椎名作品二次創作小説投稿広場


ニューシネマパラダイス

Hong Kong


投稿者名:UG
投稿日時:06/ 1/ 1

 年の瀬も押し詰まり、美神除霊事務所も慌ただしい空気に包まれていた。
 事務所唯一の男手として、大掃除とか大掃除とか大掃除に重労働を強いられている横島の横では、美神が真剣な表情で帳簿の整理をしてる。
 言うまでも無いが整理しているのは裏の方の帳簿であった。

 「やっぱり、男の人がいると大掃除がはかどりますね」

 必死な美神を他所に、おキヌは楽しそうに作業中の横島を見上げた。
 横島はおキヌの支える椅子を脚立がわりにして照明の傘を外している。
 おキヌは二人協力しての作業に密かに新婚気分を味わっていた。

 「センセー、ちょっと手を貸して欲しいでござる」

 「ダーっ、今度は何だ!」

 シロに呼ばれ、外したばかりの傘をおキヌに手渡すと横島は窓ふき担当のシロの所へと近寄る。
 窓の高い所を指さしたシロの意図に気付いたおキヌの手の中で照明の傘が微かに軋んだ。

 「窓の高い所には背が届かないでござるよ。だから拙者を肩・・・・」

 大方の予想通り、横島に肩車してもらおうとしていたシロの鼻先に折りたたまれた梯子状のモノが突きつけられる。

 「・・・・なんでござるか?コレは?」

 「脚立というとても便利な道具よ」

 もう一人の窓ふき担当であるタマモに、横島との共同作業を邪魔されたシロは憮然とした表情を浮かべた。

 「そんなに便利なら、お主が使えばいいではござらんか。そっちの窓がまだ終わってないでござるよ」

 「いいのね・・・私がコレを使っても」

 うまい切り返しが出来たと自慢げなシロに、タマモは余裕たっぷりの表情で笑みを返す。

 「私が、この格好で、不安定なコレを横島に支えられながら窓ふきをして・・・、ホ・ン・ト・ウ・にいいのね?」

 ミニスカートの裾を軽くつまみながらタマモは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
 勝負は既についている。シロは悔しそうにタマモの手から脚立をひったくった。

 「クッ、窓は拙者が全てやるでござる。お前は床磨きでもやってるでござるよ」

 おキヌは密かにタマモに「グッジョブ」のサインを送る。
 年越し蕎麦にはお揚げを二枚入れてあげるつもりだった。
 しかし、タマモは悪そうな表情を浮かべると、ワザと横島の目の前で床に雑巾がけをする姿勢を取ろうとする。

 「タ、タマモちゃん、ストップ!それは後で私がやるから」

 「悪いわねおキヌちゃん。それじゃなんか楽・・じゃなくて、この格好でも出来る仕事は無いかしら?」

 ジャージとエプロン、ゴム手袋で完全武装しているおキヌは、確信犯的な格好をしているタマモに口元を引きつらせる。
 年越し蕎麦はかけそばに決定。

 「あるわよ」

 書類から目を離した美神が、更に悪そうな笑みを浮かべる。
 童話でなくとも狐の悪巧みは成功しないのだとその目は物語っていた。
 美神は無言で部屋の隅のベビーベッドを指さす。

 「まさか・・・・・・・・・・」

 「そ、目が覚めちゃったみたいだから子守おねがいね」

 ベビーベッドの中では目を覚ましたばかりのひのめがぐずり始める。

 「拙者たちはこんな格好でござるからな、ひのめ殿の相手はお主にしか出来んでござる」

 シロは狡猾なオオカミの笑顔でゴム手袋を外すと、ひのめを抱きかかえ固まっているタマモに手渡した。

 「わんわ・・・・・」

 ひのめはしゃぶっていた手をタマモの顔に伸ばす。
 口から引いた涎の筋は、汚れを拭き取ったばかりの蛍光灯の光に照らされいつもよりも輝いているように見えた。

 ―――策士策に溺れる

 それからしばらくの間、タマモの悲鳴が事務所に響き渡った。










 タマモが真っ白な灰になったころ、美神事務所に意外な人物が訪れようとしていた。

 『マスター、お客様です』

 「分かっているわ、霊圧を隠さないところをみるとかなり慌てているようね・・・・あなたにダメージがあるといけないから外側の結界は解除しなさい」

 美神は感じた霊圧から小竜姫の接近に気付いていた。
 直々に出迎えるため美神は玄関へと向かう。

 『了解しました』

 人工幽霊が結界を解除すると、丁度窓を開けた時に感じる騒がしさが霊的なレベルで起こった。
 気にも留めないような雑霊は、普段は人工幽霊の結界によってシャットアウトされている。
 これによって、美神は事務所メンバーの霊に対する感受性を高めていた。

 「すみません!失礼します!!」

 慌てた様子で事務所のドアを開けた小竜姫は、入ってすぐの階段の前で唇に指を当てている美神に遭遇した。

 「済みませんが、妹がようやっと寝付いたもので・・・・」

 「それに、あなたにはそんな慌てた顔は似合いません。さあ、笑って」

 いつの間に現れたのか、小竜姫の手を握り笑いかける横島。
 美神がソレを壁にメリ込ますのを見て、小竜姫はようやく自分が取り乱していた事に気がついた。

 「済みません、緊急の事態が起こってまして・・・」

 小竜姫はこう言うと霊力の放出を押さえる。
 正直な話、先程までの霊圧をまともに正面から受けられるのは事務所では美神と横島だけだった。

 「立ち話もなんですから、中にどうぞ」

 落ち着いた小竜姫を美神は事務所に案内する。
 小竜姫は階段を上りながら、壁にめり込んでいる横島を横目で心配そうに眺めた。

 「気にしないで下さい。放っとけばそのうち何事もなかったかのように復活しますから」

 「はあ、・・・」

 小竜姫は案内されるままに事務所に足を踏み入れ商談用のテーブルに腰掛ける。
 ついたての背後にある職員用のソファーにはタマモが燃え尽きた用に座っており、その膝の上では遊び疲れたひのめが再び寝息を立て始めていた。
 タマモの隣ではシロが来客を気にした風もなくTV画面に集中していた。

 「最近、職員が増えまして・・・妹の世話で燃え尽きている方がタマモ、そのとなりでTVの童話に全神経を集中しているのがシロ」

 「妖弧と人狼ですか、相変わらずユニークな人たちがそろってますね」

 美神の紹介に、小竜姫は一目でメンバーの正体に気付いていた。

 「さすが小竜姫様、その美しい瞳は何もかも見通してしまうのですね」

 何の脈絡もなく現れた事務所で一番ユニークな男が、先程のダメージを全く感じさせない姿で小竜姫の手を握りしめた。

 「・・・・・ソレの正体もわかります?」

 「さあ、私にも何とも・・・・・」

 美神の言葉に、今度は床にめり込んだ横島を見ながら小竜姫は力なく笑う。
 さっきまでの緊迫が嘘のようだった。
 神族である彼女がここまでペースを乱される人間が他にいるだろうか?
 いや、他にいないからこそ彼女はこの事務所を訪れたのだ。
 小竜姫は美神を真っ直ぐ見つめると単刀直入に訪問の理由を切り出す。

 「実は先週から老師が姿を消してしまいまして・・・・・お願いします。力を貸してください」

 小竜姫は深々と頭を下げた。

 「え、老師というと?」

 「あのサルオヤジ・・・じゃなくて、斉天大聖のことですよね」

 ごく普通に、おキヌの持ってきたお茶に手を伸ばした横島に小竜姫は呆気にとられる。
 目の前の美神は気にした風もなくお茶を啜っている。
 一々気にしてると話が先に進まない事を理解した小竜姫は、一気に話の核心を口にした。

 「そうです、若き日は孫悟空と呼ばれ天界きっての暴れ者で知られたあの老師です。その老師が妙神山から姿を消してしまったんです。老師は私以上に妙神山に括られている・・・もし、老師が外界に出たことが上司に知れたら・・・・いや、それ以上に心配なのは、老師がもし外界で力を行使したら・・・」

 「まあ、デタントってやつは崩れるでしょうね」

 美神はとんでもないことをさらりと言う。
 小竜姫は自身の想像に思わず頭を抱えていた。

 『坊や、よく無事で・・・』

 沈黙する事務所に、シロの見ているTVの音だけが響く。
 どうやら「オオカミと七匹の子ヤギ」はそろそろ終わりらしい。
 美神は立てかけてある槍に手を伸ばした。





 「井戸に放り込むなど、何処のリングでござるか!!!」

 「うるさい!来客中よ!!!」





 騒ぎ始めたシロの鼻先数センチを槍の穂先が通過し壁に突き刺さる。
 硬直したシロの鼻先で槍の柄の部分が小刻みに揺れていた。
 慌ててリモコンに手を伸ばしたシロはボタンを押し間違い、他局の放送が流れ始める。
 最近よく耳にする曲が事務所内に響き渡った。

 「この曲は!待って下さい!!」

 ミディアムテンポの心地よい曲を耳にした小竜姫は、慌てたようにシロの所に回り込みTV画面を食い入るようにみつめる。
 プロモーションビデオらしく、美神と同年齢くらいの美女がその曲を歌っている映像が流れていた。

