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幾千の夜を越えて

バンダナ師匠と掠れた光 後


投稿者名:日野 隆
投稿日時:06/ 4/23

横島と韋駄天とが出会って数日。
心眼が開眼した事を知られた横島は、とにかく美神に扱き使われた。
鬼封じの札が高いからと言って餓鬼の一種を相手に格闘戦をさせたり、除霊で頑張れーの一言で置いていかれたり。
一応保険として何時でも美神が相手を仕留められるよう準備していたので、横島に命の危険は無かったが、それでも結構堪える物がある。
その上心眼もやっと出てこれたのが嬉しかったらしく、ちょっぴりハイになっていた。
それ故心眼はGS試験まで時間の無い今に実戦経験を積む事に貪欲になり、おキヌを説得してしたりして横島の逃げ道は断たれていたりする。
とは言え、悪い事ばかりでは無い。

「まぁ、心眼が生活をある程度制限するつって時給が上がったから……な」

と言う事で、横島の時給は五〇〇円まで上昇していた。
元々待機時間の長い仕事だ、たったの二〇〇円の差と侮るなかれ、横島の生活水準は一般高校生レベルよりちょっと下ぐらいまで上がっている。
額で五月蝿い心眼も何だかんだ言って在宅時の横島に指導をしてくれるし、至れり尽くせりなのである。
多分。
だからこそ横島は、今はきっと良い待遇なんだ、今新幹線の上に縛り付けられているのもきっと酷いように見えて実は最良の手段なんだ、とブツブツ呟いていた。

『おぬしは何をブツブツ呟いておるんだ?そんな事よりもうすぐ実戦だぞ、実戦!』

「お前妙にウキウキしてんなー。って、んな事言ってる暇があれば抜け出すのを手伝えッ!うぅ、お家に帰りたい……ッ!!」

『別に構わんが、今帰ったら美神殿にボコボコにされるぞ?』

「が、がーん」

『まぁ頑張れ、神族にコネを作っておくのは後々のお主の為になるであろう』

毎度ながら除霊時にはいつもテンションの高い心眼に叫びつつ、横島は昨日の夜に思いを馳せる。
夕食を事務所でご馳走になっている時にJL東海から電話がかかり、韋駄天九兵衛から挑戦状が送られてきたと言われたのだ。
それを幸いと心眼と八兵衛とが九兵衛を捕まえて見せると美神に進言し、そして三人の相談の結果こういった形を取る事となったのだ。

――要するに、大事を取って直前まで神通力を温存し、現れる瞬間まで横島を新幹線の上に縛り付けておく形である。

無論横島はこれが悪意から来るものでは無いと分かっている。
どう考えても出力の違いすぎる美神が前線に出る意味は無いし、横島もすぐに戦闘に入れるよう新幹線の外に居るべきだ。
ならば途中で落っこちたりしないよう固定するのも別段おかしい手段では無い。
だが、しかしそれをも覆す衝動が横島の内には存在していた。
それは横島の裏側から湧き上がるように横島を支配する。
あらゆる感情を抑圧してそれが面に出て、使命も何もかもを破壊しそれは横島の表面へと漏れ出た。
それはつまり――。


(だけど、怖いもんは仕方ないだろーがッ!!)


――と言う事である。
とりあえず横島は、うるうると目から出る汗が下に流れず横に流れてゆくと言う現実から目を逸らしたくてたまらなかった。



――幾千の夜を越えて
六話『バンダナ師匠と掠れた光 後』



「ふはははははははは!!遅い、遅いなぁぁああぁッ!やはり地上最速は俺だったのだッ!!ざまーみろーッ!!」

突然の大声に横島はピクリと反応し、瞼を閉じた。
次の瞬間先日味わったのと同じ意識を闇の縁へと落とされる感覚が横島を襲い――、僅かな燐光が走る。

「良し、行くぞッ!!」

次の瞬間、横島の体は下着だけとなった上シャツに八の字を縫い付けられ、八兵衛に支配されていた。
漂う神聖な気配に気付いたのか、新幹線と並走する九兵衛は邪笑と共に八兵衛を睨みつける。

