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ANADEUS

8.セレナード第13番ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 第1楽章


投稿者名:赤蛇
投稿日時:06/ 2/15

再び訪れた、短くも気まずい沈黙を破ったのは、やはり男のほうであった。
モーツァルトは女たちの間に漂う不穏な空気を読み取ろうともせずに、目線を天井に向けて何かを思い出そうと努めていた。

「―――そういえば、時間移動能力者は抹殺するように、との指令が出ていたっけ」

「なっ―――」

妻に頼まれていた買い物でも思い出したかのように話すモーツァルトの呟きに、美神は大きく息を呑んだ。
時間移動能力者を探しているということは、彼は魔族の中でもアシュタロスの一派に属する者の可能性が非常に高くなる。
前は機先を制してアシュタロスの油断につけこみ、奴自身を未来に飛ばすことで難を逃れることが出来たが、もうその手は二度と通用するはずもない。
何の備えもない今、ここでエネルギー結晶の奪取に執念を燃やすアシュタロスと対峙することにでもなれば、勝つことはおろか、生き延びることさえも難しくなるに違いない。
そして、それを決めるのは自分たちではなく、横島と同じ顔をしたこの魔族の胸先三寸次第なのであった。

それにしても、と最大限の警戒を施しながら美神は考える。
もしも、この男の裏に存在するのがアシュタロスだとしたら、何故わざわざ横島に似せた魔族を造り、自分と同じ顔をした女と共に、遠い平安京の地であったメフィストと高島の関係を模した状況を作り上げているかがわからなかった。

しばらくの間、天井を見つめ続けて考え事をしていたモーツァルトだったが、緊張した美神たちの視線に気づき、慌てて手を振って答えた。

「あ、いや、別に僕があなた方をどうこうする、ってわけじゃないですよ?」

「―――本当かしら?」

疑いを捨て切らぬ目で美神は睨んだ。
テーブルの下に隠した手には、いつでも使えるようにすでに神通棍が握られている。

「本当ですって! だいたい、僕じゃあなたに敵うわけないでしょう?」

「それはそうでしょうけど―――」

両手を上げてなさけなく訴えるモーツァルトの姿を見て、その言葉が真実であると理解したが、未だどこか納得出来ないでいた。
ヒャクメに透視させるまでもなく、彼の魔力は極々小さく、GSたる自分たちはおろか、ちょっと腕っぷしの強い一般人にも敵いそうには見えなかった。
さりとてその他の特殊な能力、念動力やら精神感応やら、はたまた文珠などがあるような気配もしない。
およそ人間ばなれした演奏と作曲の能力以外、取りたてて上げるような力は何もなかったのである。

はたしてそんな魔族がわざわざ存在する理由がなんなのか、美神の疑問はどうにも晴れなかった。
そんな真っ当な疑問もまた、再び露呈したモーツァルトの不用意な発言の前に、あえなく霧散してしまうこととなるのだった。

「わかったら、睨むのはもう止めてくださいよ。浮気がバレた時のコンスタンツェのような顔をされたんじゃ、命がいくつあっても足りませんよ」

「ちょっとアンタ! 私というものがいながら浮気なんかしてるってわけ!?」

「美神さん、モーツァルトさんの奥さんは美神さんじゃないですよ・・・」

「わ、わかってるわよ、それぐらい!」

冷たいおキヌのツッコミを受け、美神は顔を赤らめながらもモーツァルトを睨みつける。
返答次第ではただではおかない眼力に、モーツァルトは小さく悲鳴を上げ、自白に及んだ。

「しかたなかったんやー! アロイジアがしつこく誘うもんだからつい・・・」

「アロイジアって誰なんですか?」

「アロイジア・ウェーバーはコンスタンツェのお姉さんで、この時代で有名なプリマドンナの一人なのねー たしか、彼のオペラにも何回か出演しているのねー」

新たに出てきた聞き慣れない名前に、おキヌは素朴な疑問を持って尋ね、ヒャクメはそれに淡々とした口調で答える。
いくらモーツァルトが横島と同じ顔をしているとはいっても、自分とは関係のない過去の人物の私生活のことで、特に何をどうという気も起きない。
不倫だの何だと言われても、今一つ実感の湧かない、ちょうど女性週刊誌の記事でも読んでいるような気さえしていた。
そしてヒャクメにとってもまた、職業柄そういった事情を覗き見るのはよくよくあることでもあり、好奇心は湧くがそれ以上のものではなかった。

だが、世事には通じているがこういったことには妙にうぶい美神にとって、それは聞き逃せることではなかった。
ともすればそれは、特異な家庭環境の元で過ごした思春期の情操教育の欠如に起因するとも言えよう。
あるいは、小学生の恋に終わった前世の影響かもしれなかったが、今さらその性分をどうこうするわけにもいかなかった。
美神は眉間にしわを寄せて眉をひそめ、モーツァルトに対してのみ厳しい目を向けたためか、彼の背後でドアが開いたことに気がつかなかった。

