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GS美神 アルカナ大作戦!! 〜Endless Expiation〜

Chapter2.HIGHPRIESTESS 『交差>>虚実』


投稿者名:詠夢
投稿日時:05/12/10


某国某所。

窓も何もない、薄暗い部屋に一人の女が入ってくる。

素肌の上に直接スーツジャケットを羽織り、下はトゥラザース。

整った顔立ちとスタイルには、妖艶、としか言いようのない雰囲気が纏いつく。

扉を閉めたところでふと、己の部屋であるその場所にもう一つの気配を感じて、女は冷笑を浮かべる。


「淑女の部屋に忍び込むなんて…躾がなっていないのね。」

「なに…我らが同朋に労いをと思ったまで。」


くぐもった笑い声に続いて、闇の中に仮面が浮かぶ。

歪んだ鏡のような、目も鼻もない不気味な仮面。

だが、女は欠片も動揺せず、それどころか不快気に形のよい眉をひそめる。


「あなたに労われてもね…『あの方』は?」

「会議だそうだ。表向き、あ奴の立場は一介の研究主任だからな。」


仮面に続いて、黒いローブコートがばさりと広がり、人の形をとる。


「そう…それじゃ、仕方ないわね。」

「戻ってくるのは夜になるだろう。その時、存分に労ってもらえ。」


その口ぶりに含むものを感じて、女は訝しげに仮面を睨む。


「何なの?」

「あ奴がお前を労うとは考えにくいということだ。お前のやり方は、あ奴の望むところではない。」


言葉面こそ責めるようだが、その声音はさも愉快といわんばかりのもの。

それを知ってか知らずか、女は嫣然と微笑む。


「すべてはあの方のためよ。あの方の助けとなれるのなら、あえて疎まれるわ。」


そう。それが、恋焦がれる少女の想いを利用し、歪め、踏みにじることであったとしても。

狂気すら孕む女の笑みに、仮面の人物は堪えきれなくなったか、愉しげに嗤う。


「まこと凄まじいものだな、女の情念というものは。」

「情が深い分、業が深いのよ。」


それを聞いて、仮面の人物はまた低く笑う。


「なるほど、然り。されど、彼奴らに関わるのはどうかと思うが?」

「彼奴ら?」

「横島忠夫。美神令子をはじめとするあの連中を巻き込めば、下手をすれば計画を潰されるぞ。」


ああ、と女は頷く。

その態度からは、反省といったところは一切見当たらない。


「あれは偶然だったんだけど…でも、遅かれ早かれあいつらは邪魔になるわ。」

「だから、今のうちに潰すと?」

「そうね。それに勝算がないわけでもないし…面白いものを見つけたからね。元々、止める気もないでしょう?」

「無論。あ奴は怒るだろうがな。」


仮面は間もおかずに即答した。

こいつはいつもこうだ。常に状況を複雑にしては、それに振り回される者を見て嘲笑う。

自分たちすらゲームの駒でしかないのかもしれない、と女は思った。


「さあ、わかったのなら出て行ってくれるかしら? これからシャワーを浴びたいのだけど。」

「それは失礼。愛しい男に会う前に身奇麗にしておきたいのが女心というものだったな。」


な…ッ、と言葉を詰まらせる女を残し、仮面の人物は霞のように消えていった。

女は一つ息を吐くと、やがて服を脱いで隣の浴室へと向かう。

流れ出る熱い湯に、波打つ髪を、眩しい裸身をさらしながら、彼女はふと『あれ』を思い出す。

