椎名作品二次創作小説投稿広場


ツンデレラ

ピノッキオ


投稿者名:UG
投稿日時:05/10/13

第一章:謎の大怪獣


 護衛艦は南を目指し進んでいる。
 横島と美神は夏の日差しが容赦なく降り注ぐ甲板に立ち、双眼鏡で水平線の彼方を見つめていた。
 双眼鏡に切り取られた風景が波の影響を受け落ち着き無く上下に動く。
 乗り物酔いの心配は無いはずの横島だったが、目眩のような気持ち悪さを感じ双眼鏡から視界を解放した。
 ふと隣の美神が気になり視線を向けると、美神も同様に双眼鏡から霊体レーダーを使った索敵に切り替えている。

 「美神さん。謎の大怪獣って何だと思います?」

 横島は今回の依頼内容を口にした。
 数日前から海上で目撃されている謎の大怪獣の調査。
 一昨日はとうとう遊覧船が沈没させられ二名の行方不明者が出ている。
 美神と横島はその正体を探るべく、海上自衛隊の護衛艦に乗りこんでいた。

 「何だか分からないから謎なんでしょ!偉いさんは霊的な存在の可能性を考えているようだけど・・・」

 美神の答えはどことなく歯切れが悪い。
 謎の大怪獣が向かっている方角は、どうしてもある事件を連想させてしまう場所だった。
 あの事件に関わった者たちは、一年近くが経過した今でもあの事件について多くを語ろうとはしていない。
 護衛艦は小笠原方面へ航路を向けていた。
 美神は今回の仕事が、究極の魔体を連想した自衛隊直々の依頼であることを横島には黙っている。

 「クジラの見間違いとかそんなんじゃないんですか?」

 「それなら、それに越したことは無いんだけどね・・・」

 美神にしては珍しい意見に横島の目が丸くなる。
 成功報酬が原則の業界のため、何も見つからなかった場合のギャラは満額の2割に満たない。
 普段の美神ならば対象が見つかるまで意地でも調査を続けるはずだった。

 「やっぱり、フルメンバーじゃないと厳しいですか?」

 横島は美神の言葉を違う意味で捉えていた。
 今回の依頼には美神と横島しか参加していない。
 それは極力民間人を参加させないという依頼主の意向であったが、美神事務所にとっても色々な面で好都合と言えた。
 横島は周囲に聞かれないよう声の調子を落とす。

 「でも、仕方ないですよね。自衛隊との合同作戦にタマモを連れてくる訳にはいきませんしね」

 「それだけじゃ無いんだけどね・・・」

 美神は独り言のように呟いた。
 タマモだけの問題ならばシロ、おキヌまで置いてくる必要はない。

 「でも、おキヌちゃんはいてくれた方がよかったんじゃ・・・相手の正体が霊団だった場合おキヌちゃんがいないのは痛いですからね」

 「へぇ、よく考えているじゃない・・・・・と、言いたいところだけど」

 美神は横島の耳を引っ張り自分の口元へ引き寄せた。
 苦痛に顔をゆがませた横島だったが美神への接近にたちまち口元が緩む。
 しかし、横島に囁かれたのは決して甘い言葉などではなかった。

 「国家権力と関係を深める怖さを分かってないようね。霊能力ばかりで経験が伴っていないアンタたちなんか確実に使い捨ての駒にされるわよ」

 美神の言葉に横島は一年前の戦いを思い出す。
 あの時、国は確かに美神を暗殺しようとした。
 それが実現しなかったのは、皮肉にもアシュタロスの放った弾丸が美神を救ったからだ。

 「・・・・・・まだまだですね俺も」

 横島は素直に自分の至らなさを認めた。
 大きな霊能力と少ない経験、そのアンバランスさを埋めるために美神は日々様々な事を教えてくれる。
 見習いをいつまでも独立させないと同業者の中には美神を非難する者もいるが、それは大きな間違いだと美神除霊事務所のメンバーたちは思っていた。

 「そうよ、アンタはまだまだなんだから・・・ウチでしっかり修行しなさい」

 自分の台詞に照れたのか、美神は再び双眼鏡を手に海上を警戒する。
 接近する大型クルーザーに双眼鏡を向けた時、美神の顎が音を立てて落ちた。

 「美神さん!?なんか異常があったんですか?」

 美神の異変に気づいた横島は急いで同じ方向へ双眼鏡を向ける。
 最初に飛び込んできたのはセパレート型の水着をつけた少女の体だった。

 「おおっ!」

 さっきまでのしおらしさは何処にしまったのか?
 1ミリ秒で鼻の下を数センチ伸ばすと、横島は食い入るように双眼鏡をのぞき込む。
 慎ましい胸、形のよいおへそ、よくしまった太もも、決して色気を感じさせるものではないが健康美というものがそこには感じられた。
 そして左右にチラチラ見え隠れするシッポ。

 「しっぽ????????」

 横島は顔を確認するために双眼鏡を上に移動させる。
 プリチーでござろう?
 双眼鏡の中のシロはそう言っているようだった。
 横島は急いで双眼鏡を左右に移動させる。

 「美神さん・・・美神さんのお母さんが事務所のみんなを連れて来ちゃったんですけど」

 双眼鏡の中では水着姿のおキヌ、タマモ、シロに混じってパーカーを着た美智恵が微笑んでいた。

 プルルルルル

 美智恵が水着じゃなかった事に、内心ホッとした横島のポケットで携帯が鳴る。
 出発前に渡された衛星携帯をポケットから出し横島は通話スイッチを押した。

 「もしもし」

 「・・・・・・・」

 相手からの反応はなかったが横島には電話の主が分かっていた。
 双眼鏡の中では美智恵が同じ形の携帯を握っている。

 「・・・・このパーカーの下、水着だから」

 「な、なんのことです?」

 横島の背中に冷や汗が流れる。
 スナイパーに狙われたとしてもこれほどのプレッシャーは感じないだろう。
 美智恵は携帯を持ったままもったいぶった仕草でパーカーを脱ぐと、成人した娘がいるとはとても思えないプロポーションを横島に見せつける。

 「なんとなく失礼なことを考えてる気がしてね・・・令子に代わってちょうだい」

 横島は美神に携帯を差し出す。
 額には大量の汗が浮かんでいた。

 「バックアップは頼んだけど、みんなを連れてくるなんて聞いてないわよ!」

 ひったくるように携帯を受け取ると美神は一気にまくし立てた。
 双眼鏡の中の美智恵は、まるで大したことでは無いとでもいう風に笑っている。

 「みんな横島君が色々な意味で心配らしいからね・・・連れてきちゃった」

 「・・・どういう意味よ」

 美智恵の声が聞こえているのだろう、双眼鏡の中でおキヌたちの表情が気まずそうに引きつっていた。
 隣りに立つ横島に聞かれないよう美神は口元を手で覆う。

 「万が一、大怪獣の正体がアレだったら危険じゃないの!」

 ひそめるような美神の声に美智恵はあきれたように笑う。
 話題を変えようとする意図が見え見えだった。

 「そんなことコレっぽっちも考えていない癖に」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 図星をつかれ沈黙した美神に、美智恵は話をまとめに入る。

 「とにかく、あなたは二日間この海域の調査につきあって上を納得させる。もし、更に面倒くさいことになりそうだったら、た・ま・た・ま・家族旅行で小笠原で来ているママがなんとかする・・・それでいいんでしょ」

 「面倒かけちゃって悪いけどお願いね。ママ」

 美神はこの仕事の安全弁として美智恵の存在を利用するつもりだった。
 しかし、美智恵も決して無条件で手伝うわけでは無い。

 「公彦さんも前から小笠原に来たかったみたいだし丁度よかったわ。ひのめを見て貰っているからあまり奥地には入れないけど・・・それより、約束通り仕事が終わったらこっちに合流するのよ」

 「わかってるわよ!美神家初の親子水入らずってヤツでしょう」

 美智恵が提示したのは帰国中の公彦を交えた家族旅行だった。
 公彦は現在、小笠原の父島でひのめとの休暇を楽しんでいる。
 不承不承ではあるが美神はこの条件を飲み込んでいた。

 「ついでに横島君も連れてくるのよ」

 「なっ!」

 美神の反論を許さず携帯が切られる。
 クルーザーは作戦行動の邪魔にならないように護衛艦から離れていった。

 「隊長なんですって?」

 横島は代償の大きさに頭を抱えている美神に話しかける。
 聞こえてくる美神の声からでは会話の中身が分からなかった。

 「ただのバックアップの相談よ・・・しかし、ママは一体何を考えて」

 「隊長なら国家権力も手玉にとれそうですからね。タマモも隊長と一緒なら心配ないんじゃないですか」

 横島との会話に食い違いを感じ美神は力なく笑う。
 そして、そろそろ陽が傾き始める事に気づいた。

 「私、これから仮眠をとるから・・・夜になるまでお願いね」

 横島に携帯を戻し美神はあてがわれた船室へと戻っていく。
 あの事件から1年たった今でも、美神とおキヌは夕暮れ時の横島には極力近寄らないようにしていた。
 日常を取り戻したかに見える横島が、夕日を見たときにだけ見せる堪らなく寂しげな表情。
 それを直視できない美神も未だに過去にとらわれていた。

 「・・・交代してくれるってことだよな?」

 その場に残された横島は、美神の心境に気づかず徹夜の予感に冷や汗をながす。
 美神の後に自分が仮眠をとれる確証は無かった。
 先ほどまでの感謝を何処にしまい込んだか、横島は自分の労働環境を愚痴りながら見張りを続ける。
 その愚痴は近づく島影を確認するまで続いた。

 「そういうことか・・・・」

 徐々に近づき形をハッキリとさせ始めた島影には、巨大なエネルギーによって削り取られた傷跡があった。
 横島は即座にそれが1年前に究極の魔体につけられた傷であることに気づく。
 そして、この依頼がなぜ美神と自分に来たのかにも。

 「俺もまだまだだよな・・・みんなに気を遣わせて」

 明らかに独り言ではない口調。
 横島は夕日に向かって語り始めた。









 日は完全に沈み辺りは闇に包まれていた。
 夜空に新月が申し訳程度に顔を覗かせているが、それ以外は護衛艦が出す照明の光のみがあたりを照らしている。
 闇に溶け込んだ海面を覗き込むと、横島は乗っている護衛艦が何も無い空間を漂っているような錯覚にとらわれた。
 海難事故で海面に落ちる自分を想像し、横島は思わず手すりから遠ざかる。

 「ご苦労様。異常は無いようね」

 仮眠を終了させた美神が折りたたんだ敷物と缶コーヒー二本を手に姿を現す。
 そのウチの一本を受け取った横島は、プルトップをあける前に行き先を黙っていた美神の真意を尋ねた。

 「美神さん。本当に今回の件はアレだと思ってますか?」

 横島は多少の非難のニュアンスを込めて美神に質問する。
 気を遣ってくれるのはありがたかったが、仕事のパートナーとして信頼されていない悲しさも感じていた。

 「気付いちゃったようね」

 「いくら馬鹿な俺でも、小笠原と大怪獣と聞けばアレを思い出しますからね・・・」

 自嘲気味な横島の笑顔に、美神は観念したようにため息をつく。
 計画では小笠原には寄港せず周囲の海域を探査するだけだった。
 そのため、目的地を明らかにしなければ只の調査としてこの仕事は終了する。
 美神はそのように判断していた。

 「正直な話、全く思っていないわ。アレはあの時、確かに私たちが倒したもの・・・黙ってたのは悪かったけど余計な心配をすることはないと思ってね」

 横島はその言葉に肩の力を抜く。
 自分が蚊帳の外だったのではないことが分かり救われた気がした。

 「だけど・・・偉いさんは心配なようね。もし、アレが滅んでないようだと人類じゃ私とアンタ以外には止められないからね」

 「だから隊長は・・・」

 横島は自分が心配されていた事に改めて気付く。
 おキヌたちが美智恵について来たのも、自分が早まった行動をとらないよう心配した上での事だろう。
 事実、美神は1年前の事件について自分が思い出さない様に気を遣っている。
 横島はみんなに心配ばかりかける己の身が心底情けなかった。

 「気にする必要はないわ。万が一アレだった場合は何処に逃げても結果は一緒、ある意味私たちの近くが一番安心だわ」

 あっけらかんとした美神の物言いに横島は多少気持ちが楽になった。
 美神は敷物を広げると満天の星空を見るべく甲板に寝そべる。

 「細かいこと気にしてないで星でも見てみたら?今日はペルセウス座流星群らしいわよ」

 「何です?それ」

 美神が指さす夜空を横島は何の気無しに見上げる。
 吸い込まれるような星空に横島は初めて気がついた。

 「今日は流星がよく見れる日なのよ」

 「へぇ、全然知らなかった・・・」

 敷物の半分が空いているのは横島のためであろう。
 横島はその部分に腰を下ろし、美神を真似て甲板に横たわる。
 数分もしないウチに流れ星が横島の視界を横切った。

 「あ、本当に流れましたね。何座でしたっけ?」

 「ペ・ル・セ・ウ・ス!ギリシャ神話の有名な英雄よ!!」

 美神は横島の無知ぶりにあきれながらも夜空を指さしながら星座の解説を始める。
 数多くあるペルセウスの冒険譚の中から、美神はアンドロメダ王女をクジラから助けたエピソードを横島に説明した。

 「・・・で、助けたアンドロメダや倒したクジラ、乗っていたペガサスごと、ペルセウスは星座になったって訳よ」

 「へぇー、なんか御利益ありそうですね」

 「その後、ペルセウスはアンドロメダを・・・・」

 更に説明を続けようとした美神は、流れ星に真剣に祈る横島に気づき口を噤む。
 横島は視界を横切る流れ星に願いをかけ続けていた。
 その姿につられ美神も流れ星に願いをかける。
 流れ星に3度願いを唱える事ができた美神は満足げに横島に視線を戻すが、横島は未だに真剣な顔で夜空を見つめていた。

 「そんな必死に何を願っているのよ?」

 急に声をかけられ、横島は隣りに横たわる美神に視線を移す。
 必死な横島を美神は微笑を浮かべ見つめていた。
 その微笑に見とれながら横島は照れた笑いを返す。

 「内緒です・・・」

 「どーせ、口には出せないようなコトなんでしょ?私はとっくに終わったわよ」

 美神は上体を起こし横島を覗き込む。

 「美神さんは金、金、金だからでしょ?」

 横島は理性維持のため美神にならい体を起こした。
 夜空のせいもあって今日の美神は殊更に色っぽい。
 それを誤魔化すためにふざけた発言をしたのだが、突っ込みを予想したガードは見事に無駄になった。

 「そうよ・・・それ以外の願いは、流石の私も自分の利己主義に嫌気が差すからね」

 美神はそう呟くと立ち上がり、海面を覗き込む為に手すりに近寄る。
 海底から二つの赤い発光体が浮上するのと、警戒のサイレンがけたたましく鳴り響くのはほぼ同時だった。

 「敵襲!!」

 「美神さん!!」

 突如撒き起こった波に美神の足下がよろける。
 横島は美神の体を掴み船外への転落を防いだ。
 既に海上自衛隊の乗組員も異常を察知し、緊急事態に備えるべく各人が配置につきはじめている。

 「信じられない!世界最高水準の霊体レーダーが完全にジャミングされているわ!!」

 美神は慌てて霊体レーダーの画面を覗き込む。
 怪物の正体が潜水艦だったとしても乗組員の霊波は完全に拾える距離だ。
 しかし、既に目視可能な距離にある大怪獣を霊体レーダーは捉えていなかった。

 「美神さん!クジラの様にも見えましたが!」

 船の下側に潜り込んだ大怪獣は既にその姿を消している。
 一瞬だけ見えたその姿は、確かにクジラの様にも見えた。

 「世界最大のシロナガスクジラでも全長33mよ!今のはどう見ても100m近くはあったわ!!」

 美神は霊視スコープで大怪獣の潜り込んだ海面を霊視する。
 微かな霊気のかけらは見つけられたが、肝心の本体は気配すら感じられない。

 「じゃあ、なんなんです?アレじゃ無いことは確かですが」

 横島の声とほぼ同時に、やや離れた海面に謎の大怪獣が姿を現す。
 その方角に向け、護衛艦に装備されている機銃が放たれた。
 20ミリ機関砲をはじめとする様々な武装は、謎の大怪獣をたちどころに肉塊に変える・・・筈だった。

 キン!キン!キン!

 生物らしからぬ金属的な響きを残し銃弾が遙か彼方の海へはじかれていく。
 大怪獣には毛ほどのダメージも無い。

 「だめよ!相手の敵意や能力も分からないっていうのに!!」

 美神の注意が空しく夜空に響いた。
 大怪獣は顔と思しき部分を海面から出し口を大きく開く。
 開かれた口腔内でヒゲが大きくふるえ、クジラの鳴き声のような音がだんだん大きくなる。
 その音を聞いた美神の背筋に嫌な予感が走った。

 「横島!文珠!(静)で早く!!」

 美神の指示に横島は文珠を使用する。
 一瞬で二人の周囲から音が消え失せた。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・!」

 文珠の効果により横島の声は美神には届いていない。
 しかし、美神には横島の言いたいことが分かっていた。
 敵の発した音をまともに聞いてしまったのだろう。
 横島と美神の見ている前で、乗組員は耳を押さえてうずくまっていた。
 どんな悲しい音を聞けば人間はこうなるのか、乗組員は幼子の様に体を丸め滝のような涙を流す。
 その姿は幼児退行を引き起こしているように見えた。

 『音響兵器の一種ね・・・・・・・・・・・・・・・・』

 横島に話しかけ、美神は自分の声も横島に届いてない事に気付く。
 目の前の横島は美神の背後を見据え驚愕の表情を浮かべていた。
 その表情に美神は急いで海に視線をもどす。
 美神の目に、急接近する大怪獣がその姿を空中に跳躍させる姿が映った。
 文珠による静寂の中、照明を浴びた白鯨がその姿を空中に踊らせている。
 美神と横島はその姿に心を奪われていた。

 白鯨の着水と共に周囲の音が甦る。
 轟音と波による衝撃が同時に美神と横島を襲った。

 「!」

 「美神さん!!」

 足下から突き上げる衝撃に、手すりの近くに立っていた美神が船外に振り落とされる。
 美神に伸ばした横島の右手は空しく宙を掴んでいた。

 「チッ!」

 横島は素早く体制を立て直すと、波に翻弄される甲板を這うようにして走り出す。
 美神がつかめる浮遊物をどれだけ投下できるかが勝負の分かれ目だった。
 素早く救命用の浮き輪を大量に投下してから救命ボートに乗り込む。
 霊波刀で救命ボートを留めるロープを切り離すと、降下を始めたボートから振り落とされないよう着水の衝撃に備えた。

 ザバッ!

