椎名作品二次創作小説投稿広場


そして続く物語

新たな日常


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 6/11

 殺気を感じて膝を屈めて上体を沈めた瞬間、悪霊の薙ぎ払いが美神の頭上を通り過ぎる。
 すぐさま膝に力を入れて前方に跳躍。

「はぁぁぁぁっ!」

 振り下ろされた神通棍は、狙いたがわずに攻撃を避けられて体勢の崩れた悪霊に直撃する。
 美神令子ならではの、攻撃に移るための動作と回避行動を一体化させた流れるような動き。
 それは悪霊に付け入る隙を与えずに着実にダメージを与えていく。
 けれども、

「流石にラクはさせてくれないみたいね」

 悪霊の親玉がこの場に残存する霊を無理矢理吸収すると、そのダメージが回復していく。
 おかげで悪霊は、美神の間断のない連続攻撃にも怯まずにしつこく抵抗を続ける。

「粘るわね」

 三度神通棍を直撃させたところで、美神は間合いを離して一息入れた。
 親玉は攻撃は単調で動きもそれ程速くはないが、頑丈さだけは飛びぬけている。
 しかも低級霊や浮遊霊を取り込む術にも長けているせいで、このままでは長期戦に持ち込まれるのは必至だろう。

 そういった性質の悪霊を祓う場合は、何らかの手段で一気にダメージを与えて長期戦になる前に倒すのが最良とされる。
 今回のケースでは、神通棍の直撃でも決められない以上、
 相手に回復する時間を与えずに倒すためには高額のお札を複数使うか精霊石の使用が必須。
 けれどもそれでは赤字になってしまう。


 浮遊霊を取り込んで回復していく親玉の様子と残っている浮遊霊の数を確認しながら、美神は思案を巡らせた。
 親玉の回復と浮遊霊の減少から考えて、あと五回神通棍を直撃させれば残りの浮遊霊諸共成仏するだろう。
 別にやってやれない事ではないが、態々不必要に己の身を危険に晒す必要はない。
 何故なら少し前から、

「遅くなりました、美神さん」
「下は終わったわよ」

 別行動をとっていたおキヌとタマモが戻ってくる気配を感じていたからだ。
 2人は美神が悪霊の主戦力を引きつけている間に、除霊現場の入り口に簡易結界を設置していた。
 それが終わった以上、この周囲にいる他の悪霊がここに集まってくる危険はなくなった。
 最早敵に援軍はない。

 おキヌ達の出現に悪霊が気を取られた瞬間、その魂は飛来した矢によって壁に縫い付けられた。
 いつの間にか美神の手に握られている霊体ボウガン。
 悪霊がそれを力任せに引き抜こうとした時、笛の音がゆっくりと心に染み渡るように聞こえてくる。

「ナイス、おキヌちゃん!」

 ネクロマンサーの笛に効果により、悪霊の親玉の強力な精神力で統御されていた集合霊の結束が乱れてゆく。
 ばらばらに散っていこうとする霊の統制を取り戻そうと必死になる親玉だが、美神令子を前にしてそれはあまりにも致命的な隙だった。

「この、ゴーストスイーパー美神令子が………」

 その手にあるのは、美神の出力にも負けないように数々のカスタマイズが施されている特注の神通棍。
 彼女が残っている霊力の大半を注ぎ込むと、神通棍の柄からは横島の最大出力の霊波刀と同等の密度の刀身が生み出される。

「極楽に………」

 再び間合いを詰めて壁に縫い付けられたままもがき苦しむ悪霊に素早く接近。

「いかせてあげるわっ!!」

 彼女の腕が一閃すると神通棍から伸びた刃が悪霊の上半身と下半身を分断する。
 その所作には一片の無駄も迷いも憐憫も無い。

「タマモ、止めよ!」

 美神の合図と同時に金色の髪をナインテールに纏めている少女が突進を開始。
 その場から飛び退いて後退する美神と入れ替わるように悪霊との距離を縮める。
 2人がすれ違うと、タマモは走りながら手を口に当てる。
 遮る物がない事を確認しながら大きく息を吸い込むと、

