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幾千の夜を越えて

始まりはお子様と


投稿者名:日野 隆
投稿日時:06/ 3/21

横島忠夫の人生は今までそれなりの平凡さであった。彼の十数年の人生で他人と違うと言い張れるのは精々二つ、両親の事とミニ四駆全国大会で優勝した事か。だがしかしそれ以外は平凡としか言えないまま人生は流れていた。

ただ、彼自身は余り平凡とは言えなかっただろう。小さい頃から横島は強さを求めた。何故だかは横島自身も知らないが兎に角強い父親へと頼み込み、簡単な体術を叩き込まれたのだ。

果たしてその感情は、何から生まれたのであろうか。両親が優秀であった故に仕事が多く、幼年時代に触れ合いが少なかった寂しさから、一人でも立てる何かが欲しかったのか。それとも異性に一度も認められたことが無い事から自信が欲しく、精神的な安定を求める為に単純な力を欲したのか。彼自身も幾度か疑問に思い考えたが、分からなかった。

強さだけでは無く、性格も平凡では無かったと言えよう。彼の性格を一言で言い表すならば、煩悩魔人であった。一日に一回セクハラをしないと体調に重大な不調を起こしてしまいそうな程煩悩が溢れており、そしてそれを我慢する気が全く存在せず思いっきり行使していた。

そしてそれだけでなく、それだけ煩悩を発揮していながら不思議と彼は他人から嫌悪されなかったのだ。言うなら、憎めない奴、と言う所だろうか。煩悩魔人であれども抵抗できない相手に煩悩を発揮しない事も拍車をかけ、若い女性に異性として好まれるタイプの人間では無かったが、それでも好人物として皆の記憶に名を残していた。

だが、いくら彼自身が不思議な魅力に溢れていようと、人生は平凡そのものであった。変化といえば、両親がナルニアに移住した後一人で残ると言い張り、生活費の為深夜は肉体労働のバイトについたが、逆に言えばそれだけである。そこに新しい人間関係できたが、それ以上でもそれ以下でも無い。彼の人生の履歴書を作ったとして、それは平凡な物であろう。


だから。だからこそ、横島忠夫は信じられなかった。偶々結果として助ける事となった子供を狙って人外の者が自分を追いかけてくるなど、横島には信じられなかった。



――幾千の夜を越えて
一話『始まりはお子様と』



発端は平凡だった。道端を一人で歩いている謎の和服を着た子供に声を掛けられ、何故かデジャブーランドへ連れてゆく事となったのだ。どうやら厳しい親の所為で中々出かける事が出来なかったと言う事情を聞き、横島が同情したからである。自分も特別幼い頃は形は違えど結果として親と触れ合う機会が少なかった事からであったのか、それとも何も考えずに不幸そうな子供を助けようと思ったのかは定かでは無いのだが。

丁度給料日の翌日であった事も重なり、横島は道草を食う事無くその天竜童子と名乗る子供を連れていた。古風過ぎる名前ではあるが、先の厳しい親と言う事情と併せて考えると金持ちの一族などである事が推測でき、横島は金持ちのネーミングセンスは分からんと言う感想しか抱かなかった。

そして駅へ向かう途中、公園を横切る際の事である。急に、辺りから人気が無くなったのだ。公園の中で遊んでいた子供達は何故かそそくさと外へ出て行き、親もまた子供を連れて出てゆく。

「……うん?どうしたんだ、これ」

「うむ。恐らくは余から滲み出る威厳のオーラに怖気づいたのじゃろうな。まぁ、それも仕方ない事じゃろう、余は今年で齢……」

「はいはい、分かったって。七百歳だって言うんだろ?それもう三回目だっつーの」

手を繋いだ先の天竜が疑問詞に答えたのに、横島は呆れ顔で返した。初めて七百歳と言われた時は流石に疑問を持ったものだが、しかし子供の頃自分が七百円を七百万円と言ったりして兎に角大きな数字を言おうとしていた事を思い出し、理解した。ああ、この子もそうなんだな、と。無論それは間違っているのだが、今の横島に知る由も無い。

