椎名作品二次創作小説投稿広場


HINOME!

後編


投稿者名:堂旬
投稿日時:05/ 7/22

―――――――ひのめは夢をみていた。



 ごぉごぉごぉ

 ぼぉぼぉぼぉ

 どこを見回しても、赤。
 紅に蹂躙される世界。
 何もかもが燃えている。
 周囲に広がる炎の海。
 ひのめは何も出来ず、ただうずくまっていた。
 ごめんなさい、ごめんなさいと。
 ただそれだけを繰り返して。
 胸の奥で何かが囁く。
 ひどく歪んだ微笑をその顔にはりつけ、黒い影が囁く。

『ごめんなさいなんて………これはすべてあなたのせいでしょう?』

 ごめんなさい。
 ひのめはもう一度繰り返した。

 ごぉごぉごぉ

 ぼぉぼぉぼぉ























 その日、美神除霊事務所の様子はいつもと少し違っていた。
 美神、横島、おキヌ、シロ、タマモといういつものメンバーに加え、美智恵の姿がある。そして美神除霊事務所がいつもと異なる―――――なんともほんわかした雰囲気に包まれている原因であるひのめの姿があった。
 今年で七歳になるひのめは、いつもより少しおめかしをして、髪を大きな赤いリボンでツインテールに纏めていた。その背には赤いランドセルを背負っている。
 そう、ひのめは今日この日、晴れて小学生となるのだ。

「うん、よく似合ってますね!」

 ひのめの愛らしい姿に頬をゆるませながらおキヌは言った。いや、頬をゆるませているのはおキヌだけではない。

「ああ、可愛い……! さすが私の妹だわ………!!」

「本当に……さすが私の娘ねえ………」

「しかしちょっと見ない間にひのめ殿も大きくなったでござるなー!!」

 美神令子も、美智恵も、シロも満面の笑みだ。
 しかし美神親子にはオイオイお前らと突っ込んでやりたい気もするが、面倒なので誰もしない。ただ一人タマモだけがそんな二人に冷たい視線を送っていた。
 そんな風にみんなから褒められて、ひのめは照れてもじもじしている。その仕草がさらにみんなの心をくすぐった。

「は、はずかしいよぉ……」

 みんなの視線に耐え切れなくなったのか、頬を赤らめてひのめは美智恵の膝の後ろに隠れてしまった。
 そんなひのめに、横島は膝を曲げて目線を合わせる。

「うん、本当によく似合ってる。可愛いよひのめちゃん」

「あ、ありがとう…よこしまおにいちゃん……」

 横島の褒め言葉に、ひのめはさらに頬を赤らめた。
 ひのめはこの中では―――母である美智恵を別格として―――横島に一番なついていた。
 ひのめは元々事務所に連れてこられることも多かったし、美智恵が育児休暇を終えてオカG日本支部事務所、すなわち美神除霊事務所の隣に勤務することになってからは、それこそ毎日のようにこの事務所に預けられていた。アシュタロスとの戦いで自宅を破壊された美神が事務所を自宅とし、さらにおキヌも住んでいるのだから下手な託児所に預けるよりよっぽど安心できたのだろう(それでも事務所のメンバーが全て出払ったりした時は託児所に頼らざるをえなかったが)。
 こうしてひのめは三歳をむかえ、幼稚園に通うようになるまでほとんどの時間を事務所メンバーの誰かと過ごしてきたのである。
 そして事務所メンバーの中で最も子供の扱いに長けていたのが横島だ。疲れを知らんのかと言いたくなるほどの幼児の遊ぶときの体力に、横島は簡単に追随してみせた。また、遊びの内容も実にひのめが興味を持つものばかりであった。
 もちろんひのめと遊んであげていたのは横島だけではない。おキヌ、シロ、タマモ、極まれに美神も遊んであげていた。しかし、この四者はどちらかといえばひのめと『遊んでいた』というより『遊ばれていた』といえる。そこが横島との決定的な違いだったのだろう。
 こうしてひのめは横島のことを『よこしまおにいちゃん』と呼ぶほどに横島になついたのである。
 ちなみに最初、横島のことを『よこしまおじちゃん』と呼び、『19におじちゃんはないやろ!?』という微笑ましいやりとりがあっていたりする。
 そんなこんなで事務所のメンバーとは家族同然に付き合ってきたひのめ。その晴れ姿を一目事務所のメンバーに見せてやろうと美智恵が入学式前に連れてきた、というのがことの顛末である。

「いってらっしゃ〜〜い」

 事務所のメンバーが総出で見送る中、美智恵とひのめはこれから通うことになる小学校へと向かっていった。
 二人の姿が見えなくなるまで見送ってから、五人は事務所の中へと戻っていった。

「さて…今日の仕事はこれとこれと…ん〜、全部で三つか。ま、こんなもんかしらね」

 美神は応接室に入るとデスクの上に散らばっていた書類にぱぱっと目を通し、その内の二枚を横島に手渡した。

「じゃああんたコレとコレ、行ってちょうだい」

「お、俺が二件っすか!?」

「アンタももうここの正社員でしょーが。それくらい働きなさい、ちゃんと給料やってるんだから。私はおキヌちゃんと二人でこっちの依頼を片付けるわ。ネクロマンサーの笛の力が必要になるかもしれないしね」

 そうなのである。横島は高校を卒業すると共に正社員という肩書きを得たのだ。給料もかなりの額をもらっている。初めての給料をもらったときは感動で涙を流し、その夜、やはり何か企みがあるのではと不安で眠れなかったりしたものだ。微笑ましい思い出である。
 まあ横島が正社員になる、ならないの話ではまた一悶着あったりしたのだがここでは割愛させていただく。
 ちなみにまだ独立許可はもらっていない。今は独立するための修行期間と言い換えてもいいかもしれない。横島の霊的戦闘力ははっきりいって美神と比べても遜色ないのだが、いかんせん基本的な知識、経験が絶対的に不足していた。なので、正社員となり、ピンで仕事を任されるようになったばかりの頃は、ピンチになった時に簡単にパニックを起こしたりすることもしばしばあったのである。
 しかしさすがに正社員になってからさらに5・6年もたった今では、仕事の出来はそこらのプロと比べても遜色ないように思える。それでも横島が独立しないのは、美神の依存か、横島の依存か。

