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幾千の夜を越えて

バンダナ師匠と掠れた光 前


投稿者名:日野 隆
投稿日時:06/ 4/ 8

部屋は薄暗く、生活臭はあるものの家具などが異様に少なかった。
中心に倒れている横島は脱水症状が進行しまくったのか白い灰と化しており、部屋中にはGジャンにGパンなどのいつもの服装、そして学生服の二着がバラまかれている。
それ以外には食器と布団、学生鞄ぐらいしか私物の存在しない、酷く寂しい部屋であった。

「てゆーか、あの女、○○○まで売りやがって……。しかもマージンまでとりやがって……」

灰が喋った。
どうでもいいが、○○○とは要するに大人の雑誌やビデオである。
それでもある程度は死守しているのが横島の凄い所だろうか。

「うぅ……おキヌちゃんが飯食わせてくれなかったら……。とっくのとうに死んでたかも……」

物理的に不可能なのだが、どうやって喋っているのか不思議な横島であるが、その折角搾り出した声にも答える者は居ない。

事は美神が横島のアパートを視察しに来た時に起こった。
住んでいる場所によってそこを支配している気が違い、霊能力者である以上それに適した気の中に住んでいた方が良い。
そんな事を言って来た美神は、部屋に入るなり右へ回れをして外に出て、携帯を取り出しどこぞへと電話をかけた。
そして十数分後にはリサイクル業者がかけつけ横島の部屋から色々な私物を持ち去り、代わりに代金を美神へ渡していった訳である。
挙句の果てに、美神は簀巻きにされたまま血の涙を流している横島へとうち三割を渡したのであった。
要するに仲介料七割と言う凄まじさである。

「そりゃ、自主トレしてなけりゃ生きてたかもしれないけど……」

ボヤきつつ、灰はどうやったのか不明であるものの溜息をついた。
横島忠夫の日課である自主トレーニング、小竜姫の助言と横島自身の経験に裏打ちされたスケジュールのそれをこなさなければ、あるいは横島はまだ生きていたかもしれない。
かなり過酷であるそれは、思いっきり水分とカロリーを消費するのだ。
故に主食がインスタントの麺、しかもどうにか一日一食しか食えない為、横島はかなりの空腹に襲われていた。
無論、事務所に行くたびに食事を死ぬほど腹につめているため、実は単に横島が大食漢であると言うだけなのだが。

「あぁ……死ぬ前に一度だけ、女の子とヤッてみたかった……!」

叫び、灰は朦朧とする意識に言葉を口にする事すら出来なくなった。
視界すらもぼやけ、焦点が合わず、チカチカと光点の足が長くなる。
腹の虫は既に鳴き止み、五感は半ばまでに消え去っていた。
だが、そんな横島の視界におかしなものが混じった。

(あ……れ……?赤と白……と、黒……?)

朦朧とする意識でそれを思い浮かべ、どうにかその正体を見破ろうとする。
魂が、叫ぶのだ。
これを見ろ。
これを視認しろ。
これを認識し、思考を始めろ、と。
横島の全身全霊全存在が発起、残り全能力を駆使してその姿を見やる。

(これは……!!)

次の瞬間、横島の魂が燃え盛った。
白き灰と化していた横島に急激に色が戻り、瞳の奥に凄絶なまでの意志が宿る。
猛禽類の獰猛な意志を秘めた、緋色の怒りを込めた瞳孔。
絶望的なまでの何かを色重ねた黒瞳。

消え去りそうな意識は口内を噛み切って無理矢理覚醒させる。
動きそうにない四肢は霊力を込めてどうにか操る。
掠れた五感は僅かに身じろぎして全身を刺激させ感覚を、口内の血で味覚と嗅覚を蘇らせ。

そして。横島は――。


「生まれる前から愛してましたぁぁぁああぁぁあぁあ――ッ!!」


瞬間移動して、告白した。

「……ほえ?」

「……あれ?おキヌちゃん?」

朝食を作りに来たおキヌと言う、女神そのものである存在へと。



――幾千の夜を越えて
五話『バンダナ師匠と掠れた光 前』



「中々上手くいっているみたいね」

おキヌの報告に、美神は満足げに頷きながら言った。
それからコップの中にある乳白色の液体を口に含み、飲みながらおキヌへと目をやる。
疑問詞満載の視線と鉢合わせになり、美神は僅かに微笑みながらコップをテーブルの上へと戻した。