 かなり荒っぽい着水だったが横島はなんとか耐えた。
 すぐに周囲に視線を走らせ、可能な限りの大声で美神の名を叫ぶが返事は無かった。
 文珠は残り二つ。
 合体の事を考えると無駄には出来ない。
 横島は目を閉じ精神を集中すると美神の霊波を辿りはじめる。
 自分を中心に徐々に意識を広げていくと、30m程離れた海中になじみのある霊体がキャッチできた。

 「美神さん!今いきます!!」

 横島はジーンズとTシャツを脱ぐと真夜中の海に飛び込んだ。
 あてにならない視覚に頼らず、目をつぶったまま潜水を続け美神の霊体を目指す。
 だんだん近づいてくる美神の霊体に手を伸ばすと、柔らかな肌の感触が横島の手に触れた。
 美神の体を抱きかかえ海面に浮上した横島は、美神が息をしていないことに気付く。

 「美神さん!すぐ何とかしますから」

 横島はバンダナを外し美神の両手を縛ると自分におぶさるような姿勢を作り出す。
 苦労しながらも救命ボートまで泳ぎ付き、先端をかぎ爪状に変化させた霊波刀を救命ボートの縁に引っかけた。
 霊気が収縮する姿をイメージすると、二人分の体重をものともせず霊波刀は二人を船の上へ引き上げた。

 「先ずは水を吐かせて・・・」

 美神の体を横向きにし気道確保すると腹部をゆっくりと圧迫する。
 口紅で彩られた美神の唇から海水が吐き出された。

 「人工呼吸しますよ美神さん!嫌なら意識を戻してください!!」

 美神の頬を平手で数回叩く。
 これだけで普段ならリンチ確定だ。
 帰ってこない返事に横島は覚悟を決め大きく息を吸い込む。
 極力美神の唇の感触を意識しないように、美神の気道にゆっくりと息を吹き込んだ。
 美神の胸が横島の呼吸に合わせ膨らんでいく。
 一旦唇を離し、息が吐き出されるのを確認すると再び息を吹き込む。
 横島は美神の自律呼吸が再開するまで人工呼吸を続けた。

 「ん・・・・・コフッ!」

 美神の呼吸が再開し、吐ききれていなかった海水がようやく全て吐き出される。
 苦しそうに咳込むと美神は薄目を開けた。

 「美神さん・・・良かった」

 横島は心底ホットしたように船底に寝そべる。
 ほんの数分の出来事であったが、横島は気力、体力を振り絞り完全に脱力していた。
 その背中が板一枚離れた海水の動きを軋みとして感じ取る。
 姿勢を起こし周囲を眺めた横島の顔が凍りついた。

 「何ってこったぁ!」

 横島の目に映ったのは救命ボートに急接近する白鯨の姿。
 文珠による合体は間に合わない。
 衝撃に備え美神に覆い被さる横島。
 一瞬遅れて救命ボートを襲う衝撃に横島は意識を失った。






第二章:海底二万里


 「横島クン!横島!起きて!」

 体を揺する感覚と美神の声に横島の意識が覚醒する。
 心配そうに自分を覗き込む美神に気付き、横島は慌てて状態を起こした。

 「イタッ!」

 横島は後頭部に走る激痛に顔をしかめる。
 恐る恐る手をあてると大きな瘤が出来ていた。
 意識を失う直前の光景を思い出し、横島は周囲に視線を走らせる。
 黄緑色に蛍光する照明に照らされたドーム型の小スペースに、救命ボートごと囚われていることがわかった。

 「・・・美神さん、一体ここは何処なんです?そして一体何が起こったんですか?」

 「それは私も知りたいとこね・・・何でアンタがそんなカッコで、私の手にこんなモノが縛りつけてあるのか?・・・とかね」

 美神は横島の目の前に自分の両腕を差し出す。
 その両手首は横島のバンダナによって結び付けられていた。
 横島は恐る恐る自分の姿を見下ろす。
 当然の事ながらその姿は美神を救助したときのままトランクス一枚の状態。
 誤解されかねない状況に横島の顔がみるみる青ざめる。

 「み、美神さん!冷静に、美神さんの思っている様なことじゃありません!」

 横島は慌てて誤解を解こうとする。

 「ホントに?」

 「本当です!!そんな余裕なんてありませんでしたからっ!」

 力一杯否定する横島に美神はいたずらっぽく笑いかける。

 「てっきり溺れた私を助けるために、その格好で海に飛び込んだんだと思ったんだけど・・・」

 からかわれた事をやっと理解した横島は安堵のため息をつく。
 念のため人工呼吸をしたことは秘密にしておく、知られたらこのリアクションが無いことは容易に想像できた。
 自分の目の前に差し出されたままの両手を、解けとの催促と判断した横島はバンダナの結び目と格闘する。

 「・・・冗談にしても質が悪いですよ」

 「そう怒らないの。アンタにしちゃ出来すぎてて気持ち悪いくらいなんだから、少しぐらい取り乱してもらわなきゃ」

 両手が自由になった美神は、救命ボートの装備から毛布を2枚取り出すと一枚を横島に放った。
 夏場とは言え海水に冷えたままの体をそのままにしてはおけない。
 毛布にくるまると、横島はからだが温まるのを感じた。

 「見事な状況判断をしたようね。昔のアンタならすぐに私の後を追って二人とも死んでいたわ・・・」

 誇らしげな表情で美神を見つめる横島。
 それは、子供が褒められた時にみせる笑顔の様だった。
 美神は口元に浮かぶ笑いを無理におさえ、少しキツめの目で横島を睨む。

 「だけど女に対しての状況判断はまだまだね。着替えるんだからあっち向いてなさい!」

 慌てて振り返った横島を見て、美神は堪えきれず口元を緩める。
 その後ろ姿から、服を脱ぐ自分の様子に全神経を集中しているのが感じられたからだ。
 時として上級魔族とも互角に渡り合うこの男が、異性にはこれほど弱いと誰が信じられるだろう。
 あまりの煩悩の暴走ぶりに理解に苦しむ時もあるが、今のような状況は別段不快ではない。
 その弱さを発揮する対象が、自分にだけでないのが不愉快な時もあるのだが・・・

 濡れた服を脱ぎ毛布にくるまった美神は、救命装備の中からミネラルウォーターを取り出すと横島の隣りに腰掛けた。
 横島の顔には美神の着替えが終わった安堵と、覗かなかった後悔がわかりやすく浮かんでいる。
 美神は吹き出さないように注意しつつミネラルウォーターを一口含む。
 本当はうがいでもしたい所だが、今後の状況を考え口内の塩分を洗い流すようにゆっくりと飲み込んだ。
 喉の不快感が治まると、美神は横島にミネラルウォーターを渡す。

 「はい、アンタも海水で喉が乾いているでしょう?一口だけゆっくり飲み込みなさい」

 「え?・・・はい」

 流石の美神も間接キスを横島が意識したことには気がつかない。
 必要以上に水を味わう姿も、自分と同じく水の節約と思っていた。
 美神は横島からミネラルウォーターを受け取り、救命パックに戻すと状況の整理をはじめる。

 「それじゃあ状況の整理ね。あの攻撃の後、海に落ちた私をアンタが助けた。ここまではいい?」

 美神の言葉に横島は黙って頷く。
 身の安全の為余計なことは言わない。

 「それからの事は私が見ていたわ・・・アンタが守ってくれたからね」

 「ペルセウスみたいにはいきませんでしたけどね。クジラの化け物にはやられっぱなしでした」

 美神の視線を横島は大したことではないとばかりに笑顔で受け止める。
 神話の時代、ペルセウスがアンドロメダを射止めたのもこのような笑顔でだったのかも知れない。
 美神は努めて冷静に状況を伝えようとするが、顔が紅潮するのが自分でも分かる。
 顔色が分かりにくい照明であることがありがたかった。

 「そのクジラなのよ・・・横島、落ち着いて聞いてね」

 ただならぬ美神の様子に横島が固唾をのむ。

 「私たちは救命ボートごとアイツに飲み込まれたの!ここはアイツの腹の中なのよ!!」

 美神の言葉に横島は改めて周囲を見回す。
 ドーム状の室内は、生物的なモノを感じさせる要素が一切排除されていた。

 「ここが、生物の体内っていうんですか?潜水艦っていうのなら信じられますが・・・」

 横島はボートから乗りだすように水面を見る。
 海水ごと飲み込まれたボートが浮かんでいるが、その水面は徐々に低くなっているように感じられた。

 「恐らく、海水が完全に排水された時点で次のアクションが起こるわ。現在の位置が分からない以上早まった行動はとれない」

 「わかりました。先ずは冷静な状況判断ですね」

 横島の答えに美神は満足そうに肯く。
 これくらいのピンチは今までに何度も切り抜けてきた。
 手持ちの装備は、美神が身につけていた精霊石3つと横島の文珠が2つ。
 装備にかなりの不安があるが、美神除霊事務所の信条は反則ギリギリの機転とチームワークである。
 美神と横島は新たな闘志が沸き上がるのを感じていた。






 排水が完全に終了すると部屋の奥にある隔壁が音もなく開いた。
 床自体が自走構造なのか、美神たちを乗せたまま救命ボートは隔壁の向こう側へと送られる。
 完全に移動が済むと隔壁は音もなく閉じられた。

 「どうやらここは外部からの物資搬入口のようね」

 足下の安全を確認しつつ美神が床に降り立つ。
 それと同時に天井から触手が延び、別な場所へとボートを運びはじめる。
 横島は急いで荷物を担ぐと救命ボートから飛び降りた。

 「しかし、何処の誰がこんなモノを作ったんですかね」

 横島が不気味そうに周囲を見回す。
 奥に続く廊下のような空間には所狭しと魔法陣が書き込まれていた。

 「誰かにも興味あるけど、何の為にって所にも興味があるわ・・・見てみなさい」

 美神は指輪を抜き取るとダイヤの部分を壁に当ててこする。
 軽い摩擦音を立てただけで、壁には傷一つつかなかった。

 「この魔法陣は防御力強化を行っているわ。それも執拗にね」

 「・・・ずいぶん思い切ったコトしますね」

 横島はダイヤを使って構造物の強度を証明した美神に驚いていた。

 「自分で買った指輪だからね。傷ついたらまた買うわ・・・人からのプレゼントならこんなコトはしないけど」

 ダイヤが無事なことを確認し、美神は安堵の表情を浮かべると指輪を指に戻した。
 そして、思わせぶりな表情を浮かべ横島に笑いかける。

 「因みにアンタの時給じゃあ、不眠不休で1年以上働かないと買えないから」

 「せめて3ヶ月で買えるくらいに時給上げてくれませんか?」

 想定外の切り返しに美神の方が話題につまった。
 表情を読まれないように大股で先を急ぐと、照れ隠しに強度を調べた理由を説明する。

 「これを作った奴は、きっと核戦争後も自分だけは生き残ろうとするエゴイストよ」

 「誰かに似てますね」

 美神は横に並ぼうとする横島に裏拳を打ち込む。
 裏拳は空を切ったが、その後の足払いまでは避けられず横島は派手に倒れた。

 「とにかく、そんな奴は自分と同じくらい大切な宝を守っているハズよ。今回の迷惑料をしっかりと取り立ててやるわ」

 「・・・そっちの方が美神さんらしいッスね」

 横島は嬉しそうに反動を付けると、飛び上がるようにして起きあがる。
 自然に出た軽口は、敵を軽く見ているのではなく心の軽さから来たものだった。
 二人とも今回の敵が過去の亡霊でないことに安堵していた。
 ふんだんに使われている魔法技術からは魔族独特の癖は窺えない。
 この施設は紛れもなく人間の手による物だった。
 廊下の突き当たりにあるドアに辿り着くと、二人は覚悟を決めたように開閉スイッチらしきパネルに手を触れる。
 ロックはされていないらしく、音を立てずドアがスライドした。
 その隙間から素早く身を躍らせた二人は、予想外の光景を目撃し派手にずっこける。
 部屋の中央にはちゃぶ台が置かれ、ドクターカオスがお茶をすすっていたのだった。


 「よく来たな・・・」

 カオスはさほど慌てた様子を見せず手に持った湯飲みを置いた。
 隣りに座るマリアがかいがいしくお茶のお代わりを湯飲みに注ぎはじめる。
 どう贔屓目に見ても現在の状況に似つかわしくない光景だった。

 「どうしてアンタがここにいるのよっ!」

 美神が感情的に叫ぶ。
 横島は既に順応の姿勢を見せ、ちゃぶ台の上の煎餅に手を伸ばしていた。

 「3日前にマリアがコレの識別信号をキャッチしての・・・」

 カオスは横島にとられないよう貴重な海苔煎餅を確保する。

 「正体を確認する為、海に出た途端に飲み込まれたんじゃ・・・沈んだ船の持ち主には気の毒な事をした」

 本心とはとても思えない様子でカオスは海苔煎餅を囓った。
 恐らくこのちゃぶ台とお茶請けセットもカオスと共に飲み込まれたものだろう。
 所々に散らかる提灯や座布団がカオスの乗っていた船の種類を容易く想像させる。
 カオスとマリアは沈没した遊覧船に乗っていたのだった。

 「識別信号?ってことはコレを作ったのはアンタなの?」

 美神はカオスの言葉に鋭く反応していた。
 カオスはその言葉に困ったように頭を掻く。

 「それがの・・・全く覚えていないんじゃよ。のうマリア」

 「イエス・作品リストに・該当するデータなし」

 「じやぁ、アンタが作ったって訳じゃないのね」

 カオスはともかくマリアが記憶に無いというのなら信じるしかない。

 「ノー・ミス・美神・確かに・識別信号でてます」

 「じゃあどっちなの?」

 美神の問いにマリアの演算回路が音をたてて演算を開始する。
 隣のカオスも頭を抱えていた。

 「わからん!」

 「回答不能!」

 700年来のつき合いを感じさせるタイミングで両者とも回答をあきらめた。
 美神は呆れたように肩をすくめると室内の散策をはじめる。
 よく見ると壁面に収納のような扉が組み込まれていたが、美神が開こうとしてもその扉はびくともしなかった。

 「本当に不思議なんじゃよ・・・」

 カオスは美神の肩越しに扉のある点を一定の力で押す。
 すると、抵抗を全く見せず扉が横にスライドしていった。
 壁の中に収納されていた奥行き1m程の棚には、様々な道具が整然と陳列されていた。

 「ワシならばこう作るという物が確かにある。しかし、マリアもワシもその記憶が無いのじゃ」

 「美神さん!神通棍がありましたよ」

 素早く中身を物色した横島が美神に神通棍を手渡す。
 その感触に美神は戦慄した。

 「なに?コレ!?霊力の伝導が半端じゃないどころか増幅してるわ」

 「多分じゃが、そのぶん霊力の消耗が激しいはずじゃ・・・ワシならそう作る」

 それは霊力が高いとは言えないカオスが、自分の攻撃力を高める為にはそうするという意味だった。
 美神と横島は物珍しさも手伝い、嬉々としてして収納されている道具を手に取る。
 精霊石を弾丸とする銃器や携帯式の飛行道具、霊体を捕獲するための自動追尾式の捕獲ロープなど、その全てが現代の常識を大きく上回る性能だった。

 「なによコレ・・・仮に作ったのがアンタだとして何と戦うつもりだったのよ!」

 「メドゥーサクラスでも倒せそうですね」

 美神の言葉に横島が相づちを打つ。
 相手の数にもよるが、この装備を使用すればかなりの大物とも渡り合えるはずだった。

 「それにこのクジラの馬鹿みたいな防御力。発想が違うからアレ程じゃないにしろどんな攻撃を想定しているの?それに・・・」

 美神の目が本来の輝きを取り戻す。

 「一体何を守ろうとしているの?これだけの装備で守ろうとするモノの価値って一体・・・・」

 「わからん!何も思いだせんのじゃ・・・」

 カオスは珍しく苦悩の表情を浮かべた。

 「ミス・美神・ドクター・カオスは・過去に・記憶を・吸い取られてます」

 どことなくいつもと違う表情でマリアが助け船を出した。
 ホームズの事を巧みに避けながら、太古の神に囚われ記憶を吸い取られた事件をマリアは説明する。
 あの一件からカオスのボケが進行しだしたのは紛れもない事実だった。
 説明を聞いた美神は無理に答えを求めない事に決めた。

 「分かったわ・・・それより、あなた達どうやって2日間もこの中で暮らしていたの?」

 「マリア・・・案内してやれ。ついでに二人の身支度もな」

 「イエス・ドクター・カオス」

 マリアはカオスの指示に従い、美神と横島を奥の部屋に案内する。
 カオス自身は失った記憶に不安を感じるのか、額に手をあて記憶を遡ろうと努力を続けていた。







 美神と横島は白鯨の内部を案内されていた。

 「・・・・・・ここまでいくと圧巻ね」

 「一生海の中で生活出来そうですね」

 二人とも白鯨内部の施設に、外界との接触を完全に断ちきる意志を感じ取っていた。
 先程のカオスがいた部屋の奥には、食料を初めとする様々な生活必需品を海洋資源から作り出すプラントとその加工装置が、更にその奥にはクリーニング装置付きのバスルーム、トイレが設置されていた。

 「マリア、一体この設備で何が作れるの?」

 「酸素・水・食料・薬品・衣類・など多数」

 マリアは冷蔵庫らしき箱を開き美神と横島に見せた。
 冷蔵庫の奥にもプラントらしき空間が見えることから、自動生成された食材がここで保存されるのだろう。
 中には一目で魚の切り身と分かる物もあったが、その殆どが原型をうかがい知ることができない加工品だった。

 「二人とも・お食事は・済みましたか?」

 美神は自分の腕時計に視線を落とす。
 既に日付は変わっていたがちゃんとした夕食はとっていない。

 「いや全然!なんか食わせてくれたらありがたいんだけど」

 横島も空腹だったらしくマリアの質問に不躾に答えた。

 「了解・すぐ作ります」

 食事の支度をはじめたマリアを見て、美神と横島はこの施設がマリアに合わせて作られている印象を受けた。
 調理装置を初めとする様々な装置の間をマリアは最短の動作で動き、次々に作業を終了させていく。
 その淀みない動作に感心しつつ、二人は白鯨がドクターカオスの手による物だとの確信を深めていった。

 「あと・30分で完成・次は服を作ります」

 最後の料理をオーブンにセットすると、マリアは少し離れた所にある装置を操作した。
 次々に装置から排出される生地を手に取り、美神はその肌触りに驚きの声を上げる。

 「まるでシルクじゃない!海洋資源でこんな物が作れるの?」

 「節足動物門・甲殻綱・Euphausiaの・キチン質から再合成」

 「こっちの生地は木綿みたいだな」

 「褐藻綱・ヒバマタ目・Sargassumの浮き藻から・セルロースを抽出」

 美神と横島は次々に生産される多様な素材に目を丸くするが、真の意味で驚いたのはその生地を使いマリアが服を作り始めた時だった。
 マリアは横島の脱いだ服からサイズをスキャンすると、棚から裁縫箱を取り出し驚くべきスピードで裁断、縫製の作業を行う。
 一分とかからずに横島のTシャツが作られ、続いて若干生地が違いはするもののジーンズも複製された。

 「横島さん・下着は・トランクスで・いいですか?」

 マリアは横島の肯きを了解と判断し、あっという間にトランクスを作り上げる。
 デザインがドクターカオスのトランクスと同じなのはご愛嬌だった。
 横島の服を数点作り終わると、マリアは美神の服を作るために向き直る。

 「ミス・美神・下着を見せてください」

 マリアの唐突な発言に横島が吹き出す。
 期待に満ちた目で美神を見るが、美神は当然のごとく毛布を堅く巻き付けたままだった。

 「横島のは見なくても作ったじゃない!!」

 「ソーリー・マリア・下着つけない・横島さんの・下着は・ドクター・カオスといっしょ」

 美神はマリアの発言を即座に理解した。
 マリアの行っている行為は、あくまでも創造ではなく模倣である。
 一度も作成したことのない女性下着は、まず最初にモデルとなる見本が必要なのだ。
 美神は横島に無言の圧力を加えるとマリアの手を引きバスルームに直行する。
 当然のごとく横島はその場に残された。

 美神は脱衣場の鍵がかかっていることを念入りに確認すると、マリアの目の前で毛布を外し下着姿となる。
 白い肌に濡れた下着が張り付き、非常に扇情的な姿となっていた。

 「これでいい?」

 美神は顔を赤らめながらマリアの目の前で一周する。
 マリアは下着の構造と美神のサイズを一瞬でスキャンした。

 「サンキュー・ミス・美神・服は同じデザインで・いいですか?」

 美神は少し考えマリアに抽象的な注文を試してみる。
 先ほどの生地には自分が着ていたデザインは微妙に合わない気がしていた。

 「生地が違うからね・・・ワンピースってわかる?」

 「イエス・ミス・美神」

 美神は脱衣場の鏡に息を吹きかけ表面を曇らせる。
 指先でその曇りに絵を描き、マリアに大雑把な服のデザインを書き込んでいく。

 「こんな形でお願い」

 「了解しました・ミス・美神」

 簡単な指示であったが、マリアはそれで十分だとばかりに一礼すると脱衣所を後にする。
 美神は下着を外すと、濡れた服と共にクリーニング装置に投入しスイッチを押した。
 先程の説明では20分程度で乾燥まで終了するらしい。

