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ANADEUS

6.オペラ・ブッファ「騙された花婿」 序曲


投稿者名:赤蛇
投稿日時:06/ 1/14

「とりあえず、中に入れてもらえるかしら―――モーツァルトさん?」

いかにも策のないヒャクメの態度に美神は内心で舌打ちしつつ、何気ないふうを装って聞いた。
あからさまに自分の正体を暴露されたにもかかわらず、モーツァルトは別段騒ぎ立てるような真似は見せなかった。
ドアを開けたときは明らかに動揺していたのだが、図らずもそのヒャクメの一言によって立ち直るきっかけを与えてしまっていた。
たとえ横島と同じ顔をしているとしても、油断のならぬ魔族相手に、これ以上こちらの手の内を明かしたくはない。

「あ、ああ、どうぞ」

まだ若干の動揺を声に見せながら、モーツァルトは美神たちを中に招き入れた。
この奇妙な三人連れの目的はわからなかったが、下手に扱ってやっかいなことになるのは避けたかった。
漏れた気配を悟られてしまったのは不覚だったが、今ならまだどうとでも言いくるめることが出来るはずだ。

それにこの三人とも、特にリーダーらしい中心の女は美人だった。
まだヤヌスを被っているので顔はわからないが、その声からして美人であることには間違いはない。
ならば、せっかくの来訪を断る理由がどこにあるというのだろうか。



モーツァルトの招きを受けて、美神は遠慮するでもなく、すぐに部屋の中に足を踏み入れた。
陽が落ち始めていた室内の光を、視界を狭める仮面がことさらに奪っていた。
壁や室内のあちこちに置かれた燭台にろうそくの火が灯ってはいたが、現代人の目に絶望的なまでに薄暗く感じさせた。

「―――これはもう、脱がせてもらうわ」

美神は仮面のふちに手を掛け、フードと一体となってすっぽりと被っていた衣装を脱ぎ始める。
もともとこれは、他の誰かに見られないようにするために着て来たのであって、こうして無事に中に入れたのであれば無用のものだからだ。
ヒャクメなどは、半分腹立ち紛れに部屋に入る前から脱ぎ捨てていた。

「ふうっ」

こもった熱気に少し顔を上気させ、美神はほっと一息をつく。
その顔を見たモーツァルトは、今度こそ驚きを隠せずに声を上げた。

「コンスタンツェ!?」

「え・・・?」

その声に美神は自分がわざわざ素顔を隠して来訪した理由を思い出し、彼女とは違うことを説明しようとするが、そうする前にモーツァルトが抱きしめてきた。

「誰かと思ったらお前か! いやー、すっかり騙されちまったぜ」

「ちょっ・・・ ちょっと待って・・・」

耳に息を吹きかけられた美神の身体から、ふっと力が抜け、抵抗する機先を削がれてしまう。

「普段のドレスもいいけど、こういう、なんというか、ぴっちりとしたのもまた違った魅力で・・・」

抱きしめたままモーツァルトは美神の首筋にキスをしながら徐々に下り、ドレスと同じように大きく露出させた胸に顔をうずめる。
他の二人がいることも忘れて胸にキスを繰り返し、後ろに回した手で背中からお尻にかけてやさしく愛撫する。
思わぬなりゆきに美神の思考はしばし停止し、顔を真っ赤にしてなすがままになっていた。

再び目の前で繰り広げられる、それも美神本人と横島と同じ顔をした二人の営みに、おキヌは顔はおろか全身を真っ赤に火照らせて、かぶりつくようにじっと見つめている。
ヒャクメなどは先程までの怒りもどこへやら、「カメラ! カメラ!」などと言いながら、大慌てでトランクの中をひっ掻き回していた。

