扉が吹き飛び、ぽっかりと口を開けたエレベーターシャフトを、タマモは驚愕の面持ちで見ていた。
そっと覗き込んだ暗闇の中、妖孤の目に映ったのはシャフト内の壁に出来たへこみ。
そのへこみが、一定の間隔で全ての壁に、螺旋を描くようについていた。
まさか、そうやって昇って来たのか?
三角跳びの要領で、『壁を蹴りつけながら』数十メートルの高さを?
状況を見る限り、そうだろう。
だが…本当に出来るのか?
人間にそんな真似が本当に出来るのか?
出来るとしたら…それを本当に『人間』と読んでいいのだろうか?
そして、タマモは振り返って見る。
そうやって昇って来た『人間』である、刻真を。
驚愕しているのは、タマモだけではない。
シロもまた、何かを言いたげに口を動かすが、あうあうと意味不明な声を漏らすだけだった。
急に横島の様子がおかしくなったかと思えば、唐突にして派手な刻真の乱入。
休む間もない事態の急変に、まだ思考が追いついていないのだろう。
その腕に抱えられている銀一も同様に、目を見開いている。
「…ところで。」
周囲の驚きを気にした風もなく、刻真は唐突に切り出す。
顔だけをこちらに向け、そして。
「今の、横島だよな!? あんまり怪しかったから思わず殴り飛ばしちゃったけど!?」
──…台無しだ。
なんか、緊迫した空気やら、シリアスな展開やら、色んなものが台無しである。
この数日で、刻真の大体の性格は把握していたつもりだった。
多少、天然が入ってるのかもと。
それどころか真性か、お前。
なんか、色々真剣に考えてた自分がつくづくアホに思えて仕方ない。
一気にテンションを下げられ、見事な足ズッコケを披露しつつ、タマモはそんな事を思っていた。
「って、殴った後にオロオロするぐらいだったらやるな──ッ!!」
思ってからきっかり一秒後には、なかなかの角度と勢いで突っ込みを入れている。
事務所にいるうちに、すっかり芸人魂が刷り込まれつつあるようだ。
「いや、まあ、そこは勢いというか何というか、嫌な感じがしたんで…なんとなく?」
「なんとなくでアンタは人を殴るのかッ!? 何よッ、その最後の疑問符は!?」
言い訳にもならないような事をのたまう刻真に、さらにタマモが容赦なく突っ込む。
その突っ込みで、同じくコケていたシロが我に返る。
「…はッ! そ、そうでござる!! 先生は!?」
「っ…痛ってー…!」
シロがそちらを見たとき、ちょうど横島がそんな事を言いながら身を起こすところだった。
その表情には、いつもの情けないながらも、どこか人好きのする柔らかさが戻っている。
「横っち!! 正気に戻ったんか!?」
「え? あ…俺、どうなっ…ぐほぅッ!?」
「先生ェェ──ッ!!」
銀一の言葉に横島が返すよりも早く、シロの突進が決まった。
本人は親愛のつもりだろう、しっぽが凄い勢いで振られているが、やられた方はたまらない。
殆ど、ラリアットの要領で首に飛びつかれた横島は、そのまま引きずられるように押し倒される。
ちなみに、シロに抱えられていた銀一は、床に投げ捨てられていた。
「先生ッ、心配したでござるよーッ!!」
「わぷっ…ちょ、こらッ、シロ待て、ストップ! 待てって…!」
シロに顔を嘗め回されながらも、横島は何とか状況を掴もうとする。
ずきずきと痛む頭で思い出したのは、首を締め上げてくる異形と化した夏子。
遠のく意識。そして…。
「あ……。」
「? 先生?」
横島の様子に気付いて、シロがぺろぺろと舐めあげる動きを止める。
そのシロを半ば無意識に押しのけて横島は、自身の顔を手で覆う。