「九兵衛!仏に仕える韋駄天族でありながら数々の狼藉、もはや許せん!!神妙にいたせッ!!」

「やはり来たか、八兵衛!何故俺がわざわざ挑戦状などを書いたと思う?」

余裕のある、頬を吊り上げた笑み。
それに気付いて八兵衛の額にある心眼はその意図を察する。

『…………まさか、八兵衛殿を誘き寄せる罠?とすると、パワーアップしているのかッ!!』

「ほぉ……?使い魔の類か?正解だ、今夜俺は地上最速を証明するついでに八兵衛、貴様を倒すッ!!」

叫ぶと同時に、九兵衛の体が僅かな燐光を発した。
超加速。
韋駄天族に伝わる時間軸を遅らせる秘術で、本来エネルギー消費が激しすぎる物だ。
神経や肉体の全てを強化し、時間を需要する感覚全てを時間軸に対して早くしすぎる事によって突入するのが通常の方法なのだ、当然と言えよう。
だが鬼と化し韋駄天としての全てを捨ててまで早さを得ようとした九兵衛は、全く別の観点からその術を発動させる極意を身に着けていた。

「はぁぁあぁああぁッ!!」

直後、八兵衛の後ろから迸る九兵衛の咆哮。
寸前まで新幹線と並走していた九兵衛を視認していた八兵衛は一瞬驚きで硬直し、その隙を狙って九兵衛の拳が八兵衛の腹へと吸い込まれる――。

その寸前、心眼から一条の光が迸った。

「ちぃッ!!」

舌打ちと共に後方へ跳躍、九兵衛は距離を取りつつ四つの眼球で八兵衛の額にある心眼を睨みつけた。

「かたじけない、心眼殿!!」

『うむ。八兵衛殿、今のはまさか韋駄天の秘術、超加速では……?』

「はい、ですがあれはエネルギー消費が大きすぎて、使えば立ち上がる力も残らぬはずだのに……!!」

心眼の言葉に苦々しげに頷く八兵衛へと、九兵衛が嘲笑の笑みを見せた。

「そうでもないさ!俺は既に超加速の極意を得たッ!!かつて大戦時に居た竜神と比べても遜色の無い、真の超加速のなッ!!」

咆哮と共に再び九兵衛の体を燐光が包み、消え去った。
八兵衛が目を見開くと同時に、その背へと一瞬姿の見えた九兵衛の肘が打ち込まる。
悲鳴に似た吐気の音と共に振り返ろうとする八兵衛の腹を、次ぐ九兵衛の蹴りが襲った。

「がひゅッ!?」

腹を押さえて蹲ろうとする顔面へと次いで正拳が迫るが――。

『八兵衛殿ッ!!』

心眼から発射された霊波光線の威力に負けて吹っ飛ばされた。
同時に解けた集中の為通常の時間軸へとその身を戻し、姿を現す九兵衛。
再び集中に入る前にと焦燥を隠そうともせず心眼は口を開いた。

『八兵衛殿、このままでは奴に勝てぬぞ!?如何するッ!?』

「くっ……。私も超加速を使えますが、一度のみ。恐らくは既に私より早い奴を相手するのです、ただ使うだけでは……!!」

言われて心眼は思考を開始する。
八兵衛が単に超加速をした所で勝機は無い。
たとえ九兵衛の精神を乱した直後に使うとしても、そもそも九兵衛の精神を乱すのに心眼が霊力を使っては上手く超加速が出来ない。
心眼は生みの親である小竜姫から超加速の極意を受け継いでいるが、主である横島が体の支配権を握っていないと上手く霊力をコントロールできず、また横島には超加速を発現させる霊力は無い。
八方塞の現状に舌打ちを打ち、同時に心眼は気付いた。

『ッ!?八兵衛殿、九兵衛が再び超加速に入ったぞ!!』

「何ッ!?」

驚愕の声を上げる八兵衛だが、既にその瞬間九兵衛は八兵衛の後ろを取り掌に霊力を集中させていた。

(終わりだ、八兵衛――ッ!!)