「二人で一件…一人で二件……? えぇ〜…美神さんやっぱおかしくないっすか!?」

「別にシロとタマモを連れて行ってもいいわよ」

 美神の言葉にシロが嬉しそうに飛び跳ねた。

「わーい!! 横島先生ッ! 拙者手伝うでござるよ!!」

 言いながら横島の腕に擦り寄る。
 しかし横島の顔は浮かなかった。

(前の仕事でこいつ連れて行ったら帰りに散歩だっちゅうてフルマラソンすることになったんだよな…この目はこいつそれを期待……してるな………はぁ)

 横島はチラリとタマモの方に目をやった。
 タマモも横島の視線に気付く。

「タマモは……?」

「めんどい、パス」

 一言でばっさりと切り捨てられた。
 横島は涙ぐみながら腕にしがみついていたシロを引きはがした。

「いいです…一人で行きます」

 横島はとぼとぼと応接室から廊下へとつながるドアへと向かう。

「ええ〜〜!? 先生、何故拙者を連れて行ってはくださらんのですかッ!?」

「自分の胸に聞けーーーーーーー!!!!!!!」

 ドアノブを握った姿勢のまま、シロのほうを向いて横島はガァーッ!と吼えた。顔だけ巨大化したように見えるほどの迫力だ。シロはひゃいんっ!と悲鳴をあげながら頭を抱えた。
 ドアを開け、出て行こうとする前に、横島は恨みがましく美神のほうへと視線を送る。

「……何よ? じゃあ一人で霊団相手にする?」

「いってきます!!!!」

 威勢のいい声と共にドアがバタンと閉められた。が、すぐにシロによってドアが開かれる。

「せんせぇーーー!!!! 帰ってきたら散歩でござるよぉーーーーーー!!!!!!」

 ズダドダダーーーン!!と凄まじい音が廊下に響き渡る。どうやら階段を盛大に転げ落ちたようだ。
 しばらくすると横島の愛機、ペガサス号(原付)のエンジン音が聞こえてきた。窓から横島の姿が見えなくなるのを見送って、美神は苦笑を浮かべる。おキヌはクスクス笑っていた。

「まったく…相変わらずな〜んか頼りないんだから……」

「本当に横島さん、お仕事が出来るようになっても全然変わりませんね」

 そして美神とおキヌも自分たちの仕事の準備に取り掛かった。
 程なくして準備を整えると、車の置いてあるガレージへと向かう。その前に、美神は屋根裏部屋に戻っていたシロとタマモに声をかけた。

「それじゃ、留守番頼んだわよーーー!!!!」

「了解でござるッ!!」

「はいは〜い」

 美神の呼びかけにシロは律儀に階段に顔を出しながら、タマモはベッドでケータイをいじりながら応えた。
 そうしてこの一日は始まったのだ。





















 入学式はなんの滞りもなく終わった。その後、新しいクラスでのほんの少しの授業、というよりは仲を深めるためのレクレーションを終え、ひのめの小学校生活初日はそれで終わりとなった。
 しかし保護者たちによる懇談会というものが30分ほどあるらしく、美智恵はすぐには帰れなかった。

「じゃあひのめ。ママが戻ってくるまでここでおとなしく待ってるのよ? すぐに戻ってくるからね」

「うん」

 そう言ってひのめを校門近くの校舎に待たせ、美智恵は懇談会の場となる教室へ戻っていった。
 残されたひのめはちらりとどこからでも見えるように校舎に取り付けられている時計へ目をむけた。時計の針は一時少し前を指している。そろそろお腹もすくころだ。
 最初の十分は、ひのめはしっかりと言いつけを守っていた。
 だが、この年頃の子供は好奇心の塊である。ひのめは初めて見る町並みに興味を覚えていた。

(ちょっと…ちょっとだけ……ママがもどってくるまでにかえってくればへいきだよね)

 だから、好奇心に負けて校門をくぐり、町へ飛び出したひのめを責めることなど誰が出来ようか。

「ごめんねひのめ。待たせちゃったわね……あら?」

 いや、誰にも出来はしないのである。
 ひのめは知らない道、知らないお店、行き交う人々、全てに興味を示しキョロキョロしながら歩いていた。その表情はとても輝いている。目に見える全てが新鮮でたまらないようだ。
 しばらく歩いているとひのめは公園を見つけた。中では同じ年頃の子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。その中には女の子の姿もあった。
 ひのめはうずうずしていた。我慢できずにその集団に近づいていく。

「なんだおまえ?」

 その中のリーダー格なのだろう。一人の少年が近づいてきたひのめに声をかけた。
 ひのめは屈託のない顔で元気よく答えた。

「あたしひのめ! みかみひのめ! ねえ、なかまにいれて!!」

 その姿はまさに天真爛漫。可愛らしいにもほどがある。

「ああ、別に……いいよ」

 少年は頬を赤く染めて頷いた。












 美神除霊事務所。その屋根裏部屋で惰眠をむさぼっていたシロは、ドアが勢いよく開かれる音と、ドタドタとした足音で目を覚ました。

「ん〜〜? なんでござるかぁ?」

 目をこすりながら応接室のある二階へと降りていく。そこでシロが目にしたのはひどく慌てた様子の美智恵だった。

「やっぱり帰ってきてない……」

「美智恵殿、何かあったのでござるか?」

 美智恵はシロの姿を認めると困ったような笑みを浮かべた。

「ひのめが学校が終わってからいなくなっちゃったのよ。まああの子しっかりしてるから大丈夫だと思うけど……」

 そう言いながらもやはり美智恵の顔色はよくない。やはり相当心配なのだろう。
 シロはどんと胸を叩いた。

「拙者に任せるでござる! 人狼の超感覚にかかればひのめ殿を探すことなど朝飯前でござるよ!!」

 シロの言葉に美智恵は幾分落ち着いたようだ。
 確かに人狼の追跡能力ほど信用できるものはない。シロなら簡単にひのめを見つけることが出来るだろう。

「ごめんなさい、お願いしてもいいかしら?」

「了解でござる!!」

 返事をするやいなやシロは階段を駆け下りて事務所を飛び出していった。よほど暇を持て余していたのだろう。
 そんなシロの姿に美智恵はため息をつくと、微笑んだ。

「ホントに……成長しても全然落ち着かないわね、シロちゃんは……こうしてる場合じゃないわ。私も探さないとね。任せっぱなしには出来ないわ」

 美智恵も階段を下りると再びひのめを探しに町へと飛び出した。
 ところかわって美神除霊事務所の近所に位置するうどん屋さん。
 そこでタマモはきつねうどんをすすっていた。店内ではタマモの美しさ、可愛さにチラチラと視線を送る男性客が絶えない。だがタマモはその視線に気づいてはいるが、これっぽっちも気にしちゃいなかった。
 すると突然入り口のドアがけたたましい音を立てて開かれた。
 なんとなしに目をやったタマモは口に含んでいたうどんを盛大に噴き出してしまった。

