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文珠使い

縁の断絶(後篇)


投稿者名:ヨシ
投稿日時:05/11/ 8

 
リーン ゴ―――――――ン。

   リーン ゴ―――――――ン。


リーン ゴ―――――――ン。

   リーン ゴ―――――――ン。


サン・ピエトロ大聖堂の鐘の音が、ローマの街に響き渡る。
昇り始めた太陽は、大聖堂の天窓から内部を照らし、天使の壁画をやさしく包み込む。


リィ―――――――ン。

     ゴォ――――――――――――――…………ン。


静かな余韻を残し最後の鐘が鳴り終わると、今日という新しい一日が動き始める。
大聖堂を眺める大通りで朝の祈りを捧げていた者たちも、朝食の支度や仕事の準備へと戻っていく。
観光客が多く泊まるHOTEL《アトランテ・スター》の従業員たちも慌しく動き始めた。
そして、一枚の扉を挟んで向かいあう一組の男女にも新しい一日が訪れようとしていた。


―――――――今、何て言った?


美神令子はドアノブに手を伸ばしたまま鐘が鳴りやむのを聞いていた。
鐘が鳴り始めてから今まで、彼女はピクリとも動けずに固まっていたのだ。


「俺、美神除霊事務所―――――――辞めます。」


ドアの向こうから、はっきりと聞こえてきた横島忠夫の決意表明。
こちらから出向き、悩みを聞いてやろうと決めた矢先のカウンターパンチ。
それは見事に美神令子を打ち抜き、その脳を揺らしていたのだ。


―――――――私のところを辞める?


美神令子という人間の大部分は、プライドで出来ている。
それは母親を失ってから一人で築き上げてきた、不恰好な彼女の有り方。
強く美しく男に媚びない母親の姿を追い続けるうちに、固定されてしまった美神令子の形である。


―――――――アンタの方から辞めるって言うの?


自分がクビにするのは良い。だが、向こうから辞められるのは許せない。
理不尽な理屈だろうが、美神令子のプライドはとにかく常人のそれとは大きく違うのだ。
殴られたら殴り返す。受けた屈辱は倍以上にして返すのが美神令子の常識なのである。
彼女の思考する部分はその理論に従い、肉体に横島忠夫撲殺命令を下すのだった。


バタンッ―――――――。


美神はドアを力強く開け放ち、そこに立つ横島を殲滅せんと一歩目を踏みだした。
だが、互いの視線がぶつかっただけで彼女の足はそれ以上先へとは歩を進めてはくれない。
ふりかぶった拳も彼にぶつける事が出来ず、ゆっくりと下ろされていってしまう。


―――――――なんで……?


それは、横島忠夫の瞳がいつになく真剣だったからなのだろうか。
ちゃんと悩みを聞いてやろうと、決心していたからなのだろうか。
湧き上がった激情も一瞬で消え去り、自分でも不思議なほどに気持ちが落ち着いていく。
殴られると思っていた横島にとっても、拳を下ろす美神の姿は不思議な光景として映っていた。


「あ、あの……美神さん?」


戸惑いがちにかけられた横島の声に、美神は今一度鉄拳を振りかざそうと身体に力を込めるが、
やはり気持ちは落ち着いたままで、どうしても行動に移す事が出来ない。
しばらく睨み合うように見詰め合っていたが、ため息と共に美神の方が先に折れる事になった。


「話を……聞きましょうか、横島クン。」


彼女の口から静かに発せられた言葉は、横島にも美神自身にも微妙な違和感を与えていた。



―――――――いつもの美神令子らしくない、と。






第四話―――――――『縁(えにし)の断絶――後篇』






《1997年12月28日》


サン・ピエトロ広場―――――――早朝。


サン・ピエトロ大聖堂を正面に、巨大な列柱回廊に囲まれた直径240mの円形広場。
中央に位置する象徴的なオベリスクからは絶対的な秩序が感じられ、
回廊の上に立つ140体もの聖人彫像が、下行く巡礼者達を見守っている。