 「さてと、乾燥が済むまでシャワーでも浴びさせてもらおうかしら」

 美神はこう言うとバスルームへ入っていく。
 シャワーノズルの下から体を少し外し、恐る恐る蛇口を捻ると適温のお湯が降り注ぐ。
 手のひらでお湯の温度を確かめてから、美神は思い切ってシャワーの下に体を移動させた。
 髪をゴワつかせていた海水を念入りに洗い流すと、何とか指が通る程度のコンディションにはなった。

 「えーっと・・・」

 美神はシャンプーや石けん探し周囲を見回す。
 壁面から飛び出しているチューブが目に付いた。

 「こんなものまで作っているの・・・」

 美神はシャワーの隣りにあるチューブから、ボディーソープのような液体が出ることに感心していた。
 手でこすってみると多少のぬめり気と共に泡が立ちはじめる。
 石鹸とは多少異なったが、不快な感触ではなく臭いも良かった。
 思い切って体に塗りつけ海水で汚れた体を洗ってゆく。

 「普段使っているヤツより質がいいわ!」

 汚れを落とす効果と美肌効果が同時に発揮されるのか、文字通りの肌が磨かれる感覚に美神は驚きの声をあげた。。
 試しに髪にも使用してみたが、今まで使用したどのシャンプーよりも滑らかに髪になじんでいく。
 予想以上の使用感に美神はすっかり上機嫌となっていた。

 「誰!?」

 その最高の気分がドア越しに感じた人の気配に壊される。
 美神はシャワーを止め左腕で胸を隠す。
 大方の予想に反して、美神の声に答えたのはマリアだった。

 「ソーリー・ミス・美神・着替えと・タオルを・持ってきました」

 「あ、ありがと・・・」

 多少拍子抜けした感じで美神が答える。
 右手には横島にぶつける予定だった桶が空しく握られていた。
 美神は手短にシャワーを終えると、浴室から手を伸ばしバスタオルを手に取る。
 軽く髪の水分を吸わせてからバスタオルを体に巻くと美神はバスルームを後にした。

 「あんな抽象的な注文を形にするなんて、すごいわねマリアは」

 既に脱衣所にはマリアの姿はなく、タオルのあった所にはきちんとたたまれた着替えが置かれていた。
 美神はマリアの持ってきたワンピースを手に取り、予想以上の出来栄えに今日何度目かの驚きの表情を浮かべる。
 続いて下着を手に取ると水滴をきれいに拭き取った体に着け始める。

 「シルクと大差ない質感ね・・・」

 美神は体にフィットする下着に満足する。

 「こっちは木綿より肌触りがいいし、海洋資源の利用法だけでも相当な経済効果を生むわ」

 無地の白い生地で作られたワンピースに袖を通し、美神は海洋生物から作った生地の質の高さに舌を巻く。
 自分の姿を確認するため鏡の前に立つと、数秒の間温風が巻き起こり湿った髪を殆ど乾かしてしまった。

 「・・・これは余計なサービスかもね」

 めちゃくちゃに乱れた髪を手ぐしで押さえると、先ほどの液体の効果か髪は驚くべき光沢とまとまりを見せていた。
 鏡の中の姿に満足し、美神は居住スペースへ戻る。
 そこではマリアが食事の準備を終了させている筈だった。





 「それがマリアが作った服ですか・・・清楚でいいじゃないですか」

 「ふふっ、ありがと・・・」

 湯上がりの美神の姿を横島がまぶしそうに見つめた。
 美神はいつも以上に光沢を放つ自分の髪を満足そうにかき上げ笑顔を見せる。
 シャワーを浴び着替えを済ませた美神はすっかり上機嫌だった。

 「施設は気に入ったか?」

 カオスの呼びかけに美神は目を輝かす。

 「これがアンタが作ったものなら間違いなくアンタは天才よ。今のアパート暮らしの必要がないんじゃない?」

 美神の賛辞にカオスは複雑な笑顔を見せる。
 そして、ちゃぶ台の上を手で指し示すと微かに胸を張った。

 「全て海洋資源から作ったマリアの心づくしじゃ、遠慮無く味わってくれ」

 目の前のちゃぶ台にはマリアが作った大分遅めの夕食が並べられている。
                                                                              

 美神が席に着いたのを合図に横島は料理に手を伸ばしはじめた。

 「何だか分かりませんが味はいいですよ」

 得体の知れないソテーをほおばりながら、横島は焼きたてのパンの香りを放つ見慣れぬものに手を伸ばす。
 美神がバスルームを占領していたため、未だ毛布を被るのみの横島だったが特に気にした風もなく目の前の料理を平らげていった。

 「うまい!マリア、これはなんだ?」

 特にその中の一品が気に入ったのか、横島はマリアにクリーム状の食べ物の材料を聞いた。
 美神も興味深そうにマリアの言葉を待つ。

 「軟体動物門・頭足綱・Octopus・vulgarisの・生殖細胞です」

 「・・・・・もっと分かりやすくいうと?」

 急に口の中のものが食べ物じゃないような気がして横島は飲み込むのを躊躇いはじめた。
 カオスは人の悪そうな笑顔を浮かべると、マリアに代わり食材の説明をはじめる。

 「マダコの白子・・・つまり精巣じゃよ!」

 「なんだ、タコか」

 横島も美神も大した反応はみせず再び料理に手を伸ばす。
 カオスはその反応につまらなそうな顔をした。

 「残念だったなカオス!海鼠を食う食文化で育った俺たちがタコの白子程度でビビる訳がないだろう」

 カオスが期待したリアクションを自分たちがとらなかった事に満足し、横島はタコ料理を平らげる。
 気分的にはマリアの説明の方が食欲を減退させていた。

 「料理の説明が出来るということは、少しは記憶が戻ったの?」

 カオスの様子に、美神は微かな期待を持っていた。

 「全くといっていいほど頭には霧がかかっとる・・・しかしな」

 期待に満ちた美神の視線に首を振りつつ、カオスは壁の一点の模様を押した。
 壁の表面が波打ち、海中の景色が映し出される。
 どうやら白鯨は深海を潜行中らしかった。

 「体はこの設備の使い方を確かに記憶している。お前たちが飲み込まれるときもこうやって外の様子をモニターしておった。少しずつではあるが、コイツの仕組みも頭には浮かぶ」

 モニターの中をグロテスクな深海魚が横切る。
 白鯨の目線をモニターしている画面が一瞬揺らいだ。

 「・・・今のはひょっとして食ったということか?」

 横島はクジラの口内に取り込まれる深海魚をイメージした。

 「コイツはこうやって必要な資源を全て海から取り入れる。いまの深海魚の粘膜からは風呂場の石鹸が作られるはずじゃ」

 一瞬顔を引きつらせた美神だが、美に対する欲求は食に対するそれを遙かにしのぐ。
 美神は今の深海魚を目に焼き付け化粧品会社に売り込む計画を考え始めた。

 「コイツはいったい何なんだ?」

 横島は床を軽く叩く。
 居住スペースを意識しているのか、金属的な側面とは異なりラバーのような感触だった。

 「多分、絶滅した古代クジラをベースにしたサイボーグじゃな。内部に居住ブロックと動力炉を飲み込ませ、外装に結界と物理攻撃へのバリアを何層にもコーティングしてあるはずじゃ」

 横島は寝そべり床に耳を当てる。
 耳をすますとゆっくりとした心音が聞こえて来た。
 美神を見上げると、カオスの言っていることが本当だと目で合図する。

 「じゃあ、コイツは自分の意志を持っているってこと?」

 美神は自分たちが囚われたことにも理由があるのか気になっていた。
 カオスは軽く首をふると、あくまでも推論という様子で美神の問いに答える。

 「多分な、しかし・・・お前らが飲み込まれたのは全くの偶然だ。コイツがボートを飲み込んだ事は必然だがな」

 「どういうこと?」

 美神は若干不機嫌そうに質問する。
 ボートのオマケ扱いにされたことが不満だった。

 「さっきも言ったが、コイツは必要な物を外界から飲み込む形で取り入れる・・・はずだ。その後は体内の装置で分類し、使用目的にあった状態で保存する。お前たちが触手に運ばれずボートが運ばれたということは、コイツはボートを欲しがったということになる」

 カオスはちゃぶ台から湯飲みを持ち上げると一口すする。
 お茶はすっかり冷めてしまっていた。

 「マリアに迎えに行かせなかったのは、お前たちがイレギュラーかどうかを見極めるためじゃ。コイツは確かな意志を持ってワシとマリアをどこかに案内しようとしておる・・・そこが何処で、何が待つのかは不明じゃが嫌な予感しかせんのだ。不老不死の体を持ち、充分生きたワシが目的地に着くことを心のどこかで恐れておるのじゃよ」

 カオスは思い切った様子で美神と横島をみる。
 その顔には1000年を生きた大錬金術師とは思えない焦燥が浮かんでいた。

 「・・・お前たちが飲み込まれたのはワシにとっては幸運だった。頼む、これから起こる出来事に手を貸してくれ」

 「報酬は?」

 深々と頭をさげるカオスに、美神はビジネスライクな口調で答える。
 慣れっこの横島にはどうということのないやりとりだが、知らない人間が見たら美神の神経を疑ったことだろう。

 「ワシの所有する全ての物、知識から好きなものをやろう」

 100年ほど前に口にした台詞から、”金”という単語が消えているのがそこはかとなく悲しい。
 美神に向けられた台詞に真っ先に反応したのはマリアだった。
 外見上は全く変化しないが、演算回路が激しく演算をはじめる。
 美神とカオスはそんなマリアの変化に気づかず、報酬の具体的な交渉をはじめようとしていた。

 「このクジラはアンタの物と決まっている訳じゃないから除外よね・・・・・」

 美神は素早く頭の中で算盤をはじく。

 「やっぱり、マリア以外ないわね。それでいい?」

 美神の回答に、横島とマリアが体を堅くした。
 一方はリストラの危機に、もう一方は・・・

 「ダメじゃ。マリアは物ではない」

 カオスは至極当然のように美神の条件をはねのける。
 マリアの演算が停止し、美神の目は大きく見開かれていた。

 「マリアは確かにワシの最高傑作だがワシの所有物ではない。マリアはマリアの意志でワシと共におるのじゃ!」

 「イエス・ドクター・カオス・マリア・ずっと・一緒」

 カオスに寄り添うマリアの姿を見て美神は苦笑いを浮かべる。
 美神の目には、無表情なマリアが笑顔を浮かべているように見えたのだった。
 アンドロイドに素直さで負ける自分の身が情けなかった。

 「そういや、前から聞きたかったんだが・・・・」

 普段は報酬の交渉に口を挟まない横島が珍しく口を挟んだ。

 「お前の不老不死の技術って人類の夢だよな?そのノウハウを売るだけで大金持ちだと思うんだが・・・」

 カオスの発明を評価する際、皆が不老不死の肉体に触れないのを横島は以前より不思議に思っていた。
 その質問に、カオスは少しだけ顔をゆがませる。

 「・・・この体は望んでこうなった訳ではないのでな、それに誰でも成功するという訳ではない。見るがいい」

 カオスはマントの中から医療用のメスを取り出すと自分の左腕を切り裂く。
 鮮血があふれたのもつかの間、横島と美神の目の前でみるみる傷口はふさがっていった。

 「今のはワシの体が治ったのではない。ワシが体を治したのだ・・・わかるか?」

 自分の言っている意味がわかるかと、カオスは横島を値踏むように眺めた。
 横島は何のことかわからず、助けを求めるような視線を美神に向ける。

 「・・・自立神経を意志によってコントロールする。そんなヨガの秘法があると聞いたことはあるけど」

 横島の代わりに美神がカオスの言葉を受けた。
 カオスは出来の良い生徒を見るように美神を見つめた。

 「それをもっと複雑にしたものと思えばよい。つまり、ワシの体は全てワシの意志によってコントロールされておるのだ」

 「なんでそんなめんどくさい事を・・・」

 カオスはハンカチで腕の傷をぬぐう。
 傷跡すら残さず左腕は元通りとなっていた

 「二十代の頃に悪性の癌にかかっての、当時のワシはその運命を受け入れられなかった・・・」

 カオスは記憶の彼方に忘れ去ったはずの情景を思い浮かべる。

 「ワシには学びたいことがまだ山ほどあり、それをあきらめるにはワシは非凡すぎた。あらゆる謎に向けるべき情熱をワシは自分の体に向け、ついに古代の身体運用術を応用し癌細胞の不死性すらコントロールする術を身につけたのだ・・・」

 悪性の癌に罹り、人体に対してカオスと同程度の知識と実践力を持った人物でないと実現しない不老不死。
 それは一般人にとってまさに絵に描いた餅だった。

 「つまり常に心臓を動かそうと意識してないと止まるってことか?」

 ようやく言葉の意味を理解しはじめた横島が恐る恐る口を挟んだ。

 「慣れればどうという事はない。それに催眠術を利用して、殆どの恒常性は無意識下で行えるようプログラムを組んでおるからな」

 カオスの説明に、また訳がわからなくなった横島は首をひねる。
 美神はあきれたように肩をすくめると助け船を出した。

 「要するに催眠術を使って、癌という本来無い要素を織り込んだ新しい体の運用システムを無意識下に組み込んだという事でしょ?」

 カオスは大きく肯いた。
 美神は新たに沸いた疑問をカオスにぶつける。

 「錬金術の基本は等価交換と聞いているわ。不老不死を得たあなたは何を失ったの?」

 「現実的な事では生殖能力・・・機能ではないぞ念のため」

 「よけいな事まで言わんでいいのよっ!」

 カオスの物言いに美神は顔を赤らめる。
 子供は作れなくなったが、行為自体は行えたことをカオスは強調していた。

 「本当の意味での代償は人としての人生じゃろう。今後、知的好奇心を刺激されなくなったとしたら、その後の長い時間をワシは孤独と退屈に苦しみながら過ごさなくてはならん」

 美神はカオスの苦悩を感じ表情を曇らせた。
 その表情に気づいたカオスは、マリアの肩を抱くと努めて明るく宣言する。

 「なあに、前にも言ったが天才は元々孤独なものじゃ!それにワシにはマリアがおるしな!!」

 あながち強がりともとれない言葉に、美神はカオスの強さを感じる。
 老いたとはいえこの男はヨーロッパの魔王だった。

 「コラ!格好良いこと言ってるが、お前は一度、人格交換で俺の体を奪ったじゃないか!!」

 一度被害に遭っている横島が、美談で終わりそうだった不老不死話に新たな話題を提供した。
 美神もその事を思いだし、先ほどのカオスに対する認識を完全に打ち消す。

 「うっ・・・それは・・・」

 「不老不死の体に飽きたって事?それでその体を人に押しつけて・・・」

 途端にしどろもどろになるカオスに、美神は若干の軽蔑のまなざしを向ける。

 「ワシにも研究の動機がわからんのじゃ。確かにワシは150年位前から人格交換の研究を始めた・・・」

 カオスは頭を抱え記憶を手繰ろうと苦悩の表情を浮かべる。

 「それが、自分の寿命を延ばす為なのか・・・それとも・・・」

 カオス自身も次に浮かんだ台詞に身震いする。
 それは自分の存在を完全に否定するものだった。

 「・・・人としての寿命を再び手に入れる為なのか。思い出せん、その頃のワシに一体何があったのじゃ」

 真剣に苦悩するカオスに美神は微かに同情する。
 そして囚われの現状を打破するには、カオスの過去と向かい合う必要があることも理解していた。
 ただ働きになることを予感し美神は肩をすくめる。

 「わかったわ。これから何が起きるか分からないけど力を貸すことにしましょう。その代わり、この施設の武器は勝手に使わせてもらうわよ」

 美神の言葉にカオスは顔を輝かせ何度も肯いた。

 「ワシからの報酬はいいのか?」

 「しょうがないでしょ・・・それに、アンタにはママの毒を中和してもらった恩もあるし」

 言ってから美神はしまったという表情を浮かべる。
 解毒のきっかけは南極基地からの脱出行だった。
 そのとき協力してくれた彼女の事を横島に思い出させてしまったかもしれない。
 美神には後ろに立つ横島を振り返る勇気が無かった。

 「まあ、そういう事にしときましょうよ」

 横島は何も気にしていない様に美神の肩をたたく。
 ”実はいい人”というイメージでみられることに抵抗のある美神は、横島の反応に安心しながらもいつもの強がりを口にした。

 「本当に仕方なくなのよ!タダ働きは私の主義に反するんだから!!」

 「わかってますよ」

 横島はこういって笑うとバスルームへ向かった。
 照れくさかった美神は、ふて寝を決め込むため毛布をかぶるとその場に横になる。
 カオスはその姿に無言で頭を下げた。







 二日目も特に状況の変化はなかった。
 壁のモニターは相変わらず深海の様子しか映さず、時折素材用の生物を飲み込む他はたいした映像は流れない。
 海洋生物学者がこの場にいれば卒倒モノの映像ではあるのだが、興味の対象外の美神と横島にはそれの価値などどうでも良い話だ。
 やることのない美神と横島は住居スペースでマリアの作る遅めの朝食を堪能している。
 特に魚介のスープは秀逸で、口の中に芳醇な味わいが広がり栄養素が体の中に染み渡るのが分かった。

 「昨日もそうだったけど、マリアって料理上手よね」

 「サンキュー・ミス・美神」

 マリアは続けて美神の前にお茶のような飲み物を差し出す。

 「料理は誰かに習ったの?」

 「ノー・マリア・ドクター・カオスの・好みから・±3.125%の幅で・調理」

 昨日のメニュー説明と同じく感性に訴える表現では無かったが、カオスにおいしい物を食べさせようとする気構えは感じられた。
 前々から気になっていたマリアの表現能力の低さを、美神は思い切ってカオスに聞いてみる。

 「カオスさぁ・・・マリアの表現能力って何とかならなかったの?」

 「何とかってどういうことじゃ?」

 美神は説明が難しいとばかりに頭を掻く。
 マリアの目の前でマリアの言葉遣いを否定するようで気が引けたのだ。

 「つまりね・・・前に作ったテレサと比べて、ソフト面が少しおざなりなんじゃないかなって・・・」

 「ミス・美神・マリア・話し方変ですか」

 マリアの反応に美神は慌てたように両手を振る。
 明らかに、美神は人造人間であるマリアに気を遣っていた。

 「ち、違うの。マリアは全然おかしくないわ!ただ、その他の機能に比べて・・・ね、横島」

 「俺は気になりませんけどね。でも不思議ですよね、同じ台詞、同じ表情でも、なんか感情がわかるっていうか、マリアの気持ちが伝わるんですよね」

 美神は助け船を横島に期待したが、横島の口から出たのは自分の立場を更に悪くする台詞だった。
 放出される殺気を感じ取り横島は身を固くする。

 「マリアの気持ち・・・サンキュー・横島さん」

 「ほ、ほら、今、笑ったように感じません?ね、美神さん」

 横島は美神に同意をうながす。
 殺気をそらすためでもあったが、横島は変わらないマリアの表情に確かに笑顔のニュアンスを感じていた。

 「そ、そうなのよね。それを不思議に思っていただけなのよ」

 美神も横島に同意し、マリアへの失言をどうにか誤魔化した。

 「そうか、お前らはマリアの笑顔を見たことが無かったか・・・」

 カオスはしみじみとした口調で語り始める。

 「100年くらい前まではマリアには笑顔の機能もあったからな、マリアの強い希望で削除したが・・・」

 この話題になった瞬間マリアの表情が強張る。
 それは悲しんでいる様にも見えた。

 「なんでそんな事を?」

 美神の問いに、カオスは力なく首を振った。

 「あのときのマリアは泣いておったからな・・・逆らえんよ」

 「ノー・ドクター・カオス・マリア泣きません」

 マリアの言葉にカオスは笑顔を浮かべると、マリアの頭を優しく撫でた。

 「もちろんそんな機能はつけとらん。姫に泣かれたときは本当に困ったからな・・・しかし、プログラムを越えた感情がお前にはあるように見えるのじゃ。なにせお前はワシの最高傑作じゃからな」

