時は流れ、世は事もなし 同舟 1
”教授”が書斎でくつろいでいると、蝶々から屋敷に近づく者があることが伝えられる。
‘そういえば、約束があったな’
”教授”はデスクに出したままになっていた名刺に目を落とす。訪問を求めた手紙に添えられていたものだ。
『エコー・ド・フランス特派員、エルロック・ショメルス』名刺にはそう記されていた。
この国に住む外国人から見たこの国の実相について取材したいということだ。
蛍を呼び、来れば案内するように命じる。
待つうちに、メイド服に着替えた蛍の先導で客が入ってくる。
客は趣味の良いスーツを身に付けた痩躯長身の人物で、三十代半ば。
整ったと言っていい容貌の持ち主で、高貴さを感じさせるほっそりとしたワシ鼻に意志の強さを示す角張った顎、高い知性を湛えた鋭い目つきなど、パーツにも強い個性が感じられる。
その人物は、ちらりと”教授”の脇に控えた蛍を一瞥してから、射抜くような視線を”教授”に向けた。
あからさまともいえる無礼な態度を”教授”は咎(とが)めることもなく、椅子を勧める。
「始めまして‥‥ でいいようですな」
腰を降ろすと、客は挑発的に口火を切った。
「こういう言い方をするのは、2年ほど前、あなたにそっくりな人物とロンドンで出会ったからです」
「他人の空似だよ。ここに来て四年、ヨーロッパには出かけたことはない。つまり、大陸の反対側で君に会うことはあり得ない。もちろん、私の話を信じるとしてだが」
”教授”は関心なさげに応える。
「信じますよ」客はあっさりと反論を肯定する。
「来る前に、それなりに調べてきています。仰るように、大陸の反対と往復するほどの期間、この地を留守にしたことはないようですね」
「アリバイが成り立つ以上、その人物とは別人ということだな」
「それはどうでしょうか。あなたを見て、ロンドンの人物とあなたが同一人物であることをあらためて確信しました」
「いっこうに話が見えないな。同時に二カ所に存在する同一人物。普通ではあり得ない話だろう」
「『普通』ではありえなくとも、オカルトがからめば話は別です」
「ドッペルゲンガーのようなモノがロンドンにいたということかね? それとも、儂がドッペルゲンガーというのかな」
「どちらが本物であるかということを問題にするならば、あなたが本物でしょう。それと、ロンドンで会ったのはドッペルゲンガーのような姿だけを真似た虚(うつ)ろな存在ではありません。あなたと同様、物質的な実体を持ち、類を見ない強烈な意志と知性を備えていました」
「『類を見ない強烈な意志と知性』か。『本物』と認め、それほどの評価をもらったことに感謝をした方が良いのかな」
”教授”はにこりともせず応じると、
「オカルトが絡んだとしても、物質的にも精神的にも同一な二者が存在するなど、突飛すぎる発想だ。君の本職は新聞記者ではなく小説家ではないのかね」
「『事実は小説よりも奇ナリ』、そんな言葉がありますよ」客はそう切り返し、
「高度な魔法や技術が必要ですが、知識や人格、記憶といった人の本質を定める要素−魂を交換することができます。それを応用すれば複製も可能なようです。魂を複製をすることに比べれば、肉体など物質面の複製など大した問題ではないでしょう」
「漠然と言葉を並べ立てただけで、儂が納得するとでも思っているのかね」
「別にあなたに納得してもらいとは思っていません。私自身が納得した、それで十分なことです」
”教授”は一方的な言い分に反論せず、
「そうそう、『同一』ということでいえば、君も、ある人物の『複製』かもしれんな。その人物は亡くなったとは聞いているが、伝え聞く風貌や雰囲気は同じだ。名前にしても、少しアレンジすればその人物と同じになる」
「ほう、名前もですか」
「エルロック・ショメルス、すなわち、シャーロック・ホームズとね」
”教授”は滅多に見せそうにない楽しげな笑顔を見せる。
「初対面だからばれないと思っていたのかな、ホームズ君」
「最初から堂々と名乗っても良かったのですが、軽い悪ふざけですよ、モリアーティー教授。ああ、”本物”とお付けすべきなのかもしれませんな」
「デュプロ(複製)−儂はそう呼んでいるが−がロンドンで死んだ以上必要はない」
”教授”−モリアーティーは淡々と答える。
「ライヘナッハの滝と言わないところを見ると、その後の展開もご存じですね」
「ごく少数だが、真に信用できる者を残しておいたからな」
その話はどうでもいい言った感じで手を振るモリアーティー。
「それにしても、儂の正体に勘づきながら単身で会いにくるとはたいした度胸だ。秘密を知った者として口封じされるとは考えなかったのかね?」
「相応の対策は取ってきてます。だいたい、この程度の挑発に乗って、すぐに暴力的な手段に訴えるあなたとは思ってませんよ」
モリアーティーはわざとらしいため息をつくと、