内心で咆哮すると共に九兵衛は八兵衛へと必殺の霊波を放とうとして――。

「せーのっ!!」

階下で上の不穏な空気を感じ取り、八兵衛の背後の下で待ち構えていた美神の神通棍を尻に突き刺された。


「あんぎゃあぁぁあぁぁぁあぁあぁあ!!!」


人型の存在としてちょっと可愛そうすぎる光景に八兵衛も心眼も冷や汗を浮かべるが、しかし美神の攻撃はそれで終らなかった。

「霊波放射!!」

美神の神通棍に込められた凄まじい発光を伴ってた霊力が一気に先端から迸る。
直後神通棍の先端、要するに九兵衛の尻の穴の奥で放電に似た現象が起こった。

「のおぉぉおおぉお〜〜!!!そこダメ――ッ!!!!」

なんだか哀れすぎて手を出せない二人を尻目に、更に神通棍をグリグリし始める美神。

「あぁぁぁああああぁあッ!?」

眼球が四つとも飛び出そうになる九兵衛に全く容赦をせず、美神は霊波を照射し続ける。
だがしかし、最初に神通棍に込められていた霊力を一気に解き放った事もあって、徐々に九兵衛の腸内という聞いただけでむず痒くなる場所での放電に似た現象は弱まっていた。
それに加え新幹線内で「あー汚い、この神通棍はあとで処分ね」とか余裕っぽく呟いている美神に対し、九兵衛は怒りを抱いていた。
精神を乱すのを越えて、逆に集中してしまうぐらいの怒りをだ。

「な、なめやがってぇえぇえぇ!!」

咆哮と共に電撃とは違う燐光が九兵衛を包んだ。
瞬時にそれが超加速の前兆である事を理解する八兵衛だが、理解したその瞬間には既に新幹線の窓ガラスが宙を待う。

「美神殿ッ!!」

「えっ、あれっ!?」

次の瞬間、九兵衛は下劣な笑みを浮かべながら美神を人質に立っていた。



*



「……ヒャクメ?」

小竜姫が疑問詞と共に小さな声を吐き出すと、ヒャクメはビクッ、と飛び上がった。
なんだそりゃ、と顔で言いつつ怪訝な視線を向けると、顔を冷や汗で一杯にしながらヒャクメは後退りを始める。
トランクを後ろ手に隠しているのを見て、また覗き見か、と小竜姫は僅かに嘆息した。

横島が帰って数日、間の悪い事に小竜姫がヒャクメへと帰ってきて欲しいと願った丁度二日後にヒャクメは妙神山に遊びに来た。
全く持って役に立たない上間が悪すぎるヒャクメに、小竜姫は少し狙っているんじゃないかと邪推したくなりつつも溜息をついた物だった。
一応ヒャクメ曰く一週間ほどは暇との事で、現在妙神山に滞在している所である。

「はぁ……。別にトランクを取り上げたりはしませんよ」

「な、何で私がトランクを取り上げられると思ってると分かるのねッ!?ま、まさかエスパーッ!?」

「…………」

小竜姫は何かを諦めたような表情になり、先ほどのヒャクメの行動を頭に思い描く。
それを覗いていたのか、みるみるヒャクメの顔が色を無くし、ぶるぶると小刻みに震え始めた。
冷や汗が首筋から溢れ、背筋を冷たいものが這う。

「わ、私ってそんなに分かりやすい行動してたのねッ!?嘘、嘘でしょ小竜姫ッ!!こ、こんな横島さんみたいな行動してたなんて……。嘘だと言って……ッ!!」

「…………」

凄絶なまでの意志と悪辣すぎる悲劇に挟まれた哀れな生贄の涙が、ヒャクメの両目からあふれ出た。
頬を伝う悲痛さの証が絶望に青みを増した唇へと辿り着き、僅かな塩味がヒャクメの味覚を刺激する。
それはヒャクメの内面に起こった滂沱と嗚咽の塊のような、喉の奥にまで染みるような辛さを含んだ味であった。

数秒。
真新しい畳の臭いを運ぶ風が吹き去り、漆色に塗られたちゃぶ台の上の茶を波立てた。
沈黙の空間にただ風音と小鳥の囀りが響き渡る。
柔らかに響く鳴き声が清涼な空間に響き、引き締まる程度の空気の冷たさを僅かに暖めた。

「…………満足ですか?」

小竜姫が呟くのに、ヒャクメはぽつりと真顔で答えた。

「わりと、なのねー」

小竜姫は咳払いをすると共に顔に表情を戻す。
ヒャクメは僅かに残念そうに、と言うかむしろ露骨に顔を歪めた。
まるで魂を奪われたかのような悲痛な表情であったが、小竜姫は気にする素振りも無く続ける。