 「サンキュー・ドクター・カオス」

 幸せそうなマリアの顔を見てカオスの表情が優しく和む。
 その表情が外部モニターの風景に一瞬で引き締まった。
 深海の暗闇の中に数キロにわたって存在する無数の光の点。
 その景色を見て、美神の目の色も狂的なまでに変化した。

 「カオス・・・・これってまさか」

 美神の息が荒い。
 明らかに過呼吸を起こしかけていた。

 「精霊石の鉱脈じゃよ。人類が到達すれば、精霊石の価格が暴落する程のな・・・」

 「潜水服とかないのっ!!!?」

 美神が慌てて収納スペースを物色する。
 掘りに行かされるのは自分だと気づいている横島は手伝おうともしなかった。
 
 「無駄じゃよ。この場所は深度1万メートルを優に超えている。コイツが取り込まない限りはワシらには手がだせん」

 「コイツをコントロールする方法は!?」

 美神は白鯨のコントロール方法をカオスに尋ねた。

 「あることにはあるが今は無駄じゃな。コイツは何者かの意志によって動かされている」

 「あああ、もったいない・・・」

 世界に認められた美しい日本語も、美神が口にすると全然違う意味に聞こえた。
 モニターにすがりつき、遠ざかる光点に美神は涙を流してお別れする。
 そんな美神を無視し、カオスは話をさきひ

 「マリア、目的地が近い気がする」
 
 カオスの全身に鳥肌が立っていた。

 「美神たちが乗ってきたボートに積めるだけの、装備、生活用具を支度し充電を済ませておけ」

 「イエス・ドクター・カオス」

 カオスの指示を受けマリアがきびきびと動き出す。
 横島は、モニターにすがりつく美神を横目で眺めつつ朝食を再開した。






 昼も近づいた頃、外部モニターの中に変化が現れた。
 白鯨は浮上を始め比較的明るい海のなかを進んでいる。
 目的地が近いというカオスの予感を裏付けるように、先ほどの物資搬入口には格納された筈の救命ボートが姿を現していた。

 「美神さん。カオスの記憶喪失ってどう思います?」

 収納されていた道具をボートに積み込みながら横島が口を開く。
 充電中のマリアに代わり、横島と美神は救命ボートに物資を運び込んでいた。

 「どう思うって、それこそどういうこと?」

 布を運んでいた美神は横島の疑問に質問で答えた。

 「道具の仕組みと使い方は覚えているのに、作ったことを覚えていないなんて都合がよくありませんか?」

 「ああ、その事ね・・・」

 美神は持っていた布をボートに放り込む。
 作業は一時中断とばかりにボートの縁に腰掛け、何のことは無いという風に横島の疑問に答えた。

 「アンタ、自分がいつ自転車に乗れるようになったか覚えている?」

 横島は唐突な問いかけに、幼稚園時代に大樹と行った特訓を思い出す。
 補助輪を外した自転車の荷台を掴み、横島と共に走る大樹。
 左右に振れるバランスを父親に支えられ、横島は多少ふらつきながらも自転車のペダルをこぎ続けた。
 大樹の支えに安心しきった横島はスピードを出し、やがて自転車は安定する。
 そして遥か後方から聞こえてくる大樹の喝采。
 手を離されたことを知った横島は派手に転んだのだが、確かにあの瞬間が横島が自転車に乗れた瞬間だった。

 「その様子じゃぁ覚えているようね」

 美神は昔を思い出している横島の顔をのぞき込む。

 「その記憶を無くした瞬間、アンタは自転車に乗れなくなると思う?」

 「あ、そういうことですか・・・」

 美神の説明は常に的確だった。
 理解しやすいよう、時にはシンプルに、時には細部に至るまで例を挙げながら横島が自分で答えにたどり着けるよう導いていく。
 横島が大まかに理解した事を感じてから、美神は初めて複雑な用語を説明に散りばめ始める。

 「記憶には大きく分けて3種類あるのよ。自転車に乗れるような”技の記憶”と、乗れた日の思い出みたいな”エピソード記憶”、最後は・・・・横島、自転車を止める装置を何ていったっけ?」

 「ブレーキの事ですか?」

 横島はあまりにも簡単な質問に奇妙な顔をした。
 美神は立て続けに横島に質問する。

「それじゃあ、その事をいつ知ったか覚えている?」

 美神の質問に横島は答えられなかった。

 「・・・降参です。つまり思い出とは無縁に頭にすり込まれた知識って事ですか・・・例えばかけ算九九みたいに」

 「そう・・・例は稚拙だけど正解よ。最後は”知識記憶”この3つが記憶を構築していると言われているわ」

 例は稚拙ながらも横島が自分で答えにたどり着けた事に美神は満足していた。
 
 「つまり・・・カオスは思い出のみを失っているって事ですか?」

 「多分ね、マリアの記憶が無いことと併せて人為的な何かを感じるけど、少なくともカオスが嘘をついているとは思えないわ。カオスの過去に何があったのか?これを知らなきゃ対処のしようも無いしね」

 美神は立ち上がると再び荷物運びを再開する。
 もう一往復もすれば荷物は全て積み込める。
 後を付いて来た横島に、美神はウキウキした様子で話しかけた。

 「それに・・・興味ない?ボケる前のカオスがこれほどの設備を使って守ろうとしたモノは何なのかって」

 美神の目はすっかり宝を求める冒険者のソレだった。
 横島は美神の背中を守るようにその後ろをついて行く。
 居住スペースに戻ると、カオスが険しい顔でモニターを凝視していた。

 「何か動きがあったの?」

 美神の問いかけにカオスは無言でモニターを指さす。
 白鯨は海面に浮上し何もない海域を進んでいた。
 カオスは充電がすんだマリアを休止状態から回復させると、外の景色から現在位置を割り出させようとした。

 「特定不能・データが不足してます」

 モニターから得られる情報が少ないためマリアの座標確認機能は動かなかった。
 カオスの舌打ちと同時に、全員の背に結界に入り込むときに感じる違和感が走った。

 「マリア!これからの移動を全て記録するのじゃ」

 「イエス・ドクター・カオス」

 カオスの指示にマリアが素早く答える。
 結界から抜け出すときの為に、正しい道順をマリアが記録し始めた。

 「何もない海域を出鱈目に泳いでるように見えるんだけど・・・」

 ランダムに見える白鯨の軌跡に美神が首をかしげた。
 カオスは緊張を崩さずモニターを見入っている。
 その目が何かの確信をつかんだかのように鋭い輝きを見せた。

 「ミノス王の宮殿・・・・」

 カオスのつぶやきに美神の顔が青ざめる。

 「ミノス王?それじゃこの軌跡は・・・・」

 ギリシャ神話の時代、宮殿の地下に作られた脱出不可能な迷宮。
 それは外部からの侵入に対してではなく、内部からの脱出に対して作られた迷宮だった。
 中に閉じこめられたミノタウロスを討つため、迷宮に挑む勇者テセウス。
 彼の脱出を可能にしたのは、彼を愛する姫が渡した一握りの糸玉だった。

 「そうじゃ、あの迷宮と寸分違わずに進んでおる。150年前のワシは余程この中に表に出したくないモノをしまい込んだようじゃな」

 「アンタ記憶が戻ったの?」

 美神の問いかけにカオスは相変わらず首を振った。
 しかし、その顔には前とは違いある種の覚悟が伺えた。
 カオスはマリアの充電装置を指さす。

 「マリアの充電設備がある施設などワシ以外に作らんじゃろ・・・それにこのタイプは電化が行われていない150年前に使っていたものじゃ」

 「それじゃあ、状況は何にも変わっていないじゃない」

 あきれた顔をした美神にカオスは不敵な笑顔を見せた。

 「そうでもないぞ、ワシは覚悟を完了させた。老いたとはいえヨーロッパの魔王、過去の亡霊ごときにそうビビってもいられんからな」

 カオスが精一杯の虚勢を張った瞬間、結界を抜ける感覚が一同をとらえる。
 同時にモニターの中の景色が一変した。

 「美神さん!今の見ました?何もないところから島が現れましたよ!」

 モニターの光景に興奮した横島が美神に話しかける。
 美神は注意深くカオスの様子を探っていた。

 「結界に空間を織り込んでいるのじゃよ。結界を抜ければこの空間が現れる・・・逆にこの空間から脱出したければミノス王の迷宮を抜けなければならん」

 突然モニターの映像がとぎれると白鯨が大きな鳴き声をあげた。
 それが目的地への到着を知らせる声だと気づいた一同は、それぞれ最後の荷物を持ちボートを目指す。
 白鯨は一同をせかすように口を開いたまま潜行を開始しはじめた。

 「急げ、海水が入ってくるぞ!」

 カオスは海水の影響を受けやすいマリアを真っ先にボートに乗せると、自身は白鯨の口腔内に浸入する海水にボートが流されないよう渾身の力を込めてボートを支える。
 横島も美神が乗り込むのを手伝ってから、カオスの隣りでボートを押し始めた。
 二人は脛まで海水につかりながら、浮力を得始めたボートを白鯨の口へ向かって押していく。
 白鯨の口から流れ込む海水の勢いが徐々に強くなるが、二人がかりの力でどうにかボートを押し戻すことができた。

 「小僧、もうよい。飛び乗れ!」

 横島はカオスの言葉を合図にボートに乗り込む。
 カオスは自分もボートに乗り込むと、オールの様な棒をボートの後部に固定し先端を海水に沈めた。
 オールの先端からうなるような音が聞こえ加速が始まると、僅か数秒でボートは白鯨の口から外の世界へ飛び出した。

 「マリア、ビーコンを射出!」     

 「イエス・ドクター・カオス」

 マリアは信号弾のような銃で白鯨の近くの海面を狙撃した。
 着水したビーコンは、動力のあるうちはその位置に留まり結界の出口を示し続ける。
 沈みゆく白鯨をその場に残し、ボートは謎の島に向かい進んでいった。








第三章:ミステリーアイランド


 カオスは巧みにボートを操り島の周囲を一周した。
 白鯨の出現ポイントから見える砂浜が比較的楽に上陸できる場所であり、島の裏手に回るほど急峻な崖に囲まれていた。
 島の中央に位置する火山は活動中らしく、それほど高くない山頂からは微かに噴煙が上がっている。

 「マリア、現在位置が分かるか?」

 カオスの問いにマリアは空を見上げる。
 静止衛星の位置から現在位置を割り出そうとし、マリアはそのまましばらく演算処理を続けた。

 「結界により・正確な位置・不明」

 「ふん、やはりな・・・」

 カオスは予想通りという感じでつぶやく。
 結界が外界から島を隠している以上、その逆も起こるはずだった。

 「カオス・・・これだけ目立っているのに攻撃がこないところを見ると、敵意のある者はいないと考えていいのかしら?」

 ずっとライフルを身構えていた美神が銃身を下におろす。
 その隣でサイキックソーサーを出現させていた横島も、緊張を解くようにソーサーを引っ込めていた。

 「横島君、ママと連絡が取れるか試してちょうだい」

 美神の指示に、横島はジーンズのポケットに入れておいた衛星携帯を操作する。

 「・・・ダメですね。全然つながりません」

 横島は苛立ちながら通話停止ボタンを押した。

 「カオス、迷宮の事だけど物質にも作用する?」

 「・・・モノにもよるな。ミノス王の迷宮は一種の呪いだからな」

 美神の問いにカオスは曖昧な受け答えをした。

 「と、言うと?」

 「迷宮は脱出の意思に反応し、感覚や因果律を微妙にねじ曲げる。エネルギー源は本人の脱出の意思を使用しているから、脱出を強く願えば願うほど脱出が遠のく仕掛けじゃ。構造を知っているワシ自身も脱出の意思を持った瞬間道を間違えるじゃろう」

 「・・・脱出の方法はアレしかないという事ね」

 「うむ、勇者の帰還を願う乙女が手渡す糸玉、今回はマリアのマッピングをそれの代用としておるが・・・」

 カオス自身もマリアの記録が脱出法として有効か不安に思っている。
 美神は事態を少しでも好転させるため、とれる手だては全て行うつもりだった。

 「ずいぶん性格が悪い仕掛けだけど、やれることは全てやっとかないとね。マリア、これを海に向かって投げてくれない?」

 美神は横島から衛星携帯を受け取ると、幾つかの操作を加えマリアに手渡そうとする。
 持ってきた衛星携帯は隊員間の連絡用として、オカルトGメンに来年度正式採用される特注品だった。
 完全防水の浮力体、対衝撃構造に加えGPS等の各種機能を兼ね備えたソレは、隊員の遭難時にはビーコンとして使うこともできる。
 通話可能な範囲に移動さえさせれば、美智恵がこの場所を発見してくれるはずだった。
 
 「無駄じゃ、マリアはただの物体ではない。マリアの座標確認が機能しないのが何よりの証拠じゃ」

 カオスは携帯を受け取ろうとしたマリアを手で制した。

 「・・・・・・・・・・・・・」

 どこか自慢げなカオスを他所に、美神は手詰まりの状況に黙り込んでしまう。
 気まずい空気を吹き払うかのように風が舞い込み、美神は妙に風通しの良い太ももに違和感を覚えた。

 「?!」

 自分の下半身に視線を落とした美神の手が怒りに震えだす。
 真剣に外界との連絡を考えている隙を狙い、横島はカオスが手放したオールを使って美神のスカートをめくりあげていた。
 清楚なワンピースの裾がめくり上がり、下着に包まれた張りのあるヒップが丸見えになる。
 数秒間美神のヒップを堪能した横島は至福の表情を浮かべていた。

 ピシッ・・・・

 美神の手の中で像が踏んでも壊れないはずの携帯が軋んだ。

 「・・・・・・・・ヨ・コ・シ・マァァッ!!この非常時に何やってんのよっ!!」

 明らかな殺意を込めて美神は手に持った携帯を投擲した。
 横島は既に時代遅れとなったアクションで、のけぞるように自分の顔面に飛んできた携帯をかわす。
 ソレは恐ろしい程の速度で結界を突っ切り、水切りの要領で海面を移動していくと外の世界に消えていった。

 「今のは殺意だけでしたから大丈夫・・・」

 携帯が結界を抜けたことを確認し、振り返った横島の目に美神の拳が映る。
 そして世界は闇に閉ざされた。





 横島が意識を取り戻したとき、一行は既に上陸を完了させていた。
 目に乗せられた濡らしタオルを外しボートから身を起こす。
 おそらくマリアが荷物と自分ごとボートを引き上げたのだろう。
 あたりを見回すと最初に見えた砂浜に自分たちが上陸しているのが分かった。

 コホン

 背後で聞こえる咳払に恐る恐る振り返る。
 仁王立ちの美神に横島は反射的に土下座した。

 「すいません!策とはいえふざけすぎました」

 清楚なワンピースと称したソレは、自分の返り血で凄惨なワンピースと化していた。
 どのような暴力が自分に対して行われたのか?
 最初の一発で意識を失った横島はその幸運に感謝した。

 「・・・私は謝らないからね」

 意外な一言を残し美神は去ってゆく。
 立ち去る気配を感じ横島は安堵のため息を吐いた。

 「横島さん・大丈夫ですか」

 ボートに物資を取りに来たマリアが横島に声をかける。
 横島は手に持ったタオルをマリアに差し出した。

 「ああ、なんとかね・・・このタオル、マリアがやってくれたんだろ。サンキューな」

 「ノー・ミス・美神がやりました」

 「え?」

 意外な事実に固まる横島。

 「ボートの上で・ずっと・ヒーリング・ワンピースの血・そのとき付きました」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか」

 横島は恐る恐る自分の顔に触れる。
 鈍い痛みは残っているが、それほどのダメージはない。
 もっとも、普段からセクハラで受けた傷は化け物並みの速度で回復するのだが・・・
 最後の荷物を運び出すマリアの後に続き、横島はカオスと美神がいるところまで歩き出す。
 そこではカオスと美神が今後の計画を立てていた。



 「カオス、この島を見ても何も思い出さない?」

 美神の問いに、カオスは微かな噴煙を上げる山頂を指さす。

 「あそこに何かあるような気がする・・・」

 カオスはこう呟くと、荷下ろしを終了させたマリアを振り返る。

 「マリア、30分だけこの島の様子を上空から探れ、燃料節約のためそれ以上の飛行は禁止する」

 「ちょっと待った!」

 すぐにも飛び立とうとするマリアを横島が止めた。
 横島は荷物の中に一台だけ含まれていた飛行装置を取り出す。
 平坦なランドセルに申し訳程度の翼がついた装置を背負うと、ランドセル内部から二本の箒がせり出してくる。
 左肩ひも部分に付属するレバーのボタンを押すと、箒に霊力が集まり横島の体が音もなく上空に浮かびあがった。
 基本操作はカオスフライヤーと同じなため、ものの数分で横島は飛行装置を使いこなす。

 「一人は心配だ。俺も一緒にいくよ」

 「マリアが心配・サンキュー・横島さん」

 横島は心配そうな顔をした美神に笑顔を見せると一気に上昇する。
 いつも通り元気な自分を見せることが、美神の機嫌を直す一番の近道だと横島は思っていた。



 「おーっ、いい眺め」

 高度100mまで上昇してから横島は足下を見下ろす。
 足下に見える美神とカオスが豆粒のようだった。
 砂浜の奥に広がる森はちょうど火山の中腹あたりで姿を消し、そこから上の風景は不自然に赤茶けた土ばかりだった。

 「横島さん」

 水場を探すため森の周囲を旋回している横島をマリアが呼び止める。

 「なんだ?水場でも見つけたか?」

 「ノー・違います」

 マリアは横島に接近するとその手を強く握った。
 指先に痛いほど堅い感触を感じたが、横島はマリアの必死な思いを感じあえて何も言わなかった。

 「マリア・バッテリー・あと166時間で無くなる」

 横島にはマリアが何を言おうとしているのか予想が付いた。
 しかし、マリアの気持ちに答えるため何も言わずに続きを待つ。

 「横島さん・マリア・停止した後・ドクター・カオスのことお願い」

 予想通り、マリアは自分の活動限界を気にしていた。
 カオスのために存在するマリアにとって、カオスの役に立てない自分をどのように感じるだろう。
 横島はマリアを勇気づけるためわざと大げさに笑う。

 「そんな心配しなくてもすぐに解決するよ、財宝が絡んだ時の美神さんは無敵だから」

 横島はマリアの演算回路が高速で動く音を耳にする。
 マリアが何か考えるときに聞こえる音だった。

 「じゃあ、燃料が無くならないようにすぐに頂上へ向かおうか。カオスが何かあるって言ってたしな」

 横島はマリアを引っ張るように山頂へ急加速する。
 先行する横島を追いながら、マリアに搭載された様々なセンサーは島の地理を詳細に記録していく。
 そのセンサーの一つがが不可視の障壁をとらえたとき横島は既にぶつかる寸前だった。

 「危ない・横島さん」

 マリアのロケットアームが横島を捉えた。
 急停止した横島は墜落しかかるが、マリアのジェットにより辛うじて高度を保つ。
 マリアは状況を説明するため、横島と共に地上へ降り立った。

 「マリア、一体どうしたんだ?」

 急に捕まれた胴体をさすりながら横島が尋ねる。
 あばらが折れていないのが不思議なほどの衝撃だった。

 「横島さん・見えませんか」

 マリアは足下から小石を拾うと、手首のスナップのみで目の前の空間に投げた。
 不可視の障壁にぶつかったそれは乾いた音を立て粉々に砕ける。

 「その壁が俺の目の前にあったのか?」

 横島が目をこらすと透明度の高いガラスのような物質が見えた。

 「イエス・火山を取り囲む様に・存在します・高度は不明」

 横島はマリアの手を握ると深々と頭を下げる。

 「ありがとな、知らずにぶつかったら死んでるとこだった」

 「ノープロブレム・マリア・役に立ててうれしい」

 横島はマリアの返事に軽い感動を覚える。
 それだけに先ほどのマリアの心配を何とかしてやりたかった。

 「よし、貴重な情報も入ったし浜辺へ戻ろう」

 横島はマリアの電池と燃料を極力温存するため探索を打ち切った。




 陽はすっかり沈み、たき火と蛍光ランプによる光が美神たちを闇夜に浮き上がらせている。

 「今後の計画じゃが・・・」

 砂浜の上に置かれたちゃぶ台にカオスは一枚の地図を広げる。
 その地図は先程の偵察で得たデータを基にマリアが作成したものだった。

 「道は大きく分けて三つ。このままこの島から抜け出すか、不可視の障壁を抜けこの島の正体を明らかにするか、それとも何もせずに外からの救助を待つか」

 カオスは美神と横島を交互に見比べる。
 今までは白鯨に囚われていたが、これからの行動は自分たちの意思で決められる。
 過去と対峙せず逃げ出すのも一つの選択肢と言えた。

 プシューッ!