「君のような知性の高い人物との心理戦も一興なのだが、今は微妙な立場でね。そうしたことを楽しんでいる余裕がない。ここは率直に訪問の目的を明らかにしてもらえれば助かるのだが」
「『微妙』というのは、屋敷を見張っている連中に関連してのことですか?」
「ほう? 君の観察眼を疑うものではないが、オカルト的手段を併用して隠れている連中によく気づいたものだ」
「あなたの方が見張りにつけた”印”がけっこう目立ちましたから。これでも昆虫の生態には興味がありまして、周辺の自然相や季節に不釣り合いな蝶が飛び交っていることにはすぐに気づきました。蝶も何かのオカルトですか?」
「ESPの方だ。連中から儂の身を守るための護衛がいてね。その一人がエスパーだ。虫や小動物と感情を通わせコントロールすることができる」
「エスパーが護衛とは! よほど『微妙』な問題に直面しているようですな」
そう言うと、ホームズは蛍の方に視線を向け、
「護衛といえば、そこに控えた年若きメイド嬢も護衛ですか。アサシン(暗殺者)か、それに近い内容の仕事をこなすプロフェッショナルと見ましたが」
その言葉に身構える蛍。ここ数ヶ月、何人も客を迎えたが、正体を言い当てられたのは初めてだ。
「お嬢さん、最初に一つ」 ホームズはたしなめるように指を振る。
「今のはブラフ(はったり)かもしれませんよ。密かに護衛する役割なら、直裁に反応を示すのは拙いですな。事実、僕の指摘は漠然とした推測でしかなかったのですが、その態度で裏付けが取れました」
‥‥ 蛍は悔しげに唇を噛んだ。
「気にすることはない。ちょっとした推理で相手を驚かせ、自分のペースに引き込むのがホームズ君の手法だ」
モリアーティーはそう蛍に言ってからホームズに、
「どうかね、種明かしは。彼女にも参考になるだろう」
「そうですね、別に隠すことではないですから」
ホームズは、あらためて蛍の頭からつま先を見て、
「最初、気になったのは、あなたからするかすかな匂いですか。香水かと思ったのですが、その匂いの一部にたまたま心当たりがありましてね。幻覚を誘発する麻薬たったと記憶しています。アサシンは”山の老人”からの連想です」
「”山の老人”は暗殺者集団の名前で、薬物を色々な形で使ったことで知られている」
モリアーティーが蛍に説明してやる。
「そういえば、君の薬物に関する実用上の知識はその辺りの医学や化学の専門家を大きく上回るんだったな。たしか、君の冒険談の一つで読んだことがある」
「ああ、あれですか。多少、勘違いをしていることもありますが、彼にしては良く観察していますよ」
少し懐かしそうな顔を見せるホームズ。
「それで、より注意深く見てみると袖口や肩、脇にわずかですが不自然なシワやふくらみに気づきました。私が何かするたびに見せる無意識的な反応と併せて推測するに、そこには即応性の高い形で小さなナイフのようなモノが隠されていると判断します」
思わず手が動きかける蛍。言われた箇所に苦内(クナイ)や手裏剣を仕込んでいる。
『その動きですよ』とホームズ。
「付け加えれば、その服は体の線があまり出ず何かを潜ませるのには適当であるはずなのに、シワやふくらみができるということは、服/装備の下、素肌の上に防具を纏っていますね。所々にプレートを埋め込んだ薄手のチェーンメイルあたりでしょうか。そうした装備は、重さを含め、か弱い女性の動きを制約するはずなのに、身のこなしは優雅なものだ。これは、相当な修練を積んできたことを意味するのでは。今上げた点を合わせれば、先ほどの推測は当然の帰結でしょう」
「彼女はこの国では乱波という、非合法情報活動に従事するプロフェッショナルで、その若さに似合わず、トップクラスの腕の持ち主なのだよ」
そう締めくくったモリアーティーは、一つ咳払いをすると、
「さて、話を本論に戻すとして、訪問の目的は? 極東くんだりまで儂を逮捕しに来たのかな」
ホームズの顔が、一瞬、不愉快そうに歪む。
「自分が逮捕されないことはあなたが一番ご存じでしょう。何といっても、あなたはこの国の情報機関の最高顧問ですから。一外国人がどうこうできるものではありませんよ」
「そこも調べているとはさすがだ」
「褒めていただけ光栄です」素っ気なく返すホームズ
「それにしても、あなたをそんな地位につけるとは、この国に良識があるかを疑いますね」
「必要性の問題だ。この極東の小国は愚かにも未来の列強を目指し、海外に手を伸ばそうとしておる。ただ、並の愚か者ではないのは情報の重要性を理解しているということだ」
「情報を集め活用するノウハウを保護する代わりに得ようというわけですか」
「情報戦など、国益という美名でカモフラージュした犯罪行為その物だからな」
せせら笑うモリアーティー。
「さて、逮捕ではないとすると‥‥ 見当はつかないな」