あの類まれなる素材。あの方の礎となり得る素材のことを。

その素材の名を、ぽつりと口に出してみる。


「横島、忠夫─。」


そして女は、『リリス』は小さく微笑んだ。










          ◆◇◆










ざわざわと人が行きかうのを、ぼんやりと眺めていた。


「…赤だ。大した怪我じゃなくてよかったな。」

「…いや、ピンク。まあ、おキヌちゃんたちのヒーリングのおかげやな。ホンマ、感謝やで。」


テーブルの向かいの友人の言葉に、視線は向けないままそう返す。

どうせ、向こうもこっちを見ちゃいない。


「あれは…白だな。あんだけやられて検査入院だけだってのが奇跡だよなぁ。」

「ベージュやろ? それ言うたら、お前なんか奇跡の塊やないか。
 あの後、美神さんにミンチにされといて、なんでもうピンピンしとんねん。」


目と脳の一部でしっかりと標的を捕捉し続けながら、昨夜のことを思い出す。

自分が意識を取り戻したのは、救急車に運び込まれる時。

傍らを見れば、おキヌちゃんが付き添ってくれていて、おそらくヒーリングをしてくれていたのだろう。

そして、さらに視線を下げれば、なにやら血に塗れた肉塊としか言いようのない物体と、荒い息の美神さん。

朦朧とした意識の中、無茶するなという美神さんの怒声と、物体を包む服だかボロ布だかから、それが友人の成れの果てとわかる。

明らかに自分よりも重傷だったと思うが。


「ん〜…今度こそ赤! なんつーか、慣れ、だろうな。」

「いや、あれもピンクちゃうか? 普通、慣れる前に死ぬ思うけどな…。」


この友人の不死身っぷりには、何だかもう騒ぐのも面倒な気になってきた。

代わりに、大きく溜息をつく。


「…にしても遅いな。」

「そうやなぁ…って、あれは間違いなく─。」


つい今しがた通り過ぎた白衣の天使の後姿を眺めやりながら、弾き出された答えは図らずも友人と重なる。


『黒!』

「て、何をしとるかっ!」


声とともに振り下ろされた拳が、友人の後頭部を強打する。

振り向けば、こめかみに井桁を浮かべた美神さんが。

そして、その後ろで呆れた表情をする人たちの中に、『彼女』を見つける。


「……ホンマに変わってへんねんな、アンタら…。」


盛大に溜息をつきながら、彼女は──夏子はうなだれた。






白井総合病院。

美神らが何度となく世話になっている病院で、昨夜の事件終結後、銀一はここに運ばれていた。

ここなら色々と融通が利くし、仮にも有名人がオカルト事件に巻き込まれたなんてスキャンダルをばら撒くこともない、とは美神の言。

実際その通りで、特に騒がれることもなく、先に述べたとおり大した怪我もなかったため、翌日の今日には退院の許可が出ていた。

そして、夏子だが。

意識不明の状態で同病院に運び込まれていた彼女は、むしろ銀一よりも危険な状態だったらしい。

無茶な造魔化により、身体各部にダメージが見受けられていたが、そちらは銀一とさほど変わらない、比較的軽度なものだった。

問題は、精神にも何らかの異常が残されている可能性であり、そのためネクロマンサーの笛を使った精神治療の措置がとられた。

実質どれほどの効果があったかはわからないが、夜明け前には夏子の意識は回復した。

ほぼ徹夜で治療にあたったおキヌは、さすがにダウン。今頃は夢の中である。

尚、蛇足ではあるが、精神治療措置の際にとある医者が、「医学は…ッ医学はァァ〜ッ!!」と錯乱したとのこと。

