椎名作品二次創作小説投稿広場


アは悪魔のア

オは女のオ -E is for Eve-


投稿者名:赤蛇
投稿日時:05/11/23

 女は命あるものの母となりて、すなわちイブと呼ばる
                        (創世記 3-20)










               E is for Eve










駅前の繁華街を離れ、角をひとつ、またひとつ曲がるたびに離れて行く。
ベスパとは駅前の交差点で別れたため、冷え切った夜空の下を歩いているのは横島と愛子しかいない。
愛子の帰る学校はとうに過ぎているのだが、今日はアパートに着くまで一緒に居る、と言って聞かなかった。

「―――ねえ、横島クン」

「なんだ?」

「どうするの、これから?」

何が、とは言わなかった。
わざわざ問い直すほど鈍くもない。

「どうしたらいいかなーー」

卒業後の進路でも聞かれたかのような口調で、横島は息を吐いた。
むざむざと殺されたり死ぬつもりなど欠片もないが、かと言ってベスパを殺すことにもためらいを感じていた。

もちろん、魔族とは言え、女だから殺さないとか、戦うのが嫌だとか言うのではない。
こうしている今も復讐の念に燃えているはずのメドーサのときのように、敵となれば滅ぼすこともあったし、憐憫など感じることもない。
そもそも、あの東京タワーのときの戦いにおいて、自分は間違いなくルシオラに妹のベスパを殺させるために身を挺したのだ。
今さら博愛主義に悩んでみてもしかたがない。

「ま、そのうちなんとかなるさ」

「いいかげんねぇ」

「ほっとけ」

「でも、横島クンらしいのかもね」

街路灯の冷たい光が白く曇る中、何故か嬉しそうに愛子が笑った。



大して話も弾まないうちに、いつものボロアパートに着いてしまった。
見慣れたはずの建物はどこか他人行儀で、灯りの点いていない自分の部屋は寒々しく思えた。
二階のドアを見上げ、いつものように鍵をジーンズのポケットから取り出すが、また元に戻して後ろを振り向いた。

「なあ、ちょっと寄っていかないか?」

下心も後ろめたさもなく、そんな台詞が言えた自分に横島は驚いた。
なんで俺は愛子を誘ったんだろう、そんな疑問すら感じなかった。

「うふふ。どうしよっかなーー」

意地悪げな笑みを浮かべて、愛子は横島の顔を覗き込む。
だが、そこに望むものは見て取れなかった。

「ゴメン、やっぱり今日は帰るね」

これも青春よねー、と言いかけた愛子の身体がぐらりと揺れ、前のめりに倒れて机の中に消えた。

「あ、愛子っ!?」

横島は慌てて愛子の本体に近づこうとするが、その背後に立つ者の気配に足をすくわれた。
もちろん、それはさっき別れた女の気配だった。

「大丈夫、気を失っているだけさ」

「ベスパ!」

向かいの駐車場の影から姿を現したベスパを見て、知っているはずなのに名前を呼んだ。
そして、聞かなくてもわかっているはずなのに、またわかっているはずの答えを聞く。

「帰ったんじゃなかったのかよ」

「そのつもりだったんだけどね。気が変わったのさ」

そう言いながら、だらりと下げた右手に力を込めていく。
横島にはそれが何か、次にどうするのかもわかってはいたが、心がそれを認めようとしなかった。

「ヨコシマ、悪いけど私と一緒に死んでくれ」

「お、お前、やっぱり―――――」

ベスパはそれに答えず、右手に集束した霊波を放つ。
横島は避けようと思えば避けられるのだが、愛子がいるためにそれも出来なかった。
文珠か、あるいはサイキック・ソーサーでも出せば防げるのであろうが、何かが混乱していて思いつきもしなかった。
だから、視界の外から飛び込んできた影があっても、それが何を意味するのか、とっさには理解できなかった。



見知った影が横島の前に飛び込んできて、自分の放った霊波を易々と弾き返すのを見て、ベスパは苦い思いに囚われた。
今、この場において、自分と互角の力を持って横島を庇う者など、はじめから一人しか居ない。
それは、最悪のシナリオだった。

「何やってるんでちゅか、ベスパちゃんっ!!」

その影―――パピリオは憤懣やる方ないという感じで怒鳴る。

「こんなことをするなんて、ベスパちゃんはバカでちゅ!!」

前からいつもベスパちゃんは、と楽しかった日々―――逆転号や別荘で過ごしたときのことを思い出させては、あれこれと文句を言い連ねる。
感情を排していようと努めていたベスパであったが、ついにたまりかねて大声を上げた。

