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ニューシネマパラダイス

DEBU NOTE


投稿者名:UG
投稿日時:06/ 5/29

※読んでいただける方へ
 無謀にもおキヌが悪役です。
 馬鹿な話ですが注意してお読み下さい。


DEBU NOTE


 999事件から一ヶ月が経過した。
 ハワイに行き損ない飢餓状態でGWを過ごした約一名を除き、事務所の面々はビーチリゾートを満喫したのだが・・・

 「ひいいぃっ!!!」

 帰国後、体重計が突きつけた現実におキヌは思わず悲鳴を上げてしまう。
 旅先での開放感&気になる異性の不在から、高カロリーの外食を無防備に重ねた故のリバウンドだった。
 因みに胸のサイズにはリバウンドは訪れていない。
 再び豆腐のヘビーローテーションに見舞われる美神事務所。
 そんな夕食のシーンから今回の物語は始まる。





 「あのー、おキヌちゃん?」

 ジロッ!

 おキヌのダイエットに苛立つ視線が横島に突き刺さった。
 事務所での夕食を主なカロリー源にしている横島にとって、ここ数日の夕食の低カロリー化は死活問題である。
 再び始まった豆腐のヘビーローテーションに何か言おうとした横島だったが、おキヌが身に纏った黒いオーラにそれ以上何も言えなくなってしまった。

 「なんですか? 献立に不満でも・・・・・」

 「え、いや、何でもないです・・・」

 一月前に起こした大舌禍事件はそれなりに彼を成長させたらしい。
 横島は誤魔化すようにTVリモコンに手を伸ばす。
 基本的に食事時には付けないのだが、こう間が持たなくては何かの賑やかしが必要だった。


 『太る!』


 画面から聞こえてきた禁句とも言える言葉に凍り付く食卓。
 慌ててチャンネルを変えようとした横島は、画面に大写しになった見覚えのある石像にその手を止める。
 局が協賛しているのか、アナウンサーのわざとらしい宣伝がダイニングに響き渡った。


 『国立博物館で古代文明展が始まりました。前回謎の飛行機事故を起こした文明展といえば皆さんの記憶に新しいのではないでしょうか? 今回の文明展では新たに発掘されたフトール帝国の・・・・・・』

 冷え切った空気の中、過去の騒動を思い出した横島が引きつった笑いを浮かべる。

 「ま、また、来るみたいっスね・・・フトールの悪魔」

 「全く、誰が企画するんだか・・・」

 体重増加の悪夢を思い出したのか、美神は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 「何でござるか?そのフトールの悪魔って?」

 「今はもう滅亡してしまった古代帝国の魔神よ・・・」

 「美神さんに呪いをかけるなんて、身の程知らずな神様を祀ってりゃ滅ぶのも当然っスけどね」

 当時の状況を知らないシロとタマモは驚きの表情を浮かべた。

 「え! そ、ソレで無事だったんでござるか!?」

 美神の身を心配したシロの台詞だったが、主語が無いため横島は悪魔グラヴィトンが無事だったのかという意味にとらえた。
 この辺りが美神と付き合が長い者と短い者の差だろう。

 「ああ、美神さんの体重を1kg軽くする条件で無事日本から出して貰えた。もう、二度と悪さをする事はないだろうな・・・」

 「へ?」×2

 予想外の答えにシロとタマモの頭上に大きな【?】が浮かんでいた。

 「思い出すのも馬鹿馬鹿しい話よ・・・・」

 美神にしては珍しく過去に自分が振り回された話を二人に語り始める。
 その話を通じて、美神はおキヌに抱えている悩みが自分一人だけのものでは無いと伝えようとしていた。




 「崇拝する者が滅んで久しいとはいえ神様を脅迫するなんて、流石というか何というか・・・」

 容易く想像できる騒動を聞き、タマモが呆れたように呟く。
 シロは今の話に何か思うことがあるのかじっと腕組みをし思考を巡らせていた。

 「そうでござる!」

 突然、シロの頭上に電球がきらめく。
 この娘は若いクセに、こういうリアクションが妙に古くさい。

 「おキヌ殿もソイツを脅迫すれば・・・」

 ゲシッ!!×3

 テーブルの下で3方向から向こう臑を蹴られ、シロは声にならない苦痛に悶絶した。
 おキヌがダイエット中なのは見て見ぬふりという暗黙の了解が事務所にはあった。
 肝心のおキヌは、テーブルに突っ伏しヒク付くシロをさして気にした風もなくTV画面に集中している。
 ソコにはフトール文明展の開催場所と期間がテロップで映し出されていた。

 「え? シロちゃんなんか言った?」

 テロップが消え去ってからようやくおキヌはシロを振り返る。
 どうやら今までの会話は耳に入っていなかったらしい。

 「い、イヤ、ソレに興味があるなら拙者も一緒に行ってみたいと言おうとしたでござる。な、タマモ、お主も興味があるでござろう!?」

 「そうね・・・それならば横島も行くわよね」

 「え、俺も!?」

 突然巻き込まれ意外そうな顔で自分を指さす横島。
 空気を和ますために付けたTVが意外な展開を見せようとしていた。

 「いいんじゃない。明日は報告書の作成でアンタたちに手伝って貰うこともないし・・・行ってきなさいよ」

 美神の口にした言葉が決定打となり、事務所の4人は古代文明展を見に行くこととなる。
 コレがその後に起こる悲劇の幕開けとなる事を、事務所の面々は知る由もなかった。








 翌日、国立博物館
 悪魔グラヴィトンの像を必死に眺めるおキヌの背後で、横島たち三人がひそひそ話を始めていた。

 「なんか鬼気迫るモノがあるでござるな・・・」

 「ああ、見ていて痛々しいって言うか何というか・・・おキヌちゃんは今のままでも十分魅力的なのに」

 「なんでソレを直接本人に言ってあげないのよっ!」

 タマモはキツイ目で横島を睨み付ける。
 しかし、すぐにため息をつくと力なく肩を落とした。

 「だけど、今のアンタが言っても説得力ゼロか・・・」

 前回やってしまった大舌禍事件。
 タマモに痛いところをつかれ横島が口ごもる。

 「う、うるさいっ! それなら何で俺を巻き込んだんだよ!!」

 「それでもアンタなら何とかすると思ったからよ!見てよっ!!」

 周囲の目を気にした風もなく、タマモは上着のお腹部分を勢いよく持ち上げ形のよいおへそを横島の目の前に露わにする。

 「うわっ! お前こんな所で・・・」

 「拙者もタマモと同意見でござるっ!」

 シロもタマモ同様上着をたくし上げる。
 緩くなったジーンズがローライズの様にずり下がり、微かに下着を覗かせていた。

 「ここ何日かでウエストサイズがこんなに減ったのよ! 成長期に栄養摂取を怠って胸がおとーさん似になったらどうしてくれるのよっ!!」

 「そうでござる! 拙者たちの未来はおキヌ殿の献立にかかっているでござるよ!!」

 前回の一件で、二人は自分の未来に漠然とした不安を持つようになったらしい。
 そんな本人たち限定の切実な願いは、二人のウエストに魅入られた横島には届いていない。
 そして、その光景は最も誤解を受けるタイミングでおキヌの目に留まるのであった。






 「お願いします・・・1kgでいいんです。体重を・・・」

 祈りにも似た心境でグラヴィトンに語りかけるおキヌだったが、石像は一向に呼びかけに応じる様子がなかった。
 空しく時間だけが過ぎていく。

 「やっぱりダメなのかな・・・・・・・・!」

 あきらめ振り返ったおキヌの目に3人の姿が映る。


 ―――シロちゃんもタマモちゃんも横島さんにくびれを見せつけて・・・


 ダイエットによる低血糖の影響か、おキヌの脳裏に被害妄想気味の想像が渦巻く。
 真剣にグラヴィトンに体重軽減の願いをしていた自分が哀れに感じた。

 ―――私、馬鹿みたい・・・体重が軽くなっても体型が変わる訳じゃないのに。

 軽く唇を噛んだおキヌは、自分の呼びかけに応じなかったグラヴィトンをキッと睨み付ける。
 しかし、相変わらず石像は沈黙したままだった。

 『力が欲しいか・・・・・』

 「誰っ!?」

 急に呼びかけられ、おキヌは声の来た方角へ視線を向ける。
 今回新たに発掘されたという石像と目があった。

 『グラヴィトンの奴は俺が恐ろしくて出てこれないのさ・・・もう一度聞く、力が欲しいか?』

 どことなく布袋寅泰を意識した風貌・・・いや、小太りなので一時期のデーモン小暮か彼のマネをしている太平シローが近いかも知れない。
 おキヌに語りかけてきたのはそんな石像だった。