そして現在、夏子の精神に異常がないか検査のため、横島と銀一はラウンジルームで待っていたわけだが。


「別に実際にめくって確認まではしてないんだから、いいじゃないっスか〜!」

「いいわけあるかッ!! アンタ、終いにゃ本気で訴えられるわよ!?」


横島の抗弁に、ふたたび美神の拳骨が振り下ろされる。

がつん、という音がして、頭を抑えてしゃがみ込む横島。


「うぐぐ…! お、俺はただ、銀ちゃんと懐かしい遊びをと…!」


ぎろり、と向けられた視線から、慌てて目をそらす銀一。


「え、あ〜、それで夏子はどうなんです?」

「刻真くんの話では、一度造魔化した者はそれが再発しないとも限らないそうだけど…とりあえず異常なし。一安心ってところね。」


ひのめを抱いた美知恵が微笑むのを見て、銀一は安堵の吐息をもらす。

と。


「あの、今回のことは本当に…済みませんでした!」


おもむろに、それまで黙っていた夏子が頭を下げる。

皆が目を丸くする中、夏子は頭をあげないまま一気に言葉を続ける。


「うちのせいで事務所とか、東京タワーとか、いっぱい色んな人に迷惑かけてしもうて…それで、それで…ッ!!」


夏子の必死な謝罪も、申し訳ない気持ちが強すぎて最後のほうは詰まってしまう。

気まずい沈黙が流れる…と思いきや。


「ま。今更って話よね。」

「へ?」


あまりにも軽い美神の言葉に、間の抜けた声を漏らす夏子。

そんな夏子に、美神は肩をすくめてみせる、。


「吹っ飛ぶって言ったら、ひのめのおかげで結構あちこち吹っ飛ばされてるし。」

「ね?」


姉に呼ばれたと思ったのか、美知恵に抱かれたひのめが顔をあげる。

シロやタマモたちも、うんうんと頷いている。


「ひのめ殿はご機嫌が優れぬと、すぐ爆発するでござるからなぁ。」

「私のお稲荷グッズもひのめに焼かれて、数え切れないくらい買い換えたしね。」


二人は時々ベビーシッター代わりに、ひのめの面倒を見ていたりするので、その言葉には深い実感が込められていた。


「鈴女も別に平気ー。それに、堂々とダーリン(美神さん)のベッドに潜り込めるし。」

「俺の覗き穴も、また作ればいいだけだしな。これしきで俺の煩悩がへこたれるとでも…ぶッ!?」

「そんなもん作っとったんかい!!」


横島の台詞に美神の拳が放たれ、鮮やかな血の華が咲いた。

それから一転して、美神は夏子へと笑みを向ける。


「まあ、そんなわけだから。こんなの迷惑のうちにも入らないわよ。」

「え…でも…。」

「いいから! …むしろ、周囲の状況考えず暴れたどっかの馬鹿の方が許せないわね。」 

美神のするどい視線が、血の海に沈む横島に向けられる。

気絶してると思われていたが、びくうっと体が震えたことから死んだフリだったようだ。

思いっきり背中を踏みつけられて横島は飛び起きる。


「ぐぇ…ッ、し、仕方ないじゃないっスか〜! 緊急時だったんスよ〜!」

「やかましい!! タワー壊したおかげで、これからの修繕費の事やらなんやら考えたら…!!」

「まーまー美神さん…って、これおキヌちゃんの役目じゃない?」


ぎゃーぎゃーと騒ぐ美神らを横目に、美知恵が苦笑する。


「ま、そーゆーわけだから、本当にあんまり気にしない方がいいわよ。」

「…はい。ありがとう、ございます…。」


微笑む夏子の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

