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時は流れ、世は事もなし

遡行 1


投稿者名:よりみち
投稿日時:05/ 6/19

時は流れ、世は事もなし 遡行 1

魔界特有の暗赤色の空の下、彼と彼の部下は斜面を這うようにしながらも、出せるだけの速さで登っていた。稜線を越えさえすれば、ひとまず安心できる。

それにしても、魔力を使えば、一息で移動できる距離を自分の手足で逃げなければならないとは、つくづく敗残の身は辛いものだ。

?! 稜線を登り切った所で、自分の予想が、甘かったことを思い知らされる。

「ずいぶんと待たせてくれたじゃないか。」
そう言うと岩に腰掛けていた敵が、待ちくたびれたという感じでゆっくりと立ち上がった。

 光の関係ではっきりとしないが、手にした槍にはべっとりと、人で言うところの血糊がついている。それは、顔からつま先まで同様で、幾体の同胞を葬ったか見当もつかない。

「この裏切り者め!」この敵にはこの言葉しか思い浮かばない。
「それぼど、汝の主(あるじ)が復活するが恐ろしいのか!」

彼を口火に、部下達も次々と罵りの言葉を投げつける。
「我が盟主が復活すれば真っ先に”無”に戻される身では当然だろうよ」
「そうだ、造物主へ敬いの気持ちが残っているのなら道を空けよ!」
「せめて、その槍で己の胸を突け、それが使い魔としての矜持ではないか!」

「言いたいコトはそれだけかい」物憂げに敵は答えた。
「もう少し、気の利いた遺言が聴けると思ったんだが、興ざめだね。その程度で、アシュ様を復活させようなんて、迷惑な話なんだよ」

無造作に躍り込んできた敵が振るう槍により次々と部下たちを貫いていく。

彼も最後の力を振り絞り斬りかかるが、その刃は軽く弾かれた。眉間に迫る血塗られた穂先が、彼が見た最後の光景となった。


残敵掃討の任務を終えたベスパは、所属している移動要塞に帰還する。

要塞内では、報告をした上司も途中で出会った連中も、一様に視線を合わせるのを避けるか、軽蔑した視線を向ける。

彼女の部隊での評判は芳しくない、というか最低である。
 理由の6割方は、造物主であるアシュタロスを裏切ったということにある。

 本来、自己の欲望に忠実で、現実主義の魔族にあっては、裏切り自体、それほど問題視されない、裏切られる方が悪いというのが、一般的な見方だ。

 しかし、何にでも例外があるわけで、主(あるじ)の手により創造された使い魔は最後まで主に忠実であることが求められる。
 その点、究極の魔体の弱点をGSに教えたとされる彼女の行為は、(わざとらしく、賞賛する魔族もいるが)十分に非難の対象になる。

ちなみに、南極以降のルシオラの造反は、(当人がいれば、嫌がる解釈だろうが)主を乗り換えたと言うことで、ある程度、正当なものとされている。

残りのうち2割は、そのような立場にあって、アシュタロスの残党を掃討を主任務とするこの部隊に志願し、先鋒から残敵の殲滅まで十分すぎる活躍をしていること。最後の2割は、そのような周囲の反応を傲然と一蹴していることだ。



報告を終えたベスパは、自室に戻った。
スペースが限られる移動要塞で個室を割り当てられるのは、現在、下士の彼女にとっては士官クラス待遇を受けていることになる。もっとも、それは、優遇ということではなく、隔離といった方が正しいのだが。

「ふ〜う」甲冑と表現する方が適当な防護ジャケットを脱ぐ。
 さすがに緊張感が緩み、押さえ込んでいた疲れが全身を覆う。ある程度元気があれば、シャワーという流れだが、その気力もしばらくは起こりそうにない。

備え付けのロッカーを開き、無駄なものがいっさいない部屋に似つかわしくない可愛い小瓶を取り出す。
 妙神山で修行中の妹が送り続けてくれている蜂蜜で、英国王室御用達とかの触れ込みのある逸品だそうだ。
 本来の食性とは異なるので、蜂蜜に思い入れがあるわけではないが、妹の心遣いが感じられ、今日のような日にはありがたい。

一つしかない椅子に腰を下ろす。瓶を開けると小さじですくい、ゆっくりと味わう。口中に広がる素朴ながらもしっかりとした甘みにより、やや、気力が戻ってくる。

?! ほっとしかけたベスパであるが、室内に漂う異質な気配に気づき身構える。

「光学的には及第点だが、これほど魔力の濃い所で使っても、気配が分かるようでは、とうてい実用的とはいえん代物だな」
声と共に、部屋の隅に滲み出るように旧知の姿が現れた。

