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VISITORS FROM THE ABYSS

喪失


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:06/ 6/17






 ―――Misson File 01759―――


 魔界正規軍ワルキューレ大尉率いる特殊任務部隊からの送信が途絶えて8日が経過。
 ワルキューレ隊の消息を調査しこれを救援せよ。


 ―――データ確認―――


 最終送信地点は人間界太平洋上。
 赤道付近に位置する火山諸島のひとつアルマスと判明。
 座標確認。
 作戦遂行に細心の注意を払え。














 特有の湿り気を帯びた潮風が、海面を撫でるように吹き抜けていく。世界の全てを包む闇の端は徐々に白み始め、濃藍の空に燦爛と瞬く星々もあと一時間もすれば消えてしまうだろう。そんな闇の海を切り裂くように、尾を引いて流れていく二つの光があった。それはもちろん鳥ではなく、飛行機ほど大きくもない。やがてその光が向かう先――空と海を隔てる水平線の彼方から、小さな陸地が浮かび上がってくる。その時、ひとつの光が声を発した。


「――見えてきたな」


 もうひとつの光がそれに頷き、呟く。


「なんだろう……肌がざらつくような、嫌な気配がする」

「用心しろ。姉上……いや、ワルキューレ大尉がそこで消息を絶った。何が待ち構えているか分からんぞ」

「了解。データの分析はよろしく」


 魔界正規軍兵士ベスパは特命を受け、情報士官ジークフリード中尉と共に絶海に浮かぶ火山島アルマスに向けて飛んでいた。赤みがかったブロンドをなびかせ、彼女は目を細めて目標を見据える。小さな島から漂う不吉な予感が、いつまでも胸の奥を疼かせていた――。




 太平洋に浮かぶ火山島アルマス。面積約330平方キロメートルという世界の水準から見て非常に小さな部類に入るこの島は、西側の太平洋および南半球からの冷たい海流が流れ込むおかげで比較的過ごしやすい気候であり、その特異な環境の元で稀少な動植物や昆虫が繁栄し保護されている。アルマスの形は東西にやや伸びた楕円に近く、海岸線は複雑で切り立った険しい崖が多い。そのため上陸には島の南東に位置する半円形の入り江が港として利用され、そこを中心に町が発展した。町の北側にはアルマス最大の火山があり、島のシンボルともなっている。入植は世界トップのシェアを誇る製薬会社『サン・レオン』が率先して行い、現在の人口は約三万人である。




「――これがこの島に関するデータの全てだ。アルマスは規模の小ささ故に見落とされ、今までほとんど調査がなされていない。歴史や霊的背景もデータが揃っておらず……つまり、我々にとっては未知の場所であると言うことだ」


 ベスパとジークが島の中央部に広がる森の中に着陸した頃には、すっかり夜が明けていた。剥き出しになった岩と生い茂る木々によって足場は非常に不安定だったが、二人はそれをものともせず飛び越えていく。


「最後の送信があった場所は?」

「位置は島のほぼ中心。あと十五分も歩けば到着するはずだ」

「……それにしても静かだね、この森」

「ああ、生き物の気配がまるで感じられん。やはり何かあるな……これを持て」

「何これ……木の実?」


 胡桃によく似た色形の物体をジークから手渡され、ベスパは首を傾げる。


「知恵の樹の種(シード)という、我が軍が開発した携帯用情報記録装置だ。映像や音声を始め、あらゆるデータを保存することが出来る」

「へえ、便利だね」

「使い方はそれを飲み込むだけでいい。後は見たこと、聞いたことをシードが記録してくれる。どんな小さな事も見落とすな」

「了解」


 ベスパがシードを口に放り込むのを確認すると、ジークももうひとつのシードを飲み込んで先を急ぐ。しばらく進むと周囲の木々が全て薙ぎ倒され、焼け焦げてボロボロになっている。周囲に一層の注意を払いながら歩き続けると、突然視界が開けて地面が途切れた。正確に言うならば、地面が半球状にえぐれて無くなっていたのである。