「おー女狐!! やっぱりここにいたでござるか!! さあ行くぞ! ひのめ殿をお救いするのだ!!」

 尻尾を生やした元気少女の突然の登場に、店内の人間は皆唖然としてしまった。
 つかつかと歩み寄ってくるシロにタマモは赤面してしまう。

「さあさあ行くぞ! もたもたするなでござる!!」

「ええぃ、近寄るな!! 同類と思われるでしょ!! あ、こら、引っ張るなーーー!!! まだ油揚げが残って……油揚げーーーーッ!!!!」

 タマモはシロに引きずられながら店を出て行った。
 しばし唖然とする店内。
 いち早く我に返った店長は叫んだ。

「く、食い逃げーーーーーーーー!!!!!!!!」

 しかし店長が店を飛び出した時には、二人の姿は遥か彼方、豆粒のようになっていたのである。




 シロがタマモを連れ出したこの時、事件はすでに起こっていた。




 公園でわいわいとはしゃいでいるひのめ達に近づく影があった。
 ぼさぼさの髪をした中年の男。白いくたびれたシャツにジーパン、それにサンダルを身に着けている。その男は見た目からしてすでに不気味な雰囲気を漂わせていた。
 どんどん近づいてくる男にひのめ達も気がついたようだ。追いかけっこを中断して、気味が悪そうに男の様子を見つめている。
 男はついにひのめの目の前までくるとにたりといやらしい笑みを浮かべた。

「お嬢ちゃん、かわいいねぇ〜〜。どうだい、おじちゃんと遊びに行かないかい? おいしいものをいっぱい食べさせてあげるよ?」

 知らない人について行ってはいけないと、母からも姉からも口をすっぱくして言われていたひのめはふるふると首を振った。

「しらないひとについていっちゃだめだっていわれてるから…ごめんなさい」

「そうだ、ソフトクリームを買ってあげよう。遊園地にも連れて行ってあげるよ〜。ね? 楽しいことも、気持ちいいこともた〜くさん、た〜〜くさんしてあげる。さ、おいで」

 男はひのめの言葉など聞いてはいないというふうに、ひのめの腕をとると歩き出した。
 公園の外に白い軽自動車が止めてある。そこに連れ込むつもりなのだろう。嫌がるひのめを男は無理やりに引きずった。

「いやぁ!」

 必死に足を踏ん張り、首を振りながらひのめは拒絶の意思を示した。しかしわずか6歳の力で男に抗えるはずもなく、ひのめはずるずると引きずられていってしまう。
 周りの子供は皆恐怖に震えて動けないでいる。引きずられていくひのめの姿を、涙を浮かべながら見つめていた。

「おい、やめろよ!! ひのめに何する気だよ!! ひのめを離せ!!」

 その中で、唯一男に抗うことが出来たのは最初にひのめに声をかけたリーダー格の少年であった。

「ナニって……楽しいことだよ、楽しいこと。とっても気持ちよ〜くなる、ね。邪魔しないでくれるかな〜ボク。お嬢ちゃんも早くきてね。人に見られちゃうからね」

 男はひのめを引っ張る腕にさらに力を込めた。
 ひのめはたまらず悲鳴を上げる。

「いたい!!」

「やめろ!! 離せって言ってるだろ!!!」

 少年は男に飛び掛るとひのめを掴んでいる腕に組み付いた。渾身の力で男の腕を引き離しにかかる。
 男の顔色が変わった。

「邪魔すんなっつってんだろこのクソガキィ!!!!」

 男の右足が少年の腹に思い切り叩き込まれる。少年は思わず咳き込み、うずくまった。
 うずくまる少年を、男はさらに蹴りあげ、踏みつける。

「調子に乗ってんじゃねえぞぉ、コラ!? 大人に勝てるとでも思ってんのかボケがぁ!!! コラ! ボケ!! コラァ!!!!」

 狂ったように男は少年を蹴り続ける。今度はひのめが男に飛び掛った。

「やめて!! やめてよぉ!!」

「うるせぇ!! てめえもさっさと来いって言ってるだろうが!!!」

 男はひのめの髪を掴むと思いきり引っ張った。そのまま先ほどと同じように車のほうへと引きずり始める。

「いたいいたいッ!!!! イヤァッ!!!!!」

「ムカつかせやがってボケどもがぁ……!! お嬢ちゃんよぉ…てめえは特別丁寧にかわいがってやるぜ……」

 口の端からだらだらとよだれを垂らし、男はひのめを睨み付けた。そのまましっかりとひのめの全身を眺め、じゅるりと音をたてる。
 ひのめの恐怖は最高潮へと達した。

 その時だった。

 ひのめの周りの世界から音が消えた。色が消えた。ひのめの周りの世界は白黒に塗りつぶされてしまった。
 代わりにひのめに流れ込んできたのは大量のイメージ。
 少年が受けた痛み、苦しみ、悔恨、無力感、絶望。
 子供たちが感じた恐怖、不安。
 男がひのめに対してもよおした劣情、これからひのめに行おうと想像している淫猥な行為の数々。
 それらがダイレクトに、克明に、映像すら伴ってひのめの脳内に流れ込む。
 ひのめの父、美神公彦。極めて強力な精神感応者<テレパス>。その能力は微弱ながらひのめにも受け継がれていた。
 そしてそれは最も最悪な形で開花したのである。
 ひのめの感情が、弾けた。
 ひのめの服に丹念に縫い付けられていた念力発火封じの札が、燃え上がる。

「やめてえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!」

 ひのめの叫びはそのまま力となりて燃え上がる。長い間封じられていたパイロキネシスが発現した。











 シロとタマモは立ち尽くしていた。
 ひのめが通うことになった小学校からひのめの匂いをたどり、ひのめを探し出すことなど、彼女らにとっては本当に朝飯前だった。
 そして彼女らの感覚はどんな探査機よりも確実である。

「これは……」

「この中にいるっていうの…? ひのめが………」

 彼女たちの目の前には高さ五、六メートルはあろうかという炎の海に包まれた公園があった。ひのめの匂いは確かにその中に続いている。
 近所の住民と、野次馬が公園の周りに集まってきた。消防車も出動している。赤く連なり、消火活動を行う消防車の中には、ぽつぽつと白い救急車の姿もあった。
 タマモは携帯電話を取り出すと、手馴れた手つきでダイアルをプッシュし、耳に当てた。

