椎名作品二次創作小説投稿広場


ANADEUS

1.交響曲第25番ト短調 第1楽章


投稿者名:赤蛇
投稿日時:06/ 1/ 1

トラブルはいつもトランクとともにやってくる。



「やっほーーーーっ!!」

人工幽霊一号が検知した空間の異常を告げる暇もなく、まったくぶしつけに一人の神族が室内に姿を現した。
美神除霊事務所のセキュリティを一手に引き受ける人工幽霊一号にとって、いつも彼の努力を無にする、この無遠慮な訪問客は好ましからぬ存在であった。
だが、オーナーの手前も考えずにそれを口にするほど、彼は愚かでもなかった。

『・・・オーナー、ヒャクメ様がお越しになられました』

どこか棘のあるふうにも聞こえる人工幽霊一号の声は聞き流し、美神は読んでいた雑誌から軽く顔を上げて言った。

「なーに、また仕事サボって遊びに来たの?」

仮にも神族の一員に向かって失礼な言い方であったが、その問いはまさに核心をついていたので、ヒャクメも怒るような真似は出来ない。
むしろ、ヒャクメ自身が自らの立場をわきまえているのかどうか、そちらのほうが甚だ疑問であった。

「し、失礼ねー。私だって仕事ぐらいちゃんとしてるのねー」

「いつ?」

「たぶん、明日。か、あさってには」

おそらく、いつ聞いても同じ答えが返ってくるのではあるまいか、端で聞いていたおキヌの脳裏に、ふとそんなことが浮かんだ。

「ひ、ひどいのねー! そんなことないのねー!」

「えっ!? やだ、やめてください!」

頭の中で考えていたことを読まれたと思って、おキヌは顔を真っ赤にして声をあげる。
いくら気心の知れた神様とはいえ、むやみやたらに自分の心を覗かれるのは気持ちの良いものではない。

「いちいち視なくても、おキヌちゃんの顔を見れば誰だってわかるのねー!」

「・・・ほんとうですか?」

「ううっ、神様たる私の言うことも信じられないなんて、おキヌちゃんはすっかり穢れてしまったのねー」

ヒャクメは肩衣の端をつまんで、わざとらしくソファに泣き崩れるふりをする。
いかにも喜劇じみた、ヨヨヨ、とでもルビを振っていそうな演技を見て、美神は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「・・・悪かったわね、こんなところにいるせいで」

美神さんの影響で、などと考えていたのをまたも当てられてしまい、ヒャクメは動揺を隠せない様子だった。
探る側にばかり立つ自分の立場が逆転するのは、そう滅多にあることでもない。

「み、美神さん、どうして・・・ まさか、おキヌちゃんに授けた心眼を無理矢理―――」

はっとした顔のヒャクメの目に、黒いドレスを来て何故か眼鏡を掛けた美神がおキヌから心眼を取り上げて鞭打つ光景が見えた。
ボロを纏ったおキヌが「ごめんなさいっ、ミンチン先生!」と泣きながら許しを請う姿に、ヒャクメは思わず目頭を押さえる。

「横島クンのならともかく、おキヌちゃんにそんなことするわけないでしょうっ!!」

悪名高いシャイロックかのようなヒャクメの想像に、さすがに美神も顔を真っ赤にして抗議する。
だが、その抗議もむなしく、言葉の端に露見した本音によってかき消されてしまった。

「―――ということは、横島さんのは・・・?」

「はい。横島さんがつくった文珠をときどき―――」

「お、おキヌちゃん! 余計なことは言わなくていいの!」

「横島さんもかわいそうなのねー」

「なによっ! 横島クンは私のものなんだから当然でしょっ!!」

そう口走ってしまってから、初めてその台詞の意味に気がついた。

「―――あ」

「あ・・・」

「やっぱりなのねー」

仕掛けたイタズラが見事に決まったかのように、にんまりとして笑うヒャクメだった。



「―――それで、いったい何の用なの、今日は?」

まだ幾分か赤い顔をしながら、改めてこのぶしつけな訪問客の用件を聞いた。
ここに横島がいれば、とりあえず殴りつけでもして気を落ち着かせるところであろうが、残念ながらまだ出勤してきてはいなかった。
もっとも、本人に聞かれてしまっては照れ隠しも何もないとも言えるのだが。

