蛇身をくねらせ、夏子が─いや、造魔『キヨヒメ』が、その鎌首をもたげていく。
喉からは空気の漏れるような威嚇音が、縦に割れた瞳孔は刺すように睨み付けてくる。
常人なら怖気づくその異様に、だが刻真たちは冷静に向き合う。
「…さっきまでの横島の暴走も、無駄じゃなかったみたいだな。」
「そうね。」
刻真の呟きに、タマモが頷く。
落ち着いて見れば、キヨヒメの体にはあちこちに深い裂傷が刻まれ、その息も荒い。
なかなか仕掛けてもこないところからも、弱っていることは確かだ。
「でも、油断はしない方がいいと思う。」
「同感でござるよ。」
妖孤と人狼の勘が告げるのだろう、シロとタマモが頷きあう。
追い詰められた獲物ほど手強いのは、世の常である。
二人の意見に刻真は少しだけ、顎に手を当て思案する。
「…少しだけ時間を稼いでくれれば、俺がこいつを全力で撃てる。」
刻真が霊気を収束させると、その右手に巨大な漆黒の銃が現れた。
かざしてみせる刻真に、横島が頷く。
「それで行くか。」
「よし! じゃあ、シロとタマモは撹乱と牽制を!!」
「心得た!!」
「まかせて!!」
二人は答えるが早いか、すぐにキヨヒメの両側へと回り込んでいく。
「横島!!」
「おう!!」
「お前は、囮を頼む!!」
「おう…って、ちょっと待てェ─ッ!!」
勢いに任せて思わず返事をしてしまったが、今のは聞き捨てならない。
横島の突っ込みに、刻真は首を傾げる。
「何だよ? どうかしたか?」
「どうしたもこうしたも、何で俺がそんな危ない役をやらんといかんのだ!?」
「え? だって、夏子さんはお前を狙ってるんだし、お前が引きつけてくれれば、俺たちは楽だ。」
さも当然と言わんばかりの刻真に、不意に自分の雇用主が重なって見える横島。
軽く頭を振って、その不吉な幻影を振り払う。
「いや、だからって何で俺がそんな目に…!!」
「今更ごちゃごちゃ言うなよ。…銀一さんのガードも忘れるなよ! 行くぞ!!」
「おい…あーもうッ!! わーったよ!! やるよ、やりゃーいいんだろ!!」
やけくそ気味に叫んで、横島も刻真の後を追う。
ただ一人。その場に、己の無力感に唇を噛む、銀一を残して。
「シャアアァァ──ッ!!!」
夏子の叫びとともに、衣の長い袖から伸びた爪が振り下ろされる。
それを霊波刀で受け流しながら、シロが叫ぶ。
「く…ッ、まだでござるか!? 結構、しんどいでござるよ!!」
「弱音を吐くんじゃないわよ!! アンタ、武士でしょ!?」
タマモが自らの周りに浮かべた狐火を放ちながら、檄を飛ばす。
まあ、まだそう言えるうちは、両者とも余裕がある証拠だ。
と。
「ひィッ!! あかーん、もうダメだァ─ッ!! 限界じゃ─ッ!!」
「………まあ、師匠があれだもんね。」
すっかり普段のテンションに戻った横島が、霊波刀を振り回して逃げ回っていた。
その姿ははっきり言って、情けなく無様だった。
「うぐッ…!! せ、拙者と先生の名誉のためにも務めを果たさねば…!!」
さらに気を引き締めて、シロは霊波刀を構えた。
だがしかし、二人はあまり気付いていないようだったが、横島とてただ逃げてるわけではない。
時折、シロたちを先に倒そうとするキヨヒメを攻撃しては、注意を引いている。
逃げる方向も銀一がいる方向とは逆方向。
銀一に向かう攻撃は、『栄光の手』を伸ばして弾いたりと頑張っていたりもする。
ああやって騒いでいるのも、夏子の気を引くためだろう…多分。きっと
蝶のように舞い、蜂のように刺し、ゴキブリのように逃げる。
横島流戦闘術の真骨頂、ここに在り。
「……ちゃんと役目は果たしてるんだけどなぁ…。」
呆れているのか感心しているのか判断しかねる表情で、刻真は少し離れた場所で呟く。
もちろん、自分もまた自分の役目を果たすために、だ。
表面上は余裕があるように見えるが、その実、手元では恐ろしいほど精密な制御をこなしていた。
内側から弾けそうになる力を無理やり捻じ伏せ、構えた銃へと注ぎ込んでいく。
ただ、それだけのことだが、自身の力はそれだけに留まらないことを、刻真は知っている。
そう…嫌というほど、知っている。
長さ五十cmはあろうかという銃身を胸元に寄せ、祈るような構え。
ふいに、銃を構える刻真の手が、そして腕が黒く染まり始める。
さながら、銃身の漆黒が滲んでいくかのように。
それを目にした刻真の目が、見定めるようにわずかに細められる。
(…まだだ。まだ…いける…。)
やがて、銃身にある宝玉がライトグリーンの輝きを放つ。