「そういえば、今横島さんの様子を見れますか?」

「へ?できるけど……。唐巣さんトコに預けたんでしょ?なら心配しなくても大丈夫だと思うけど……」

疑問詞を吐きながらもヒャクメはトランクを取り出し、弄り始め――。

直後、固まった。

ヒャクメの顔が、みるみると青へ、そして青を通り越して黒へと変化を始めた。
あまりの恐怖に体中から脂汗が染み出し、ブルブルと体の根幹から湧いてくる恐怖に震える。
がちがちと震える歯が響き、青黒く染まった唇からは底冷えの吐息が溢れた。

「う、嘘……よ、横島さんが……」

「ひゃ、ヒャクメっ!?」

悲鳴を上げ、小竜姫は震えるヒャクメへと近づき――、同時に気付く。
ヒャクメは気安いように見えてその実凄まじく気難しい少女だ。
笑顔は簡単に見せるが泣き顔や甘えを見せることは滅多に無く、親友である小竜姫にですら中々見せる事は無い。

そのヒャクメが、横島忠夫に対して親しげにしていたと言う事。

今のはまさに、それこそ数少ない親しい者が危機に瀕したような仕草では無かったか?
弱みを故意以外では滅多に見せないヒャクメの、本当の恐怖では無かったか?
そんな思いが小竜姫の脳裏を走り、支配した。

どくんと、小竜姫の心臓が脈動する。

横島は酷く奇異な弟子であった。
酷く愚かで馬鹿で阿呆で間抜けで不真面目で、しかも覚えが悪くて真剣になったらなったで駄目な道に進みそうで……。

そこまで思考して、一端小竜姫は思考を振り払った。
今のは無かった、無かったのだと自身に信じ込ませて思考を再び開始する。

そう、そんな不出来な弟子であったが、同時に酷く不思議な弟子でもあった。
ヒャクメも小竜姫も別段暗い性格では無いが、それでも一日を過ごせばほの暗い考えを抱く事とてある。
それは小さなものでも良い。
僅かな不満、苛立ち、苦痛、そんな物は絶対にどこかに存在するし、それは必ず自分の内側にあり何かを蝕んでいる。

だが横島と居ると、不思議とそんな小さな暗さなど吹き飛んでしまうのだ。
気を抜けばすぐにふざけ始め、例え気を抜かなくても非常識な行動に思いっきり気を抜かされてしまう。
横島が妙神山から降りて数日、不思議と小竜姫は毎日が気の抜けたような物のように感じられた。
恐らくはその、酷く濃い密度の時間との差異によって。

「ヒャクメ、どうしたのですッ!?」

嫌な予感を振り払おうと、小竜姫は叫び声を上げた。
次いでヒャクメの肩を捕まえて前後に振り、意識をしっかりとさせる。
僅かに焦点の合わない目をしていたヒャクメは、ようやく震えを止めて口を開いた。


「よ、横島さんが美神さんの弟子になってるのね――――ッ!!」


「……ってやっぱそれですかッ!!」

「小竜姫、ちょま、冗談きゃぁあぁぁあぁッ!?」

結局思いっきり振り下ろされた神剣にお陰でヒャクメは気絶し、横島の様子を見れるのはもう少し後になったのだそうだ。
蛇足だが、ヒャクメが役立たずと言われるようになったのもこの頃からだとか。



*



冷や汗に塗れたまま心眼は硬直していた。
こちらは霊力九割と言った所の八兵衛に肉体を尤も上手く使える横島、そして超加速の使い方の分かる心眼の三人。
大して相手は美神を人質に取った上超加速の極意を掴み、更に素の能力で八兵衛を上回る九兵衛が一人。
一見すれば有利にも見えるが、しかし超加速と言う特異な能力と肉体の有無により数の有利は存在しないに等しい。