と、美知恵の笑みが柔らかいものから、何やら悪戯を思いついた子供のようなものに変わる。


「そ・れ・よ・り♪ 今回の事件の原因が、横島君への恋心だなんて…おばさん、なんだか照れちゃうわ〜!」

「えうッ!? あ、いや、それは…!!」


一転、あたふたし始める夏子。

後ろのほうで、びしりという効果音とともに緊張が走る。


「でも、そうよねぇ〜。女の子なら誰でも、好きな人を独占したいって思うものよねぇ〜。」

「そっ…そんな、せやかて、横島の場合、女好きやし、昔からモテとったし…不安になってもうて…!!」

「ン何ィィィィ──ッ!!?」


夏子の言葉に誰よりも早く反応したのは、横島だった。

美神の暴風圏内から、まさに一瞬で銀一の前まで詰め寄る。ちなみに怪我まで消えてる。


「マッ…マジで…!? そうなのか、銀ちゃん!?」

「え、いやそれは…あ〜と…。」


煮え切らない親友の態度に、横島は理屈ではなく魂で確信した。

こいつぁ、まじだ。

と、同時に親友の胸倉を掴み上げて叫ぶ。


「貴ッ様─!! なぜに小学校時代に教えてくれんかった──ッ!?」

「うッ、それは…!!」

「何故だ!? 何で教えてくれへんかったんやー!!
 もし、もしあの頃の俺がそれに気づいていれば…今頃、今頃ォォォ〜…!!」


おどろおどろしい雰囲気を撒き散らしながら、血涙流して吠える横島。

その姿は、何と言うかとても。


「ヨコシマ、見苦しいホー。」

「情けなーい。」


ノースと鈴女からの容赦ない言葉を、横島は血に染まった眼差しで叩き落とす。


「やかましい!!
 見苦しかろうが情けなかろうが、後悔が後から後から沸いてきて…吠えずにおられんのじゃーッ!!」


後になって悔やむから、『後悔』という。

さらに横島のボルテージは上がっていく。


「考えても見れば、俺は何をカッコつけとるんだ!?
 こんな綺麗になった夏子が未だ俺を好いとるというのに、何故にあの時俺はフッたりしたんだ!?
 ああああああ…俺のドアホーッ!!
 今からでも間に合うか!? クーリングオフは有効ですか─ッ!?」

「見てて痛々しいホー。」

「先生ぇ…。」


ヒートアップする横島とは対照的に、周囲の視線は零下に達していた。


「いやいや遅くない!! 今からでも遅くはない!!
 幼馴染の段階を経て、夏子!! 今こそ俺と一緒に愛の園へ──ッ!!」

「「ふざけんな──ッ!!」」


美神と銀一のツープラトンアタックにより、横島撃沈。

悪は滅びた。だが。


「…実際のところ、夏子さんはどうなの? 横島君のこと。」

「ちょ…ママ!?」


人の悪い笑みを浮かべた美知恵が、そんなことを言い出す。

美神の抗議の視線もどこ吹く風だ。

夏子はふと、少し考える素振りを見せながら。


「そうですねぇ…よぉ、わかりません。」

「あら、どうして? まだ好きなんでしょ? 横島君みたいな子って貴重だと思うけど…。」


さらに焚きつけるようなことを言う美知恵に、美神の井桁が一つ増える。

夏子はくすっと、小さく笑って。


「…横島にとって、うちはやっぱり幼馴染なんやと思います。」

「そんなの、これからの頑張り次第でしょ?」

「ええんです。横島はうちの事忘れてへん。うちを…『大事な』幼馴染って言うてくれるだけで…。
 それがわかったら、なんか気持ち軽ぅなって…。
 ひょっとしたらうちは…それだけを望んでたんかなぁ、って。」