それは同じく銃身に刻まれた無数の回路を走り、模様を描いて銃口へと集束する。
充分…いや、限界か。
そう判断を下し、刻真は顔を上げた。
「─ッ退け!!」
その声を合図に、シロとタマモが大きく後ろへ跳び退く。
キヨヒメが、はっとした表情でこちらを振り向くが、もう遅い。
刻真は、引き金を引き絞った。
まさに一閃。
銃口から真っ直ぐに伸びた光弾は、キヨヒメをやすやすと貫いて虚空に消える。
光の残像を網膜に灼きつけ、防御する暇すら与えずに。
「…ッガ、ァ…ッ…ハ…!!」
ぎこちなく首を動かし、己の体を見下ろすキヨヒメの胸に、大きく孔が穿たれていた。
人一人の胴回りほどの孔からは、血の一滴すら流れていない。
やがて、キヨヒメの体がぐらりと傾ぐとともに、血が流れ出るより早く変化が始まる。
キヨヒメを覆うように仄かな光が浮かび、その中でキヨヒメの体が粒子となって崩れていく。
そして代わりに現れる、夏子の姿。
「やった…!!」
「夏子…!!」
これで終わる。
皆が安堵の表情を浮かべ─。
「くッ…ぁあああアア───ッ!!」
倒れいく夏子の体がそこで踏みとどまり、再びその目に険しい光を宿して咆哮した。
途端、周囲の粒子の動きが停止し、続いてビデオの逆再生のように夏子へと戻っていく。
その異様な光景に、刻真の顔が青ざめる。
「─ッ、無茶だ!! やめろ、夏子さん!!」
「な、何だ!? どうなってるんだ?」
眼前の出来事と、刻真のただならぬ様子に困惑する横島たち。
その間にも、夏子の体が再び変貌を遂げていく。
だが、どこかおかしい。
めきめきと音を立てて体が歪に崩れ、尾が肩の辺りから伸びだす。
顔も半分は人のまま、もう半分は蛇と人を掛け合わせたような相貌をとっていく。
その余りの異常さに、横島が耐え切れずに刻真の肩を掴んで揺さぶる。
「おい、刻真ッ!! 一体、なんなんだ!? 夏子は元に戻るんじゃなかったのか!?」
「戻るさッ!! …戻るさ、普通なら。」
いまだ、夏子の体は変化を続けている。
その痛ましい姿から目を離すことも出来ず、刻真は奥歯をかみ締める。
「…造魔は人の夢。人の願望。精神の在り方なんだ。
造魔が崩れるということはつまり、精神が崩れるということ。
強い衝撃を受けた精神は自らを閉ざす…早い話が、気絶する。
…それだけなんだ。それだけのはずだったんだ!!
今、夏子さんは打ち砕かれた精神を無理やり繋ぎとめてる!!
無理やり召喚しようとしてる!!
でも、それは更なる負荷を精神に与えること!!
耐えられない!! 人の精神で耐えられるはずがないんだ!!」
横島たちに説明するというより、受け入れがたい事実を自らに言い聞かせるように、刻真は一息に叫ぶ。
わずかな、だが異様に重い沈黙。
「…じゃ、じゃあ…夏子はどうなるんだ…?」
横島は自分の指先が冷たくなっていくのを感じながら、震える声で問う。
「…このままだと、人に戻せなくなるか、助かっても精神が崩壊。最悪の場合…。」
そこで、刻真は目を伏せる。
その先を言う事で、それが現実になることを怖れるように。
「そ、んな…。」
「それじゃ、どうするんでござるか!? もう一度、倒すしか…!!」
「それは駄目だ!!」
向き直り構えようとしたシロを、刻真ははっとしたように引き止める。
「すでに夏子さんの精神はかなりの負荷を受けてる!! これ以上は本当に精神を壊しかねない!!」
「じゃあ、どうするんでござるかッ!!」
「そ、それは…。」
「─あッ、近畿君!?」
不意に聞こえたタマモの声に見れば、銀一が夏子へと向かって駆け出していた。
「銀ちゃん…ッ、駄目だ!!」
「待つでござる!!」
横島とシロが先を阻むが、それさえも乱暴に押しのけ振り払う。
不完全な変身を続ける夏子の元へと、恐れずにただひたすらに駆ける。
手を伸ばせば届くほどの距離で足を止め、銀一は夏子を見る。
苦しげにうめきながら、侵食されていく夏子の姿。
「ぐ…ッ!! ……もう、やめぇや、夏子。」
ばぎっ、と音がするほど奥歯を噛み締めてから、銀一は擦れた声を絞り出す。
だが、その声も夏子には届かない。
変わらず変身を続ける夏子に、苛立ったように銀一は声を荒げる。
「もう、やめぇ!! 夏子、これがお前の望みか!? ホンマにこんな事を望んどったんか!?」
「ウぅッ……ッシャアァァ──ッ!!」
夏子の右肩あたりから伸びた尾が唸り、銀一の傍の床に叩きつけられる。