「で、ウチの事務所を辞めたいってのはどういう事かしら?
 悩んでたのは知ってるけど、なんでそういう答えになったのよ。」


そんな広場の中、ドーリア式の円柱にもたれかかり腕を組んでいる美神令子。
彼女はおキヌがまだ眠っている事もあり、横島を連れてこの広場まで歩いてきたのだ。
暖房の効いていたホテル内とは違い、肌を刺すような冷たい外気が今はとても気持ち良かった。
そのせいなのか美神の口調は、怒るでも諭すでもなく純粋に話を聞こうとする落ち着いたもの。
その雰囲気は横島にも伝わっており、緊張し直立不動だった身体から無駄な力を抜く事が出来た。


「俺は、ルシオラが好きになってくれた俺でいたいんです。」


これがルシオラ復活への決意表明なんだと思うと、横島の口から誤魔化しの言葉は出てこなかった。


「俺、ホントどうしようもないバカで、煩悩の塊で、ろくでなしなんです。
 だから、美神さんの所にいるとアイツの事、少しずつ忘れちまうんです。
 俺が生きていられるのは、アイツのおかげだってのに……、
 俺は―――――――アイツを記憶からも消しちまおうとしてる。」


美神には自虐的な言葉に聞こえたが、横島の目はしっかりと前を向いていた。


「アイツ、死んじまうってわかってて、俺に嘘ついたんスよ。
 自分は大丈夫だから俺のいる世界を守れって……美神さんの所へ行けって、
 あの時ちゃんとわかってれば、きっと文珠でなんとかなったはずなのに、
 俺がどうしようもないバカだから、アイツにあんな嘘つかせちまったんです。」

「嘘を……つかせた?」


複雑そうな顔をしている美神を見て、横島はクスリと苦笑を浮かべた。


「俺、美神さんの事も好きだったんですよ。」


何を今更。さんざん飛びついたり、風呂を覗こうとしていた癖に。と普通は思うだろうが、
横島という人間にいたっては、それらは本能に近いもので恋愛感情というものではない。
魅力的な女性であれば全てに反応してしまう、悲しい性の持ち主なのだ。


「女に好かれるなんてのは初めてで、浮かれて舞い上がっちまってた俺と違って、
 アイツは俺の事、俺自身が気づかないトコまで、しっかり見ててくれて……
 だから、アイツ死ぬ間際だってのに、俺を美神さんの所へ行かせたんです。」


美神は告白のようなセリフで少し顔を赤らめたものの、横島の言葉を静かに受け止めていた。
なぜなら、彼の告白は「好きだった」という過去系だったのだから。
ルシオラには、横島と自分の関係が相思相愛にでも見えたというのだろうか。
何故死ぬ間際、苦しくて寂しくて怖いはずなのに、嘘をついてまで独りになったのだろう。
そこまで考えて、美神はルシオラの横島への想いの強さに改めて気付き愕然とした。


―――――――まさか……自分の命より、横島クンの幸せを考えて、嘘をついた!?


助けてと泣き叫びもせず、横島忠夫の背中を嘘で勇気付け、自分の元へと送り出したというのか。
横島忠夫を好きかどうかもわからない自分なんかに、彼女は好きな男の幸せを任せたというのか。
自分の命を注いでまで救った男の幸せを、他の女なんかに任せるというのか。


―――――――ルシオラ……アンタ、なんて、なんて強い女なの。


まず自分ありきの美神令子には、到底真似することの出来ない想い方。怖いほどに純粋で一途。
美神令子の中で、ルシオラという女魔族の存在が急速に大きくなっていった。
そうしてようやく、目の前に立つ横島忠夫が何に苦悩していたのか理解する事ができたのだった。


「俺は結局、中途半端な想いでアイツを振り回しちまった。
 いきがって格好つけたくせに、最期の最期でアイツを独りにしちまったんです。
 そんなアイツに対して、俺は何一つもしてやれなかった……。
 アイツと出会って、アイツの命をもらって、何も変わらないままじゃ駄目なんスよ。
 俺の中にいるアイツに、俺との出会いが無意味だったなんて思われたくないんです。」

 
横島の中に貯めこまれた想いの欠片達が、次第に神聖な誓いへと言葉の音色を変えていく。


「俺はルシオラの事、一生忘れるつもりはありません。
 それに、アイツの事を守れなかった自分も許せそうにありません。
 アイツの前で格好つけて、いきがってみせた俺を嘘のままにしたくありません。