『心眼殿、如何する?横島君の体から出て新幹線の中を通り、不意を突くのは……』

『いや、例え美神殿と横島の霊力を受け取った所でギリギリ奴と同程度のスピードだ……。そうだ、八兵衛殿。神通力をできるだけ横島の中に入れてくれぬか?』

表情をピクリとも動かさずに脳内で会話を続ける八兵衛。
相手である九兵衛が一人自慢を続けているのを見て、八兵衛は首肯のイメージを心眼へと伝えた。

『横島君にかけるのか……。我ながら不甲斐ないが、頼んだぞ横島君、心眼殿ッ!!』

『うむ、任されよ。ほれ、起きろ』

言って心眼が横島の精神を揺すると同時に、横島を強い高揚感が襲った。
体中が引き上げられるような空気抵抗に似た感覚を受け、ようやくの事横島が意識を取り戻す。
同時に体の支配権が横島へと移り、八兵衛が横島の内側へと眠り込む事となった。

『うぇっ、ここは……?って、まだ勝負ついてなかったのかっ』

『うむ。八兵衛殿、これから横島の中にある神通力を使って超加速をする。神通力が減り始めたのを感じたら、すぐに横島へと神通力を補給してやってくれ』

『――成る程、先の治療時の要領で横島君へと神通力を流すのですね?やってみましょうっ!!』

横島に答えつつ八兵衛へと指示し、心眼は僅かに目を細めた。
嘆息に似た何かを吐き出し、視線を鋭く九兵衛へとやる。
単純に悔しかったのだ。
八兵衛の言を完全に信じ込み、予告状が届いた時点で罠の可能性を考えなかった事。
九兵衛の力を目前に見据えて尚見誤る、心眼の名に恥ずべき失態。

そして何より、横島をこれから危険に晒してしまう事が。

正直言えば、心眼は浮かれていた。
本来ならば歩行器として戦闘中にその眼球を開き、そしてその持ち主が一歩だけでも歩めれば役目を終える筈だったのだ。
だのに心眼の主は既に最初の一歩を踏み出しており、その歩む道を外さぬよう、力への魅力に魅入られぬようと言う長い役目を負う事となった。

その事実は単純に心眼の心を晴れさせた。
本来精々が数週間であるはずの役目を終えるまでの期間が延ばされ、横島の命尽きるその時まで半永久的に生きる事が出来るようになったのだ。
小竜姫の中で生まれて与えられるまでの間に既に死ぬ覚悟を決めていた心眼には、その事実は強く心を打つ物であった。

夜景の中、美神を捕まえた九兵衛は酷く小さく見える。
星々の輝き始める世界に立つ鬼は、しかし台詞の所為か場に相応しい威圧は無い。
それを見て心眼の中で何か熱い物が生まれた。

(こんな小物に、ワレの主が負けるはずがあるか――!)

経験の少なさに起因する幼さと、思考の老齢さに起因する誇りとが混ざり合った思考。
そんな物を持ちつつ心眼は叫ぶように言った。

『行くぞ、横島!指示はワレがする!!』

『応、頼むぞッ!!』



*



光が駆けた。
相手の台詞の途中で超加速に入った横島はすぐさま九兵衛へと突進、美神を取り戻してとりあえず後ろへと放る。
背後で受身を取ろうとする気配を感じて安堵の吐息を吐き、次いで拳を九兵衛の腹へと突き出した。
とは言え単純な一撃、寸前で超加速に入った九兵衛は易々と避けて追撃に入る。

『良し、爪先だッ!!』

が、爪先を踏んだ横島に踏み込みを殺され、威力の無い一撃を横島に掴まれた。
そのまま捻って関節技に持ち込もうとする横島だが、すぐさま振りほどかれる。
次いで九兵衛の拳に朱の燐光が集まった。

『避けろ、光線系の技だ!!次いで相手の隙を作れ!!』

「ずぇやぁっ!!」

瞬時に伏せた横島の頭上を、朱の線分と化した熱線が通り過ぎる。
後方で近くの街灯が破壊されるのを感覚しつつ、横島はカサカサと効果音を立てつつ動き始めた。

「ふっ、横島流ゴキブリの舞いッ!!」

「『って、なんだその動きはッ!?』」

ゴキブリのような動きに思わず心眼と九兵衛との両方が突っ込んでしまう。
思いっきり片手を突き出し手の甲をカクンと動かす完璧なポーズ。
げ、芸術的だ……などと額から声がするのを全力で無視し、その隙に横島は飛び上がりつつ蹴り上げた。

