそれは、まさに渡りに船だった。家賃が払えず、大家さんに長刀でぶたれている所へ見慣れぬ男が声をかけてきた。黒いスーツに身を包み、ジュラルミンケースを手にした金髪で長身の男は、慣れた手つきで名刺を取り出しカオスに渡す。そこには『サン・レオン製薬アルマス支部 生物工学研究所所長 アンリ・カジミール』と書かれていた。


「私はアンリ博士の代理の者です。博士はあなたの噂を聞き、その偉大なる技術を買いたいと申しております」


 男はケースを床に置き、鍵を開けて中身を見せた。その光景に、カオスも大家さんもあんぐりと開いた口が塞がらなかった。そこには一部の隙間もなく、札束がぎっしりと詰まっていた。およそ日本に来てから、まるっきり縁の無かった大金にカオスは唾を飲んだ。


「これは前金です。我々の研究に協力してくれるのなら、さらに倍の報酬を用意しましょう」


 ようやく自分の技術を認める申し出を受けたこと、そして数ヶ月家賃を滞納し困窮に瀕していたカオスにそれを断る理由などあるはずもない。カオスは報酬を受け取って大家さんに数ヶ月分の家賃を支払うと、マリアを伴ってアルマスへと向かうのだった。
 島へとたどり着いたカオスは黒服の男に案内され、島の中心よりやや東に広がる荒野に建設された研究所へ足を踏み入れた。まず彼の目を惹いたのは、機関銃などで武装した兵士が広い敷地内のそこかしこに立って警備をしていることだった。まるで何かの襲撃に怯えるかのような、戦争でも始まりそうな物々しい雰囲気である。奇妙に思いながらも建物の奥に進んでいくと、室内に作られた見事な庭園に辿り着く。そこには様々な植物が自然な状況を再現して植えられており、目の前に咲くカラタチの花には蝶が羽を休めて甘露を吸い上げ、足元に目をやれば土壌の上を小さな虫たちがせわしなく動き回っていた。


「ようこそ、ドクター・カオス。あなたの噂は聞き及んでいます。どうぞ、こちらにおいでください」


 庭園の奥から声がする。案内の男を置いてカオスがその方へ向かって歩いて行くと、植物に虫眼鏡を向けて熱心に覗く壮年の男がいた。つば広の丸い帽子をかぶり、黒のロングコートを羽織ったその人物はレンズの中に拡大された昆虫を見つめたまま言葉を続けた。


「昆虫――あなたはこの小さな生き物をじっくりと観察したことはありますか?」

「いや……しかし、一通りの事は知っておるつもりじゃよ」

「彼らは実に合理的で無駄が無く、本能というプログラムにどこまでも忠実だ。そう、まさに生きる機械……いや、機械が彼らを真似ているというべきか。機械工学が辿り着くべき答えは、5億年もの昔から地球に存在していたのですよ」

「……アンリ博士、と言うたな。わしをわざわざ呼びつけたのは、そんな話を聞かせるためか?」

「おお、これは失礼を。興味のあることになると周囲が見えなくなるのは、科学者の悪いクセですな」

「で、わしに協力して欲しいという話だったが……」

「私は世界中の科学者について調べましたが、この仕事を依頼出来るのは世界にあなたただ一人です。まずは見て欲しい物がありますので、付いてきて下さい」


 アンリは虫眼鏡をしまい、帽子を被り直して部屋の奥へと進んで行く。カオスとマリアはその背を見つめながら黙って後に続いた。
 エレベーターに乗り、三人は地下深くへと降りていく。地上の施設は名刺にあったように薬品などを製造していたのだが、この地下にある広大な工場は奇妙な機械とその部品を組み立てていた。複数の足の様なパーツを持つ、大きな虫のように見える機械だ。さらによく見ると、光学兵器のユニットと思われるものや、精霊石が使われた増幅装置がボディに組み込まれていた。


「なんじゃここは。まるで造兵廠ではないか。表の警備はこのためか」

「いかにも。近頃は何かと物騒になりましてね。彼らはサン・レオン社の私兵です」

「人を治療する薬を開発する裏で兵器の製造とは、皮肉が効いておるな」

「世界のシェアを牛耳る企業ですから、このくらいのサイドビジネスも不思議じゃないでしょう。それに、我が社はオカルト技術も積極的に取り入れて活用しています」

「それにしても、だ。製薬会社だというなら得意分野を生かして細菌兵器でも研究しておった方が安上がりじゃろう。どこじゃったか……ホレ、傘とか何とか言う企業がゾンビウィルスを作っとったろーが」