「ジーク、これって……」

「ああ、隕石が地表に衝突して出来たインパクトクレーターだな。直径は目測で約300メートルといったところか。それにまだ新しいようだ」

「でも、それ以外は特に――って、あっ!?」

「どうした?」

「見て、穴の向こう側――!!」


 ベスパが指した先には小さな何かが落ちている。クレーターを飛び越えそれを拾い上げたジークは、指先に伝わる感触に表情を強張らせた。


「……姉上の帽子だ」


 帽子を握りしめるジークの指先に、紫色の跡がこびり付く。それは紛れもない、ワルキューレの血液が乾いて固まったものであった。ジークの胸中を計り、ベスパはあえて任務の話を続ける。


「もっとよく探してみよう。これだけじゃ、手がかりとは言えないよ」

「そうだな……他の仲間の行方も含め、調査を続けよう」


 ベスパの気遣いに内心感謝しつつ、二人は引き続き周辺を調べていく。地面には複数の足跡が残っており、それはいずれも軍で支給されるブーツのブロックパターンと一致した。ワルキューレ率いる特務部隊がここを訪れたことは間違いない。しかし、それ以上手がかりになるようなものは残されておらず、別の地点に移動しようとしたその時だった。


「――!!」

「……お前も聞こえたか」

「ええ、銃声だね。まだ続いてる」

「この撃ち方は尋常ではないな。確かめに行こう」


 銃声の聞こえた東の方角に進むとすぐに森を抜け、大小の岩が転がる荒野が眼前に広がった。遠くには今も活動を続けている火山がそびえ立ち、そのふもとに大きな施設がある。その周囲はまるで刑務所のように高い壁で囲まれており、その壁の一部が崩れてもうもうと白煙を上げていた。煙の中から一体の影が飛び出したかと思うと、それを追って複数の人影、そして一体の巨大な蜘蛛のような銀色の機械が姿を現した。ベスパとジークは近くの岩陰に隠れ、そっと様子を覗う。


「よく出来てるね、あの機械」

「人間があんな兵器を開発・実用化したという情報は無かったはずだが……」


 ジークは双眼鏡を取り出し、さらに詳しく状況を確認する。望遠倍率を上げて、逃亡する人影や追う人間達の映像をより鮮明に捉えると、注意深く観察した。崩れた壁を乗り越え発砲している連中は武装やその扱い方などから見て軍隊らしく、訓練された無駄のない動きを見せる。逃亡者の体つきはやや華奢であり腰つきや胸の膨らみから女性と判ったが、逃亡速度は女性どころか人間の限界をゆうに超えており、それを落とすことなく維持し続けている。そして、レンズ越しに女性の顔を確認した瞬間、ジークは思わず声を上げて立ち上がった。


「マリア――!?」


 銃弾でボロボロになった衣服を纏いながら逃亡していたのは、ドクター・カオスの最高傑作アンドロイド、マリアだった。ジークにとっては、かつて作戦に協力してもらった戦友とも言えるだろう。
 マリアの後を追う人間達はどんどん引き離されていくが、巨大な機械蜘蛛は素早い脚の動きで足場の悪さをものともせず、徐々にその間合いを縮めていく。鈍く光る鋼鉄製の脚はマリアの身長の三倍ほども長く、それ自体が巨大な凶器となる。さらに運の悪いことに、彼女の行く手をクレバスが遮った。北から南へ向かって大地を切り裂くクレバスは、どのくらいの深さがあるのか判らないほど深くて暗い。
 そしてついに、地面に穴を穿つ前足がマリアを追いつめ、その姿は機械蜘蛛の真下に消えてしまう。


「やられたのか……!?」

「違う、そうじゃないわ」


 ジークの手から双眼鏡を取り上げてその様子を眺めるベスパは、平然としたままそう答える。視線の先のマリアは踏み潰されてはおらず、絶妙のタイミングで脚の間をすり抜け背後に回り込んでいたのだ。すかさず体勢を立て直したマリアは、腕部の機銃を機械蜘蛛めがけて撃ち込む。だが、装甲は非常に硬度の高い素材で出来ているらしく、弾丸は弾かれてしまう。効果がないと判断したマリアは発砲をやめ、今度は目の前にあった大きな岩を抱え上げて投げつけた。振り向こうとした機械蜘蛛の胴体にそれが直撃し、ぐらりとバランスが崩れる。その隙を逃さず荷重のかかった関節にロケットアームを叩き込むと、機械蜘蛛の片側が自重で落ち込み動きを止めた。マリアは他の追っ手がまだ追いついていないことを確認すると、飛行してその場を離脱しようとロケット噴射を開始する。