 「力?」

 『そうだ・・・人よりも痩せて見える力。力が欲しければくれてやろう』

 おキヌはその石像の足下に一冊のノートが落ちている事に気づく。

 『そのノートをとれ・・・そうすれば俺の力はお前の物だ』

 「痩せる力・・・」

 悪魔に魅入られたようにおキヌはふらふらとノートに近づくと躊躇うことなくそのノートを拾い上げる。
 その瞬間、おキヌの背後に石像と同じ姿をした人物が現れた。

 『力を求めたか・・・おっと、大きな声を出すな!俺の姿はノートに触れた者しか見えない。娘・・・お前の名は?』

 「キヌ・・・・氷室キヌです」

 『俺の名は【ブーク】・・・キヌ、これからお前に力の使い方を教えてやろう。このノートのな・・・』

 ブークが浮かべた悪魔の微笑みに、おキヌは自分の心に黒い波紋が広がって行くのを感じる。
 だがそれは、決して不愉快な感覚では無かった。










 「コラっ!二人ともはしたないわよ!!」

 公衆の面前でウエストを丸出しにしていたシロタマをたしなめながら、おキヌは横島たちの元へ近づいて来た。
 その口調におキヌの機嫌が良いと感じた二人は、素早く上着を下ろすと横島の横腹を軽く肘でつつく。
 二人は横島をけしかけおキヌのダイエットを止めさせようとしているのだった。

 「おキヌちゃん、ちょっといいかな・・・」

 「ごめんなさい!」

 何か言おうとした横島の言葉を待たず、おキヌは深々と頭を下げた。

 「実は私、ダイエットしていたんです。それも、みんなを巻き込んで・・・」

 「あ、ああ、そうだったんだ。気がつかなかったなあー」

 横島は大根が気を悪くする程の演技で答える。
 シロとタマモも好転しそうな事態に思わず相づちをうった。

 「そうでござったか。気付かなかったでござる」

 「本当にびっくりしたわ」

 どうやら今年は大根が豊作らしい。

 「今日もグラヴィトンさんに体重軽減をお願いするのが目的だったんです・・・反応して貰えなかったけど。でも、御陰で自分が間違えていたことがわかりました」

 おキヌは横島の顔を見て微笑む。
 横島にとっては数日ぶりのおキヌの笑顔だった。
 だからこそ彼は気付くことが出来ない。
 その笑顔に、いつもの日だまりのような温かさが含まれていないことを。

 「お詫びに、今日の晩ご飯はハンバーグにしますね。腕によりをかけて沢山作っちゃいます・・・私の分は豆腐ハンバーグですけどね」

 クスリと笑うおキヌの言葉に横島は顔を輝かせる。
 今晩は久しぶりの動物性タンパク質。それも彼の大好物のハンバーグだった。

 「シロッ!」

 「先生っ!!」

 晩ご飯への期待に手を取り喜び合う馬鹿師弟。
 夕食の献立くらいでこんなに騒ぎ立てるのもどうかと思うが、それなりに微笑ましい光景だった。

 「そうと決まれば早く帰りましょう! 夕飯の買い物付き合って貰えますね?」

 「もちろん!」×3

 思いもよらぬ展開で訪れた強制ダイエットの終了宣言に、3人は満面の笑顔でソレに答えた。
 おキヌの背後で不敵な笑みを浮かべるブークの存在に誰一人気づかぬまま・・・



 その晩、横島は小学生の頃からの夢だったハンバークのハクション大魔王食いを実現する。
 そして翌日・・・









 「横島クン! アンタ一体どうしちゃったのよっ!!」

 翌日
 事務所を訪れた横島を見て美神が驚きの声をあげる。

 「俺にも・・・良く・・・わからないんス。朝・・・・起きたら・・・・・」

 事務所の階段を上るだけで息が切れたのか、横島は息も絶え絶えだった。

 「うわっ! 本当に先生でござるか!?」

 「何があったって言うのよ! 横島!!」

 美神の叫び声を聞き、屋根裏部屋から降りてきたシロタマも驚愕の表情を浮かべる。
 横島は一晩であり得ないほど成長していた・・・横方向限定で。
 それは正にオーバーオールが似合う程の成長だった。





 「すごい・・・本当に横島さんが太ったらしいです」

 自室で事務所の喧噪に耳を傾けていたおキヌは背後の人影を振り返る。
 そこには人工幽霊の結界にも感知されず、事務所への侵入を果たしたブークの姿があった。

 『・・・だから言っただろう。』

 ブークが浮かべた邪悪とも言える微笑みに、おキヌは昨日の出会いを思い出す。





 「痩せる力・・・」

 博物館
 期待に満ちた目でブークを見上げるおキヌ。
 周囲にチラホラといる入場者が、虚空に話しかけるおキヌに怪訝な表情を浮かべた。

 『違う、痩せて見える力だ・・・』

 ブークはおキヌの認識の違いを訂正する。

 『俺はフトール帝国では一番スリムな存在だった・・・理由はわかるな?』

 謎かけのようなブークの言葉に、おキヌは前に弓が口にした魔理をからう台詞を思い出す。

 ―――隣りに立てば痩せて見える比較対象がいれば安心よね

 おキヌは自身の想像に戦慄した。


 『気付いたか・・・あの男が好きなのだろう?あの男が太れば隣りに立つお前は確実に痩せて見える』

 「でも、横島さんが太るなんて・・・」

 『お前はあの男の外見が好みなのか?』

 ブークの指摘におキヌは大きく首を横に振った。

 「違います、横島さんは横島さんだからいいんです」

 『それならばかえって好都合ではないか、そうは思わないライバルは脱落するぞ・・・』

 おキヌの喉が大きく鳴る。
 もう一押しで落ちそうなおキヌに、ブークは悪魔の囁きを更に続けた。

 『太った男のことはこう思うがよい・・・・くまさんみたいで可愛い、と』

 「くまさんみたいで可愛い・・・」

 『そうだ! くまさんみたいで可愛い。はいリピート』

 「くまさんみたいで可愛い」

 『もう一回!』

 「くまさんみたいで可愛い!」

 だんだんおキヌの目に妄執に似た光が宿り始める。
 完全におキヌの精神を掌握したブークは最後にノートの使い方を囁く。

 『そのノートに太らせたい者の名前と、その者が一番好きな食べ物を書くのだ・・・24時間以内にその者がソレを口にすれば呪いは成立する』

 その言葉を聞いたおキヌは急いでノートを開きこう書き込む。

 横島忠夫 ハンバーグ

 こうして氷室キヌはダイエットの暗黒面に落ちたのだった。





 『さあ、お前が望んだ通りの展開になったぞ』

 ブークに声をかけられ、おキヌは回想を中断する。
 後は計画通り横島を慰めれば良いだけだった。

 「・・・くまさんみたいで可愛い・・・くまさんみたいで」

 自己暗示のように口の中で二三度呟いてからおキヌは事務所へ向かって行く。
 太ってみんなから冷たくされた横島を温かく慰める為に。


 「横島さん。どうしちゃったんですか!?」

 事務所のみんなに囲まれた横島の元に、おキヌは慌てたように駆け寄った。

 「おキヌちゃん・・・それがわからないんだ。朝起きたら急に太ってて・・・クソッ、こんな体じゃ俺の青春はっ!!」

 横島はその場に力なく崩れ落ちる。
 今までの生活が輝いていたかという所はとりあえずスルーらしかった。

 「横島さん元気出して・・・」

 おキヌは意気消沈する横島に優しく寄り添うと、しっかりと手を取り立たせてやる。

 ―――ホントだ、並んで立つと痩せて見える。

 キャビネットに反射した自分と横島の姿におキヌは満足そうに微笑んだ。

 「ううっ、おキヌちゃんは優しいなぁ」

 涙目になった横島に、おキヌは先程から繰り返し口にした台詞を口にしようとする。

 「当たり前でしょ! 太っても横島さんは横島さんなんだから・・・それにク」

 「ダメでござる! 拙者は元の格好いい先生じゃなきゃイヤでござる!!」

 おキヌの台詞を遮りシロは横島の腕を抱え込んだ。

 「先生! 散歩に行くでござるよ! 拙者、先生が元の格好いい先生に戻るまで有酸素運動にお付き合いするでござる!!」

 「シロ・・・お前」

 元の姿が格好いいと言われ横島の自尊心が信じられない速度で回復していく。

 「人狼一族に ”狼は生きろ豚は死ね”という格言があるでござる! 先生、ダイエットして拙者と共に生きるでござるよ!!」

 「よーし、行くかシロっ!!」

 「あ、待って横島さ・・」

 おキヌの言葉に振り返りもせず、元気を取り戻した横島はシロを引き連れ散歩へと出かけていった。
 二人の後ろ姿を見送ってから、先程から黙っていた美神がようやくその口を開いた。

