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ザ・デウス・オブ・ハーツ !!

エンドテロップはまだ流れない   【完結】


投稿者名:由李
投稿日時:05/11/20

 「あぁああぁあぁぁあああああ!」


 文殊から溢れ出したどす黒い瘴気が横島の体を覆い尽くした。覚悟していたものの数倍もの強い負担が体にかかった。頭に負の感情が渦巻き、精神が汚染されていくのがわかった。


             死。呪。殺。凶。闇。絶望。乱。暴力。壊。

     ナンノタメニタタカッテイルノカ

        蟲。罪。悪。怖。我。影。喪。失。疎。外。

     ドウセオレナンカジャ セカイハスクエナイ

   敵。幽。愁。暗。根。怨。西。条。獄。囚。

     コノセカイノミライニ ナンノカチガアル

       鬱。障。愛。駄。犬。痴。絞。悲。幽。縛。

     セカイハオマエナド ヒツヨウトシテイナイ


(やばい……これは……やばい……)


 瘴気による暗闇の中、横島の精神は崩壊寸前だった。いつ壊れてもおかしくない。いや、既に壊れているかもしれない。なぜなら、横島の目の前に死んだはずの男がこちらを見て笑っているのだ。


――君はその程度の男だったのか


 その男は口の端を持ち上げてあざ笑うようにこちらを見て笑っていた。頭の中、渦巻く断末魔のような負の叫び。その中で男の声が透き通るようにすーっと響いた。


――負けられない戦いとは何か、知っているか


 二度も言われる必要は無い。激しい頭痛をこらえ、横島はチカラの限りその答えを叫んだ。


「守る戦いだ!」


 頭に延々と流れていた、読経のような負の叫喚が消えた。全身を覆っていた瘴気がはれていくのがわかった。
 メドーサの前に再び姿を現した横島は、人間ではなかった。















ザ・デウス・オブ・ハーツ
最終話:エンドテロップはまだ流れない















 ヤギと人間の中間のような顔。体にはまだ人間らしいところはあったが、とてもたくましく、皮膚は鉄でできていた。胸から上にかけて体毛がびっしりと生えている。上半身は裸で、下は布でできていて、ぶかぶかのボンタンのようなズボンを履いていた。背中にはカラスの羽をそのまま巨大化したような翼が大きく広げられている。その姿は誰が見ても悪魔。体から感じ取れる霊圧はまさしく魔神。アシュタロスの力を上回るメドーサでさえ、それはとてつもなく脅威だった。
 魔人化した横島の体からあふれ出る霊圧で、メドーサの霊力が萎縮する。その霊圧はまるで部屋の四方八方からメドーサに迫ってくるようだった。ジェルの中にいるような体にまとわりつく感じ。気圧されないように全霊圧を解放する。それでようやく横島の霊圧に圧されずにいることができた。


「おまえ一体何者だ?幾度も私の計画を邪魔し、終いには自力で魔族の仲間入りとはな」
「あ……う……」
「もうまともな意識はないか。いいさ。お前は私の糧として十分だ。その魂、喰らわせろー!」
「あー!がー!」


 二人の霊圧がぶつかり上昇気流のように天井へと舞い上がる。それだけで崩れかけていた天井はわずかな部分を残し、全て吹き飛んだ。
空は陽が沈み始めているのか、ほのかに赤い。もうすぐ真っ赤な夕陽が空を赤一色で覆い尽くすだろう。その時立っているのは、どちらであろうか。







 塔の外に出ていても、かすかに霊圧を感じ取れた。それだけ凄まじいのだろう。二人はもはや神ですら手の届かない、聖域を遥かに超越したところで戦っている。
 先ほど塔の内部から邪悪な霊圧が急激に膨れ上がった。新手の敵と勘違いし、中へ入ろうとしたのは雪之丞だった。シロは泣き止んだことは泣き止んだが、ぼーっと塔の上を見上げている。今説明できるのは令子だけだった。