「狐火!」

 タマモは口から強烈な炎を吐き出した。

 炎に巻かれた残りの悪霊の断末魔の叫びが響き渡る。
 やがてタマモの狐火が消えると残存していた全ての悪霊は跡形も無く消え去っていた。

「はぁ、はぁ………これで終わりよ。なんて事はないわね」

「お疲れ様、タマモちゃん」

「よくやったわね、タマモ。おキヌちゃんもお疲れ様。それじゃあ、帰りましょうか」

 辺りを見回した美神は、除霊現場から穢れが消えて何の変哲もない空間に戻っていることを認めた。
 最後に見落としがないかを念入りに確認すると彼女はおキヌとタマモを労った。



「最近は2人とも絶好調ね」

 3人が除霊現場から少し離れた場所に停めてあるコブラまで歩いている時にタマモがぽつりと呟いた。

「そうかな?」

 振り向いたおキヌが首を傾げる。

「おキヌちゃん、少し前までならネクロマンサーの笛を吹く時は殆ど動けなかった。
 でも今は、周りに気を配って歩きながらでも笛の音色が乱れなくなってる。
 美神さんの要所の動きのキレは以前にも増して人間離れしてるわ。
 シロと真っ向からやりあったとしても、今の美神さんが負ける姿をイメージできないもの」

「少し前にドイツに龍が襲来した事件があったのは覚えているでしょう、タマモ」

「そりゃあ、あれだけ何度もニュースに流れればね。
 あの時は2人とも向こうで龍と戦ったそうだけど、それが何か関係あるわけ?」

 不思議そうな顔をするタマモに美神は歩きながら話し始めた。

「あの事件では私達が戦ったのは、魔力も戦闘力も高い龍よ。
 格で言えば、理性のなくなった小竜姫を上回るでしょうし、本気を出さないとハヌマンも危ないかもしれないってレベルの存在ね。
 そんな相手と戦う事自体がGSとしての能力を向上させる糧になるのよ」

「でも美神さん。私は怪我した人を助けたり、逃げ回ってただけですよ」

「あいつの近くで頑張っていただけで十分以上の経験になるのよ、おキヌちゃん。
 直接戦っていた人達と同様に、貴方は何度も龍の魔力や咆哮を浴びせかけられたでしょうし、龍の攻撃を目の当たりにした。
 でもそれに耐え切って無事に戻ってこれたおかげで、格下からの攻撃やプレッシャーに対する耐性が飛躍的に上がったのよ」

 まだ納得しかねている2人の様子に、美神は言葉を継いだ。

「バッターボックスで140km/hくらいの速い球を何球も見た後に120km/hの速さの玉を見ると、
 そんなに速いとは感じなくなっているのと同じようなものよ。
 あれは次第に目がボールの速さに慣れてくるから起きる現象だけど、
 おキヌちゃんの場合では、龍から受けた圧倒的な威圧感に比べれば悪霊からのプレッシャーが大したことがないように感じるってわけ。
 おかげで自分と相手との力関係の認識がしっかりできるようになったんでしょうね。
 もう余計な緊張や恐怖で体力や気力を消耗することもないわ」

「それじゃあ最後に到着した美神さんはどうして?
 一瞬で龍を倒したんなら大した経験にならなかったんじゃないの?」

「私の場合は、龍に深手を負わせて実質的に戦闘不能に追い込んだ事が総合的な能力の向上に繋がったのよ。
 同期合体が解けた後、小竜姫の修行をクリアした時みたいな感触があったんだけど思わぬ副産物だったわね。
 よく考えれば、ヘラクレスはヒドラの毒矢、ジークフリードは不死身の肉体、
 スサノオノミコトは草薙の剣、カドモスはスパルトイの戦士達とか、
 私に限らず今まで数々の神話で龍や龍の眷属を倒した連中は、何らかの恩恵を受けている事が多いんだけどね」