さて、と横島は思う。現在横島が警戒しなければならないのは、天竜童子の親が使わした刺客である。権力者らしい事を言われていた天竜の親が子供の不在に気付けば、間違いなく何らかの人材を送って天竜を取り戻しに来るだろう。

だが、この状況でその刺客が現れて、横島が誘拐犯であると勘違いされないと言い切れるだろうか?答えは否である。だからこそ横島は最初の数回の攻撃に耐え、その刺客を説得しなければならないのだ。無論天竜が説得をしてくれるだろうから、それ程長い時間は稼がなくても良いのだが。

「のぅ、横島」

「ん?どうしたよ、天竜」

急な天竜の言葉に思考に没頭するのを止め、横島は視線を下ろした。天竜はただ真っ直ぐと横島を見つめている。翡翠色の瞳は穢れを知らないように純粋に輝いており、深いと言うよりはむしろ鮮やかな色合いであった。

一端僅かに視線を外し、天竜は考え込むようにした。自然と二人の歩調は緩やかになり、落ち葉が踏み砕かれる音の間隔も長くなる。僅かな沈黙の後、自分の足がきちんと地面を踏んでいるのか確認するように向けられていた視線は、再び横島へと向けられた。

「お主、何処かで……」

「殿下――――――ッ!!」

「探しましたぞ――――ッ!!」

天竜の声を遮り、二つの太い声が空間に響いた。見ると二人、ガタイの良い長身の男だ。黒いスーツを着てサングラスまでかけておりどう見ても不審者にしか見えないのだが、しかし口調からすると天竜を探しに来た奴らだろうか。そう思った横島が確認を取ろうと天竜へと視線をやると、天竜は顔を蒼白にして震えていた。

内心、横島は舌打ちする。横島は、天竜が今まで何度かこの二人組みに誘拐されそうになったのだと推測したのだ。天竜の親の差し金だとして、初対面であればこれ程恐怖せず、数回目であれば恐怖する必要は無い。逆に金持ちと予測される天竜の親から金を絞る為現れた奴等であっても、初対面であればこれほどの恐怖は無いだろうと考えての事だった。

「糞、こんな餓鬼を怖い目に遭わすんじゃねーっての……っ!」

震えて言葉も出せない天竜を両手で持ち上げ、横島は二人のスーツ男と反対方向へと疾走を始めた。見ると天竜の顔は青の度合いを増しており、完全に恐怖に囚われている。こんなに幼い子供にこれ程の恐怖を味わわせる二人へと嫌悪の視線を軽く浴びせ、横島は公園から脱出しようとして……減速した。

「い、い、居たんだな……。イームのアニキ!」

「へっへっへ……。捕まえるぞ、ヤーム!」

「な、何を……ってこっちにも居ったのかっ!?」

天竜の言葉の通り、丁度二人のスーツ男の反対側から二人の男が走ってきていた。そのノッポと太っちょの二人だが、薄汚れた服装をした所を見るに金で雇われた浮浪者か。横島は先のスーツ姿の二人と比べてこちらの法が御しやすいと判断、再び加速しようとして……、立ち止まった。

ぞくり、と横島の全身に電撃が走った。本能とも言えるそれに従い横島は膝を屈伸、その勢いで地面を全力で蹴り飛ばす。咄嗟に腕に掻き抱いた天竜の頭を包み込み、直後に来るであろう衝撃に備えた。

ゴウッ!!