 遥か沖合から白鯨が潮を吹く音が聞こえる。
 それは美神たちを逃亡させないための脅しのようだった。

 「まるで逃げ出したら何度でも捕まえるって言ってるようね。この手のヤツはしつこいわよ」

 「待つのは得策じゃないな。消耗した場合他二つの選択肢も失うし、救助隊が白鯨に襲われないとも限らない」

 美神と横島はそれぞれ別の作戦を否定する。
 この二人は常に死中に活を求めてきたのだ。
 それに、横島の心にはマリアの活動限界を心配する気持ちもあった。

 「お前たちが選んだのは最も危険な選択肢かもしれんぞ」

 硬い表情のカオスに美神と横島は同時に笑いだした。

 「横島、私たちが今まで危険じゃ無かったことってあったけ?」
 
 「よく思い出せませんね」

 すさまじいまでの余裕にカオスの口元にも笑みが浮かぶ。
 この二人と出会えた幸運にカオスは感謝していた。

 「マリアはどう思う?」

 カオスは初めてマリアに意見を求めた。
 マリアは驚いたように盛んに演算を繰り返す。

 「ドクター・カオス・マリア・この島にあるモノ・知りたい」

 いつもと変わりない声、いつもと変わりのないイントネーション。
 しかし、それには紛れもなくマリアの心が感じられた。
 カオスはとうとう声を上げて笑う。

 「昔のワシに今のお前を見せてやりたいぞ、あの時のワシはお前を必要以上に・・・」

 何かを思い出しかけたようにカオスが頭を押さえる。
 しかし、胸にわき上がる不安以外な気持ち以外は何も思い出せなかった。
 カオスは自分をのぞき込むマリアに気づくと、心配をかけないよう何事もなかったかのように笑いを再開する。

 「よかろう・・・明日は障壁の向こうへ出発じゃ」

 カオスはハッキリとそう宣言すると地図の一点を指さした。





 翌日、早朝から出発した一行はカオスの指さした地点を目指し進んでいた。

 「これが例の障壁ね。触れても大丈夫?」

 カオスの肯きに、美神は恐る恐る障壁に手を伸ばす。
 目をこらさなければ見えない程透き通ったそれは、ガラスとは少し異なる手触りだった。
 神通棍のグリップで軽く叩くと澄んだ金属音が聞こえる。

 「マリアの装備で破壊できないの?」

 美神は先頭を歩くカオスとマリアに声をかける。
 全身を固めたマリアの武装に、美神は微かな期待を持っていた。

 「無駄じゃな、この障壁は白鯨の装甲と同じで供給されているエネルギー以上の衝撃を加えないと壊れん」

 「マリアの武装でも上回れないの?」

 美神は前を歩くマリアを見回す。
 両足、両肩にはミサイルポット、腰にはバルカン砲が接続され、両腕には大口径の機銃を抱えていた。
 背中に装着した予備の武器・弾薬を含め、それら全てが全盛期のカオスの手による物である。

 「桁が八つほど違うな。恐らくエネルギーはプレートから取り出しておる・・・壊したければ隕石でも当てるしかない」

 「それじゃあ、マリアは何でこんなに武装を・・・」

 横島は先ほどから感じていた疑問を口にする。
 フルアーマーと化したマリアだが島に上陸して以来敵の姿は見えなかった。

 「今朝までは本当の意味でこの島の中心を目指していなかったからな、だがこれからは違う・・・」

 マリアが動き出し、横島と美神を庇うように後方へ銃を向ける。

 「ドクター・カオス・後方に識別信号4つ・バロン量産型・好戦モード」

 「この島の防御機構がワシらを異物として認識したようじゃ・・・来るぞ!!」

 茂みから飛び出した4つの影はマリア姫のガード犬にそっくりだった。
 飛びかかってきた4頭のうち3頭が、マリアの射撃に頭を吹き飛ばされ活動を停止する。
 最後の一頭は、脚部を粉砕されその場に倒れ込んだ。

 「すまんな・・・」

 足を破壊されてもがく最後の一頭をカオスは銃で撃ち抜く。
 中枢部分を巧みに避け機能のみを沈黙させると、外装を取り外し接続用のコネクタに手帳のようなもの繋いだ。
 マリアのメンテナンスにも用いるそれは、内蔵したモニターにバロンもどきの設定を表示していく。

 「やはりワシの作か・・・」

 内蔵されていたプログラムには、ハッキリとカオスの署名があった。

 「アンタの作ったヤツならなんでアンタを襲うの?」

 美神の質問にカオスは更に深い階層まで調べてゆく。

 「創造者の識別はしない。コイツらは島の中枢に近づく者を排除することしか命令されておらん・・・マリア安心しろ、コイツらのAIはバロンとは比べものにならんくらいシンプルだ」

 カオスの言葉を聞いてマリアの演算が止まる。
 自分が活動を停止させた3体を前に、マリアは長い間演算を続けていたのだった。

 「だから、お前が気にすることはないのだぞ」

 マリアは上空を見上げる。
 両側頭部にあるアンテナが何かをキャッチした。

 「識別信号増加・数100・200・300・更に増加中」

 マリアは右腕にカオスを抱きかかえると地上数メートルのところに浮上した。

 「横島さん・ミス・美神・この空域から・離脱してください・マリア・戦います」

 「コイツらは斥候だったようじゃな。この数からすると、ワシらは相当危険視されとるらしい・・・一足先に目的地を目指せ!」

 カオスのライフルとマリアの機銃が同時に火を噴く。
 命中を知らせる一瞬の沈黙の後、その周囲から反撃の火の手があがった。

 「美神さん、オフェンスは任せます」

 横島は素早く美神を抱きかかえ飛行装置のスイッチを入れる。
 浮上して数秒後、先ほどまで立っていた場所が打ち込まれた熱線によって焼けこげていた。

 「行きますよ!変な下心はありませんからしっかりつかまってて下さい!!」

 「何バカなこといってんの!次が来るわよ!!」

 美神の腕が自分の首筋に巻かれたことを確認すると横島は一気に急上昇に入る。
 数条の熱線が足下を通り過ぎた。

 「バロンがベースならそんなに高く飛べないはずです。このまま目的地を目指します」

 追ってくる敵への攻撃は美神に任せ横島は飛行装置の操作に専念した。
 足下から狙い打たれる熱線をかいくぐり横島は目的地を目指す。
 数キロほど移動するとカオスが地図上で示した人工の建造物が目に入った。

 「あそこですね」

 横島の声に後方に集中していた美神も視線を戻す。
 そこには巨石による柱が円状に並ぶ環状列石が存在していた。

 「あそこもバロンもどきに囲まれているじゃない!」

 「それでもマリアが来るまでに制圧しとかないと」

 環状列石の内部には入り込めないのか、20頭ほどのバロンもどきが外側を囲み内部への浸入を防いでいた。
 横島は美神の体を強く抱きしめると、少しだけ余裕ができた右手に霊波を集中させる。

 「ガードは俺に任せて下さい。絶対に守って見せます」

 横島は霊波を全開しサイキックソーサーを出現させる。
 現れたのはただのソーサーでは無かった。

 「なにコレ・・・円盤というより盾じゃない!!」

 「今日は調子がいいんですよ!正直負ける気がしません!!」

 極限まで高まった霊力にソーサーは大きさと強度を増大させ、美神と横島を覆う盾へと姿を変えていた。
 横島は美神を抱きかかえたまま一気に環状列石の中心を目指す。
 熱線が盾にはじかれる様を30センチの距離で目撃する美神は、無意識のうちに横島に強く抱きついた。

 「ん?・・・・そういうわけね。感心して損しちゃった」

 更に大きく強度を上げた盾に美神は真相の一部にたどり着く。
 あきれたのも一瞬、気を取り直したようにライフルを神通棍に持ち替え着地後の戦いに意識を集中する。
 減速し地面に降り立つ瞬間をどう切り抜けるかが勝負の分かれ目だった。

 「横島、減速は危険よ!このまま低空飛行で突っ込んで」

 美神の指示通り、横島は最もバロンもどきが密集している場所に減速なしで突っ込んでいった。
 数体のバロンもどきを盾に巻き込むことで横島と美神は減速する。
 すばやく横島から離脱した美神は最大の霊力を込め神通棍を一閃させた。

 「流石、カオス作の神通棍棒ね・・・・」

 鋭く霊力を放出した神通棍により、美神を包囲しようとした数体のバロンもどきは真っ二つに切断されていた。

 「あと残り僅かよ!がんばって」

 「いや、もう終わってます」

 強行着陸で倒れ込んでいる横島を急いで引き起こそうとする美神。
 その背後から熱線を照射しようとするバロンもどきは一斉に両断された。
 鋭い切れ味を見せた霊波の盾が横島の右手に吸い込まれると、美神は複雑な表情で横島を引き起こそうとした手を離す。

 「・・・言いたいことは沢山あるけどアンタ強くなったわね」

 「まだまだですよ・・・あんなものを見せられちゃ」

 横島は後方で空中戦を繰り広げるマリアを指さす。
 まるでサーカスのような戦闘風景がそこに展開していた。



 低空飛行を続けるマリアを複数の敵が追尾している。
 放たれる熱線を旋回してかわすと、マリアは前方に現れた敵集団に右肩のミサイルを打ち込んだ。
 散開する敵を多数のミサイルが煙の尾を引きながら追跡する。
 次々に花開く破壊の火花。
 マリアはその中を抜けてきた数体の敵を次々に手に持った機銃で撃墜していった。

 「前方・クリア」

 マリアは急制動の後、体の向きを入れ替え背後から迫る敵を視界に納める。
 その視界の中で全ての敵が照準にロックされた。
 すれ違う敵の速度に合わせ旋回するマリア。
 その手の中で機銃が火を噴く。

 「後方・クリア」

 マリアの声と共に敵と同数の爆発が確認された。
 爆炎を背に、マリアは足下の林をスキャンする。

 「これより・ドクター・カオスを・レスキューします」

 マリアは林の中に降下していく。
 そこでは空中戦に入る前に下ろしたカオスが敵と交戦していた。



 茂みから顔を出したバロンもどきの頭が銃撃を受けはじけ飛ぶ。
 カオスはライフルの弾倉を交換しながら油断無く周囲に視線を走らせた。

 「流石にキリがないな。ワシってこんなに粘着質だったか?」

 巨木を盾に迫り来る敵を狙撃するカオスは敵の多さに悪態をつく。
 遠巻きにカオスを包囲するバロンもどきの集団は次第にその数を増やしている。
 しかし、圧倒的に不利な状況にあっても、カオスは一向に慌てた様子を見せることはなかった。

 「お待たせしました・ドクター・カオス」

 上空の木々をへし折り、その余裕の源がカオスの前に着陸した。
 マリアはカオスを背後に庇うと、腰のバルカン砲を横なぎに連射する。
 左足を軸に360度回転すると周囲の敵は全て沈黙していた。

 「マリア、こんな事を続けていても無意味じゃ。今頃は美神と小僧があそこを押さえているはず・・・急ぐぞ」

 「イエス・ドクター・カオス」

 マリアは空になった右肩のミサイルポットをパージすると右腕でカオスを抱きかかえる。
 地上1mの高さでホバーリングしながらマリアは林の中を疾走した。


 木立を巧みにかわしながら目的地を目指すマリア。
 その左右を同じ速度で数頭のバロンもどきが追走してきた。
 マリアはそれらに攻撃をしかけようとしたが木立がじゃまで思うようにいかない。

 「マリア、それでよい。向こうもこちらを攻撃できまい」

 「ノー・前方に多数の反応」

 カオスは覚悟を決めたように自分の足を引きつける。
 マリアの足に装着したミサイルポットの射線を遮らないためだった。

 「マリア、右足のミサイルを前方に全弾発射、その爆炎を目くらましに上空にでるぞ。ワシのことは構わん派手にいけ!」

 「イエス・ドクター・カオス」

 カオスの指示通りに発射されたミサイルは、敵の一部を巻き込みながら前方に多くの火柱を作り上げる。
 マリアはその火柱に隠れるよう上空に躍り出た。
 標的をロストした敵が一斉に上空に現れるがまだ十分な数ではない。

 「ソーリー・ドクター・カオス・少し揺れます」

 マリアは残ったミサイルを有効に使うためあえて敵のまっただ中に飛び込んだ。
 周囲から発射される熱線を急旋回でかわしつつ左手に持ち替えた機銃で応戦する。
 右手に抱えられたカオスもライフルで応戦したが、何度目かの急旋回で極度のブラックアウトを起してしまう。
 しかし、マリアに余計な気遣いをさせないためにカオスは急激なGに耐え続けた。

 「ドクター・カオス・お疲れ様でした」

 ようやく全ての敵が自分を追う状態を作り出したマリアは、残ったミサイルを全弾発射し敵の殆どを殲滅する。
 後は爆発を逃れた敵を撃破するだけだった。
 後方に下がりながら爆炎を抜けてくる敵を次々に撃破するマリア。
 目的地へはあと少しとなっていた。

 「ドクター・カオス・援護願います・マリアの銃・そろそろ弾切れ」

 「すまんな、あと数分は視力が回復せん」

 マリアの援護要請にカオスは力なく応えた。

 「・・・了解しました」

 マリアはカオスを保護する様に抱きかかえると敵に背中を見せて逃走の姿勢に入る。
 既に空となったミサイルポットをパージし、僅かながらでも加速性能を向上させる。
 目的地までカオスを無傷で届ける事が、マリアの中で最優先事項となっていた。

 ピーッ!

 視界に現れたアラートメッセージが、追跡してくる敵が自分をロックしたことを知らせる。
 回避運動はカオスの体にダメージを与えると判断したマリアは、あえて敵の攻撃を背中で受けようとしていた。
 敵の攻撃に耐えるため、防御フィールドを展開させるタイミングを計るマリア。
 しかし、マリアに攻撃をしかけることなく敵の反応は消滅した。

 「サンキュー・ミス・美神」

 マリアの目は、環状列石の内部でライフルを構える美神の姿を捉える。
 後方の反応は残り8体。
 マリアは美神と横島を信じ最短距離で環状列石に向かっていった。






 「カオス、本当にこの場所に入り口があるの?」

 環状列石の内部、周囲を警戒しつつ美神がカオスに質問する。
 先に辿り着いた美神たちは、予定通り障壁内への通路を探していたがそれらしきモノはまだ見つかっていない。

 「すまんがまだ視力が回復せん。何か手がかりとなりそうなモノはないか?」

 「ここに文字らしいモノがあるぞ・・・」

 一番障壁よりの石柱に刻まれている碑文のような溝を横島が指し示す。

 「マリア、なんと書いてある」

 横島に聞かず、マリアに聞くあたりは賢明な判断と言えた。
 その辺は横島も分かっているので別段不快な表情は見せない。
 マリアは警戒の姿勢を崩さず横目で碑文をズームする。

 「古代文字で記述・内容は・唱えよ友よ」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・コレってアレですか美神さん?」

 横島が如何にも馬鹿馬鹿しいという風に口を開く。
 敵を警戒して構えている銃がやけに重く感じられた。

 「知らないわよ!カオス、どうやら合い言葉を要求されているようだけど覚えある?」

 「全く思い出せん。マリアはどうじゃ」

 「ノー・該当データなし」

 マリアの台詞と共に、肩付けに構えた大型ライフルが火を噴く。
 遥か遠方で4体のバロンもどきが破壊された。

 「反応多数・第二波まで3分」

 マリアのセンサーが敵の増援を感知する。
 到着までに碑文の謎を解かない限り美神たちに未来はなかった。

 「だから、この前見た映画にあったじゃないで・・・・」

 横島の発言は、つま先を踏みつけた美神によって遮られる。
 暇つぶしのDVDであっても、一緒に見たことは秘密にしなければならなかったらしい。

 「マリア、今から言うことを古代語に変換して」

 「イエス・ミス・美神」

 この間もマリアによる長距離射撃は行われている。
 すでに20を上回るバロンもどきを沈黙させながら、マリアは翻訳作業を同時に行う。
 美神がやや恥ずかしそうな顔で口にした「友よ」という台詞をマリアは古代語に変換した。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 反応を期待し固唾をのむ一同。
 しかし、その期待は見事に裏切られる。

 「パスワード・拒否されました」

 「違うじゃないの!バカ横島!!」

 ベタな事を言った恥ずかしさと、それをハズした恥ずかしさが相乗され美神の顔が真っ赤になる。
 しかし、横島をシバこうとした神通棍はマリアの台詞に動きをとめた。

 「敵到着まで・二分」

 「カオス!アンタ友達の名前を片っ端から言いなさい!!」

 美神はカオスの胸ぐらを掴むとガクガクと揺さぶる。

 「コラ、揺するな!折角コントロールした網膜の毛細血管が・・・」

 カオスが先ほどから行っている身体運用術による回復が、美神の行動によって振り出しにもどる。
 単純な腕とは違い神経の密集箇所ではコントロールが難しいらしかった。

 「そんな事はどうでもいいのよ!あと二分で丸焦げにされるかもしれないのよ!!」

 美神の剣幕にカオスは半ばヤケ気味に口を開く。

 「友などおらん」

 その瞬間、環状列石が光を放ち巨石の柱に囲まれた内側の部分がエレベーターのように地下へと潜っていく。

 「パスワード・友などおらん・認証されました」

 先ほどから全ての会話を翻訳していたマリアがパスワードが認証された事を伝える。
 あまりに自虐的なパスワードに気まずい空気が蔓延していた。

 「まあ、なんだ・・・・・生きてりゃそのうちいいこともあるって」

 横島が慰めるようにカオスの肩を叩く。
 慰めた男が自分の50倍以上生きていることを横島は意識していないようだった。

 「で、カオス、次は何をやればいいんだ?」

 「・・・コントロールルームを探しバロンもどきに下される命令を止める。そうすればアイツらは停止するはずじゃ」

 僅かな振動を起こし下降が終わる。
 目の前には真っ直ぐに延びる地下通路が姿を現していた。

 「あきれるくらい行き当たりばったりよね。昨日の作戦会議は何だったのかしら」

 「いつもの事のような気もしますが・・・」

 横島は先行しようとした美神をごく自然な動作で追い抜く。
 一瞬ムッとした美神だったがあえてその位置関係を崩さなかった。
 背後から付いてくるマリアは、視力が回復しないカオスを誘導するため無防備に近い。
 盾になろうとする横島の覚悟に美神は気付いていた。


 500m程進むと通路は終了し、エレベータらしき扉が現れた。
 美神と横島はアイコンタクトでお互いの役割を確認する。
 このような状況は霊体に占拠されたビルでなんども経験していた。
 扉の正面からカオスとマリアを避難させ、自分たちも扉の両サイドに張り付く。
 横島とタイミングを合わせながら美神は扉のスイッチを押した。

 「・・・敵はいないようですね」

 サイキックソーサーをドアの前に差し横島が中の様子を確認する。
 内部の様子を反射した表面には敵の影はなかった。
 警戒を続けながら横島、美神、カオスの順でエレベータに入る。
 マリアは一番最後に乗り込んだ。

 「この設備の中には防御機構はないのかしら?」

 上昇を始めたエレベーターの中で美神は順調に行きすぎている状況に不安を感じる。

 「パターンだと乗る瞬間か降りる瞬間が一番危ないですからね」

 同じく不安そうな横島だったが、防御役を買って出るため扉の前のマリアと位置を代わろうとする。

 「横島さん・危険・識別信号が近づいています」

 敵の信号をキャッチしたマリアは、横島の行動を止めると大型ライフルを扉に向けた。

 「カオス・アンタ視力は回復したの?」

 高まる緊張感に美神は冷静に戦力分析につとめる。
 視力がない状態のカオスを守りながら戦うのは困難だった。

 「輪郭が見える程度には回復した」

 「それじゃあ戦闘はダメね。巻き込まれないようにおとなしくしていなさい」

 完全な戦力外扱いにムッとするカオス。
 しかし、お前が揺すらなきゃもっと早く回復したとは言わない。
 言ったら最後、再び視力を失うのは目に見えていた。

 「識別信号・バロン改・接近」

 識別信号の位置からエレベータの停止を予測したマリアはライフルの安全装置を外す。
 同時に腰に装着したバルカン砲からもロックの外れる音が聞こえた。
 エレベータが止まると扉が開くのを待たず、マリアは前方に向け一斉射撃を始める。
 紙くずの様にはじけ飛ぶ扉。
 硝煙を突っ切ってマリアは表に飛び出す。
 敵の識別信号は未だ健在だった。

 「奥の通路へ・跳弾・危険です」

 マリアの台詞に青ざめながら美神と横島は両側からカオスを抱え奥の通路を目指す。
 3人が滑り込むように通路に隠れると、マリアはバロン改に向かって腰のバルカン砲を連射した。

 キン!キン!キン!