「――!!」


 身体が大地から離れようとした瞬間、機械蜘蛛の頭部にある眼のような部分から奇妙な緑の光線が放たれた。飛行体勢に入っていたマリアはそれを回避することができず、光線がマリアの身体を捉えた。その光線はマリアを破壊することはなかったが、その身体をエネルギーで包み込み動きを完全に封じてしまっていた。


(強力な・磁力線による・捕縛光線と確認。脱出・不能……!!)


 状況を理解した瞬間には、マリアの状況はすでに絶望的であった。機械蜘蛛が起きあがり体勢を立て直すと、口に当たる部分を開いてマリアに向けた。その瞬間、マリアの胴体が上下に分割され崩れ落ちた。一条の光線が、ミサイルランチャーの直撃にさえ耐えうるボディをたやすく切断してしまったのである。これを見ていたベスパもジークも、驚きを禁じ得なかった。


「見た、今の!?」

「ああ。マリアの装甲を切断したのにも驚いたが……あの光線は増幅した霊波によるものだ」

「機械が霊波を……まるで兵鬼だね」

「特殊部隊の失踪、謎の機械兵器、そしてマリア……このアルマスにただならぬ秘密が隠されているのは間違いない」

「で、どうするの。あの機械娘は放っておくのかい?」

「……トラブルは避けたかったが、彼女を見捨てるのは後味が悪い。それに、情報を聞き出せるかもしれん。わがままに付き合ってくれるか?」

「そう言うと思ってた」

「よし、マリアを救出し速やかに離脱する。援護は任せるぞ!!」

「了解!!」


 ベスパとジークは岩陰から飛び出し、マリアと機械蜘蛛へ向けて一直線に飛ぶ。ベスパが渾身の力を込めた霊波砲を撃ち込むと、機械蜘蛛はまるで玩具のように吹き飛んでクレバスに墜落した。その隙にジークはマリアの傍に近付き、切断面から漏電して火花を散らすマリアを抱きかかえた。


「私を憶えているかマリア。魔界正規軍のジークフリード中尉だ。一体何があった?」

「動力・大破……ドクター・カオスに・レストア要請……」


 マリアはそうとだけ言い残し、頭部からメモリーチップを排出して動かなくなった。ジークはそれを手に取るが、先程の強力な磁気の影響でチップが破損したのか、メモリ内の人工魂の状態がひどく不安定なことが感じられた。


「ベスパ、こっちへ来てくれ」

「どうしたの?」

「このままではマリアの魂が消滅してしまう。だからお前のシードに移し替えたい」

「そんなことも出来るんだ」

「……先に謝っておくからな」

「えっ?」


 ジークはそう言ってベスパの胸のやや下――つまりみぞおちに手を当てわずかに霊波を発する。それを引いていくと、手のひらには先程見たシードが乗っていた。直後、ジークの脳天にゲンコツが振り下ろされて、ベスパは真っ赤になって息を荒げていた。


「いっ、いきなり何するんだよバカっ!!」

「だ、だから謝って……」

「そんなところ急に触られたら誰だって……ビックリするでしょ」

「シードを取り出すときは今みたいに霊的コードを入力して引き寄せるんだ。それとも口に手を突っ込んだ方が良かったと?」

「いや、だから……触った場所が、その……」

「も、もう済んだことだ。それよりも――」


 ジークはマリアのメモリーをシードにあてがう。すると、それだけでメモリ内のデータがインストールされていく。これならマリアの状態は安定するし、後で情報を聞き出すのも容易となるだろう。ひと安心したジークは、シードをベスパに渡す。