「ええい…早くでなさいよ……!!」

 タマモは焦りからか、美しく揃った爪を噛む。シロは公園の周りを何とか入れる場所はないかと一周していた。
 タマモは一度だけでなく、二度、三度と電話を続ける。
 程なくして、美智恵が駆けつけた。ひどく慌てた様子でタマモの肩を揺さぶる。

「本当に…本当にあの中にひのめがいるっていうの!?」

 狼狽しながら問う美智恵にタマモはコクリと頷いてみせた。
 がくりと美智恵の膝が崩れ落ちる。

「何てこと……」

 両膝を着いたまま立ち上がろうともせずに、美智恵は炎に包まれる公園に目をむけた。
 公園を一周し終えたシロが決意の瞳で公園を区切る柵へと近づく。

「待ちなさい馬鹿犬。アンタ何する気? まさかそのまま突っ込むなんて言わないわよね?」

「そのつもりでござるよ」

 タマモの問いにシロは振り向きもせずに答えた。タマモはやれやれとため息をつく。

「死ぬ気?」

「人狼の生命力をあなどるな。この中に飛び込んでひのめ殿を救出する…不可能な話ではないでござる」

「無理ね。アンタ、私の狐火に全身を包まれて三十秒生きる自信ある?」

 タマモの言葉にシロの足が止まる。

「ないでしょ? しかもこの炎…私の狐火の熱量を軽く超えてる。この中に飛び込んで生きて帰るなんて…私たちにも不可能よ。それに……アンタが無事でもひのめが死ぬわ。この炎を何とかしないとね……」

「お前はッ!! 何をそんな冷静にッ!!!!」

 シロは振り向き、涙混じりにタマモに怒鳴りつけた。が、その言葉は途中で止まる。
 タマモの握り締めた拳から血が滴り落ちていた。

「お前……」

「何も出来ないことに怒りを感じてるのはアンタだけじゃない……!」

 タマモは再び己の爪を噛んだ。バチッと爪の千切れる音がする。

「すまぬ……」

 シロはうなだれ、頭を下げた。
 その直後、人垣から悲鳴が上がった。
 何事かとシロもタマモも、美智恵も立ち上がって悲鳴が上がったほうへと向かった。
 人垣が輪を作るように広がり、その中心にはすでに救急隊員が駆けつけている。 救急隊員が必死に担架に乗せようとしているのは、皮膚が焦げ、顔が判別できぬほどに焼け爛れた男だった。
 目撃者によれば、炎にまかれたこの男が突然公園の中から飛び出してきたらしい。
 美智恵は救急隊員に声をかけた。

「意識は残ってるんですか!?」

「激しく混濁していますが一応は……って、ちょっとあなた!! 患者に近づかないで!!」

 救急隊員の制止を振り切り、美智恵は黒焦げの男の耳に口をよせる。

「小さい女の子、中にいませんでしたか!? 六歳くらいの…髪をツインテールに纏めた……私の娘なんです!! あの子は無事なの!?」

「ちょっと…患者を刺激しないで!!」

 美智恵は救急隊員に羽交い絞めにされてなお男に問いかけ続ける。

「お願い! 覚えていることを教えて!!」

「おんな…のこ……? ツイン…に…まとめた……?」

 うわ言のように男は美智恵の言葉を繰り返した。その様子に美智恵も、救急隊員たちも注視する。
 男の体ががたがたと震えだした。

「うわぁッ!! うわあぁッ!!! ひ、ひぃぃ!! た、助けてッ…殺される、殺されるぅ!!!!!!」

 目を見開き、泡を口から漏らしながら男は突然叫び始めた。物凄い勢いで起き上がり、焦げついた腕で頭を抱える。
 救急隊員達は慌てて男に駆け寄った。

「大丈夫です!! もう大丈夫ですよ!!! 何も怖くありません!! 奥さん、あなたはもう離れていてください!!!!」

 救急隊員の一人が叫びながら少々乱暴に美智恵を突き飛ばす。
 ふらついた美智恵はシロによって支えられた。
 美智恵は男の言葉を聞いて呆然としていた。ぶつぶつと男の言葉を反芻している。

「殺される……? まさか………」

 呟き、公園を陵辱する紅蓮に燃え上がる火柱を見上げた。

「これは……ひのめがやっているの………?」

 呟く美智恵の目の前で、次々と子供たちが公園から飛び出してきた。
 男に比べれば軽傷とはいえ、皆ひどい火傷を負っている。その中にひのめの姿はなかった。
 子供たちの中に、火傷のほかにもあざや切り傷を負った少年の姿があった。そう、ひのめを救おうと奮闘したリーダー格の少年である。
 泣き喚く子供たちの中で、彼だけは幾分落ち着いて救急隊員の質問に答えていた。

「それで…変なおじさんが…近づいてきて…ひのめを無理やり連れて行こうとしたんだ。そしたら突然おじさんが燃えて……後はよく覚えてない。公園がどんどん燃え始めて…俺たち、必死で逃げたんだ……」

 その少年の言葉で、美智恵は状況を完全に理解した。
 愚かな変質者に言い寄られて、ひのめの能力が暴走してしまったのだ。最上級の念力発火封じの札を焼き切るほどに力を膨れ上がらせて。

「ひのめ………」

 美智恵はただ、ひのめの無事を祈った。
 その時、けたたましい音を立てて一台の車が現れた。その車は凄まじい速度で近づいてきたかと思うと、美智恵達の目の前で凄まじいブレーキ音を立てて急停止した。
 ブレーキの摩擦で煙を上げる、シロやタマモにとって見慣れた車から現れたのは、そう、美神令子、氷室キヌの二人だった。




















―――――――ひのめは夢を見ていた。



 ごぉごぉごぉ

 ぼぉぼぉぼぉ

 炎に囲まれたひのめは逃げようともせず、ただうずくまっていた。
 心の内で囁く声がする。

『殺した。殺した。ひのめ、あなたは人間<ヒト>を殺してしまった』

 その言葉にひのめは肩をビクリと震わせる。

「ちがう…あたし…ころしてなんか……」

『殺したじゃない。しっかりと見たでしょう? 炎にまかれる人間を。しっかりと聞いたでしょう? 恐怖にまみれた断末魔を。しっかりと嗅いだでしょう? 肉と脂肪の焦げ付く匂いを』