 「サンディ棗じゃないですか」

 「知ってるんですか?横島さん!?」

 小竜姫は横島に詰め寄ると肩を掴みガタガタと揺さぶった。
 激しくシェイクされ、答えられない横島の代わりにおキヌが説明を始める。

 「3ヶ月前に突如現れた謎の女性シンガーです。本名、国籍ともに不明。ヒットチャートの上位を埋め尽くす程の人気なのに、音楽メディア以外の露出は皆無なんです・・・それだから一部ではプロモーションビデオの替え玉説まであるんですよ」

 美神がおキヌの話を引き継ぐ。

 「でも、確かに言えることは世界中で爆発的なセールスを記録しているってことね。売り上げを全部慈善団体に寄付しているって所が理解に苦しむけどね・・・で、この曲がどうしたって言うんです?」

 「老師が消えたのはこの曲をTVで聴いてからなんです。それに、気付きませんか?この曲には微かですが霊波が乗せられています」

 「!・・・全然気がつかなかったわ!ひょっとしてサブリミナル?」

 「いえ、その様な意図的なモノは感じません。感じるのは心の底からの慈愛・・・神族の我々にしか感じられない微細なレベルのようですが」

 「それがヒットの理由だとしたら・・・・なにかあるわね。このサンディ棗には」

 一同が見つめる中、TV画面がプロモーションビデオからレポーターに切り替わる。
 背景の様子からして海外、多分、香港だろう。

 『えー、先程、緊急発表されたサンディ棗の大晦日カウントダウンコンサート、記者会見場からのレポートです』

 画面の中でホテルの正面玄関前に集まったレポーターが押し合っている。
 取材に集まったレポーターの多様な人種からも、このニュースがアジアレベルのものでは無いことが想像できた。

 「初めてじゃないですか。サンディが人前で歌うなんて・・・・・・!!!」

 TV画面を見ていた横島の目が、ホテルから出てきたサンディ棗の乗るリムジンを見て大きく見開かれる。
 リムジンの後部座席では、見覚えのあるサルが窓に張り付き周囲に油断のない視線を送っていた。

 「まさか海外とは・・・・・・・・」

 小竜姫は某小型愛玩犬のような目で美神を見つめる。
 括られている自分は海外では自由に動けない。
 代わりに老師を連れ戻して欲しいとその目は訴えていた。

 「無茶ね。本当に私たちが老師を説得できると?お友達の豚か河童に頼んだ方が無難だわ」

 神族に対しても冷静な美神の言葉に小竜姫は表情を曇らせる。

 「既にそのセンは頼ってみたんです。でも・・・・・・・・・・・・

 猪八戒さんはこの時期どうしても外せない釣りの予定が入っているし、

 沙悟浄さんは借金でえらいことに・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 とことん世代を選ぶ話題に事務所に重い沈黙が落ちる。
 昭和という時代を知らないおキヌ、シロ、タマモは完全に置いて行かれていた。

 「まあ、いいじゃないですか」

 沈黙を破ったのは横島だった。

 「どうせ大晦日あたりは暇してるんだから手を貸しましょうよ。それより、小竜姫様・・・・・・・」

 「は、はい」

 急に真面目な顔で見つめられ小竜姫の顔に微かに赤みが差す。

 「アイツは・・・パピリオは元気ですか?」

 「・・・・・・元気ですよ。最近よく笑うようになりました。今は老師の身代わりとか言って、サルの着ぐるみを着てゲームをやってます」

 「そうですか・・・・」

 横島の微笑みを見て小竜姫の胸が締め付けられる。
 その微笑みは決して自分に向けられたものでないことを知っているからだ。
 それは美神も同じだったのだろう。
 美神は話題を変えるようにワザと自棄気味に声を荒げた。

 「あー、もう、分かったわよ!それじゃ年末年始は事務所全員で香港ね!!!」

 「ありがとうございます。それじゃ報酬は・・・」

 「お金はいらないわ!」




 ザワッ




 あり得ない一言に一同に緊張が走る。
 横島は霊波刀を出現させ、小竜姫と共に背後におキヌたちを庇う体制をとった。
 背後ではおキヌがシメサバ丸を手にガタガタ震え、シロはシッポを丸めソファのクッションに鼻先を潜り込ませ震えている。
 タマモに至っては、子守で情がわいたのか「アンタだけは絶対に守ってあげるからね」とひのめを強く抱きしめていた。
 不穏な空気を察したのか、ひのめも火がついたように泣き出す。
 人工幽霊が無限力を発現させそうな泣きっぷりだった。




 「とことん失礼な奴らね・・・・・・」

 美神は皆の反応に額に青筋を浮かべる。

 「ひのめ!お姉ちゃんが信じられないの!!!それと人工幽霊!なによ、その富野印の模様は!?」

 美神の言葉にひのめがピタリとなきやむ。
 壁に浮かび上がっていた円形の模様がそれと同時に姿を消した。

 「現金がいらないっていっただけでしょう!これにサインしてくれれば仕事を引き受けるって言いたかっただけよ!!」

 小竜姫に提示された書類には、妙神山が多額の寄付金を美神事務所から受け取ったというという事が書かれていた。
 横島はその内容を見て安心したように霊波刀をしまう。

 「宗教法人はその手の隠れ蓑にもってこいですからね・・・・本物の神様なら尚更ですし」

 「ザンスの一件でチェックが厳しくなっちゃってね。正直、つじつま合わせに限界がきているのよ」

 美神は税金対策に妙神山を利用するつもりらしい。
 罰が当たりそうなアイデアだが、美神の意図に気付いた小竜姫を含む一同は心底安心したように安堵のため息をついた。

 「だから、それが失礼だと言ってるでしょう!!!」

 流石に小竜姫はシバけないので美神は横島にヘッドロックをかける。
 折檻だかご褒美だか分からないソレを受け、少なくとも横島はいつもの調子に戻っていた。

 「だけどどうします?老師に会うとしても警備が厳重みたいでしたよ」

 こめかみに残る疼きと頬にのこる至福の感触に、泣き笑いの表情を浮かべた横島が仕事の計画を口にする。
 心は既に香港に飛んでいるようだった。

 「やっぱり、アンタたちは気づかなかったようね。人工幽霊、今の映像を拡大してもう一度!」

 美神の指示通り流れた映像を見て、横島と小竜姫は先程は気付かなかったリムジンの周囲を固める男に気付く。

 「あの方はたしか・・・・・」

 「あの野郎・・・最近姿を見せないと思ってたら・・・・」

 リムジンの脇で油断無く周囲に視線を飛ばしていたのは、さすらいのバトル野郎・伊達雪之丞だった。

















 翌日
 香港にたどり着いた美神事務所一行はまず腹ごしらえに向かった。
 腹が減っては戦が出来ぬという意味でもあったが、雪之丞を呼び出すのに共通の接点は以前訪れたこの店しかない。
 呆れたように横島とシロの食べっぷりを眺めるタマモの背後で、音もなく開いた扉が黒いスーツに身を固めた男をはき出した。

 「久しぶりだな・・・・」

 「よく気づいたわね・・・相変わらずレトロな方法で仕事をとっているのね」

 事前に出しておいた新聞記事による呼び出しは有効だったらしく、雪之丞は時間通りに店に現れていた。

 「悪いが時間がない」

 雪之丞は時間を理由にテーブルへの同席を辞退する。
 隣の横島が何か言うかと思ったが、口中にほおばった料理を嚥下することが出来ていない。
 普段は横島と争って食べる雪之丞の変化に、美神は本当に時間がないことを理解した。

 「なら、単刀直入に言うわ!あのサルは斉天大聖なの?」

 美神の問いに雪之丞は肩をすくめる。

 「悪いが、その辺は俺にもよくわからん・・・が、確かにあのサルはただ者じゃない。サンディが妖怪に襲われるようになるのとほぼ同時期にあのサルが現れ、ペット兼ボディーガードの座におさまっちまったらしい。俺はそのサルがぶちのめしちまったボディーガードの補充として雇われているに過ぎない」

 「つまり確かめたかったら俺たちもボディーガードになれと言う訳か?」

 横島の言葉に雪之丞は不敵な笑みを浮かべる。

 「そういう事だ、正直、人間相手のボディーガードは全く役に立たない。ここ数日は雑霊を追い払うのに必死でな、多少息が抜けるのは今のような昼間しかない・・・どうする?ボディーガードのオーディションを受けるのなら俺からボスに話を通しておくが」

 美神の肯きに雪之丞は懐から出したカードを手首のスナップのみで投擲する。
 横島は目前に飛んできたそれを、右手の人差し指と中指で掴まえた。

 「フッ、流石だな・・・オーディションが楽しみだぜ」

 横島の反応に満足した雪之丞は、時間を気にするように店の出口へと向かう。
 その背中に美神は最後の質問をぶつけた。

 「雪之丞!あなたの目から見て、サンディ棗は何者だと思う?」

 「すばらしい女性だ。それに、ママによく似ている・・・・・・・」

 弓にはとても聞かせられない台詞を残し雪之丞は姿を消した。

 「もう行ったわよ」

 「よく我慢しましたね」

 雪之丞が立ち去ったのを確認した美神とおキヌは隣で小刻みに震える横島に声をかける。
 横島の隣りに座る美神とおキヌには、雪之丞が投擲したカードが横島の額に突き刺さっているのが丸見えだった。