「……それはゲームの話でしょう。意外にきわどいことを言いますね」

「ふん、単に心霊装備を施した機械を作るだけならわしに用は無かろう。そろそろ本当の目的を言わんか」

「この昆虫型自律歩行兵器を完成させ、認めさせることこそ我が悲願。そのためなら私は手段を選ぶつもりはありません。そのために、あなたを呼んだのです……さあ、もうすぐ見えてきますよ――」


 工場を通り抜け厳重にロックされた巨大な鉄の扉を開けたとき、カオスらの目の前にはいくつもの培養カプセルが立ち並び、その中には見たこともない薄茶色の生物が液体に浸されていた。甲殻で覆われた楕円の身体に細長い足と牙を持つ――昆虫のような生物だった。


「これは――!!」

「近年発見された新種の生物で、我々は『デュナミス』と呼んでいます」

「デュナミス……古代ギリシャ語で『可能性』などを意味する言葉じゃったな」

「その通りです、ドクター・カオス。この生物には我々に計り知れない利益をもたらす可能性が秘められているのですよ」


 アンリが近くのパネルに手を触れると床の一部がせり上がり、そこからひときわ巨大な培養槽が姿を現す。その中には、周囲の個体より数倍以上も巨大なデュナミスが浮かんでいた。甲殻はより強固に、牙や爪はより大きく鋭利に。通常の個体に比べ、攻撃性の強い姿に進化していることがはっきりと見て取れた。どう見ても、おとなしい草食の生物と呼ぶには無理がある姿だ。


「デュナミスを研究して分かったことは、彼らの習性は昆虫に近いこと、そして摂取したエネルギーの質により、劇的な進化を遂げると言うことです。この状態をデュナミスと区別して『エネルゲイア』と呼びます」

「ほう……」

「エネルゲイアの発達した神経や筋肉を利用した歩行機械を完成させれば、産業革命を起こすことも夢じゃない。そのためにオカルトを含め、あなたのアンドロイド製造の技術を提供して欲しいのですよ」

「前金も貰ってしまったからのう……完成までは協力しよう。だが、後のことは責任を持たんぞ」

「ええ、それは構いません」

「それから、この生物の制御方法はわかっておるのか?こういう場合、大事なときに暴れ出すのがお約束じゃからなぁ」

「デュナミスの制御はある研究者の助力により、すでに確立されています。いずれ会うこともあるでしょうが、彼のことを知ればきっと驚きますよ。まんざらあなたと無関係でもありませんからな」

「それが誰の事だかは知らんが……最後にもうひとつ聞きたい」

「何でしょう?」

「お前は……わかっておるのか?」

「……質問の意味を理解しかねますな。それより、今日は長旅でお疲れでしょう。部屋を用意しましたので、ゆっくり休んで下さい。明日から、よろしくお願いしますよ」


 くるりと背を向けて歩き出すアンリから目を離し、カオスは立ち並ぶ培養槽を見る。液体の循環する音と共に、その中に浮かぶ生物は時折身をよじらせ蠢いていた。


(新種の生物じゃと言ってはいたが……恐らくこいつは――)


 謎の生物に疑念を感じたカオスだったが、素早く頭からそれを振り払った。疑ったところで得があるわけではないし、ここの連中が何をしようが自分には関係のないことだ。仕事を片付けたら、さっさとこの島から離れてしまえばよい。そう思い、カオスはマリアを伴い部屋を後にした――。






『――これが・30日前の・記録です。これより先のデータは・機密事項と・なります』

「デュナミスにエネルゲイア……それに兵器を作る製薬会社か。まだ分からないことだらけだけど、どうにもきな臭いわね」



 ベスパの脳裏に、自分の霊力を奪い取った黒い昆虫人間の記憶が蘇った。再生された範囲では何も情報を得ることは出来なかったが、例の生物――デュナミスを従えていたところを見ると、人間に何らかの敵対行為を取っていると思われる。だが、その目的も正体も、どこからやってきたのかも未だに謎のままである。
 この島に連続して起こる不可解な事件。その核心に迫る有効な手がかりを得ることが出来なかったベスパは身体を背もたれに預け、静かに息を吐いた。
 静まりかえった礼拝堂は薄暗く、差し込む日光がステンドグラスをより鮮やかに浮かび上がらせている。ふと目をやれば、十字架に張り付けられた神の偶像が物言わぬまま自分を見つめていた。魔物である自分が教会で身体を休めているとは、考えてみれば滑稽極まりない。ままならぬ現状と力をなくした事に自嘲的な笑みを浮かべた、その直後だった。