「私の推測よ。怒らずに聞いてね。横島クンはたぶん、死ぬつもりよ」


 皆に押さえつけられ、それでも尚塔の中へと走り出そうとしている雪之丞であったが、その言葉の真意を聞かないわけにはいかなかった。


「もう一度言うけど、あくまで推測よ。横島クンは二つの理由で私たちを外へと締め出した。一つは私たちの身の安全の確保。もう一つは私たちに戦いの邪魔をされないようにする為」
「っんなこたあわかってんだよ!」
「うるさい!」


 雪之丞が思わず話の腰を折る。そしてその雪之丞に大声を上げたのは、おキヌちゃんだった。今まで見たことないような剣幕である。その場にいたものはおキヌちゃんの様子にたじろいだ。


「美神さん。死ぬって……どういうことですか!」


 令子を問い詰めるおキヌの顔は真剣そのものだ。令子はおキヌを見返しつつ、自分の推測の続きを話し始めた。


「さっき今まで感じたことのない霊圧が膨れ上がって、そして今メドーサの霊圧とその霊圧がぶつかっている。つまり邪悪な霊気の持ち主は横島クンよ。横島クンはなんらかの方法――文珠よね――を使って魔族になったの」
「じゃあ、ヨコシマはもう……っ」


 ルシオラは泣きそうな顔で塔を見上げた。「うそつき」とルシオラの唇が動いた気がした。
 全員が塔を見上げている。横島の勝利を祈るように拳を握るものや、胸の前で手を合わせるもの。涙を流すもの。例え勝利しても、横島はもう助からない。それは勝利と言えるのだろうか。


「横島君はたった一人で宇宙を救おうとしているんだ。神のご加護は、一人の少年すら救えないのか」


 唐巣神父がまるで聖書にかいてあるようなことを呟いた。その言葉に誰も返す言葉は無かった。こちらにまで影響を及ぼす凄まじい霊圧が、塔の内部で共鳴して、ゴゴゴゴと音を立てていた。天高くそびえ立つバベルの塔は、天国まで続いているようだった。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか。絶え間なく響いていた音が、ぴたりと止んだ。肌を突き刺すような霊圧は収まり、静寂に包まれた。


「ヨコシマ!」
「先生!」


 音が止むと同時に、塔を見上げていた二人は一目散に塔の内部に駆けていった。
 二人に一瞬遅れて、ベスパと雪之丞が塔の中に入る。その後塔の外に居た者は一人を除いて全員中に入って行った。
 ふと西条が令子がついてきていないことに気付き、塔の中で振り返る。令子は一人ぽつんと、塔の外で西条に背中を向けて立っていた。一体どうしたのかと令子に近寄る。令子は塔から離れた場所を怪訝そうに見ていた。