 「横島クンに呪いの兆候は見られなかった。ハンバーグの食べ過ぎって訳でもなさそうだし・・・おキヌちゃん。昨日、フトールがらみで何か変わった事なかった?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「おキヌちゃん!」

 「え、ああ、何ですか?」

 横島とシロのことで頭が一杯だったおキヌの耳に美神の言葉は届いていない。
 おキヌの変調を急激なダイエットの為と思った美神は心配そうにその顔をのぞき込んだ。

 「・・・何でもないわ。ご飯ちゃんと食べなきゃダメよ」

 「わかりました。心配かけてすみません・・・」

 おキヌは美神の言葉に一礼すると自室へと戻っていく。

 『・・・ダイエットされると計画が狂う。あの小娘邪魔だな・・・それに、太った者を馬鹿にしていた。そう思わないかキヌ』

 「ええ・・・」


 程なくしてノートに二人目の名前が書き込まれる。

 犬塚シロ  マンガ肉 


 『クククッ・・・やはり人間は面白い』

 徐々に拡大する被害の連鎖に、ブークが心の底からの笑みを浮かべる。
 しかし、その台詞と笑みにおキヌが気付くことは無かった。










 翌日
 屋根裏部屋ドア前
 美神、横島、おキヌが心配そうに見守る中、消耗した様子でタマモがドアから姿を現した。

 「どうだった? シロの様子は・・・」

 「だいぶ落ち着いたわ・・・だけど、みんなの前に今は姿を出したくないそうよ・・・特に」

 タマモは真剣な表情で横島を見上げた。

 「アンタには絶対に見られたくないって・・・わかってあげて横島」

 「クッ、行くわよ! 横島っ!!」
 
 美神は踵を返すと腹立ち紛れに階段の壁を拳で打つ。
 身内を傷つけられ美神は真剣に腹を立てていた。

 「ちょ、ちょっと美神さん、何処に行くんですか!?」

 おキヌが慌てた様に美神と横島の後を追う。
 横島には目的地の察しはついている様だった。

 「国立博物館よ。今回の事件には絶対フトール帝国が絡んでいるわっ! 犯人を捜し出して落とし前つけてやる!!」

 1分後、シロとタマモを残し3人を乗せたポルシェは猛スピードで事務所を後にした。




 「許せない・・・ウチの従業員にちょっかいかけるなんて!」

 荒々しいハンドリングに、横島の脇腹にシートベルトがめり込む。
 人間工学に基づき、一般人の体型にあわせて作られたシートは今の横島には合っていない。
 いつも以上の乗り心地に悪さに横島は顔を青ざめさせていた。

 「み、美神さん落ち着いて。それと、俺ん時と反応が全然違うじゃないですかっ!」

 横島の台詞にハッとなった美神はアクセルを若干戻す。
 シートに押しつけられるような感覚が少しその力を弱めた。

 「アンタは太ったくらいじゃ傷つかないでしょ・・・シロは女の子よ」

 「俺だって傷ついてますよ! ただでさえモテないのがもう絶望ですよ」

 美神は右手で助手席の横島の頭を軽く叩く。

 「そんな外見だけ見る女にモテたってしょうがないでしょ! アンタが本当にいい男なら体型なんて問題にしないわ・・・いい女ならね」

 美神は顔を赤らめ続く言葉を口にする。
 目を合わすこのとのない運転中だからこそ言える言葉だった。

 「多分、くまさんみたいで可愛い・・・このくらいにしか感じないわよ」

 「感激っス! 美神さんが俺のコトをっ!!」

 「運転中に抱きつくなっ! それと、あくまでも一般論だから勘違すんじゃないわよっ!!」

 横島が太った以外は普段と全く変わらない光景が繰り広げられる。

 『クッ、クッ、クッ・・・どうやら最大のライバルはこのオネーちゃんのようだな。どうやらくまさんが好きらしい』

 ブークの囁きは、後部座席で沈黙するおキヌの心の奥深くに染み込んでいった。





 「どういう事? グラヴィトンの像から全く霊力が感じられないわ」

 博物館に乗り込んだ美神は、先ずグラヴィトンとのコンタクトを試みる。
 美神の脅迫に屈したとはいえ一国に崇拝された魔神である。何らかの情報は得られる筈だった。

 「洋の東西を問わず古来から偶像には作り手の思い・・・崇拝や恐怖が染み込む。神はソレを核として存在を現世に固定するというのに・・・」

 「見鬼君を最大感度にしても反応ナシです。ただの岩と変わりませんね・・・コッチの新入りもそうです」

 横島の報告を聞きおキヌは気取られないように緊張を解く。
 ブークの像に見鬼君を向けたときの緊張はかなりのモノだった。

 『安心しろ・・・俺の存在はノートに触れられない限り誰にも気づかれる事はない』

 ブークの呼びかけにおキヌは無反応を貫く。

 『そうだ、それでいい・・・』

 おキヌとブークのやりとりに全く気付かないまま、横島はブーク像の説明を読み上げる。

 「ブーク・・・フトール帝国を滅亡に導いたとされる邪神」

 「あれっ?フトール帝国って、成人病による軍の弱体がきっかけで他民族に滅ぼされたんじゃなかったけ?」
 
 横島の言葉に、美神は以前聞いた説明との違いを指摘する。
 その疑問に答えたのは、背後から近づいてきた白衣姿の男だった。

 「お詳しいですね・・・でもその説はこの像の発掘によって覆されました」

 「あなたは?」

 男は美神を見てめいっぱいの笑顔を浮かべる。
 時々好みの入場者に説明するのを役得と考えているらしい。

 「ここの学芸員の松田といいます。興味おありなんですか?フトール帝国・・・」

 松田の視線は美神の胸やウエスト付近を彷徨う。
 既に慣れっこの美神は特に嫌悪の表情を浮かべはしなかった。
 美神はいつもの服装が、この様な男から貴重な情報を引き出すのに有効なのを理解しているのだ。
 それに希にだがいい男の卵が時給250円で手に入ることもあった。

 「ええ、あなたフトールの呪いにお詳しい?」

 「いや、大学の同期がソレの専門でして・・・今は学会で海外ですが2日後に帰国しますから連絡先を教えていただければ・・・」

 下心満載の申し出だが今の美神にとっては渡りに船だった。

 「有名な研究者なの?」

 「ええ、しかし極度のメディア嫌いで写真はおろか本名も明かしてません。学会も替え玉に発表させるという変人で・・・でも、フトール帝国に関しては3本の指に入る研究者ですよ。彼は【L】と名乗ってます」

 「【L】ね・・・ひょっとして残りの2本指は【M】と【N】?」

 相当無理のある展開に美神は脱力したように答える。
 軽口のつもりで口にした美神の言葉に松田が驚いたような顔をした。

 「驚いたな・・・半分は当たってます。【N】ではなく嗜虐性の強い小柄な女性の【S】、【M】は自虐性の強い中肉中背の男です」

 「全く、何処までヨゴレてんのよ!あのアホの脳はっ!!」

 一刻も早くこの場を立ち去りたくなった美神は名刺入れから仕事用の名刺をとりだす。
 その名刺を渡された松田の顔が大きく引きつった。

 「美神除霊事務所・・・・まさかあなたが・・・それじゃ、私はこの辺で」

 前回のトラブルは博物館職員の記憶に新しい。
 美神所霊事務所の名は、恐怖の対象として職員中に知れ渡っていた。
 慌てて立ち去ろうとする松田の襟首を、美神は容赦なく掴みその動きを止めた。

 「必ず連絡して下さいね・・・待ってますから。松田さん」

 最後に名を呼んだのは名前と顔を覚えたというプレッシャーだった。
 コレを無視する勇気のある男は滅多にいない。



 「可哀想に・・・あんなに脅す必要なかったんじゃないですか?」

 解放された後、走ってオフィスへ逃げ込んだ松田に横島は同情の視線を向けた。
 それに対し、美神は刺々しい口調で掃き捨てるように答える。

 「いいのよ、アンタも見たでしょあのイヤらしい視線。そのクセ私の名前を知った途端に情けなくビビって・・・まあ、今まで圧倒的にソレが普通だったんだけど、アンタみたいに私の性格を知っても変わらずセクハラかましてくる異常者に慣れちゃうとね」