「―――アンタ、義理の姉なんかに手を出したってわけ!?」

殊更に冷たくなった声を聞き、モーツァルトは背筋が寒くなるのを感じ、自分がとんでもない罠を踏んでしまったことを悟った。
しかし、いくら妻と同じ顔をしているとはいえ、まったくの赤の他人、それも同時代の人間ですらない美神の怒りを買うのか、彼にはさっぱり理解できなかった。
愛する妻も同じように楽しんでいる、単なる恋の火遊びぐらいで、なんでこんな目に会わなければいけないと言うのか。
いったい、自分が何か悪いことでもしたとでも言うのだろうか。まったくもって未来の女の考えることはわからない。

「ええやないかーっ!! 姉妹どんぶりで両手に花っては、男の永遠のロマンなんやーーっ!!」

「ふーん、そういうことを言うわけね・・・」

開き直ったかのようなモーツァルトの絶叫に、先程からいろいろと溜め込んでいた美神の中で、何かがぷつりと音を立てて切れた。
神通棍を片手にゆらりと立ちあがると、まるで幽鬼のようにふらふらと近寄っていく。
その尋常ではない様子にモーツァルトは心底おびえ、テーブルを回って慌ててヒャクメの影に隠れようとする。

「ちょっ、ちょっと!? なんでこっちに来るのねー!?」

「アンタ神様だろ!? 迷える小羊を助けてくれたっていいじゃないかっ!!」

「魔族のくせに何を言ってるのねー! ちょっ、ちょっと美神さん? 何をするつもりなのねー!?」

「―――ヒャクメ、アンタ、そいつをかばうってわけね?」

「どこをどう見たらそんなふうに見えるのねー! そ、それに、わ、私に無礼を働くと、仏罰が下るかもしれないのねー!!」

ジャイアニズムとしては至極当然な、ヒャクメからすればあまりにも理不尽な論理の帰結に、妙神山に括られている友人のような台詞を口にする。
それでも悲しいことに、自ら下すと言い切れないあたりが、文官たるヒャクメの限界でもあった。
そもそも仏道に帰依したわけでもないので、仏罰を下すことが出来るのかどうかという問題もあったが、それはまた別の話である。

「ほう、できるもんなら、してみなさいよ・・・ この役立たずがーーーっ!!」

「いやーーーっ!! 許してっ!! おキヌちゃん、助けてほしいのねーーーっっっ!!」

ヒャクメの懇願を受けてもなお、おキヌはどうするべきか迷っていた。
いつものような二人のやりとりならば、大事に至る前の頃合を見て間を取り成すのが常だった。たいていは一、二発しばかれた後ではあったが。
特に誰が決めたわけでもないのだが、なんとなく自然に互いの場所と役割が成立し、事務所の人間関係を維持していく一因となっている。
枠にはめられた感のある自分のポジションには不満もあるが、否応無しに変化を求められるその時が来るまでは、その役を演じ続けていくつもりだった。

それを、単なる横島の代役でしかないヒャクメのために続けることには、ためらいが生じたとしても不思議ではない。それがおキヌの逡巡の理由でもあった。
だが、無慈悲な機械仕掛けの神は、そんな彼女の思いなど一顧だにせず、ひたすらにその役割を求め続けるのだった。


  パン パパン パ パパパパン


馬鹿馬鹿しい緊迫感が漂う室内に、突然この時代には存在し得ない音が鳴り響く。
それは、おキヌが持っていた携帯電話の音だった。

「あっ! す、すみませんっ・・・」

おキヌは慌てて軍服のポケットをまさぐり、自分の携帯を探すが、そういう時に限ってなかなか見つからない。
そうこうしている間にもアラーム代わりの着メロは鳴り続け、最近おキヌがお気に入りの、かおりや魔理からは「似合わない」と言われているラップのメロディが流れていた。

「―――あった!」

数多いポケットの中からようやく携帯を見つけ、急いで電源を切ると、ほっと息をついた。
場違いな場所で鳴らしてしまった携帯ほど、ばつの悪いものはそうそうない。

「―――ったく、何をやってるのよ」

恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にして縮こまるおキヌの様子を見て、美神は肩を落としてため息をついた。
機先をそがれたのか、手にした神通棍を再び振り上げる気にもなれなかった。
さて、どうしたものか、と美神はモーツァルトのほうをちらりと見たが、モーツァルトは美神のことなど忘れてしまったかのように、呆然として立ち尽くしていた。

「ちょっと! どうしたのよ、いったい?」

無視されたような格好になって、また少し不機嫌になった美神が声を掛けるが、モーツァルトは一向に反応を示さない。
それどころか、おキヌの立っていたあたりの上を見つめ、何かをしきりに呟いていた。

「・・・パン パパン パ パパパパン―――」

小さく口を開き、先程聞こえてきたメロディを反芻しているのだった。
そして徐々に確信めいた、力強い音階となって早口で歌い出していた。

「―――パンパーン パパパ パララン パパパ パララン パパパ パララン パパパ パンパンパラララ パンパンパラララ・・・」

モーツァルトはそこで口ずさむのを止め、脱兎のごとく駆け出して、奥の部屋へと消えた。
さては逃げたか、と思って美神が追いかける間もなく、取り憑かれたように掻き鳴らすチェンパロの音が聞こえてきた。
それはヨーロッパの人々が初めて耳にするメロディ、そして後に様々な音楽のモチーフとして取り上げられることになるクラシックの名曲、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」であった。


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