「ぐはっ!?」

『避けろ、左だッ!』

顎を蹴られて体制を崩しつつも、再度九兵衛は掌に朱の燐光を集める。
声と同時に横島は飛びのき、朱の線分は寸前まで横島が居た空間を貫いていった。

『……し、指示したのはワレだが、なんだかなー。女性ファンが減りそうだ。……ソーサーで距離を詰めろ』

「黙れい、折角気付かなかった事にしておこうと思ったのに……!!」

軽口を叩きながら横島は両手を掴んですぐさま開き、生まれたサイキックソーサーを投擲。
体制を立て直そうとする九兵衛を二枚の回転する円盤が襲うが、一枚は熱線で撃墜され、もう一枚は避けられてしまう。
だがそれは接近の為の布石。

「――ふッ!!」

吐息と共に横島の踏み込みが新幹線の屋根へ蜘蛛の巣のような罅割れを作り出す。
脚から伝わった衝撃が膝、腰、肩、肘を取って横島への拳と集まり、更にその拳の先に破裂寸前の風船を思わせる強い光を放つサイキックソーサーが現れた。
サイキックソーサーで崩した九兵衛の体勢に超加速、小竜姫仕込みの俄体術に全身全霊を込めた拳のサイキックソーサー。
それら全ての要因が横島の拳へと集い、無防備な九兵衛の腹へと炸裂するッ!


――ズドォォオオォン、と夜の町中に響き渡るかのような低音が響いた。


「あ――がぁあぁッ!?」

メリメリメリ、と音を響かせつつ目玉が飛び出そうになる九兵衛。
その口元から泡に似た何かが溢れているのを見て勝利を確信し、横島は口元を僅かにゆがめた。
しかしその手が握りこぶしを作ったのを見た心眼が悲鳴をあげる。

『っく、まだ終っとらん、気を抜くなッ!!』

絶叫の直後に光が走り、横島の頬を焼いた。
高速で横島の肩を九兵衛の両腕が掴み取りついでに爪で貫通して縫いつけ、次ぐ咆哮が九兵衛の口から迸る。
焦燥を浮かべ即座に剥がそうとした横島だが種族差から来る膂力の差に完敗し、額の心眼の霊波光線で焼ききろうと額を九兵衛の腕へとやった。

「許さぁああぁぁあんッ!!俺より遅い奴に俺が負けるなど、許さぁぁあぁぁあんッ!!」

「ぐっぉおっ!?」

――が、すぐさま肩へと爪を食い込まされ傷みに体を逸らす。
更に先の光線に貫かれた頬の火傷が広がりジクジクと傷み、肩を貫く鮮血のような何かが横島を下した。
その隙に九兵衛の片腕が引き戻され横島の首を掴み上げて額の心眼を逸らし、血走った目で横島を睨みつける。

九兵衛の内側は、激情に支配されていた。

元々九兵衛は韋駄天の中でも低い身分の生まれである若者だ。
故にまだ経験を積み修練を続けているはずである彼だが、生まれ持った身分への強い劣等感に触発された凄まじい量の努力が実となり、一人前の韋駄天と認められる事になった。
そのような経緯を辿った故だろうか、九兵衛は早さに拘るようになる。
地上へと降りたのも早さだけでは評価のされない天界からの逃避であり、また鬼へと戻る事による早さへの渇望でもあった。

だが、今九兵衛は人間に負けようとしている。

その事実を認識した九兵衛を襲ったのは、身を焼き尽くすような激情であった。
例え早さを全てを思わぬとは言え同じ神族である八兵衛でも無く、また神族としての階位が上であり武神として超加速の極意を持つ小竜姫の欠片でも無く、相手はただの人間。
神族を敵に回してまで手に入れた早さが目前の人間に劣っていると言う現実への激情は、九兵衛の中にある全てを吹き飛ばす程の強さを持っていた。

「貴様に、貴様如きにッ!!」

血を吐くような叫びに、横島の内心で眉を潜める八兵衛。
八兵衛の溜息に似た何かが搾り出された。
額にある心眼はそれに悔しげな物を感じて僅かに眉を潜める。
状況は最悪。
片方の肩を貫かれた上に片方は固定され、更に首を掴まれ心眼の霊波光線も防いでいる。
肩に力が入らない以上拳でダメージを与えるのも難しく、動けない以上間合いを取りサイキックソーサーを使うことも出来ない。
手詰まりだった。
余りに酷い状況に、心眼は怨嗟の声にか諦念の声にか似た何かを搾り出す。
完全にあらゆる動きを封じられた今、それは酷く寂しげに響いた。