 白鯨に対して行われた攻撃と全く同じように銃弾がはじき返される。
 跳弾がすぐ脇の壁にめり込んだことに気付き、様子を伺おうとしていた横死は慌てて通路奥まで移動した。

 「今の音はまさか?」

 「バロン改とやらがバルカン砲をはじいたんです。三倍速そうなヤツだから何かあるとは思ってたんですが・・・」

 美神の問いに、横島は先程の光景を思い出すと忌々しそうに顔を歪める。
 燃えるような真紅の体と頭部に付いたレーダーは、量産型をまとめるリーダーの印なのだろう。
 マリアと対峙したバロン改は、今までの物とは明らかに異なっていた。

 「白鯨と同じ障壁がアイツにもあるっていうの?」

 「バロンサイズにはそんな出力はないはずじゃが・・・」

 俄には信じられないという表情を浮かべる美神の横で、カオスは何かを探るように床に手の平を重ねる。
 その手は床からバロンに流れ込むエネルギーの流れを感じとった。

 「・・・不味いな。ソイツはこの施設から直接エネルギーを取り入れておる」

 「それじゃあ、ここにいる間はほぼ無敵じゃない!」

 「そうはさせん・・・」

 カオスはおぼつかない足取りで通路の奥を目指す。
 自分なりの戦い方、制御室を探し出しエネルギーの供給を止めることでカオスはマリアを助けるつもりだった。
 単独行動を止めようとした美神の声は派手な衝突音にかき消される。
 何事かと振り返った美神の目に、窮地に陥っているマリアの姿が映った。


 バルカン砲を無力化されたことにより生じた隙。
 その隙をつかれてマリアはバロンの体当たりをモロに喰らっていた。
 倒れ込んだ自分を咬み砕こうとする牙を、マリアは手に持った大型ライフルで防ぐ。
 マリアの目の前でライフルの銃身は飴のように曲がった。

 「危ない!マリア」

 横島は咄嗟にサイキックソーサーを投擲した。
 マリアの危機にとっさに出た攻撃は、バロンの素早い回避運動に空しく空を切る。
 しかし、その回避行動がマリアの反撃の機会となった。
 自分の上から飛び退いたバロン改に蹴りを放つマリア。
 その蹴りをまともに受け、はじき飛ばされたバロン改が壁に激突する。
 横島はその光景にどこか違和感を感じていた。

 「マリアのフォローは俺がやります。美神さんはカオスを追って下さい」

 横島はマリアから目を離さず背後の美神にカオスを追うように促す。

 「独りで大丈夫なの?」

 美神の言葉に心配のニュアンスを感じ、横島は苦笑を浮かべ美神を振り返った。

 「やっぱり、3回唱えないと御利益が無いみたいですね」

 「なんのことよ?」

 「流れ星への願いですよ。みんなに心配かけない強い男になりたいって・・・・・・心配ばかりかけるのは情けないですから」

 横島は美神を安心させようと笑顔を浮かべる。
 その手にはカオス作の呪縛ロープが握られていた。

 「でも、安心して下さい・・・試してみたい策があるんです。イヌはやっぱり鎖につながないとね」

 先程の光景に何かを思いついたのか、横島は躊躇無く部屋の中央に飛び出していく。
 その姿に覚悟を決めた美神は、急いでカオスを追いかける。
 視力が回復しないカオスには目の代わりとなる者が必要だった。






 カオスを追いかけ通路を抜けた美神は、今までとは明らかに異なる一室へと辿り着く。
 途中分岐路は無く、カオスも恐らく訪れたであろう部屋には女神を象った一体の彫刻が飾られていた。

 「・・・・・・・・・・ルーブルならいくら出すかしら」

 美神の頭脳には小国の国家予算に匹敵する金額が浮かんでいる。
 部屋の中央に位置する障壁でカバーされた女神像は、圧倒的な美と生命力を表現していた。

 「その声は美神か?」

 女神像の反対側から聞こえてきた声に、美神は女神像をとりまく障壁を回り込む。
 壁際にセットされたコントロール装置の前に立つカオスの姿が見えた。

 「結局追いつけなかったわね・・・見えるようにはなったの?」

 「朧気にはな・・・それ以上に体がここを覚えておった」

 カオスはブラインドタッチの要領でキーボードによく似た入力装置を操作する。
 付属しているモニター部分に数行の古代文字が表示された。

 「小僧はどうした?」

 画面が立ち上がるまでの数秒間、カオスは横島の気配が無いことに気付く。
 先程の横島の言葉がずっと引っかかっていたのか、美神はぶっきらぼうに答える。

 「マリアのサポートに残ったわ。ったく・・・心配するなって方が無茶な注文よ」

 「そうか・・・来た方がお前で助かった。古代文字は読めるな?」

 「単語程度なら・・・」

 元々呪術や魔術が専門ではない美神は、エミや魔鈴ほどには古代文字に通じていない。

 「それで十分じゃ。暫くの間、ワシの目の代わりになってくれ」

 カオスは素早くキーボードを操作し施設のコントロールを掌握しようとする。
 次々に画面に表示させる古代文字を美神は必死に読み込みカオスに伝える。

 「マリアが危ないのでな、チマチマやっている時間はない。動力を停止させる項目はあるか?」

 「多分、一番下のコマンドがそうね・・・・そう、そこ!」

 カオスは美神が指定した通りの場所にカーソルを合わせ実行キーを押した。
 少しの間を置き、正面の壁に面した窓から唸るような音が聞こえてくる。

 「プレートからのエネルギー吸収が止まったらしいな。窓の外を見るがよい」

 カオスに促され、美神はカオスと共に窓際に近づく。
 窓の外には火山の火口から延びた無数のパイプが確認された。
 カオスは目を細め食い入るように窓の外を見つめる。
 回復しつつある視力が徐々に外の景色を映し、やがてそれがハッキリとした像を結ぶようになる頃カオスはようやく肩の力を抜いた。

 「どうやら成功したようじゃな。マリアと小僧なら後は何とかするじゃろう」

 「終わったってこと?」

 「そうじゃ・・・障壁も消えたことじゃし、後はゆっくりとこの島の正体を探ってやればよい」

 美神もこの言葉にようやく安堵のため息をついた。
 そして、すぐに美神本来の強欲さを発揮する。

 「じゃあさぁ・・・報酬の事だけど。あの女神像を貰えないかしら?」

 「女神像?なんじゃそりゃ」

 「ほら、あれよ!」

 先程まで輪郭程度しか見えなかったカオスは女神像の存在に気付いていない。
 美神はカオスの肩をつかみ、女神像のあった方を振り向かせようとする。
 しかし、その場所には何も存在しなかった。

 「何も無いじゃないか?」

 「お久しぶりね。ドクター・カオス」

 不思議そうな顔をするカオスの頭上から透き通るような声がかけられる。
 その声に含まれる嫌悪の感情に身構えた美神は、その人影が先程の女神像であることに気付いた。
 そして美神の耳は、掠れるようなカオスの呟きを捉える。

 ―――青の妖精

 カオスは確かにそう呟いていた。






 「マリア!打つな!!」

 部屋に飛び込んできた横島の制止に、マリアは腰に装着しているバルカン砲を止める。
 マリアの蹴りを受け、壁に激突したバロン改は床に低く伏せた状態でマリアの攻撃を待ちかまえていた。
 既にその周囲には障壁が張り巡らせている。

 「試してみたいことがある。俺の合図までバルカン砲は使うな」

 「イエス・横島さん」

 横島はマリアに浮上のサインを送ると、飛行装置を使用し天井ギリギリまで浮かび上がる。
 その後に続こうとしたマリアに、バロン改が初めて熱線による攻撃を仕掛けた。
 次々に浴びせられる熱線を、巧みな回避運動でかわし続けるマリア。
 横島はタイミングを計って再びサイキックソーサーを投擲した。

 「やっぱり・・・」

 熱線による攻撃を中断させ障壁をはったバロン改は、今度の攻撃は正面から受け止める。
 障壁とぶつかり霧散する霊気。攻撃が無効とされたにも関わらず横島は笑みを浮かべていた。

 「マリア、ヤツは遠距離攻撃と防御を同時に出来ないらしい」

 再びソーサーを出現させ遠距離攻撃に対しての威嚇とすると、バロン改の中で戦闘プログラムの変更が行われた。
 素早く床を疾走し勢いを付けると、壁面を駆け上がるように横島の方へ近づいていく。
 障壁と牙による攻撃は同時使用可能らしかった。

 「横島さん、危ない」

 マリアは横島とバロンの間に割り込み、噛みつき攻撃をその腕で受けようとする。
 如何にマリアの装甲が堅いとはいっても、無限に近い強度を発揮しているバロン改とは勝負にならない。
 マリアは自分の腕を犠牲に横島を守ろうとしていた。

(落)

 マリアの腕を粉砕する筈の牙は炸裂した霊力にその勢いを失った。
 横島の放った文珠により落下するバロン改。

 「虎の子の文珠を使ったんだ。うまくいってくれよ」

 横島は落下するバロンに向けて呪縛ロープを投げつけた。
 カオス特製の呪縛ロープは自動追尾機能を持ち、横島のイメージ通りバロン改を捕捉する。
 呪縛ロープに絡めとられ、バロン改は宙づりの姿勢になっていた。

 「マリア、バルカン砲を使え!」

 跳弾を避けるため横島は急いでマリアの背後に隠れる。
 吊り下げたバロン改に向かいバルカン砲の連射が浴びせられた。
 しかし、打ち込まれた銃弾はことごとく障壁に弾かれる。

 「横島さん・効いていません」

 「まだまだ、アイツは宙に浮いている時はエネルギーの供給を受けられないらしい。バッテリーが切れるのが先か弾切れが先か勝負だ」

 連射されるバルカン砲を弾くうちに障壁の立てる音に変化が現れ始める。
 はじめは高い透き通った音だったそれは徐々にその音階を下げていった。

 「いけるぞ!思った通りだ」

 横島は先程の光景を思い出す。
 マリアに跳びかかり、噛みつこうとしていたバロンは全ての足を床に付けてはいなかった。
 その状態のバロン改は横島のサイキックソーサーをはじくのではなく回避している。
 そのとき横島は障壁が決して万能の盾でないことに気付いたのだった。

 バロン改の障壁が立てる音は既に鈍い音になっていた。
 勝利の予感に口元を緩めかけた横島だったがその表情が一瞬で引き締まる。
 発射音は既に止み、マリアの左腰に付けられたバルカン砲からはシリンダーが空回る音が空しく響いていた。

 「この勝負はそっちの勝ちか」

 横島の言葉に、宙づりにされたバロン改の目が怪しく光る。
 その目はまるで今度はこっちの番だと言っているかに見えた。
 障壁を解除し、熱線による遠距離攻撃に切り替えるバロン改。
 その攻撃を回避するため散開する横島とマリアだったが、横島は呪縛ロープを逆手にとられうまく回避ができない状態だった。

 「くそっ!」

 折角巻き付けたロープだったが命には代えられない。
 横島は解除のイメージを呪縛ロープに送りバロン改を解放した。
 床に着地したバロンはエネルギーをチャージするため体を低く伏せる。
 これまで何度か目にした威嚇のポーズだった。
 しかし、決まりが悪かったのかバロン改は立ち上がるともう一度同じポーズをとる。
 その動作を見た横島は、カオスが作業を成功させた事を確信した。

 「カオスがうまくやってくれたようだな」

 横島はサイキックソーサーを投擲しバロンの反応を見る。
 予想したとおり、バロン改は障壁を発生させず回避行動をとった。

 「アイツはもう障壁は張れない・・・マリア!多分アイツが司令塔だろう。停止させれば表の奴らも停止する」

 「・・・イエス」

 マリアはバロン改と向き合うと、左腰に付けられていたバルカン砲と背中に背負った弾薬ケースをパージする。
 これからの戦闘に備え少しでも反応速度を高めるつもりだった。

 「マリア!?まさか、マシンガンを使わない気か?」

 腕に内蔵されているマシンガンをマリアは使わないつもりだった。
 障壁をあきらめ最後の攻撃をしかけるバロン改。
 首めがけて襲いかかるバロンの攻撃をマリアは紙一重でかわす。
 するどい爪にマリアの衣服が破けるが、本体にダメージは無かった。

 「ソーリー・B−06S」

 それはバロン改の識別番号だったのだろう。
 攻撃をかわされ着地したバロン改は、そのまま糸の切れた人形のように倒れる。
 すれ違いざま放たれたマリアの抜き手は、正確に装甲を貫きバロン改の停止スイッチを押していた。

 「優しいな、マリアは」

 横島はそれ以上何も言わず、マリアの背を押すようにその場を後にする。
 カオスと対峙した青の妖精の事を、この時の二人は知る由もなかった。





第四章:青の妖精


 「青の妖精?」

 聞き覚えのある名前に美神は記憶を手繰る。
 青く輝く美しい髪を持った妖精の話を美神はどこかで耳にしていた。

 「・・・あなたがここにいると言うことは、クジラちゃんは無事役割を果たしたようね」

 青の妖精は遠くの物音に耳を傾ける。
 白鯨からの呼びかけは、青の妖精の耳にしか届かなかった。

 「結界?150年?・・・そんなことがあったのね。ご苦労様・・・約束通りあなたの望みは叶えてあげるわ」

 それは白鯨に対して囁かれた台詞だった。
 青の妖精はショックに立ちつくすカオスの前に降り立つ。

 「しかし、150年は無駄ではなかったようね。あなたが反省して自分から封印を解いたのだから・・・・・あの娘はどこ?」

 青の妖精の台詞にカオスが体を強張らせる。
 カオスの目は通路を歩いてくるマリアと横島の姿を映していた。

 「マリア、来てはいかん!逃げろ!!」

 カオスの必死な叫びに青の妖精は不快な表情を浮かべた。

 「反省した訳では無いようね」

 懐の銃へとのばしたカオスの手が青の妖精に押さえられる。
 それだけでカオスは体の自由を失った。
 青の妖精がしなやかな指先をカオスの額にあてると、その指先は全く抵抗を受けず頭の中にめり込んだ。

 「なにしやがる!」

 カオスを助けようと駆け寄ったマリアと横島は、青の妖精の霊圧に身動き気がとれなくなる。
 美神も相手の力量が分かるだけに出方を決められずその場に立ちつくしていた。



 「・・・なんて、見下げた男なの!」

 カオスの記憶を読んだ青の妖精は吐き捨てる様に言った。

 「150年前、あの娘が幸せになるのを邪魔をしただけではなくその記憶まで削除するなんて・・・・・・。そして、良心の呵責に耐えられず自身の記憶もaqwsedrftgyに食わせるとは何て卑怯な・・・」

 青の妖精が口にしたのは人間が決して発音できない太古の神の名前だった。
 カオスが大量に記憶を吸われた事件は、計画的なものであったと青の妖精は言っているのだ。

 「挙げ句の果てには人の体を奪うですって?そんな逃げは許さないわ・・・一度でも人としての生を捨てた浅ましい錬金術師にはね」

 青の妖精はカオスの額から右手の指を抜き出す。
 どのような現象なのかカオスの額には傷一つ付いていなかった。

 「何のことか分かっていないようだから記憶を少し戻しておいてあげたわ」

 カオスの心にもどかしさが広がる。
 青の妖精の存在は知識として知っていた。
 それがマリアと出会った時、どの様な事が起こるのかも予想はつく。
 しかし、青の妖精と自分が過去においてどのような関係にあったのか?
 カオスの脳に戻された記憶は、薄皮一枚に包まれたように不鮮明だった。

 「やめろ・・・マリアに手をだすな」

 記憶をいじられたダメージかカオスはその場にへたり込んでしまう。
 青の妖精はカオスの言葉に耳を傾ける気など一切無いように悠然とマリアのもとに歩み寄る。
 何とか体を動かしその前に立ちはだかった美神と横島は、青の妖精の霊圧に再び立ちつくしてしまった。
 アシュタロスにも立ち向かった歴戦の二人だったが、目の前に迫る青の妖精に攻撃することができない。
 二人は青の妖精に何の悪意も感じることができなかった。

 「お退きなさい」

 二人を見つめる眼差しには紛れもない慈愛が含まれていた。
 その視線に美神は美智恵の、横島は百合子の胸に抱かれた日々を思い出し無意識に道を譲ってしまう。

 「マリアちゃん・・・よい子のあなたにはもっと生きる喜びを感じさせてあげる」

 青の妖精はマリアを背後から抱きかかえると優しく耳元に囁く。
 マリアの体が眩い光に包まれると室内に清浄な霊力が充満した。

 「どう?世界が違って見えるでしょう?」

 マリアには青の妖精の声が今までとは違ったように感じた。
 それだけではない、普段様々な情報が表示される視界は今はただ景色を映すのみとなっている。
 しかし、その音、景色のなんと瑞々しいことか。
 マリアはセンサーの変調と考え自分の目に手を当てる。
 その指先は柔らかな弾力と、温かな体温を感じ取っていた。

 「!?」

 慌てたように側頭部のアンテナを探すマリア。
 アンテナは既に姿を消していた。

 「おめでとう、あなたは人間になれたのよ」

 青の妖精の言葉にその場にいる全員が衝撃を受ける。
 マリアは人間に姿を変えていた。









 へたり込んだカオスは床に手をついたまま眩い光に包まれたマリアを見上げていた。
 その光景に猛烈な既視感が襲ってくる。

 「たしかに過去にもこのような事が・・・・」

 記憶の薄皮が徐々にはがれていく。
 失われた筈の記憶が、まるで無声映画のワンシーンのようにカオスの脳裏に次々と浮かび上がる。


 150年前のイタリアで青の妖精と出会うカオスとマリア。
 それが全ての始まりだった。




 マリアを人間に変えようとする青の妖精。
 そのことを隠したままカオスはマリアと共に身を隠す。
 マリアを失う事を恐れたカオスには、マリアの意思を確認する勇気が無かった。


 研究の全てをつぎ込んだ白鯨に乗り世界中の海を逃げ回る日々。
 唯一の補給基地である火山島に立ち寄る以外は、地上と一切連絡を絶つ生活が続いた。
 しかし、執拗に追跡する青の妖精にやがて白鯨のコントロールは奪われてしまう。


 やっとの思いでたどり着いた火山島で最後の賭にでたカオス。
 接近する者を排除するバロンタイプの群れも青の妖精には無力だった。
 マリアを人間化するときに一瞬だけ見せる隙。
 その隙をついてカオスは障壁内に発生させた”場”に青の妖精を封じていた。
 施設を障壁で封印し、敵の手に落ちた白鯨ごとミノス王の迷宮に封じる。
 しかし、これで全ての問題が解決したわけでは無かった。