 胸を張ってタマモに説明する美神。
 その口調は少し誇らしげで機嫌も良い。
 バトルマニアの雪之丞でなくとも、パワーアップした力を存分に振るうのは悪い気がしないのだろう。


 今日の依頼も決して簡単なレベルではなかった。
 元々浮遊霊を取り込んでパワーアップや回復を行う悪霊がいる場合の除霊の難易度は、中堅レベルのGSが数人でも梃子摺るとされている。
 そういった相手との戦闘は往々にして長期戦にもつれ込むのだが、
 除霊が長引けば長引くほどGSにかかる負担や危険は増大する。

 けれど稀有の能力を持つ美神事務所のメンバーにとってこの程度の除霊では、コスト・パフォーマンスを計算して戦う余裕すらあった。
 今日も美神達は金持ちを悩ませる悪霊をしばいて除霊を完了させ、依頼人からたんまりと報酬を受け取ったのである。

 依頼人への報告も済ませ、美神は涼しい顔のままコブラの停めてある駐車場に歩いていく。
 多少の疲れは感じるものの、おキヌもタマモも美神の軽い足取りに引っ張られるように彼女の隣に並びかける。

「シロちゃん、うまくやっていますかね?」

「大丈夫よ。あの娘だっていつまでも子供じゃないんだし、霊波刀と吠え声の連携のコントロールは随分上達したようだしね」

「ええ、そうでしたね」

「頑張ったんだから今日の晩御飯の油揚げは増量してよ」

「タマモ、あんたは太らないからいいわね」

「私はまだ成長期だから」

 交わされる会話は柔らかく、メンバーの雰囲気も良好。
 文句の付けようのないの毎日。
 それは美神事務所の毎日のように続く変わりない日々。
 そこにあるのは大金と、爽快感のあるスリル。
 彼女自身が求めて手に入れた、彼女の日常だ。

 除霊用の荷物をしまうためにトランクを開ける。
 そこにはぽっかりと何もないの空間が広がっている。
 かつてそこにあった気配の名残も存在の残滓も掻き消えて、じっと見つめると妙に寒々しい。
 頭を振ってバッグを持ち上げてトランクの中に詰め込むと勢い良く閉じる。
 運転席に乗り込む寸前、

「早く帰ってきなさいよ」

 彼女はそっと呟いた。






 その頃、シロは走っていた。
 彼女の視線の先、約20m前方には灰色の体毛に覆われた大きな中型犬程度の体躯の獣が彼女から逃げようと疾走している。

「待つでござる」

「待てといわれて待つ奴がいるか!」

 シロのセリフに思わず振り返って突っ込んでしまう逃亡者。
 その姿を見れば殆どの人間はある動物を連想するだろう。
 ピンと立った耳、横に長く伸びたひげ、ふさふさの尻尾、犬よりも細長い体つき。
 灰色の獣の正体は妖狐の一種である銀狐だった。

「しつこい犬め!」

「狼でござる、くそ狐」

 銀狐の毒づきを耳聡く聞き取ったシロが言い返す。
 ここは奥多摩の地区の山の中。
 両者が走っているのは、礫や木の枝の混じった常人ならば足元に注意しながら進まないと危険な急斜面である。
 まだ春の訪れは遠く、林冠を構成する葉は枯れ落ちたままで、森には存分に光が差し込んでいる。