 だから俺は―――――――アイツが惚れてくれた俺になってやりたいんです。」


美神はそれまでで一番強い横島の視線に、胸を絞め付けられていた。
死者への強い想いは危険。ろくでもない結果に繋がる事が多いとわかっている。
だが、それを止められるだけの何かが自分の中に存在しない事もまた、美神はわかっていた。


―――――――ルシオラの強い想いに……私は勝てない。


美神令子は、ルシオラという存在に対して、心のどこかで敗北を認めてしまったのだ。
そしてそれは、ルシオラの強い想いを受け止め、
向かい合うと決めた横島忠夫の強さに対しても同じであった。
彼女の口からは、長く深いため息が白い煙となって吐き出された。


「そう―――――――もう、決めてるのね。」

「はい、美神さん達といると居心地が良すぎて甘えちまうんで。」

「そう……それで、どうするつもりなの?」


お互いに答えが決まっているからだろうか、二人の口調は軽くなっていた。
ふっきれたように口元に軽やかな笑みを浮かべて美神は問いかける。
それに対して、何の不安も見せずに横島も笑いながら答えるのだ。


「強くなります―――――――色々。誰よりも、絶対に。」

「はっ。似合わないわねぇ横島クンには。
 そんなにあの子の前で、カッコつけた事言ったの?」

「わははは、そうっスね。
 結構恥ずかしい事も言いまくりましたからね、
 ま、若気の至りってやつっスよ、わはははは。」


春になれば横島忠夫は19歳になる。
もう少年でも青年でもなく、大人へ向かう年齢になるのだ。
美神はもたれていた石柱から離れ、背筋を伸ばし冷たい空気を肺にゆっくりと満たしていく。
認めるべきなのだろう。目の前の男は、今、確かに大きな成長の時を迎えようとしているのだ。


「―――――――わかったわ。
 横島クン、アンタの好きなようにしなさい。
 私は止めないし、止められそうにないから。」

「美神さん……。」

「ただし、自分で納得がいくまで強くなったら顔を見せにきなさい。
 それまで、アンタのGS免許は見習いのままよ。
 いいわね? 私はアンタのGSの師匠でもあるんだからね。」


横島忠夫の前で誇らしげに優しく微笑む美神令子は、とてつもなく美しく見えた。
その名にも、この英雄たちに見下ろされる聖地にも負けない。強い美の女神がそこにいた。


「はいっ! そん時には、美神さんに一人前のGSだって認めさせてみせます!」


そして横島忠夫も頼りなかった少年のそれではなく、聖戦に向かう戦士のような男の顔で応えるのだった。
それを見て満足そうに頷いた美神令子。だが、彼女の中の弱い部分がジワリジワリと震えだしていた。
横島のGS免許を見習いのままにすると言ったのは、彼との関係が完全に切れる事を無意識に恐れたからだ。
だからといって、弱い自分を彼に見せる事は、彼女のプライドに関わる大問題。
湧き上がる想いを堪えるために奥歯を噛みしめ、大きく手を振りかぶり力いっぱい横島の肩を叩いた。


「いってらっしゃい!」

「はい!」


力強く送り出された横島は、美神に背を向けまっすぐに広場の出口へと歩き出した。
回廊の上に立つ聖人達と美神令子に見送られながら、ゆっくりとした足取りで歩き去っていく。
美神はその背中を記憶に焼きつけながら、大きな喪失感と彼を送り出せた自分への満足感で揺れていた。
そんな中、広場の出口まで辿りついた横島が、初めてこちらを振りかえった。
彼は行き交う多くの巡礼者の目も気にせず、大声で最後の別れを口にしたのだ。


「美神さん―――――――今まで、ありがとうございましたっ!」


彼の声に驚いた白いハトが一斉に大空へと舞い上がった。
青の中に溶け込む白の群れ。降り注ぐ朝の日差しの中キラキラと純白の羽が舞い降りてくる。
直立の姿勢から綺麗に腰を折って誠心誠意のお辞儀をする横島。
長い、とても長い時間を彼はそのままの姿勢で精一杯の感謝を表していた。