「――!?」


 空を裂く音と共に飛び散ったステンドグラスの破片が、光を浴びてキラキラと輝く。突然のことに驚いたベスパを待っていたのは、さらに心臓を縮み上がらせるような光景だった。人間のように手足があり、鎧のような黒い甲殻に身を包んだ羽根を持つ者――昆虫と人間を掛け合わせたような怪物がこちらを見つめていたのである。感情の表現など出来ないにもかかわらず、その複眼は敵意に満ちて赤く燃えている。


「う、嘘だろ……それにこいつ――!!」


 しかも、それは以前出会った者ではなかった。特徴こそ同じだが、よく見れば手足の形など細部は異なり、体格も一回り大きい。ギチギチとアゴを鳴らして威嚇の音を発するやいなや、新手の昆虫人間はベスパめがけて飛びかかってきた。鋭い勘でいち早く危険を察知したベスパが飛び退いた直後、年季の入った木造のベンチはウェハースのようにへし折られ粉砕されてしまう。血の気が引いていくのを確かに感じながら、ベスパは教会から飛び出した。それを追う昆虫人間は教会の壁を力ずくでぶち破り、一直線に彼女を追ってきた。


『――ターゲットのスキャン完了。生命反応・並びに霊波のパターンから・デュナミスと一致する波長を感知。何らかの戦闘的生物と・細胞レベルで同化した存在と・推測されます。現在の能力では・ダメージを与えられません。速やかに脱出し・戦闘を回避して下さい――!!』

「さっきからそればっかりじゃないかっ、くそっ!!」


 教会の裏手に逃げ込んだベスパは、心底うんざりしたように吐き捨てた。体調さえ万全なら、力で負けることなどあり得ないというのに。悔しさを噛みしめ周囲に目をやると、そこは墓地であった。風化して文字が読めなくなった墓石に囲まれ、ベスパは思わずゾッとしてしまう。だが、彼女を待ち受ける運命はそんな陳腐な想像を考えるヒマすら与えてくれなかった。遙か上空から聞こえてくる羽音に気付き、顔を上げたベスパが見たもの――それはクレバスに落ちる直前、彼女から霊力を奪い取った『シュバリエ(騎士)』に間違いなかった。
 もう、言葉すら出ない。絶望というのはこういう気分なのか。ベスパが全てを諦めてしまいそうになったその瞬間、シュバリエの異常を知らせる表示が点滅した。


『飛行クリーチャーの体内にて・霊力の暴走を感知。過剰なエネルギー吸収による・副作用と思われます。形態維持のため・余剰霊力を・放出する前兆が見られます』


 マリアの解析が終わると同時に、シュバリエは空中でもがき苦しみ始めた。そして、ベスパの後を追うように迫ってきた昆虫人間めがけて強力な霊波を発射し、そのままでたらめな飛び方をしてどこかへ行ってしまった。そして、直撃を受けた一回り大きい昆虫人間は凄まじい絶叫を上げて暴れ出した。手当たり次第に周囲の墓標を破壊し、前後も分からないほどに彷徨う。そのうちうずくまってじっとしたかと思うと、身体や手足が石のように固まってしまった。死んでしまったのかとベスパの瞳がそれを分析すると、異常を察知したマリアの警告が発せられた。


『クリーチャーの体内にて・質量と霊力の加速度的な上昇を感知。吸収したエネルギーの性質に基づく・急速な進化を遂げています。進化形態・エネルゲイアと識別。驚異レベル・上昇中!!』


 マリアがそう言った瞬間、石のようだった身体にヒビが入り、砕け散った。爆風のような衝撃が去った後、そこにはまるで電柱の様な二本の角を持つ、巨大な甲虫の姿があった。
全身は隙間無く甲殻に覆われ、六本の足で這うような姿勢のままこちらを見つめるそれは、例えるならカブト虫によく似た怪物(エネルゲイア)だった。


