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あの素晴らしい日々をもう一度

第八話


投稿者名:堂旬
投稿日時:06/ 1/ 9

あの素晴らしい日々をもう一度

  第八話   動き始めた逆行者 後編







 天竜童子は不安からか、あるいは寂しさからか、出きるだけ人が多く集まるほうへと歩いていた。
 しばらく歩いていると、先ほどまでの閑散とした住宅街の様子が嘘のような、人ごみ溢れる大きな建物が見えてきた。デパートである。
 童子は今まで見たことの無いその建築物に目をキラキラさせながら中へと入っていった。
 童子がデパートの中に入っていくのを舌打ちしながら眺めている者達がいる。先ほどから童子を拉致するタイミングを計っていたイームとヤームである。もちろん二人とも人間に擬態している。

「くッ…よりによってこんな人間が多いところに入りやがった」

「あ、あああんまし良くない状況なんだな、アニキ」

 イームの言葉にヤームは頷く。

「これだったらさっさと捕まえちまえば良かったぜ……もうあんまりグズグズしてらんねえ。『あの方』に怒られちまう」

「ど、ど、どうするんだアニキ?」

「しょーがねえ…! 逃げ場所が限定される建物に入ったことを幸運と考えちまおう。なるべく目立たないように拉致る。行くぞ、イーム…!」

「そ、その判断力と大胆な行動力……さ、さすがなんだな、アニキ!」

 どう考えても行き当たりばったりな結論でデパートの中へ突入する二人。その二人をさらに尾行する影があった。

「デパートの中へ…? どうやら天竜童子はあそこにいるようね。行くわよ!」

「「おうさッ!!」」

 ずっとイームとヤームを尾けてきていた美神もまた、二人の鬼門を引き連れ、デパートへと突入していった。
 童子は周りのもの全てが興味深いのかしきりにキョロキョロしながらデパート内を歩いていた。

「おお! なんじゃアレは!! 階段がひとりでにうごいておるぞ!! むむ、なになに…? エスカレーターというのか。まったく人間は凄いのう!!」

 どうやら天竜童子、カタカナはきちんと読めるらしい。天界にいた時も何かしら最近の出版物に目を通していたのだろうか。
 はしゃぎながらエスカレーターを乗り継いでいると、いつの間にか4階まで辿りついていた。4階は紳士服売り場、婦人服売り場のほかに家電コーナーが設けてある。
 童子は家電コーナーにあるプラズマテレビを見ると歓声を上げた。

「おおー!! このテレビはちゃんと色が着いておる!! それに大きさも妙神山にあるものとは大違いじゃ!! しかし…なんと鮮やかな色合いじゃ……!!」

 あまりに色鮮やかな映像に感動する童子。すると画面ではデジャブーランドのCMが流れ始めた。

「うう〜!! 余はデジャブーランドに行きたいのじゃあ〜〜!! 誰か連れてゆけ〜〜!!!!」

「もっといいところに連れて行ってあげますぜ、殿下」

「!!!!」

 突然背後からかけられた声に、童子は驚いて振り返る。イームとヤームがそこにいた。

「お、お前らは一体……!!」

「お、大人しくするんだな、で、殿下」

「大人しくしてりゃ手荒なマネはいたしません。しかし騒ぎ立てるようなら…」

 ヤームの眼がギラリと光る。童子は思わず声を上げていた。

「小竜姫ーーーー!!!!」

「ッ!! チィ!! しょうがねえ、気絶させろイーム!!」

「す、すまないんだな、殿下」

 ノッポのイームが童子へと手を伸ばす。まだ子供ゆえに竜の力にまったく目覚めていない童子はただ震えることしか出来なかった。
 イームの手が童子へと触れる―――その刹那。
 美しく、長い亜麻色の髪をした女が二人の間に割って入っていた。

「そうはいかないのよね! ハッ!!」

 風のように躍り出たその女―――美神令子はその手に携えた神通棍を振るい、イームの腕をなぎ払った。

「ぐぅ…!!」

「イームッ!! てめえ、何者だ!!!!」

「アンタ等に名乗る名前は無いわよ!!」

 美神は童子を脇に抱えると素早くイーム・ヤームから距離を取る。
 美神とヤーム達の間に二人の鬼門が立ちはだかった。

「美神殿!! ここは我等に任せ、殿下を安全なところに!!」

「OK! 任せたわよ!!」

 鬼門たちに背を向け、階段へと駆け出そうとする美神。しかし足を踏み出した途端に背後から爆裂音が響いた。
 嫌な予感に振り返る。
 鬼門の二人は見るも無残にノック・アウトされていた。