 「どわーっ!痛ってー!!!!!!!」

 「ああっ、センセー」

 慌てたようにシロが横島の額の傷をなめはじめる。
 しかし、シロ得意のヒーリングを受け横島の顔は更に苦痛で歪んだ。

 「クッ!し、しみる!!頼むからエビチリを食った口でなめるな!」

 「男の子でござろう!我慢するでござる」

 どう見ても拷問としか思えないヒーリングに悶える横島を他所に、美神は横島の手から連絡先のカードを奪い取ると今後の作戦を立て始める。
 老師に接触し日本への帰国を説得するには、サンディ棗に起こっている問題の解決も同時に行わなければならないらしい。
 美神は携帯電話を取り出すとカードに書かれている番号を押した。







 香港藝芸術中心
 電話で指示された場所に美神たち一行は到着した。
 2200名を収容できる大ホールをサンディ棗はリハーサルに使用していた。
 どう見ても堅気とは思えないスタッフにカードを提示すると、既に話は通っているらしく美神たちは大ホールへと案内される。
 本番と変わらないセットの上では、大勢のスタッフが舞台装置の調整をしていた。

 「お待ちしてました。美神事務所の方々ですね」

 ホールに案内された美神、横島、おキヌの3名は、中で待ちかまえていた瓶底眼鏡をかけた若い女に挨拶される。

 「ええ、あなたは?」

 「初めまして、私はサンディ棗の付き人をしてます王美猴と言う者です。キャッ」

 勢いよくお辞儀したため王美猴の眼鏡が床に落ちる。
 唖然として見つめる美神たちの前で、王美猴は伝説の大技「めがね、めがね」を披露していた。

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 横島は無言でその眼鏡を拾うと、かなりの美少女だった王にかけてやる。

 「あ、ありがとうございます」

 「どーいたしまして」

 頬を赤らめる王美猴に平然と答える横島。
 隣りに立つ美神は、気味が悪そうに横島の脇を肘でつつくと小声で話しかける。

 「アンタ、悪いものでも食べた?眼鏡&ドジ&美少女、普段のアンタなら萌えーとか言って飛びつくのに・・・」

 「いやー、ここまであからさまだと逆に萎えますわ」

 「一体、何の話です?」

 ひそひそ話が気になったのか、王美猴が小首をかしげてのぞき込む。
 この仕草にも横島は無反応だった。

 「え、いや、凄い施設だと思ってね。サンディのプロデューサーは余程の大物なんでしょうね」

 本人を目の前にした失礼な会話を、美神がとってつけたような話題で誤魔化す。

 「すごいでしょう。リハーサルの為だけに1週間もこの施設を押さえているんですよ」

 「1週間!!!一体どれだけの大物よ!!聞いた話ではコンサートは全額チャリティらしいじゃない」

 その話題を引き継ぐように背後から現れた老人が会話に加わってくる。
 背筋をしっかりと伸ばした品の良い老人は、人の良い笑顔を浮かべながら美神の疑問に答えた。

 「サンデイの後見人ならば李卓吾という人物です」

 老人が口にした人名に美神は素っ頓狂な声をあげた。

 「李卓吾って言ったら華僑の大老じゃない!それならば小国の国家予算くらい動かせるけど・・・一体そんな大物がどうして?」

 「なんでもサンディ棗のファン第一号とか・・・それだけじゃ理由になりませんかな?」

 「人が悪いですよ。卓吾さま・・・」

 老人の口ぶりに何か言い返そうとした美神を、透き通った良く通る声が止めた。

 「いや、すまない。情報では世界最高レベルのGSと聞いたものでね。つい悪戯心を起こしてしまった」

 失言しそうだった自分に大量の冷や汗を流す美神。
 世界一の資産家は表向きには窓枠会社の会長となっているが、それはあくまでも表向きの話である。
 真の資産家は決して表の世界に顔を出さず歴史の影にのみその足跡を残す。
 美神の目の前にいるのは、紛れもなくそのうちの一人だった。
 李卓吾は自分の正体をばらした美女を自分の横に招くと、美神たちに向かって紹介する。

 「改めて紹介する。私が李卓吾、こちらがサンディ棗、そしてコレがペットのゴクウ」

 「よろしく」

 紹介されたサンディが右手を差し美神たちに握手を求める。

 「!?」

 その手を握った美神たちは手の感触に驚きの表情を浮かべるのだが、サンディの微笑みにすぐにその表情を打ち消されてしまう。
 アルカイックスマイルと呼ばれる仏像独特の微笑みをサンディは浮かべていた。
 美神は軽く頭を振り、その笑顔に引き込まれそうになっている自分を奮い立たせる。
 隣では横島とおキヌが同様の行為を行っていた。

 「すみませんが、ゴクウをよく見せて貰えませんか?」

 本来の目的はサンディのガードではなく老師を日本に連れ戻す事だった。
 美神は老師でないかと疑っているサルに触れようとする。

 「あ、危ない!」

 王美猴の声に美神が手を引っ込めると、それまで美神の手があった場所をゴクウの爪が通過する。
 ゴクウはそのまま美神たちに背を向けると、ステージ裏手へ逃げ出してしまった。

 「すみません。ゴクウを探しに行ってきます!」

 慌てて走り出した付き人を見送ったサンディは、王美猴がつまずいた舞台セットが立てる音に首を竦ませ苦笑いを浮かべる。

 「いい子なんですけど・・・ゴクウは私とあの子にしか懐いていないし」

 「ありゃ、いつかうっかりで人を殺すな」

 横島が見つめる先では完全に機能を停止した舞台装置の残骸が煙を上げ、巻き込まれた数名のスタッフが担架で運び出されていた。



 「すまんね。年を取ると立ち話が堪える」

 李卓吾もステージ裏手の喧噪に苦笑いを浮かべると、ステージ正面の座席に向かい歩き始める。

 「お気になさらずに、それと、隠れているガードの方々にも出ていただいた方が話が早いと思いますが」

 李卓吾は美神の言葉に声を上げて笑うと指を一つ鳴らす。
 ステージを望む客席の至る所から黒服の男たちが立ち上がった。

 「ゴクウがいる間は、不審者はおろか霊体も近寄れんのだが私のガードも同様でね」

 「お恥ずかしい限りです」

 真後ろから聞こえた男の声に、美神、横島が驚いたように振り返る。
 ガードのリーダーらしき男は気配を一切感じさせず二人の背後をとっていた。
 この手の感覚に鈍いおキヌは、最後まで何が起こったのか理解出来ないでいる。
 男は流れるような動きで李卓吾の元に歩み寄ると耳元で一言二言報告を行った。

 「この男の話では、他に人狼族と妖弧の少女がいるそうだが?」

 香港入りしてから僅か数時間。
 自衛隊にも隠しているタマモの存在まで知られていることに、美神は苦労して驚きの表情を隠す。
 紹介した雪之丞の口が軽いのでなければ、恐ろしいまでの情報網だった。

 「サンディさんを守るのに、ステージ上にスタッフがいる方が都合がいいと思いまして」

 李卓吾は何かを確認するようなの視線を男に向けた。

 「昨夜、ダンサー数名が妖怪に襲われ怪我をしました。現在その補充のオーデションを行っています」

 「その二人をオーディションに参加させていると・・・それもサンディを守るために」

 ほんの数秒間、李卓吾は考えを巡らせる。

 「腹の探り合いをしている時間ないな、目下調査中だが、君たちの依頼主が皆目見当がつかない。敵として扱うべきか味方として協力を求めるべきか、直接会った今でも正直悩んでいる所だ。情報では君は金の為に動く傾向が強い・・・しかし、今回それらしい金の流れは君の周囲には無かった」

 「味方と考えていただいて結構です」

 美神は至って冷静に答える。
 しかし、内心は穏やかではなかった。
 李卓吾の口ぶりでは自分の隠し口座や資産は丸裸らしい。

 「私たちはある神族の依頼で動いています。逃げ出した神族のペットが人間に悪さをしないうちに連れ戻すのが今回の依頼です」

 平然と嘘をつく美神の背後で横島とおキヌが無表情を貫く。
 これ位の芸当が出来ないようでは美神事務所のスタッフは務まらない。

 「それが何故サンディを?」

 「どうやらサンディさんとあのサルには何かの縁があるようです。あのサルはサンディさんを守ろうとしている・・・サルとはいえ神族のペットの力は侮れません。円滑に連れ帰るには、あのサルが抱えている問題を解決する必要があると判断したまでです」

 美神の言葉を聞き、それまで黙って話を聞いていたサンディが口を開いた。

 「私とゴクウが・・・それにゴクウが神族のペット」

 「何か思い当たる点はありませんか?」

 美神はサンディが老師失踪の鍵を握っていると考えていた。
 老師との関係を探ろうとする美神に、サンディは寂しげな微笑みを見せる。

 「すみません・・・私、記憶が無いんです。3ヶ月前、海に浮かんでいる所を救助されて・・・・」

 「搬送先の病院で歌っているところに、私が偶然通りがかり後は君たちの知っての通りだ」

 サンディを気遣っての事だろう。
 李卓吾が話題を打ち切るように会話を引き継ぐ。
 美神には理解しがたいが、世界経済に大きな影響を与えるこの男はサンディを崇拝しているように見えた。