「ああ、横島君を異様に貧乏にさせているのは、ちょっとした修行の一環なのよ」

「ほえ?そうなんですかー」

「ええ。まず、横島君の家って最初どんな感じだったかしら?」

感心を露にするおキヌに気をよくしたのか、美神は次に口に含んだパンを飲み込むと同時に喋り出す。
それにおキヌは真剣に考え出し、美神と共に行った《掃除》される前の横島の家を想像した。
なんだか無性に貧乏臭く、湿っていて、しかも雑多としている、兎に角汚い部屋がおキヌの脳裏に思い浮かぶ。

「えーと、一言で言えば汚い部屋って感じですよねー?」

「そう。汚い、湿っている、貧乏臭い、顔がアホっぽい。全部陰気、それもショッボイ陰気に属する物よ。横島君は霊力源を煩悩としているみたいだから陰気があるのは悪くないんだけど、あそこは殆ど腐海化してたからね。もう少し陰陽のバランスを取る必要があったのよ」

言って美神はフォークに刺したベーコンを口へと運ぶ。
どうでもいいが、当たり前だけれど顔がアホっぽいのは関係無かったりするのだが。
兎も角美神の言う《掃除》以前の横島の部屋にあったのは、当たり前だが大量生産の上相当適当に手入れされてきた家具達だ。
霊能の観点で良い物と言うのは陰陽どちらにしろ強力な念が宿っている物であり、横島の大人グッズは兎も角他は殆ど霊能的な価値は無い。
されど霊能の観点で良いとされる物は異様に高い為、流石にその程度の金額では何も買えない。
故に美神は貧乏作戦に出る事となったのだ。
別にどんな小銭でもがめておきたかった事から後付けで考え付いたのではなく、これは仕方ない事なのだそうで。

「へー、そうなんですかー。……あれ?でも、横島さんが御飯食べれないのはどういう事なんですか?」

「横島君のこれまでの食生活を聞くと、陰気に属する物しか食べていなかったっぽいわ。お金あげてもどうせエロ本につぎ込むだろうから、とりあえず摂取の方を遮断したの。そのうち自浄作用で傾きすぎのバランスが改善されるでしょうね。ただ生きるだけなら別に構わないけど、霊能者としてなら精々七対三ぐらいまでに抑えないと反対属性に対抗しにくい上、横島君の霊能力自体はエミとかと違って無属性だし」

得意げに言った美神は再び牛乳の入ったコップを手に取り、一口飲んでからトーストにかぶりついた。
蛇足だが、陽気で相殺しようとするとむしろ空白地帯への侵食が起きて危ない故、一端溜まった陰気を、それもゆっくりと取り出そうとしているのだそうだとか。
部屋を何も無くしただけで浄化を自浄作用に任せているのも同じ理屈である。
それを見やりながら、これってただの嫌がらせなんじゃないかな?と思っていたおキヌは感嘆の声をあげる。

「凄いですね……なんか」

羨望に似た情動であった。
おキヌは無力だ。
幽霊として三〇〇年の長き時を生きても、何も出来ない、何も知らない。
これまで美神の凄まじすぎるまでの霊能力を目前にしても、そこに美神を諌めると言う精神的な物があった為におキヌにはまだできる事があった。
だが、美神がそこまでして横島を気にかけていると言う光景がおキヌに僅かな影を落とした。

おキヌは元々自己犠牲的な人間であった。
生きていた時も他者が笑顔で居ない事が何よりも辛く、できるだけ近所の子供達の相手をしてやっている事が多かった。
親友であった姫である重圧に耐えかねていた女華姫のそれも、引き受けれるだけは引き受けようとしてみせた。
それは果たして、かつて家族を失った事に起因する何かがそうさせたのだろうか。
霞がかった記憶も抽象的な意味だけはおキヌに理解できたし、だからこそ今一層心に影を落としていた。
無力だから何かをしなければならないと言う、理由の無い切迫感に追われた自己犠牲心によって、だ。

それはある意味自己への慢心と繋がる孤独な考えであり、故に目前の光景におキヌは僅かな寂しさを覚えていた。
何となく、美神が新しく弟子となった横島を気にかけている光景に、自分が入れないような気がしたのだ。
独りで過ごした三百年間を思い出し、おキヌは僅かに身震いする。

冷たく身の凍るような年月だった。
幾度も後悔の念を抱く?そんな事すらも無かった。
誰かとの触れ合いの無さにより死んだ瞬間のまま全てが凍りつき、独りで居る寂しさに疑問すら覚える事が出来なかった。
ただ漠然と寂しさに似た何かを感じ続けるだけで、他に何も感じず。
そんな事を考えている折、ドアを乱暴に開ける音と明るい声とがおキヌへと届いた。

