椎名作品二次創作小説投稿広場

あの素晴らしい日々をもう一度

プロローグ

　色とりどりのネオンが夜の街を煌びやかに彩る。日は落ちたといっても活動をやめてしまうには早く、むしろこれからが本番だとばかりに街には人が溢れていた。
　そんな中、人々でごった返す歩道を足取りもおぼつかなく歩く男がいた。
　薄汚れ、くたびれたジーパンとジージャンを身に纏ったその男は、この煌びやかな街並みにおいて、明らかに異質であった。男の額に巻かれているバンダナも、汗や土で赤黒く変色してしまっており、元の色は判別できない。
　その男はふらふらと、当ても無くただ歩いているように見えた。いや…というより、何か目的を持って歩いているというほうが疑わしい。
　当然道行く人々はその様子に困惑し、嫌悪し、関わり合いになることを恐れ、男を避けるようにすれ違っていく。
　しかし誰もが皆道を譲るものではない。薄汚れたバンダナの男と明らかにその筋の人間（いわゆるＴＨＥ・ヤッちゃん）だとわかる格好をした、恰幅のいい男の肩とが思い切りぶつかった。

「なんじゃワレェッ！！」

　必要以上にドスをきかせた声でヤッちゃんがわめき散らす。
　が、薄汚れたバンダナの男はほんの少し振り向いただけで、特に何の反応も見せずに再び歩き始めた。

「おうテメエ、コラっ！！　侘びもなしで行く気かボケェッ！！！」

　そんな男の態度に血管を浮かび上がらせたヤッちゃんは男の古びたジージャンに手を伸ばし、掴んだ。その手が男の手により思い切り振り払われる。

「うるせえよ………」

　バンダナの男はただそれだけを呟くと再び歩き出した。
　その肩を再びヤッちゃんの手が掴む。

「待てや兄ちゃん……それちょっと謝る人間の態度と違うんとちゃうか？　ワシらの商売、舐められたら終わりやさかいな……ちっと、教育したるわ」

　ヤッちゃんの言葉と同時に後ろの人ごみからまた二人ほどのヤッちゃんが姿を現す。どうやらこのヤッちゃん、ただのヤッちゃんではなく三人連れのヤッちゃんズだったらしい。
　人ごみから現れた二人はおもむろにバンダナの男の肩を両脇から抱えると、すぐ側の路地裏へと姿を消していく。

「何見とんのじゃコラァッ！！　見世物とちゃうぞッ！！！」

　男が路地に連れ込まれるのを見届けてから、最初のヤッちゃんは周囲の人垣に一喝すると、己もまた路地裏へと姿を消した。









　いつのまにか、雨が降ってきていた。

「チッ…降ってきよった……しょうもない運動させよって……わかったか兄ちゃん？　つっぱるにも相手見てつっぱりや」

　最後に男に唾を吐きかけてから、ヤッちゃんたちは乱れた服を整えながら路地裏から消えていった。
　男は口に溜まった血を吐き出し、その後は壁を背に雨に打たれるがままに任せていた。少し首を傾ければ目に飛び込んでくる街のネオンも、少し路地裏に入るだけでもう届かない。薄暗いその場所で、男は起きようともせず、ただ倒れていた。
　しこたま殴られたにも関わらず、体のどこにもガタはきていないようだった。せいぜい全身にあざができたのと、口の中を切ったくらいだ。骨折はおろか、捻挫、打撲すらない。

「丈夫なだけが取り柄だったからなあ………」

　男はそう呟くと一人、乾いた笑い声を上げた。
　ゆっくりと起き上がると、またよたよたと歩き出す。

「しっかし…よく耐えたもんだ……俺」

　先ほどヤッちゃんにからまれ、三人がかりで散々殴る蹴るなどの暴行を受けた男だったが、一切手は出さなかった。
　長年の丁稚経験で培われた己の忍耐能力の高さに、男は改めて感心する。
　もし手を出してしまっていたら―――――


　きっと、殺してしまっていた。










　ふらふらと男はただ歩き続け、いつの間にか夜のネオンを抜け出していた。
　そして男の目の前に広がっていたのは……霊園だった。

「結局ここに来ちまった……か」

　男はそう自嘲気味に呟くと、霊園内に足を踏み入れる。
　当て所無く歩き続けたはずだった。『ここ』から少しでも遠くへ離れようとしたはずだった。
　だが、無意識の内にここに足を向けてしまっていた。
　果てるなら、せめて愛しき者たちの傍で。
　結局そんなちっぽけなエゴにさえ抗えもしなかったということだ。

（とことん自分勝手で…自己中で…自分に甘いな…俺は……！）

　ある墓石の前までたどり着いた時、遂に男は倒れこんだ。
　実は、男はこの一週間何も口にしてはいない。そしてただひたすらに当ても無く歩き続けた。体力の限界を迎えたのだ。
　うつ伏せに倒れこんだまま、姿勢を変えることもままならない。そんな状態の男から降りしきる雨は容赦なく最後の体温を奪っていく。