『横島、すま……』


「ふっ、甘いッ!!」


――だが、一人諦めの声をあげない男が居た。
瞳は朱の炎に包まれ、口は不敵に微笑みの形を作っている。
相貌は勝利への活力に塗れ、全身から強大な霊力が漂っていた。

「こんな時の為、俺が考えておいた必殺技を喰らいやがれ――ッ!!」

「なっ、必殺技だとッ!?」

驚愕の声をあげながらも首を掴む手を離さず、九兵衛はすぐさま全身の防御に霊力を回す。
同時に横島の全身から霊力があふれ出し、神の如く凄まじい圧力が場を支配した。

「行くぜぇえぇぇえぇぇッ!!」





(ああっ、良かった横島君、勝ったのね!その……好きなのよ、横島君、あなたがっ!もっとも、とてもそーは見えなかったでしょうがっ!!)

(み、美神さん……)





(もう、バカバカバカー!!横島君が危ないと思って、私、怖かったんだからー!!)

(はっはっは、おバカさんだなー!)





「煩・悩・全・開ッ!!!」


「『『ってアホかお前はぁあぁぁあぁあぁッ!!!』』」

全力で突っ込む九兵衛に横島の内心の八兵衛、額の心眼だったが、直後気付く。

『って、コマが変わった間に抜け出してるッ!?』

気付けば手中に横島は居らず、ようやく終わりの見えてきた加速空間の中九兵衛の目前で構えている。
一体何時の間にかと唖然とする九兵衛へと、すぐさま横島のサイキックソーサー付きの拳が襲い掛かった。

「でやぁぁぁああぁあッ!!」

拳は一直線に九兵衛の腹へと突き刺さり、次いでサイキックソーサーが明滅を始める。
次いで、爆音。
通常の霊力に加えて超加速の速度と煩悩全開で増幅された超霊力、更に心眼の補助が加わり超圧縮を施されたサイキックソーサーは、ついに神族の一撃とほぼ同等の能力をも秘めて爆発したのだ。
直撃に巻き込まれた九兵衛は、アフロになりつつ黒コゲになりバタリと倒れた。

「バカな……俺より早い奴など、居るはずが…………」

地獄の底から響くような声かと思えば、諦念に似た声であった事に横島は疑問詞を顔に貼り付ける。
先ほど早さに拘っていた彼が急激にしおらしい言葉を口にするようになったのが、不思議で仕方が無かったのであった。
ちょっと聞いてみようかと思う横島であったが、急激に両脇の光景の駆け抜ける速度が増えたのに驚き疑問を失念した。

「うわっ!?し、心眼、超加速っつーのを解くんなら先に言っとけよッ!」

驚愕の声を上げる横島だが、心眼が何やら口に出そうとする前にピクリと表情を変化させる。
急に抜き身の剣のような硬質の光を宿した瞳に、心眼は思わず口をつぐんだ。
先ほど九兵衛と戦っていた時などより何倍も硬質な何かが、横島の瞳に潜んでいたからである。

『横島……?』

小声で呟く心眼は、ついにお前は本当に横島なのかと聞く事が出来なかった。
硬質なそれはあまりに鋭く堅く強固であると共に、言ってしまえばそれより堅い物で殴りつければ折れてしまいそうに思える物であったからである。
たったの数日であり、しかも初日は浮かれてちょっとテンションが飛んでいた心眼であったが、初めて見る硬質な横島の表情はまるで別人だという感想を抱かせていた。

そう言えば、と心眼は僅かに思う。
小竜姫が僅かに仄めかす程度にしか言っていなかったが、横島には不安定な部分があるのだと言う。
潜在期間の間に見ていた横島が小竜姫にセクハラするわピートに向かって怨嗟の声を上げるわでスッカリ忘れていたのだが、成る程確かにこの表情は不安定だ。
これがその部分なのかと思うと納得すると同時に、知っている人物が遠く離れてしまったように思えて心眼は僅かに瞳を下へやった。
だが。

「美神さん、大丈夫っすかっ!?」

叫び美神へと視線をやる横島を見て、心眼はようやくの事瞼から力を抜いた。
美神の無事を確認すると同時に緊張の抜け切った顔になり、ダイブしてしばき倒され……、そんな何時も通りの光景を微笑ましげに見つめつつ、そしてはたと心眼は気付く。