 なんとかシロ振り切ろうと逃げ回る銀狐だが、シロは相手とつかず離れずの距離を保ちながら相手が逃げ出す隙を与えない。
 幻術で一時的に視覚を撹乱しても、霊臭で相手の位置を把握できるシロには大した効果がない。
 それどころか幻術を使おうとすると逃走の方が疎かになってしまう。
 美神達と共に様々な場数を踏んでいるシロにしてみれば、それは絶好の攻撃のチャンスである。
 しかし彼女は、相手に気付かれないように紙一重で攻撃を外し続けて追いかけっこが終わらないように仕向けていた。
 相手にプレッシャーをかけながら少しずつスタミナを奪いつつ判断力を鈍らせる。
 狩りのスペシャリストである彼女は、
 既に30分以上も西条の指示通りにじわじわと相手を罠に追い込んでいく人間の狩りの定石に従った追跡を続けていた。
 

 徐々に手足に溜っていく疲労を感じながら、遂に銀狐は己の体力と脚力ではシロを振り切れないと悟った。
 もはや強行手段にでて、シロを追跡不可能にしなければ彼に逃げ場はない。

「できればやらずに済ませたかったんだが」

 走るスピードを緩めずに諦めたように呟くと、彼は意識を逃走から攻撃にシフトした。
 彼が大きく息を吸い込むと、その口元と右手にゆっくりと霊力が集中していく。
 それがピークに達したとき、彼は口腔に集めた霊力を炎に転換して右手に向けて一息に吐き出した。
 狐の右手に集められた霊波が口から吐き出される炎を巻き取る様に吸収していく。
 やがて炎を纏った彼の右の掌にはソフトボール大の炎の球が握られた。

「むっ!」

 突然妙な行動にでた銀狐に対してシロは咄嗟に霊波刀を展開した。
 銀狐が炎を吐き出す際に放出した突き刺さるような氣。
 それは紛れもなく殺気混じりの研鑽された霊波だった。

 警戒心を強めるシロの前方で、銀狐は突如急停止すると右足は地面をしっかりと踏み立て、左足をシロに向かって踏み込んでいく。

「いくぞ。魔球、火の玉ボール2号!」

 大きく振りかぶった右手から放たれる炎塊が、プロ野球選手顔負けのスピードでシロに迫り来る。
 だが常人どころかプロスポーツ選手すら遥かに凌駕するシロの動体視力は、その球の動きをはっきりと捉えていた。
 数瞬で球の軌道を予測すると、それに合わせようとシロは霊波刀を両腕で握る。
 彼女が目前に迫った炎の球を切り落とそうと腕の動きを始動させた瞬間、
 
「分かれろ!」

 銀狐の声と共に炎塊は彼女の眼前で5つの小さな球に分裂した。
 迎撃不能のタイミングを見計らった軌道の変化。
 尋常の相手ならば間違いなく直撃は避けられない。
 しかし荒ぶる神の末裔である彼女は身体能力のみならず剣の技量も並外れていた。

「犬神族の技は伊達じゃないでござる!」

 雄たけびと共にシロの刀の軌道がぶれていく。彼女が腕を一振りした瞬間、5つの軌跡が同時に虚空を奔った。
 直撃寸前だった5つの球は全て霊波刀に切り裂かれてそのまま後方に流れていく。
 彼女の秘技、一振りで複数回の斬撃を叩き込む常識外れの剣技の冴え。
 八房の力を借りた犬飼ポチならば8回、満月の晩の狼化した長老なら7回
 人間形態の彼女の場合は、月齢によって5〜6回の斬撃が可能である。
 つまり万全な迎撃準備を整えたシロに攻撃を当てるためには、
 一度に6回以上の攻撃を行うか、彼女が防ぎきれない威力と速度の攻撃を叩き込むしかない。
 しかし必殺の一撃をかわされたのも関わらず、銀狐の戦意は衰えなかった。

「まだだ、まだ終わらんよ」

 小さな呟きと共に彼の周囲に幾つもの小さな炎が群がっていく。
 その炎は渦巻くように銀狐の周囲を旋回したかと思うと、数え切れない程の数の火の玉に分裂した。
 それは狐火と幻術を併用した彼のもう1つの切り札だった。
 目に見える数十の火の玉のうち、実体を持っている火の玉は10に満たない。
 渦巻く炎から威力の小さい火の玉に形作るときに、幻術を使ってその数を実際の数倍に見せかけているのだ。
 けれども余程霊視に長けた者でなければ、どれが幻覚なのかを直ぐに見破るのは不可能である。

