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アは悪魔のア

アは悪魔のア -A is for Adam-


投稿者名:赤蛇
投稿日時:05/11/13

 主は土の塵より人をつくり、命の息を吹き入れたまえり。人はかくして生くるものとなりぬ
                                              (創世記 2-7)









               A is for Adam










その突然の来訪は、彼女たちにとって歓迎すべきものではなかった。


火の入りが恋しくなる季節の午後、予想だにしなかった客が彼女たちのもとを訪れた。
美神は応接室に通した客と挨拶を交わすこともせず、値踏みをするかのように黙ったまま向き合っている。

無論、GSなどというものを生業としている以上、招かれざる客の訪問などは枚挙にいとまもない。

本能のままに害意を及ぼそうとする悪霊。
隙あらば命を狙い、思う様に魂を貪ろうと企む魔族。
いつもやっかいな難事を持ち込み、そのくせたいして役には立たない神族。
そして、巧妙に細工された裏帳簿の極僅かな綻びすらも見逃さない、あの恐るべき国税庁の査察官たち。

ここに向き合って坐っている者は、その何れとも違うようにも思える既知の人物ではあったが、それ故に漠然とした不安が頭をもたげていた。

「どうぞ」

ひんやりとした部屋の中、小さな揃いのカップをトレイにのせて運んできたおキヌが、音も立てずに静かに置いた。
だがその声は、軽く湯気を立てる珈琲ほどには暖かくも、親しげでもなかった。

「それで、一体どんな用事なのかしら―――」

黙ったまま奥へ下がろうとするおキヌを手振りで席へと着かせ、冷ややかな目を向けて名前を呼んだ。

「―――ベスパ」



ベスパは、二人から向けられる隔意には露ほどの気も見せず、優雅ともいえる手つきでカップを口に運ぶ。
テーブルの上に形だけ用意されたミルクにも砂糖にも、あえて手を向けようとはしなかった。
荒く挽いた珈琲の香りが心地よくくすぐるが、些かきつい苦味が舌を刺す。
それは、おキヌの不安と不信の現われでもあったが、何も言わなかった。

半分ほどになった珈琲が僅かに波打つ様を見つつ、ゆっくりとした動作で皿の上に戻す。
こちらの心の奥底を覗こうとする相手の視線はあえて無視して、ベスパはじっとコーヒーカップを見つめた。
「シシ」と呼ばれる、オーストリア皇后エリザベートが愛したヘレンドの白磁は、絶世の美女と謳われた彼女の肌のように白く透けて美しい。
そこに描かれた「ウィーンのバラ」もまた生き生きとして愛らしく、すぐにでも飛んで行きたい誘惑に、束の間だけ浸るのだった。

「―――ポチ、いや、ヨコシマはどうした?」

バラを見つめる視線を外さぬまま、唐突にベスパが尋ねた。
もちろん、今ここに横島がいないことなど、承知の上でのことだった。

「今日は、来ないわ」

やはりそのことか、美神は不愉快な表情を隠そうともせず、吐き捨てるように言った。
内心、まだまだ未熟なことだとは思うが、相手が誰であれ遠慮するつもりはさらさらない。
何故この連中は彼をそっとしておかないのか、それもよりにもよって、この女が。

おキヌは膝の上のトレイに目を落とし、それをぎゅっ、と握り締めた。
ベスパは横島を「ポチ」と呼んだ。
それは自分たちが入り込めない過去の共有に他ならなかった。
私には貴方の知らない彼が存在する、ベスパはそう告げているのだった。

何故あの時、横島は彼女たちの元へと行かされ、自分たちと時間も空間も隔てることになってしまったのだろうか。
作戦を指揮した美神美智恵をこれほどまでに恨めしく思うなど、自分自身でも少なからぬ驚きを禁じ得なかった。

「そうか。なら、都合がいいね」

ベスパはようやくに視線を上げて静かに言った。

「―――ヨコシマを殺すために来た」

「―――――――!」

その言葉を受けて、跳ね上がるように席を立つおキヌを片手で制し、ベスパを睨みつける。

「理由は聞かせてもらえるんでしょうね?」

「み、美神さんっ!?」

「でなければ、わざわざお前たちのところへ来たりはしないさ」

「どうかしらね」

「少し、長くなるよ」

「かなわないわ」

探り合いのようなやりとりののちに、ベスパは少しずつ話を始めた。



禍々しいばかりの夕陽が室内を舐める頃になっても、三人の女はまだ席を立とうとはしなかった。
いつもであれば人工幽霊がカーテンを閉めるのであるが、今は何ひとつ、灯りすら点けることが憚られた。

ヨコシマは狙われている、とベスパは言う。
殺しに来たと言いながら何を、とも二人は思ったが、それを口にすることはやめた。

横島は三界に稀有な文珠使いとして知られているが、その能力を欲するものは人間界にも、魔族・神族にもやはり存在する。
いくらデタントが今の世の趨勢とはいえ、各界ともに一枚岩の体制であるわけでは決してない。
表に出ないところで様々な権力闘争、権謀術数が繰り広げられているのは、調和のある対立を継続する以上しかたのないところでもあった。
そうした中、横島の持つ『文珠』の力は、彼らの欲望を満たすのに非常に魅力的に映った。
特に、アシュタロス亡き後の座を欲する一部の魔族にとっては、是が非でも手に入れたい代物だった。