先ほどまで横島が居た所を、凄まじい速さで何かが通り過ぎる。偶然ではあれど避けきれた事から横島に一切の衝撃は無く、故にすぐさま体勢を立て直してそれを見る事が叶った。


何かは、伸長したノッポの腕であった。


「――まさか」

呟き、横島は理解する。《これは、霊障関係の事件である》と。そう考えれば全てに納得が行くのだ。七百歳と言う年齢の子供。古風過ぎる名前。急に居なくなった人々。そして今の伸びた腕。それらは全て、妖怪、幽霊、もしくはそれに類する者達の事件なのだと。

「ちっ、避けられたんだなっ」

「逃がさんぞっ」

言う男達の姿は、横島の考えを裏付けるかのように変化していった。浮浪者風であった二人の服装は天竜の着るそれと似た古風な胴衣風の服となり、そして首から上は爬虫類の鱗に覆われる。金の眼球を瞳孔が縦に割り、口は横に裂けて行き内側の尖った歯と二股に分かれた舌とを見せ付けた。

冗談じゃない、と横島は思う。殺される。少なくとも先の攻撃が当たっていれば、横島は死にかけていただろう。瞬時に訪れるであろう死の現実が横島を支配した。何で俺がここで殺されるんだ俺は霊能者じゃないからこいつらと何の関係も無いのに偶々天竜を見つけただけで、何で、何で、何で……。

初めて受ける殺気に硬直した横島へと、イームとヤームと名乗る二人はゆっくりと近づいてくる。恐怖に収縮した筋肉は涙に濡れた横島を動かさず、ただ歯をガチガチと鳴らせる事しかできない。せめて天竜を、と横島は動く手で天竜を後ろに追いやるが、しかし天竜も初めて知った殺気に当てられて動けなかった。

ふ、と影が横島の視界を覆った。

「させぬ!」

「ここは通さんぞッ!!」

影は、鬼と化した二人のスーツ男であった。一瞬状況が理解できなかった横島だが、しかし本能からであろうか、咄嗟に立ち上がり天竜を抱えて走り出す。

「ああっ、待つんだなっ!」

「くそ、鬼の分際で竜族の邪魔をしやがって……!」

走り去る横島の耳朶を恨まし気な男達の声が打ち、そして鬼と呼ばれたスーツ男の悲鳴もまた、横島の心を打った。自分は惨めだ、と横島は思う。惨めだ。小さい頃から親父に鍛えられてきて、それでも自分は何も出来ない。スーツ男が竜男にボコボコにされると分かっても足止めに行けたのに、自分は逃げる事しかできないと。

悔し涙に瞳を潤ませた横島が公園を出て姿を消すのと、スーツ男……鬼門と呼ばれる妙神山の門番が敗れるのとは、奇しくも同時の事であった。



*



「はぁ、はぁ……っ!糞っ、畜生……ッ!!」

横島は後悔の炎に身を焼いていた。殺気に当てられて動けなかった自らの情けなさと、逃げる事しかできない自らの惨めさに起因する後悔。心の奥底から湧き出て来るような力への意志は、今横島の心に後悔をしか呼び寄せていなかった。

「横島とやら、お主……」

対する天竜は、一切責める目をしていなかった。むしろ、初めて当てられた殺気で動けなかった自分を逃そうとした横島を、褒め称えたい気分ですらある。それが恐らく横島を傷つけるだろう事を理解し、だからこそ言わないだけだ。

横島は逃走経路を公園からとにかく離れるようにとった。無論先の人外の存在が天竜の位置を知る能力を持っているかもしれない事から無駄にも思えたのだが、テレビで見る程度しか横島は霊能を知らない。その事から、できるだけ時間稼ぎをする方法を選んだのだ。とりあえず行き止まりとなった港を走り回っている現在である。

時間稼ぎをしてどうなる、と言う考えも無い訳では無い。だが、横島は先ほどの言動から味方と考える鬼の台詞から天竜が竜の偉人の子と推測していた。よって鬼以外にも同種族の護衛がついている可能性が高いと踏み、それを待とうと考えたのだ。と。それなら天竜童子に聞けば良いでは無いか、と思いつき、横島は口を開いた。