「……これでいい。さあベスパ、もう一度飲み込んでおいてくれ」

「わかったよ」


 ベスパが再びシードを飲み込むと、背後の方から岩が崩れるような音がした。そこに目をやると、先程ベスパが吹き飛ばした機械蜘蛛がクレバスから這い上がり、こちらを機械仕掛けの複眼で見つめていた。


「あたしのフルパワーを食らって壊れないなんて、頑丈な奴だねー」

「まずい、人間が追いついてきたぞベスパ!!」

「オッケー。さっさと片付けて――」


 ベスパは機械蜘蛛、ジークが軍隊の方に。互いに背を預けて身構えた瞬間、クレバスの闇からおびただしい数の不気味な影が這い出してきた。それは中型犬くらいの大きさで、全身は黒く甲殻に覆われ、細長い足を六本もつ昆虫のような生物だった。それらの姿を見つけた途端、謎の軍隊はベスパやジークには目もくれず黒い虫に向けて発砲を開始した。クレバスの傍にいた機械蜘蛛の全身には黒い虫がよじ登り、数人の兵士がそれを銃で撃ち落としている。銃弾によって黒い虫は次々に飛び散るが、クレバスから現れる虫はその数をどんどん増やしていく。


「な、何だこの生物は……!?」

「ああもう、次から次へと。誰かわかるように説明しろっての、まったく!!」

「いや、しかしこれはチャンスだ。このどさくさに紛れて脱出――」


 ジークがそう言いかけた時、空気を震わせる不気味な音が響き渡った。ただならぬ殺気を感じ、素早く目を向けたベスパとジークの視線の先にあったものは、宙に浮く人影――全身を甲冑のような黒い装甲に包み、血のように赤い複眼と左右に開く鋭い一対のアゴ、そして独特の羽音を響かせる虫の羽根を持つ――言うなれば昆虫人間であった。そして、それを見た人間の兵士の一人が、恐怖に怯える声でこう言った。


『シュバリエ』と。


「シュバリエ(騎士)だと……」

「虫の親玉は騎士様ってわけ?パピリオに見せたら喜びそうだね」

「冗談を言っている場合じゃ無さそうだ。どうやらこいつは我々に――特にお前に用があるらしい」


 『シュバリエ』と呼ばれた昆虫人間は、確かにベスパに向けて強烈な殺気を放っている。もちろん、彼女にはこんな生物に恨みを買う筋合いなど無いし、見覚えもない。やがて昆虫人間がギチギチとアゴを鳴らし始めると、黒い虫が集まり周囲を取り囲み、威嚇するように激しく音を立て始めた。止めどなく押し寄せ、全体でひとつの形を作るように同調する乾いた音のオーケストラ。それは徐々に昂ぶり激しくなり、演奏の波が最高潮に達したその瞬間。おびただしい虫の群れがベスパとジークに雪崩れ込んだ。


「何か知らないけど……ザコが調子に乗るなっ!!」


 あらゆる方向から虫が身体に触れようとした瞬間、ベスパは内に秘める霊気を解放する。その霊圧と衝撃波で虫たちは吹き飛び、至近距離の個体は軒並み消滅してしまう。そして、自分にケンカを売った昆虫人間に思い知らせてやろうと掌をかざした。


「しまった、罠だ――!!」


 ジークがそれに気付いた瞬間、昆虫人間はすでにベスパの懐に潜り込んでいた。霊波を凝縮し、放出する際に生じるごくわずかな溜め――その瞬きするほどしかない隙を突き、一瞬で間合いを詰めていたのである。直後、ベスパの身体がびくんと跳ねた。見開かれた彼女の目に映ったものは、腹部に深々と突き立てられた五本の指先だった。


「う……ああッ……!?」


 痛みはなかった。だが、その指先から霊力が根こそぎ吸い取られていく。もがこうとしても、力がまったく入らない。次第に意識が朦朧としてきたとき、ベスパは自分の名を呼ぶ声を聞いた。