「いえね、仕事で古い資料を調べていたら、ちょっとおもしろいものを発見しちゃったんですよねー」

ヒャクメはドツかれてまだ少し痛む頭をさすりながら答えた。

「なんだ、やっぱり仕事サボって来たんじゃない」

「いや、ほら、私ってば好奇心のかたまりじゃない? いったん気になっちゃうと、どうしても調べないと気がすまないのねー」

「・・・ヒャクメ、『好奇心、猫を殺す』って言葉知ってる?」

「私は猫じゃないのねー」

仕事をサボってきたことは否定せず、さして悪びれもしないヒャクメの答えに美神は眉を吊り上げた。
だが、ヒャクメは美神の口調などには一向に構わず、彼女愛用のトランクからパソコンのようなものを取り出して、キーボードをカタカタと叩きはじめる。
そのパンドラの箱にも等しい不吉なトランクを見て、美神は吊り上げた眉をますますひそめるのだった。

二人の直系の弟子とも言うべきおキヌは、相変わらずな師匠たちのやりとりを見て、軽く肩をすくめた。
ヒャクメが何に興味を抱いて調べようとしているのかは検討もつかず、彼女が説明してくれるのを待つしかない。
そろそろ横島が出勤してくる頃合でもあり、少し早いけれどもお茶の準備をしようとキッチンに姿を消した。



見事なブラインド・タッチでキーを打ち込んでいたヒャクメが手をぴたりと止め、まだ不機嫌そうな美神のほうを向いて呼んだ。

「美神さん、ちょっとこっち来て見てほしいのねー」

「何だって言うのよ、まったく」

文句を言いつつも、美神は椅子から立ち上がってヒャクメのそばへと寄る。
なんだかんだ言っても、ヒャクメが見つけたというものにも少なからぬ興味がある。
面倒なことはお断りだが、さりとて退屈で安穏とした日々を送るというのも願い下げだった。
スリルとビック・マネーを求めて生きるのが彼女の信条なのだ。

ヒャクメの横からひょいと画面を覗き込むと、いくつかのウィンドゥが開き、梵字とも何とも判読のつかない文字の羅列が見えた。
こんなものを見せてどうしろというのか、と美神は訝しんだが、ひとつだけ読むことの出来るもの―――”1787”と読めた数字を目にし、あわててヒャクメのほうに向き直ろうとする。

「ちょっ・・・ちょっとまって! まさか―――」

「そのとおり!」

そう言うが早いか、ヒャクメはケーブルの付いた吸盤みたいなものを美神の額にぺたりと取りつけ、止める間もなく実行キーらしきものを押した。
そのとき、焦っていた美神の耳には、キッチンから顔を出して問い掛けたおキヌの声は届いていなかった。

「美神さーん、コーヒーと紅茶、どっちに―――」

「あなたの時間移動能力、また借りるのねー!!」

瞬く間に周囲を包み込むようにして、雷光にも似た青白い光が球状に広がり、一秒もしないうちに消えた。
空気が弾ける音とガラスを震わす衝撃が止んだ後、室内に残るものは誰もいなかった。



「ちょっと! いきなり何てことするのよっ!!」

眩い光が収まると、重力の上も下もなく、明るくはないが真っ暗闇でもない時空間に漂っていた。
美神はこの、引きずられるような妙な感覚を味わうのは初めてではなかったが、なかなかそう慣れるものでもない。
こうなっては今更どうこう言ってもしかたがないのはわかっているが、それでも相変わらず突拍子もないヒャクメの行動には文句の一つも言わずにいられない。

「大丈夫、大丈夫。 私がついていればトラブルなんて起きないのねー」

「アンタ、前にも同じこと言ってたじゃないっ!?」

「心配いらないのねー。 今回は初めての時間移動ってわけじゃないし―――」

ヒャクメは余裕綽々といった表情で腕組みしながら言った。

「―――横島さんもいなかったから、予期せぬことなんて起こるわけがないのねー」

「本当かしら?」

「もー、少しは信用してほしいのねー。 今度は前回と違ってたかだか二百年ぽっちだし、私たち二人でちょっと行って来るぐらい―――」

「あ、あの―――」

笑顔のままで時空間から出るのを待つヒャクメに、恐る恐る声を掛けるものがあった。

「三人なんですけど・・・」

申し訳なさそうな様子で、おずおずとおキヌが手を上げた。
前にはエプロンをつけ、片方の手にはお湯の沸いたケトルが握られたままだった。

「えっ!?」

突然のことに思わずヒャクメは口をぽかんと開き、絶句したまま固まってしまう。
美神はまずおキヌのほうに目を向け、ちらりとヒャクメのほうに移す。
やがてそれが合図だったかのように、漂っていた三人は光の集まる一点へと収束し、実空間へと放り出された。



そこは、さっきまでいた事務所の応接室に似た雰囲気の、だが、電気の灯りなどない、まったく見知らぬ洋室の中だった。


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