「おい、天竜。そういやさっきの鬼以外にお前の護衛っつーか、助けに来る奴って心当たりあるか?」

ギクリ、と効果音が出そうな程、天竜が震えた。先ほど腕に担がれていた彼は既に横島に肩車してもらう形となっており、その奮えは勿論の事横島に伝わる。疑問詞を浮かべた横島の視線が捉えたのは、デッサンが崩れた上カケアミを被っている天竜の顔であった。

「……小竜姫と言っての。お仕置きが怖い奴なのじゃ」

「……うおい。さっき震えてたのはその所為かよっ!!」

思わず突っ込む横島に、天竜はゆっくりと視線を逸らす。明後日を見始めた天竜を無視して横島は先ほどの自分の行動を思考、分かっていた事だが自分が思いっきり間違った事をした事を再び理解する。

「あー畜生ッ!俺さっきめっちゃ恥ずかしい誤解してもーやんッ!どーしてくれんだよっ!?」

「ええいっ、知るか阿呆っ!お主が勝手に誤解したのだろうがっ!!」

思わず上を向いて怒鳴ってしまった横島に、天竜は髪の毛を引っ張って対抗する。大よそ精神年齢が同程度の戦いにしか見えないそれを前にして、二人が喧嘩をしているうちに臭いを嗅いで追いついたイームとヤームの二人は呟いた。

「あ、阿呆なんだな……」

「……こいつら、レベルが同じだぞ……」

一方横島だが、彼は既に竜族の二人が来ている事に気付いていた。気付いていたが対応をどうするか思考しているのが半分、残り半分は単に本気で天竜との喧嘩に勝つ事を考えて、天竜との子供のような喧嘩を続けていた。

「こんぬぉー!髪を、髪を引っ張るなやーっ!こうしてくれるっ!」

「ぬぬあぁっ!?き、貴様、この無礼者がっ!このっ、このぅっ!!」

ボカスカと効果音と立てつつ横島は思考する。戦闘では霊能の無い自分が勝利する可能性は無い。逃走?だが一時的に距離を離す事が出来なければ叶わない上、相手は何らかの追尾能力を持っている。目的は時間稼ぎ、そして見た目相手は霊では無く妖怪に近い存在だと思える。ならば答えは。

喧嘩をした振りのまま横島は片手でGジャンの裏を探り、父親に叩き込まれた路上での本気の戦い方を一通り思い起こす。何かに気付いたのだろうか、天竜の髪を引っ張る力が弱まったのを機に横島は隠しナイフを投擲した。

「――うおっ!?」

眼球へ向かう刀剣と、更に陽光の反射がイームを下した。瞼を下ろし我武者羅に腕を振り回すイームを、何事かとヤームが見やる。幸運、相手は戦闘経験が多い方では無いと悟り、横島は天竜を地面に置いて跳躍。距離を詰めつつ再びナイフを取り出し肉薄する。

自称竜族である二人の身体能力は、自分より遥かに上だ。早い。明らかに人間の限界速度近くであり、それを当然と出す二人に攻撃する事は不可能だろう。だが、見えない訳では無い、と横島は考える。――避けれぬ訳では無い、と横島は思考する。

横島忠夫は、臆病だ。

故に父との訓練(と言う名の虐めとも言う)でもつい攻撃を回避してしまい、それにキレた父親との攻防により横島は異常なまでの回避能力を身に着けていた。それが竜族相手に何処まで通用するかは分からない。

だが、横島忠夫には不可思議な自信があった。

《この程度》の敵に、自分が負けるはずは無いのだと。

「つぁっ!」

今度はナイフを離さずに突き出すだけにして、ついでに半身になりつつ体を逸らしてヤームの抜き手を回避。更に続く涙目のイームの薙ぎを上に乗るようにして避けきり、継ぐヤームの蹴りを受け流す。