床は簡単に砕け、周囲に建造材の破片を撒き散らし、幾つかが銀一の身体にも叩きつけられる。
背後で、「危ない!!」「さがって!!」などの声が聞こえた気がした。
それでも退けない、と銀一は思った。
自分は、何一つしていないし、伝えたいことすら伝えていない。
退くわけにはいかない。
「つッ…約束したやろ!! お前、ちゃんと幸せになるって!!」
脳裏に蘇るのは、幼い頃の苦い記憶。だが、大切な記憶。
彼女に告白し、玉砕して身を引いた、あの日の約束。
「せやのに、その結果がコレか!? 俺はこんなことのために身を引いたんちゃうぞ!!」
自分の想いが破れても、どうか幸せにと応援したのは。
身を引いてまで見たかったものは。
楽しそうに笑う彼女が見たかったから。
「もう、俺は譲らへん!! お前は…俺が幸せにする!!」
ぴくっと、わずかに夏子が反応する。
後ろで、横島が驚いたような気配を感じる。
だが、もう関係ない。
自分は演技をやめたのだ。好きだという感情を押し殺す、笑顔の仮面は捨てると決めた。
「横っちに負けへんくらい、お前を幸せにするよう頑張るから!! …だから。もう止めてくれ、夏子ぉ…!」
誰も動けなかった。
横島も、シロも、タマモも、刻真も。夏子でさえも。
その場の全員を縛り付けるほど、抑え続けられた想いは激しく。
だが、夏子の身体が小さく震え始め。
「ガッ、ァ、アァァァァァ──ッ!!」
「!! まずい、伏せろォッ!!」
咆哮と、続く刻真の警告。
夏子の尾が弧を描いた次の瞬間、衝撃波が円状に広がって抜ける。
そして─。
「え?」
横島の傍らを、『何か』が飛び越えていく。
その『何か』に、刻真が身を伏せた姿勢のまま手を伸ばしている。
それはけたたましい音を纏って、硝子をぶち破って窓の外へと放り出される。
周りの時間が、やけに遅く感じられた。
そのゆるゆるとした動きの世界の中で、横島はそれが『誰』であるのかを知り、名を叫んでいた。
「銀ちゃん──ッ!!」
というわけで、ネットカフェからの久々の投稿です。
今回は前半コミカル、後半シリアスと分かれていますので、ちょっと長めに感じてしまう。(でも容量はほぼ変わらず)
それにしても…難産です。いいのか、序盤からこんなで…
後半になったとき、物語が薄く感じられたりしないかと今から不安…(汗
刻真の台詞がちょっと長かったかなぁ、と。
説明するためとはいえ、普通の文章じゃ字面が重くなっちゃうし…と試行錯誤したのですが。
要課題ですな。
さて、銀ちゃんがおっとこ前です。
笑顔の仮面をつけて交わした約束を、仮面を捨てることで破る。
でも、それは自分の心を偽って交わした約束であって、今度こそ偽らない約束を…
なんてテーマで、書いてみたのですが…伝わってますでしょうか?(弱気
衝撃波に吹き飛ばされ、銀ちゃん大ピンチ。急転直下なままお話は次回へ。
横島流戦闘術…蛍はどうした。(撹乱戦法が相当? (詠夢)
コメントの仕様がないんですがとにかく書きたくて。
続き楽しみにしてます (河童)
読みやすいですし、表現もお上手ですし。 (コル)
今回は銀一に引き込まれましたよ。
>「もう、俺は譲らへん!!お前は・・・俺が幸せにする!!」
かっっっっっっけーーーーーぞ銀ちゃん!!
次回はいったいどうなるのでしょうか?楽しみです。が・・・美神とおキヌが出てこなかったのが個人的には少し残念でした。 (鷹巳)
夜華の時とは本当に全然変わってますな〜〜。こっちのほうが好きですな、私は(^^)
というか、詠夢さんの書かれる横島好きだ〜〜……こんな横島を私も書いてゆきたいです。
っていうか…刻真いいよ刻真(笑) (堂旬)
河童 様:
ありがとうございます!
一気に読んでいただけるとは。
しっかりと流れが掴んでいただけていれば、幸いです。
これからも、よろしくお願いします。
コル 様:
面白いといっていただけるのが、何よりの賛辞。
読みやすさには常に気を配っているので、そういっていただけると甲斐があります。
鷹巳 様:
お待たせしました。
銀ちゃんのカッコよさが、伝わりましたようで…嬉しいです。
美神さんたちは、次回!! 次回に活躍しますよー。
というわけで、次回もよろしくお願いします!!
堂旬 様:
ありがとうございます。
練り込みに次ぐ練り込みで、もはや夜華時代の原型は、設定に残っているのみ…(汗
まあ、結果オーライですか?
刻真を気に入っていただいているようで、嬉しい限りです。
これからも、ガンバラさせていただきます。 (詠夢)