「一つは当てつけですか。あなたが驚く顔を見れば、手を出せない不愉快さも多少は晴れるかと思いましてね。もっとも、あまり、驚いた様子もありませんからアテははずれましたが。後は、あなたがここに至った経緯を知りたいと考えたからです。なに、純粋な好奇心からで、それ以上の意味はありません。伺った話については発表はもちろん、ワトソン君の記録にも残さないことを約束します」
『いいだろう』とモリアーティーは鷹揚にうなずく。
「君が儂の噂を聞く少し前あたりから、仕事から引退することを考えていたのだよ」
「引退ですか? さっそく意外な話ですね。ヨーロッパ、引いては世界最大の犯罪組織の総帥の言葉とは思えませんが」
「儂は単なるアドバイザーにすぎん。私が犯したとされる事件の大半は、助言を求める者に応じ、アドバイスをしたに過ぎない」
「自分は単なる道具だと? 悪いのは道具ではなくて使って者であると」
「事実を指摘しただけだ」
モリアーティーは証明を解説する学者のように淡々と言い返す。
「助言を求められた件で派生した責任については否定せんよ。どこぞの科学者が使う詭弁で誤魔化すつもりはない」
「それだけの責任感があるのでしたら、最後まで部下に付き合うのが筋では?」
「儂に部下などおらん。周りにいたのは、儂から甘い汁を得ようとする輩(やから)にすぎん。そういったバカ共に振り回されるのが嫌になったことが、引退の理由の一つだ。あとは、退屈ということか。完全犯罪という知的ゲームも数をこなすとルーチン化し、好奇心が刺激されなくなった。そうそう、そのころ、君が儂に挑戦していれば、引退を思いとどまったかもしれん」
「それは残念でした。私も本物を叩きつぶす機会を失ったのですから」
モリアーティーは嘲笑めいたモノを口元に浮かべるが、それには応えず、
「いざ引退となると色々と問題があってな。特に問題は、残った組織をどうするかだ。組織というのはある種の自己保存本能を持つからな。下手をすれば、総帥である儂でも裏切り者となりかねない」
「”大佐”あたりに仕切らせればすむ話では?」
「あんな殺人嗜好者なぞ、指導者の器にほど遠い。だいたい、奴なら、真っ先に知りすぎた男として儂を殺しにかかるはずだ」
No2をあっさり否定するモリアーティー。
「そんな時、ある男が近づいてきた。儂の悩みを解決する方法として、私とうり二つで能力も同じ存在を提供するというのだ。もちろん、少なくない報酬と引き替えにということでな」
「で、その男の話に乗った」
「そう。ちなみに、男の名は、Dr.カオス。名前ぐらいは聞いたことがあるだろう?」
「ええ、知ってますよ」途中から予想していた名前が出て渋面を作るホームズ。
「彼なら、そうした存在を造り上げても不思議はありませんね」
「まずまず、期待通り‥‥と言いたいが、結局、欠陥品だったよ」
「欠陥品?」意外な単語に聞き返すホームズ。
「デュプロは組織の維持を優先するよう意識付けを強めている以外は儂と同一のはずだった。ところが、どこかに問題があったらしく、1・2年たつと少しずつ肉体が劣化−崩壊し始めたそうだ。そして、それを何とかしようとずいぶんと無理をしたと聞いている。その辺りは、儂よりも君の方が詳しいだろう」
「なるほど、そのあせりが、私に尻尾を掴まれるようなへまになったり、不老不死の肉体を欲したのにつながったわけですね」
2年前の出来事を思い出すホームズ。吸血鬼化してでも生き残ろうとしたことに、多少、同情を感じる。
「その通り。その結果、デュプロは短い命をさらに縮め、組織は崩壊した。いっさいの後腐れが無くなったということでは、儂に取り、めでたい結末となったわけだが」
複製の死や組織の消滅に何の感慨もないといった感じのモリアーティー。
「入れ替わり後、この地で隠退生活に入ったのだが、しばらくして芦優太郎という人物が接触してきてな。芦は儂の正体を知っており、身の保障と引き替えに情報部のアドバイザーになることを求めてきたのだ。俗事から離れた身としては断りたかったのだが、次のアテがなくてな。しぶしぶ同意したのだよ」
「引き受けた結果がこの優雅な生活というわけですね」
「怪しげな連中に常時屋敷を監視され、四六時中、護衛がいなければならない生活を優雅といえればだが」
「あなたの行いを考えれば自業自得‥‥ と言えば怒りますか?」
ホームズの言葉に、さすがに不愉快そうなモリアーティー。
読んでいる内にDr.カオスの名前を読みましたが、もしかしてこれから先登場予定ありッスか?
登場するキャラが意外なので、気になるところがこの作品のいいところですね。 (鷹巳)
>難しい話になってきましたね/キャラが意外なので
若干、自己満足の世界(モリアーティー教授のファンで、『血を吸う探偵』での教授の扱いが、気に入らなかったというのがありまして‥‥)で筆が滑ったと不安だったんで すが、相応に認めてもらえほっとしています。 (よりみち)