「西条さん。あれって……」
「……!ああ、間違いない」


 令子が見ていた場所から人影が二つ、こちらに向かってくるのが見えた。完全勝利とまではいかないが、勝てる見込みが出てきたようだ。







 目を開ける。自分の体を見るために、頭を起こす。どうやら文珠の効果は切れたようだった。目に入ったのは紛れも無い人間の体だ。首だけ動かして辺りを見る。壁が全て崩れ、部屋ではなく塔の展望台のようになっていた。しかしそのおかげで夕陽がよく見えた。
 メドーサが目に入る。体はぴくりとも動かない。恐ろしいほどの霊圧はもう感じられなかった。勝った、と安堵した瞬間、宙に浮かしていた頭が地面に落ちた。石造りの床に頭を打ち付けたが、大して痛くなかった。もう首から下が動かない。乱視のように焦点がはっきりしない。聴覚は吹きすさむ風の音をでたらめに脳に伝えていた。もうすぐ死ぬんだとわかった。
 メドーサの方に向いていた頭を反対側に向ける。それだけで十秒かかった。
 真っ赤な夕陽が空を染めていて、まるで悪夢のようだった。赤ん坊を乗せるゆりかごのような、優しい悪夢。空と海の境界で滲むような赤。血の色を連想させるという人もいるが、夕陽の赤はもっと美しい。もうすぐ沈むであろう夕陽を見ると、何故か急に切なくなってきた。こうして自分が死んでも、夕陽は沈み、夜がきて、明日が来る。横島忠夫が死んでも、世界は回る。世界はゆりかごの中から、自分を落としただけなのだ。
 思えば未来の横島が来てから自分は変わったのだと思う。ルシオラたちに出会い、ルシオラに恋をし、ベスパと死闘を繰り広げて、強くなったら逆に疑われた。結局西条に復讐することはできなかったな。ハニワとまた再会して、決戦へと向かう。アシュタロスは本当に強かった。メドーサはアシュタロスは最初から計画は失敗するつもりだった、みたいなことを言っていたが、確かにそうかもしれない。いろいろと手はあったはずだ。大体自分まで塔の中に入れたところから怪しいとは思ってたよ。
 三文字込めれる文珠。せっかくすごい必殺技ができたのに、死ぬのか。怖い?怖いな。すごく怖い。
 ていうか結局未来の横島が言ったことは嘘だったのか。思い出したら猛烈に腹が立ってきたよ。ああ悲しきチェリーボーイ。まてよ?俺が死んだってことは未来が変わっているんだよな。一体何が変わったんだろう。これでいいのか?これがハッピーエンドなのか?


――守れたじゃないか


 声が聞こえた。いや、横島の聴覚はすでに何の音も拾えていなかった。それは頭の中に響いた声だった。
 目が霞んできた。ぐっと目に力を入れ、もう一度夕陽を見る。夕陽はもう沈むところだった。少ししか見られないから綺麗なんだと、ルシオラは言っていた。ルシオラとの思い出は普通の恋人たちが思い出すよりはずっと少ない。しかし何気ない会話や、日常の中のルシオラを思い出すだけでも、酷く懐かしく感じる。少ししかないからこそ、美しく感じるのだろうか。
夕陽は天辺だけを残し、残りは海に沈んでいた。夕陽が沈んでいくと共に、思考がまとまらなくなってきた。いよいよ最後が近かった。


 結局二人で夕陽見れなかったな。ごめん
 美神さんは俺の代わりをどう
 雪之丞怒ってたな。そりゃあ
 ハニワ……
 アシュタロスの魂はどう
 ルシオラ。もう一度
 ベスパはこれからどうするん
 パピ
 結局未来は
 死
 ルシ――


 夕陽が沈んだ。横島は優しい悪夢から解き放たれた。







 天井と壁が無くなった最上階は薄暗く、夕陽の名残しか明かりはなかった。明かりに照らされたのは地面に倒れているメドーサ。体に薄く粉塵が積もっている。既に事切れているのだろう。霊圧は全く感じない。
ちょうど真ん中くらいに何かが横たわっている。近づいてみると、その何かは肉の塊になり、もっと近づくと最愛の人の亡骸に変わった。


「ヨコシマ……」


 胸にぽっかりと穴の開いた感じ。その穴からじわじわとせり上がってくるような流れを感じた。台風で激流となった川のように、悲しみが押し寄せる。
膝をついて声を出さずに泣く。死んだ横島の前で崩れ落ち、泣くという行為自体がまた涙を呼ぶ。涙の連鎖は留まることをしらなかった。


「せぇんせぇ……」


 いつの間にか追いついたシロがルシオラの後ろで崩れ落ちた。
 ルシオラはシロをそっと抱き締めると、シロはルシオラの胸で大声を上げて泣き出した。涙の連鎖は人狼と魔族の壁を越えて働いた。二人は薄暗い空が星の明かりだけになるまで泣いた。
 どたどたと走る音が聞こえてきて、他のものたちが来たことを知らせた。


「横島!よこし……くそぉ!」
「ヨコシマ……」
「横島さん!嫌!嫌ぁぁ!」


 口々に泣き叫ぶ言葉は、横島への行き場のない想いに溢れていた。
 空は満開の星空だった。月がはっきりと見える。今夜は満月らしい。まん丸な月が微かな明かりを、横島を取り囲む者に浴びせていた。
 突然月が二つに分断された。いや、違う。月が出ているところに誰か立っているのだ。小柄なシルエット。目が闇になれると、それが何なのかわかった。


