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文珠使い

魔都・香港


投稿者名:ヨシ
投稿日時:05/11/13

部屋の窓から、朝を知らせる眩しい光がさしこんでくる。
照らされた室内はピンクの壁紙に、真っ赤なハート型の窓が2つ。
家具が全く無い室内には、クィーンサイズのベッドが一つだけ。


「ヨコシマ……」


清潔な純白のシーツをめくり、薄いシルクのパジャマを着た女性が、
隣で幸せそうに眠る男性の肩を、やさしくゆする。


「起きてヨコシマ、もう朝よ。」

「ん〜。んう〜ん。」


なかなか起きるそぶりを見せない男性に、女性は微笑を浮かべる。
なおも優しく肩をゆすって名前を呼び続けていると、男性が急に寝返りをうってきた。
抱きかかえるようにしがみつかれ、シーツごと身体を引き寄せられる。
体制を崩され、男性の腕の中へと倒れこむ形となってしまった。


「きゃっ、ちょっとヨコシマったら、起きてるんでしょ!」

「ぐふふふ、スベスベや〜、あ〜ここはやわらかいな〜。」

「やだ、何処触って…って、あん。」


ドタバタともみ合いながら、ベッドから転がり落ちる二人。
シーツからようやく抜け出した女性は、男性に文句を言おうと口を開きかけるが、
すでに男性の顔が、目の前までせまっていて、そのまま口を塞がれてしまう。


「へへっ、おはよう、ルシオラ。
 起こしてくれる時はキスしてくれって言うたやろ。」


キスを奪っておいて自分で照れている男性が、頭をかきながらそんな事を言う。


「…………もう。バカ。」


唇に指をあてて照れくさそうに今度は女性がキスを返した。おはようと。
お互いに照れまくって、なんとも初心な二人。しかし、良い雰囲気もここまでだった。
膨らむ煩悩を必死に抑えてきた男性の理性が、限界に達しようとしているのだ。

フゥー。 フゥゥー。

顔は次第ににやけだし、鼻息もどんどん荒くなる。目が血走ってかなりヤバい。


「ちょ、ちょっとヨコシマ、駄目だったら朝からそんな…。」

「朝からも何も、ずっと添い寝止まりやないか……。
 限界や……甘い幸せな時間も確かに嬉しいが限界やっ、
 俺はもう辛抱たまらんのやっ、ちちしりふともも〜全部俺んや〜!」

「きゃ〜。駄目だったらヨコシマ、駄目ぇ―――――――


―――――――ぐしゃ。


「…………ぐふ。」


女性の照れ隠しで出されたパンチで吹き飛び、壁にめり込んだ男性。
ピクピクと痙攣する足が、なんとも悲しい。


「と、飛びかかるにしても、もうちょっと何か台詞があるでしょ。
 そんなんじゃ私だって素直には……って、そうじゃなくてっ
 とにかくっ、そういう事はまだ全面禁止ですっ。」


真っ赤な顔を男性から隠して意見する女性。
決して男性の行動に怒っているという態度ではなさそうだ。


「いいんや……どうせ俺なんて、こういうお約束に抗えない男なんや。」


対して男性の方は、自分の形に空いた壁を指先でほじりながら落ち込んでいた。
女性は、男性の小さく丸まった背中に母性本能でもくすぐられたのか、
ゆっくりと歩み寄ると、男性を後ろからやさしく抱きしめる。


「もう。拗ねないのヨコシマ。別に嫌いでイジワルしてるわけじゃないのよ。」


背中に感じる、やわらかい二つの感触に男性の機嫌は一気に回復した。
いつも同じパターンで誤魔化されているような気もしたが、
女心と言う奴をもっと学ばないと、この先はないらしいと理性ではわかっているのだ。


「こっちも修行か……先は長いなぁ。」

「うふふ、大丈夫よ。私はヨコシマとずっと一緒にいるんだから。」


これほどの事を言われながらも、最後の一線を越えさせてもらえないのは、
ひとえに男性がここぞという場面で、暴走してしまうからなのだろう。
もう少し余裕と言うか、落ち着いて迫ってくれればな、と女性は思っていたりする。