「ちがう……あたし…ちがうぅ………! だれなの? あなたはだれなの……?」

 身を守るように肩を抱き、震えながら問うひのめ。
 影は薄く微笑んだ。

『わたしはアナタ。あなたはワタシ。私はあなたの心の一部…いえ…本性といったほうが正しいかもしれないわね。うふふ、そんなことどうでもいいじゃない……ねえ、ひのめ?』

 具現化した影は、うずくまり、震えるひのめの肩を抱き、ひのめを包み込む。
 ひのめは安心感など感じなかった。ただ、おぞましさに満たされただけ。
 ひのめの耳に顔を寄せて、影は囁いた。

『気持ちよかった?』

 その問いはあまりにも残酷で。
 ひのめの心はあっさりと打ち砕かれた。

「イヤアァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」

 影は笑う。炎は踊る。


 ごぉごぉごぉ

 ぼぉぼぉぼぉ
























「ママッ!! ひのめは無事なの!?」

「わからないわ…確かなのは、今もこの炎の中にいるってことだけ……」

 美神の言葉に美智恵は弱々しく首を振った。おキヌがキョロキョロと辺りを見回す。

「横島さんは!? まだお仕事中なんですか!?」

 携帯電話を取り出しながら答えたのはタマモだった。

「ケータイに電話したけど繋がらなかった。一応、伝言に残しといたし、メールもしておいたけど…この事態が伝わっているかはわからないわね」

「あの馬鹿はほっっんと肝心な時にーーーーーーー!!」

 美神は拳をわなわなと震わせ、己の車のボンネットに叩きつけると天に向かって咆哮した。

「といっても仕事を押し付けたのは美神殿では……」

 おそるおそる突っ込もうと試みるシロ。しかしギロリと飛ばされた美神の素晴らしいガンつけにあえなく撃沈した。

「人聞き悪いこと言うんじゃないわよ。あいつに任せた二つは現場も近かったんだからしょうがないでしょ。おキヌちゃん一人で霊団相手にさせるのも不安が残るしね…って今はそんなことどーでもいいのよ!」

 美神は半ば無理やりにその話題を終わらすと、近くで懸命に消火作業を続ける消防員に掴みかかった。

「何トロトロしてんのよ!! こっちゃこういう事態のために払いたくもない税金払ってあんたらを食わしてやってんでしょうが!! ちゃっちゃと消しなさいよ!! 早くッ!!!!」

 「払いたくもない」という所をやたらと強調させて美神は隊員に怒声を浴びせた。
 突然掴みかかられて恐ろしいほど理不尽な言葉を浴びせられ、消防隊員は目を白黒させている。

「そんなこと言われても……!! 私たちも全力で消火にとりかかってるんです!! それに……!!」

「それに…? それに何よ!!」

 消防隊員は一度ばつが悪そうに美神から視線をそらす。
 それから美神のほうに視線を戻すと意を決したように口を開いた。

「私は…この近所に住んでいますからこの公園にもよく足を運びます……ありえないんですよ!! この公園でこんな火があがるなんて!! 木も草もそんなに多くない!! 木にしたって最も背丈が高いもので三、四メートル…それも一、二本です!!!! 一体何が燃えてるというんです!? 何が燃えればこんな馬鹿げた高さの炎が立ち昇るというんです!? 何が燃えてるのかもわからないんじゃ……消火の仕様がないんですよ!!!!」

 消防隊員の言葉に美神はもう一度公園の様子に注視する。確かに、普通の公園火災には馬鹿げた規模だった。山火事にしたって、ここまでの規模の炎はめったに生じないだろう。
 美神の手から開放された隊員は再び消火作業に没頭した。彼は彼なりに全力を尽くしている。この火災を少しでも早く鎮めようと。

「私の狐火と同じなんでしょうね」

 皆の視線がタマモに集中した。タマモが手のひらを差し出すと、その手のひらの上にボウッ…と炎が舞い上がった。

「対象物を発火炎上させる……だけじゃなく、自らの意思で炎を生み出す……念力発火能力者<パイロキネシスト>の枠を飛び越えてるわ。それも、これだけの規模の炎を、わずか6歳のひのめが生み出している…逆に言えば炎が上がっている限りひのめは生きてるっていうことにはなるけど………」

「そんな…」

 おキヌはふらりと後ずさる。その目には涙が浮かんでいた。

「そんな…それじゃ、消しても消しても次から次に炎が生まれてしまうってことじゃないですか……? それじゃ、ひのめちゃんは……」

 美智恵の顔色がこれまでに無いほど青ざめる。
 美神は強く唇を噛んだ。

「なんとか出来そうなのは横島クンの文珠くらいのもの……何してんのよ…アホ横島……!! アンタあんなにひのめを可愛がってたじゃない……いつもみたいな異常な勘で気付きなさいよ……気付いてよ………!!」

 そこまで呟いてから、美神はハッと気を引き締める。
 美神は己の心を侵食し始めた絶望を振り払うため、グンと胸を張った。いない男のことをウダウダ言ってもしょうがない。自分たちで出来ることを考えなければならない。
 美神は己の心を落ち着けるため、何とはなしに空を見上げた。

「え゛……?」

 しかしその思考はあっさりと中断される。見慣れた何かがこちらへ落下してきていた。
 最初小さな点だったその影は、ものすごい速度で自由落下を続け、徐々にその姿をはっきりとさせる。
 美神は開いた口がふさがらなかった。

「危な〜〜〜い!!!! 美神さん、どいてどいてーーーーーーー!!!!!!!!」

「横島クンッ!?」

 ズドーンッ!!と凄まじい落下音と衝撃が辺りに響き渡った。周囲の人々は何事かとこちらに目を向けている。
 美神たちの目の前には、アスファルトを突き破って大きな穴が穿たれていた。
 あまりの出来事に目が点となる美神たち。その目の前で穴からもぞもぞと芋虫のように何かが這い出してきた。

「あ〜〜死ぬかと思った〜〜〜」

「横島さん!?」

「せんせぇッ!?」

「横島ッ!?」

「横島クンッ!? いったいどこから…」

 おキヌ、シロ、タマモ、美智恵それぞれが突然現れた横島の姿に驚きを隠せない中、かろうじて落下中の横島を視認していた美神は這い出てきた横島をゴインッ!と小突いた。
 いきなり小突かれた横島は頭を押さえ、美神のほうを振り返る。