「メドーサ!」


 ルシオラがメドーサの名を叫ぶと、その場にいた者が一斉に振り向いた。
 月をバックに立っているメドーサは、パピリオの顔ではあったがどこか妖艶に見えた。右肩から先が欠損していて、左目の部分がえぐられたように無くなっていた。服はところどころ破れていてぼろぼろだ。感じる霊圧は極限に低い。放っておいても死ぬだろうと思えた。メドーサは言った。


「お、終わり、だ。私、にはミサ、イルがある。世界、は、私の、もの。あは、ははは!」


 愕然とした。気付くのが遅すぎた。アシュタロスには世界を滅ぼすには十分な核があるのを忘れていた。横島が命をかけた戦いは、無駄に終わってしまうのか。
 誰もが絶望した。あきらめかけたその時、背後で声がした。振り返ると四人の人影が月明かりでうっすらと浮かび上がってきた。


「遅くなってごめんなさい。でも、もう大丈夫よ」


 令子と西条。そして美智恵がいる。今回の作戦には参加しないと皆に告げていた、あの美智恵である。美智恵の横には見知らぬ老婆がいた。おキヌだけはその老婆に心当たりがあったような気がした。

「隊長!あいつミサイルを……」
「わかっています。その為に私は作戦に参加しなかったのよ」
「お、前、なにを、した!」


 メドーサが金切り声で叫ぶ。その間にも体はどんどん崩れている。


「核を保有している潜水艦がどこにあるのか。現在の科学では調べることは難しいわ。だからオカルトに頼らせてもらったの」


 わなわなと肩を震わすメドーサを睨みつける美智恵。ちらっと横島の遺体に視線を送る。一瞬表情が変わったが、すぐにメドーサに視線を切り替える。先程よりも目つきが鋭くなった。


「霊波で潜水艦の船員を操っていたでしょう?指示をだせばすぐにでも核を撃てるようにするにはそうするしかないもの。だから傍受させてもらったわ。あとは船員の洗脳を解くだけ。時間の勝負だったけど、私たちの勝ちよ」
「馬鹿、な。私の、眷属が、既に、操って」
「一度洗脳をかけられた人間。さらに常に霊波を送られて操られているのを解くのは難しいわ。だからおまえの眷属を操ったの。まだ船員たちは洗脳されたままだけど、貴方が死ねば解けるでしょ?それまでこっちが操ればいいだけの話だからね」


 おキヌは美智恵の横にいる老婆が誰なのかやっとわかった。その老婆は世界でも珍しいネクロマンサーマスター。以前自分にネクロマンサーの素質があるかどうか見てもらったことがある。この人こそが美智恵の作戦の要なのだろう。
 美智恵がそこまで話し終わると、メドーサの表情が豹変し、美智恵に飛びかかろうとした。しかし一歩走るごとにメドーサの体はぼろぼろと崩れ落ちてゆき、五歩目で地面に倒れた。
 メドーサの体がわずかな光を放って拡散し、消えた。もう蘇ることはないだろう。
 メドーサが消滅した場所に二つの光が飛んでいた。パピリオと、アシュタロスの魂だった。二つの魂はお互いが円を描くように廻っていた。月明かりの下、妖精がダンスしているようにも見えた。
 その後、螺旋を描きながら二つの魂は昇天した。ベスパの約束を、横島は守ったといえる。

 そして宇宙は救われた。













 電話のベルがけたたましく事務所に鳴り響く。しかし受話器を上げるものはいなかった。
 令子はいつもの指定席に座って、ソファーをぼーっと見ていた。そのソファーは、以前はそこで漫画を読んだりして暇をつぶす者がいた場所であった。台所からかちゃかちゃと皿洗いの音が聞こえてくる。電話のベルは依然鳴っている。しかし令子もおキヌもそのべルを無視し続けた。お互いに泣き顔を見られたくなかったからだ。