 「何か思いっきり失礼なコト言ってませんか?」

 美神は情けない顔をした横島に不思議と柔らかい視線を向けた。

 「ホントの事でしょ。それに、悪口って訳でもないわよ・・・さあ、これ以上ココにいても収穫はないわ。帰りましょう」

 何処までも鈍い男はぞんざいな言葉に隠された意味に気づいていない。
 その意味に気付いたおキヌは、ノートに美神の名前を書くことを決意する。






 「あ、私、夕飯の買い物するからここで降ろしてください」

 帰り道
 通りを見ていたおキヌは急に美神に降車を申し出る。
 丁度目の前の信号が変わろうとしていた。

 「俺、荷物持ちやろうか?」

 「いや、買い物と言ってもお豆腐だけだから持てちゃいます」

 ごく自然に協力を申し出た横島におキヌは笑顔で答える。

 「駐車場のあるスーパーに寄ることも出来るけど・・・」

 「やっぱりお豆腐はお豆腐屋さんのが一番ですから。横島さん、早く、早く」

 おキヌは横島をせかし座席をスライドさせる。
 ツードア故の不便さだった。

 「今夜はシロちゃん、横島さんの為に低カロリー高タンパクの豆腐ずくしですからね」

 おキヌがにっこり笑うのと信号が変わるのはほぼ同時だった。

 「また、豆腐か・・・」×2

 発進と同時に呟いた台詞。
 ため息混じりのソレが被ったのが妙におかしく、走り出したポルシェの中で二人はしばらく笑い続けた。



 「行ったわね・・・」

 遠ざかるポルシェを見送り、おキヌは豆腐屋ではなくスーパーに入っていく。

 『おい、豆腐は豆腐屋じゃなかったのか?』

 「いいんです・・・それより今からカンの鋭い人に会うから絶対に話しかけないでくださいね」

 おキヌはそう言うとスーパーの野菜売り場を通り過ぎる。
 途中で車を降りたのは、その先にいる人物を見かけたからであった。

 「こんばんわ美神さんのお母さん。夕食のお買い物ですか?」

 「あら、おキヌちゃん。おキヌちゃんも買い物?」

 「はい、毎日の事だから献立が大変で・・・」

 おキヌはキャスターに乗せられたひのめと指先で握手する。
 紅葉のような手がその指を掴むと何とも言えない感触が指先を包んだ。

 「かわいい・・・まだこの位だと食事が大変でしょう?」

 「そうねー。でも、令子もそうだったけどひのめって好き嫌い無いみたいだから助かるわ」

 おキヌの意図に気づいたブークが堪らない笑みをうかべる。
 彼女は美神の母親から美神の大好物を聞き出そうとしているのだ。

 ―――人間って面白れえーっ!

 ブークは興味津々でおキヌのやりとりに耳を傾ける。

 「良かった・・・美神さんが好き嫌いない人で。実はダイエットのつもりでお豆腐続けちゃったんですよね・・・というか必要だからまだ続けるんですが」

 「ダイエット?令子が太ったの?」

 「いや、私とシロちゃんと横島さんが太っちゃって・・・」

 おキヌは情けない笑顔を浮かべる。

 「タマモちゃんまで付き合わすのは可哀想だからいなり寿司でもって思うんですけど、美神さんは何が大好物かわからなくって・・・」

 「令子の大好物ねえ・・・」

 この話題になってから美智恵は妙な表情を浮かべていた。
 おキヌは美智恵が自分から口を開くのを辛抱強く待つ。
 あまりしつこく聞くのは不自然だった。

 「まあ、卵料理かしら?あ、鮪の解体ショーが始まっちゃう、じゃぁねおキヌちゃん」

 「あ、さようなら隊長さん」

 何処か誤魔化すような様子で立ち去った美智恵。
 その姿が見えなくなってから、おキヌはようやく笑みを浮かべる。

 「卵料理ね・・・」

 おキヌはそう呟くとMサイズ1パック198円の卵にその手を伸ばしていく。
 この日からおキヌと美神の静かな戦いが開始した。









 敵の存在が見えないまま2日間が経過していた。
 美神は一切の仕事をキャンセルし、事態の収拾に努めようとしている。
 所長用の椅子に腰掛け、美神は今までの状況を整理し始めた。

 ―――あれから2日・・・状況に変化は無い。
     一向に二人が太った原因が明らかにならない・・・焦るわ。
     前日の摂取カロリーから考えても物理的な現象では無いことは確実・・・
     断腸の思いでエミに相談したけど、答えは大方の予想通りの「呪いの痕跡は見あたらない」
     ただ、エミはこうも付け加えていた「現存する呪いの痕跡はだけど・・・」
     絶滅したフトールに失われた呪いの技術が存在する?【L】という人物からは未だに連絡は無い。
     救いは横島がオーバーオールに慣れ始め、時折「まいうー」なんてギャグをいう余裕まで出てきたことかな・・・
     いや、あれはあの体型の者が口にする鳴き声のようなモノかも・・・って、何考えてるのよ私はっ!
    
 美神は横道にそれた思考を頭を振って修正する。

 ―――問題はシロ。あれから一度も私たちの前に姿を現さない。
     夜中にトイレに行く足音が聞こえる事もあるけど、シロの気持ちを考えると顔を合わせない方がいいわね。    
     唯一部屋に入れるタマモの話によると、シロは一日中ジョギングマシンで走っているらしい。
     何でもそろそろ日本縦断出来そうだとか・・・それもおキヌちゃんが作った食事に一切手をつけずに・・・
     水とサプリメントだけで二日も走り続けるなんて無茶苦茶だわ。月齢が欠けてきたら止めなきゃ・・・
    
 「美神さん、おやつ如何ですか?」

 目の前に差し出されたプリンに美神の思考が中断する。
 脳を酷使して低血糖になったせいか、おキヌ手作りのプリンはとても美味しそうに見えた。

 「悪いわね・・・いただくわ」

 おキヌはスプーンですくわれたプリンが美神の口に運ばれる様子をじっと眺めている。
 その真剣な眼差しに美神は少し居心地の悪さを感じた。

 「なあに、おキヌちゃん・・・食べるトコじっと見て」

 「え、あの、美味しく出来たかなと思って・・・」

 「フフッ、美味しいわよ。おキヌちゃん料理の腕あげたんじゃないの?今朝のオムレツも良くできていたし」

 美神の感想におキヌは顔を輝かせた。

 ―――美味しい、良くできていた・・・ひょっとしたら当たりかも。

 「ありがとうございます。お寿司も玉にはじまり玉に終わるって言いますからね。基本である卵料理を先ずは極めようと思うんです・・・リクエストあったら聞きますよ」

 おキヌの背後でブークが含み笑いをする。
 おっとりしてそうなこの娘の権謀術数の巧みさがおかしかった。

 「うーん・・・いや、やっぱ止めとくわ。おキヌちゃんに任せるからおキヌちゃんの食べたい物作って・・・できたら豆腐以外で」

 「ふふっ、わかりました」

 おキヌは笑顔を残し事務所を後にする。
 美神はその後ろ姿に笑顔を向けると再び思考に没頭した。

 ―――次に狙われるのは多分、私かおキヌちゃんのどちらか。
     安全を期すために監視体制を強化しなくちゃね。
  
 「人工幽霊!」

 『なんですマ・・・オーナー』

 「これからしばらくの間、留守中だけでなく常時この建物内を見張ってちょうだい」

 『え、事務所の方々を疑っているんですか?』

 人工幽霊の言葉に、美神は今までの自分にその視点が欠けている事に気がついた。

 ―――まさか、おキヌちゃんかタマモが・・・
     いや、それは無いわね。
     おキヌちゃんなら横島を呪ったりしないし、
     タマモもシロが太ったのを真剣に心配している。
     でも、グラヴィトンの復讐だったら真っ先に私が狙われるべきなのに・・・

 「そんな訳ないでしょ。こんな状況だからなるべく死角を作りたくないだけよ」

 美神は人工幽霊の言葉を否定する。
 しかし、胸に生じた疑惑は簡単に払拭することができなかった。

 「・・・でもね。もし、いや、万が一事務所のメンバーに不審な・・・」

 「了解しました。全て仰せのままに」

 人工幽霊は敬愛する主人の為に敢えてその命令を遮る。
 汚れ仕事は全て自分の一存であるとでも言うように。










 「ああっ、もう!一体なにが大好物なの?」

 おキヌの部屋
 苛ついたように机に座ると、おキヌは足下からポテトチップの袋を取り出す。

 『お、またソレか・・・食っていいんだろうな』

 「どうぞ、私にはカモフラージュ用が少しあれば・・・でも、見つからないようにして下さいね。」

 おキヌの許しを得たブークは未開封のポテトチップの袋に顔を埋める。
 袋の部分は透過し、中身だけをあらかた平らげた。

 『うーん、何度食っても旨い。炭水化物と油と塩、まさに太るためにある食い物だな』

 おキヌに取り憑いてから初めて知った食べ物にブークは満足げな笑顔を見せた。

 『旨いモノが食えるので文句はないが、何故こんな回りくどい方法をとるんだ?』

 「この部屋が人工幽霊さんに覗かれてるのを前提に動いているだけです。美神さんを舐めちゃいけません」

 おキヌはこう言うと、開封したポテトチップの袋をブラインドにして、中に紛れ込ませたノートの紙片にメニューを書き始めた。
 非効率的な方法だがこの方法だと人工幽霊に覗かれないですむ。
 何故ポテトチップなのかはおキヌ自身にも謎だった。