「アンタたちーーー!! 瞬殺にもほどがあるでしょ!? それでよく妙神山の門番やってるわね!!」

「め、面目ない…」

「無念じゃ…!」

 それだけを言い残して左右の鬼門はガクリと倒れ伏した。う〜ん、役立たず。

「たかが鬼の分際で竜族の相手をしようってのが間違いなんだよ。なあ、イーム?」

「え? そ、そうなんだな。がはは」

 何か霊波砲でも放った際に生じたのか、立ち篭る煙の向こうからイームとヤームが姿を現す。二人ともすでに擬態は解け、正体をさらけ出している。

「ホントに揃いも揃って役立たず…! 足手まとい一人抱えてこんな奴らどうしろってのよ…!!」

「おいッ! 足手まといとは余のことではあるまいな!?」

「他に誰がいるのよクソガキ!!」

「ぶ、無礼な!! 余は誇り高き竜神王が第一子、天竜童子なるぞ!! 口を慎めッ!!!!」

「大体アンタが妙神山勝手に抜け出したからこんなことになってんでしょーがぁーーー!!!!」

 あまりの美神の迫力に二の句が告げなくなる天竜童子。ヤーム達も唖然とその様子を見守っていた。神界でも相当な地位にいる童子にこんな口をきく人間など見たことが無い。
 美神は荒くなった息を整えようと一つ深呼吸をした。
 ヤームが一歩、美神の前に進み出る。

「さあ、殿下を渡しな」

「生憎、そんなわけにもいかないのよ。こっちも一応仕事でやってるからね」

「じゃあ力尽くだッ!! 殿下は渡してもらうぜえッ!!!!」

「わ、渡してもらうんだな!!」

 ヤームの額から生える二本の角から放たれた魔力をかわすと、美神は童子を抱えたまま階段を目指した。
 童子を抱えたままヤーム達を相手にして勝てる可能性は低い。今はとにかく時間を稼ぎ、小竜姫がこちらの異常を察知するのを待つしかない。

「早く来なさいよ役立たずーーー!!!! じゃなきゃアンタホントに役立たずよーーーーー!!!!!!」

 美神は届けよこの想いとばかりに、ここにはいない初心な美少女竜神様に向かって心の底から吼えた。




 さて、その頃その美少女竜神様はというと――――

「こ、ここはどこですかおキヌさん!?」

「ふえ〜、わかりませ〜ん! ごめんなさ〜〜い!!」

 未だに迷っていた。




 美神は前後を挟まれてしまっていた。チッと思わず舌打ちが漏れる。やはり子供一人抱えて走るとなるといつもの八割の速度も出やしない。
 イームとヤームから繰り出される攻撃を、華麗な身のこなしでかわす。かわす。かわす。

「凄いなお前!! 余の部下にならぬか!?」

「やかましい!! 黙ってなさい!! 舌噛むわよ!!」

 再びヤームから繰り出された怪光線をかわす。
 美神の顔が青ざめた。
 完全にかわしたのに―――? 確かにその光線は美神の体には触れていない。
 では何故美神は青ざめている―――? その理由は簡単だ。
 美神の目の前で破壊されたプラズマテレビの破片が舞う。その破片が舞う中に、読み取れる文字があった。

『大特価!! 678000円!!』

 ヒラヒラと宙を舞うその紙には、赤く太い文字でそう書かれていた。
 そのほかにも掃除機が飛び、洗濯機が砕け、冷蔵庫が粉々になっていく。
 乱れ飛ぶそれらを目に収めながら美神は考えていた。

 まさか―――――

 まさかとは思うけど―――――

 私に請求がくるのではないでしょうね―――――?

 ありえない話では、ない。
 もはや壊滅状態にある家電コーナーの損害賠償の請求。今もなお破壊を続ける目の前のブサイクな二人の竜族にいくわけがない。大体デパートの連中にこの二人の身元を特定することなんて出来やしない。
 だが、その二人と交戦している自分はどうだ?
 自分でいうのもなんだが『美神令子』の知名度は中々のものだ。このまま戦闘を続けていればこのデパートに勤めている誰かが絶対に気付く。

―――冗談じゃない。なんで私がそんなお金を払わねばならないの?