 一連の騒動はカオス胸に不安の種子を植え付けていた。
 それは、マリアが人間となるのを望むのではないかという考え。
 マリアの死後、独りで生きていかなくてはならない自分にカオスは恐怖した。
 冷静さを失ったカオスは、この件に関する記録をマリアの記憶から削除してしまう。
 その瞬間、マリアはカオスにとってただの機械となった。

 
 人間化の妨害や記憶の削除。
 マリアとの生活を守るために行ったそれらの行動は、カオスを抜け出せぬ自己嫌悪の連鎖に陥らせる。
 必要以上にマリアを機械扱いするようになったカオス。
 それでも、状況を打破するために始めた人格交換の研究はマリアと共に生きるためのものだった。
 再び青の妖精が現れマリアを人間に変えた場合、カオスは人格交換で人としての寿命を手に入れるつもりだった。
 たとえそれが錬金術師としての自分の生涯を否定する行為だとしても・・・
 少しずつ広がるマリアとの溝、マリアとホームズが出会ったのはそんな時だった。


 理想の素材を手に入れたことにより人格交換の技術は一応の確立を見せる。
 だが、その代償はあまりにも大きかった。
 悲恋を経験したマリアを目の当たりにしたカオスは、以前のようにマリアと接せない自分に気付く。
 カオスは過去を清算するために一計を企てる。
 それは、太古の神に記憶を食わせ自己嫌悪の連鎖を打ち切るというものだった。
 計画は一見成功したように見えた。
 自己嫌悪の連鎖から脱し、平穏さを取り戻したカオスは以前と同じようにマリアに接するようになった。
 しかし、記憶を失ったカオスはマリアの笑顔がその代償であることに気付かない。
 その日からマリアは機械としての自分を演じるようになった。



 「どう?自分のエゴイストぶりを思い出した気分は・・・」

 青の妖精はマリアから離れると冷たい目でカオスを見下ろす。

 「あの娘はこれから人としての生を送っていく・・・あなたが捨て去った人としての一生をね。あなたも人格交換とやらで取り返して見ますか?人としての生涯を」

 カオスは俯いたまま動かない。
 過去の出来事に打ちのめされた彼は、心を閉ざしてしまったように見えた。

 「そうすればあなたは認めることになるわ・・・寿命に抗った自分が間違っていたと。人の生は短いからこそ輝けるのだと」

 カオスの耳には青の妖精の言葉が届いていないようだった。
 その口は小さな声で後悔とマリアへの謝罪を呟いている。
 静まりかえった室内にその声が微かに響いた。

 「イヤァァァァァァァァ!!」

 突如響き渡った女の悲鳴がその呟きを止める。
 その悲鳴はマリアの口から発していた。







 「イヤァァァァァァァァ!!」

 マリアは絶叫すると青の妖精にすがりつく。

 「お願いします!元に戻してください!!このままじゃカオス様より先に・・・・」

 感情を爆発させ必死に懇願するマリア。
 青の妖精は優しく微笑みかけるとすがりつくマリアの腕をそっと外していく。

 「今のあなたは驚いているだけ。大丈夫、よい子のあなたならきっと幸せになれるわ・・・頑張って生きるのよ」

 青の妖精はこう言い残し滑るように窓に近寄る。
 右手が硬質ガラスに触れると、それは音もなく砕け散り青の妖精は窓の外に姿を消していた。

 「カオス様!助けて下さい!このままじゃカオス様とずっと一緒にいられない」

 マリアは床に伏せたままのカオスにすがりついていた。
 必死に助けるマリアに揺すぶられ、カオスの体がなされるままに揺れる。
 打ちのめされているカオスにはマリアにかける言葉が見つからなかった。

 パシッ!

 カオスの頬に炸裂した美神のビンタが数秒間の沈黙を破る。

 「一体いつまで不抜けていれば気が済むの!マリアがあなたの助けを求めているじゃない!!アイツを逃がさないよう障壁を再起動するとか、アンタにしか出来ないことは沢山あるでしょう!・・・・それと横島ぁ!」

 美神はマリアを引き起こすと横島に向かって突き飛ばした。
 よろけるようにマリアは横島の胸に飛び込んでいく。

 「マリアを連れてアイツを追いかけなさい!!私はこの腑抜けを何とかしてもう一度障壁を作動させてみるから」

 美神はマリアの扱いに躊躇している横島に笑いかける。
 まるでこれから起こることが大したことでは無いとでも言う風に。

 「心配はするけど信頼もしてるわ。横島!いつもの調子でチャッチャと片づけてらっしゃい!」

 「・・・了解しました!」

 横島はマリアを抱きかかえると飛行装置のスイッチを入れた。
 妖精を追いかけ窓から身を躍らせる横島とマリア。
 その姿を見送ってから美神はその場に崩れ落ちそうになる。
 美神の叱咤に立ち上がっていたカオスは咄嗟にその体を支えた。

 「生命創造・・・クリエイタークラスの精霊を封印するなんて全盛期のアンタは化け物だったようね」

 生命創造を行える精霊は有史以来数えるほどしか歴史の表舞台に顔を出していない。
 そして、そのほとんどは古代において神と崇められていた存在だった。
 相手の力量が分かるからこその恐怖。
 その緊張から解放された美神は一気に脱力感に襲われたのだった。

 「ただの愚かなエゴイストじゃよ。ワシは自分のエゴでマリアの人間化を防いだだけじゃ」

 「マリアの気持ちは確かめたの?マリアはさっきアンタとずっと一緒にいたいって言ってたわよ」

 美神は足に気合いを入れるとカオスから離れる。
 煮え切らないカオスに美神はイラついていた。

 「だから今回は違うのじゃ、ワシは自分のエゴではなくマリアの意志に従ってマリアの人間化を妨げる」

 カオスは障壁を再起動するためにコントロール装置を操作する。
 しかし無情にもモニターはエネルギーパイプの破損を表示していた。
 絶望的な状況にも関わらずカオスの口元に笑みが浮かぶ。

 「アイツが壊したのか?ワシの障壁を恐れて・・・それならばまだ可能性がある。すまんが手伝ってくれ」

 カオスはキーボードを操作し障壁の起動ボタンを表示させる。

 「ワシの合図でこのキーを叩くのじゃ」

 「アンタは何をする気なのよ?」

 美神の目の前でカオスは床のハッチを開ける。
 それと同時に火山の熱気が部屋中に充満した。

 「この下は配管が通っていてな、多少危険じゃがエネルギーの流れを変更し破損箇所を迂回させる」

 カオスはハッチに片足を踏み入れ、火口上空にむき出しで張られたパイプの一つに足をかける。
 もちろん命綱は無く、その数十メートル下方には未だ活動を続ける灼熱の溶岩が蠢いていた。

 「小僧が時間稼ぎをしてくれている間に、何としても作業を終了させねばな」

 カオスは自分に言い聞かせるよう呟くとその体をハッチの中に潜り込ませた。
 コントロールルームに残された美神は、カオスの最後の言葉に反論する。
 それはカオスに対して呟いたものではなかった。

 「時間稼ぎは私たちの方・・・あの妖精がピノキオに出てきた妖精なら・・・・頼んだわよ横島」









 マリアは横島に抱きかかえられながら青の妖精を追跡していた。
 頬を流れる想像以上風の強さに、マリアはまともに目を開けることができない。
 自分でも信じられないが、マリアは空を飛ぶことに恐怖を覚えていた。
 足下に広がる風景を見ると背筋に冷たいものが走る。
 踏みしめる地面が無いということがなんと不安なことか・・・
 そんな事は無いと思ってはいても、手を離される自分を想像しマリアは横島に必死にしがみついていた。

 「怖いのか?マリア」

 マリアの肯きに横島は意外そうな顔をした。

 「いつも平気で飛んでるから大丈夫だと思ったんだけど・・・」

 「私と飛んでいた人はこんなに怖い思いをしてたんですか?」

 マリアの言葉に横島は月での一件を思い出す。
 あの時、横島はマリアと共に剥き身で大気圏突入を行っていた。

 「大気圏突入の時は流石に怖かったけどね。普通の飛行じゃ他のみんなも怖いとは思わないんじゃないか」

 「どうしてですか?」

 横島は数秒間考えてからサラリと言う。

 「みんなマリアを信頼してるからね・・・」

 その言葉にマリアは嬉しそうに笑った。
 花のような笑顔に横島の心拍数が僅かに高まる。
 自分も横島を信頼していることを伝えるため、マリアは横島の胸に顔を埋め体の力を抜いた。

 「横島さんって不思議な人ですね。初対面であんな事をしたのにその後も普通に接してくれて・・・・ずっと前に同じ事をした人はダメでした」

 ホームズの事を思い出しマリアの声が微かに沈む。

 「その人に言われちゃいました・・・人間であるかのような微笑みは誤解を生むって」

 「その人はマリアの事が好きだったんじゃないかな?だから余計に裏切られたような気がして・・・マリアが機械かどうかは関係無かったと思うぞ」

 驚いたようにマリアは横島を見上げた。
 しかし横島はマリアの視線に気付いていない。

 「俺はひどい仕打ちには慣れてるからね・・・美神さんで。マリア、追いついたぞ!」

 横島は青の妖精の姿を見つけ、急加速による上昇をストップした。
 青の妖精は大気の囁きに耳を傾けているように目を瞑っている。
 しかし、その姿は全くと言っていいほど隙が無かった。

 「とっくに逃げ出したと思っていたけどな」

 「逃げる?そんな必要がどこにあると言うの?それよりもひどいモノね・・・私の眠っていた150年ですっかり大気は汚れてしまった、いや、大気だけでなく命にとって母なる海も・・・」

 遠巻きに対峙する横島の声に青の妖精はゆっくりと目をあけた。
 そしてゆっくりと足下に広がる青い海を見回す。
 会話のペースを握られそうになった横島は、あえて素っ気なく青の妖精の言葉を遮った。

 「俺は進歩と調和の文化圏なんでね、そんな話は愛知県でやってくれ。それよりマリアを元に戻してもらおうか」

 「お願いします。元に戻して下さい」

 必死に懇願するマリアに、青の妖精は聞き分けのない子供を諭す母親のような口調で答える。
 その口調に紛れもない慈愛の響きを感じ、横島はあえて口を挟まず妖精の真意を探ることにした。

 「限りある命が怖いのね。でもそれが生命なの・・・あなたはやがて恋をして、その人との間に子を作りそして死んでいく。そうやって命はつながって行くの・・・一人一人の命は短いけど、だからこそ自分の生を輝かそうと一生懸命に生きられるのよ」

 横島は青の妖精の言葉に一人の女を思い出していた。
 一年に満たない生涯を必死に生きた彼女、その命は確かに自分の中につながっている。

 「一生懸命生きなさい、そうすればやがてあなたも人生の意味に気づく・・・・人としての生を捨てた、あの愚かな錬金術師にいつまでも仕える必要はないのよ」

 「違います!カオス様は愚かではありません!!それに、私もカオス様も一生懸命生きてます。私たちの生涯は決して無意味じゃありません」

 カオスへの言葉に反応したマリアを青の妖精は哀れみの眼差しで見つめる。

 「マリアちゃん、悪いことは言わないわ。人として生きるの、そうすればあの探偵の時みたいに悲しい思いはしないですむのよ・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 青の妖精の口から突然ホームズの話を聞かされマリアは黙り込んでしまう。
 彼女にとって、あれは紛れもない初恋だった。

 「ごめんなさい、あの男の記憶を探るときに知ってしまったの・・・・悲しい恋をしたようね」

 「あの頃、カオス様に機械扱いされ始めた私に、あの人は優しく接してくれました・・・確かに、あの時は機械である自分を悲しく思いました。だけど、今は違うんです。横島さんと美神さんがマリア姫に会わせてくれたから・・・私は機械である自分を誇りに思っています」

 「あなたは間違って・・・」

 マリアの言葉に反論しかかった青の妖精は周囲に張り巡らされたエネルギーに沈黙した。
 それは徐々に密度を高め、障壁を再構築していく。

 「馬鹿な・・・装置は破壊した筈なのに」

 「カオスと美神さんがうまくやってくれたようだな。障壁によってこの一帯は閉鎖されたようだぞ」

 先程から二人の会話を黙って聞いていた横島がようやく口を開く。
 横島は美神とカオスが障壁を復旧させるのを待っていたのだ。

 「障壁程度はなんとかなるけど、”場”に閉じこめられるのは厄介ね」

 再度装置を破壊しようと青の妖精は急降下を始める。
 そのとき横島がはじめて行動を起こした。

 「やっと隙ができたな」

 その左腕に横島が放った呪縛ロープが絡みつく。
 マリアを庇いながら横島は妖精と共に螺旋を描くように降下していった。

 「マリア、俺たちを信じるんだ!絶対にもとに戻してやる」

 マリアと妖精のやりとりを聞いていた横島は覚悟を決めていた。
 自分の持てる力を全て発揮しマリアをもとに戻す。
 それが横島にとっての正義となっていた。

 「私を倒せるとでも思っているの?」

 二人を引き連れたままの破壊をあきらめ青の妖精は空中で制止した。
 このまま破壊活動を行えばマリアと横島を傷つける危険がある。
 彼女には横島たちを傷つけるつもりは無かった。

 「霊格の違いくらい俺にもわかるからね、倒せるとは思っていないよ。ただね・・・」

 横島は火口内部で作業をしているカオスを指さす。
 カオスは不安定なパイプにしがみつきながら、青の妖精を”場”に閉じこめるべく必死にエネルギーの流れを再構築していた。

 「アイツを筆頭にみんながマリアの望みを叶えたいと思っている。俺もできるだけの事をやらないと信頼してくれた人に申し訳が立たないからな」

 不敵に笑う横島に青の妖精は口元を緩める。
 本来、彼女は横島のように奔放な人間が好きなのだ。
 ”場”の効力を発揮させないように、青の妖精はめまぐるしく横島と位置を入れ替えながら横島の値踏みを始める。
 青の妖精はマリアの側に彼のような男がいるのを好ましく思っていた。

 「ん?一体何をしたんだ!」

 青の妖精が自由な右手を自分に向けたとき、横島は自分が何かしらの攻撃を受けたことに気付く。
 しかし、具体的なダメージは無かった。

 「坊や、名前は何と言うの?」

 「横島忠夫だ」

 霊能力者が本名を名乗るのはそれなりのリスクを背負う。
 それにも関わらず横島は本名を名乗っていた。
 青の妖精はその答えに満足したように微笑む。

 「いい子ね。忠夫ちゃん・・・・人間になったマリアちゃんを抱いた感想はどお?」

 「なっ!」

 予想外の質問に横島は大いに取り乱した。
 動揺する横島を楽しそうに眺めながら青の妖精は更に先を続ける。

 「マリアちゃんは温かいでしょ?そして柔らかいでしょ?機械のマリアちゃんには無かった感触・・・あなたはその感触を大好きな筈よ」

 横島は殊更に腕の中のマリアを意識してしまう。
 下着を着ける習慣のないマリアの胸の感触は、その先端の部分までハッキリと感じることができていた。
 緊急時にそんなことに意識を向ける自分が情けなくなり横島はつい嘘をついてしまう。

 「そんなことはない!下らないことを言ってないでマリアを戻すんだ!!」

 横島の答えを聞いた青の妖精は楽しそうに笑う。

 「嘘をつくなんて悪い子ね。忠夫ちゃん、お鼻が伸びているわよ!」

 青の妖精の指摘に、横島は子供の頃読んだ物語を思い出す。
 寄り目にして自分の鼻を確認すると10センチ程に伸びた鼻が見えた。

 「違う・・・マリア、これは・・・・」

 自分の変化に慌てた横島は弁解するためマリアに視線を移す。
 マリアは驚いたように横島の鼻を見つめていた。

 「・・・・・・・・・・・」

 マリアは自分を見下ろす横島が自分の目を見ていないことに気付く。
 横島の視線の先を追うと、戦闘で破けた服から自分の胸がのぞいていた。
 それも本来無いはずの桜色の先端まで・・・
 急に恥ずかしくなったマリアは、急いで胸を隠すと顔を真っ赤にして俯いた。
 その反応に我に返った横島は恥ずかしさに身悶えする。

 「あああ・・・シリアスぶっても結局俺はセクハラキャラなんやー!このまま一生、女の子にキャーとか言われて嫌がられ続ける運命なんやー!!」

 「ほほほ、恥ずかしがることはないわ。それが普通の男の子なのよ、忠夫ちゃん」

 青の妖精に妙な理解を示され横島の身悶えに更に拍車がかかる。
 そんな横島の袖を俯いたままのマリアが軽く引っ張った。

 「あの・・・恥ずかしいけど、私そんなに嫌じゃないですから」

 マリアの台詞に急に真顔になる横島。
 横島はマリアの台詞に、以前自分に向けられた言葉を思い出していた。
 顔を赤らめるマリアの姿を見て、青の妖精は慈愛に満ちた笑顔を見せる。

 「マリアちゃん、それが生きている素晴らしさのほんの一部なの・・・・さて、忠夫ちゃん、次の質問よ」

 青の妖精は再び横島に向き直る。
 横島はその視線をまっすぐに見つめ返した。

 「忠夫ちゃんはマリアちゃんに好意を持っているわよね?」

 青の妖精は敢えて好きかとは聞かなかった。
 今まで機械だったマリアに恋愛感情をもつ人間はいないだろう。
 マリアが人間になる恐怖を克服するために、人間になった彼女に好意を持つ男がいることを教えればよい。
 青の妖精はそう考えていた。

 「ああ、その通りだ」

 胸を張ってこう答えた瞬間、横島の鼻が元のサイズに戻った。
 望んだ答えを得て青の妖精は顔をほころばせる。
 過去に彼女が気に入った木彫りの人形も、まっすぐに人を愛せる少年だった。
 青の妖精は俯いたマリアが横島を見上げたのを確認すると最後の質問に移る。

 「忠夫ちゃんは、機械のマリアちゃんと、人間のマリアちゃんのどっちが好きなのかしら?」

 固唾を飲んで横島の答えを見守るマリア。
 しかし、横島はその質問にすぐには答えなかった。

 「前にマリアが惚れたっていう探偵だがな・・・・」

 「忠夫ちゃん。そんなことは聞いてないわ」

 横島は青の妖精の言葉を無視して先を続ける。

 「ソイツは人ではなく機械のマリアに惚れていたんだと思うんだ・・・」

 「何が言いたいの?忠夫ちゃんは!」

 「アンタが男ってものを良く分かっていないようだからな・・・・・いいか!良く聞け!!」

 横島はこれ以上無い程の真剣な顔で叫ぶ。
 タグが使えれば<h1>で囲みたいほどの大声だった。

 「男は可愛けりゃ羽が生えてようが、角が生えてようがOKなんだよ!!機械かどうかなんて小さい事なんだ!!!」

 この言葉に横島の鼻は無反応だった。
 予想外の答えに、青の妖精は口をあんぐりと開く。

 「私の眠っている間に人間の男に何があったって言うのおぉぉぉっ!!!!!!」

 理解不能とばかりに頭を抱えた青の妖精に横島が動く。

 「種族の違いもな・・・・・・マリア、すまない!」

 横島はマリアを支える腕に力を込めると、その体を青の妖精に向かい投げつけた。

 「キャァァァァァ!」

 空中に投げ出され悲鳴を上げるマリアを青の妖精は反射的に抱きかかえる。
 その隙を横島は見逃さなかった。

 「この隙をずっと待ってたんだ!マリア、自分の気持ちを素直にぶつけろ!!」

 (覗)

 横島の投擲した文殊の効果で、青の妖精にマリアの記憶が流れ込んでいった。











 まぶしい光の中にカオスが立っている。
 視界の中に情報が表示されマリアは目の前の男が自分の創造者であることを理解した。

 「初めまして・ドクター・カオス」

 「マリア・・・」

 カオスの呼びかけにマリアは首をかしげる。

 「お前の名前だよ。よろしくなマリア・・・」

 「サンキュー・ドクター・カオス・マリア気に入りました」

 自分に背を向けたカオスにマリアは不思議そうな顔をする。
 その背が涙に震えていることに生まれたばかりのマリアは気がつかなかった。

 青の妖精の見る場面は次々に移り変わる。
 それからの数百年は決して飽きることのない研究と冒険の日々が続く、やがてカオスはヨーロッパの魔王と呼ばれるようになり、その隣りにはいつもマリアの姿があった。

 一瞬走ったザッピングのようなノイズに、青の妖精はその箇所がカオスの削除した領域であることを理解する。

 それ以降の生活は一変していた。
 今までマリアに向けられていたカオスの慈愛のまなざしは消え失せ、道具を見るような冷たい視線へと変化していた。
 ホームズとの出会いと別れ、そして再会の後に訪れた永遠の別れ。
 カオスは記憶をマリアは笑顔を失った。

 記憶を失ったカオスは苦悩から解放されていた。
 マリアに向ける視線に再び温かいものが戻るが、機械である自分に嫌悪感を抱き始めたマリアは必要以上に機械の自分を強調するようになった。
 二度と人間と間違えられないように・・・
 多少の齟齬を抱えながらカオスとマリアの生活は続く。


 青の妖精が見ている場面が、今までに無い展開をみせた。

 ―――これは時間移動!さっきの女が能力者だというの?