（ああ…眠い……これで眠っちまったら…もう…起き…れ…）

　意識が段々闇に溶け込んでいく。
　もう思考を続けることすらままならなかった。

（もう…いい……つかれ……た………）

　そして男の意識は闇に沈んだ。










　ただの下働きから正社員へ。認めてもらい、期待されたことが嬉しくて、柄にも無くその期待に応え続けた。死ぬほど嫌だった努力というものまでして。
　やがて一人前のＧＳと認めてもらった。独立してもやっていけると『あの人』には珍しく素直な言葉で褒めてもらった。
　そしていつしか一人前のＧＳとしてだけではなく………一人前の『男』として認めてもらった。
　愛し、愛され………全てが夢のようだった。全てが、上手くいっていた。

『ねえ………』

　恥じらいながら妻が嬉しそうに語りかけてきた言葉。

『子供……できたわ………！』

　思わず妻を抱きしめていた。嬉しそうに、幾分照れながら妻は腕の中で身をよじる。
　ふいにその感触が消えうせる。妻の姿が消えていた。
　いや、それだけではない。周りから一切の光が消え去っていた。
　怖い。怖い。怖い。
　何か得体の知れない喪失感が心を蝕んでいた。
　嫌だ！　ここにはいたくない！！
　叫びは音の形を取らず、虚空に消え行く。
　頭を抱えて、嗚咽すら漏らしながらうずくまる。
　何かの気配を感じて思わず顔を上げた。

　愛した者達が、そこにいた。いつもと変わらぬ姿で、いつもと変わらぬ笑顔で。

　全身を、血に染めながら、笑っていた。

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ！！！！！！！」










「はッ！！」

　思わず目を開いた男の前に広がっていたのは、見慣れた霊園の風景だった。
　男の姿勢は変わっていない。うつ伏せに倒れこんだままだ。
　体が濡れているのは、雨のせいだけではない。

「夢……か」

　どうやらまだ死ぬことはなかったらしい。どこまで丈夫なんだこの体はと男は苦笑した。
　腹はすいていたが一眠りしたことで幾分体力も回復したらしい。身を起こすくらいは出来そうだった。
　倦怠感に体を引きずられながら、とりあえず仰向けに転がる。雨に濡れた石畳にいつまでも頬を擦り付けておくのはさすがに不快だった。
　そこで男はようやく気付く。

「空が……赤い？」

　雨は眠っている間に止んでしまっていたようだ。
　男が見上げた空は赤々と染め上げられていた。太陽が西にあることから夕日であると男は判断する。

（結構…寝てたみたいだな）

　男は立ち上がり、目を細めながら夕日を見つめた。

「きれいだな……まるで、そう…あの時の……おわッ！」

　ちょっと気を抜いただけで膝が笑い、尻餅をついてしまった。いよいよ来るときが来たな、と男は笑う。
　右手に輝く球体が握られていた。その球体には『死』の文字が刻まれている。
　今までだらだらと延ばし続けていた命も、もうここで確実に終わらせてしまおう。先ほど見た夢のおかげで決意は固まった。

「俺の犯した罪は…業は…決して許されるものじゃない。こうすることでしか俺は…」

　最後にもう一度墓石に目をやって呟く。不意に涙がこぼれてきた。

「ちくしょう…！　でも…なんで…なんでこんなことに…！！　幸せだった！！　上手くいってたんだ！！！！　『あの時あんなことさえ起こらなければ』！！！！」


ドクン―――――――！！


「―――――ッ！！」

　記憶の隅で、何かが頭をもたげた。
　数瞬その姿勢のままで固まっていた男は、突然手のひらに力を集中し始めた。
　男は残りの命全てを振り絞って輝く球体を――――そう、文珠を生成する。
　生成された文珠はわずかに四個。だが、いける。
　男はありったけの念を文珠にぶつけた。その想いを、望みを。
　刻まれた文字は――――――


『時』『間』『移』『動』


　文珠による時間移動。なんて無茶苦茶を、と時間移動能力を少しでも知るものなら笑うだろう。
　だが、できる―――男には何故か妙な確信があった。
　そして男は文珠を発動させようとして―――――思いとどまる。
　これでは、だめだ。
　これでは『過去の世界に旅行する』というだけになってしまう。
　そうではない。自分がやりたいのはそうではない。
　自分は『過去の自分になりたい』のだ。そのためにはこの文字は正しくない。
　少し考えた末に男は文字を『時』『間』『逆』『行』に切り替える。
　これで上手くいくかはわからない。あとは想いの強さと、運だ。
　細かな時間設定は出来ない。だがそれでもかまわない。
　『あの時』より以前に戻れさえすれば―――――！！
















　最後に男―――横島忠夫は愛する者達が眠る霊園に、最後にもう一度、視線を移した。

　いってきます―――――などとは口に出来るわけもなく。
　横島忠夫はこの世界から姿を消した。

　あとにはただ、『美神家の墓』と刻まれた墓石が、いつもと変わらずそこに在るだけだった。










　あのアシュタロスとの戦いから、わずかに五年後のことであった。