 冷静に考えれば払いたくもない金を払って加入しているいくつかの保険でなんとかなることに気付いたかもしれない。あるいは、デパート自体がなんらかの保険で何とかする可能性だってある。何しろこれはまぎれもなく一種の災害なのだから。
 だがこの時、美神令子はいささか混乱していた。
 婦人服コーナーを見つけた美神は迷わずその中に飛び込むとレジの前に並べられていたマフラーを一つ掠め取った。
 そしてそのマフラーをくるくると顔に巻きつけていく。

「何をやっとるのじゃお前?」

「やかましい!!」

 童子の疑問を一蹴し、目だけ出した状態でマフラーを顔に結びつける。その姿はまるでロールパンナちゃんだ。
 レジカウンターの中で状況をまったく把握できずに唖然とする店員の前に美神は三枚のお札を置く。

「釣りはいらないわ」

 それだけを店員に告げると美神は再び身を翻した。一瞬前まで美神がいた場所が弾け、煙が立ち上る。美神の顔に巻かれたマフラーの値札がヒラヒラと揺れた。
 そこに書かれた値段は2990円(税込)。
 美神が置いたお札がひらひらと宙を舞い踊る。

 それに刻まれた数字は―――――

 1000、1000、1000。

 さん、ぜん、えん。

 つり、じゅう、えん。

 すごいぜ、美神さん!! さすがだぜ!!

 とかなんとか言ってる間に美神達はピンチに陥っていた。







「ああ〜! こうしている間に殿下に危険が迫っていたりしたら〜〜!!」

 どことも知れぬ街で小竜姫は頭を抱えて天を仰いだ。
 というか今まさに危機の真っ只中ですよ竜神様。
 おキヌは恐る恐る小竜姫に提案した。

「小竜姫様、とにかく一度事務所に戻ってみませんか? もしかしたらもう美神さんたちがてんりゅ〜さまを保護してるかもしれないし、ここにいるよりは百倍マシだと思うんですけど…」

 小竜姫の顔がパッと輝く。

「帰り道わかるんですか!?」

「電車に乗りさえすれば、お仕事で何回も乗ったから、どこで降りればいいかはわかるんです」

 その言葉に小竜姫は、今度はジト目でおキヌを睨みつけた。

「駅まではどうやって行くんです?」

「………えへっ♪」

 思わず照れ笑いのおキヌちゃん。かわいいぜチクショウ。

「ああ〜もう〜〜!! 空さえ飛べれば何とかなるのに〜〜〜!!!!」

 小竜姫は元気よく嘆いて自分の服装を見下ろした。
 水色を基調とした白いロゴ入りのTシャツ、これはまあいい。体のラインが浮き出すのが多少気になるけども、まだ許容範囲だ。
 問題はこの淡い黄色のミニスカートだ。そう、『ミニ』スカートなのだ。
 こんなものを着て空を飛ぼうものならその『中』が下の群衆から丸見えになってしまう。

「こんな服着せるから〜〜〜!!!!!!」

 空を飛んだ自分を下から見上げた画を想像して真っ赤になりながら小竜姫は叫んだ。
 そんな小竜姫とオロオロとなだめにかかっている巫女服少女のペアは群衆の注目の的だった。
 そんな二人を遥かな空から見下ろす影がある。その影はフード付きの紫紺の長衣(ローブ)を身に纏っており、その正体はわからない。

「ふふふ…イームとヤームはよくやっている。多少目立ちすぎなのが気になるがまあそこは目を瞑ろう。あの二人のことが天界にばれたとて、私には到底繋がるまい…小竜姫があの人間から離れたのは幸いだった」

 思った以上に艶のある声がローブの奥から漏れる。どうやらこのローブを纏った人物は女性であるらしかった。
 この女は美神達の状態も把握しているらしい。

「さて、では仕上げに入るとするか…小竜姫はここに足止めしておいた方が無難だな…万が一にも合流されたら厄介だ」

 女は目深に被っていたフードを外す。美しい顔が現れ、長い金髪が零れ落ちた。その髪が不気味に蠢きだす。やがてその髪から何匹も何匹も怪物―――ビッグ・イーターが生まれ始めた。
 次々に生み出され、おぞましいほどの数に膨れ上がったビッグ・イーターは目立たぬよう、少数に分かれて眼下の街に降下していく。