「おっはよーございまーっすッ!!」

「あ、おはよーございます」

よく言えば朗らか、悪く言うと馬鹿っぽい声におキヌは僅かに微笑んだ声を上げた。
それが聞こえたのだろうか、横島はにっこりと活発な笑顔を浮かべ――。

「そして美神さんはおはようのチューをッ!!」

軽い跳躍。
タコのように唇を突き出しながら背の低い曲線を描き突進し、更に中途にある床を蹴りつけて軌道変換。
回り込むように動きつつ再度跳躍し、さながら伝説のルパンダイブのように突っ込んでゆく横島。

「くぉら横島ぁッ!!」

だが、相手は世界一と豪語するGS美神令子である。
唇を避けて身を低くし、唇の代わりとばかりにヒールを突き出す。

がぼきゅ、と言うきゅーとなグロい破壊音が響いた。

膝のバネを一切の躊躇無く完全に使ったそれは横島の口へと鋭く突き刺さり、永久歯とか喉とか、兎に角色々な壊してはならないような気のする物を破壊しつつ横島を硬直させた。
ずる、べちゃん、と床に崩れ落ちる横島の頭を踏みつけ、美神は小声で何事かを呟く。
ついでとばかりに横島の後頭部を蹴っぽり、美神は何事も無かったかのように席へ戻って朝食を片付け始めた。

「はっ。よ、横島さん?大丈夫ですかー?」

と、そこでようやくの事放心から戻ってきたおキヌが言って横島の顔を覗き見た。
一言で言えば何と言うか、もうこれは……。

「うわー、これもう十八禁なグロ画像ですね〜」

と言う感じである。
だがそれに対して何か思う事があるのか、横島はちょっと口に出せないぐらい酷い事になっている再生途中の口を開き、無理矢理に叫んだ。

「げぷぷぺ、ぺぽぽげばば。げぼぱげっぽぎがぎがががんずげでをでじじでびぜるッ!!」
(訳:くっ、だが俺は諦めない。何時かきっと美神さんの全てを手にしてみせるッ!!)

「頑張ってくださいね〜」

何故かそれがどんな言葉か理解できるのだろうか、おキヌが優しく返すと、横島は急激に涙ぐみ始めた。
おキヌちゃんは優しいなぁー、とかそんな事を言っている横島を軽く抱いてやる。
情けないなぁ、ともおキヌは思うが、しかし同時に可愛いと思えなくも無い。
多分顔がこんな事になっていなければ、まぁ可愛いと思えたんだろうなぁ、と思いつつ再生する横島をおキヌは慰める。
何でか繋がっている会話をしつつ横島を撫でてやっているうちに、おキヌは気付いた。
先ほどから巣食っていた暗い心が、余りに馬鹿すぎる誰かのお陰で何処かへ飛んでいってしまっていた事にだ。



*



数時間後。
依頼を待ちながら横島が一人で訓練するのに適当な駄目出しをしまくりながら時間を潰した美神は、コブラを駆り夜の高速道路を疾走していた。

「は、初仕事からなんかハードやなぁ……」

「文句あんなら今ここで降りなさいッ!」

横島の言う通り、初仕事としては破格の難易度の仕事である。
昼間のうちに美神からされた説明によると、ポルシェ五台にフェラーリ八台、更にパトカー三台を破壊した首都高荒らしが相手だと言う。
外見は四ツ目の人型、最高速度は時速二〇〇キロメートルを越える凄まじいものである相手であり、破壊された車などから収集した霊気は鬼に近い聖なる物。
無論人と鬼との間には霊力の種族差が大きく立ちはだかるが、鬼は思考が単純な物が多く方法次第では勝てる相手だ。
そう言う意味では美神の裏技相手にはうってつけであるし、横島に美神のやり方を見せる事でも同じである。

「はははははっ、俺は早い、誰よりも早いのだぁあぁぁあッ!!」

インターチェンジから乗り込んだ美神達三人の前で、首都高荒らしであろう鬼が叫んだ。
予想通りではあるものの、鬼は乗り物に憑依するでも無く生身でただ走っており、しかも人間で言う短距離走の走り方を先ほどからずっと続けている。
想定内ではあるもののかなり強い霊力に顔を歪めつつハンドルをとり、美神は風に負けぬよう大声で叫んだ。

「見つけたわよ、首都高荒らしッ!ポルシェ五台にフェラーリ八台、パトカー三台破壊の罪で逮捕しますッ!!」

何時か言っていたように霊能者にとって重要らしいハッタリをかましながら、美神は好戦的な笑みと共にギアを変え更にスピードを上げる。
対する鬼も邪悪に口を歪め、嘲笑の笑みと共に叫んだ。