「よしっ―――――――んじゃ、いってくるわ。」


男性は、離れがたい感触を背中で十分堪能してから、勢い良く立ちあがった。


「頑張ってね、ヨコシマ!」


男性は、その言葉に笑顔で振りかえり頷いて見せる。
女性も嬉しそうに頷き返すと、手を可愛く振って男性を送り出す。
ハート型の窓以外何もなかった壁には、何時の間にか重厚な作りの扉が存在していた。


「また、夢の中でな―――――――ルシオラ。」


男性は光に溢れた扉の先へと、いつもの台詞を残して踏み出した。
夢から現実へと―――――――




横島忠夫は、こうして朝を迎えるのだった。


「ふあああぁぁぁ。 お〜っしゃ。今日も一日、頑張るかっ!」


東京に住んでいた頃よりは、少しマシな部屋に今の彼は暮らしている。
暮らしているといっても、家賃を払っているというわけではない。
部屋なら余ってるからと言う家主のご好意で、居候させてもらっているのだ。


「今日の朝飯は何にしよかな〜。」


相変わらずの万年床から抜け出すと、すばやく服を着こんでいく。
ベッドは夢の彼女と暮らすまで買う気はないらしい。
黒のベルボトムジーンズに赤のTシャツを着て、少し重めのエンジニアブーツを履いた。
最後に小さな木製タンスの上から、無骨で大きめのバイザーを手に取ると、
寝癖で跳ねかえった髪の毛をかきあげるように、額のやや上に固定した。
同じように大事そうに手に取ったのは、銀の鎖のネックレス。
飾り部分にはめ込まれた蛍のレリーフが光を反射する。
それをやさしく撫でてから、ゆっくり自分の首にそれをかけた。
Tシャツが赤か黒かの違いがあっても、これが今の彼のいつものスタイルだ。


「おっと、忘れるとこやった。」


横島は自分の寝ていた万年床から枕を持ち上げる。
その下には『夢』と文字の浮かんだ文珠が一つ転がっていた。
彼は毎晩これに、自分の見たい夢のイメージを送ってから眠りにつくのだ。


「ん〜今日も結局ヤレなんだ……俺のイメージのはずやのに。」


まあ、照れるルシオラというのも可愛くて仕方が無いから構わないのだが。
少し女性週刊誌でも見て勉強するか、横島はそんな事を考えながら、文珠に意識を飛ばした。
淡く光った文珠は、フワリと浮かび上がり彼の周りを一周、そのまま身体の中へと溶けこんでいった。


「さ、朝飯やっ、朝飯や〜。」


枕を放り投げると元気に部屋を飛び出して行く。
ドタバタと階段を降りていく音が遠ざかった部屋の中。
カーテンが揺れる窓の外には、見なれない漢字の看板が軒を並べていた。
日が暮れれば、それらが色とりどりの光を放ち、美しい夜景を作り出すだろう。




彼は今―――――――香港(ホンコン)にいる。






第五話―――――――『魔都・香港』






《1998年5月16日》


尖沙咀(ツィム・サーツィ)―――――――王(ウォン)大飯店。


九龍(カオルーン)の繁華街、尖沙咀の中でも地元の人達で賑わう商店街。
その一角にある王大飯店は、朝から大勢の客で賑わっていた。
早く食べられるお粥や点心で空腹を満たし、学校や職場へと出かけていく人達だ。
そんな中に、いつまでも朝食を食べ続けている横島忠夫の姿があった。


「がつ、がつ、がつ。むぐむぐ。ずずずぅ。
 んまいっ、ただの粥なのに、やたらと美味いっ。
 ズビビ。むぐむぐ。ハムハム。ばくり。
 この点心がまた、毎日食べても飽きぬ美味さやっ。
 んぐんぐ、むぐぐっ!?―――――――んっがんっぐ。」


初めてこの見事な食べっぷりを見る人は、あきれた表情で眺めているが、
この店の常連達はすでにいつもの風景と、達観した気持ちで微笑んでさえいる。
なにせこの男が店の2階に住みついてからというもの、毎日これを見ているのだ。
そして、そんな横島のテーブルに同席する一人の子供の姿も、いつもの風景の一環であった。


