椎名作品二次創作小説投稿広場


アは悪魔のア

ウは裏切りのウ -C is for Cain-


投稿者名:赤蛇
投稿日時:05/11/17

 かくしてカインは主の前を去り、エデンの東へと移り住むことになりぬ
                                 (創世記 4-16)










               C is for Cain










ベスパが歩み去った後、美神は何も手を打たなかったわけではない。
すぐにでも追いかけて行って一矢報いてやりたい、というのが、怒りに震える彼女の偽らざる本音だった。
しかし、自分も少なからぬダメージを受けていたし、何よりおキヌを打ち捨てていくわけにもいかない。
なんとか意識は取り戻したが、おそらく明日の朝までは身動きは出来ないであろう。

ぐったりとしたおキヌをソファに横たえ、柔らかいクッションと毛布をあてがうと、美神は助けを求めるため受話器を取った。
本当はきちんとしたベッドに寝かせてやりたかったが、おキヌが殊更に嫌がるのでやめた。
彼女も自分と同じ気持ちなのに違いない、美神はそう思って気の済むようにさせた。



あまり掛け慣れていない母親の携帯番号を引き出しの中から探し、いちいち確かめるようにして押した。
いつもは美智恵のほうから掛けてくるばかりなので、いざとなると、ぎこちなさばかりが目に付いた。
それでも、普段と変わらぬ母親の声を聞くと、不覚にも涙が出そうになってしまった。
その気の緩みのためか、これで横島クンをベスパから守ることが出来る、そう確信してまくし立てる美神には、相手の様子の変化に気がつかなかった。

「―――令子、悪いことは言わないわ。横島クンに関わるのはやめなさい」

最初、美神にはその言葉の意味が理解できなかった。

「魔界の軍隊に所属するベスパが来たということは、彼女の独断での行動とは思えないわ。いかにGメンといえども、横島クンのためだけに正面切って彼らと対峙することは無理よ」

「マ、ママ!? 何を言ってるのよっ!?」

「あなたには教えなかったけれど、ベスパが言うように横島クンを狙っている勢力は人間界にも確かに存在するわ。ここで下手に動いて彼らを刺激すればどうなるか、想像がつくでしょう?」

「だ、だからこそ横島クンを保護しなきゃ―――」

「それを解決するためにベスパが来たんでしょう?」

「横島クンを見捨てるって言うのっ!?」

殺すことに同意するとも受け取れる美智恵の言葉に、美神は大きな衝撃を受けた。
実際、電話の向こうにいる人物はもはや彼女の母親ではなく、已むなく娘も殺すと決意した、あの冷徹な指揮官なのである。
短い沈黙の後、本意ならずとも答えざるを得ない。

「―――必要ならば、そうするわ」

その一言だけを残し、通話が途絶えた。



次に美神は小竜姫に電話を掛けた。
以前は俗世間から隔絶された環境に在る妙神山であったが、再建の工事をする際にあたって、老師の意向もあって電話線が引かれていた。
回線長の限界と信号減衰のためxDSLとはならなかったらしいが、とりあえず満足していると聞かされていた。

今ひとつ頭の上がらない母親と違って、小竜姫にはどこか付き合いやすい親しみがあった。
神として敬う気持ちは持っているし、自分より遥かに年を重ねた高位の存在だとは知っているが、どこか同世代の友人のような感じがした。
彼女にはいろいろと貸しもあるし、頼めばなんとかしてくれるだろうと思っていた。
だが、それは甘い考えであったことを、美神はすぐに思い知らされる。

「―――申し訳ありませんが、手助けをすることは出来ません」

「な、なんでよっ!!」

「魔族の正規軍の活動に我々が介入すれば、ようやく平穏さを取り戻してきた情勢の悪化はまぬがれません。多大な犠牲を払ってまでデタントを維持した以上、さらなる自重が求められているのです」

「私が聞きたいのはそんな御題目なんかじゃないわっ!!」

「それに、横島さんが誘惑に負けるような弱い人間ならば、ベスパが言うとおりにするのが一番確実な解決方法なのも確かです」

「何よ、それっ!? また横島クンひとりを犠牲にして助かろうって言うわけっ!?」

「暴言は許しません―――――ですが、あなたの言うとおりです」

つとめて感情を排して話す小竜姫の声を、美神はドラマか何かの台詞のように聞いていた。
彼女たちの苦しい立場は判っている。だが、頭で理解することとそれとは全くの別のことだった。

「なら、せめてパピリオを貸してちょうだい。あの娘がいれば少しは―――」

これ以上議論しても小竜姫の助力は得られないと判断した美神は、代わりに妥協案を提示する。
血を分けた姉妹なら、あるいはベスパを説得出来るかもしれないし、仮に戦うことになっても同じ魔族同士なら問題になることはないはずだからだ。

「パピリオは先程から我々のところで拘禁されています。事態が収拾するまで解かれることはありません」

「なんですってっ!?」

「もし仮に横島さんが殺された場合、容疑者を直ちに逮捕し、こちらに引き渡す用意があると魔族側は伝えてきました。そうした場合、容疑者と一緒に関係する者は処分されることになっています」

「なんてこと・・・」

思わぬ事態に美神は絶句する。
ベスパを思いとどまらせれば、あるいはどうにかして倒すかすればいいと思っていたのだが、そう簡単に済む話ではなくなってきていた。
そのあまりの手際の良さからして、これは双方の、おそらくは美智恵の態度からいっても、三界の間でコンセンサスが出来上がっている陰謀だった。
事が済んでしまった場合、横島とベスパという、互いに少なからぬ因縁のある当事者同士の問題として片付けられてしまうはずだ。

果たしてベスパはその事を知っているのであろうか。
たぶん、知っているに違いない。



望みを捨てきれない美神を見て、無駄なことを、とおキヌは思った。
未だ起き上がることが出来ないため、美神の発する言葉の端々から想像するより他はないのだが、それでも話の流れは容易に想像がついた。
去り際にベスパが漏らした呟きを考えれば、事の次第は手に取るようにわかった。

言うなればベスパは人身御供になろうとしているのだった。
大勢の者の利益のため我が身を犠牲にしようとする、そして犠牲になるべく追い込まれていく気持ちは、他でもない自分がかつて経験したものだからだ。
ただひとつ違う点は、自分の気持ちに確固たる理由をつけるため、横島を巻き添えにしようとしている点だけだった。
曽根崎心中の道行『この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば』に謳われるような、心中、それも無理心中に近いものに思えた。

横島を殺し、自分が殺され、パピリオも処分されてしまえば、その魂は皆揃って転生する。
現の世の無情に愛想を尽かし、来世での再会と幸せを願うとなれば、それが心中以外の何物であるというのだろうか。

いや、お前も同じようなことをしたではないか、おキヌは黙ったまま己に問うた。
自分が横島に出合った最初のとき、いったい自分は何をしようとしたか。
その自分が彼女を非難する資格があるのだろうか、その疑問が繰り返し沸き起こっては消えた。



そして、もうひとつのことがおキヌの脳裏を駆け巡る。

横島を殺すことがたったひとつの冴えたやり方、とベスパは評していたが、それが間違いであることに彼女は気付いていない。
気付かぬままに再び自分の前に姿を現し、敵の首を差し出す可能性も充分にはあったが、おそらくはそうならないだろうと悟っていた。
それが誰かはわからないが、いつか誰かがそのことを彼女に告げる。
考えてもみなかったが、それは自分であるやも知れなかった。

ふと、ベスパの冷たい唇の感触が思い出された。

それもまた、悪くない。


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