その表情は、どこか寂しげながらも満足しているようにも見えて。

夏子の表情を見つめていた美知恵が、ふと笑みをこぼす。


「…変に想いを殺しているようなら再発の可能性があったんだけど…その様子なら大丈夫ね。」

「させませんよ。」


間をおかず、銀一がそう返す。


「再発なんて、俺がさせません。夏子は俺が…守ります。」

「宮尾…。」


言い切る銀一の瞳は、どこまでも真っ直ぐに夏子を見ていた。

昔、彼女に告白したときのように。真っ直ぐに。

そして夏子も、昔、銀一と約束をしたときのような笑顔を浮かべ。


「えらい! よく言ったわ、近畿君! それでこそ男の子!!」

「それに引き換え…あいつはどーして、ああ締まらないんだか…。」


呆れとも諦めともつかない表情で美神が見つめるのは、いまだ血溜まりに浮かんだまま、ぴくりともしない横島。

確かにそうだが、娘の顔がどこかまんざらでもなさそうに見えるのは私の願望かしら、と美知恵は苦笑する。

と、そこにすでに顔なじみとなった白衣姿がやって来る。


「おお、こんなところにいたのか…って横島君、またかね!? 病院に来て瀕死になるのは君くらいだぞ!?」

「あ、それは放っといて平気よ。何か用かしら?」

「む…いや、連れの女の子から先に帰ると伝えてくれと頼まれてな。」


医師として、美神の言葉に釈然としないながらも、とりあえず用件を述べる。


「あら。おキヌちゃん、もう起きたの?」

「いや、カチューシャをつけたショートカットの子のほうだが…何だね、その顔は?」


何でもないと首を振りながら、美神はそっと刻真に同情した。

あいつ…また女の子に間違えられてる…。







          ◆◇◆







くちっ、と可愛らしいくしゃみをして、刻真は首を傾げる。


「風邪か?」


かけられた声に、刻真はそちらへ振り向く。

ここは船上ホテル『業魔殿』にあるバーの一角。グランドピアノの傍らのテーブルに刻真は座っていた。

そして、視線の先。グランドピアノのすぐ横には。

一匹の獣がいた。

純白の体躯に、獅子のごとき鬣は銀。知性溢るる黄金の瞳をした、あの獣であった。

刻真は、その獣にふっと笑いかける。


「いや、違うと思うけど…。 まあ、それより…今回は本当に助かったよ、ケルベロス。」

「気にするな。私はヴィクトルに頼まれただけだ。ひよっこの面倒をみてやってくれ、とな。」


ケルベロスと呼ばれた獣は、そう人語を発して低く笑う。

その声は、以前にノースが刻真の部屋で聞いた、あの声と同じものであった。


「…それに、私も『あの女』を逃がしたからな。礼を受け取ることは出来ん。」


ふいに、ケルベロスが笑みを消す。言葉の端にはどこか自噴めいたものが込められていた。

刻真の目がすうっと細められる。


「女…か。あの時、そんな奴が東京タワーにいたなんて…『奴』の仲間かな?」

「その奴とやらを私は知らぬゆえ…ふむ、どうだろうな。だが、間違いなく今回の事件の裏にいた。」


しばし沈黙が流れる。

刻真の瞳が、ときおり危険な輝きを宿しながら揺らめき、ケルベロスはそれをじっと見ていた。

探るような。また、試すような目で。

やがて、ふうと一つ息を吐いて刻真が立ち上がる。


「どちらにしろ、奴の仲間ならそのうちぶち当たるさ。放っとけばいい。」

「横島といったか…伝えなくていいのか? 友人が巻き込まれたのだろう?」


出口へと向かいかけた刻真の足が止まり、振り向かないまま吐き捨てるように言う。


「言ったところで大した情報はないんだ。放っとくのが一番だろ。」

「…確かにな。仲間に余計な心配をさせたくはない、か…。」

「関係ない。」


ケルベロスの言葉を斬って捨てるように、刻真の声が鋭さを増す。

いつの間にか、刻真が振り返ってこちらを見ていたが、その目に冥い光が灯っている。


「…俺の目的はあくまで『奴』だし、それに…仲間、なんて言うな。」

「だが、仲間だろう?」


からかうような言葉にも、刻真は何も答えない。ただ、冥い瞳で睨みつけてくるだけ。

ケルベロスはやれやれといった具合に、ため息をつく。


「わかった。もう言わん。」


刻真は無言でケルベロスに背を向けると、出口へと向かって再び歩き出す。

と、その背に向けて。


「では、またな。『相棒』。」


投げかけられた言葉に、またも足が止まる。

が、今度はすぐに歩き出し、振り返ることもなく刻真は、業魔殿を後にした。

遠ざかっていく足音を捉えながら、ケルベロスは前脚に頭を乗せて瞳を閉じる。

その口元を微かに緩ませて。


「…なんのかんの言ったところで、現にお前はそうやって苛立っている。仲間でなくて、何だというのだ?」







          ◆◇◆







仲間…相棒…か。

刻真は胸のうちでひとりごちる。