 美神令子 目玉焼き
 美神令子 オムレツ
 美神令子 卵焼き
 美神令子 ゆで卵
 美神令子 温泉卵
 美神令子 スクランブルエッグ
     ・
     ・
 美神令子 茶碗蒸し
     ・
     ・
     ・

 美神令子 プリン

 おキヌは料理本を見ながらポテトチップを食べるフリをして卵料理を記入していく。
 プリンが書かれているあたりかなり迷走していた。



 ―――だめ、だめだわ。
     バリエーションまで含めると数が膨大すぎる。
     書いてから24時間以内に食べさせるなんて無理。
     でも、確かに私たちが博物館に出かけた日に卵が使われている・・・
     美神さんが自分で料理したのはその日しかない。
     そのことからも美神さんの好物は卵に間違いないわ。
     問題はそれが何に使われたか・・・・・
 


 「ああっ、一目で大好物がわかる方法があれば」

 『あるぞ』

 おキヌの呟いた苦悩にブークがあっさりと答えた。
 あまりの安易さにおキヌは椅子からずっこけてしまう。

 「なんでそういう大事なことを黙っているんですか〜」

 幽霊時代に培ったおどろ線と人魂が周囲を飛び回る。
 ブークはそんなことに動じはせず、悪びれた様子もなく説明を開始した。

 『聞かれなかったからな。それに大好物がわかるフトールの目を手に入れるには対価が必要だ』

 「まさか寿命が半分になるとか?」

 初めて要求される対価におキヌは固唾を飲む。

 『いや、体重が二倍になる・・・やるか?』

 「絶対にやりません!!!」

 おキヌは乱暴に会話を打ち切ると料理本をパラパラとめくる。
 まだ試していないメニューが偶然目についた。

 ―――コレって本物を使えば結構豪華なメニューよね・・・美神さん好みかしら。
     そうね、美神さんの大好物だもの普通の卵料理のはずないわ。

 おキヌはポテトチップスの袋に手を入れ夕食のメニューを記入する。

 美神令子 カニ玉







 耐熱ボールに次々と割り入れられる卵。
 おキヌは、舌触りが悪くならないようカラザの部分を丁寧に取り去ってから白身を切るようにかき回す。
 軽く混ざった卵に戻した干し椎茸とタケノコの水煮、長ネギを細く切ったものを加えおキヌは一旦手を止めた。

 「さてと、次は肝心の・・・」

 おキヌは買い置きの缶詰の中からタラバガニの缶詰を取り出す。
 中身をほぐしてから卵に加え、塩で味を整えれば後は焼くだけだった。

 「あれ?何だろうこの缶・・・」

 空き缶を捨てようと、分別回収用の空き缶入れを開けたおキヌは見慣れぬ空き缶を目にする。
 少し気になったが火にかけっぱなしの中華鍋から煙があがりはじめ、おキヌは慌てたように卵を中華鍋に注いでいった。
 



 10分後
 美味しそうにカニ玉が湯気を立てる食卓。
 食事を知らせるおキヌの声に呼ばれ、シロを除く全員がテーブルに着いた。

 『オーナー・・・来客です』

 まるで食事時を狙い澄ましたかのようなタイミングで来客が現れる。

 「誰? 食事時に迷惑ねぇ」

 「あ、いいですよ美神さん。私が出ますから」

 美神の食事を邪魔させないよう、おキヌは素早く玄関へ移動していく。

 「どなたですか?」

 「【L】です・・・」

 ドア越しに聞いた男の声におキヌは戦慄する。
 フトール帝国の研究では3本の指に入る研究者がとうとう美神事務所にやって来たのだった。

 「コトは急を要する! 早く開けるんだ!!」

 「は、はい」

 あまりの切迫感におキヌは反射的にドアを開けてしまう。
 それと同時に、ハードボイルド小説から飛び出してきたような、帽子を目深に被ったトレンチコートの男が事務所に飛び込んできた。

 「ちょ、ちょっと待って下さい!!」

 無言でダイニングへ向かう男を慌てて追いかけるおキヌ。
 男はそんな事はお構いなしにダイニングに乗り込むと大声で宣言した。

 「ストップ! 食事を中止して下さい!!」

 おキヌがようやくトレンチコートの男に追い着くと、美神たちの奇異な視線に迎えられる。
 あまりにも珍奇な来訪者に3人の箸は完全に止まっていた。

 「おキヌちゃん誰なの? その人たち・・・・」

 「え、ああ、【L】さんだそうです・・・・・たち?」

 おキヌは3人の視線がトレンチコートの男ではなく、自分の背後に向けられているコトにようやく気付く。
 恐る恐る振り返ると自分の遙か頭上に蝶ネクタイが浮かんでいるのが見えた。

 『不味いぞ、キヌ・・・その男は俺を発掘したヤツだ』

 キヌと同じタイミングで振り返ったブークは、背後の大男の正体を耳元で告げる。
 背後に立っていた見上げるような大男は、口の前に掲げた蝶ネクタイに向かって話し始めた。

 「如何にも、私は【L】! そのトレンチコートの男は私の影なので気にしないように」

 その声はトレンチコートの男が話したように聞こえた。




 「【L】って言うよりも・・・」

 「【XXL】よね・・・」

 タマモの呆然とした呟きを、同じく呆然とした美神が返す。
 現れた男のサイズは明らかに【L】の範疇を超えている。
 しかし、半ズボンに吊りベルト、蝶ネクタイという子供のような出で立ちは一体何処で購入したモノか。

 「失礼な! 自慢じゃないが、私の服は全て両国で買った一点物だぞっ!!」

 「そんなモン自慢になるかーっ!!」

 久しぶりに横島のツッコミが炸裂する。
 しかし、分厚い脂肪に邪魔されたかのように【L】には何の効果もなかった。

 「ふん、お前のような既製品で十分間に合う痩せっぽっちなどに両国の価値はわからん」

 横島を痩せているといった【L】の言葉に美神は眉を寄せる。
 その言葉は、美神の頭の中でパズルの重要なピースとなったようだった。

 「で、コレが今日の夕食かね?」

 ごく自然な動作でシロの席に座る【L】に、トレンチコートの男が恭しく銀細工の箸を渡した。
 【L】はその箸を手に持ち目前で祈るように手を合わせる。

 「では早速・・・いただきます」

 「ちょっと、お前・・・」

 「あーっ、私のいなり寿司っ!」

 止める暇もなく食卓の料理に手を出し始める【L】。
 まるでコマ落としのフィルムように次々とテーブルの料理が【L】の胃袋に消えていった。

 「あああ・・・折角作ったカニ玉が・・・」

 美神が口にする前に、カニ玉を平らげられたおキヌは愕然とする。
 ものの数分でテーブルの上の料理は完全に消滅していた。

 「ごちそうさま・・・・・」

 食後のお茶を飲み干してから【L】はようやくその口を開いた。

 「オイ、貴様・・・一体どういうつもりなんだ?」

 食事を奪われた横島は殺気を隠そうとせず霊波刀を出現させる。

 「慌てるな! 君にかけられたフトールの呪いについて知りたいのだろう・・・」

 「お前・・・どうしてソレを・・」

 「博物館に来た霊能関係者が私を捜していれば理由はソレしかあるまい。推理以前の問題だ」

 食事中の姿からは考えられないクレバーな言葉にタマモが感嘆の声をあげる。

 「へぇー、なかなかヤルじゃない。確かに推理力がありそうな服装だけど」

 「シッ! 黙って話を聞きなさい」

 美神はタマモの軽口を諫める。
 彼女は【L】の言葉から次のピースを探そうとしていた。

 「それじゃあ、俺たちの食事を止めたのはその呪いを未然に防ぐ為というわけか?」

 霊波刀を引っ込めようとした横島に、【L】が胸を張って答える。

 「いや、単に腹が減っていただけだ! 自慢ではないが私は訪問先の夕食時間を外したことがない!!」

 「お前は何処のヨネスケだぁぁぁぁぁっ!!」

 「ちょ、ちょっと待て、謎は全て解けた! コレは本当だ!!」

 本気で斬りかかろうとする横島に流石に慌てたのか【L】は話の核心を臭わす。

 「本当だろうな?この呪いの正体が分かったって言うのは・・・」

 「ああ、じっちゃんの名にかけて!」

 「コイツ、ダメだぁぁぁぁ!!」

 作者自身も掴みかねる【L】のキャラクターにさじを投げた横島は、力ずくで退場させるため力一杯霊波刀を振り下ろす。
 しかし、その一撃は目的を果たすことはなかった。

 ガシッ!!