「ベスパッ!!」


 ジークは全力を込めて、昆虫人間に体当たりを仕掛けた。霊力を吸い取ることに気を取られていた昆虫人間はその直撃を受けて吹き飛ばされ、指先が離れた。支えを失って崩れ落ちるベスパの身体を抱き止めたジークは、状況が一気に最悪の方向に向かっていることを認識する。手のひらから伝わるベスパの身体には、ほとんど霊力が残されていなかったのだ。昆虫人間は二人の様子を覗い、反撃の気配があるか観察する。そして、装甲に包まれた黒い腕をゆっくり上げると、一気に振り払って最後の合図を出した。
 黒い集団がベスパとジークに覆い被さるとたちまち黒い塊となり、虫たちは狂ったようにその身体を食いちぎり始めた。


「ぐっ……があああっ!!」


 黒い塊の中でベスパを庇うように抱きしめるジークの身体から、紫色の体液が噴き出す。全身の肉が、そして骨までもが鋭いアゴによって砕かれていくのが解る。それでもジークは力を振り絞り、歩き続ける。その先には、巨大なクレバスが口を広げて待ち構えていた。


「――!!」


 次の瞬間、ベスパとジークはクレバスに飲み込まれ、闇の中へ消えていく。
 感情を表すことのない昆虫人間はそれを見届け、まだ戦闘を続けている人間達の方へと向かっていった――。





















 水の流れる音がする。湿っぽく淀んだカビ臭い空気が、何かの匂いと混じり合って鼻を突く。この匂いはよく知っている。肉をえぐり、骨を砕いたときの匂い。生まれてまもなくレクチャーされた戦闘訓練で、幾度となく体感した匂い。その感覚に刺激され、彼女の意識は蘇った。


「ジーク……どこ?何も……何も見えないよ」


 ひと筋の光さえ見えぬ真の闇の中で、周囲を手で探るようにしながらベスパはその身を起こした。いくら目を凝らしてみても、自分の指先すら確認出来ない。ここはどこなのか。一体自分はどうなってしまったのか。そして、ジークはどこにいるのか。次々に湧き起こる疑問と暗闇が、ベスパの心を責め立てた。どうにか立ち上がろうとしても、上下さえもわからない。ひとりぼっちで闇の中に浮いているような気がして、思わず身をすくめた。


「……う……」


 闇の中で、声がした。確かに聞こえた。相変わらず何も見えないため、ベスパは四つん這いになって地面を手で探りつつ声のした方へ向かう。手のひらにはごつごつした岩の感触ばかりが返ってきたが、やがて指先が何か柔らかいものに触れて思わず指を引っ込めてしまう。もう一度それをよく確認しようと手を伸ばして触れたとき、二度目の声が聞こえてきた。


「ベスパ……意識が戻ったんだな……よ、よかっ……」


 それは確かにジークの声だった。だが、それは普段聞き慣れている声には及びも付かない、まるで息も絶え絶えのような声であった。


「どうしたのジーク?どこか怪我でも――」

「……気にするな。お前こそ異常はないか……?」

「ちょっと身体がだるいけど、後は平気みたい……それよりここはどこ?とにかく真っ暗で――」

「なに?」

「自分の指も見えなくて困ってるんだよ。何か明かり持ってない?」

「……本当に見えないのか」

「どこを見ても真っ暗だよ」

「そうか……」


 会話がいまいち噛み合っていない事に首を傾げるベスパに、ジークはため息を吐くように呟いた。少しの間を置くと、ジークはついさっき起こった出来事についてベスパに説明を始めた。霊力を吸い取られたこと、そしてクレバスの底に落下したこと。運良く地底を流れる川に落ち込み、今の場所まで流れてきたこと。その話を聞いて、ベスパも自分の身に何があったのかを思い出したようだった。