体は小刻みに震え始め、その顔は怯えているように蒼白だった。
「お、俺…どうなってるんだよ…。なんで、あんな…!」
「ちょっと、大丈夫?」
タマモが心配そうに声をかけてくるが、横島はそれに気付かない。
『怯えているように』ではない。怯えていたのだ。
以前も感じた、戦いの中での高揚。
抑えきれない、力を揮う事への歓喜と衝動。
以前はまだ、気のせい程度で済んでいたが、今回のこれは明らかに違う。
何かが自分の中で変わりつつある。
それが、はっきりと自覚できてしまった。
自覚してしまえば、次に押し寄せてくるのは恐怖だ。
ゆっくりと、だが確かに自分が自分でなくなることへの、純粋な怖れ。
自分ではどうしようもないことゆえに、横島はただ怯えた。
「俺は…お、俺…!!」
「せ、先生…!」
ぱんっ、と。
シロが呼びかけようとしたとき、乾いた音が響いた。
横島は、最初、何が起こったのか理解できないでいた。
じわじわと自分の頬が熱を持ち始めて、ようやくぶたれたのだと気付く。
そして、ゆるゆると自分をぶった人物を見上げる。
「銀、ちゃん…?」
「何しとんねん、阿呆!! お前がしっかりせんとどないすんねん!!」
横島の胸倉を掴み上げて、銀一が叫ぶ。
その叱咤に、横島の体がびくりと震える。
「…銀一さんの言うとおりだよ。」
「刻真…。」
なりゆきにうろたえるシロとタマモの後ろから、それまで黙って見ていた刻真が進み出る。
「横島。お前、忘れているのか? 忘れてしまっているのか?」
つかつかと歩み寄ってくると、刻真は横島を見下ろしたまま言う。
「─…お前は、何のためにここに来たんだ?」
その言葉に、横島ははっとする。
その表情を見て、刻真はそっと頷く。
「お前がここに来たのは、敵を倒すためか? 力を揮い、力に怯えるためか?
─…違うだろう。そうじゃないだろう。
思い出せ。忘れたのなら、思い出せ。お前がここにいるのは他の何でもない。」
そこで言葉を切ると、刻真はぐっと顔を寄せる。
少女のような面立ちの中、強い意志を宿した瞳で、刻真は言った。
「夏子さんを助けるためだろう。」
その通りだった。
もう怯えた顔も、呆けた顔もしていない。
横島はしっかりと頷いた。
その様子に、刻真も、他の皆も満足そうに笑う。
「なら、戸惑うのも怯えるのも後回しだ。今はとにかく─…跳べ!!」
「なっ…!?」
突然、刻真は鋭く叫んで、横島と銀一に体当たりを仕掛ける。
シロとタマモも、同時に横へと跳んでいた。
直後、彼らが立っていた場所が、激しい猛火に包まれる。
振り返ってみれば、破れた窓から身を這い上がらせている異形があった。
蛇の威嚇音をあげて焔の息を吐く、夏子の姿が。
「…今はとにかく、夏子さんを助けることに集中しよう。」
口の端をわずかに持ち上げ、刻真が呟いた。
◆◇◆
「美神さん! 私たちも行きましょう!!」
おキヌが必死に呼びかけるも、美神はその場から動かない。
少し前に、上の方で爆発があってから、おキヌは何度もこうして美神に呼びかけていた。
鈴女へのヒーリングもほぼ終わり、今はノースに任せている。
今は横島が心配でたまらない。一刻も早く、横島のもとに行きたい。
おキヌが再び、焦れたように呼びかける。
「もう…美神さん!!」
それでも美神は動かない。いや、動けなかった。
美神とて、気持ちはおキヌと同じであった。
だが、足が動かないのだ。
前に進もうとするたび、ふいに湧き上がってくる不安が心を、体を縛り付けてくる。
私はここに立ち入ってもいいの─?