「さて、あとは天竜のガキを殺して終いだ。簡単な仕事だったねえ」

 ビッグ・イーターが小竜姫と接触し、戦闘が始まったことを確認してから、女―――メドーサは美神が交戦しているデパートへと向かった。







 突如、空から襲ってきたビッグ・イーターの群れを小竜姫はものの数分であらかた切り伏せていた。

「小竜姫様、大丈夫ですか?」

「…急ぎましょう、おキヌさん。殿下の身にも何かが起こっているに違いありません」

「はい…あ、小竜姫様!! あれッ!!」

 おキヌが指差した先―――空から無数の黒点が迫ってきていた。

「くッ…第二陣がもう…!」

 小竜姫は剣を構えながら辺りを見回す。周囲には何事かと人垣が出来始めていた。

「このままここで戦っては周囲の人にも犠牲が……! おキヌさん、こっちへ!!」

「は、はい!」

 小竜姫は人気のない路地へと飛び込むとそこでビッグ・イーターを待ち受けた。幸いなことに、その路地には小竜姫とおキヌ以外、人気がない。

(くっ…殿下……!)

 小竜姫は歯噛みした。このままではビッグ・イーターをけしかけた『誰か』のいいように時間を稼がれてしまう。こうなってしまってはもう空を飛んで急行することも出来ない。
 おキヌがいるからだ。これまでの動きを見ても、おキヌの飛行速度はビッグ・イーターのソレより遅い。ビッグ・イーターの石化能力は霊体にも有効だ。もし自分だけが先行したら、おキヌはその魂を砕かれてしまうだろう。
 全方位を警戒しなくてはならない空でおキヌを庇いながら戦うよりは、下に注意を向けなくてすむ地上で迎え撃ったほうが遥かにマシだ。
 だが、それでは膨大な時間を浪費してしまう。それではまずい。
 だが、でも、しかし―――――
 ぐるぐると回る思考の堂々巡り。その間にビッグ・イーターの群れはもう目の前まで迫り来ていて、小竜姫には思考する暇さえ無くなった。






 美神は追い詰められていた。すでに顔を覆っていたマフラーは焼け落ちて、無い。連続する攻撃に、4階フロアの隅に追いやられ、背後に壁、左手にも壁、正面にはヤーム、右手にはイームが通せんぼしている。
 逃げ道は、ない。

「もう終わりだな。イーム!」

「お、おうアニキ」

 イームは長い舌を伸ばすと天竜童子を抱えている美神の右手を絡め取った。童子はドサリと床に投げ出される。

「くっ…」

「殿下、こっちへ来てくだせえ」

「い、いやじゃ!」

「来なければその女を殺します」

「!!」

 童子の動きが固まった。ゆっくりと美神を振り返る。

「大人しくこっちに来てくれれば女には何も手を出しません。殿下、俺たちは殺しがしたいわけじゃないんです。わかってくだせえ」

 美神は何も言わない。ただじっと天竜童子を見つめている。
 童子はふっ、と笑った。

「約束じゃぞ?」

 ヤームの方を振り返って確認する。ヤームはこくりと頷いた。
 童子はヤームの方へと歩みだした。

「アンタ……」

「すまなかったな…余のために…安心せい、余は他人を犠牲にして生き延びるような下衆ではない」

 恐怖を必死に押し隠した不器用な笑みを、童子は浮かべた。けれどもそれは、誇りに満ちた笑みだった。
 美神に背を向け、再びヤームのほうへ歩き出す。

「やるじゃない、アンタ」

 美神は笑った。
 それは目の前のクソガキに心底感心した笑みであり、そして――――勝利を確信した笑みだった。

「―――ッ!? お前、何を!!」

 美神の背後にある『モノ』を確認したヤームは驚きの声を上げる。
 その壁には奇妙な図形が描かれていた。

「ア、 アニキ!!」

 イームの声にヤームは慌てて辺りを見渡す。その図形は4階フロアのそこかしこに同じように描かれていた。
 それは見るものが見れば一発でわかる紋様。
 『結界の魔方陣』。