 横島渾身の一撃を神通棍で受け止めた美神は、つばぜり合いの姿勢で横島を壁に押しつける。

 「いいから最後まで彼の話を聞きなさい! 彼の推理で事件が解決しないと次に来る二人でもっと話がグダグダになるわよ!!」

 「・・・・・・・すみません・・・軽率でした」

 次に来る二人の名を思い出した横島は、反省したように霊波刀を引っ込める。
 美神は至近距離で横島の目を真っ直ぐ見つめた。

 「わかればいいのよ・・・アンタは最後までワタシを信じていればいい。わかった?」

 「・・・わかりました。俺、最後まで美神さんを信じます」

 横島の返事に満足そうに肯くと、美神は【L】を振り返り話の続きを促す。
 【L】はやや憮然としながらも自分の推理を話し始めた。

 「フトールの民が滅んだ直接の理由は、軍の弱体化をついた異民族による侵略であることは間違いない。だが、弱体化した理由は?・・・今までは栄えすぎた事による文明病・・・肥満とソレによる成人病が原因と考えられてきた。しかし、考えても見ろ! いくら文明が進んだからと言って全ての国民が太る国家があるか? それに、体重軽減を何故魔神グラヴィトンに祈るまで追いつめられなくてはならない?」

 【L】は懐から一枚の写真を取り出す。
 それには洞窟に描かれた壁画が写っていた。

 「この左端に描かれているのがグラヴィトン・・・これの元には庇護を求めるフトール人が集まっている。そして右側には・・・」

 【L】の指さした物をみて、美神たちは息をのむ。
 そこにはグラヴィトンと対するようにブークが描かれ、彼の足下にはノートらしきモノを持った一人の男が描かれていた。

 「この絵を見るとこう思えないかい?・・・・・フトールには人を太らす呪いが存在したと」

 「この男は一体何のために・・・」

 「残念ながらその点はこれからの発掘調査待ちだ」

 擦れたような横島の声に【L】は力なく首を振る。
 ノートを持った小太りの男が、他の者と比べ若干細く描かれていたことに気付いたのは美神だけだった。

 「だが君たちの御陰で・・・核心に近づけるかも知れない。君の大好物は何だい?」

 「ハンバーグだけど」

 核心に近づかれ、おキヌの心拍数が跳ね上がる。

 『落ち着けキヌ。俺の存在は誰にもわからん』

 ブークの励ましにおキヌは微かに肯いた。
 【L】は周囲の反応を伺うようにゆっくりと席を立つ。

 「以前発掘された遺跡にあるメッセージがあった。発見当時はようやく健康管理の大切さに気付いたフトール人が、生活改善に掲げたスローガンと思われ注目されていなかったのだがね・・・・そのメッセージはこうだ。”大好物は食べるな!”」

 横島の表情から【L】は自分の推理に確信を持つ。

 「思い当たる点があるようだね。君を呪った。または呪いに関係する人物はそのハンバーグを作った人物・・・つまり君だ!!」

 【L】の指先は真っ直ぐにおキヌを指していた。









 「その推理はハズレね・・・」

 美神の言葉が沈黙した室内に響く。
 その声に答えるようにタマモが口を開いた。

 「そうね。ワタシ、いなり寿司食べても太ってないし・・・」

 その言葉を聞いた横島は【L】の胸ぐらを掴み壁に押しつける。

 「てめえッ! 言うに事欠いておキヌちゃんを犯人扱いするなんてどういう了見だっ! 第一、おキヌちゃんにそういう役やらす度胸があのアホにある訳ないだろっ!!」

 どこかでノートパソコンを抱えたアホがビクッとなる。
 【L】を簀巻きにする横島を尻目に、美神はおキヌに近寄り安心させようと肩に手を乗せた。

 「安心しておキヌちゃん。私たちはそんな戯言信じないからね・・・第一、私も大好物食べたけど太らなかったから」

 美神の言葉がきっかけとなり、おキヌの脳裏に今まで作った料理がフラッシュバックする。
 その中の一つ、カニ玉を作った時に気になった光景。

 ―――博物館に出かけた日から冷蔵庫の食材は卵しか使われていない・・・とすると、あの缶詰が美神さんの大好物!!

 先に捨てられていた缶のラベルをおキヌはハッキリと思い出していた。

 「キャビア・・・」

 呟くようなおキヌの一言が美神の耳に入る。
 美神はその言葉を聞き逃さなかった。

 「あ、アレ。バレちゃった? ランプフィッシュなんかじゃなく本物のチョウザメの卵・・・それもベルーガのキャビアが手に入ったからついね。みんなが博物館行った日に一人で食べちゃったのよ」

 プッ!

 美神の好物がずっと鶏の卵だと勘違いしていた自分に、おキヌは思わず吹き出してしまった。
 タマモにいなり寿司を食べさせたのは万が一の保険だったが、美神自らのつまみ食いで身の潔白を証明されたのは運が味方についているとしか思えなかった。

 「キャビアが大好物なんて美神さんらしいですね。でも独り占めはずるいです」

 「美神さんって結構意地汚いのね・・・・」

 「そうっすよ美神さん! 俺なんかこの先一生食えないかも知れないんだから味見させてくれたっていいじゃないっスか!!」

 【L】に続き、トレンチコート男の簀巻きも終了させた横島が美神への不平を口にした。
 その目に真っ直ぐ見つめられ美神は観念したように、自分の酒専用冷蔵庫からオーラ漂う缶詰を取り出した。

 「ああもう、わかったわよ! 本来は勿体なくてやらないんだけど、この役立たずにおかず食べられちゃったからね。裏メニューのキャビア茶漬けって絶品なのよ!」

 「それだけじゃ勿体ないですよ。私、料理の本持ってきますからもう少し待って下さい」

 おキヌはそういうと自分の部屋へと急ぐ。
 その口もとには勝利の微笑みが浮かんでいた。

 『今、行動にでるのは危険じゃないか?』

 部屋に駆け込み、ノートを開いたおキヌにブークが注意を促した。
 外見や行動はアレだが【L】の推理は素晴らしかった。
 今回疑いがそれたのは運が良かったとしか言いようがない。

 「運が向いている今だからこそです。それにキャビアなんてそうそう食べるもんじゃありませんからね」

 おキヌは料理の本を探すフリをしてノートに書き込む。

 美神令子 キャビア

 『大胆すぎる気もするがな・・・』

 「大丈夫、万が一ノートの事が知られても私には奥の手があります」

 『そうか・・・楽しみにしているぞ』

 ノートを無造作にしまい込むと、数冊の料理本を手におキヌは部屋を後にした。








 「許さん! 許さんぞ! この超絶天才の僕をこんな目に遭わせて!!」

 おキヌがダイニングに戻ると、猿ぐつわを外された【L】が顔を真っ赤にして叫んでいた。 

 「君たちの考え方は非論理的すぎる。呪いに何か別な条件があるとは考えられないのかっ!!」

 「うるさい!大人しく帰ると約束すれば帰してやると言ってるんだから、お前はただウンといえばいいんだ!!」

 横島の言葉に逆らうように、【L】は簀巻きにされたままヘコヘコと屋根裏部屋へ向かう階段を目指す。
 モスラ検定という資格があるならば準一級は確実な動きだった。

 「まだだ、まだ僕の推理が間違っていたという証明はされていない。もう一人、もう一人呪いにかかった少女がいるはずだ」

 ジョギングマシーンの音からシロの存在を推理した【L】は、屋根裏部屋に向かい大声で叫ぶ。

 「おーい、屋根裏部屋の君! 君は一体何を食べて呪いにかかったんだ!?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 ずっと聞こえていたジョギングマシーンの音が突然止む。
 シロは【L】の呼びかけに答えるようだった。

 「そうだ! 答えてくれ! 君は何を食べて呪いにかかったんだ!!」

 「肉・・・・・・・」

 「そうかっ! 肉、肉を食べたんだなっ!! もう一つ教えてくれ君の大好物は何だ!?」

 「肉・・・肉・・・肉・・・」

 自説を証明する二つめの事例を手に入れ【L】の顔が喜びに輝く。
 しかし、その笑顔は数秒後には恐怖に凍り付くことになる。 

 「肉・・・肉・・・肉・・・ニクゥ!!!」

 爆発したかのように開け放たれる扉。
 鬼気迫る表情で部屋から出てきたシロは正気を失っているようだった。
 サウナスーツから大量の汗をしたたらせたシロは一歩、また一歩階段を下りてくる。