横島は攻撃を目的では無く手段と使っていた。相手の行動の制御と回避効率の上昇にのみ念頭を置き、例えどのような隙を見せられようと相手を倒そうとしないのだ。一見ジリ貧になるだけの愚策にも見えるが、しかし相手の霊能を見極める能力の無い横島には攻撃こそが最大の愚行である。

次ぐ空を裂く拳を潜りつつ、横島は手に持ったナイフでヤームの足を切りつける。竜族の鱗は刃を通さないが、しかし物理的衝撃は別。足を引っ掛けられる形になったヤームがずっこけ、更に初撃の打ち払われ方で誘導されていたイームも巻き込まれた。

「ぬああっ!?」

「んあぁおなんだな!?」

無論相手の霊能に触れる事すら危険な物があるかもしれないが、しかしだからといって無理に逃げようとする事も無意味だ。元々開いていた距離を詰められた以上、相手の方が移動速度が高い上索敵能力もある事は明確。ならば次善である時間稼ぎ目的の戦闘が有効な手段となりえた。

「よしッ、天竜、逃げるぞっ!」

「「何ィッ!?」」

視界を奪われた竜族二人は横島の虚言に踊らされて先ほど天竜が居た位置へと視線をやるが、その先には呆然と立っている天竜一人。次の瞬間、投擲されたナイフがコンクリートへと突き刺さり、竜族の二人を中心に五芒星が描かれる。

キィィィン、と言う甲高い音。次の瞬間五芒星の外円と一致する薄い黄色の円柱壁が立ち上り、イームとヤームとを閉じ込めた。

日本において五芒星は大きな意味を持つ。数学的に黄金比を保った尤も美しい図形であるだけでなく、平安時代に安倍晴明が五行の象徴として用いもしたのだ。また西洋魔術について考えても召喚時に術者を守る障壁としての魔法円に描かれる事が多く、霊的な意味は多い。

今回の場合、偶然が多く重なった。コンクリートが西洋で発案された事から、五行では無く障壁として五芒星が機能した事。横島の前世が陰陽師であった事。そして何より、横島の全身全霊と共に投擲されたナイフは僅かながら霊力が篭っており、五芒星の発動を助長した事。

それらの事象が絡み合い、互いに互いを助け合い、そしてその効果を発現。一瞬の後にはイームとヤームを簡易結界が取り囲み、その行動を全て禁じていた。日本に括られた竜神である二人なのだ、五行に影響を受け口を開く事すら叶わぬほどにである。

「……はぁ、はぁ……。こ、これで、どうにか、なったのか?」

無論横島はそんな事までを思考してナイフを投擲したのではなかった。敵の攻撃力の高さに殆どスタミナが切れかけており、咄嗟にゲームなどで聖なる象徴と使われる事の多い五芒星を作っただけである。

と、僅かに横島の思考に疑念が混じる。咄嗟に、五芒星?霊能の知識も無いのに、何故それが効果を持つと思いつけたのだろうか?先ほどあった目前の竜族二人に負けないと言う自信も妙だ。もしかしたら自分の知らない所で霊能に関係を持っていたのだろうか、とも思ったのだが、すぐに距離を取って時間を稼がなければならない事を思い出し、横島は天竜の元へと急いだ。

「て、天竜。一端逃げるぞ」

「う、うむ……。しかし、お主何も出来ないって嘘じゃろうっ!?思いっきり結界を使って居るではないかっ!」

だが、急ぐ間も無く天竜は怒りを露にする。しかし天竜の怒りは尤もであった。彼の主観で言えばどう見てもそれなりの霊能を持っていて黙っていたなど、自分に対する不信以外の何にも思えない。

「アホ言えー!!こんなん偶然できただけで、二度目なんかある訳無いやろー!!っつーか俺は霊能力なんて無いのにこんだけ頑張ったのに、何で怒られなアカンのやー!!あ、でもキレイなねーちゃんに怒られるんならいいけど」