「ああ、もう辛抱たまらーーーん!」

「あっ・・・ やだ・・・ そんな・・・」

いつのまにか器用に自分の服を脱ぎ、モーツァルトは後ろ手に美神の服を脱がそうとする。
あるはずのホックをまさぐり、この時代にないファスナーの使い方に戸惑うが、恐るべき男のカンで探り当て、ゆっくりと下ろしていく。
肌が徐々に露出していく最後の一線のところで、美神はようやく我を取り戻した。

「やめろっつってんでしょ!! このバカたれがーーーっ!!」

「あうっ!?」

羞恥心のあまり、霊力を最大限に込めて振り下ろした拳に、モーツァルトは伸びて床に転がってしまった。
その、事務所ならばよく見慣れた光景に、まだ顔の赤いおキヌは驚きの声を上げた。

「美神さんっ!? なにをするんですかっ!?」

「よ、横島クンのくせに・・・ わ、私を感じさせるなんて、生意気なのよっ!!」

「その人は横島さんじゃないですよっ!?」

「あーあ、いいところなのにー」

「うるさいわねっ!! だいたい、ヒャクメ! そのカメラは何よっ!?」

「これはただの記録映像なのねー 美神さんには関係ないのねー」

「そんなはずあるかーーーっ!!」



女三人の騒ぎにもかかわらず、気を失って伸びているモーツァルトはなかなか目を覚まそうとしない。
おキヌは心配そうに声をかけるが、それに答える美神の顔はまだ赤かった。

「み、美神さん、モーツァルトさんが起きてこないんですけど・・・」

「ふん! そんなヤツ、ほっとけばいいのよ!」

「でも、横島さんじゃないし、ひょっとして打ち所でも悪かったのかも・・・」

「魔族なんだからこのぐらいで死ぬはずもないし、そのうち目を覚ますって」

「でも・・・」

それでもおキヌには不安がつきまとって仕方がない様子だった。
魔族と比べて回復が早いと思われている横島は人間としてどうかと思うが、事実なのだから致し方ない。
たまりかねたおキヌはモーツァルトの横にしゃがみ、効くかどうかわからないがヒーリングを施してみる。
それほど強力な能力ではなかったが、少しずつ顔色が良くなってきたように見えた。

「あー、死ぬかと思った」

一分ほどした後にモーツァルトはようやく意識を回復し、どこかで聞いたような台詞を吐いて体を起こす。

「よかった、気がついたんですね」

おキヌは安堵して胸を撫で下ろす。
歴史上の人物を殺害することにならなかったためか、美神もどこかほっとした様子だった。
だが、モーツァルトはそんな彼女たちを見ようともせず、頭をニ、三回振ると、突然大声を上げた。

「あーーーーーーっ!!」

「ど、どうしたんですか!? モーツァルトさん!?」

傍で驚いているおキヌをよそに、モーツァルトは飛び起きて奥の部屋へと走り込んでいく。

「ちょっと! どうしたって言うのよ、いったい?」

「ああーーーーーっ!!」

慌てた美神の呼びかけにも答えず、部屋の奥から一際大きな悲鳴が聞こえた。
いったい何事かと三人が後をついて覗き込むと、ビリヤード台に散らばった五線譜を握りしめて、わなわなと震えている。
今にも泣きそうな顔をして振り向くと、美神の前にくしゃくしゃの五線譜を突き出して叫んだ。

「どうしてくれるんじゃーーーっ!! せっかく完成したのを忘れてしまったじゃないかっっ!!」

「し、知らないわよ! 私のせいだって言うの!?」

「アンタの他に誰がいるっちゅーんじゃ!!」

「アンタがあんな真似をするからいけないんでしょう! なんか文句あるの!?」

「ううっ、もう少しで書き終わるとこだったのに・・・」

「あと少しだったら、また書き直せばいいじゃない」

「完璧に出来ていたものを直したら、それはもう芸術とは言わんのじゃーーっっ!!」

夕暮れどきの狭いドームガッセ通りに、一際大きなモーツァルトの叫びが響き渡る。
かくしてダ・ポンテの台本によるオペラ・ブッファは、未完のまま終わる定めとなるのだった。


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