―――――――美神令子の我慢は、それを見て限界を越えたのだった。



ツツゥ―――――――



静かに両目からこぼれた涙の雫が、彼女の頬を流れていった。
それは、前世に関係無く、確かに美神令子本人が流した涙であった。
頭をあげ、一気にホテルへと走り出した横島忠夫の顔にもまた、涙の煌きが輝いていた。
それは間違い無く、今世の二人で紡いだ1年半以上の長い時間が流させた涙である。


―――――――今誰かに、好きだったかと聞かれれば、好きだったと答えるだろう。


美神が涙をぬぐい見上げた空は、彼の旅立ちを祝うかのように何処までも澄んだ青空。
純白の羽を広げ空を飛ぶハト達が、円形広場の上空を優雅に旋回し、広大な空の彼方へと飛び去っていく。
溢れた気持ちを落ち着けると、らしくないわと頭を振って苦笑する。
そして、もう一度遠くの空に視線をうつし、彼女もまた最期の別れを口にした。




「バイバイ―――――――横島クン。」




しばらくして、顔を叩いて気合を入れた美神の頭に浮かんだのは、横島忠夫の事ではなく、
部屋に残してきた、酔いつぶれ眠っている可愛い妹分の事であった。


―――――――はあ、おキヌちゃんになんて説明しようかしら。


美神令子。弱いだけの女ではないのだ。
彼女のなかで揺れていた喪失感はすでに消え去り、今はやさしい満足感が胸に広がっていた。


―――――――頑張りなさいよ、横島クン。






こうして、千年を越えた縁に結ばれし二人の恋は、完全に断たれたのであった。






一方、走り去った横島は―――――――。


「わははははは、見たかルシオラっ、聞いたかラプラスっ
 俺はっ、俺は―――――――美神令子という恐ろしい試練に打ち勝ったんじゃ〜〜!!
 ルシオラとのラブラブ生活へ大きく前進っ、待っててくれよルシオラ〜。」


ホテル《アトランテ・スター》に戻り荷物を纏めながら、歓喜と勝利の涙を流し続けていた。
それほどに嬉しかったのか、それほどに美神令子に刻まれた深層心理への恐怖が大きかったのか。
揚句の果てにはベッドにダイブし、ルシオラへの妖しい妄想に身悶えをするのだった。


『クックック、見事な決意表明だったよ―――――――横島忠夫君。』


横島が達成感を様々な喜びの形で表現し尽くした頃、彼の中に潜むラプラスから声がかかった。
美神令子と横島忠夫が話している間、横島の中で静かに事の成り行きを見守っていたのだ。


「お!? だろだろ〜? うわっはっはっは〜
 俺はもう自由やっ、いつでもルシオラの元へ飛んでゆける!
 わはははは、第一の試練はこれで突破やろ、ラプラス!」
 
『ああ、ルシオラ君への嘘偽り無い、想いの強さを感じさせてもらった。』

「へへっ、照れるやないか。」

『照れる必要はない。君の中にいる私だからこそ断言できるのだよ。
 君のルシオラ君への想いは本物だと、私もそんな君の使い魔になれて誇らしいのだ。
 改めて私も誓おう、君を必ずルシオラ君と共に過ごせる幸せな未来へ導いてみせると。』

「―――――――おう! 頼むぜ、ラプラス!」


ラプラスの過剰に演出された言葉が、横島の中に充実した達成感を与えていく。
それと同時に、ラプラスへの信頼度が一気に膨れ上がっていくのをラプラスは感じ取っていた。
これで後は、横島に近しい者達から遠く離れてしまえば、大きな問題は起こらないはずである。
しいて注意すべき存在をあげるなら、横島の両親におキヌと小鳩の4人、それと神魔族であろう。


―――――――このまま第二の試練へ進んでも問題は無い、とは思うのだが……。


神魔族は双方ともアシュタロスが消滅した事で、色々と慌しくなっているから大丈夫としても、
4人の注意人物の中、横島の両親にはラプラスにも予測が難しいほどの行動力があったりする。
縁の呪いで結ばれた女性という訳では無いのだから、どこかで遭遇しても問題はない、
だが、とてつもなく、わずらわしいのも間違いないとラプラスは予測していた。
それに横島忠夫に対しても、ラプラスには不安な点がいくつか存在するのだ。