 「神族が依頼主とは我々のネットワークでも調べられないわけだ。サンディを守る事において私たちの利害は一致している・・・それならば話は早い」

 李卓吾は右手を美神に差し出す。
 美神はその手をしっかりと握ると、ずっと疑問に思っていた事を口に出そうとする。

 「もし、よろしければ・・・・・・・・・・」

 「ハッハーッ!待たせたな横島ァ!!」

 更にサンディの情報を得ようとした美神の言葉は、ステージ上に現れた一人の男に打ち消される。
 ステージの上には魔装術を発動させた雪之丞が仁王立ちしていた。




 「彼は何者だ?」

 雪之丞と直接面識がないのか、李卓吾は怪訝な表情で隣りで待機するガードを見た。

 「先日報告した伊達雪之丞というモグリのGSです。ここ数日サンディ様の夜の警護に加わらせてます・・・美神様たちを紹介したのも彼でして」

 「それが何であんな格好であんな所にいるんだ?」

 「腕は立つのですが、性格はかなりアレなもので・・・・・・ガードのオーデションでそこの少年の対戦相手を是非やらせろと」

 「オーデションの必要はない。美神事務所の実力は報告を受けている」

 こめかみに青筋を浮かべながら李卓吾はオーデションの中止を命じる。
 しかし、その中止命令はステージ上手から乱入してきたゴクウと王美猴に見事に遮られた。

 「ゴクウ!!待ちなさい!!!!」

 上手から現れたゴクウに倒され、マイクスタンドのマイクが派手な音を立てる。
 そのまま雪之丞の脇をすり抜けたゴクウは、雪之丞を挟む形で遅れて現れた王美猴と対峙した。

 「フッ、面白い・・・お前とも一回やって見たかったんだ」

 悪い病気の対象にゴクウを加えた雪之丞は、王美猴に背を向けるとゴクウを睨み付ける。
 睨まれたゴクウは、威嚇のポーズをとり毛を逆立てた。

 「あわわわ、雪之丞さん、手荒なことは・・・・キャッ!」

 王美猴は慌てたように雪之丞に近づき、倒れたマイクスタンドの脚を勢いよく踏みつけた。






 グシャッ!!!





 何かの潰れる音を、テコの要領で跳ね上がったマイクスタンドのマイクが拾う。
 その音を聞いて会場の男たちは思わず股間を押さえた。

 「ガッ・・・・・・・・・・・・」

 不意に襲ってきた股間へのダメージに雪之丞の顔が青緑色に変化する。

 「す、スイマセン、スイマセン、スイマ・・・・・あ!」

 前屈みになりながら幽鬼のように振り返った雪之丞には、落ちた眼鏡を拾っている王美猴の姿が消えたように見えた事だろう。

 「あ、あった!」

 ガスッ!!!

 すぐに眼鏡を見つけ体を起こした王美猴の後頭部に、顎の先を打ち抜かれた雪之丞はあっけなく意識を失った。
 その様子を見ていた李卓吾は額に浮かべた青筋を倍に増やしながらガードの男を振り返る。

 「もう一度聞かせてくれ・・・・・彼は何処のヤ○チャだ?」

 李卓吾の意を汲んだ男が周囲にサインを送ると、ガードの男たちが雪之丞を抱えステージを後にする。
 その後ろをオロオロしながら王美猴が付いていったが、それ以上の追い打ちが雪之丞にかけられることはなかった。
 横島は複雑な表情でライバルが運び出されるのを見送った。

 「彼にはサンディの警護は荷が重いようだ・・・」

 李卓吾は再び美神の手を握り直した。

 「サンディを襲う妖怪の数は日を重ねる毎に多くなっている。頼みましたよ」

 「少しだけ、質問させてください」

 サンディについてあまり詮索されたくないのであろう。
 李卓吾の頬が僅かに強張った。

 「事前に聞いた話では、サンディさんへの襲撃は殆どが夜に行われています。それなのに何故、大晦日のカウントダウンに合わせたコンサートなど・・・」

 「それは私から説明しましょう・・・・いや、説明よりも歌を聴いて貰った方がいいですね」

 サンディはステージに上がるとゆっくりと客席を見回す。
 彼女の外見は十分美人の部類に入る、しかし、純粋な外見の勝負だけだったら肉感的な魅力の伴った美神の方が上だろう。
 しかし、美神たちだけでなく。ステージを取り巻くスタッフやボディーガードまでがサンディの姿に心奪われていた。
 見る者全てを引きつける不思議な力がサンディの内面から滲み出していた。

 「この力が徐々に強まっているんです・・・・・そして、何故か私にはわかる。大晦日の24時をピークにこの力は消えていってしまう・・・そうなる前に私は出来るだけ多くの人に歌を聴いて欲しいんです」

 サンデイは目を閉じるとマイクも演奏も使わずにアルバムの中の一曲を歌い出した。
 どの様な現象なのか、その歌声はステージだけでなくホールの外まで響き渡る。
 美神は李卓吾がこれほど大がかりなリハーサル会場を用意した意味を理解した。



 それは何処にでもあるようなラブソングだった。
 愛し合う男女が永遠の愛を誓う。
 例え死が二人を引き離しても、再び生まれ変わり再会することをその二人は誓っていた。


 陳腐にも聞こえる歌詞に、美神の目から一筋の涙が流れる。
 いや、美神だけではなく横島も、おキヌも、李卓吾も、周囲にいる者たち全てが涙を流していた。
 直接聞いたサンディの歌声にはCDとは比べものにならない霊力が込められていた。



 「本当にスイマセン」

 王美猴は香港映画にありがちな追い出され方をした雪之丞の元に走り寄る。
 施設の裏口から放り出された雪之丞は、まるでそうすることが最初からの目的であるかのように堆く積まれた段ボール箱にめり込んでいた。

 「・・・・・お前、一体何者だ?」

 意識をハッキリさせるように雪之丞は段ボールにもたれ掛かったまま数回頭を振る。
 気を失った時に魔装術は解けているが、あまりにも綺麗な一撃に体へのダメージは皆無に等しかった。

 「何って、サンデイ様の付き人ですが・・・・」

 「ふざけるな!ただの付き人が俺をKO出来るわけがないだろう!!」

 雪之丞の剣幕に動じた様子もなく王美猴は笑みを浮かべる。

 「ふざけてはおらんよ。儂は以前よりあの方の付き人だった・・・・・!」

 口調だけでなく身に纏う雰囲気すら一変させた王美猴が、施設内から聞こえてきたサンディの歌声に反応する。
 雪之丞の目にはサンディの歌声に涙する王美猴の目が、赤く、そして金色の瞳に見えた。

 「そうか・・・・それなら納得できる。一体俺に何をやらせようと言うんだ?」

 雪之丞は不敵な笑みを浮かべ王美猴の返事を待った。









 「オーディションに落ちたぁ!?」

 美神は合流を果たしたシロとタマモに素っ頓狂な声を上げた。
 雪之丞のリタイアという不測の事態はあったものの、ここまでは計画通りに事が進んでいる。
 サンディの警護を任されている間に老師と接触し真意を確認する。
 老師の目的がサンディの保護であるならば、自分たちが代役となり老師には妙神山に帰って貰う。
 そのためには隙のない警備体制、少なくともステージ上にまでスタッフを配置することが必要と美神は考えていた。

 「いや、私は受かったわよ!でも、シロが・・・・・・」

 タマモに引きずられるようにしてホテルのラウンジに入ってきたシロは、膝を抱えるようにして壁の隅っこで丸くなっていた。
 サンディの宿泊先でもある4星ホテルは全館貸し切られているらしくラウンジには美神たち以外の人影はない。
 茫然自失と壁の隅を見つめるシロは目の幅と同じ涙を流していた。

 「どうして?運動が苦手な私と違って二人の身体能力なら・・・」

 「ダンスは十分合格点だったのよ。でもね・・・・・・・シッポが」

 おキヌの問いに、タマモが言いづらそうに呟く。
 どうしても衣装からはみ出るシッポを理由にシロはオーデションを落とされたというのだった。
 当たり前といえば当たり前の理由だが、からかいのネタにしていない所をみるとタマモ自身もシロには同情的なようだった。

 「シッポのドコが悪いのでござるか!そうでござろう先生!!」

 「な、なんで俺に??」

 自身の身体的特徴にダメ出しされ凹んでいたシロは、最後の拠り所を横島に求めた。

 「ネコ耳同様、オオカミのシッポも萌要素でござるよな!!!」

 「えーっと、そうなのか?」

 煮え切らない横島の答えにシロは火がついたように泣き出す。

 「絶望したでござる!先生の趣味に絶望した!!部屋にあった漫画のようにシッポを引っ張られると力が抜けるのは萌じゃないんでござるか!!!」

 「お、お前、なに出鱈目言っとるんだ!俺の部屋にはそんな漫画は・・・・」

 シロの台詞に美神、おキヌ、タマモの冷たい視線が横島に集中する。
 その視線はシロが次の台詞を言うまでの数秒間、確実に横島の体温を低下させていた。

 「拙者のシッポは、青いネコ型ロボットに負けるのでござるかー!」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 馬鹿馬鹿しいほどの静寂がラウンジに満ちる。
 誰も一言も発さないまま、時計の秒針がきっかり一周半その務めを果たした。