「出ませんね」
「無理もないわね。あの子、立ち直るといいけど」
「令子ちゃんなら大丈夫ですよ」
「そうかしら」
「ええ、きっと」


 西条はピッと携帯の電源ボタンを押して、呼び出し中であったが電話を切った。高層ビルのとあるオフィスで、美智恵と西条は今回の戦いの全資料をまとめていた。上の人間というのが求めているのはいつも結果だけなのだ。
 西条は昨日の出来事を思い出す。


――国籍から外した?どうして!?
――横島くんだったかな。彼は神律を乱した、いわば人間のユダだ
――そんなっ……今貴方がそこにいるのも、横島クンのおかげなんですよ!
――上層部が満場一致で決定したことだ。今更どうこうできん
――くっ……
――それよりどうかね。今日の夜、祝賀会があるんだが、君も……


 上司に手を上げたのは生まれて初めてだった。自分がどうなろうと後悔は無かったのだが、特にお咎めもなかった。
 社会的には人間ではなくなった横島は、墓を作ることも、葬式をあげることも許されなかった。
 ヒャクメがあとで泣いて謝ってきた。横島が魂の融合をしたことが上層部に漏れたのは彼女が原因らしい。しかしヒャクメには罪は無い。今回の事件をよく知る神族として、尋問にかけられたのだ。人間がアシュタロスを倒したことがどうしても説明がつかないと、神族の上層部がしつこく真実を追究してきた。終いには拷問まがいのことをされそうになったらしいから、ヒャクメがしゃべったのは仕方ないというものだ。そのことが神、魔、人界に大きな影響を及ぼした。宇宙を救った英雄は一転して、宇宙を滅ぼそうとした大犯罪者にされた。


「明日、オカルトGメンを辞めます」


 せっせと資料をまとめている美智恵に聞こえるように、西条は言った。


「それがいいわ」


 美智恵もまた、西条と同じ思いなのだろう。







 教会では普段流さないような音楽が流れていた。この音楽はレクイエム。死者の魂を鎮める音楽である。しかし肝心の死者はそこにはいない。
 教会にはたくさんの人が集まっていた。あの南極での死闘に参加していた、エミ、雪之丞、シロ、冥子、ピート、唐巣神父、タイガー、カオス、マリア。そしてベスパ。その他にも、横島の両親、同級生や、友達、親戚。横島をよく知っている近所の浮遊霊の姿もあった。そしてマリアの手に抱かれているのは、あのハニワであった。残骸をカオスが持って帰り、修復したのだ。しかし回路が吹っ飛ばされた兵鬼を完全には修復できず、記憶は無かった。ハニワBと名づけ、今はカオスと同じアパートでカオスの手伝いをしている。カオスなりの恩返しなのかもしれない。
 ベスパはあの後魔族によって取調べが行われた。万全の準備がおかれていたが、ベスパは抵抗の素振りすら見せなかった。ベスパはてっきり死刑になると思っていたらしく、自由の身だと言われたときは少しだけ笑った顔を見せたという。しかし後で聞くと、『自分が自由ってことは、ルシオラは間違いなく自由なんだろ』と言ってのけた。家族想いのやつに、悪いやつなどいるのだろうか。そのことを聞いた雪之丞はそう思ったそうだ。


「ルシオラさんは、どこなんですか?」


 ピーとはそっとベスパに尋ねた。周り中からすすり泣く声が聞こえる。


「あいつは約束があるっていって、一人でどっかに行ったよ」
「そうですか……」


 横島の葬式、というより葬式の真似事なのだが、それをすっぽかすほどの大切な約束が何なのか、ピートはわからなかった。
 ふと教会の外を見ると、曇り空がどんどん厚みを増しているのが見えた。空も横島の死を悲しんでいるとでも言うのだろうか。間もなく雨が教会の屋根を叩いた。