「痛ッ!! 何するんすか美神さん!!」

「アンタねえ!! 何アホみたいな登場の仕方してんのよッ!!」

「だってしょうがないでしょ!? タマモの伝言聞いて文字通り『飛』んで帰ってきたら途中で文珠の効果消えちゃったんだから!!」

 そんな二人のやり取りをどうにか諌めようとおキヌははわはわとタイミングを計っている。
 シロは横島に抱きつき、落下の際に出来た横島の傷をぺろぺろと舐め始めた。
 タマモと美智恵は顔を見合わせると同時にふっ、と息をつく。

「まったく…相変わらず……」

「頑丈ねえ……」

 皆の心を侵食しかけていた絶望は、すでに跡形も無く消え去っていた。


















―――――――ひのめは夢を見ていた。



 ごぉごぉごぉ

 ぼぉぼぉぼぉ


『ねえひのめ?』

 影は囁く。精神を蝕む毒を言霊に乗せて。

『ひのめは焼いちゃったわね。あの気持ち悪いおじさんだけならともかく、せっかく一緒に遊んでくれたお友達も』

 その言葉にひのめの肩がびくりと震える。

『ひどいわ、とってもひどい。あの中には女の子もいたのよ? もし顔に一生消えない傷ができていたら……ああ、考えただけで胸が痛んでしまう。あの子達の一生は台無しになっちゃったかもしれない……今日、ひのめと出会ってしまったせいで』

 ごめんなさい。
 もう何度目になるだろう。
 ごめんなさい。
 瞳から流れる涙は全身の水分が出て行ってしまうんじゃないかというほどに溢れて。
 ごめんなさい。
 喉から止めようも無く漏れ続ける嗚咽と共に。
 ごめんなさい。
 ひのめはただそれだけを呟いた。

『これから出会うヒト全てをこんな目にあわせるつもり? これから出会うヒト全ての人生を台無しにするつもり? え、もうこんなことは起きないって? ふふふ…そんな根拠がどこにあるの? どこにもないよ?』

 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。

『ねえひのめ?』

 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。



『あなたは、この世にいないほうがいいんじゃない?』

「――――――!!」


 ごぉごぉごぉ

 ぼぉぼぉぼぉ


















 炎はどんどんと勢いを増しているように見えた。

「……! 横島クン!! お願いッ!!!!」

 美神の声が飛ぶまでも無く、横島の手にはすでに文珠が握られていた。
 文珠に『冷』の文字が浮かび上がる。

「…んなろおぉぉぉぉぉ!!!!!」

 放たれた文珠は炎の中に飛び込むとすぐにその効力を発揮した。文珠が輝くと同時にその周囲の炎は一瞬にして消えうせる。
 だが、すぐに新たな火柱が上がり始めた。
 その後も何個か『冷』文珠を投げ込むも、大した効果は得られない。

「くそッ!! キリが無いッ!!!」

「横島クン! 文珠の無駄遣いは避けて!! 最も効果的な影響を及ぼす文字を考えるのよ!!」

 だが、美神を含め全員がそれを考えているのだが一向にいい考えは浮かばない。

「ああ、こうしている間にもひのめは……」

 美智恵は不安そうな眼差しで公園から吹きあがる火柱を見つめた。あの炎の中に娘がいると思うと、気がおかしくなりそうになる。

「美智恵殿……大丈夫でござる! 能力が暴走しているということは本能のままに能力を開放しているということ!! 本能はまず自己の生存を第一目標として行動するものでござる!! だからひのめ殿はきっと無事でござるよ!!」

 美智恵の目の前でシロはぐっ、とガッツポーズをしてみせる。
 美智恵はごくわずかにだが、微笑んだ。

「そうね…そうよね。ありがとう、シロちゃん…母親の私がしっかりしないとだめよね」

 美智恵はひのめを助けるための算段を、その卓越した頭脳をフル回転させて考え始めた。

(頑張るのよ…ひのめ……ママが必ず助けてあげる)

 シロの言葉を聞いていた美神は顎に手をあてて何やら考え始めた。

「…確かにその通りかもしれない。パイロキネシストが暴走したっていう話はよく聞くけど、その中で自分自身を焼いてしまった、というのはほんの数パーセントにしか満たないわ……だからといってひのめも……というのは、やはり希望的観測かしらね…」

 そこまで言い切ってから、美神はふう、とため息をついた。今ここでこんなことを論じるのに意味はない。
 考えなければならないのは、どうやってひのめを助けるか、それ一点だけだ。
 だが、そんな美神の横で横島が口を開いた。

「だけど……こういう考え方も出来るんじゃないっすか? 隊長はひのめちゃんの教育には成功していた。ひのめちゃんは自分の痛みより人の痛みを気にするようないい子に育ってる。だから……うごッ!!!!」

「『には』ってどういう意味よ。『には』って」

 失言をかました横島の顔面に美神の鉄拳が叩き込まれる。
 横島の言葉をおキヌが受け継いだ。

「そんな…それじゃ、こう思うかもしれないってことですか!? 『自分なんかいないほうがいい』って!!!! そんな……そんなッ!!」

 その時だった。
 公園の中央から爆音と共に巨大な火柱が立ち昇り、天を突いた。

「ひのめーーーーーーーー!!!!!!!!」

 美智恵は思わず愛しい我が子の名を叫んだ。美智恵だけではない。美神も、おキヌも、シロも、タマモでさえも何もかもを忘れてひのめの名を呼んだ。
 だが、その時。極限にまで研ぎ澄まされた集中力で行動を起こした男がいた。
 キインッ!!という甲高い音をたてて『視』と刻まれた文珠が発動する。

「……いたッ!! ひのめちゃん!!!!」

 横島は炎の中へもう一つ、握り締めていた文珠を投げ込んだ。























―――――――ひのめは夢を見ていた。


 ごぉごぉごぉ

 ぼぉぼぉぼぉ

 遂に今まで一定の距離を保っていた炎は、ひのめに向かって蠢き始めた。ひのめを飲み込み、燃やし尽くそうと。その存在を消し去ろうと。
 ひのめの目からは光が失われていた。目に飛び込むもの全てが暗い。
 迫り来る紅蓮の炎も、ひのめの目には漆黒の闇のように映るばかりだった。

『さあひのめ…罪深い女の子……罪は贖わなければならない。炎の揺り籠に抱かれて、健やかに眠りなさい。あなたはこの世にいてはならない存在なのだから……』

 影はことさら優しくひのめに囁きかける。
 ひのめの目の端から再び一筋の涙が流れ落ちた。

「そうなの……? わたしは、しななきゃいけないの……?」

『そうよ、あなたは死ななければいけない。でなければあなたは再び屍の山を築くことになる。それとも、それでかまわない? 屍の上を厚顔な面をして歩いて生きる……そんな人生がひのめのお好みなのかしら?』