「逃げながら…俺たちの攻撃をかわしながらこれだけの数を描き上げたってのか!? 馬鹿な!! ただの人間にそんな真似―――――」

「覚えときなさい。私は美神令子。この私の前には神も悪魔も平伏すのよ!! 『結界』発動!!!!」

 美神の叫びと共に4階フロアが結界に包まれる。イームとヤームの動きは完全に縛られた。

「くっ…! 馬鹿め!! これでは殿下も身動きできないだろう!!」

 ヤームは笑う。竜族である自分たちを縛り得る結界だ。当然同じ竜族である天竜童子にもその影響は及ぼされるはずだ。

「…? 余は何とも無いぞ?」

「な、なんで…!?」

 ひょいひょいと体を動かす童子。美神はその襟をむんずと掴んだ。

「いいから逃げるわよ!! なにぐずぐずしてんのよッ!!」

「わわわわわわわ!!」

 そのまま童子を抱えあげ、美神は階段を駆け下りる。
 まるで首をつままれた猫のようになりながら、童子は美神を見上げた。

「なあ、どうして余には結界が効かなかったのじゃ?」

「アンタは天界最強の結界破りを持ってるでしょ。小竜姫に聞いたのよ」

「あ」

 美神はそのままデパートを飛び出し、事務所へと急いだ。
 鬼門たちは完全に忘れ去られていた。






 もう何匹目になるかもわからない。口を開いておキヌへと突進したビッグ・イーターを切り捨てる。

「小竜姫様…! 私なら大丈夫です!! てんりゅ〜様の所へ行ってあげてください!!」

「そんなわけには…いきません」

 言いながら再び小竜姫は剣を振るう。
 おキヌは堪らなかった。自分が足手まといになっていることがくやしくて堪らなかった。
 おキヌにはわかっていた。小竜姫がどれだけ天竜童子を心配しているか。どれだけ駆けつけてやりたいと思っているか。
 歯がゆかった。

「ごめんなさい…小竜姫様」

「謝ることはありませんよ、おキヌちゃん」

 おキヌはハッとして小竜姫の顔を見つめる。
 小竜姫は微笑んでいた。
 おキヌ『ちゃん』。
 その言葉に、小竜姫の気持ちが、想いが全部詰まっているような気がした。

 『ほんとうに気にしないで』『あやまらないで』

 思わず、涙がこぼれていた。
 幽霊でも、泣けるんだ。おキヌは場違いな感想を抱いた。

「…ありがとう」

「お礼も…いりません」

 同時に4匹のビッグ・イーターが襲い掛かってきた。斬り捨てる。一匹、二匹、三匹――――四匹目は間に合わなかった。
 四匹目のビッグ・イーターがその醜い大口を開けて小竜姫の肩口に喰らいつかんとする。
 思わずおキヌは小竜姫の前に飛び出していた。
 そんなおキヌの目の前で。


 ビッグ・イーターが吹き飛んだ。


「…えっ?」

 口がポカンと開いて声が漏れる。まったく予想していなかった。完全に想定外の男がそこにいた。

「ピンチ?」

 まさか素手でビッグ・イーターを殴り飛ばしたとでもいうのだろうか。拳を振り切ったその姿勢のまま、おキヌに訪ねてきたこの男。
 どこかふわふわした、間の抜けた雰囲気を漂わせるこの男。そう、こいつの名は―――――

「武田さんッ!!!!」

「イエス、アイ、ドゥー!!!!」

 そう、コイツの名は――――――武田 武(たけだたけし)。

「武田さん、どうしてここへ!?」

「いや、ちょっと横島と遊んでたんだけどさ、なんかあいつ『野暮用があるから』って言ってどっか行っちまったんだよ。んで、暇になったからさ〜この辺ぶらついてたらなんか『女の子二人組みが化け物に襲われた』ってそこらじゅうで言ってやがってさ、詳しく聞いたら片方は足が無い巫女さんって言うじゃない! ピーンときたねコレ。そんでその辺の路地走り回ってたらここにたどり着いたわけでございます!!」

「おキヌちゃん、この方は?」

「武田 武さん、横島さんのお友達です」

 『横島の友達』という言葉に小竜姫は思いっ切り顔をしかめた。どうやらまだまだ横島にされたことは忘れちゃいないらしい。
 紹介された当の武田は小竜姫を見るとそのまま目を見開いて固まってしまっていた。