一方横島の怒りも正当な物であった。彼としては道端を歩いていたらいきなり生きるか死ぬかの騒動に巻き込まれたような物なのである。尤も彼には天竜を見捨てると言う選択肢があったため自業自得ではあるのだが、しかしその選択肢を選ばなかった事により救えた天竜に文句を言われるのは面白く無い。

「んなアホな事があってたまるかっ!あんな結界が素人に作れる訳が無かろうッ!」

「知るかボケ、阿呆ッ!んな事言ってもできちゃったんやからしゃーないやろうがーッ!」

当然の帰結として。精神年齢が殆ど変わらないような二人は、取っ組み合いの喧嘩を開始しようとして――。


停止した。


ぞくり、と横島の背筋が凍りつく。先ほど初めて感じた殺気とは全く別物の感覚であるそれは、死をイメージさせると言うより、むしろ彼我との実力差を思い知らせる物。圧倒的な何かを目前にした無気力感や、畏怖の念。それらが渦巻き横島の中を支配する。

勝てない。横島は一瞬で悟った。今結界に捕まっている二人とも比べ物にならない程の何かは、先の不可解な自信に満ちていたはずの横島をも支配する。動悸が早くなり、脂汗が肌を塗らし、喉がカラカラに渇いてゆく。眼球も乾いてゆくが、瞬きすらも躊躇われた。

振り返ると、そこには黒衣の人物が浮かんでいた。

「――イーム、ヤーム。ご苦労だった」

冷たい声だ、と横島は呆然と思う。硬質や鋭利と言う形容が似合い、空気を重圧に変換する能力を持つ声。霊的な意味も篭っていたのか、それにより横島の作った結界は四散、二人の竜族が解放される。

「「旦那!!」」

言葉ですらも、先ほどの偶発的な奇跡を越えるのか。再び実力差の提示をされた横島は、吐息を忘れて凍りついた。勝てる訳が無い。間違いなく自分は殺される。数秒後の現実が明確に予想できるのが、横島には恐ろしかった。

「へっへっへ……。それで旦那、約束の御礼の方は……」

下劣な笑顔を作り進み寄るヤームへと、黒衣から覗く唇が笑みの形に歪んだ。黒いルージュで彩られたそれは、いっそ扇情的ですらある。それに女性的な物を感じてちょっぴり余裕の出る自分に悲しくなりつつ、横島は目立たぬよう鈍い動きで天竜を庇うよう姿勢を動かした。


「ああ、受け取れ」


閃光。直後、ドサリと言う《例えば肉体のような》重い物が倒れる音。冷や汗をかく横島が黒衣の人物から視線を動かすと、竜族の二人が倒れていた。――全身を、灰色に染めて。

駄目だ。もう死ぬ。絶望的な言葉が横島を支配した。初めて見た死体(神界へ行けば治るのだが、横島はその事を知らない)は酷く非現実的で、それがむしろ横島を恐怖へと陥れる。まるで歩いていたらいつの間にか異世界へと来てしまったかのような気分であった。

視界が歪む事で、横島は初めて涙が滲み始めた事に気付いた。純粋に恐怖から来る涙だ。ガチガチと歯が震える音が響き、膝も笑っている。腰が引けている上に体中が震えていた。惨めだ、と再び横島は思う。だけど、しょうがないじゃないか。こんな化け物に俺が、いや、人間が勝てる訳が――。

「せ、せ、石化能力じゃとっ!?」

と。その瞬間、天竜の声が横島の思考を引き戻した。

どくんと横島の心臓が高鳴る。今自分は何をしようとしていたのだろうか。今。今自分は、子供を見捨てようとしていたのでは無いか。どくん、と横島の心臓が高鳴る。自分が強くなろうとしたのは、子供を見捨てるような強さを得る為なのだろうか。どくん、と、横島の心臓が高鳴る。