 目の前に繰り広げられる中世での戦い。
 そこで、マリアはマリア姫と出会う。

 「心はいつもあなたと共に」

 この伝言を受け取ったとき、マリアは自分の存在理由に気がついた。
 そして物語となることで永遠を手に入れたホームズの真意にも。




 青の妖精の見る光景が一変した



 薄暗い石造りの室内が蝋燭の炎で照らされている。
 きちんと整理された飾り気の無い室内には一人の年老いた女の姿があった。

 ―――この景色は・・・この娘以外の記憶が混ざっているというの?

 流れ込んでくる風景に青の妖精は違和感を覚える。
 室内に立つ老女はマリアの面影を残していた。

 「もうすぐよ・・・・・もうすぐあなたはこの世に生をうける」

 老女は壁にかけられた人形の顔を愛しげに撫でる。
 無表情で無機質な表面はこの人形が未だに完成していないことを物語っている。
 しかし、彼女はこの人形が将来どのような姿になるのかを理解していた。

 「私と同じ姿と名前を持ったあなたが、700年後から来たときの気持ちをわかるかしら・・・」

 女は体調が悪いらしく、近くの椅子を引き寄せると人形の正面に向かい合うように座った。
 壁にかけられた人形と向かい合うことは中年を過ぎてからの彼女の日課だった。

 「嬉しかったわ・・・もの凄く。やがて年老い死んでゆく私が、ずっとあの方の心に残っている証明ですもの」

 老女は微かに咳き込む。
 その弱々しさに、青の妖精は彼女の命の火がもうすぐ消えようとしている事に気がついた。

 「そんな愛を手に入れた女が次に望む事ってわかる?あの方の心にいつまでも若く美しい姿で残る事なのよ・・・・・」

 「マリア様!そんなお体なのに寝ていなくてはダメです」

 突如、室内に走り込んできた召使いは慌てたようにマリアの体を支えようとする。
 老女・マリア姫は優しく、しかし毅然とした態度でその手を振り払った。

 「自分の老いを実感してから、私はカオス様に会わなくなった・・・・」

 その言葉をマリア姫の後悔と感じたのか、召使いは元気づけるようにマリア姫に話しかけた。

 「たった今、カオス様に使いを出しました。もうすぐいらっしゃいますよ」

 「なりません!カオス様には絶対に会いません!!」

 それは先ほどまでの弱々しさをみじんも感じさせない声だった。

 あの一件以降、カオスとマリア姫が肌を重ねる関係になるのはそう時間がかからなかった。
 その都度されるカオスからのプロポーズをマリア姫はことごとく断る。
 死後も続く愛情を手に入れたマリア姫には、一生の誓いはそれ程重い意味を持たない。
 それよりも、これからも生き続けるカオスに自分の老いる姿を残したくない気持ちの方が強かった。
 マリア姫は萎縮した召使いに優しく笑いかける。

 「あなたも女なら察しなさい」

 自分の外見に老いを感じたとき、マリアは年の離れた弟に家督を譲り地方の居城で隠居生活を送る。
 それ以来、頻繁に手紙のやりとりはしたものの、マリアはカオスの訪問を拒否し続けていた。

 「カオス様に約束してもらったの・・・私が死ぬまであなたを完成させないって。それくらいの我が儘は許してね」

 マリア姫は力を振り絞って立ち上がると、壁にかけられたマリアに抱きつく。

 「あなたのためにずっと祈ってたんだから・・・無事に生まれてくるようにって。そして、何時までもカオス様の側に・・・カオス様を寂しがらせないでね」

 マリア姫の耳にカオスフライヤーの飛行音が聞こえてくる。
 そして、自分の名を叫ぶカオスの声も。

 「不思議ね・・・死ぬのが全然怖くないわ。さよならカオス様・・・頼んだわよ、もう一人の私・・・私とカオス様の・・・」

 マリアの目が静かに見つめる中、マリア姫は力なく崩れ落ちる。
 その顔は安らかな微笑みを浮かべていた。


 ―――なんて愚かな・・そして不器用な愛なの

 青い妖精は腕の中のマリアを静かに見下ろした。







最終章:大団円


 「マリア、待っておれよ・・・もうすぐヤツを捉えてやるからな」

 一度”場”に捉えてから解放を条件にマリアを元に戻させる。
 カオスはその様なことを考えていた。
 既に外へ逃がさないための障壁は再構成されている。
 ”場”の発生装置に使用するエネルギーを確保するため、カオスは不安定なパイプの上を移動していった。

 「このバルブを開ければ・・・・」

 パイプの陰にあるバルブに手を伸ばしたとき突然の地震がカオスを襲った。
 激しい揺れに足を滑られたカオスは、バルブを掴もうと必死に手を伸ばす。
 しかし、その手は空しく空を切った。

 「クソッ!こんな所で・・・マリア・・・」

 火口に向けて落下するカオス。
 その足下には活動を増した溶岩が赤々と噴き出していた。

 「イエス・ドクター・カオス」

 空を切ったままのカオスの手を、マリアのロケットアームが掴む。
 そして、急浮上に移るとカオスの体を遥か上空に運んでいった。

 「マリア・・・元に戻れたのか?」

 「イエス・ドクター・カオス・マリアずっと一緒です」

 「カオス!急いで逃げるわよ!この火山はそろそろ噴火するらしいわ」

 横島に抱えられながら美神が慌てたように叫んだ。

 「一体、何が起こったんじゃ・・・」

 「あなたが無茶をしたからよ・・・私を閉じこめるだけのエネルギーを仮組のシステムで運用できる訳ないじゃない」

 自分の質問に答えた声にカオスは思わず身構える。
 背後を振り返ると青の妖精が浮かんでいた。

 「説明は後、もうすぐ暴走したエネルギーがここに吹き上げてくるそうよ!障壁は解除したから急いで!」

 美神の指示に横島が飛行装置を操作する。
 砂浜に移動する横島を追いかけるように、マリアと青の妖精も移動を開始した。




 「どういう風の吹き回しじゃ?」

 砂浜にたどり着いたカオスは、青の妖精からマリアを庇うように向かい合う。
 150年前に行われた執拗な追跡からは考えられない結末に、カオスは未だに不信感を持っていた。

 「勘違いしないでね。もう少し様子を見ることにしただけよ・・・私が眠っている間に時代も変わったみたいだし」

 青の妖精の言葉に横島は咳き込むが、周囲の者たちには何のことだか分からずじまいだった。

 「でもね、約束だからクジラちゃんは元に戻すわよ」

 妖精の言葉を受け近くの海面に白鯨が姿を現す。
 白鯨のあげた大きな鳴き声に肯くと、青の妖精はカオスに向けて通訳する。

 「地中海で石化していた自分を助けてくれた事は感謝してるって。でも、仲間の滅んだ海で生き続けるのは悲しいから、仲間のいる海に帰して欲しいそうよ」

 「よかろう・・・世話になったと伝えてくれ」

 青の妖精は白鯨の背中まで移動するとその体を光で包む。
 光が収まると、白鯨の表面に刻印されていた魔法陣は消え去っていた。

 「あああ、もったいない・・・」

 美神はそれを見て白鯨がもとのクジラに戻ったことを理解する。
 無尽蔵の海洋資源とその利用法は文字通り水泡に消えたようだった。

 「それと、もう一つ」

 妖精の合図に茂みから真っ赤なイヌが飛び出す。
 首筋に小さな傷を負っているものの、そのイヌは元気に海に飛び込みあっという間にクジラの背に泳ぎ着いた。
 通常のイヌの3倍は速いその速度に横島は笑顔を見せる。

 「この子も貰っていくわよ。150年も主に忘れられていたなんて不憫だからね」

 「ああ、よろしく頼む」

 赤いイヌはカオスの声に一瞬反応を見せたが、カオスの表情を見て今までの命令が解除された事を理解する。
 白鯨の背の上で赤いイヌは嬉しそうにシッポを振っていた。

 「私たちは妖精界に行くけどあなた達はどうする?迷宮はまだ健在だから外の世界まで送って・・・・」

 迷宮を抜けるために妖精界を経由する方法を提示しかけた青の妖精だったが、ふいに大気の声に耳を傾けると何かを含んだような笑顔を浮かべた。

 「送ってあげようと思ったけどやーめた!150年も閉じこめられたのにそこまで親切にすることもないわね」

 青の妖精が開いた妖精界へのゲートに向かい白鯨が泳ぎ出す。
 その背には青の妖精と赤いイヌが乗っていた。

 「あ、いいこと教えてあげる。あと少しでその島は沈むから急いで脱出した方がいいわよ!!」

 青の妖精の言葉に、横島と美神は慌てたようにボートに資材を積み込み始める。
 手伝おうとしたマリアに青の妖精は最後の言葉をかけた。

 「マリアちゃん!もしもソイツに愛想つかして、人間になりたくなったら遠慮無く私を呼ぶのよ!その時もマリアちゃんがいい子ならすぐに人間にしてあげるからね!」

 「サンキュー・・・・・・」

 ゲートに近づくにつれて白鯨の輪郭が徐々にかすみ始める。
 その時になって初めて、マリアは彼女の名を知らないことに気がついた。

 「妖精さんでいいわ!あの子も私の事をそう呼んでいた」

 「サンキュー・妖精さん」

 マリアがこう叫んだとき、青の妖精はゲートごと姿を消していた。







 「ドクター・カオス、ビーコンの位置を確認!」

 「よし、迷宮に突っ込むぞ!マリア、ナビゲートせいっ!」

 妖精が姿を消してから10分後、美神たちはなんとかボートを出航させていた。
 背後では火山の噴火がいよいよ激しくなり、火口からは溶岩があふれ出している。
 激しく波打つ海上をボートは疾走し、結界の入り口に突っ込んでいった。

 「マリアのナビが有効なら5分くらいで迷宮を抜けるわね」

 あとはマリアのナビ次第とばかりに美神はボートの中で寝そべった。

 「そうじゃ無かったら?」

 「次の手を考えるだけよ。ただし、今度下らない事をやったら命は無いわよ」

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 スカートめくりの一件を出され横島は黙り込む。
 美神は笑って言ったつもりなのだろうが、横島はその目に本気を感じ取っていた。

 「しかし、アンタも良くやったわね・・・どうやってあの妖精を説得したのよ?」

 黙り込む横島を見て、美神は先ほどから疑問に思っていた事を口にする。
 あけすけなこの男が妖精に気に入られる事は予想していたが、具体的にどのような方法をとったかは疑問だった。

 「・・・・・自分の気持ちに正直になっただけです」

 横島はとりあえず嘘は言っていない。

 「ホントにそれだけ?」

 「俺を信頼してくれる人は裏切れませんからね」

 この回答は美神に対してクリティカルだった。
 美神は先ほど横島に言った自分の台詞を思い出し顔を赤らめる。
 最近、二人の関係は時々逆転することがあった。
 しかし、美神の小さな窮地は更なる窮地によって救われる。

 「ソーリー・進行方向ロストしました」

 マリアの発した声に全員が凍り付く。
 それは現状の脱出法が通用しないという意味だった。

 「仕方なかろう、マリアはただの機械ではないのだからな。気にしてはいかんぞ」

 「全く、あの性悪の精霊が素直に送ってくれればこんな事にならなかったのに」

 危機意識が欠如しているカオスを無視して美神が悪態を付く。
 単なる照れ隠しでしかないそれをマリアは見逃さなかった。

 「ノー・ミス・美神・妖精さんは優しい人です」

 「分かってるわよ。あのクラスを相手に無傷ですんだのは奇跡でしかないんだから」

 今回の一件で誰も傷つかずにすんだのは、ひとえに青の妖精の穏和さ故だ。
 それが分かっているだけに最後で見放した妖精の真意が美神には理解できなかった。

 「あーあ、おキヌちゃん心配してるんだろうなー」

 悔しそうに横たわった横島に美神は何故か無性に腹が立った。
 それは心配という言葉にか、おキヌという名前にかは美神自身にも分からない。
 ただ、目の前の男には一言いっておかなければならない。
 そんな気になった美神は、胸ぐらを掴むと横島を起きあがらせた。

 「アンタねー、そんなに心配されるのが嫌ならとことん独りぼっちになるしかないのよ!アンタがこれからどんだけ強くなろうが、アンタを知っている・・・アンタを好きな人間は絶対に心配・・・・」

 続く言葉は人目もはばからず美神を抱きしめた横島によって遮られる。

 「それは今回のことでよく分かりました。・・・・・でも、今のは違うんです」

 横島は美神から離れると耳に手を当てる。

 「ホントにおキヌちゃんの心配する声が聞こえた気がしたんです」

 「横島さーん、美神さーん」

 「ほら、こんな風に・・・えっ?」

 ハッキリと聞こえたおキヌの声に慌てて振り返った横島。
 その体におキヌの霊体が飛び込んだ。

 「良かった・・・生きてて・・・みんな・・・ヒック」

 横島に抱きついたままおキヌは泣きじゃくる。

 「結局、ミノス王の迷宮を破るのは勇者を心配する乙女の糸玉だけじゃったか」

 カオスは愉快そうにおキヌの足下を見下ろす。
 その霊体は細く長く迷宮の向こう側まで伸び続けていた。







 荒れ始めた海上に大型の水上機が浮かんでいる。
 後部の輸送用ハッチから4人の人影が海上を見つめていた。

 「令子、横島君、無事でいるのよ」

 人影の一人、美神美智恵は手に持った携帯電話に心配そうに視線を落とす。
 それは美神によって投擲された携帯だった。
 携帯の反応をつかんだ美智恵は、急いで水上機を工面し救助に訪れている。

 「ミノス王の迷宮・・・・一体中で何が起こっているというの?」

 何もない海上に浮かんでいた携帯。
 その携帯には「ミノス王の迷宮」とメッセージが入っていた。


 「やったでござる!」

 「見つかったわ!」

 突然、残りの2人が大声を上げる。
 最後の一人、おキヌは意識を失ったように動かない。
 両側を固めるシロとタマモから霊力の補充を受けながら、幽体離脱したおキヌは迷宮内の探索を行っていた。

 「先生も美神殿も無事でござる!」

 「カオスとマリアって二人も一緒だけど・・・」

 霊波を通じておキヌと会話をしているシロとタマモは口々に状況を伝える。
 二人が無事だと聞いて美智恵は安堵のため息をついた。

 「中で何が起こっているか聞いて頂戴」

 美智恵は気を引き締めると状況を確認する。
 数多くの修羅場をくぐってきた美智恵ならではの行動だった。

 「島が沈むらしいでござる!」

 「早く離脱しろって言っているわよ!」

 美智恵は即座にパイロットに離陸するように伝えた。
 これ以上波が強くなるようだと離陸は不可能となってしまう。

 「離陸するから早く追いつけって伝えて!」

 水上機は方向を変えると徐々に加速を始める。
 背後の海上では何もない空間から噴煙が湧き出し始めていた。

 「もうすぐでござる!」

 「そう、もちょい」

 進行状況が分かるのか、シロとタマモはカウントダウンを始める。

 「スリー」

 「ツー」

 「ワン・・・・屈っ!」

 「「ゼロ!」」

 おキヌを先頭に、横島、マリアがお互いのパートナーを抱きながら何もない空間から飛び出してくる。
 シロとタマモはその光景に歓声をあげた。



 離陸を完了させた水上機に全員が飛び込むと美智恵は急いでハッチを閉じる。
 一瞬遅れて襲ってきた島の崩壊による衝撃波は幸運にも水上機には届かなかった。

 「せんせーっ!」

 帰還した横島に真っ先にシロが飛びつく。
 しかし、いつものペロペロではなく横島の腕に黙って噛みつくだけだった。
 軽く咬んだ腕の感触に、横島の生還を実感したシロは大粒の涙を流し始める。
 いつもはからかうはずのタマモも、その光景を涙を浮かべ見守っていた。

 「一体中で何があったっていうの?」

 横島から離れ、複雑そうな表情で佇む美神に美智恵が声をかける。
 美神は横島とシロから視線を外すと疲れたように口を開く。

 「カオスの過去の清算よ、小笠原発、海底経由、無人島行き2泊3日・・・とても一口じゃ説明できないわ」

 「で、彼とはどれくらい進んだの?」

 からかうような美智恵の発言に美神の顔色が変わった。

 「何下らないこと言っているのよ!コッチは生きるか死ぬかの状況だったのよ!」

 「無人島にたどり着いた男女ができちゃうのはお約束よ!キスぐらいはしたんじゃないの?」

 一向に調子を落とさない美智恵の軽口に、美神は背後の横島に助け船を求めた。

 「横島っ!アンタからも言ってやりなさいっ!!」

 「あ、はい!そんな事はしていません」

 横島が答えた瞬間、水上機内に沈黙が訪れる。
 美智恵は何とも言えない笑顔を浮かべていた。
 嫌な予感に美神が恐る恐る振り返ると、周囲の沈黙の意味が一目でわかる。
 横島の鼻は10センチ程の高さに伸びていたのだ。

 ビキッ!

 横島の腕を咥えているシロが顎に力を込める。

 「へっひゃが、ひんふぁいひているひょきに〜」

 「痛いっ!!コラ、シロ、誤解だ・・・」

 シロの誤解を解こうとする横島はさらなる危険を察知していた。

 「横島ぁ、アンタいつの間に・・・・・」

 怒りのオーラを纏った美神が神通棍を手に歩み寄ってくる。

 「み、美神さん誤解です!あれは人工呼吸で仕方なく・・・・」

 仕方なく・・・横島は自分で死刑執行の書類にサインした事には気づいていない。
 ドツボにはまった横島にマリアが更に追い打ちをかけた。

 「横島さん・ひどいです・可愛ければ機械でもいいって・嘘ですか」

 「イヤーッ!横島さんフケツー!!」

 「横島・・・アンタ、死刑!!」




 一路東京を目指す水上機の中で横島の絶叫が響き渡る。
 そんないつもの光景をマリアは楽しそうに見つめていた。

 「マリア・・・お前、笑顔が」

 カオスの指摘にマリアは驚いたように自分の顔に触る。
 そこには確かに笑いの形が刻まれていた。

 「妖精さんが・戻してくれたようです」

 マリアは青の妖精に感謝するようにそっと目を閉じる。
 その横顔を見たカオスは躊躇うように口を開いた。

 「どうするんじゃ?また、お前が望むなら・・・・」

 続く言葉を遮りマリアは微笑みをカオスに向ける。

 「ドクター・カオス・マリアには笑顔が必要です」

 「そうか、お前はそのほうがよい・・・」

 その微笑みを見つめるとカオスの胸の中が温かいもので満たされる。
 それはカオスにとって110年ぶりの微笑みだった。


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