「ワルキューレか。部屋に忍び込むとは趣味が悪いな、これでも気は弱い方なんだよ」

「すまんな」言葉の意味の1/4も悪がっていないワルキューレ。

手にしていた銀色の薄手のマントのような布を無造作にベットに投げ出し、その横に腰を降ろす。
「これは人界である企業が試作中の光学/霊視迷彩シートだ。実用に足りるかテストを依頼されたものでね」

「試作品の実験? 魔界でも辺境といっていい場所に来てまでかい。ずいぶんと暇なものだ」
不機嫌そうにあてこするベスパ。士官相手に許されないところだが、個室に侵入されたのだ、それくらいはかまわないだろう。

「ここに来たのは、オマエに会うためで、こいつのテストはついでだよ」

「いよいよ面妖だね。ドブさらい部隊の一兵士に情報部人界担当のエリート将校が何の用があるんだい?」

「いやに突っかかってくるが、何かあったのか?」

ベスパは、ワルキューレの心配そうな視線を避けるように顔を逸らす。
「何もないさ。ただ、さっきまで任務に就いていたもんで、気が立ってるんだ」

「今度の相手も、アシュタロス復活を狙った連中だそうだな」
 と腹立たしげに吐き捨てるワルキューレ。
「まったく、あれから4年、いい加減あきらめればいいものを。人界に『雨後の竹の子』という言葉があるが、あの時点で関係のなかった連中まで、それを企てるのだからな」

「アシュ様が無念の涙を呑んで滅びたかのようなストーリーにするから、我も我もとなるんだ」

 アシュタロス事件の真相は様々な思惑から隠蔽され、事実と大きく異なり真実と全く異なるストーリーが流布されている。

「魔界きっての実力者が”滅び”を望んでいたなど、公にできるか! それは、オマエも納得したことだろう」

「それはそうなんだが‥‥」
 唯一、滅びを望んだ魔神の真意を知る者として、その情報操作に同意したベスパ。しかし、そのことで主が望んだ平穏が乱されそうな事態が続くことに、『宇宙意思』の皮肉を感じざるを得ない。
「それだけデタントに反対の連中が多いということじゃないのか。指導部も、その辺りのメッセージをくみ取らないと、足下をすくわれるぞ」

「ふん! 真の魔族なら、アシュタロスがそうであったように、他者を頼らず、己の”力”で現状に挑戦すべきだ。オマエだって、そんな連中に主を利用されたくないと思っているからこそ、阻止をする側にいるのだろう?」

沈黙で応えるベスパ。自分の心境は忖度されたくはない。

「今の役目に気乗りしないのなら、あまり意地を張らず、転属を申請しろ。いつでも受理されるようになっているはずだ。アシュタロスだって、もう十分に、オマエの心遣いに感謝していると思うんだが‥‥」

「亡くなった人をしのぶ”人”に向けるような言葉はやめてもらおう。アシュ様は”無”になったんだ。感謝も何もあるものか!」

「すまんな」今度は、言葉通りの意味で使う。

「こっちこそ、また、突っかかったようだ、気にしないでくれ。」軽く手を振るベスパ。
「今の自分の境遇には満足している。それより、そろそろ本題に入ったらどうだ?」

「そうだな、埒のない話をしてから本題に入るという、人界の悪癖が身に付いてしまったようだ」
 ワルキューレは、軽く威儀を正し、
「オマエに良い話と悪い話の二つを持ってきた」

「今のアタシにかい? どちらも縁がないと思ってたんだがな」

「良い話は、危険な任務を持ってきたということだ。悪い話は、それが人界でのことということかな」

「危険な任務は望むところだが、人界は勘弁してもらいたいな」
 ベスパは、表情を曇らせる。魔界に戻って以来、一度も人界に出たことはない。妙神山の妹からも、しつこく出てくるように言われているのだが、あれこれ理由を付けて避け続けてきた。

「それがアシュタロスの復活を阻止することにつながる以上、否応はないと思うが」

「人界で、アシュ様の復活?」

「そうだ。それも、かなりの所まで成功している。こちらが、一手でも指し手を誤れば、復活してしまうだろう」

「詳しいことは?」先を促すことで、任務を受ける意思表示をするベスパ。

「詳しいことは人界に行って話す。すぐに支度をしてくれ、準備が出来次第、超空間ゲートを設定する」

「超空間ゲートをここに! また、急ぎの話だな。急ぐのなら、今すぐにでもいいぞ」

「そこまではあわてていない。オマエを借りる手続きもいる。だいたい、その格好では助っ人を驚かすことにもなるからな」

ワルキューレの言葉で、まだ、血まみれのままだった自分を思いだし苦笑するベスパ。


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