椎名作品二次創作小説投稿広場


ANADEUS

7.弦楽四重奏曲第19番ハ長調「不協和音」 第1楽章


投稿者名:赤蛇
投稿日時:06/ 1/27

「それで、いったいどんな用件ですか? ええと―――」

これ以上文句を言っても埒があかない、とでも悟ったのか、モーツァルトは永遠に失われた楽曲をあっさりと捨てることにした。
目の前に座る連中は招かれざる疫病神には違いないが、それでも美人であるならば追い返すつもりもない。
特に、真中に座る美女―――妻・コンスタンツェと同じ顔と肉体を持った全くの別人に、少なからぬ興味を引かれてもいたのだった。

「美神よ。美神令子」

「―――美神さん?」

本来ならば、与り知らぬ魔族に名を名乗るのは愚かな行為だと重々承知しているのだが、ここはモーツァルトの問いに正直に答えることにした。
よく見知った顔にほだされてしまい、というわけでは決してなく、そうすることが最善のことのように思えたからだった。
ゴースト・スイーパーという仕事に携わるものならば、なによりもまず己の直感を信じなければならない。
それはもう、美神の信念とも言えた。

「その前に、もう一度確かめさせてもらうわ」

話のペースを保つため、改めて自分から質問を投げかける。
たとえ相手が魔族であろうと人間であろうと、こちらが主導権を握っておくに越したことはない。

「あなたは、本当にウォルフガング・アマデウス・モーツァルトかしら?」

そう問いかけた美神は、目の前に立つ男の反応を確かめるべく、じっと目を見据えたままで言った。
モーツァルトはその問いにすぐには答えを返さず、あごに片手を当て、甘いトカイ・ワインの銘柄でも選ぶかのように考えている。
似合わぬ様子に美神は苛立ちをつのらせるが、あれは違うのだと自分に言い聞かせて、どうにか押さえることが出来た。
まだ背中のファスナーが下ろされたままのようで、そのむずがゆさについ身をよじらせてしまうが、今は相手に口を開かせなくてはならない。

「そうだ、と言って、それをどうやって確かめます?」

およそ一分ほども考えた挙句、バッハのフーガのように転回させて切り返してきた。
短い旋律の間に主題が切り替わったことに、美神はすぐには気がつかなかった。

「この音楽の都に、僕以上の作曲家がいるとでも?」

モーツァルトは同意を求めるように両手を広げ、両脇に座る二人を見渡して軽薄そうに笑った。
そうした仕草ひとつ見ても、やはりこの男は横島などではない。

「結局、信用してもらうしかないわけですよ。僕がモーツァルト本人だということをね」

「そうするしかなさそうね」

不本意なのを隠そうともせずに美神は同意した。
この顔相手に主導権を握り損ねるのはなんとも癪だったが、だからといって無闇にしばき倒すわけにもいかない。
それに、つけ入る隙はまだ他にもある。

美神の答えに、モーツァルトは満足そうな笑みを浮かべる。
横島と全く同じ顔、全く同じ声の別人を見上げ、おキヌは居心地の悪さを感じていた。
それはちょうど、月から帰還して記憶喪失になったときの横島を見て抱いた不安感と一緒だった。

そんなおキヌの表情を見て、モーツァルトはさらに得意そうになり、わざわざ指を立てて美神の間違いを指摘する。
芝居掛かった迂闊なその仕草に、美神は魚が食いつくのを予感して密かに期待する。

「だけど、ひとつだけ違う点があるかな」

「―――どこが?」

「僕は”ama deus”(神に愛されし者)なんかじゃない、ってことですよ」

「―――それで?」

お調子者がうっかり漏らした告白に、美神は内心してやったりと思ったが、もちろんそれを顔に出すようなまねはせず、渋面を向けたままでいた。
横島クンのくせに私を煙に巻こうなんて二百年早いのよ、と相手をすりかえて勝ち誇るが、美神は大事なことを一つ計算に入れていなかった。
迂闊な者はこちら側にも一人いたのである。

「えっ? えっ? どういうことなのねー?」

二人のやりとりについて来れなかったヒャクメが、よせばいいのに茶々を入れる。
せっかくモーツァルト自身が自分の本当の名前を口滑らせたというのに、聞き返してしまっては相手に警戒させてしまう。
神族の調査官のくせにそんなこともわからないのか、と怒鳴ってやりたかったが、そうしてしまってはこちらが気づいたことを知らせるようなものだ。
やむなく美神はテーブルの下で、向こうに立つモーツァルトから見られないようにヒャクメの足をつっつくが、もちろんヒャクメがその意図を解するはずもない。