 チーン

 美神の耳には到着したエレベーターの音が救いの声に聞こえた。

 「あー、横島クン。私たちはサンディの部屋で待機するから、シロの状態を元に戻してから合流してちょうだい」

 何か言いかける横島に美神はぴしゃりと言う。

 「これは命令だから」

 一刻も早くこの場の空気から脱したいのか、おキヌ、タマモも美神の後を追いエレベーターに乗り込んでいく。
 残された横島はため息をつくとシロのご機嫌をとる方法を模索し始めた。








 シロの機嫌を直した横島が美神たちに合流した頃には、日もすっかり落ちサンディの元に妖怪が押しかけ始める時間帯になっていた。
 ステージの打ち合わせに出かけたタマモ以外は、サンディの部屋に待機し妖怪の襲撃に備えている。

 「だいぶ時間がかかったわね」

 「知ってますか美神さん・・・ビクトリアパークって頂上まで登ると夜景が見えないんですよ」

 憑きものが落ちたかのように上機嫌なシロと対照的に、疲労困憊といった具合の横島が息も絶え絶えに呟く。
 シロの機嫌を直すために散歩に誘った横島は、夜景見物で有名な丘の更に先まで登らされ3時間以上も散歩に付き合う羽目になっていた。
 レンタサイクルを使ったいつもの散歩だったが、プロジェクトAばりのアクションを求められる市街地の散歩を避けたのが逆に仇となった。
 オフロードの全力疾走にマウンテンバイクと横島の尻は崩壊寸前となっている。

 「良くは分かりませんがお疲れのようですね」

 「へ?、あ、ありがとうございます」

 横島は姿勢を正すと両手で差し出されたお茶を受け取った。
 ガードする対象にお茶を差し出され恐縮している横島に、サンディは微笑みを浮かべる。

 「そんなにかしこまらないで。動いていた方が落ち着くんです。あなたも気づいたでしょう?私の手」

 その言葉に横島は昼間した握手を思い出す。
 サンディの手は過酷な労働を重ねた者でないと持ち合わせることはない手だった。
 李卓吾がサンディの過去を詮索させようとしない理由を横島は何となく理解した。

 「多分、記憶を失う前の私はそれ程いい暮らしはしていなかった。それだからこそ折角手に入れた力をみんなのために役立てたいと思うのよ。卓吾さまにはいくら感謝しても足りないけど・・・・・」

 サンディの後見人たる彼は、足手まといになるのを恐れ夜間の同席はしていなかった。
 この場には、誰一人として彼の行動を妖怪を恐れてのものと邪推する者はいない。
 それは華僑ネットワークの頂点に立つ人物として、自身の地位の重さと能力を理解した上の行動だった。
 李卓吾はせめてもの気遣いとして、彼の腹心たるガードのリーダーをサンディにつけている。
 貸し切ったホテルに配置された地元のGSも、美神たちを信頼していないのではなくこの場にいることのできない彼の心苦しさによるものだった。

 ウーッ!

 ドア越しに何者かの気配を感じたのだろう。
 ゴクウが威嚇のポーズをとった。

 昼間美神を驚嘆させた身のこなしでガードのリーダーが素早い動きでドアの横に張り付く。
 一瞬遅れてシロがそれに続いた。

 「何の用だ?」

 廊下の人影がドアをノックする前に男は声をかける。
 ドア越しに感じる気配はさしたる動揺を感じさせず男の声に答えた。

 「ルームサービスです。ご注文の夕食をお持ちしました」

 「入れ」

 男がドアを開けると、部屋にいる人数分の夕食を運ぶため数人のボーイがワゴンを押しながら部屋に入ってくる。

 「待つでござる」

 最後に入って来た給仕長の男がドアを超えたとき、先頭のワゴンをシロが止めた。

 「ワゴンの中に料理の匂いがしないでござる」

 「それは特別料理だからでございます」

 給仕長がにこやかにシロに近づく。
 ゴクウは相変わらず威嚇の声を上げていた。

 「特別料理ですって!たのしみだわ」

 緊迫させた空気を全く感じていないように王美猴がワゴンに近づく。
 そして、まるでそうすることが当然であるかのように王美猴はワゴンにつまずいた。

 「喰わせろぉぉぉっ!!!」

 倒れたワゴンから霊団が飛び出してくる。
 それと同時にゴクウとシロが給仕長に同時に跳びかかった。
 襲いかかるタイミングを狂わされたその他のボーイが一斉にワゴンを開くが、時既に遅くその頃にはおキヌのネクロマンサーの笛によって霊団は完全に無力化している。

 「チッ、配下がことごとくやられると思っていたらお前だったのか・・・・久しぶりだな斉天大聖」

 ゴクウとシロに押され廊下に飛び出た給仕の台詞を聞き、ボーイに化けていた妖怪を封印中の美神は自身の考えに確信を持った。
 文珠によって最初に襲いかかった霊団を消滅させた横島とおキヌをサンディの元に残し、美神はゴクウとシロに加勢すべく廊下に飛び出す。
 廊下ではシロとゴクウが給仕長とにらみ合っていた。

 「それに人狼とは珍しい・・・・・」

 「拙者はもうお主のニオイを覚えた。次に何に化けようとも拙者の鼻は誤魔化されんでござる」

 シロの台詞に給仕長の顔が凄まじい笑いを作った。

 『引け、弟よ』

 「兄者!」

 何処からか聞こえた声に給仕長が答えた。

 『今日の所は斉天大聖が相手と分かっただけで十分。今宵の酒も手に入った・・・早々に引き上げ明日に備える事にしよう』

 謎の声が終わると、給仕長は廊下の突き当たりにある強化ガラスの窓に頭から突っ込む。
 派手な破砕音だけを残し謎の襲撃者は夜景の彼方へその姿を消した。



 「斉天大聖ってなんのことです?」

 襲撃も収まり静寂が訪れた室内でサンディが疑問を口にした。

 「伝説上の猿神です。孫悟空といえば分かるのではないですか」

 「孫悟空!?まさかゴクウが!何となく名前をつけただけなのに・・・」

 驚いた様子のサンディに美神はそれが冗談であるかのような笑顔を見せた。

 「まさか!その猿はただの神族のペットですよ。伝説級の猿神が現世で力を行使したら、その他への影響がただごとではすみませんから」

 美神はゴクウに含むような視線を向ける。
 ゴクウは素知らぬ顔で王美猴の膝の上で大きなあくびをしていた。

 「そうですね・・・そんな凄い神様が私のペットになるわけがありませんね。それじゃあゴクウは何者なんでしょう・・・私の記憶と何か関係があるのでしょうか?」

 「どうでもいいじゃないですかそんなこと」

 サンディの言葉に先程から黙って話を聞いていた王美猴が口を挟む。
 彼女にしては珍しい行動にサンディは少し驚いたようだった。

 「ゴクウちゃんは、サンディ様のコンサートを無事に終わらせたいだけだと思います。サンディ様が言うように大晦日を境に力が無くなるのならば、それ以降は妖怪が襲っくることもないでしょう・・・・そうなればゴクウちゃんも安心して飼い主である神族の所に戻ると思いますよ」

 「・・・・・そうですね。今は明日のコンサートの事だけを考えましょう」

 「それが終わったらどうするつもりです?」

 美神の質問は、力を失ったあとサンディはどう生きて行くつもりかを尋ねていた。
 既に覚悟は決まっているのだろう。サンディはこの質問に迷いのない瞳で答える。

 「卓吾さまは変わらぬバックアップを言ってくれましたが断りました。力を失った私は多分、一人では生きていくことも困難でしょう。だけど、私はもう一度自分の力で人々を感動させる歌手になりたい・・・・・出来るなら一から出直すつもりです」

 「そうですか・・・・・」

 美神自身も明日のコンサートを無事終了させたい気持ちになっている。
 なにより老師がそれを最も望んでいる事を美神は理解していた。
 部屋の時計が24時を知らせる。
 コンサート終了まであと24時間













 コンサート会場となる香港會議展覧中心は、数年前に行われた中国返還式典以上の賑わいを見せていた。
 アジア圏だけでなく、世界中の至る所から熱烈なファンがサンディのコンサートを見るために集まっている。
 会場に入りきれない人々が周囲に溢れ、周囲のスペースに急遽置かれた巨大スクリーンの前に人だかりをつくった。
 コンサートの様子は香港各地に設置された巨大スクリーンだけでなく、李卓吾が資本投資しているTV局によって全世界に向けて発信されているが、サンデイの声を少しで

も近くで聞きたいファンたちは続々と香港會議展覧中心を目指していた。

 「凄いわね・・・一人ウッドストックって状態ね」

 寝泊まりした部屋の窓からの光景に美神は驚きの声を上げる。
 当日の混雑と妖怪による第二波を警戒して、美神の指示であれからすぐに会場に移動していた。
 サンディには話していないが、昨晩の襲撃で他の階にいたGSは全て姿を消している。
 美神の判断にはこれ以上、余計な犠牲を出さないという配慮もあった。