「おキヌちゃんッ!!!!」

「は、はい!」

「このお方は一体!?」

「あ、この人は小竜姫様。こう見えて、偉い神様なんですよ?」

「おキヌちゃん…『こう見えて』っていうのはどういう意味なのかしら?」

「あ、違います、その、悪い意味じゃなくて……」

 おキヌの物言いに何か引っかかったのか小竜姫がおキヌに詰め寄る。そのやり取りがあっている横で、武田はプルプルと震えていた。
 『プルプル』はやがて『わなわな』へとその擬音を変え、どんどん加速していく。

「あの〜、武田さん、どうしたんですか?」

 おキヌの声も聞こえているのかいないのか。
 武田の頭からプチンと音がした。




「横島ぁーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!! お前はこんな美少女の裸を見たってのかぁーーーーーーーーーー!!!!??? ずりいぃぃぃぃ超ずりいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」

 アホ丸出しである。

「な、なななななな……!!!!」

 小竜姫の顔が真っ赤に染まる。
 あまりの恥ずかしさに声も出ない。
 気付けばビッグ・イーターが群れをなして迫ってきていた。

「なんじゃあ!? なにしとんじゃあ!? オラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!!!!!!!」

 ビッグ・イーターを片っ端から殴り飛ばしていく武田。完全に憂さ晴らしだ。
 人間離れした動きで立ち回る武田。気付けばあれだけいたビッグ・イーターは全滅していた。

「もう終わりかコラァ!! あぁ、チクショー!! なんだこの気持ちッ!!!? やるせねえぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」

 頭を抱え、天に咆哮している。よほどくやしかったようだ。
 その武田の前に顔を真っ赤にした小竜姫が歩み出る。あまりの恥ずかしさからか耳まで真っ赤で、下唇をかみしめる小竜姫。小竜姫はそのまま右手を振り上げた。
 パアンッ…!! と小気味よい音が鳴り響く。おキヌは思わず目を閉じていた。






 美神は事務所にたどり着くと賓客用のソファーにどかりと腰を下ろした。

「あ〜疲れた〜〜!! ここならしばらくは大丈夫でしょ。あとは小竜姫が戻ってくるのを待つだけ……」

「のう…余はやっぱりオシオキじゃろうか…?」

「そりゃそうでしょ。しっかり教育されなさい」

「簡単にいうなぁ!! 小竜姫のオシオキは凄いんじゃぞ!? 泣く子も黙るぞ!? あんなもん!!」

「自業自得」

「むぐっ…!」

 確かにその通りなので天竜童子は何も言い返せない。実際、自分が妙神山を飛び出したせいで目の前の美神に多大な迷惑をかけているのだ。

「…体は大丈夫か?」

「心配してんの? 大丈夫よ、伊達に一流を名乗っちゃいないわ」

「……何かお礼でもできればいいんじゃが、生憎余があげれるものといったら小判くらいのものじゃ。本当はもっといいものを―――」

「アンタ超いいやつじゃない!!」

 美神の顔が変わった。百万ドルの笑顔だ。さっきまでの疲れた顔はどこへやら。
 この時、美神は気を抜いていた。緊張の連続が続いたことで、いつもなら常時張り巡らしている周囲への警戒を怠ってしまっていた。
 だから、窓の外に現れた長衣(ローブ)の人物に気付くことが出来なかった。






 左頬に紅葉のような跡を貼り付けた武田はさめざめと泣いていた。
 小竜姫はひとつコホンと咳払いをする。

「あなたが先ほど口走ったのは女性を辱めるという最低の言葉です。特に私は誇り高き竜神、小竜姫。故に失礼を働いたあなたには仏罰を下しました。以後、私に対して先ほどのような行為を働くことは許しません。もう一度同じ事をしたら―――殺しますよ?」

 本気で脅しをかけてくる竜神様に武田は青い顔でコクコクと頷いた。
 鬼のような形相をしていた小竜姫が、途端に柔和な顔になる。

「とはいえ…あなたがいなかったらどうなっていたかわかりません。本当に、ありがとうございました」

 そう言って、とても優しい笑みを浮かべる。
 今度は武田の顔が真っ赤に染まっていた。
 完全にやられた。ズッキュンドッキュンメロメロンだ。武田の心臓は16ビートの鼓動を激しく刻み始めていた。