『あ゙。……よ、横島』

「んあ?どーしたよ」

『その、言い難いのだが……』

珍しく言いよどむ心眼の声は、しかし暗い重いと言うよりは単に気まずいと言う物だ。
故に特に深い心配をする事なく怪訝そうに聞き返す横島だが、その顔は次の瞬間思いっきり引きつった。

『そろそろ、神通力を人間の肉体で使った反動が、な?』

「…………え゙」

石化した横島から目を逸らすように、心眼はちょっと斜め上の方へと視線を逸らしつつ続ける。

『丁度、両腕両足をパキポキと骨折した上に肋骨にヒビが入り、ちょっと苦しくてうずくまった所に小錦がドスンと乗ってきた感じだろーか』

心眼が言葉を続けるにつれ、横島の顔が青く引きつり始めた。
想像する。
一度だけ経験のある四肢の骨折の痛みを四倍にし、更に肋骨骨折と小錦がドスンと乗る傷み。
冗談では無いそれに思いっきり涙ぐみながら、横島は心眼へ抗議を始めた。

「い、いやじゃあぁぁぁあぁぁあッ!!おい心眼、何で先に言わんかったんやぁッ!!」

『し、仕方なかろう!あそこで超加速を使っておらんかったら負けてただろーが!そ、その、相談しなかったのは謝るが……。その、すまな』

「あぁぁぁぁあぁ!!痛いの嫌――っ!!おうち帰る――ッ!!」

『聞けいアホッ!!』



*



等と。
ドタバタと騒いでいるうちに横島の中から八兵衛が出て行ったり、美神が騒いでいる横島を思わずしばいてしまい、心眼が横島が結構危険な状態である事を伝え美神が流石にバツの悪い顔をしたりと珍事は続き、次の停車駅で横島たち一行は駅のホームへと降り立った。

『素晴らしい光景だな……』

呟く心眼の瞳は、視界一杯に広がる夜空へと向けられていた。
それこそ宝石箱を散りばめたと言うに相応しい夜空であった。
色とりどりに輝く星が闇の色紙の上へとぶちまけられており、その一つ一つの輝きが瞳の水分に反射し十字を形作る。
知識として心眼は夜空を知っていたが、しかし実際に見るそれは身が沸き立つ程に新鮮な物であった。

「手、手ェ痛い……!!脚痛い……!!小錦が、小錦がぁ……ッ!!」

故にちょっとゴロゴロ動く土台に文句を言いたくなったものの、主を見下ろして見てその微笑ましくもあり逞しくもある姿に微笑み、止めた。
涙をドバドバと流しながら口を痙攣させている姿はお世辞にも格好よい姿とは言えない。
だがその彼こそが九兵衛に捕まり絶体絶命かと思った時、目茶目茶格好悪い方法であったとは言えど一人諦めずに抜け出したのだ。

(ワレも、お主に学ぶ事が沢山ありそうだな……)

今心眼は断言できる。
横島は弱いし根性が無いし格好悪いが、しかし同時に言葉で言い表せない何かを持っているのだと。
それはきっと心眼の持っていない物であり、心眼が何処かで横島を尊敬しうるに値するものなのだと。
だからこそ心眼は横島へと、多分痛みの所為でマトモに聞き取れないだろうがと思いつつ言った。


『凄かったぞ、横島』


「んあ?今何……あぎゃあぁああぁっ!痛い、痛いのよっ!?」

首を傾げようとした横島がまた号泣しているのに肩の力を抜きつつ、心眼は再び夜空へと意識をやった。
今度は光景では無く、先ほど九兵衛を背負って去っていった八兵衛を思ってのことである。
九兵衛は早さの為に全てを捨て一人になる事で仲間達を越えたが、しかし一人になる事で横島たち三人に負ける事となった。
恐らく九兵衛には愚かであり若さ故でもあろう、力こそが全てであると言う事に似た単純な夢想に取り付かれていただけだ。
故に何らかの信念を持った訳でも無いのだろうし、故に全てを捨てたのでは無く逃避でしか無かったのかもしれない。
されどどちらにせよ、それは皮肉な事だと心眼は思った。


力を追い求める事によって負けるなどとは、皮肉な事だ、と。


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