―――――――ふむ、やはり少しでも問題になりそうなものは排除するべきだろうか。


『そういえば……少し確認しておきたい事があるのだが、いいかね?』

「ん? なんだよ?」

『先程の決意表明は見事なものだったのだが、文珠を使った縁切りのまじない、
 結局のところ―――――――どのような効果があったんだね?』

「ん〜、そうやなぁ……これといって特に感じなかったんやけど、
 美神さんの前に立っても、怖くなかったって事くらいやなぁ。」


横島は縁切りのまじないで、自分や美神に大きな変化があったとは認識していない。
その事を確認し、ラプラスは文珠による縁切りのまじないの効果を考える。

美神の前世であるメフィストは、横島の前世である高島と強い想いで結ばれている。
魂に刻まれた言葉にならない想いは、時を越え再び同じ魂とめぐり合えた時、
お互いを認識しあい、それが強い執着心となって今世に影響を与える。

縁の呪い(のろい)とは―――――――この執着心の事である。

そして、横島が文珠によりおこなった『縁』『切』のまじないは、この執着心を消したのだ。
輪廻を超えて魂に残り続けた強い想いを、文珠はいともたやすく断ち切ってみせたのだ。
横島が美神に恐怖を感じなくなったのは、美神への執着心が消えた事で、
ルシオラ復活への覚悟が決まり、恐怖を打ち消す事ができたのであろう。

美神の場合は、もう少し複雑になるだろうか。

横島への執着心で1年半以上クビにすることもなく、彼を雇い続けてきた。
そのため、横島との間にある今世の縁も強くなっているのだ。
ただしそれは恋愛感情ではなく、どうしようもない弟分といった親愛に近いものだろう。
美神が横島を前世に関係無く、一人の男として意識するようになったのは、
アシュタロスとの戦いで、横島が急激に成長しはじめてからの事だと思われる。

だが、その変化を横島に与えたのはルシオラという女魔族なのだ。

それゆえ、縁切りのまじないによって前世からの執着心を消されてしまうと、
美神の中で生まれた横島への小さな恋愛感情など、ルシオラの存在に勝てる訳も無かった。
そして、横島からルシオラへの強い想いと、旅立ちの決意を聞かされていた時、
美神の中に残っていた感情は、成長した横島への誇らしさと、
もう一緒には過ごせなくなる騒がしくも楽しい日々への喪失感。

それと、わずかな―――――――失恋の痛みであったのだろう。

ラプラスは縁切りのまじないの効果が、前世での縁のみを断ち切ったのだと理解した。
おそらくは横島に前世からの縁の呪いについて話をしたために、文珠に念を込める時、
縁と言うものを、過去からのものだとイメージしてしまったのだろう。
そのために今世の縁は残り、横島自身に大きな変化を感じさせなかったという訳だ。


『文珠2つの力では、気休めよりはマシといった程度のようだね。』

「まあ、まじないなんてのは、そういうもんやろ。
 それより、これからどうすりゃ良いんだ?
 次は第二の試練ってのに挑まなきゃあかんのやろ?」


横島の心はすでに、次の試練へとむかっているようだ。
ラプラスはそれを良い傾向だと思いつつも、自分の思惑へと誘うべく囁きはじめた。


『そうだね、次は第二の試練について君に告げなくてはならない。
 ただ、その前に氷室キヌ君や花戸小鳩君に対しても、
 文珠による縁切りのまじないをやってもらいたいのだよ。』

「おキヌちゃんや小鳩ちゃんにも?
 なんでだよ、会わないようにすりゃええんやろ?」

『それはそうなんだがね、君がこれから挑む第二の試練は長い時間を必要とするのだよ。
 美神令子君とは縁切りをしたから大丈夫だろうが、その二人は君の事を心配し不安になるだろう。
 私にはそれが高確率で予測できてしまうのだ……だから少し、彼女達が可哀想な気がしてね。
 それに、君も彼女達が元気じゃなかったりしたら、試練に集中できないだろう?』