「やれるものならやってみな、ドンガメ!!」

「……ッ!!まくるわよ!!」

更に一つ上がるギア。
空気の壁が一段と厚くなり、規則的なエンジンの駆動音が一層大きくなる。

「美神さん、安全運転ねっ!安全運転!!」

流石に感じたことの無い凄まじいスピードに泣きながら叫ぶ横島だが、それに美神はニヤリと好戦的な笑みを返した。
嫌過ぎる予感に顔を青くする横島だが、直後再びガコッという音が響き、更にスピードが上がってゆく。

「安全運転であいつに追いつけるわけないでしょ!!」

「ちょ、うわあぁぁぁあぁあぁぁッ!?お、降りる、降りておうちに帰る――ッ!!」

「七キロ先に結界をしかけてあるわ、そこに追い込むまでの辛抱よッ!!」

思いっきり横島を無視して言う美神だが、その言葉に横島の顔が僅かに真剣味を帯びる。
仕事がらみだから、と言うより結界と言う霊能力の使い方について新鮮に感じた故の落ち着きだ。
内心では先ほどと同じぐらい泣き叫んでいるのだが、小竜姫に何度もボコられた、ではなく修行をつけてもらったのだ。
その分強くならないといけないと言う責任感があるのだろう。

(そして小竜姫様に認められて、数年後には、いや数ヵ月後には――……うけけ、ぐふふ、ぐわははははははははッ!!)

多分。

「――ッ!?美神さん、後ろからも何か来ますッ!!」

突如叫んだおキヌの声に反応し、視線をのみ後ろにやる美神。
釣られて横島も後ろを見ると、そこには光り輝く人型の何かが矢張り凄まじいスピードで走っていた。

「って、首都高荒らしが二匹も居るんッスかッ!?結界の出力、余裕無いとヤバイッスよ!」

「ち、向こうも凄いスピードね……。予想外の大物だから、こちらから結界を強化するわ。ちょっとハンドル頼んだわよッ!!」

「って嘘ぉぉぉおぉ――ッ!!」

いきなり離されたハンドルを横島がどうにか掴み取り、壁へ逸れそうになった車を真っ直ぐに立て直す。
その間に美神は用意してあった呪札を引き出し霊力を集中、結界へと遠隔で構成強化の念を送り結界を一部再構築し始めた。

が、美神は目を瞑って、横島は前にハンドルに集中し、二人が無防備になった、次の瞬間。
いつの間にか並走していた鬼の手が横島の袖を掴んだ。

「横島さんッ!?」

目を見開く横島に、おキヌの声で集中から引き戻された美神。
しかし美神の目など見ている余裕は横島に無く、横島が美神の覚醒を感じる事は不可能。
よってその一瞬、ハンドルを手放し手を振り払う事を横島は躊躇してしまった。
それが、明暗を分ける事となる。

「これでもくらいやがれッ!」

直後、鬼の手が横島を後ろへ放り投げた。

「んぎゃあぁあああぁぁぁああッ!?」

「横島クンッ!?」

咄嗟に美神がハンドルを握りコブラが壁へ追突する事は逃れるも、しかし空中にある横島は地面から逃れる事は出来ない。
よって横島は投げられた軌道のままに吹っ飛び――。

だが、終らない。

(こんなトコで終ってたまっか――ッ!!)

走馬灯か何かなのか、横島の脳裏に小竜姫の言葉が過ぎった。
それは体感時間で一月に渡る修行の内に刻み付けられた言葉の一つ。
サイキックソーサーの使い方についての話であった。

――霊能力は、想像力次第でいかなる形でも力を発揮します。

記憶の中の小竜姫は横島の真似をして作ったサイキックソーサーは瞬時に姿を変えた。
剣のように長細く、また盾のように厚く、またレンズのように丸く。
横島も既に集中すればサイキックソーサーの姿をある程度操る事が出来る。
霊力の密度はまだ大して変えられないが、しかし体積は二倍程度までなら拡大縮小を可能としているのだ。
ならば、今使うべき形は。

(道路に突き立てて減速する為の、美神さんの神通棍のような形の貫く《矛》だ――ッ!!)