「そうだ、あの黒い奴に霊力を吸われて力が――」

「それだけじゃない……お前は視力まで失っている。霊力を一度に失った副作用かもしれん」

「え……?」

「ここは確かに地の底だが……ヒカリゴケの一種が多く繁殖して光っている。地形を確認することは出来るんだ」


 ベスパ自身、どうもおかしいとは思っていた。そしてその事実は、彼女の不安をさらに煽る結果となる。


「そ、そんな……眼が見えないんじゃ、これからどうすれば――」

「きっと一時的なものだ。霊力を取り戻せば元に戻るだろう」

「今見えなくちゃ話にならないよ!!」

「ああ……わかってるさ。その事については良いアイデアがある。マリア、聞こえるかマリア――」


 ジークがその名を何度か呼びかけると、ベスパの中から別の声が返事をする。


『イエス、ミスター・ジークフリード』

「は、話せるのこれ?」

「最低限の霊力の供給さえあれば、意識を保つことはできるからな。シードにはこういう機能もあるということだ。さて、マリア。君に頼みがある……互いに生き延びるための、重要な提案だ」

『イエス、ミスター・ジークフリード』

「君が保存されているシードには情報を送受信するための接続(コネクト)機能がある。それを利用してベスパの感覚を君に接続し、目の代わりをしてやって欲しい。つまりベスパの感覚(センサー)をマリアが利用して情報を処理し、視覚としてフィードバックするんだ」

『コマンドシミュレート……理論および・技術的な・問題なし。実行・可能です」

「……よし。ベスパ、お前はマリアのサポートを活用してこの島を脱出し、軍に救援要請を。これは命令だ」

「そんなマジにならなくても、ジークも無事なんだし――」

「……」


 楽天的なベスパの言葉にジークは沈黙した。やがて、川の音が耳障りに思えてきた頃。ジークははっきりと答える。


「すまないが――力にはなれん」

「……どういう意味?」

「私の身体は……もう限界なんだ。あの黒い虫に、頭以外をほとんど食われてしまった」

「――!!」


 目が見えぬ故に、ベスパは状況を正しく理解出来ていなかった。彼女の目の前にあるジークの身体は、とても直視出来るような状態ではなかったのだ。手足は無惨に食いちぎられ、胴体も半分以下しか残っておらず――その部分でさえ食い荒らされて背骨や肋骨が剥き出しになっていた。ベスパの視力が失われていたことは、むしろ幸運だったかも知れないとジークは思う。この無様な姿を見られずに済んだのだから。


「私が眠りについたら、コマンドを実行してくれマリア。少し、疲れた……」

「ちょっと待って!!霊力もない私がたった一人で、あんな虫がウロウロしてる島からどうやって脱出しろって言うのよ!?」

「大丈夫……ベスパなら出来るさ……」

「無理だよ……あたしはジークみたいに物知りじゃないし、力がなくちゃどうしていいのか……」


 普段の気丈夫な態度はすっかりとなりを潜め、不安に怯える子犬のようなベスパ。そんな彼女に、ジークは優しい口調で語りかける。


「いいか、これから言うことをよく聞くんだ……」

「う、うん……」

「窮地に追い込まれたときに必要なのは……知識ではなく、知恵だ。その状況を切り抜けるためにベストな判断は何なのか……考えるんだ」

「知識ではなく、知恵……」

「本当に大事な時こそ、頭の中は氷のようにクールにしろ。それが……生き残るために……」

「……ジーク?」


 それを最後に、言葉は途切れた。何度呼びかけてみても、返事はなかった。


『ミスター・ジークフリードの・反応・消失。コマンド・実行します』


 胸の奥からマリアの声が聞こえ、次の瞬間ベスパには視力が戻っていた。足元や周囲の壁には、ヒカリゴケが群生して静かに光を放っている。しかし、どこを見てもつい今まで話をしていた男の姿はどこにもなかった。目の前の地面に目をやると紫色の血溜まりが広がり、その中心に胡桃によく似た記憶装置――シードが落ちているだけだった。ベスパは震える手でそれを拾い上げてみる。かすかに、でも確かに。ぬくもりが残っていた。ベスパはシードを両手で包み込んで胸元にぎゅっと押し当てると、声にならない声で絶叫した。




 闇のクレバスに、女の慟哭が鳴り響く。
 魔族の女戦士はその能力の大半を喪失し、そして今、頼るべき仲間をも。
 この瞬間こそ、彼女の生涯において最も苦難に満ちた戦いの幕開けであった――。



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