自分はその言葉から、最も遠い位置にいる。

かつて、仲間と呼んでいたものは、自分の不甲斐なさゆえに失ってしまった。

否。捨てたのだ、自分は。

何もかも捨てるようにして、ただ自分の未熟な心のままに突っ走った挙句、何も果たせず何も守れなかった。

今回だってそうだ。結局、俺は何も出来なかった。

その上、事ここに至っても俺は、まだ横島たちに全て明かす気になれない。

もう、彼らにとっても他人事ではないというのにだ…いや、最初から他人事ではない、か。

なんにしろ、俺は横島たちを拒絶している。

それを嫌悪する反面、そうするしかないとどこか諦観している自分がいる。

仲間などと…言えるはずもない。

ふと、誰かに呼ばれた気がして顔を上げると、道の先に横島とノースの顔を見つける。

刻真は、わずかに表情を強張らせたが、すぐに笑顔を取り繕ってそちらに向かう。


「今、帰り? 夏子さんは、どうだった?」

「ああ。大丈夫だとさ。とりあえず、聴取のほうは後日ってことで今日は解散になった。」


西条の奴が事後処理に追われまくってるからなー、と横島が笑う。

ノースも笑う。

刻真も、それに苦笑して返す。さきほどまでの沈んだ思考は、心の片隅に追いやっておく。

それからしばらくは、三人で他愛のない話をしながら家路についた。

マンションの近くまで来たとき、ふと横島が沈んだ表情になる。


「…なあ、刻真。俺は…どうなるんだ?」


一変した横島の様子に、首を傾げながらも刻真は無言で続きを促す。

横島はくしゃりと、前髪ごとバンダナを握り締める。


「今回、俺は自分を見失った。周りのことも、相手が夏子だってことも忘れて…戦うことを愉しんでた。
 …怖いんだよ。俺の中で何か…何かが育ってるみたいで…。
 刻真…俺はどうなっているんだ? これから、どうなるんだ?」

「知らないよ。何で俺に聞く。」


まるで突き放したように、冷たい響き。

言い放ってから、刻真は内心で舌打ちする。

さきほど心の片隅に沈めた冥い思考が、じわりと滲みだしてくる。

だが、横島はさほど気にした様子もなく、ふ、と力なく笑う。


「何でだろうなぁ…お前なら、わかるような気がしたんだ。」

「……わからないよ。お前の問題だ、わかるわけないだろう?」


嘘だ。自分にはわかる。その感覚はかつて味わったことのあるものと同じ。そして、今尚苛むものと同じ。

言葉とは逆に、刻真の心が激しく揺れる。

その揺れに耐え切れない心は、我知らず言葉を紡いでいく。


「ただ…その内にある力、変わっていくことに抗えないのなら、どうしようもないのなら。受け入れるしかない。
 大切なのは、『自分がどうなるか』よりも『自分がどうしたいか』…それを覚えていればいい。」


詭弁だ。自分が出来なかったことを、さも偉そうに語るな。

刻真の心が、さらにざわつく。

だが、そんな刻真の思いを知る由もない横島は、やがて静かに頷いた。


「そう…だな。俺がちゃんと自分のやるべきことを、わかってればいいことだよな。」

「その通りだホ!!」


それまで黙って聞いていたノースが、横島の頭に飛びつく。

重い空気を吹き散らすような、無邪気な笑顔で。


「ヨコシマ、安心するホー! どんなにヨコシマが変わっても、オイラ達は一緒!
 どこかで間違えそうになっても、オイラ達が手を引っ張って助けてやるホ!
 オイラも。ミカミも。シロも、タマモも、おキヌも。そしてコクマも!
 みんなみーんな、ヨコシマの隣にいるホー!
 それが───『仲間』なんだホ!!」


ノースの言葉に、刻真の心が大きく跳ね上がる。

横島がノースに「サンキュー。」と笑っているのが見える。

ノースを肩車するような形で、二人がマンションの入り口に向かって歩き出すのが見えている。

だが、刻真はそこに立ちすくんだまま。


「おーい、刻真ー?」


呼ばれてようやく、刻真はハッとする。

道の先で、横島とノースが不思議そうに自分を振り返って待っている。


「早く帰るホー。」


それは至極自然で、当たり前といった感じで。

だからこそ、刻真の心から何かが溢れ出しそうで。


「よ、横島…! 俺は、お前達と!!…………いや、何でもない。」


しかしそれは言葉にはならず、再び刻真の心の底へと還っていく。

首を傾げる横島たちに追及されまいと、刻真は顔をそらし…ふいに眉根を寄せる。


「明かり…?」


刻真の視線を追った横島は、夕闇に浮かび上がった自分たちの部屋の明かり。


「変だな…電気は消して出たのに…。」

「誰か来てるかも知れないホー?」

「んー…でも、合鍵持ってるおキヌちゃんは、まだ寝てるだろうし…って、刻真!?」


横島の声にも振り返らず、刻真が部屋に向かって飛び出していった。







階段を、踊り場から踊り場へと跳ぶように、刻真は駆け上がっていく。

部屋の中から感じた、あの霊圧は…!!