横島の精神の叫びに答えて全身の霊力が収束。
横島の脳裏に描かれた棒状の霊気の塊へと変化し、更に横島の霊力を吸ってその輝きを増す。

「っつぁああぁあぁ――ッ!」

右手に現れたそれを両手で握り締め、横島は全力を挙げてそれを道路に突き刺した。
サイキックソーサーが道路のコンクリートを粉砕、ヒビを入れて内部へとその牙を抉りこませ――。


ぽきん。と折れた。


「……え゙」

見つめてもサイキックソーサーは元に戻らない。
試しににぎにぎ握ってみても矢張り元に戻らないし、前後左右に上下を確かめても夢では無い。

「さ、最初から霊力を防御に使っとくんやったぁぁぁああぁぁ――ッ!!」

結果として、横島はシャウトしつつもう一体の首都高荒らしへと衝突していった。

「横島クン――ッ!?」

ギャギャギャギャ、と巨大な摩擦音を立てて止まるコブラの上空で、鬼が口の端を吊り上げ笑う。
対して神々しい気を放つもう一体の首都高荒らしが悔しげな仕草で鬼を睨みつけた。

「ははははははは!俺を止める事はできんぞ、八兵衛!!」

「おのれ九兵衛……ッ!!仏の道を踏み外した神は鬼になると言うが、真の鬼と化したか……!!」

舌打ちのような音をパーツの無い顔から発生させ、消えてゆく九兵衛の事を割り切ったように横島へと視線をやる八兵衛。
掌で倒れた横島の腹に手をやり軽い触診をすると、再び悔しげな仕草で怒りを滲ませた。
横島は寸前で全霊力を防御に回していたが、しかしそれでも重傷を負っている。
それもどちらかと言えば死へと足を突っ込んでいるような状態であり、重要な骨も殆どが折れているのだ。
時速二〇〇キロメートル以上の世界へ更に弱いとは言え鬼に近い神族の力が加わった暴力は、そこまでに凄まじい効力を発揮していた。

「やむをえん、か!」

決意の声を響かせ、八兵衛は掌を横島へと向ける。
直後その莫大な神通力と共に、八兵衛の姿はその場から消え去った。
巨大な霊力の残滓が漂う空間に、二つ高い声が響く。

「い、いくら小竜姫様にお仕置きされても大丈夫な横島さんでも、これはまずいんじゃあ……」

「くっ……ッ!確かに、まずいわね……」

横島が凄まじい生命力を持っているのを二人ともが知っていたが、しかしそれもまだ見慣れた物では無い。
そして例えそれだけの生命力を持っていたとしても、今のダメージは深刻な物だ。
まだあまり横島との絆を繋げていない美神には、そう冷静に考える程度の思考力は残っていた。
二人の視界に横島の体が入ると同時に、おキヌが叫んだ。

「横島さん!?」

かけつけたおキヌはすぐさま横島に触れ、そして気付く。
その、ありえない現実にであった。
その驚愕の表情に目を細め、美神は思わず視線を外してしまう。
美神が人の死を見たのは初めてと言う訳ではないが、しかし易々と慣れる事のできる物でも無く、そして何より身近な人の死は酷く久しぶりな物となっていた。
何より美神のトラウマと言うべき死の記憶が彼女を揺さぶる。

美神にとって最も大きな精神の傷痕である母親の記憶が、横島に母親が居る事を一層美神に思い起こさせていた。
別段それを目標としていた訳では無いにしろ、誰かの母親を悲しませる事を美神は良しとしない。
だのに今、美神は間違いなくその母親を傷つける事をしてしまっていた。

「横島君は……生きては……」

ポツリ、と言いたくない言葉を呟く美神に、おキヌの続きの言葉が聞こえ――


「…………そーなんです、傷一つありません」

「あー、死ぬかと思った」


そしてずっこけた。



*



「あーあ、折角身入りの良い仕事だったのに、首都高荒らしには逃げられちゃったわ!あんたのせいだからねっ!」

「ひとこと「無事で良かった」と言えんのかあんたはっ!!」

口喧嘩をしつつ、美神達一行は高層ビルの一階へと足を踏み入れた。
あれから一応横島は病院で検査を受けたが、全く異常無しとの事。
ちょっと人外っぽい生命力に吃驚しながらも彼らはその現実を受け入れ、横島は普通に家に帰されて一晩を過ごしたのであった。

「にしてもあの妖怪、ちらっと見ただけだけど……韋駄天だったみたいね」

「いだてん?」

疑問詞をあげる横島へと、ほんの少しだけ真面目な顔になって美神は知識を掘り起こし、同時に思う。
果たして自分がこんな丁度相手に真面目になるのは本当に師匠である事が原因なのか。
それとも横島の持つ収束の才能に惚れこんでいるのか。
また、煩悩全開のオチャラケ人間である一方、何故か力に執着を見せるそれに好奇心を抱いているのか。
分からないが、しかし美神は師匠ぶる事に不思議と不安を覚えていた。
何故かはわからないが、何処か決定的な違和感があるのだ。
それを探ろうと思考を深めようと思った美神だが、視界に疑問詞を表情に出した横島が居るのに気付き止め、口を開く。

「そう、韋駄天。仏教の神の一種で、わかりやすく言うと天界の宅配便屋さんみたいな一族ね。物凄い足の速さで有名よ」

「へー。仏系の神って事は、堕ちて鬼になったって事ッスか?さっきのは」

「ええ。よく知ってたわね?まだ大して教えてないと思うんだけど」

僅かに簡単の声を混ぜた美神に、横島は恥ずかしそうに頭をかきながら偶然知ってただけッスよ、と答える。
釈然としない気もしたが、しかし特に気にする事も無く美神を先頭に一行はエレベーターへと乗り込んだ。
独特の浮遊感。
今回の標的である悪霊の居る階へと向かう途中、美神は先の首都高での事件を思い返していた。

(あの時、後ろに居た霊体……、もしかして……?)