「ターオ、きちゃない。」

「ん?、おう、すまんな。ダニー。
 んぐんぐんぐ―――――――ぷはっ、ふぅ〜ごちそうさん。」


テーブルの上に食器が乗りきらない程食べた所で、横島は手を合わせた。
食べ散らかした食後のテーブルは、3歳のダニエル・ウォンの言う通り、確かに汚い。
この子は店の主の孫で、両親は二人とも日本企業の会社に勤め、今は日本に出向中だという。
まだ舌足らずでタダオと発音できないが、店の手伝いをするシッカリ者の男の子である。
自分の分の食器と一緒に、横島の食べ終わった食器も運ぼうと四苦八苦しているのが可愛い。


「あ、いいって自分で運ぶから、ダニーは自分のだけ持ちな。」

「う〜、ダニーも運ぶお!」

「わははは。無理すんなって。怪我でもしたらマオさんに俺がしかられちまう。」


横島はダニーが積み上げたタワーのような食器の山を、軽く持ち上げて厨房に歩いていく。
グラグラと揺れる食器の山を、崩す事無く器用に運ぶ様子に周りから拍手が送られる。
その後をトコトコと早足でダニエルが着いて行き、そこに笑いも加わるのだ。
そんな日常の一コマが、この店の名物となってすでに4ヶ月になる。



―――――――4ヶ月前。



《1998年1月1日》


横島忠夫はこの元旦の夜に、九龍の啓徳(カイトク)空港に降り立った。
ヴァチカンからローマヘ戻り、持っていた日本へのチケットを払い戻してもらうと、
年末で慌しい中、なんとか席を確保し、中国は台北市にある中正国際空港へ。
そこから国内線のある松山空港へ移動し、ようやく、ここ啓徳空港へと到着したのだ。
キャンセル待ちも合わせて、実に4日かけての長旅。


「ドコでもドア〜が欲しい……。」


ヘロへロになった横島の第一声がそれであったのも、無理はないだろう。
だが、残念ながら彼の旅の相棒は、青い猫型ロボではなく使い魔のラプラスなのだ。
空港のロビーにグテっと倒れこみ、身体の節々を伸ばしている横島に淡々と語りかけてくる。


『何をしているんだね? 横島忠夫君。
 早く外に出たまえ、香港の街は過年の祝いで賑わっているのだよ。』


横島の疲れた様子など、微塵も気にしていないようだ。


「少しは労われよ。大体なんで、悪魔のくせに観光気分に満ち溢れてんだ。お前は。」

『む? 言ったはずだよ、私は牢獄生活でとても退屈をしているのだと。
 早く私を楽しませたまえ。さあ、あの賑わいの中へ行くのだ。横島忠夫君。』


飛行機の中でも、窓から見える景色を酔ったほど饒舌に語っていたラプラス。
口調は非常に淡々としたものだが、1000年ぶりの外出に興奮気味の様子なのだ。
香港の正月は年越しを過年として祝い、旧暦の元旦にも祝い事をするのだよ。だとか。
香港はイギリスから中華人民共和国へと返還されたばかりで、特別な賑わいなのだ。だとか。
香港の人々は赤い服を着、赤い飾りをし、赤一色で騒ぐのだよ。だとか。
香港でも昔はOKだった爆竹を何故禁止したのだ、バカな人間どもめ。だとか。


「ラプラス……まさかとは思うが、これ見たさに香港を選んだんやないやろな?」


横島忠夫がそう思ってしまうほど、香港の正月についてラプラスに聞かされ続けていたのだ。
そもそも香港に来た目的は、ラプラスの語った第二の試練のためである。
だが、今のラプラスからは、どうしても観光目的で来たような空気がプンプンするのだ。
そんな横島の文句も無視して、全ての意識を外の騒がしい街へと向けるラプラスに、
もう何も言うまいと横島はグッタリと顔を落とし、トボトボと空港の外へと歩いていくのだった。


『第二の試練。それは、君が文珠使いとして覚醒する事だ。横島忠夫君。』


横島は香港に旅立つ前、ラプラスにホテル《アトランテ・スター》で言われた事を思い出す。
第二の試練が長い時間のかかる事だと言われ、なんとなくはわかっていた事だった。
未来から来た自分も、文珠の14文字制御という離れ業に成功していた。
ルシオラを復活させる為に、あれくらいは出来るようにならなくては、と思っていたのだ。


―――――――ようするに修行だろ? 山とか滝とかが定番やないのか?