「では行きましょう、おキヌちゃん」

「はい!」

 二人は先ほど武田から美神除霊事務所、その近所までの道のりを聞いていた。
 今はもう一秒でも時間が惜しい。小竜姫とおキヌは武田の目の前で飛び出した。

 武田の目の前で飛び出した。

 武田の目の前で飛び出した。

 武田の『目の前』で飛び出した。


「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!! 白ぉおおおお!!!!!!!!!!!」

「…? …ッ!? イ、イヤアアアアアアア!!!!!!!!」

 鼻血をジェットのように噴き出した武田の脳天に、小竜姫が投げた神剣が突き刺さる。
 頭からも噴水のように血を噴き出し、普通なら完全に即死している状態で、武田はとても幸せそうに笑っていた。








 ローブを身に纏ったその女―――メドーサは感心していた。

「あの状態から逆転するとは…やるねえ。確か…美神令子とかいったか?」

 『美神除霊事務所』と書かれたビルの一室、その中で一息入れている美神と天竜童子を眺めながらメドーサは呟く。

「『後々』のためにもお前のような人間は消しておくに限る。思わぬ一石二鳥になったもんだ」

 メドーサは事務所の中に火角結界を召喚しようとして―――やめた。

「そういえば結界破りを持ってるんだったねえ。しょうがない、ここはひとつ派手にいくとするか」

 メドーサの掌に魔力が集中していく。それは、こんなビルなど簡単に破壊できるような威力だった。

「なにッ!? この魔力はッ!!」

 さすがにそれほどの力が集中すれば、気を抜いていたとて美神は気付く。慌てて感覚を研ぎ澄まして周囲を探り、ビルの外の存在に気がついた。
 だが、それでは遅すぎた。

 メドーサの掌から霊波砲は放たれ―――

「くっ…! 結界を―――!!」

「美神ィーーーー!!!!」

―――桁違いの魔力に包まれた事務所ビルは崩壊した。

 ただの瓦礫の山となったビルを見下ろし、満足げに頷くと、メドーサはその場所を後にした。

「さて、あとはあの役立たず共を始末して、終わりだね」

 メドーサは未だにデパートで結界を破ろうと四苦八苦しているイームとヤームを思い浮かべ、残虐な笑みを浮かべた。







 メドーサが去ったあとの事務所、いや、正確に言えば元・事務所か。そこに積まれた瓦礫がガラガラと押しのけられた。
 瓦礫を押しのけて下からひょっこりと顔を出したのは―――美神だ。
 不機嫌をそのまま泥だらけの顔に貼り付けて、さらに下から天竜童子を引っ張り出す。

「……もぉーーーー!! なんなのよーーーー!!!!」

「美神、あやつは何者じゃ?」

「知らないわよ!! 今回の件の黒幕でしょ!? チクショー!! 正体わかったら絶対ぶっとばーーーす!!!!!」

「たくましい奴じゃのう」

 拳を硬く握りながらリベンジを誓う美神を横目で見つめ、童子はため息をつく。
 美神はジトリと童子を睨みつけた。

「…アンタ、さっき何をしたの?」

「わからん。無我夢中だったからのう。見よ。角が伸びておるじゃろう? これは余が大人になったということなのじゃ。多分、それで神通力が使えるようになったんじゃと思う」

 さっき、というのは先ほどのメドーサの一撃の時のことだ。あの時、美神の前に立った天竜童子から光が溢れ、メドーサの霊波砲を逸らしたのである。

「覚醒したてであれだけの力を出したの? 王家の血、ねえ……」

「部下にしてやろうか?」

「冗談じゃないわよ、クソガキ」

 ニヤリと笑う童子に美神は苦笑を浮かべながら答える。
 瓦礫の下で『護』と刻まれたビー玉のようなものが、静かに姿を消した。






 街で一番高いビルの屋上で、じっとメドーサの姿を目で追う男がいた。
 メドーサは今、『始末』をつけにデパートへと向かっているところである。
 やがてその男の右手にビー玉のような球体が現れた。その球体は黒と白に分かれており、そのそれぞれの部分に漢字が刻まれている。
 それは『飛』『翔』と読めた。

「…?」

 メドーサは妙な気配を感じてその場で止まり、後ろを振り返った。まだ、美神除霊事務所からそんなに離れてはいない。
 後ろから何かが迫ってきている。奇妙な圧迫感を覚え、メドーサは身構えた。

(何だ…? 何が…来る……?)