 「旨そうでござる・・・・」

 「え、それってまさか・・・・」

 シロの喉が大きくなる。
 彼女の目には簀巻きにされた【L】がマンガ肉に見えていた。

 「ニクゥゥゥゥッ!!」

 「ヒッ!!」

 残りの段を一気に跳躍するシロ。
 大きく開かれた口から覗く犬歯が目の前に迫るのを見ながら【L】は意識を失った。






 「苦っ!!」

 聞き覚えのある声があげる苦痛の声にシロは意識を取り戻した。
 口に感じる異物感に、シロは自分を抱きかかえる男の肩口を噛んでいることにようやく気付く。

 「・・・・・・ようやく正気に戻ったか。シロ」

 「先生!まさか拙者は先生に噛みついて・・・・・」

 慌てて離れたシロの鼻先に一本のササミジャーキーが差し出される。

 「減量した体に油っぽいモノは毒・・・ササミジャーキーだ・・・良く噛んで食えよ」

 「あ、あああああ・・・・・・」

 シロは震える手をササミジャーキーに伸ばす。
 しかし、シロはソレを口に入れることなく足下に落とした。

 「ありがとう先生・・・・気持ちだけもらっておくでござる。拙者、元の体型に戻るまでは・・・・」

 「馬鹿っ! それで体を壊したらどうするんだ!!」

 珍しい本気の叱責にシロがきょとんとした顔をする。
 そして、横島が自分の身を真剣に案じてくれたことに鼻の奥がツンとなった。

 「先生は・・・拙者のコトが嫌いになってないでござるか?」

 「なに馬鹿なコト言ってんだよ! んなことあるわけないだろ!!」

 いつもと変わらない横島の笑顔に、シロは涙をポロポロとこぼし始める。

 「ヒック、だって〜拙者、罰があたったと思ってたんでござるよ〜。ヒック、太った先生のことが・・・ヒック、嫌だと言ったから、罰があたって、拙者も太って嫌われたと思ってたんでござるよ〜」

 「それくらいで俺がシロを嫌いになるわけがないだろ・・・でも、どうしても気になるなら、明日から俺もダイエット付き合ってやるからこんな無茶は止めるんだぞ」

 「ホントでござるかっ!!」

 慰めるために口にした横島の一言に泣き顔も一転、シロは満面の笑顔を浮かべた。
 その笑顔を見て横島の霊感が警戒信号をけたたましくならす。
 しかし、場の流れから見てもう流れを変える事は出来なかった。

 「ヴッ!!・・・ホ、ホントウダトモ」

 「じゃあ、明日から心ゆくまで有酸素運動でござる。ウォーキングでござるよっ!!」

 「ただの散歩じゃねーかっ! でも、いいのか? お前、人前に出たく無かったんじゃないか・・・」

 「先生と一緒なら平気でござる!それに・・・」

 シロは横島に抱きつきその胸に顔を埋めた。

 「拙者、太った先生も大好きになったでござるよ・・・・・・・・・・・」

 それっきりシロは静かになった。
 そして、1分もしないうちに横島の胸からシロの寝息が聞こえて来る。
 体を酷使した事よりも、精神的な安定がシロに眠りをもたらしていた。




 



 「さてと・・・コイツらどうします?」

 シロを部屋に寝かしつけてから、横島は気を失ったままの【L】を見下ろした。
 トレンチコートの男は抵抗のそぶりさえ見せず大人しく縛られている。

 「下手に拘束し続けて、後任の二人が来るのも嫌な展開よね・・・でも、起こすとまた騒ぎそうだし」

 美神は、まるで何処かのアホの脳を覗いたかのような発言をした。

 「そうだわ! タマモ!アンタ幻術でコイツを誘導しない?」

 「えーっ! 嫌よめんどくさい!!」

 タマモが心底嫌そうな顔をする。
 基本的に【L】は一対一では絡みたくないキャラクターだった。

 「食い物の恨みは恐ろしいってコトを思い知らせてあげなさいよ! いなり寿司食べられた恨み晴らさなくっていいの?」

 「う・・・ソレを言われるとだんだん腹がたって来たわね」

 「そうよ、それにこのままだと下らない噂を広められて事務所的に良くないし・・・」

 「夢オチにしろってコト?」

 美神の言わんとしている事をタマモはすぐに理解した。
 確かにおキヌを犯人扱いした【L】をこのままには出来ない。 
 狐に化かされ気付いたら朝だったというオチは確かに都合が良かった。

 「保護者公認のイタズラっていうのも偶にはいいわね・・・」

 タマモは観葉植物の葉を一枚手に取ると、ほんの少し意識を集中し念を込めた。

 PON!
  
 軽快な音を立てソレは一瞬で巨大なしゃもじへと姿を変える。
 その表面には「隣の晩ご飯」と書いてあった。
 そして、簀巻きにされた二人を解いてやると、タマモは表を指さしてかけ声を掛ける。

 「突撃!」

 そして3人の人影は、いなり寿司を求め夜の街に飛び出して行くのだった。




 「・・・いいんスか? こんな無茶苦茶なコトやって」
 
 飛び出していった3人を見送りながら、横島はアレすぎる展開に冷や汗をながしていた。

 「いいのよ・・・・それに・・・・・・・・アッ!大変!! 横島肩から血が出てるじゃない!! おキヌちゃん救急箱急いで!!」

 シロに噛まれた傷口にようやく気付いたかのように、美神は慌てて救急箱を持ってくるようおキヌに指示を出す。
 そして、横島にも聞こえないような小声で密かにこう呟くのだった。

 「それに、これから起こることは、あの子たちに見せたくないからね・・・・・」
 







 「血はそんな出てないけど一応消毒しとかなきゃね」

 珍しい事に、おキヌの持ってきた救急箱を受け取ると美神は自ら横島の治療を開始した。
 噛まれた方の袖口をめくりあげ、牙が傷つけた数カ所の裂傷を丁寧に脱脂綿で拭いていく。

 「だけど、アンタのおかげでシロはもう大丈夫そうね。優しいトコあるじゃない!アレ見たらいっそ私も呪いにかかっちゃおうかなーと思ったわ」

 「ナニ、馬鹿なコトいってんですか! そんな美神さん想像できませんて」

 横島の傷を見ながら口にした美神の言葉に、横島は驚いたような声を出す。
 肩の傷は肉のクッションが幸いしてか大した怪我ではなかった。
 美神は照れ隠しのように横島の傷口を軽くピシャリと叩くと、横島と目を合わせ真面目な顔で話しかける。

 「だって、そうなってもアンタなら結婚してくれそうだし・・・いい男になったね横島」

 「からかわないでくださいよ! でも、もし美神さんが呪いにかかって嫁の貰い手が無くなっても安心して下さい。俺がきっちり責任とります」

 「本当!? コレで安心して好物が食べられるわ・・・さあ、ご飯食べちゃいましょう」






 目の前で行われたやりとりにおキヌは微かに衝撃を受けていた。
 美神と横島はお互いの体型を気にせず、シロと横島は逆にそれによって絆を深めている。
 おキヌは急に自分のやってきたことが間違いであるような気がしてきた。

 ―――ナンデ、ナンデ、ワタシ、ミンナを太らそうとしたのかしら・・・・
     ヒトとジブンを比べても仕方がない事なのに・・・・
     ミカミさんに嫉妬してもジブンを良くすることは出来ないのに

 『後悔しているのか?だが、お前はもうノートに魅入られた身。そして先程書いた呪いの変更は出来ない・・・』

 激しい後悔の念がおキヌを襲う。
 しかし、ブークの言葉はまるでそれ自体が呪いであるかのようにおキヌの精神を絡め取っていた。


 おキヌの目の前でほかほかご飯が盛られていく。
 その上に、スプーンで無造作にすくわれたキャビアが乗せられた。
 山葵と塩で味を調え、熱々のお茶をたっぷりと注ぐと、
 食通が泣いて怒りそうなお茶漬けが完成する。



 ―――ワタシはヨコシマさんを誰にも渡したくないだけだったのに・・・
     コレを食べたらヨコシマさんとミカミさんが結婚しちゃう。
     ソレもこんな下らない理由で・・・
     イヤ、そんなの絶対にイヤ。