そうラプラスに囁かれ、横島の脳裏におキヌと小鳩の悲しそうな顔が浮かんだ。
本当に悲しむかどうかはわからないが、少なくとも心配はされると横島にも思えてくる。


「……そうだな、美神さんからの説明だけじゃ……心配かけちまうかもな。」


この時、横島はルシオラへの決意表明をしてきたばかりだというのに、
他の女性の事を心配をしている。本人はその事を特におかしいとは思っていないし、
やましい気持ちの無い、単純に彼女達を心配する気持ちではあるのだが、
ラプラスにとってはそういった横島の心の動きすらも、邪魔なものでしかないのだ。


―――――――ルシオラ君以外への無駄な優しさも、私には不安の一つなのだよ。


乗り気になった横島が、ベッドの上で姿勢を正し文珠を出そうと集中しはじめる。
手の平に光が現れる前に、今気がついたと言わんばかりにラプラスから声がかかった。


『そういえば、君が今出せる文珠は、あと2つか3つだったね。』

「ん? ああ、残りは2個……って駄目やないか!?
 縁切りのまじない一回しかできないぞ?
 一個できるのに5日くらいかかるから……やるとしたら10日後だな。」

『10日か、それでも別に構わないのだが……。』


ラプラスは、話の途中で何かを考えるように押し黙ってしまった。


「なんだよ、なんか困ることあんのか?」

『ああ、今は文珠を余り無駄使いして欲しくなくてね。
 ふむ……そうだ、横島忠夫君。
 ルシオラ君との縁―――――――それ以外を切るようなイメージはできないかね?』

「ルシオラとの縁以外を、切る…?」

『そう、そうすれば氷室キヌ君や花戸小鳩君との縁の呪いを切れるし、
 他の女性との今世の縁も切る事ができる、文珠も『縁』『切』の二つで良いはずだ。
 まじないの効果が薄いとはいえ、君から美神令子君への恐怖を消したように
 彼女達からも君への心配や、悲しみといった感情を押さえる位の効果は望めるだろう。』


どうだろうかと、問われた横島はラプラスの提案について考えてみる。
ルシオラとの縁以外を切ると言う事は、ルシオラとの縁が一番強いものになると言う事だ。
それはつまり、ルシオラ復活の可能性が格段にあがる事を意味している。
だが、縁を切ってしまう事に若干の寂しさも感じていた。
効果が薄いといっても、文珠のまじないだ。多少の不安がある。


「……けど―――――――ルシオラの為、だしな。」


そう、ルシオラ復活のためだ。横島は心を決めて文珠を具現させ強く握りこんだ。
ラプラスは、横島が不安を感じながらもルシオラを優先させた事に満足していた。
そして、わずかに残った不安も消してしまおうと、やさしく囁きかけるのだ。


『どうやら、やる気になってくれたようだね。
 でも、そんなに意気込む事もないよ、あくまで気休め程度のまじないだ。
 何か不都合が生じたら、ルシオラ君を復活させた後にでも元に戻せば良いだけの事だよ。
 『縁』『切』りが出来たのだから、『縁』『結』びもまた、可能だろうからね。』

「っおお! なるほど…!
 そうかそうか、縁結びのまじないをすりゃ良いんだよな!」


いともたやすく不安を打ち消したラプラスは、細く笑みを浮かべながら更に囁く。
横島の決意を後押しするかのように、自分の思惑へより深く横島を誘いこむかのように。


『さあ! 君はルシオラ君の縁だけを守ることを考えたまえ。
 それ以外の全ての縁を断ち切って、ルシオラ君との縁を強いものにするんだ。』

「ああっ、わかってるよラプラス!
 俺が求めてるのは、ルシオラとの縁だけだ!
 それ以外はいらねえ、ルシオラ復活の邪魔になる縁なんざ切れちまえっ!!」
 

横島の手の中で二つの文珠が輝きだし、横島のイメージに従いその力を解放する。




『縁』『切』




文珠の文字が浮かんだ瞬間、光がはじけ青白い光の粒子が横島を包み込んだ。
その眩しさに目を瞑る横島の中で、ルシオラへの想いが更に大きく、強くなっていく。
ルシオラとの記憶がどんどん鮮明になっていくような、すぐそばにいるような感覚。
横島は記憶の中にあるルシオラの体温を思い出し、ベッドの上で身体を丸め込んだ。
そうすると、胸の中にある温もりが自身を優しく包んでくれているのを感じられた。