思考に入る美神だが、ここは階段でも何でもなくエレベーター。
自動的に除霊現場へと辿り着く箱の中であり、油断すべきでは無い場所である。
そんな所で彼女が油断してしまったのは、一重に先日に心労を重ねすぎたからだ。
韋駄天との競争と横島の墜落は、気付かぬうちに美神の精神的疲労を翌日に持ち越すほどにまで溜めていた。
故に。
美神は、それに気付かなかった。

「美神さん危ない!!」

「……え?く、しまったッ!!」

「除霊されてたまるかぁあ〜〜〜!!わしが一代で築いた会社じゃぁああぁ〜〜!!」

突如湧き上がる霊圧。
エレベーターの扉が開くと同時に悪霊の霊気の《手》が出現、油断していた美神の体を鷲掴みにする。
瞬時に札へと手をやろうとする横島だったが、斜線上に美神を持ってゆかれ動きを止めた。

「美神さんッ!!」

瞬時に掌へ霊力を集めて抵抗しようとする美神だが、それが攻撃能力を持つまでに収束される前に悪霊の手が離された。

「出てうせろ――ッ!!」

――高層ビルの、上層階からはじき出される形で。

どくん、と横島の心臓が鳴り響く。
今、美神さんはどうなっている?
このままでは死んでしまう。
そうなったのは誰の所為だ?
どくんと横島の心臓が鳴り響く。
自分の強さが足りず、例えダメージを与えても札を投げると言う判断ができなかったから。
どくんと横島の心臓が鳴り響く。

誰かが死ぬと言う言葉が横島の脳裏を支配し、蹂躙し――。


フラッシュバックの寸前、衝撃が全て掻き消えた。


(少年、私に任せるが良い――ッ!!)

内から競りあがろうとする衝動の声。
それが横島の体中を支配し、コマ送りでゆっくりと進む時間の中絶大な神通力を発揮する。
それに横島の自我は引き落とされ、一時的に闇の縁へと――。


『この大タワケがッ!!』


堕ちずに、引き戻された。

『韋駄天殿、貴方は下がっておれ!横島、小竜姫様の教えを思い出すのだッ!!おぬしならば自力でこの程度どうにかしてみせれるはずだッ!!』

何処から聞こえてくるのか分からない言葉に耳を傾け、横島は何も考えずに小竜姫の言葉を思い出す。
それは丁度先日の夜にも思い出した、修行時の言葉。

――霊能力は、想像力次第でいかなる形でも力を発揮します。

そう、いかなる形でも力を発揮する。
そんな思考を抱いた瞬間、横島もまた美神を追って空中へとその身を躍らせていた。

「――って、横島君ッ!?」

片手で悲鳴を上げる美神を抱き上げ、もう片手で《足場》のギリギリ脚幅分の広さがあるサイキックソーサーを生成。
直後《足場》の霊波のコントロールを脚に任せて掌を離し、更に集中し《矛》のサイキックソーサーをビルへと突き刺し減速させる。
先日とは違い鬼の馬鹿力も無いただの重力が相手だ、今度こそ折れる事なく矛はその役割を果たし、その身を折る事無く横島達を支え続けるッ!

「うおぉぉおおぉおおぉ!!」

ズガガガガガ、と破砕音を立てながら堕ちる中、咆哮と共に横島は矛を握り締める。
どうやら悪霊の攻撃の余波でビルの構成が弱くなっていたようで、横島の機転による張り付きも体重を支えきれない壁に意味をなさない。

「あんただけに、格好イイコトさせてたまるかッ!!」

だが、それをしかし抑えきろうと美神が叫び、握っていた神通棍を伸ばす。
先ほどまで掌を覆っていた霊気を全てつぎ込み神通棍を輝かせ、横島のサイキックソーサーの隣へと突きたてた。

――が、それも焼け石に水。

殆ど効果を成さずに地面が広く見えるまでに高度が堕ちてゆき、その早さは微塵の変化も見せない。
近づいてゆく地面に舌打ちつつ、横島は更に思考を重ねた。

(なら、更にもう一手――ッ!!)