 「そんなのダメーッ!!」



 いてもたってもいられなくなったおキヌは自分の部屋へ走っていく。

 『何をする気だキヌ! お前はもう後戻り出来ないんだぞ!!』

 「呪いなんかもうどうでもいいんです! 体型がどうなったって心が変わらなければ・・・・」

 おキヌはノートを取り出し、ソレを持つ手に力を入れる。

 『心か・・・だが、ノートを使っていた事がバレたら、アイツらのお前への気持ちはどうなるかな?』

 この言葉に、ノートを持つ手に込められた力が弱まった。

 『裏切り者を許すほど人間は寛大ではないぞ・・・・今からでも遅くはない。黙って呪いの成就を待つのだ』

 しかし、おキヌは力強い視線でブークを睨み返すと、覚悟を決めたように手に力を込め直す。

 「舐めないで! 私も美神事務所の一員・・・奥の手でこれ位のことは出来ます!!」  

 おキヌは一気にノートを引きちぎると、びりびりに破き辺りにまき散らした。




 『それがお前の奥の手か・・・失望したぞキヌ』

 ブークは比較的大きなノートの破片を拾い上げ、そこにおキヌの名を書き入れようとする。
 しかし、ブークがおキヌへの制裁を書き入れる前に横島と美神が部屋に駆け込んで来た。

 「やっぱり!お前が絡んでいたのねっ!!」

 「俺とシロが太ったのはお前の仕業かっ!!」

 ブークは散らばったノートの破片に触れ、自分を認識できるようになった二人にニンマリと笑いかけた。
 過去のどんな使用者もノートの使用がバレた瞬間、例外なく仲間から凄まじい憎悪を向けられている。
 ブークはおキヌに向けられる二人の憎悪が楽しみだった。

 『ククク、俺の存在がバレたようだぞ・・・どうするキヌ?』

 その呼びかけに答えるでもなく、おキヌはフラフラと部屋の中央に歩み寄りショックを隠せないとでも言うように頭を抱えた。
 ブークはおキヌがこれからとるであろう行動を想像する。
 必死に自己弁護するか、それともブークに助けを求めるか・・・・・
 だが、次におキヌが口にした一言はブークの予想を完全に超えていた。












 「せ、洗脳がとけたーっ!!!」

 『へっ?』










 おキヌはその場に力なく倒れると、たった今、ようやく意識を取り戻したとでも言うように顔を持ち上げる。

 「はっ、ワタシ、一体ナニを?・・・・博物館でノートを拾ったら急に・・・アアッ、頭が・・・・」

 おキヌはガクリと首をうなだれる・・・
 古くさい気絶の表現だった。

 『それが奥の手かーっ!!!』

 ブークの激しいツッコミは、ブークと気絶中のおキヌの間に割り込んだ二人に遮られた。

 「大丈夫?おキヌちゃん!!」

 「このクソ悪魔!よくもおキヌちゃんを操りやがって!!」

 『・・・・チッ、人間風情が魔神の俺にかなうと思っているのか?』

 もはや何を言っても無駄な状況に、ブークは完全に開き直ることにした。

 『ノートは人間を弄ぶただの遊び・・・俺が戦闘で本気をだしたら・・・・・・・へっ?』

 信じられないものを見たブークは目をまん丸に見開く。
 目の前の二人が、かって本物の魔神相手に勝利したことを知らぬままブークは完全に消滅させられていた。







 「あーあ、お茶漬けすっかり冷めちゃいましたね」

 ブークを消滅させた二人は、気絶を貫くおキヌをベッドに寝かすとダイニングへと戻っている。
 未だ変化のない横島の体型だが一晩寝れば元に戻るのだろう。
 問題のノートはブークの消滅と共に姿を消していた。

 「熱々じゃないとおいしくないのよ・・・」

 「だけど、美神さんいつから気付いてたんですか? おキヌちゃんが操られていたことに・・・」

 横島の言葉に美神は複雑な表情を浮かべる。
 こればっかりは答えようが無かった。

 「アンタは何時気付いたの?」

 「確信したのはタマモを人払いしたあたりっスね・・・まあ、その前から美神さんのことを信じるって決めてましたけど。でも、結婚しようって言われた時はビックリしたッスよ・・・・」

 横島は恐る恐るキャビア茶漬けに口をつける。
 思ったよりも普通の味だった。

 「アレ、体型なんてどうでもいいって伝えることで、おキヌちゃんの洗脳を解こうとした芝居だったんでしょう? 思わずノっちゃったけど・・・」

 「そうね・・・そう言うことにしておきましょう」

 美神は勢いよくキャビア茶漬けをかき込んでいる横島から視線を外した。

 「でも、美神さんも度胸ありますね。大好物を知られた上で勝負にでるなんて・・・おキヌちゃんが操られたままだったら今頃・・・」

 「馬鹿ねー、こんな成金趣味のものが大好物のわけないでしょ! 確かに美味しいけどさ」

 「え? じゃあ、美神さんの大好物って何なんです?」

 横島の言葉に答えずに美神は茶碗を手に持つ。

 「今は教えない。けど、そのうち教える時が来るかもね」

 美神は、若干照れたようにサラサラとお茶漬けを流し込んだ。








 エピローグ


 翌日
 午後二時、美神美智恵宅

 「こんちわー! ママいるーっ」

 娘ならではの無遠慮で美神令子はずかずかと家の中に入っていく。
 美智恵は丁度目覚めたばかりのひのめを遊ばせている所だった。

 「だぁー」

 「おっす、ひのめ元気?」

 美神はポヨポヨのほっぺを指先でつっつく。
 同じ生き物とは思えない弾力に思わず頬がゆるんだ。

 「いらっしゃい。今日はどうしたの?」

 「んー。仕事何軒かキャンセルしちゃったからそのフォローにね・・・ねえ、何か食べる物ある?」

 美神はそういうと冷蔵庫の中を勝手に物色する。
 仕事先回りが忙しく今日は昼抜きだった。

 「来るなら来るって連絡くれればちゃんと用意していたのに・・・材料ならあるから何か作るわよ」

 「あ、いいって! いつもので済ませちゃうから」

 「また? アンタも好きねーソレ」

 呆れたような美智恵の視線を軽く受け流し、美神は卵を一つ取り出すと小鉢に割り入れる。
 ジャーの中からご飯をよそると、醤油をひとたらしし、軽くかき混ぜたソレをご飯の上にかけた。
 かける前に箸でご飯に注ぎ穴を開けるのが美神の流儀らしい。

 「んー美味しい。ひのめ、アンタも食べてみる」

 一口食べ満足そうな笑みを浮かべた美神は、物珍しそうに自分を見つめる妹に少しソレを食べさせてみた。

 「おいしい?コレお姉ちゃんの大好物なのよ」

 ひのめも気に入ったらしく足をばたばた動かす。
 美智恵は仲の良い姉妹に頬を緩めると、ひのめの面倒を姉がみている間に洗濯物を取り込むことにした。



 「そう言えば、この前・・・一昨日だったかしら?おキヌちゃんに会ってねー」

 タオルを畳みながら、美智恵が何の気なしに口にした話題に美神が咽せ込んだ。

 「ゴホッ、で、どうしたの?」

 食事を中断し冷蔵庫の麦茶を取り出す。
 コップに注いだソレを美神は口に含んだ。

 「アンタの大好物が何かって話題になって困ったわよ!」

 ブーッ!!

 美神は口に含んだ麦茶を一気に吹き出してしまった。
 美智恵は呆れたように、取り込んだばかりのタオルを美神に投げてよこす。

 「汚いわねー。はい、コレで拭いて!」

 「で、ママはなんて答えたの?」

 「ちゃんとした料理食べさせて無いみたいで恥ずかしくって言えなかったわよ!適当に誤魔化して逃げちゃった」

 美神はおかしそうに笑うと、手元の大好物を再び口に運ぶ。
 決して上品ではないが素朴で飽きの来ない味が口の中に広がった。

 「まあ確かに、よっぽど親しくないと教えられないわよね・・・家族とか」

 「だーっ!!」

 「お、気に入ったかひのめ!」

 姉の好物が気に入ったのか、ひのめ再びの催促に美神は上機嫌で答えてやった。
 自分と同じ好みの妹に美神は優しく笑いかける。

 「ひのめ、私の妹はアンタだけよ・・・そう思ってた子はライバルの方がいいみたいだし」


 ―――だけど、お姉ちゃんはもう少し今のままでいたいんだけどね


 美神は胸の中でかって妹だった少女にこう呟いた。







 同時刻
 国立博物館

 制服姿のおキヌがブーク像の元へしずしずと歩み寄っていく。
 その手には彼が好きだったポテトチップの袋が一つ。
 おキヌはブーク像にその袋を供えると一言だけ呟いた。

 「ごめんね。ブークさん・・・」


 その光景を見ていた学芸員の松田はこう思う。

 ―――何だこのオチは







 ――― DEBU NOTE ―――


   終


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