横島と『彼女』との思い出の場所は、自分を拒絶するのではないか。
もちろん、そんな事は自分の妄想に過ぎない。
今は横島の身も気になる。
進まねばならない事態だということも理解している。
だが、意に逆らって足は、縫いとめられたように動かない。
あの事件は、こんなにも深く自分の中に残っていたのかと、驚きさえ覚える。
相反する心情に、美神はきっかけを強く望んだ。
一歩を踏み出すための、一押しを。
そして、それは訪れた。
「─ッ!! 美神さん、危ないッ!!」
おキヌが叫ぶよりも早く、美神は『それ』に反応した。
前方へと大きく跳んで、すばやく身を伏せる。
直後、けたたましい金属音が響き、砕けたアスファルトの飛礫が身を掠めていく。
静かになったのを見計らって振り返ると、ひしゃげた鉄製のドアが転がっていた。
意識してのことではなかった。
これまでずっと培われ、体に染み付いた感覚が体を動かしたのだ。
だが、兎にも角にもこれで『動けた』。
「美神さん、大丈夫ですか!? 怪我とかは─…!!」
「おキヌちゃん!!」
慌てて駆け寄るおキヌの目の前で、力強く立ち上がる。
その目には、もう微塵も迷いはない。
「行くわよ!!」
「は…はい!!」
美神に常の雰囲気を感じ取り、おキヌも笑顔で頷く。
そのまま、東京タワーに向かう…と思いきや、くるりと踵を返す美神。
「あ、あれ? 美神さん、どこに…?」
「人口幽霊一号!! 出して!!」
『了解。』
おキヌの疑問には答えず、美神が指示を飛ばすと、すぐにバンのトランクが開く。
横島のバイクに憑依していた人口幽霊一号は、すでに美神たちのバンに移っていた。
トランクは、四つのコンテナで区切られており、うちの二番と書かれたコンテナが飛び出す。
そこから、ふわりと浮かび上がったそれを引き寄せて、素早く美神が跨る。
中世のオカルト技術と理論を現代で再構成した、カオス・フライヤーU号だ。
美神のテンションが伝わったのか、後部の箒が一際ざわめいた。
「さあ、乗って。─…悩むのも躊躇うのも後。今はとにかく、アイツを助けないとね。」
「…くす。はい!!」
照れくさそうに言う美神に、おキヌは笑顔で返すと、いそいそと美神の後ろに乗る。
おキヌがしっかり掴ったのを確認して、美神がスロットルを捻ろうと─。
「…? なに、ノース?」
ふと、バンの後部シート越しに見つめてくる、ノースと目が合う。
ノースは、その愛嬌のある雪ダルマの表情をぐっ、と引き締めて親指を立てる。
「がんばるんだホ!!」
「! …もちろんよ!!」
そう言いおいて、美神は一気にスロットルを捻りあげる。
カオス・フライヤーU号は、吸い込まれるように夜空へと舞い上がっていった。
巻き起こる風に乗って、何やらおキヌの悲鳴も聞こえた気がしたが。
それを見送っていたノースは、ふと視線を落とす。
「ヒホ? あれは…?」
ノースが気付いたそれは、のそりと茂みから歩み出ると、眼前にそびえるタワーを見上げる。
「あいつは…上か。世話の焼ける…。」
刹那、それは白き疾風と化して塔を駆け上がり、やがて見えなくなった。
というわけで、友人からノートPCを借りての投稿。
お久しぶりの詠夢です。
今回で、刻真の性格付けは天然通り越して、真性ということになりました(笑
まあ、でも、一応全体的にはシリアスな回だったかなと思います。
刻真の台詞で、言葉を重ねるダイアログ(対話)という方式を使っていますが、これからも刻真はこういう台詞を連発すると思います。
主に、シリアス時。
美神サイドでは、久々にノース登場(笑
ここいらで出しとかないと、読者に忘れられそうで…。
美神よりも、おキヌちゃんの方が迷いが無い感じですが、それだけ一途ということですね。
逆に、美神はいろいろ余計なものを考え込んでしまうところがある、みたいな。
最後近くの美神の台詞と、横島サイド終盤の刻真の台詞が似通ってるのは、ちょっとしたお遊びです(笑
〜小ネタ〜
当初、銀一に渇を入れられた後の横島の台詞は。
「銀ちゃん…かっこいい…!」
にするつもりでした。(若い人には分からないネタ) (詠夢)
いつになったら行動に出るのかひそかに心の中で楽しみにしていました。
まだ夏子を元に戻したと言うわけではないのでこれでやっとノースと鈴女以外は闘いに参加だと思うととても楽しみです。
さらに東京タワーを見上げている者、それがつぶやいた「あいつ」が誰かも今気になっています。 (鷹巳)
コメント、ありがとうございます!
やはり、仲間はずれは可哀想ですからね(そんな理由!?)
最初はエレベーターも壊れてるし、出番なしかなぁ〜とも思いましたが、カオス・フライヤーU号のことを、ふと思い出しまして。
原作でも、デミアン戦以降見かけていないので、ここで出してあげようかなぁと(笑
では、次回はバトルシーンということで!! (詠夢)
銀一や刻真がかっこよかったです。
刻真は最後まで男前でいられるのか!(笑)
(夜叉姫)
コメント、有難うございます。
刻真がカッコいいと褒められ、嬉しい限りです。
やはり、オリキャラが好かれるのはとても嬉しいのです。
最後まで男前が持つか、ですか?
……真性だからなぁ(ポツリ (詠夢)