もっとも、横島がその能力に見合うだけの強い人間であれば、さほど心配はいらなかった。
世の法則を無視してほぼ無制限に威力を発揮する『文珠』とはいえ、その効力は短時間であり、適用範囲は限定的だったからだ。
たしかに、個々の局面においての切り札にはなるだろうが、あらゆる局面においてそれに依存するべきものではない。
わざわざ危険を冒して多大な労力とコストを割くほどのものではないのだ。

だが、横島は精神的にも肉体的にも弱い人間だった。
自らが常々言うように彼の霊力の源が煩悩、すなわち欲望だとすれば、それを増長し、誘惑し、篭絡することはさほど難しいことではない。
それこそ、魔族にとっては極々あたりまえの、彼ら自身の存在意義たる事柄であるとも言えるのだ。

「・・・だから殺す、って言うの?」

「死ねばヨコシマの魂は転生する。そうすれば奴を狙う者たちも手に入れることは出来ない―――初めて聞く話じゃないだろう?」

感情のこもらない目を美神に向け、ベスパは問うた。
多数の利益のために少数を押しつぶすのは、何も魔族だけの専売特許ではなかった。

「そんなっ! 横島さんはまだ高校生なんですよっ! それなのに―――」

それまで黙って聞いていたおキヌが、たまりかねて声を上げる。
涙こそ浮かべてはいないが、その目は赤く血走っていた。
だが、その訴えをベスパは無情にも一刀の下に切って捨てる。

「姉さんは生まれて一年にも満たなかった」

抑揚のこもらない声でベスパは独り言のように続ける。

「それに、ヨコシマが死ねば姉さんも転生する。いつかはわからないが生まれ変わらせてやりたい、というのも偽りのない私の気持ちさ」

そこまで言ってベスパはテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばした。
すっかり冷たくなった残りの珈琲を一息に飲み干す。
気のせいか、ほんの少し甘くなったように感じた。

「さて、とりあえずこれで私のことは全部話したつもりさ。ヨコシマを助けたかったら、私を殺すように努力するんだね」

未だ美神は姿勢を動かさず、組んだ手をテーブルに置いたまま、ベスパをじっと見つめていた。

「―――復讐?」

「そんなんじゃないよ。これは私の―――」

ふと、脳裏にとある本のタイトルが浮かんだ。
たしか、あの別荘に行く途中にルシオラが読んでいた本のはずだった。
フラッシュバックする懐かしい思い出に、思わず微笑が浮かんできてしまう。
その表情は、とても人を殺そうとする魔族のようには見えなかった。

「たったひとつの冴えたやり方、ってやつさ」

その一言が合図だったかのように、部屋の明かりが音もなく灯された。



しばらくの間、ベスパはカーテンが開いたままの窓に映る自分の顔をじっと眺めていた。
こんなにくつろいだ顔をしているのは、はたして何時ぐらいぶりのことだろうか。
出来うることならこのままのんびりとして居たかったが、そうするわけにもいかなかった。

「すっかり暗くなっちまったね。そろそろ帰るとするよ」

「私がこのまま帰すとでも思っているの?」

バカにしないで、とでも言いだけな様子で美神は言った。
相変わらず美神は席に坐ったままだったが、組んだ両手はいつのまにか解かれて消えていた。
おそらくテーブルの下の右手には神通棍あたりが握られているのに違いない。

ベスパはさも残念だ、と言わんばかりにため息をついた。
やがて、穏やかな微笑みは姿を消し、冷酷な魔族の表情が浮かび上がる。

「ミカミ、魔族とも付き合いが広いのは悪いとは言わないが、少し控えたほうがいいぞ」

それはどういう意味、と美神が問う間もなく、ベスパの体から猛烈な妖気が立ち込める。
今まで押さえられていたそれは瞬く間に室内へと充満し、人間には命の危険さえあるほどの濃度となった。
人工幽霊はすぐさま窓を全部開けて妖気を排除しようと試みるが、色がつくほどに見える妖気が流れ出る気配は微塵もなかった。

「くっ・・・ よくも・・・」

「やめておけ。お前はたぶん大丈夫だろうが、その娘は長くは持たんぞ」

そう言ってベスパは意識はあるが、息も絶え絶えになっているおキヌのほうへ視線を向けるよう促す。
ベスパに言われるまでもなく、このままでは彼女の命が危ないのは明白だった。
心のどこかで魔族を信じてしまった自分のミスだ。ここは素直に敗北を認めるより他はなかった。
コトン、とくぐもった音を立てて、神通棍が絨毯の上に落ちた。

これ以上長居するつもりもないベスパは、すぐに席を立った。
だが、妖気のために朦朧としながらもなお厳しい視線を向け続けるおキヌのことが気になり、足を止めた。
さっきまでの話の間も、静かだが激しい敵意を感じさせてきたのは、美神ではなくこの娘だったのだ。
ベスパは荒い息を吐くおキヌの顔を上げさせ、血の気を失って紫色になった唇にそっと自分のを重ねた。
そして、おキヌの耳元に口を寄せ、彼女だけに聞こえるように囁いた。

「・・・敵は、取らせてやるさ」

その意味を理解したおキヌは目を見開き、ベスパの顔を確かめようとする。
だが、ついに力尽きて意識を失った。

その様を見たベスパは振り向きもせず、静かにドアの前へと立った。
もはや人工幽霊に出来ることは、黙ってドアを開くことのみだった。

階段をゆっくりと降りていくベスパの足音を、美神は怒りと屈辱に打ち震え、黙って聞いているだけだった。


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