ラプラスが今現在の横島忠夫の文珠使いとしての実力なら、香港が丁度良いと言ったのだ。
だから4日もかけて、窮屈な思いをしてまで、香港に来たと言うのに。
肝心の導き手であるラプラスが観光に夢中なのだから、不安にもなるというものだ。

だが―――――――そんな横島の不安は、空港を出てすぐに吹き飛んでしまった。



ゾクッ―――――――。



一歩外に出た途端、強烈な悪寒が背筋を走りぬけたのだ。


「な、なんなんや〜!
 この気色悪いほどに、マッタリと纏わりつく嫌な感じは〜!」


横島がそれを感じる方を向くと、空港横の公園から邪悪な気配がユゲのように立ち昇っていた。
しかもそれだけではなく、人で賑わう繁華街からも邪霊や悪霊の気配を感じるのだ。
横島の降り立った香港は、異常なほどに悪しき存在の気配であふれかえっていた。


「なんでや!? さっきまで全然平気やったのに…!」


空港内は、結界により守られてでもいたのだろうか。
一つ一つはそれほどでもないが、とにかく感じる邪悪の数がすさまじい。
霊能者でなくとも、この気配には冬の寒さとは違う、冷たい何かを感じているだろう。


「なにが原因で……―――――――って、まさか、元始風水盤か…!?
 でも、あれはカオスが、ぶっ壊したはずだぞ!?」


悪の竜神メドーサが、九龍と香港島を結ぶ海底トンネル内で引き起こした大事件。
元始風水盤で地脈の流れを操り、地球上に魔界を作り出そうとしたのだ。
一度は風水盤を発動されてしまったが、ヨーロッパの魔王こと、ドクターカオスの活躍で、
地脈は清められ、魔族に落ちた勘九郎を討ち果たして終結させたはずである。


「ど、どういう事やっ、ラプラスっお前理由はわかるんか!?」

『何がだね、それよりも早く過年の祝いに参加したまえ。』

「それどころやないやろ! なんなんや、これは…!」


横島は、ゾワゾワと鳥肌の立つ腕をさすりながら呑気なラプラスを問い詰める。
ラプラスも、その説明を忘れていたねと、少しシリアスな雰囲気に戻ってくれた。


『ふむ、確かに私は香港がこうなっていると、高確率で予測できたから君を導いた。
 元々この土地は、風水的に邪の集まりやすい場所なのだよ、横島忠夫君。
 それが一時的にとはいえ魔界のエネルギーに包まれ、地脈まで活性化させられたのだ。
 たいした力を持たない低級霊達にとって、ここは楽園にも等しい場所と言えるだろうね。』


横島は、香港がこんな事になっているとは夢にも思っていなかった。
だが、なるほど。ラプラスが修行の場に選ぶわけだと納得も出来た。
なにせ低級霊がこれでもかと飛び交っているのだ、除霊でも何でもやり放題である。


『クックック、気に入ってくれたようだね。
 私の選んだ君の修行場―――――――魔都・香港を。』


シリアスに戻った途端に、コレである。


『修行については明日からだ―――――――さあ、繁華街へ突入せよ。横島忠夫君。』


そんでもって、コレだ。しかも何気に命令口調。


「俺は、お前の事がわからねぇよ……ラプラス君。」


ラプラスの性格について激しく悩みながら、横島忠夫は香港の繁華街へと消えていった。
賑わう人々の間を、フワリフワリと低級霊がすり抜けているが、誰も気にせず騒いでいた。
過年の祝いで陽気になっている人々には、低級霊など何でもない存在なのだろうか。
いつからこんな状態なのかはわからないが、たくましい香港人の適応能力であった。
そして、退屈の権化こと使い魔ラプラスは、様々なものを見たがり、味わいたがった。
味覚は横島忠夫のものであるが、その横島の美味いという感覚を味わえるのだそうだ。
機内食を食べている時に、それに気づいたらしいのだが、
次から次へと目に入る食べ物を食べたがり、うるさい事この上ない。


『横島忠夫君。あれを食べたまえ。』

「俺も腹は非常に減っているが、金がねぇ〜んだよっ!
 ここに来るまでの旅費で全部使っちまったからな。
 はあ、どうすんだ今日の宿とか、明日からの生活とか!
 お前、そういう事までちゃんと考えてここ選んだのか?」