「ちょっ、ちょっと美神さん? なんで私の足を蹴飛ばしたりするのねー?」

ああ、もう、なんて役立たずなのかしら!と涙が出そうになったが、図らずも意外なところから助け舟が出されてきた。

「なかなか、楽しそうな方ですよね」

モーツァルトは笑いをこらえた顔をして尋ねる。
自分では余裕のある態度でいるつもりなのだろうが、きれいな二人のことが気になってしかたがない様子が丸わかりだった。
話をごまかすために、美神はその下心に飛びつくことにする。

「改めて紹介するわ。こちらが氷室さん―――私のアシスタントをしてもらっているわ」

美神はおキヌを名前では呼ばず、苗字だけで紹介した。
この時代に存在するおキヌには苗字などなく、ただ名前だけで呼ばれていた。故に苗字だけなら、それは彼女のことを意味しない。
いかに害意はないと判断したとはいえ、魔族相手におキヌの名前まで知られてしまうのは得策ではない。
そして、おキヌはヒャクメと違い、こういうときに美神の意図を察するのには慣れていた。

「はじめまして」

一人だけフランス軍の制服を着たままのおキヌは、窮屈そうに首をちょっとだけ下げて会釈する。
他の二人と違い、すっかり衣装を着替えるはめになってしまったので、今ここで脱ぐわけにはいかなかったからだ。
もっとも、もし脱いだとしても、モーツァルトはその非礼を非難するどころか、諸手を上げて歓迎するに違いない。

「―――そして、こっちがヒャクメ。彼女はまあ、なんというか・・・」

美神にしてはめずらしく、歯切れの悪い口ぶりで紹介する。
カトリックの勢力が圧倒的に強いこの地において、神族としてのヒャクメは異端そのものでもあり、魔族との違いがなんなのか今一つ確信が持てなかった。
それに加えて、さっきから自分の足を引っ張り続けるこのうっかり者を、通説的には人間の上位に置かれている神族として紹介するのも腹が立つ。
そんな美神の心底を察したのか、モーツァルトがその答えの後を引き継いで言った。

「神族の方、ですよね?」

「そんな「方」なんて畏まって言うほどのもんじゃないわ。神族と言っても大した力もない下っぱよ、下っぱ」

そのままモーツァルトの台詞を聞いて流しておけばよかったのだが、どうにも面白くない美神は、ついついよけいな一言を付け加えてしまう。
結局、美神も人のことを言えないほどには迂闊であったというわけだった。

「ひっどいのねーー! これでも私はれっきとした神界でも指折りの調査官なのねー! 下っぱなんかじゃ決してないのねーー!!」

「うるさいわねっ! さっきから全然間合いが読めていないくせに、いったいどの口がそんなこと言うっていうのよっ!? アンタのその目はお飾りか何かなのかしら?」

「そんなことないのねー! 私のこの目は、どんな真実でも探し出して調べることが出来るのねーーっ!!」

「だったら余計なことに口を出さず、黙ってその真実とやらを探しなさいっ! アンタにそれが出来るのならねっ!!」

「あーーーっ! そんなコトまで言うのねーーーっ!?」

売り言葉に買い言葉、魔族の目の前で内輪もめを始めてしまった二人だったが、ヒートアップしてしまったヒャクメは、ついに決定的なことを口走ってしまう。

「そんなコト言うんだったら、美神さんなんか絶対、未来に連れて帰ってなんかあげないのねーーーっ!!!」

「ヒャ、ヒャクメ様っ!? そ、それは・・・」

「なに? おキヌちゃんも美神さんの肩を持つって言うの!? だったらおキヌちゃんも21世紀になんか連れて帰ってあげないのねーーーっ!!」



「なるほど。未来から来た方々、というわけですか」

ヒャクメの絶叫のあと、実におもしろいものを堪能した、というようにモーツァルトは満足そうに頷いた。

「あなたもいろいろと気苦労が多いようで」

モーツァルトはときどき横島がおキヌに見せる、笑い出しそうでいて困ったような顔をしていた。

「―――おキヌさん?」

その一言によって、美神は隠しておこうとしたことが全て露見したことを悟ったのである。


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