「そんなことはわかってるっ! 私がバカなことをしていることぐらい、お前に言われなくてもわかってるさっ!!」

「わかってなんかいないでちゅ! ベスパちゃんはなーんにもわかってないでちゅっ!!」

「お前に私の何がわかるって言うんだ!!」

絶叫とともに、もう一度霊波をパピリオに向けて放つ。
だが、またも易々と弾き返され、虚空へと流れていった。

「何をするんでちゅかっ!?」

「お前だけは生き延びられるかもしれないと思っていたけど、こうなってはもうしかたがないさ。ヨコシマや私と一緒に死んでもらうよっ!!」

妙神山に拘束されているはずのパピリオがここにいるということは、自分と戦う刺客として送り込まれて来たのに違いなかった。
どこかで小竜姫たちを信じて、こうならないようになることを願っていたが、所詮魔族と神族は同じカードの裏表だ。互いに相容れることなどない。
かつて、この手で姉を殺し、今また妹を殺さねばならない。
同族殺しの宿命を背負った忌まわしき我が身に、ベスパは呪いの言葉を吐いた。

悲痛なベスパの台詞を聞いて、パピリオの怒りは頂点に達した。
性懲りもなく三度放たれた霊波を荒々しく握り潰し、小さな身体の肩を怒らせてつかつかと歩み寄る。
あまりにも無防備な様子に戸惑っているベスパに近づき、その頬をぱしん、とひとつ張った。

「だからベスパちゃんはバカだと言うんでちゅっ!!」

「な、何が―――――」

「ベスパちゃんは自分が一体何なのか知っているんでちゅかっ! 私が何者なのか知っていると言うんでちゅかっ!」

「知っているも何も、お前も私も魔族―――――」

そう言い澱んだベスパの頭に、ぼんやりとした何かが浮かび上がった。もやもやとした形のない、決定的な何かが。

「そうでちゅ! 魔族でちゅ! 愚かな人間を誘惑し、堕落させる一因を担う魔族でちゅ! そんなことも忘れたんでちゅか?」

「忘れてなんかない! だから、こうしてヨコシマを―――――」



「だから、ベスパちゃんがヨコシマを誘惑すればいいんでちゅっっっ!!!」



















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ?

今、何て言いましたか、パピリオさん?

「ベスパちゃんがヨコシマを誘惑して、一緒になって、ヨコシマを狙う相手から守ればいいんでちゅ。そうすれば転生なんかしなくったって、ルシオラちゃんにだって会えまちゅ。そんなこともわからないベスパちゃんは、バカもバカ、大バカもんだと言うんでちゅ!!」

大きな声を出していくらか落ち着いたのか、パピリオは横島のほうをちらりと見て、打って変わって小さな声で呟いた。
心なしか、顔がほんのり赤くなっているように見えた。

「・・・それに、ベスパちゃんがしないと言うんだったら私がやりまちゅ。私だったらベスパちゃんだって心配はいらないでしょう?」

先程までの強気もどこへやら、姉におねだりをするような目つきでベスパを見る。

「猿のじーちゃんが言ってまちた。私もベスパちゃんも見た目は違うけど、元は同じ細胞から生まれた姉妹でちゅ。ルシオラちゃんを産むのに、特に違いはないんでちゅ」

(あの猿爺、俺はロリコンじゃないとゆーとろうがっ!!)

今まで壮大な姉妹ケンカに付いていけなかった横島だが、思わぬ事態に、自分にとっても師匠に当たる猿神に悪態を吐く。
このまま状況に流されてしまえば、自分の倫理観念はおろか、性癖までもが決定付けられてしまいかねない、一世一代の危機なのは確かだった。



あまりにも根本的なパピリオの指摘に、ベスパはどうしていいかわからなかった。
直情的な性格の自分には、誘惑したり甘言を囁いたりするような振る舞いが似合うはずもない。よもや自分がそれを行うなど、一考だにすらしなかったのだ。
それは自分たち以外の誰か、人間か魔族か、はたまた神族の役割だと信じて疑わなかったのだ。

「―――ど、どうしたらいいと思う?」

ベスパはついさっきまで殺そうと決意していた横島に助けを求める。
彼が何か言ってくれれば、あるいは提案を拒絶し、退けてくれれば安堵できるような気がしたからだ。

「どう、って言われてもなーー」

急に頼られても、横島にも答えようがなかった。
戦うつもりは最初からなかったのだが、ベスパのためにどうしたらいいか、と聞かれると判断に迷う。
そんな二人の様子を、予想通りとでも言うかのように頭を振ってパピリオがため息をついた。

「あー、もう、ベスパちゃんもポチもしょうがないでちゅねー」

手のかかる家族を見るかのように呆れていた。

「前のように、みんなで一緒に住むところから始めればいいんでちゅ。私だって、もう妙神山には帰れないんでちゅから、追い返したりはしないでしょう?」

そう言ってパピリオはベスパと横島の手を握り、近くに引き寄せた。

「とりあえず握手して仲直り。話はそれからでちゅよ」

別にケンカしていたわけじゃないんだけどな、互いの顔を見つめて思わず苦笑するが、やがてどちらからともなく差し出された手を握った。

「なんだか変なことになっちまったけど―――」

「まあ、なんだ、これからもよろしく」

もう一度握り直すと、何もかもが馬鹿馬鹿しくなって笑い声を上げた。
ひとしきり笑った後には、ごくごく自然に言葉が口をついてこぼれた。



「―――ただいま」



「―――おかえり」


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