「ルシオラ……。」


今まで以上に自分の中にあるルシオラの霊体を感じる事ができるようになっているのだ。
横島はその事に歓喜すると同時に、触れる事の出来ない彼女の体温に切ない涙を流すのだった。


『―――――――変化はあったかね?』


ラプラスは横島をいたわるように、やさしく静かに話しかけた。


「……ああ、上手く言えんけど……あったと思う。
 とにかく……無性に早く、ルシオラに会いたくなった。
 アイツの事、すごく近くに―――――――感じる。」

『そうかね……それは良かったね。横島忠夫君。』


横島は身を丸めたまま、顔を上げずに答えた。
真面目な泣き顔は見せたくない、照れ臭いという感覚なのかもしれない。
どちらにしても、横島の中にいるラプラスには鏡でもないと確認できないのだが。


『それ以外には、おかしな所はないかね?』

「いや、多分ないと思うんやけど……ルシオラの事以外、
 今はちょっと……考えられん。悪いな、ラプラス。」

『いや、構わないよ。ルシオラ君への想いが強まったのは私にも感じられたからね。』


ルシオラの事以外考えられない。それさえ聞ければ十分だった。
ラプラスは大声で笑いたい衝動を抑え、いつも通りの声で横島に話しかける。


『第二の試練については起きてから話す事にするよ、君は少し休みたまえ。
 昨日から一睡もしていないだろう? それに緊張の連続で君はお疲れだよ。』

「……そうだな、そういえばお前と会ってから疲れることばかりやないか。」

『クックック、運命に抗う戦士にも休息は必要だ。
 それに今眠るならば、君はきっと良い夢を見れると高確率で予測できるよ。
 だから、安心してルシオラ君への想いに身をゆだね、幸せな未来を夢見たまえ。』

「はははっ、お前のお墨付きなら安心だな。
 んじゃ、まあ……ちょっと眠らせてもらうか…な。
 ふあ〜……おやすみ―――――――ラプラス。」




『ああ、良い夢を―――――――横島忠夫君。』




時刻はまだ朝の8時を過ぎた頃。
窓からさしこ冬の太陽が、この部屋を明るく照らすにはまだ一刻の猶予があろう。
横島忠夫からは、すでに穏やかな寝息が聞こえている。
その口元に浮かぶ笑みが、どんな夢を見ているのか容易に想像させた。
きっと夢の中ではラブラブでウハウハな未来を見ているのだろう。
ラプラスは伝わってくる、ヨコシマで嬉しそうな感情に自分の思惑の成功を確信していた。


―――――――文珠のまじないによる、縁の断絶。本当に文珠の力は素晴らしいよ。


ラプラスは文珠の力を《万能》に限りなく近いものであると予測している。
横島には、まじないは気休め程度だと言ったが、実際は確実に縁を断絶するものだったのだ。
文珠2つの効果がどれほどの範囲だったかは、さすがのラプラスにも予測できないが、
少なくとも横島の知人や顔見知り達との縁は断ち切ることができたと実感している。
なにせ、横島忠夫の中にはルシオラの事以外に強い感情など存在しなくなったのだから。
ラプラスが聞くか、本当の偶然で出会うとかしないかぎり、思い出す事もないだろう。


―――――――クックック、これでかなりの不安要素を解消する事ができた。


縁とは男女間だけのものではない、友人や親類などの間にも強い縁は存在するのだ。
これから長い時間をかけ、横島に囁き続けなくてはならないラプラスにとって、
横島忠夫の人間関係は全てが邪魔でしかなかったのだ。
そして、横島忠夫にもルシオラ以外の事になど、気をかけてもらっては困るのだ。
だからラプラスは横島に囁き、今の縁切りのまじないで、それらを一気に断ち切らせたのだ。


―――――――君に残る縁はルシオラ君と、君の魂に絡み付くこの私だけだよ。横島忠夫君。


縁の断絶―――――――それは、世界からの孤立を意味していた




『クックック、ああ、早く君に囁きたいよ―――――――君の向かう最悪で過酷な未来を。』




ラプラスの笑い声は、横島忠夫には聞こえない。








なぜなら、彼は今―――――――最高に幸せな未来を夢見ているのだから。








―――――――文珠使い 第四話 縁の断絶――後篇 END―――――――


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