 「なんですそれ?」

 横島の質問に、美神は額に青筋を浮かべる。
 もちろん美神も世代的に知るわけはなく知識としての感想であったが、年寄り扱いされた気になり横島の頭を軽く拳骨でこづいた。

 「分からなきゃいいのよ!それより作戦の最終確認よ」

 美神は控え室に集まったメンバーを見回す。

 「タマモ、ステージの上で襲撃された場合は戦っちゃダメ。とにかくサンディを守って逃げるの分かった?」

 「了解」

 華やかなステージ衣装をつけタマモが肯く。
 シロがその衣装を若干羨ましそうに見ているのに気付き美神は口元を緩める。

 「シロ!昨日のヤツの襲撃にはアンタの鼻が頼りなのよ。パトロール任せられるわね?」

 「ハイでござる!怪しいヤツを見つけたらすぐに知らせるでござるよ」

 シロのシッポが元気よく左右に振られた。

 「横島、おキヌちゃんは私と一緒にステージ裏で待機。何かあったらすぐに動けるようにね」

 横島とおキヌは同時に肯いた。
 美神は二人に肯き返すと、王美猴とゴクウを真っ直ぐ見つめる。

 「二人は何があってもサンディから目を離しちゃダメよ。何かあったらゴクウを乱入させなさい。わかった?」

 「え、いいんですか?」

 王美猴は美神からの意外な指示に目を見開いた。

 「バブルスが許されてゴクウがダメって事はないわ。いざとなったら全力でもみ消せばいいのよ!」

 「はい!わかりました」

 美神は王美猴の返事に若干不安げな顔をしたものの、それを無理に笑顔で隠しサンデーに話しかける。

 「そして、サンディ、あなたは何も心配せず全力で歌いなさい・・・最後までね」

 ステージ衣装に身を包んだサンディは既に眩いばかりのオーラを放っている。
 美神は無言のままのサンディが既に覚悟を決めていることを思い出し、心の底からの笑顔を見せた。

 「私に何か出来ることはないかね?」

 「ありますよ」

 李卓吾の問いに美神は当たり前のように答える。

 「ファン1号として最後までコンサートを見続けていて下さい」

 この言葉に笑顔を見せた李卓吾は、サンディに激励の言葉をかけガードと共に観覧席へと移動を始めた。

 「さてと、そろそろね」

 開演時間を待ちきれないファンが起こすサンディコールが、地鳴りのような響きをあげ始めた。
 既に言葉はいらない。各々、自分の役割を果たすべくそれぞれの場所に散っていく。
 数分後、一層大きな歓声が至るところであがる。
 ファイナルコンサートが始まった。






 コンサートは熱狂のうちに中盤を迎えていた。
 予想された襲撃は未だに行われず、サンディが曲を重ねる度に会場の熱狂が更にテンションを高めていく。

 「凄い熱気ですね」

 「アンタもぼやっとしてると、このテンションに飲み込まれるわよ!敵はいつ来るかわからない・・・気を張りなさい」

 横島の感想に、美神は気を引き締めるように注意する。
 事実、ステージ裏手で敵の襲撃を警戒している横島は会場の熱気にのまれかかっていた。
 スタートからアップテンポの曲が続き会場内の熱気はピークを迎えようとしている。

 「だけど、昨日の敵は何が目的なんでしょうね?」

 「おおよその所は見当がつくけどね」

 おキヌの問いに美神は含むような答え方をした。

 「やっぱり美神さんもサンディの正体があの坊さんだと思ってるんですか?」

 「へえ、アンタにしちゃなかなか鋭いじゃない」

 横島の言葉に美神は意外そうな顔をした。
 美神の言葉に若干不機嫌になりながら、横島は更に話を進めた。

 「そりゃ、孫悟空が執着する人物があれだけベタな名前なら連想しますよ」

 「何の事です?」

 「おキヌちゃんは知らなかったか。昔、孫悟空を連れて天竺までお経を取りにいった坊さんがいたんだよ」

 「そう、そしてその道中、お坊さんは不老不死を望む妖怪たちに絶えず狙われていた。妖怪たちはそのお坊さんを食べることで強い霊力を得られると思っていたのね」

 「え、じゃあ、昨日の妖怪はサンディさんを食べようと・・・・」

 自身の想像におキヌは顔を歪ませた。

 「そう、それも彼女の霊力が最も高くなる瞬間をねらってね。コンサートが始まってから会場、いや、香港中の熱狂がサンディに流れ込み浄化されている。あの状態のサンディを吸収できたのならその妖怪のパワーアップは計り知れないわ」

 「ただ分からないことはなぜ期間限定なのかですね。サンディの口ぶりでは今の力は借り物のようなもんらしいですし」

 「それは老師に聞くしかないわね」

 「老師って今、リアルサルになってるじゃないですか!さんざん試しましたけど会話不可能でしたよ」

 美神は横島の言葉に呆れた顔をした。

 「前言撤回!やっぱアンタまだまだ鈍い・・・・・・・・」

 美神が老師について話そうとした瞬間、外で警戒中のシロから無線連絡が入る。
 シロの嗅覚は昨夜来た妖怪とそれと同格以上の妖怪のニオイを感じ取っていた。

 「二人とも行くわよ!昨日来たヤツと兄貴分だったらおよその見当はつく・・・老師に力を使わさないよう私たちで止めるわよ」

 三人はシロに加勢するべく、ステージへの搬入口を通り施設裏手に向かい走り出した。










 美神たちが裏口から表に飛び出すと、シロは遠くの方で二人の人物と対峙していた。

 「一体なんのつもりです?」

 「問答無用!」

 美神たちの到着を待たずシロは二人組に斬りかかる。
 普通の人間ならかわせるはずもないシロの斬檄を二人の男はいとも簡単に回避していた。

 「そいつらなのか?」

 横島は加勢すべく全速力でシロの元に走り出す。
 新たな敵の出現に二人組の表情がみるみる凶悪なモノに歪んでいった。

 「チッ、たかが人狼の分際で俺たちを足止めとは・・・いい加減に”シロ”」

 「なんだとー   !!!」

 男の呼びかけに答えた瞬間、シロの体が男の胸元に向かって吸い込まれる。
 この反応を予期していなかったのか、男も意外そうに口元を歪ませた。

 「我ら最後の切り札を使わせるとは・・・こうなっては正体を隠す必要はないな」

 変化を解いた男たちは、それぞれ金色の一本角と銀色の二本角を持った鬼へと姿を変えた。
 鬼は手に持ったひょうたんを二三度振ると中に閉じこめたシロの感触ににんまりと笑う。
 ひょうたんは、名前を含む呼びかけに答えた人物を吸い込み、溶かしてしまう仙具だった。

 「不味いことに予想が当たったわね・・・・こーなったら!」

 おキヌと共に少し離れた場所でその光景を見ていた美神は、思い切ったように息を大きく吸い込む。

 「ヨコシマーっ!!!ソイツに名前を呼びかけられても絶対に答えちゃダメよーっ!!!!」

 「アンタなーっ!!思いっきり名前をバラしとるじゃないかーっ!!!!」

 シロの運命を間近に見てひょうたんの存在に気づいた横島は、名前をバラした美神の行為に真剣に怒り出していた。

 「ついている上司を間違ったな横島君」

 「うるさい!お前らなんかに言われんでもわかっとるわい!!あのチチ、シリ、フトモモさえ・・・・・・って、わぁぁぁぁっ!!!」

 あっけなくひょうたんに吸い込まれた横島を見ておキヌの目が点になった。

 「今の絶対にワザとですね・・・・一体どういうつもりなんですか!?」

 「仕方ないでしょ!シロを助けたかったらああするしかないの!!!シロには悪いと思うけど命には代えられないからね」

 「どういう意味ですか、みかフンガッ!!」

 冷静さを失い、自分の名前を口にしようとしたおキヌの口を美神は手の平で塞ぐ。

 「大丈夫、アイツの煩悩を信じなさい」

 美神はこう言うとおキヌを庇うように二人の鬼に向かいあう。
 女二人と舐めたのか、二人の鬼は残忍な笑顔を浮かべた。

 「おしい所だな、名前が分かれば二人の後を追わせてやるものの・・・・なあ金角兄者」

 「まあよいではないか銀角・・・・・・いつも酒にするばかりでは芸がない」

 鋭い爪を光らせにじり寄る鬼に美神は一歩も引かぬ態度をとる。

 「私に名のらせる知恵すらないのね。そんな事だからサルに知恵比べで負けるのよ」

 「うるさい!!」

 怒りのあまり大振りになった一撃を難なくかわす美神、見え見えの挑発は敵の攻撃を自分に集中させるためと時間稼ぎの為だった。
 ひょうたんの中から横島が生還するのを美神は待っていた。