更に、眼を開いたままで集中。
残る全霊力を使って三枚目のサイキックソーサーを作り、地面に放った。
何をしているのかと美神が驚愕の表情になった次の瞬間、横島の霊波を読み取り三枚目のサイキックソーサーがその意味を成すッ!

「――爆発しろッ!!」

白い閃光と共に地上の寸前まで迫ったサイキックソーサーが明滅する。
そして、爆音。
殻を破る程の霊力を受けて殻が崩壊、内部の霊力が溢れて小規模な爆発に似た現象を織り成したのだ。
その爆風との相乗効果でようやくの事速度が相殺され、横島と美神の乗ったサイキックソーサーはゆっくりと地面へ降りていった。

(横島君の能力、思ったよりも凄い……!!)

片手で抱き上げられる形のまま、美神は驚愕の表情を浮かべる。
その対象はサイキックソーサーでは無い。
人一人を抱えながらも重力加速度に抵抗する程の力を片手で織り成す強化されたのであろう身体能力と、一度発揮した霊能力を変化させ他の形で使うと言う凄まじいまでの想像力だ。
後者に関しては先日首都高でも見せていたのだが、一瞬で折れてしまった為上手く収束できていたか分からなかった為の驚きである。

(このコ、もしかしたら正道において私をも越えうる成長をできるかもしれない――?)

美神は元々邪道が得意中の得意なので正道は大した事が無いと思われがちだが、しかし正道においても日本で十指に入る実力者だ。
彼女が正々堂々の戦いでは確実に勝てないと考えるのは、現役においては唐巣神父と六道冥子の暴走程度しか存在しない。
互角なのを考えても精々が小笠原エミ程度のもので、その彼女を越えうると言う事は日本最強クラスまで上り詰める可能性を持っていると言う事と同義語でもあった。

ごくり、と生唾を飲み込み美神は横島へと視線をやる。
ついに地面へと降り立った横島は珍しく凛々しい顔で、体力を消費したのであろう、汗が多く張り付いていながらも視線を美神から外さない。
恐らくは自分の怪我が無いか確認しているのであろうと美神は安心させるような笑みを浮かべ――。


むんず、と横島に胸を掴まれた。


とりあえず、横島はドツき倒されて数時間気を失ったとだけ描写しておこう。



*



数時間後。
横島は気絶している間、美神は今度は途中までエレベーターを使って最後は階段で霊の居る階へ行き悪霊を退治し、ボロクズと化した横島を一応事務所の前まで持ち帰って捨てておいた。
これは横島のあずかり知らぬ所ではあるが、さりげなく美神は横島に慣れないヒーリングまでしてやったと言う。
兎も角、その後気付いた横島は美神に褒められているんだか貶されているんだか良く分からない言葉を吐き捨てられ、家に帰りつき一人で部屋に座っていた。

「……で。お前らは一体、何なんだ?」

呟く横島だが、部屋には無論横島以外の影は無い。
言ってから自分が不思議さんな事を言ってしまったのかとちょっと焦ったが、すぐさまそれを否定するかのように声が響き、沈黙を打破した。

『ワレは心眼。小竜姫様がおぬしに与えた餞別であり、これからおぬしの霊能の師となる者だ。――これ、何処を見ておる。ワレはおぬしのバンダナに癒着する形で存在しておるのだぞ』

「ん?あぁ、あの時のキスで出来たのか。へー、ふーん」

言われて横島がバンダナを外してみると、確かにその中心には眼球が一つ存在していた。
胡散臭そうな目で見る横島だったが、霊視をしてみるとすぐに自分の霊力と同じ波長の霊力を放っている事が分かる。
それも寸分違わぬ波長であり、どう考えても横島を霊力源としているようにしか見えない。

「確かに俺と同じ霊力を持ってるし、分かるけど……。もう一体の、多分俺を乗っ取ろうとしやがった奴はお前じゃ無いんだよな?」

疑問詞と共に再びバンダナを額に巻きつつ言う横島に、フッ、と軽く鼻で笑ってから心眼が言ってみせる。

『当たり前じゃボケ。てんで大した事無いザコでアホな無能だとは思っておったが、そこまでだとは……』

「誰がてんで大した事無いザコでアホな無能だッ!!」

『おぬし』

『少年、君だ』

「ざけんなぁああぁあぁあ――――って。おい、今もう一人居なかったか?」

思わずノリで流してしまいそうになった横島だが、寸前で気付き心眼に聞いてみる。
さりげなく自分の事を少年などと言う存在は、果たして敵なのか味方なのか。
恐らくは心眼が余裕の無さそうな発言をしていない事から敵の可能性は低いと考えられるが、しかしそれでも横島は僅かに表情を緊張させた。
先ほどの、ビルでの感覚。
意識を引き摺り下ろされた後に起きるのは通常、肉体の制御権の譲渡である。
横島はそれを理解できている訳ではなかったが、しかし漠然とした不気味さだけは感じ取っていた。