悪魔であり、牢獄生活1000年のラプラスに金銭感覚などありはしない。
そのくせ『甲斐性の無い男だな、君は。』などと、西条クラスの嫌味を吐くのだ、この悪魔は。
どこの世の中に使い魔に甲斐甲斐しく世話をやく主がいるというのだろうか。
『私は、魔鈴めぐみ君の使い魔が羨ましいよ。』そんなボヤキが聞こえてきたが無視である。
横島忠夫の中で、ラプラスの評価がめまぐるしく低下していったのは、仕方の無い事であろう。


「ぐるるああぁ―――――――!!
 身体をよこせぇぇ、その身体をよこせぇぇぇ!!」

「きゃああああ!?」

「うわああぁ、悪霊の集団だっ、逃げろぉ!!」


ラプラスの観光に1時間ほど付き合わされた頃、過年の祝いとは違う騒ぎが聞こえてきた。
大通りに面した赤い龍の飾り門から、大勢の人が必死な形相で逃げ出してくる。
赤龍の門から続く商店街で、どうやら悪霊騒ぎが起きているようだった。
魔よけの護符を持った人がちらほら見えるが、魔よけの護符が通じない相手なのだろうか。


『ふむ、これは好機だ。人助けをすれば、お礼という形で食べ物が得られると高確率で予測する。』

「アホな予測すんなっ、俺は今文珠が一個もないんだぞ…!
 大体お前っ、文珠使いが文珠以外の能力で戦ってどうするんだね、とか言うとったやないか!」


第二の試練を告げられた後、最初に出された課題が文珠以外の霊能力の禁止であった。


『ならば撤回しよう、文珠以外の能力は今日を最後に封印したまえ。
 さあ、これで問題は無い、栄光の手だろうとサイキックソーサーだろうと、
 好きなだけ使って戦いたまえ。私の味覚を満足させるべく行くのだ。横島忠夫君。』

「だああぁ、なんて勝手な使い魔や〜!」


横島は半ばやけくそ気味に赤龍の門をくぐりぬけ、商店街へと突入した。
そこには大量の低級霊が飛び交い、商店街の人々が必死に抵抗している姿があった。
確かにこれだけの数が暴れていては、魔よけの護符など役には立たない。
狙われているのは抵抗力の少ない老人や子供の身体であろう。
横島の目に、特に多くの霊に囲まれた一人の子供の姿がうつった。


「ダニー。こっちにおいでっ!早くこっちにおいでっ!!」


初老の体格の良い女性が大声で呼びかけるが、その子供は怯えて動けそうもない。
横島は両手に霊力を集めると、その子供に駆け寄りながら拍手(かしわで)を打った。


「サイキック・猫だまし!!」


パァン―――――――。


両手から強い光が溢れると同時に、打ち合わされた霊力が波となって空間に広がる。
低級霊にはそれで十分な牽制になった。動きの止まった一瞬に子供を抱きかかえると、
横島はすばやく離脱し、その子を大人達の所へ届ける。先程の女性が子供を強く抱きしめた。
それを見て他の女性達も、子供や老人達を守ろうと一箇所にまとまり身を寄せ合う。
残った男性達が魔よけの護符を持ち、輪になってそれを守る体制を整えた。
結集力というか団結力と言うか、とにかく勇敢な商店街の住人達であった。


「待て待て待てぇい、なんで俺ばっかり狙われとんじゃ〜!」


一方、標的を掻っ攫われて、怒り狂った低級霊達は邪魔をした横島へと襲いかかっていた。
横島は右手に栄光の手を生み出し、霊波刀で手当たり次第に低級霊を切り刻んでいく。
所詮は低級霊。今更の事だが、これでも横島忠夫は修羅場には慣れっ子である。
かつてこの香港で戦ったゾンビの群れに比べれば、この程度は修羅場にもならない。