 やがて小さな点が見えた。
 一瞬前まで小さな点だった『ソレ』は、もう目の前に肉薄していた。

「なっ!?」

 信じ難いスピードだった。何しろ、メドーサともあろうものが戦闘態勢を取っていなかったとはいえ、反応できなかったのだから。
 目の前に肉薄してきたソレ―――それは男だった。薄汚いジーパン、ジージャンを身に纏い、薄汚れたバンダナを額に巻いている。男は薄く笑っていた。


 そう、それは―――――『横島』だった。


 『横島』が口を開く。

「ずいぶんと派手にやってくれたな。メドーサ」

「ほう…『気』だけで私とわかったのかい? 中々腕が立つようだねえ。そして私のことを知っている…なかなか博識じゃないか」

 メドーサの言葉に『横島』はぽりぽりと頭を掻いた。

「ああ…気にするな。『ついうっかり』だ」

「…? とにかく私の正体に気づかれた以上、生かしておくのは好ましくないねえ……悪いけど、死んでもらおうか」

「ハハッ!!」

 『横島』の手が輝き、固められた霊力が形を成す。だが模られたそれは果たして栄光の象徴なのか―――どちらかといえば、それは絶望の象徴のようだった。
 黒い、黒い手甲――――『絶望の手(ハンズ・オブ・ディスペイア)』。
 そのヒトには過ぎた暗黒の力がメドーサに叩き込まれる。

「かはッ!!!!」

 吹き飛んだメドーサは、今はもう使われていない廃ビルへと突っ込んだ。ガタがきていたそこはその衝撃に耐え切れず、あっけなく崩れ去る。
 崩れるビルの隙間を縫って『横島』もその中に飛び込んだ。
 『横島』の目にやや大きめな瓦礫を背にして倒れこんでいるメドーサが映る。立ち上がろうとしていたメドーサの右肩をその勢いのまま踏みつけ、再び瓦礫に押し付けた。

「くッ…あんた……何者なんだい…!? 人間が…これほどの力を持っているはずが…!」

「メドーサ、聞きたいことがある」

 メドーサの言葉は完全に無視して『横島』は問いかけた。









「ルシオラという名の魔族を知っているか?」










 しばらく考えた後、メドーサは口を開く。

「…知らないね」

 これは真実だった。メドーサは今までそのような名の魔族には出会ったこともないし、聞いたことも無い。
 『横島』はその言葉を信じた。あるいは何かしらの文珠で嘘は見抜けるようにしていたのかもしれない。

「そうか…『まだ』…か……」

 それだけを呟くと『横島』はメドーサの肩から足をどかした。

「何のつもりだい?」

「まだ派手に暴れるわけにはいかないんでな。それに…いいのか? 怖い竜神様が迫って来ているぜ?」

 それだけを言い残すと『横島』の姿はメドーサの目の前から消えた。
 その直後にメドーサは『横島』の言葉の意味を知る。
 小竜姫の気配がすぐ近くまで迫ってきていた。これはまずいとメドーサは立ち上がる。
 ズキン―――――!!

「くっ…!!」

 『横島』にやられた部分が激しく痛んだ。この状態で小竜姫と相対するのは無謀というものである。

(チッ…どうやら天竜童子も生きているようだね…! これもあの男の仕業か…!? おのれ、バンダナの男…覚えておいでよ!!)

 メドーサは乱れたローブを羽織りなおすと、その場から素早く飛び去った。
 その数分後に、小竜姫とおキヌがその場所に姿を現した。

「確かにココで何者かが争っている気配があったのですが…逃げたようですね。もしや、この事件の黒幕やもと思ったのですが……」

「小竜姫様、ここからだともう事務所はすぐです。急ぎませんか?」

「そうね、行きましょうおキヌちゃん」

 おキヌに促され、今はそれどころでないと小竜姫たちは飛び去った。


 実のところ、『横島』はまだそこにいた。『横島』は『迷』『彩』の文珠を用いて姿を隠していたに過ぎない。気配の消し方には自信があった。

「小竜姫様…今回はおもしろい服を着ていたな。それに…おキヌ『ちゃん』って呼んでた……俺が何も手を下さずとも歴史はこれだけずれ始めてる」

 『横島』は歩き始めた。この時代の家、あのアパートへ帰るために。

「死なせたくないんだ…それだけなんだ……」

 自分が見てきた『未来』を思い出し、『横島』の顔は歪んだ。





   第八話   動き始めた逆行者 後編

                     終


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