 ひのめはふるふると首を振った。もう、自分のせいで誰かが傷つくのは耐えられなかった。

『その力はいずれあなたの大切な人まで焼き殺すのよ? そんなの、ひのめだって嫌でしょう?』

 ひのめの脳裏に、大好きな母の姿が浮かぶ。大好きな姉の姿も、大好きな横島おにいちゃんの姿も、大好きなおキヌちゃんの姿も、大好きなシロおねえちゃんの姿も、大好きなタマモおねえちゃんの姿も浮かんできた。
 その全員が炎に包まれる、そんなイメージがひのめの中に浮かび上がる。

「そんなの……いや……」

 ほとんどうわ言のようにひのめは呟いた。

『そうよ、だからあなたは………』

「わたしは…しななくちゃいけない……」














「そんなことはないさ」

「――――――!?」

 闇を切り裂いて、現れる光がある。紅蓮の炎を掻き分けて、現れた男がいる。
 横島の姿を認めた時、ひのめの瞳に光が戻った。

「よこしまおにいちゃん!!!!」

「ひのめちゃん、自分をせめる必要なんてない。ひのめちゃんはな〜んにも悪くないんだから」

『悪くないはずがないッ!! ごらんひのめ!! あなたのせいで大好きなおにいちゃんも燃えてしまっているじゃない!!!!』

 叫びながら影は横島の体を指差す。
 影の言うとおり、横島の体は炎で包まれていた。

「そうだよ…わたしのせいでおにいちゃんももえちゃってる!! わたしのせいで!! わたしのせいで、おにいちゃんまでッ!! ごめんね…おにいちゃん、あついよね……? ごめんね…ごめんね……」

 ひのめは涙を流しながら横島に謝り続ける。
 だが、横島は笑いながら首を振った。

「ぜ〜んぜん。ぜ〜んぜん熱くないよひのめちゃん」

「えっ?」

 目を丸くして、ひのめはもう一度横島の姿に目をやった。
 確かに燃えている。だがその顔は横島の言うとおり苦痛を感じているようには見えない。

「不思議かい? 俺が平気でいることが。簡単なことだよ、ひのめちゃん。ひのめちゃんが優しいから……ひのめちゃんが俺のことを思いやってくれているから……ひのめちゃんが無意識の内に炎を全然熱くないようにしてくれてるんだよ。だから俺は全然平気なんだ。俺だけじゃない。誰も傷ついてなんかいない。ひのめちゃんはなんにも悪くないんだよ」

「……ほんと?」

 横島の言葉は、凍りついたひのめの心を急速に溶かしていった。

「ああ!! おにいちゃんを信じろって!!!」

 ひのめの目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。

「わたし…ママたちといっしょにいていいの?」

『いいわけがないじゃないか!! ひのめ!! 君が一緒にいたら皆が不幸になるんだよ!! ひのめ!!!!』

 影の声は、もうひのめには届かない。影の正体は、ひのめ自身の罪悪感、自己の存在意義を疑う猜疑心。横島によってそれらが払われた今、影の言葉がひのめに届くはずもない。
 ひのめの目に映るのは、炎の中さっそうと自分を救いに来てくれたよこしまおにいちゃんの姿だけ。自分の心を救ってくれたヒーローの姿だけが、今のひのめの目に映る全てだった。

「わたしは、みんなといっしょにいていいんだね!?」

 そんなひのめの問いに対する横島の答えは―――――ガッツポーズだった。

「よかった………」

 そして気が抜けたのか、ひのめはそのまま倒れこむと意識を失った。





―――――わたしは、みんなのそばにいても、いいんだ。
―――――生きていて、いいんだ。
























 ひのめが意識を失うと同時に周りの炎は煙のように掻き消えた。
 倒れこんだひのめに全員が駆け寄った。美智恵がひのめの体を抱き上げる。
 ひのめがしっかりと息をしているのを確認すると、美智恵はようやくほっと息をついた。

「ママ、助かったとはいえずっと高熱の炎の中にいたことに変わりは無いわ。すぐに病院に連れて行きましょう」

 汗をびっしり浮かべたひのめの姿を見て、顔を歪ませながら美神は言った。美智恵は黙って頷くとひのめを抱きかかえたまま歩き出した。
 突然炎が消えたことに呆然としていた消防隊員たちは、ひのめを抱えた美智恵の姿に気付くと、実に素早い対応を見せた。すぐに救急車が回され、ひのめをベッドに寝かしつける。

「わ、私も付き添います!!」

 病院への付き添いにおキヌも名乗りを上げた。もちろんそれを咎めるものなど誰もいない。

「拙者も行くでござる!!!!」

「私も…行こうかしら」

 シロだけでなく、意外なことにタマモもその名乗りを上げた。
 救急隊員が困った顔をする。

「申し訳ありません…救急車に乗せることが出来るのはそちらのお二人が限界で……」

 隊員の言葉にシロは快活に笑って胸をはった。

「ああ、そんなのいいでござるよ!!」

「走ってついていくから」

 シロとタマモの言葉に救急隊員たちはキョトンとした顔をすると、すぐに苦笑を浮かべた。
 二人の言葉を冗談だと思っているのだろう。

「それでは出発します。いいですか?」

「令子、あなたはどうするの?」

 美智恵が救急車の中から美神に声をかけた。

「ん、いいわ、私は。あとで病院にちょろっと顔出すから。なにか異変があったらまた連絡ちょうだい」

「横島クンは?」

「あ、じゃあ俺もそうするっす」

「そう……横島クン、今日は本当にありがとね」

 美智恵は横島に向かって深々と頭を下げた。横島は慌てて首を振る。

「いや、そんな、いいっすよ! そんなあらたまらなくたって!!」

「また後でちゃんとお礼するわ。それじゃ、またね」

 美智恵がそう言うとドアが閉まり、ピーポーピーポーとおなじみのサイレンを鳴らして救急車は走り去っていった。
 その後をシロとタマモが猛ダッシュでついていく。救急車からギャー!!と悲鳴が上がるのが聞こえた気がした。
 そして横島と美神の二人だけが公園に残された。

「まったく……『影』文珠で自分の幻を作ってひのめを説得するだなんて……よく考え付いたわね、アンタ」

 美神が呆れ半分、感嘆半分といった風に横島に声をかけた。
 横島は照れたように頬をぽりぽりと掻く。

「いやあ〜パイロキネシスとか、あの手の能力って制御すんのに一番大切なのは自分にはその能力を使うことが出来るっていう自覚じゃないですか。この方法ならならひのめちゃんにパイロキネシスを扱うことが出来るんだっていうのを刷り込めると思ったんですよ。そうすれば、暴走も収まるし、今後のためにもなるかな〜って思って。上手くいってほっとしたっすよ!」