「こ、こんな活躍をする俺が描かれるとはっ
 わはははは、俺が主人公なんやな、そうなんやなっ!」


言動はともかく、横島の活躍は商店街の人々が驚くのには十分だっただろう。
固まった悪霊をサイキックソーサーで爆砕し、ふいをついたような攻撃さえヒラリとかわす。


「わっはっはっは、気持ち良いっ、なんかスゴク気持ち良いっ!」


低級霊を率いていたらしい一際大きな悪霊が、捨て台詞を吐いているが耳にも入らない。
横島はそれが逃げた上空に栄光の手を向けると、ニヤリと笑う。


「俺以上のヤラレキャラよ―――――――さらばだ。」


栄光の手が光弾のように伸びてゆき、悪霊を貫いた。
横島は悪霊の散った夜空を見上げて、勝利の歓喜に震えていた。


―――――――やるやないか、俺。 やるやないか、自分。


低級霊達が全ていなくなると、商店街の人達が歓声をあげ、横島忠夫を取り囲んだ。
周りから散々お礼を言われ、さすがに自分のキャラじゃないと横島は恥ずかしくなる。
ふと、自分のジーンズを引っ張る小さな手に気づき下を見ると、
最初に助けた男の子、ダニエル・ウォンが、小さな声でありがとうと微笑んでいた。
そして、ダニーの後ろにいた女性―――――――マオニー・ウォンが頭を下げる。


「ホントにありがとね、この子はアタシの大事な孫なんだ。
 アンタのおかげで助かった、私に何かお礼をさせとくれよ。」

「お、お礼!? い、いや別にそんなのは…!」


思いっきり悦に浸って戦ったせいか、お礼と言われて横島は慌てた。
だが、彼の中の使い魔は最初からそのつもりだ。好機は逃すな、とプレッシャーを放ってくる。
奇妙な板ばさみにあっている横島に、マオニー・ウォンは更にお礼をさせろと迫ってくる。
追い詰められ、逃げ道の無い横島忠夫は仕方なく口を開いた。
 

「それじゃ、その―――――――腹いっぱい、飯を食わせてください。」


横島が勇気を出してそう言うと同時に、彼のお腹もグゥと空腹を訴える。
マオニー・ウォンがそれを聞いて吹き出すと、周りの人達も大声で笑い出した。
低級霊の騒動から一転、ちょっとしたゲストを迎えての過年の祝いが再開され、
横島の食べっぷりに周囲は驚き、大いに笑った。ダニエル・ウォンも目を丸くしていた。
そんな中、誰よりも喜んでいたのは、横島の中に棲むラプラスであっただろうが。


『よくやった、横島忠夫君。さすが文珠使いだ。 あ、次はそれを食べたまえ。』


なにはともかく、この出会いがきっかけとなり、
横島忠夫はマオニー・ウォンの王大飯店に世話になる事になったのだ。




―――――――それから4ヶ月。




今ではマオと呼んでいるが、10歳から厨房に立ち続けてきた女傑には頭も上がらない。
毎日の食事はタダで食わせてもらっている上に、部屋代もタダで良いと言うのだ。
香港での横島の生活は、マオあって成り立っていた。


「マオさん、タダオ君はいるかい? また変なのが店に出るんじゃよ。」


だから横島にとって、商店街の住民からの除霊願いなど、マオへの感謝を考えれば安いものである。
マオは申し訳なさそうにしていたが、横島は喜んで商店街の除霊を引き受けて回った。
香港滞在のため、GSとして香港政府に労働ビザを発行してもらったが、
GSの仕事で生活しているわけではないのだ、料金など気持ち程度で十分だった。
今着ている服も靴も、全てがこの商店街の住人達からの料金代わりの代物である。
横島忠夫はこの4ヶ月ですっかり、この赤龍門商店街に溶けこんでいたのだ。


「タダオ悪いね、今日は古本屋のチャン爺だよ。」

「いいですよ。どうせ修行に行くんだし、タダ飯食らいじゃ居心地悪いっスから。」

「そうかい? それじゃ気をつけとくれよ。」

「ターオ、がんばえ!」


横島は自分の食べた食器を洗い終えると、マオとダニーに見送られ厨房を後にした。
マオは朝の忙しい時間帯を乗り切り、これからランチタイムの仕込みに入るのだ。
マオの弟子達も手早く、まかないの朝食を済ませて食材の準備や調理を始める。
3歳のダニーも、その中にまじって小さな手で野菜を洗って仕込みのお手伝いだ。


「タダオ君。助けてくれんか、店内に立ち読みする幽霊が居座って、困っとるんじゃ。」

「立ち読みする幽霊? そりゃ、確かに商売の迷惑ですね。」


横島は王大飯店を出て、チャン老人の案内で彼の店へと向かった。
問題になってる古本屋は、なぜか日本の漫画本が多く並んでいた。
なんでも、日本の漫画は昨今ブームらしく、一番売れる商品なのだそうだ。
そして、店の奥に目をやると、見るからにオタクを体現したような男の幽霊が立ち読みをしていた。