「虫人間から本当の虫に変身するなんて……一体どうなってるんだよこいつらは」


 異常な変化にベスパがゴクリと唾を飲み込んだとき、カブト虫の角がバチバチと激しく放電を始めた。霊力を増幅するときに発生する、霊的エネルギーのスパークである。やがて臨界点を迎えた霊力は一条の光となり、ベスパのすぐ脇を駆け抜けた。我に返ったベスパが光線の通った跡に目をやると、その直線上にある地面と墓石が綺麗にえぐれて無くなってしまっていた。そして、血のように赤い目をしたカブト虫はベスパを視界に捉え、第二波を撃ち込む体勢に入っていた。


「じょ、冗談じゃないよっ!!あんなもん食らったら身体が無くなっちまう!!」


 一目散にその場を駆け出すベスパの背後から、霊波を集束した光線が放たれる。幸いにも的を外れた光線は上空に向かって消えていったが、その後もカブト虫の怪物は光線を連続発射し、ベスパを追いつめていく。気付けばベスパは教会の方に追い込まれ、煉瓦の壁を背にしてしまっていた。苦し紛れに足元にあった煉瓦の破片を投げつけてみるが、硬い甲殻には傷ひとつ付けることは出来なかった。カブト虫は巨大な角をベスパに向けると、今度は低く構えて重厚な体躯を震わせ始めた。何をするのかと思ったその瞬間、カブト虫は背中の装甲を開き、薄い羽根を高速で羽ばたかせながら突進してきた。まるで荷物を満載したトラックが激突したような凄まじい衝撃に、教会の壁は破壊されもうもうと砂煙を上げている。そのすぐ脇の瓦礫の中からベスパは這い出してきたが、打ち付けた肩を押さえてその場に座り込み、動けなくなってしまっていた。


「げほっ、げほっ……!!こ、こんな奴どうやって戦えばいいのよっ。身体は思うように動かないし、とても逃げ切れそうもないし……やっぱり無理だったんだよジーク……」


 絶望に打ちひしがれ、恐怖と諦念にベスパは押し潰されそうになる。悔しくて心細くて、涙がこみ上げて視界が滲む。マリアの発する警告も、どこか遠くで鳴り響いているようにしか聞こえない。うなだれ垂れ下がった髪の奥で、一粒の雫が流れ落ちた。




 ――窮地に追い込まれたときに必要なのは……知識ではなく、知恵だ――

 ――その状況を切り抜けるためにベストな判断は何なのか……考えるんだ――




 せめて目の前の現実から逃れようと目を閉じかけたベスパを引き止めたのは、彼女を庇って倒れた大切な仲間の言葉だった。心に立ちこめていた暗雲は消え去り、瞳には生き残るための闘志が再び宿っていた。


(力じゃとても敵わない相手と戦って、勝利した人間達の事を私は良く知ってたのに。だったら……私に出来ないはずがないわ。きっとどこかに弱点はある。だから考えろ……考えるんだ――!!)


 カブト虫の怪物は建物に刺さった角が抜けないらしく、崩れ落ちた瓦礫の下でもがいている。その隙に何か武器になるような物は無いかとベスパが周囲を見回すと、教会の脇に木造のガレージが建てられていることに気が付いた。扉は解放されたままになっており、中には年季の入ったピックアップ――ボンネット型のトラックのことを指す――が駐車されている。となれば当然、、何か武器になりそうな工具も保管されているのは間違いない。ベスパは意を決して立ち上がると、一直線にガレージに向かって駆け出した。ガレージの中には車用の工具や燃料タンクの他にシャベルや手斧といった農具、小さなテーブルには煙草とライター、そして丈夫な素材で出来たロープが置かれていた。ベスパはロープを使ってシャベルを左肩に掛け、手斧を右太腿に巻き付ける。そしてライターを拾い燃料タンクの中身を確認すると、それを車の助手席に放り込んで自らも車に乗り込んだ。


「確か……パピリオと見た映画だとここに鍵が――あった!!」


 運転席の上にある日よけを降ろすと、スペアキーが手のひらに落ちてきた。これはまさに幸運と呼ぶべきだろう。それを鍵穴に差し込んでシリンダーをひねると、エンジンは苦もなく始動する。アクセルを数度煽って吹け上がりを確認すると、ベスパはペダルを床に届くまで踏み込み、カブト虫の怪物に向かって突撃する。ようやく角が抜けたカブト虫が振り向いたとき、その真っ赤な複眼には接近するピックアップトラックと、ステアリングを握りしめるベスパの姿が写り込んでいた。


(いつまでも調子に乗るんじゃないよ……思い知らせてやる――!!)


 


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