 得意満面の横島の顔を眺めながら、美神は「は〜」と盛大にため息をついた。

「……何すか」

「アンタね〜〜もしひのめが感極まって抱きついてきたら、とか考えなかったの? もし抱きつかれちゃったりしてたら、すり抜けちゃって幻っていうのがばれちゃってたじゃない」

「あ゛ッ………」

 そんな事態はまったく想定していなかったのだろう。横島は口を開いたまま固まるとだらだらと汗を流し始めた。
 美神はそんな横島を見てクスッと笑う。

「まったく…アンタってやっぱどっっか抜けてんのよね。といっても、今回の件、ひとつ借りが出来ちゃったわけだけど」

 美神は己の愛車のボンネットに腰掛けた。
 横島は美神の言葉に首と手をブンブン激しく振った。

「借りだなんてそんな……今この場で体で払ってくれればーー! ぶほぁッ!!!!」

「ええい! 少し見直したかと思えばこれか!! 無しよ無し!! やっぱ借りなんてないわアンタなんかにゃッ!!!!」

 突如ボンネットに美神を押し倒そうとした横島のどてっ腹に、美神は痛烈なニー(膝)を叩き込んだ。
 あまりに強力な一撃に横島はその場で身悶える。

「へへへ……」

「…? 何おもいっきり蹴られて笑ってんのよ。アンタM? ……ま、Mでしょうけど」

 笑いながら横島は立ち上がった。よほど先ほどのニー(膝)が効いたのか、まだ腹をさすっている。

「それでいいですよ。貸し借りなんて、無しでいいです。ひのめちゃんは美神さんの大切な妹じゃないですか。助けるのなんて当然でしょ? ねっ?」

 美神は横島から顔をそらして、空を見上げた。
 自分の頬が赤く染まってしまっているのを気付かれたくなかったから。

「……何カッコつけてんのよ。似合わない」

「なんすか? まだ納得いかないすか? じゃあ今度一回デートしてくださいよ! それで今回の件はチャラっつーことで!!」

 美神はボンネットから降りると車のドアを開けた。横島の顔は、まだ見れない。

「………まったく、十年早いわよ」

「十年って……美神さん十年後には三じゅぶべらッ!!!!」

「………フン」

 またも失言をかまし、鉄拳制裁を受けてのびた横島を公園に残して、美神の乗り込んだ車は走り去っていった。
















 この二年後、横島と美神はめでたくゴールインすることになる。
 ひのめは横島が本当のおにいちゃんとなったことに大変喜んだ。
 それからひのめの横島に対する想いは強くなりこそすれ、色褪せることは決して無かった。
 そしてそれが恋愛感情に発展するまでに、それほど時間は要さなかったのである。








―――――――そして現在、ひのめ16歳。

 目を開けたひのめの視界に広がるのは、いつもと変わらぬ、姉と義兄の家に設けられた自分の部屋の天井だった。
 そのままむくりと起き上がる。そこでひのめは自分が涙を流していることに気がついた。

「はあ……また―――あの夢か」

 心臓のリズムが早い。この夢を見た後はいつもこうだ。今日は涼しい夜だというのに、シャツは寝汗でぐっしょりと湿ってしまっている。
 この夢を見た後はどうしてもなんだか不安な気持ちに襲われる。ひのめはベッドの上で自分の両膝を抱えてうずくまった。
 どうにもこのままでは寝つけそうにもない。
 気付けば喉はカラカラだった。
 水でも一杯飲もうと、ひのめはベッドを降りると台所へと向かった。
 部屋を出て、廊下を歩く。台所にたどり着くと、ひのめは水を一杯飲み干した。それでも昂ぶった気持ちは一向に収まってくれはしない。
 ため息をつき、部屋に戻ろうと再び廊下に出た時、ひのめは義兄の部屋の扉が開いていることに気がついた。
 何気なく中を眺める。無防備な義兄の寝姿が見えた。
 義兄と姉は別々の寝室で眠っている。蛍は姉の部屋だ。義兄と姉は元々は同じ寝室で眠っていたらしいのだが、ひのめが住み始めてから、その影響を考えて姉が別々にしたらしい。
 最後まで別々に寝ることをぐずっていた義兄の姿を思い出し、ひのめはくすくすと笑った。
 義兄の部屋に足を踏み入れ、布団のそばへと近づく。義兄の部屋はどちらかといえば和風調で、義兄は畳の上に直接布団をしいて眠っている。
 ひのめは義兄の寝顔を真上から覗き込む。それはなんとも間抜けな寝顔だった。
 ただそれを眺めているだけでひのめの心は癒されていく。
 ―――――満たされていく。

(おに〜いちゃん)

 ひのめはもそもそと義兄が起きぬように、布団の中へともぐりこんだ。
 義兄の腕を枕に、隣に寄り添う。

(おに〜いちゃん………)

 目の前には義兄の顔。先ほどまでの不安はどこかへ消えていた。
 そのままひのめはすうすうと、安らかに寝息をたてて眠りについたのである。





 ちなみにひのめ、寝るときはズボンをはいていない。つまり、シャツと、ショーツを身に着けているだけだ。
 この翌朝、『アンタなに義妹に手ぇだしてんのよ違うんだ聞いてくれ妻よ大戦』が勃発することになるのである。









ちなみに@……ひのめの暴走により傷を負った者は、その後横島の文珠治療により、一切の痕を残さず完治した。完治した者の中にはひのめ暴走の原因となった男も含まれていた。
ちなみにA……ひのめの暴走に巻き込まれた子供たちは、いろいろ考えた結果、この事件のことを『忘』れてもらうことにした。
ちなみにB……横島の文珠によって完治した変質者だが、事情を全て理解した美智恵、美神、横島によって再び病院に出戻り。再起不能<リタイア>。
ちなみにC……この事件以来、ひのめのテレパスとしての能力が発現することはなかった。
ちなみにD……美神の誤解は横島の必死の弁明によってなんとか解かれた。が、その後もやたらと肉体的なスキンシップを求める義妹に、横島の姿は日に日に憔悴していったという。


































 この物語は、ほんの小さな可能性の物語。
 幾万か、幾億か、はたまた幾兆にも存在する未来のひとつ。

 こんな未来だって、きっとある―――――――――――――――


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