「な、なぜ香港に秋葉原の住人が!?」


日本で流行った、トラ柄ビキニを着た放電少女のプリントされたTシャツが、
幽霊の体格にあわせて笑えないほど不細工に伸びきっていた。
横島は霊を問答無用で浄化すべく、文珠を一つ体内から浮かび上がらせ『浄』と文字を込める。
文珠から霊気があふれだし、その光が文珠の周りを覆うように包み込んだ。


「とにかく、日本人の恥を隠蔽せねばっ! 行けっ、文珠!」


横島がオタク幽霊を指差すと、光をまとった文珠がそれを目指して飛んでいく。
漫画本を読みふける男は、文珠が自分の身体を通過していった事に気づかなかったようだが、
文珠の通りすぎた部分から光が漏れはじめて、ようやく事態の異変に慌てだした。


「あ、あれれ!? なにコレ? ボクが光って、なんなのコレ?
 イジメですか? またまたイジメですか? 香港まで来てイジメなんでつか!?
 いやあぁあぁぁ、ボクまだラムちゃんに会ってないのに、まだラムちゃんにぃぃ。」

「漫画のキャラに会えるわけないやろ。」

「嘘だああぁぁ、ラァムちゃあぁぁぁ……ん……―――――――。」


横島のボソリと呟かれたツッコミに、えらく傷ついて昇天していったオタク幽霊。
日本の漫画本に憑いていたものが、香港の空気で活性化されて霊体化したのだろう。
なんとなく同じ日本人として恥ずかしい横島忠夫であったが、除霊は無事成功である。
宙に漂ったままだった文珠を体内に戻して、外で待ってもらっていたチャン老人を招き入れた。


「おおっ、あの幽霊が消えておるっ! ありがとう、タダオ君。」

「いや、メイドインジャパンでしたし……じゃなくてっ、
 わははは、あんなの物の数にもなりませんよ、雑魚っす、ザコ!」

「ホッホッホ、さすが、香港に霊能力の修行にこられただけの事はありますな。
 お、そうじゃそうじゃ、お礼と言ってはなんじゃが……若い君には必要じゃろうと思っての。」


チャン老人は除霊のお礼にと、一冊の本を横島にこっそりと手渡した。
横島が不思議そうにその本をみると、表紙には綺麗な女性と、上海天国のタイトル文字が。
ぺラリとページをめくって見れば―――――――青少年の夢、18禁の世界が広がっていた。


「こ、これはぁ―――――――な、なんちゅう極悪にエロいチャイナドレスなんやっ
 ぬおぉおおぉぉ!? こっちのチャイナお姉様は、扇だけでそんなハシタナイっ
 あかんっ、こんな雑誌があってええのか? ええのんか!? 上海天国恐るべし!!」

「ホッホッホ、ワシの秘蔵の一冊じゃ。発禁の非売品じゃぞ、大切にしておくれ。」

「あ、ありがとうチャン爺!! いやっ、チャン老師!!」

「ホッホッホッ、ホーッホッホッホッホ。」


生まれた国も年齢も遠く離れた二人であったが、男と言う共通点があればオールOK。
スケベ心は男の共通語だと、後に世界各国をめぐった横島忠夫は語っている。
ガッチリ握手をしてチャン老人と別れた横島は、秘蔵の一冊を自分の部屋に隠しに戻った。
きっと今夜の夢の中では、ルシオラはチャイナドレスを着させられる事だろう。


『ちょっとヨコシマ、なんで私こんなの着てるのよっ!
 女心の勉強してくれるんじゃなかったの? こんな事ばっかり勉強しないでよ!』

『た、たまらんっ、そのスリットが辛抱たまらぁ〜ん!』

『もう〜、バカ―――――――。』


このまま妄想の世界に没頭しそうになる横島だったが、夜までの我慢と部屋を出る。
商店街を歩きながら、フワフワと漂っている浮遊霊達を、文珠を操りながら浄化していく。
悪事を働かないうちは悪霊ではないが、放置しておけば、いずれそうなってしまうだろう。
『浄』と文字を浮かべた文珠は、霊気の光を発したまま、横島の意のままに飛びまわる。
商店街の住人達も見なれたもので、ご苦労様と声をかけて笑いかけてくる。