あっという間に目的の階まで辿り着くと廊下を疾走し、自分たちの部屋へと向かう。

ドアを壊しかねない勢いで開き、室内へと飛び込む。靴さえ脱がない。

と、部屋の奥からこちらに向かって駆けてくる少女がいた。


「ヨコシマ、お帰りでちゅー……って、誰でちゅか?」


青みがかった髪の上に黄色い道化帽を乗せた、可愛らしいローティーンの少女。

頬には、ペイントか隈取の様なものが見られる。

口元に指をそえて小首を傾げる少女を、刻真はじっと見据える。


「……パピリオ、か…?」

「な、何で私の名前を知ってるでちゅか!? ストーカー!? ストーカーでちゅね!?」


パピリオという名の少女にストーカー呼ばわりされるも、刻真は知ったことじゃないといった態度で、その横をすり抜ける。

部屋の中にずかずかと歩を進めながら、まるで誰かを探すように首を巡らす。

どこか「眼中にない」的扱いをされた気がしたパピリオは、この侵入者を実力行使で排除することにした。


「ストーカー、死すべし!!」


まさに言葉どおり、常人なら軽く致死レベルの魔力が込められた拳が、刻真のやや斜め後ろの死角から迫る。

とん、と。

しかしてその拳は、あっさりと刻真の手に受け止められる。

それだけでも驚嘆に値するが、さらに刻真はパピリオの方を見てすらおらず、まだ視線を室内に走らせていた。

俄かに信じがたい光景に、パピリオも目を丸くして固まる。

と。


「ちょっと、パピリオ!! あなた、今どんな力で…!?」


リビングの向こう、キッチンからそんな声とともに、一人の女性が姿を現した。

無地の青いワイシャツを腕まくりし、タイトミニなジーンズスカート。

その上に今は白いエプロンをつけている、目に鮮やかな赤毛の女性。

髪の間からは、小さな角のようなものが覗いている。

大きく澄んだ薄紅の瞳が、怒った表情から一転、きょとんと刻真を見つめている。

そして、刻真は。

微かに震えていた。その唇が小さく戦慄いている。

その表情は、驚愕と歓喜をまぜあわせたように、まるで迷子の子供がようやく親を見つけたときのように。


「…小、竜姫…!!」


刻真の深い黒瞳が、他の何も見えてないかのように、小竜姫と呼ばれた女性を映す。

まだ何かを言いたげに、だが言葉にならないのか、結局は何も言えずただ見つめて──。















「どなたですか?」


小竜姫の問いかけに、刻真の動きが止まる。

震えも。表情も。呼吸も瞳も思考も感情も。何もかも一切が止まる。

そして次の瞬間には、劇的なほどの変化が現れる。

即ちその表情が。

悲嘆、絶望、苦痛。それらを一緒くたにしたような、そんな痛々しいものへ。

思わず、小竜姫が狼狽するほどの。

だが、それらはやがてゆっくりと、一つの表情に統一されていく。

浮かぶのは──自虐。


「そ、うか…ははッ…そりゃ、そうだよ、な…!」

「えと、あの…?」


そこに、ようやく横島とノースが追いついてくる。


「おい刻真、どうしたんだよ…って、小竜姫様!? パピリオも!?」

「私もいるのねー…って、どうしたのねー?」


キッチンから何かをつまみ食いしながら、ヒャクメが顔を出す。

だが、その質問に答えられそうな者はいなかった。

小竜姫は急な事態におろおろしているし、パピリオは訳がわからないと首を捻っている。

刻真はただ俯いて、目元を手で覆っている。


「コクマ…どうしたホ?」

「なんでも…なんでもないさ。なんでも…。」


ノースの気遣わしげな言葉にも、ただ刻真は自嘲気味な笑みを口元に浮かべるだけだった。


「なんでも…ないんだ…!」


ただ子供が泣きじゃくるように、刻真は繰り返し呟いていた。


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