 「わぁぁぁぁぁっ!」

 叫び声と共に大きな水音が起こる。
 自分に遅れひょうたんに飛び込んできた横島の姿に、シロは感激のあまり抱きついた。

 「先生!まさか拙者を助けに!感激でござるっ!!!」

 「え、まあ、そんな所だ!わはははははっ!」

 まさか美神に売られたなどと言える訳がなかった。
 しかし、かといって起死回生の策があるわけでもない。

 「俺が来たからにはもう安心だぞ!」

 腰まで使ったヌルつきのある液体の効能を知っている横島は、空元気を見せつつ一刻も早く脱出する方法を模索する。
 上部にある出入り口を目指し内壁を手探りするが、ヌルつく分泌液のせいで単独では上れそうにない。
 横島は壁に手をつくと背中をシロに向けた。

 「シロ、大掃除の要領だ!俺を脚立がわりに上の出口を目指せ」

 横島とシロの身長を合わせてもまだほんの少し出入り口には届かない。
 しかし、霊波刀の一部が引っかかりでもすれば状況は変わるかも知れない。
 なにより自分よりも長く分泌液に浸っていたシロの体が気がかりだった。

 「分かったでござる。先生と拙者の共同作業でござるな」

 シロは躊躇無く横島の背中を登り、両肩を足場に上部を手探りする。
 霊波刀を伸ばすが、出口まであと僅かな所で霊波刀は空を切っていた。

 「クッ、先生もう少しでござる。もう少し姿勢を伸ばしてくだされ」

 「無茶言うな、サーカスじゃないんだぞ」

 ほぼ垂直な姿勢で肩に立たせるという離れ技をシロは要求していた。
 バランスを確認するために上を向いた横島の顔に、溶けたジーンズの残骸が落ちてくる。

 「うぷっ!」

 慌ててそれを拭った横島の視線がある一点で停止した。
 止めどなく流れだした横島の鼻血に粘液の水位が僅かに上昇したように見える。
 溶けていたのはシロのジーンズだけではなかった。









 「女!さっきまでの威勢はどうした!!!」

 二人の鬼の連携に美神は防戦一方になっていた。
 いや、攻撃を考えていないからこそ持ったとも言える。
 目の前の鬼は美神の実力を持ってしても、数分の時間稼ぎが限界だった。

 「待て、銀角、ひょうたんの様子がおかしい」

 動きを止めた二人の目の前でひょうたんから金色の霊気があふれ出した。
 それはみるみる勢いを増し、押さえきれなくなった口の部分から細かい亀裂が生じ始める。 

 「忠ちゃんカンゲキーッ!!!!!」

 限界を超えた霊力の放出によって、オーバーフローを起こしたひょうたんはあっけなく崩壊する。
 迸る霊気の奔流の中にシロと横島の姿があった。

 「な、なんでござるか?今の霊気は???先生に何が起こったでござるか?」

 美神は素早く上着を脱ぐと状況を理解していないシロにかぶせてやる。
 二人から少し離れた所には金色の霊気に包まれた横島が立ち、二人の鬼と対峙していた。


 「お前何者だ・・・・・その夥しい霊気」

 金角の問いに、金色の霊気に包まれたまま横島が答える。

 「清い体を持ちながら、モザイクの果てに辿り着いた者だけが得られる境地とだけ言っておこう」

 横島の霊気に圧倒された銀角であったが、一糸まとわぬ姿のシロに気づき横島を笑い飛ばす。

 「はっ、下らない!そんなモノを見たくらいで何が変わるというんだ!」

 「そんなもの?」

 横島を覆う霊気が一層その密度を増した。







 「クリ(ピ―――)のことか―――っ!!!」















 



















 ―――――――――― スミマセン、ホント、御免なさい m(_ _)m ――――――――――
































 「御免なさい、シロ、アイツがこれほどのヨゴレだとは私も予想してなかったわ」

 それは横島に対して言ったモノか、何処かでノートパソコンを抱えているアホにいったモノか、美神は心底申し訳なさそうにシロに謝る。
 遠くの方ではスーパー化した横島がアレっぽい戦闘で二体の鬼を消滅寸前まで追い込んでいた。

 「犬に咬まれたと思って忘れなさい。あとで私が責任を持ってアイツが記憶を失うまでシバき続けるから」

 「どうしてでござるか?」

 多少顔を赤らめながらもシロは横島の雄姿を見つめていた。
 横島が何を見てああなったかをシロは既に理解している。

 「恥ずかしいことは確かでござるが、先生が拙者の裸を見てあんなに元気になることが嬉しくもあるでござる・・・シッポのことで凹んでたせいでござろうか?美神殿、拙者は変なのでござろうか」

 コツン

 「10年早い」

 美神はシロの頭を軽くこづくと一言だけ呟く。
 しかし、その呟きはステージを見た観客の悲鳴にかき消されシロの耳に届くことは無かった。








 ステージの上ではサンディがバラードを歌い終わり会場全体が涙に包まれていた。
 最後の盛り上げに向け一旦会場の熱を冷ますことを意図した曲順であったが、意図したほどの効果は上げていない。
 香港中が異様な熱気に包まれていた。

 コンサートはラストに向かって更に加速を進めていく。
 タイムリミットである24時まであと僅かの時間を残すのみだった。

 「異常に高い横島の気を感じたわ。敵はもう片づくんじゃない?」

 曲の合間にタマモがサンディに耳打ちする。
 残りはアンコールを含めても数曲。
 コンサートの熱気にあてられながらもタマモにはまだ周囲に気を配る余力があった。

 「ありがとう、残りの一曲一曲全力で歌わせて貰うわ」

 サンディが微笑むと次の曲がスタートする。

 「まだ霊力が上がるわけ?」

 後ろで踊り始めたタマモが、一種のトランス状態に陥りそうになるほどの歓声が巻き起こる。
 他のダンサーたちは皆、無意識のうちに体を動かしているに違いない。
 周囲に視線を走らせたタマモが隣で踊っているダンサーと目を合わせた時、タマモの全細胞が警戒信号を発する。
 隣で踊っている自分と同期採用の女は、深い暗闇のような目をサンディに向けていた。

 「危ない!」

 タマモは美神の指示通りサンディの腕を掴み逃亡の姿勢に入る。
 コンサートのことを考えていたのでは間に合わないタイミングで、サンディがそれまで立っていた場所を黒いかぎ爪が通過した。
 巨大なかぎ爪はそれまで隣で踊っていた女の口腔内から飛び出ていた。

 「妖弧か・・・・なかなかいい反応をする。それにしても陽動も満足に出来ないのか?金角、銀角の馬鹿兄弟が!」

 うなるような声が起こりステージの上で物理的にはあり得ない光景が起こる。
 身長150センチ足らずの細身の女の口から、禍々しい角を生やした3メートル超の大男が吐き出された。
 後に残された薄皮一枚となった女の皮が風になびいたとき、ようやく状況を察した観客が大きな悲鳴を上げた。

 「それに判断力もある」

 既にタマモはサンディをつれてステージから姿を消していた。
 男は姿に似合わぬ俊敏さでタマモの後を追い始めた。




 「あと少し、あと少しだけ・・・・」

 「諦めなさい!命あってのものだねでしょ」

 ステージに未練を残すサンディを引きずりながらタマモは背後に神経を集中する。
 追ってくる大男の禍々しい気配を感じ全身が総毛立った。
 タマモは無意識のうちに屋上に逃走経路をとる。
 変化して空中に逃げれば相手は追って来れないとタマモは考えていた。

 「あと少しよ、頑張って!」

 息も絶え絶えのサンディを励ましながら屋上への階段を登るタマモ。
 追いつきつつある大男に、サルのゴクウが立ちはだかった。

 「フーッ!」

 大男に威嚇行動をとるゴクウ。
 その様子に大男の歩みが一瞬止まった。

 「頼んだわよ!アンタ横島の師匠なんでしょ!!」

 「ギャン!」

 タマモが声をかけようと下を向いた瞬間、階段の踊り場で蹴り飛ばされたゴクウは壁の染みだけを残し消滅した。

 「冗談じゃないわよ!なんで猿神が一撃でやられるのよ!!!」

 青ざめたタマモは屋上につながる扉を抜け、サンディを伴い空中へ逃亡する体制に入る。
 しかし、その目は絶望的な事実を目撃した。

 「う、嘘でしょう・・・アンタ馬鹿でかい体で何で空中に浮けるのよ!」

 屋上に出たばかりの大男は、タマモの努力をあざ笑うように宙に浮かんでいた。

 「チッ、こうなったら!」

 タマモは口元に手を当てると高圧の炎を噴射する。
 だが、放たれた狐火は男に触れることなく、その手に持った扇のようなものが巻き起こした風に霧散した。
 その扇が芭蕉扇という仙具であることをタマモは知らない。