『文珠の操作はずいぶん上達したようだね。横島忠夫君。』

「案外慣れたら楽なもんだな、貯めた霊力を小出しにすんのは、まだ難しいけど。」


文珠の修行で最初に出された課題は、文珠以外の霊能力の禁止。
これは、文珠があれば他の霊能力など全て再現可能である事から禁止された。
それに横島が一度に絞り出せる霊力よりも、文珠一個に貯められている霊力の方が大きいのだ。
ラプラスが言うには、文珠は横島忠夫の霊力を貯め続ける事で、その効果も上がっていくと言う。

次に出された課題が、文珠の操作・制御に関してであった。
いかに文珠が特別なものであっても、横島忠夫の霊力である事に変わりが無い。
操作に関しては、横島が文珠をすぐに投げたがるため、何度もラプラスに馬鹿にされはしたが、
修行を始めて4ヶ月の今では、文珠一個なら自由に操れるようになっていた。


ビシッ―――――――。


「あっ、やばい割れちまう…!」


そして、今の横島の最大の課題が、文珠の制御であった。
文珠は形成最低限の霊力値を下回ると、その形を維持できなくなり霊力の爆発を起こしてしまう。


「とりあえず―――――――風っ!」


『浄』から『風』へと浮かべる文字を変えた文珠は、商店街の上空に突風を生み出して消えた。


『文珠使いが、いちいち文珠を壊すようでは、文珠使いとは呼べないと思わないかね?』

「ぐっ……そんな微妙な言葉遊びで皮肉を言わんでも。」


これまで横島忠夫は、文珠が体内で形成されると、念を込め霊力を一気に開放する使用方法、
今の『風』のような開放発動しか知らなかった。だが、形成された文珠に更に霊力を『貯』める事で、
文珠にその貯めた霊力を使わせるという、別の発動方法をラプラスに教えられたのだ。
ただ、そのイメージ制御が難しく、つい使いすぎて文珠の形成崩壊を引き起こしてしまう。
当然、文珠の制御と同時に、安易な文珠の開放発動も禁止されている。


『今日も、文珠制御が修行の中心になりそうだね。横島忠夫君。』


ラプラスの言う、覚醒した文珠使いへは更にいくつかの課題が残されている。
横島が苦労している文珠の操作と制御にしても、たった一個の文珠でこれだけの難しさだ。
横島は改めて思う。ルシオラ復活のための第二の試練はそうとう厄介であると。


「はあ、やっぱりこっちの修行の方が……先は長そうだな。」


夢の中でルシオラと結ばれるか、それとも第二の試練を突破するか。
そんな事を考えながら、横島は赤龍の門をくぐり、高層ビルの立ち並ぶ大通りへと出た。


「さて、ここからは文珠使いの修行といきますか。」


横島は手の平に3つの文珠を出すと、それぞれに別の念を送りこんでいく。
『速』、『跳』、『強』―――――――速さと、跳躍力と、肉体の強化。
霊能力者は厳しい修行により、霊体の力を上げる事で肉体にも影響を与え、超人的な力を得る。
だが、横島忠夫は文珠使いだ。他の霊能力者と同じような苦行や修練は必要無い。
ズボンのポケットに文珠を押し込むと、有り得ない速度で走り始める。
手ごろな高さの建物の屋上まで跳躍すると、強化された肉体でその衝撃を抑えこむ。
そのまま香港の街を下に見ながら、建物から建物へと飛び移りながら移動していく。


「わはははは。文珠って便利だし、気持ち良い〜!」


赤龍の門から横島の修行場所までは、普通に歩けば1時間以上の距離がある。
横島忠夫はその距離を10分とかからずに移動するのだ。
そして、その目的地は啓徳空港横の大きな公園。
横島が空港から出てすぐに強烈な悪寒を感じた、あの公園である。


九龍寨城公園―――――――10年前まで九龍城砦(ガウロンセンチャイ)があった場所。


横島は商店街の住民達に、霊能力の修行で香港に来たとは話したが、
何処で修行をしているかは話していない。話せばきっと心配をかけてしまうからだ。
九龍城砦とは、かつて東洋の魔窟(まくつ)と呼ばれた無法地帯。
魔窟とは―――――――犯罪者達の巣窟。





そして、今では香港の邪悪が集まり続け―――――――悪魔の棲む本当の魔窟となっている。





―――――――文珠使い 第五話 魔都・香港 END―――――――


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