 高い崖の上で、海が荒れているのをじっと見ていた。
 海の荒れようや、曇り空が見たくてここに来ているわけじゃない。夕陽が見たかったのだ。夕陽が自分と横島を結んでくれるような気がしたからだ。
 ぽつぽつと雨が降ってきて、しとしとに変わり、最後にはザーザーと大粒の水滴が空から降り注いだ。雨を避けることもせずに崖の上で膝を抱えて座る。海と空の境界をひたすら眺める。こんなことをしても夕陽は姿を現してくれないだろうし、夕陽を見ることができたとしても何か変わるわけでもない。そんなことルシオラにもわかっている。わかっているから、尚更辛いのだ。


「ヨっ」


 息が詰まった。名前を呼ぼうとしたのに、喉がすぼまるように収縮し声を喉の奥に閉じ込めた。深呼吸。落ち着かせて、もう一回。


「ヨコシマ」


 言えた。調子に乗って何度も名前を呼ぶ。
 何回目からだろうか。だんだんエスカレートした言葉は既に名前ではなくなっていた。


「っのウソツキ!女たらし!ろくでなし!バカ!死んでんじゃないわよ!」


 ルシオラの絶叫は雨によって余韻も残さずかき消された。まだ何か言いたかったが、とりあえずこのくらいにしてあげるわ、と誰に伝えるでもなく心の中でそう呟いた。
 気がつくと雨はやみ、雲の間から空が少しだけ見えた。それでも今日夕陽を見るのは無理だろう。
 すっくと立ち上がるとルシオラは右手を高く掲げた。手には赤いバンダナがしっかりと握られている。右手を後ろに引いて、ダイナミックなフォームで空に投げる。バンダナは風に舞っていたが、やがて海に落ち、沖へと流れていった。
 ルシオラはまた膝を抱えて座り込んだ。膝に顔をうずめる。誰かに見られているわけでもないのに、誰にも見られないように、誰にも聞こえないように、静かに泣いた。

                                                                    完




















(ここはどこだ?)


 意識を取り戻すと周りは暗闇だった。上、下、右、左、前、後ろ。どこを向いても闇、闇、闇。自分が立っているのか寝ているのかすらよくわからない。


「気がついたんか?」
「っえ?だ、誰?」


 すぐ近くに立っていて話し掛けられたように聞こえたが、辺りを見回しても闇しかない。


「ハッハッハ。おもろいやっちゃなー」
「だから誰だよ!てかここどこ!?」
「ちいちゃいこと気にしとったらアカンでえ。ほな横島。前を見てみい」


 何故自分の名前を知っているのか尋ねようとしたが、とりあえず前を見てみる。正確にはおそらく前だと思わしき方向を見てみた。そこには先ほどは無かった二つのドアが出現していた。


「ここまで来るの大変やったんやでー。まあわしらにも責任あるし言うて、キーやん説得するのにどんだけ手間かけたか……」
「あ、あの。あんた誰?」
「わしか?わしはなあ……ルー君でええわ」


 関西弁をしゃべる謎の人物は、自分のことをルー君だと言った。正直自分で自分のことをルー君と言うのはやめて欲しかったが。


「うるさいわボケ!さて扉の説明や。一回しか言わんからよう聞いときや」


 目の前に現れた二つのドア。どちらかを選べる権利が自分にはあるらしい。左のドアは、簡単に言えば酒池肉林の男のパラダイス。毎日が日曜日。欲しいものは大抵手に入れることができるまさしく楽園。輝かしい日常を貴方に!と最後は何かの宣伝みたいだった。
 右のドアの説明はもっと変だった。


「約束。覚えとるならこっち行け」


 これが右のドアの説明である。


「さあ、どっちを選ぶ?」
「こんなの選択の余地ねっつーの!俺は煩悩の塊だぜ!」
「ほお。言うてくれるやないか」


 横島は親指を立ててとびっきりのスマイルをかました。声の主は横島の威勢に関心したような声を上げた。
 すたすたと迷わず自分の選んだドアの前に行き、ドアノブに手をかける。


「おっさ……ルー君」
「今言い直したやろ。なんや?」
「ありがとな」


 それだけ言うとドアノブを回し、思いっきりドアを開けた。


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