どくん、と、横島の、心臓が、高鳴る。

見捨てる。その言葉が横島の脳裏を横切り、刺激した。

フラッシュバック。

それが忘れてはならない物だと横島は理解する。だがしかし、そう理解した瞬間にはその記憶さえも薄れており、それは横島の脳裏に定義されないまま流れていった。矛盾した思考。神のみぞ知るべきその思考は、人の身には余るとでも言うのだろうか?横島は果たして、その僅かな欠片すらも手に持つ事を許されず。

次の瞬間。目前に刺股が迫ってきていた事に横島は気付き。咄嗟に、掌を突き出していた。

「うぉぉおぉぉっ!?」


《霊気の盾を付着させた掌をだ》。


ガキィン、という金属音。

「何ィッ!?」

霊気の盾は、横島の掌に沿って動いた。反射によって動く神経不要の電撃の動きは自然と刺股を受け流すように動き、横島を侮りただ突き出すだけであったそれは簡単に受け流される。

黒衣の人物の舌打ちの音と共に第二撃。逸らされた切っ先は貫いたコンクリートを破壊しつつ持ち上げられ、砕けたコンクリートと共に横島へと迫る。それに対し横島は情けない声を上げつつ本能で反応、咄嗟に霊気の盾を打ち砕き、その破片でコンクリートを防ぎつつゴキブリのように地面へと張り付いた。

「ぬぉああぁおあぉ、危ないわぁッ!!」

「って、何でそれで避けれるんだいッ!?」

素が出てきたのか、女性らしい高い声が響き渡る。舌打ち、自分の正体を中途半端に見破られた事に気付き、黒衣の人物は一端距離を取った。それにようやくの事安堵の息をつき、それから横島は掌の六角形の盾へと視線をやる。

「お、お、おい、天竜。これってまさか……」

「う、うむ。これは霊気の盾じゃが……。まさかお主、本当に霊能力を今発現させ……」

「うぉぉぉぉっ!すっげえぇぇぇえっ!うむ、命名、こいつは今からサイキックソーサーじゃああぁあぁぁあっ!!」

「聞けアホッ!!」

「……何?今日初めて霊能に目覚めたばかりだと……?」

阿呆をやっている二人を尻目に、黒衣の女は驚愕を露にする。意外と老練した体術は兎も角、単純とは言え多少の難易度はある霊気の盾を霊能に目覚めて数分程度で発動させる?それもあれほどの決定的なタイミングで?

ゾクリ、と歓喜にも似た奮えが女を襲った。面白い。今鍛えている奴等にこれを加えれば、果たしてどれだけの成長を見せてくれようか。それを想像するだけで、全身が痺れる甘美な衝撃が女を襲う。闘争を好む彼女にとって、強き者の出現はそれだけ魅力的な物であった。

だが。女は目尻を吊り上げ、思考する。逆に言えば、霊能すらないと言うのに子供を助けようとするお人よしな性格であると言う事も女に理解できた。そしてそんな人間が天竜童子を見捨てて自分の元に下るなど、現実としてありえないと言う事もだ。

「あの甘ちゃんが来る前に始末すべき、か……。勿体無いが仕方ないか」

ポツリと呟き、女は刺股を構えなおした。空を裂く小気味良い音に横島もだらけきっていた顔を引き締め、半身に構えを取る。今度こそ一撃で命を刈り取ろうと、女は羽織っていた黒衣を投げ捨てた。

現れたのは、妙齢の美女であった。陽光に反射し輝く紫糸の髪に、黒いルージュの引かれた花弁の唇。均整の取れた体と大きな乳房は上半身を露出度の多い肩を剥き出しにする服が、下半身は対照的に戦闘用と見て取れる衣服が覆っている。

女は一瞬の後、吸気と共に全身の力を溜め込み、そしてそれらを爆発させようとして――。


「生まれる前から愛してましたぁ――――――ッ!!!!」


瞬間移動した横島を見てずっこけた。


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