 「!」

 その風を受けタマモは自身の体が切断されたことを理解する。
 動くと死ぬ。獣の本能が身動きを禁じていた。

 「ほう、動かぬか・・・・賢い狐だ、だが何処までもつか」

 大男はタマモの脇を通り抜けサンディを脇に抱えると空中に姿を消した。

 「・・・御免なさい、サンディ」

 「ありがとう、お主はよく頑張った」

 無力な自分を悔いるタマモに背後から温かい霊気が注がれた。
 それは恐らく切断されたであろう左大腿部と右肩に流れ込み急速に細胞レベルでの癒着を促す。

 「あと3分もすれば傷は完全にふさがる。美神と小僧に合流するがよい」

 タマモは自分の背後からその気配が急速に離れるのを感じる。
 背後の声はまぎれもなく王美猴のものだった。










 「毛から作った分身ではなく、今頃本人が出てきたか・・・孫悟空」

 「気安くその名を呼ぶな牛魔王」

 香港上空で二つの人影がにらみ合っていた。
 一方は恐怖で固まっているサンディを脇に抱えた大男。
 もう一方はサンディの付き人である王美猴だった。

 「はっ、デタントという体制に取り込まれたお前が偉そうに。かって天界を震撼させたお前ならともかく、今のお前など恐るるにたらぬわ」

 牛魔王の言葉に孫悟空と呼ばれた王美猴が足下を見る。
 王美猴はそこに美神と横島の霊気を感じ取っていた。
 そして、高速でこちらに移動しつつあるもう一人の弟子の存在にも。

 「お前は何か勘違いしている。儂は天界に組み込まれたのではない。今の儂はあの方の転生を待つ間の暇つぶしにしか過ぎんのだよ」

 王美猴の体から圧倒的な力があふれ出す。
 その体はみるみるうちに緊箍児をつけた火眼金睛の猿神に姿を変えていた。

 「そ、その姿は天界に喧嘩を売ったときの・・・・しかし、この坊主の魂を吸収すれば俺の力も・・・!」

 そう口にした瞬間、牛魔王の腕の中からサンデイの体が滑り落ちた。

 (滑)

 その現象が地上から投げ込まれた文珠の効果であったことに牛魔王は最後まで気がつかなかった。

 「師匠!」

 落下するサンディを抱えた孫悟空はそのまま巨大な猿へ姿を変えていく。

 「ばかな、デタントの崩壊が恐ろしくないのか!」

 巨大化した孫悟空による如意棒の一撃を受け、牛魔王は苦痛を感じる暇さえなく消滅した。










 「マズイじゃないの!!!アンタ責任とって止めなさいよ!!!」

 地上で成り行きを見守っていた美神、横島、おキヌ、シロは巨大化し理性を失った老師の姿にパニックを起こす。
 老師は香港第二の高さを誇る中環廣場によじ登り雄叫びを上げていた。
 しかも手にしっかりサンディを握りしめて・・・・

 「みんな!アレは何事よ!!!」

 傷が癒えるのを待って、手を翼に変化させたタマモが合流を果たす。

 「た、タマモいいところに来たわ!アンタ、ハサミに変化して老師のシッポを切りなさい!」

 デタント崩壊の予感に完全に取り乱した美神は訳の分からないことをわめき始める。

 「美神さん、そのネタはやばいんじゃ・・・・」

 「アンタに言われたくないわよ、この反則を遙かに踏み越えたヨゴレが!!!」

 怒りの矛先を向けられた横島はまだスーパー化が解けていなかった。
 このままでは月を砕けと言われかねない状況に横島はとりあえず沈黙する。

 「相変わらず賑やかだなお前らは」

 取り乱す一同に上空から冷ややかな声がかけられた。
 横島が見上げると浮かんだ雲に乗った雪之丞が不敵な笑みを浮かべていた。

 「あ、ヤ○チャだ!」

 「誰がヤム○ャだ!だれが!」

 雪之丞は額に青筋を浮かべる。

 「老師はこの事態に備え、俺に密命を託したんだ!ほらっ!」

 雪之丞は古ぼけた数珠を美神たちに見せる。

 「老師の師匠、三蔵法師の使っていた数珠だ。本国の博物館あるのを拝借してきた・・・・・ホントは錫杖も有ったんだけどな、後の無能な王様が魔神なんぞを閉じこめさせたたらしくてな、使い物にならなくなっちまった」

 「雪之丞?それも、ものすごくヤバイネタなんじゃないか?」

 「お前に言う資格はない!このヨゴレが!」

 「だーッ!解決策があるならとっととカタしてらっしゃい!!」

 収集のつかない流れを美神が無理矢理収集にかかる。
 老師は既に最上部まで登り切ろうとしていた。

 「それじゃ行くぜ!それと、妖弧の嬢ちゃんもついてきな」

 雪之丞は横島の腕を掴むと乗っている雲を急上昇させる。
 空中を引きずられる形となった横島だったが、雲に乗れるか心配だったのだから最も無難な方法といえた。

 「横島、文珠は作れるか?」

 「ああ、今だったらいくらでも」

 「一つでいい。(醒)の文珠とこの数珠を同時にサンディにぶつけるんだ」

 「ちょっと、まだ心の準備が・・・・わぁぁぁぁっ!!!」

 雪之丞はこう言うと心の準備が出来ていない横島を老師に向かって放り投げた。
 横島は奇跡的なタイミングで老師の右手に辿り着くと文珠と数珠を意識を失っているサンディに押しつけた。






 サンディが目を開くとその体が眩い光で包まれる。
 三蔵の意識が目覚めたその口がお経のような呟きを放つと、老師の頭を激しい苦痛が襲った。

 「ぐおぉぉぉぉぉっ」

 苦痛の叫びを残し老師の変化が解ける。
 普段は立ち入ることの出来ない中環廣場の屋上に、サンディ、老師、横島は無事に降り立った。

 「相変わらず無茶をしますね」

 三蔵の呟きに老師は静かに目を開く。

 「これでもだいぶ丸くなりました。久しぶりにみる人界は如何ですか?」

 普段の老師からは想像の出来ない従順な口調だった。

 「さあ、私たちが旅した時代から変わったのか、変わらないのか・・・でも人は急にかわれないのでしょうね」

 「今回、師匠はなぜ現世へ?」

 「本人は気づいていませんが、この子はまれに見る霊媒体質のようです。新たな生活の場を求めての船出の最中、死に直面した為に目覚めたのでしょう。その記憶を失ったおかげで憑依した私の意識はずっと表に出ることはありませんでしたが」

 「それではまたお別れですね。師匠、またいつか・・・・」

 老師の言葉に三蔵は優しく微笑んだ。

 「悟空、私の力が残っている間にこの子にもう一曲歌わせてあげたい・・・いいですね?」

 老師の肯きに三蔵は横島を振り返る。

 「そこの少年。すみませんが私に文珠を一つ分けてくれませんか?」

 横島が文珠を手渡すと三蔵は文珠に念を込める

 (幻)

 使用者の霊力が桁違いのためか、文珠の効果で現れた巨大なサンディの幻は香港中から目撃された。
 コンサート会場から消えた三蔵を心配していた香港中の観客から安堵の歓声があがる。

 「三蔵様が最後の5分を私にくれるって・・・・」

 意識を渡されたサンディに向かい老師は小さく肯いた。 

 サンディが歌い出すとその歌声は香港中に響き渡る。
 その曲は、横島たちがオーディション会場できいたラブソングだった。

 「横島、文珠、ありったけ!」

 タマモは雪之丞が自分を連れてきた理由を理解していた。
 スーパー化が解けるまで作り出された文珠を使用し、タマモは一世一代の幻術を披露する。
 サンディの幻の隣りに寄り添うように、巨大な猿の幻が出現する。
 その夜、香港は巨大なコンサート会場と化した。










 年が明けた後もコンサートの余韻は消えなかった。
 口々に余韻を話す人々の間をすり抜け、美神は横島たちと合流する。

 「サンディは?」

 「李卓吾にまかせました。コンサート中のアクシデントも、人間限定でもみ消してくれるそうです」

 「そう・・・・やっぱりサンディは力を失っていた?」

 横島の無言の肯きに美神は目を伏せた。

 「サンディは三蔵法師の生まれ変わりじゃなかったのね」

 「師匠がそう簡単に転生するわけがなかろう。あれほどの人間はなかなか生まれんものだ」

 美神の言葉に無言だった老師が反応した。

 「ずっと待つのって辛くないか?」

 横島の問いに老師は不敵な笑顔を見せる。

 「待つのは慣れとる。ついでに懲罰もな・・・・ところで儂を連れ戻しに来たんじゃないか?」

 「タマモの幻術でごまかせたかも知れないし、すぐ帰ることも無いわ!おキヌちゃんとシロが服を買いに行ってるから、それがすんだらみんなで食事にでも行きましょう」

 美神の発言に先程の光景を思い出した横島が鼻血をしたたらせる。

 「横島・・・・あの事は忘れなさい!殺すわよ」

 液体窒素より冷たい美神の口調に横島の鼻血は凍り付いたように固まった。

 「さてと、雪之丞!アンタこっち詳しいんでしょう?アンタにも奢ってあげるから老師好みの店を紹介しなさいよ」

 「それなら俺の一番のお勧めを紹介するぜ!そこなら老師も気に入るだろう」

 自分を気遣う人間たちに斉天大聖は口元に笑みを浮かべる。

 「儂の好みはうるさいぞ!ちゃんとした店だろうな」

 気遣いに乗ってやる気になった老師の問いに、雪之丞は珍しく笑顔で答えた。

 「もちろん星3つです」

 この答えに老師は声を上げて笑う。
 彼はかって師匠と共に行った旅が無駄ではないと思っていた。


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