『はい。私に説明をさせてくれ』

『了解したぞ、八兵衛殿』

そして心眼の言葉を皮切りに、八兵衛による説明が始まった。
自分が九兵衛を捕らえる為に天界からやってきた韋駄天である事。
横島が一度死に掛け、それを今神通力で治療している最中だという事。
先ほどは美神を救おうと横島の体を使おうとしたが、心眼が横島の修行の為止めさせた事。
一応死んだら困るので、心眼も横島と美神を何時でも助けれるよう、すぐさま韋駄天へ意識を譲渡できるよう準備をしていた事。
そして最後に、八兵衛が横島の体から出てゆく前に九兵衛と出会うことがあれば、奴を捕まえるのに協力して欲しいと言う事。
他にはうんうんと頷いていた横島であるが、最後にだけは僅かに眉を潜めた。

「いや、確かに美神さんが奴っつーか金を放っておきはしないだろーけどよ……。俺は勿論、美神さんだって堕ちた神様相手に戦うのはキツイんじゃねーか?」

と言う事であり、要するに車でようやく追いつける早さを相手に戦う事に不安を覚えていたのだ。
横島としては美神が自分の数倍強い事は知っていたが、それでも人間の限界の何倍も上の相手に勝てる程とは思えない故の事だった。
もっとも実際の美神の強さは、正攻法でもかなり強い上、自分より強い相手にも勝てる裏技が目茶目茶得意であると言う強さであり、状況によれば韋駄天に大きなダメージを与える事も可能なのであるが。

『ふむ。美神殿の実力は確かに雑魚キャラっぽいおぬしよりダントツで上だが、身体能力だけで言えばおぬしより若干上程度。歴戦の勘があるとは言え、そして韋駄天が神族では下級の域にあるとは言え、勝てぬであろうな……』

「おい、誰が雑魚キャラやねん!」

『はい。ですが九兵衛よりも私の方が早い為、私が横島君の体を使わせてもらえばそれ程苦労せずとも捕まえられるかと思います、心眼殿』

「おーい」

『だが、ワレのへたれ宿主を治療するのに神通力を使っている為、多少パワー不足でもあるか……』

「聞こえてますかー?」

横島を無視しながら考え込むように言いつつ、心眼は思考を巡らせた。
本来ならば韋駄天達に協力する義理は欠片も無いのだが、しかし美神と横島の横槍で追跡を邪魔する形となってしまった今、非協力的な態度を取るのは不義理だ。
それに八兵衛によれば九兵衛より自分の方が早いとの事。
例え横島の治療に神通力を使っていたとしても大した量ではないのだ、危険性は低い。
その上、ここで手を貸せば横島は神族に貸しを一つ作れる。
そうなれば断るべきでは無いだろうと、無視されて体育座りをしながら泣いている横島へと心眼は言った。

「うぅ、うぅ……。ど、どーせ俺なんてッ!!」

『……横島。ここは協力しておくべきだ』

「ん?あぁ、お前が言うなら構わねーけどよ。でもあんまり痛い目とか危ない目に遭うのは嫌だぞ!!」

言われて心眼は考え込む。
多分出会う事になったとして、八兵衛の方が九兵衛よりも強いのだと言う。
例え横島の体を使う事となるとは言え、霊体が纏う皮が肉体に変わるだけで発揮する力は変わらない。
となれば恐らくは大丈夫だろうと心眼は肯定の意を横島へ伝える。

『まぁ、大丈夫だろうな』

「うおい、適当な台詞だけど大丈夫なのか?……えーと、八兵衛」

『はい、韋駄天の誇りをかけて誓います』

「ならいーんだけどよ……」

何となく納得の行かない気持ちながらも、横島はとりあえず韋駄天に協力する事にした。
何故、納得が行かないのだろう、と横島は不思議に思う。
小竜姫が横島の師として渡した心眼が大丈夫と言い切り、更に神族の八兵衛も韋駄天の誇りをかけてまで安全を誓った。
これ以上の安全など無いだろうと言うのに、何故か横島は安心できない。
理由も無く心の何処かにもやもやとしたものがあるのに苦い顔をし、横島は窓の外に広がる夜空へと視線をやる。


星一つ見えない曇った夜空が、横島の視線を月まで届かせぬと言うかのように広がっていた。


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