「いけっ!」 

 銀狐が手を突き出した瞬間、剣を振り終えたシロに全ての火球が一斉に襲い掛かった。 
 いくらシロが一振りで何度も攻撃できるとしても、数十個のそれを全てを切り裂く事は不可能。
 だがその火の群を前にしても、彼女は全く慌てた素振りも見せずに大きく息を吸い込んだ。

「うおおぉぉぉん!」

 響き渡っていく狼の咆哮。
 彼女の退魔の吠え声を応用した霊波を乗せた音波による迎撃。即ち霊波の相殺である。
 叫び声と共に放たれた彼女の霊波が銀狐の霊波で作られた幻と衝突すると、偽りの炎は次々にかき消えていく。
 それと同時に彼女の手が複雑な軌跡を描くと、実体を持つ火の玉は全てその霊波刀によって撃墜された。
 やがて幻影も含めた全ての火の玉が消えた後に残ったのは、無傷のまま刀を構えたシロの姿だった。

「馬鹿な、足止めにもならないだと!?」

「中らなければ、どうという事はござらん」

 驚愕する銀狐に対して余裕の表情で見得を切るシロ。
 だがよく見ると、彼女の体毛や髪の一部が熱でちりちりになっている。
 それはぎりぎりまで引きつけてから炎を切り裂いた代償である。
 
 再び逃げだしていく銀狐を苛立たしげに睨むシロだが、その先の地形を見て明るい顔になる。
 数百メートル先に行くと、切り立った崖のせいで斜面は袋小路のような形になっている。
 そのおかげで道が途切れ、脇道すらも見当たらない。
 上空を見れば褐色の点が目に入る。最後の一手は配置についているのだ。
 それを確かめると、彼女は即座に胸ポケットから無線機を取り出した。

「狐は既に逃げ場を失ったでござる。1分後には虎口に飛び込むでござろう」

 それは西条の立てた作戦の最終段階までの準備が完了した証だった。
 すぐに無線機から西条の声が返ってくる。

「よし、彼には僕から合図を送る。君は万が一失敗したときに備えてくれ」

「了解」

 無線をしまうと彼女はトップスピードまで加速して一気に間合いを詰めた。
 前方では崖によって道をふさがれた銀狐が足を止めていた。

「もう逃げ場はないでござる」

 足を止めた銀狐が振り返り、2人は再び対峙する形となった。
 最早逃げ場はないにも関わらず、銀狐は降参する素振りも見せずに逃げる隙を窺っている。
 崖を背にした彼が逃げるためには、シロを倒すか彼女の攻撃を避けて今来た道を戻るしかない。
 銀狐の足運びと気配に注意しながらシロは上体を沈めた。
 そのままタイミングを見計らうと、

「終わりでござる!」

 相手が辛うじて上に回避できる剣速で銀狐の足元をなぎ払った。

 彼女の狙い通り銀狐が剣閃を避けようと虚空に跳ねる。
 その瞬間、その体に影が差したかと思うと銀狐の体に何者かが覆い被さった。
 それは空から舞い降りてきた捕縛の手。
 もう1人の助っ人である火の精霊、太陽鷹が褐色の翼をはためかせて急降下すると、その爪が狙い違わずに標的の灰色の体を捉えた。
 
「なにっ!?」

 シロの追撃を警戒するために全ての注意を彼女に向けていた銀狐にとって、上空からの襲撃は察知不可能。
 咄嗟に振り払おうともがくものの、鷹の足にがっちりと掴まれている状態では無駄な足掻きである。
 鷹は再び上空へと飛翔すると、そのまま山の頂上にいる西条に向かって飛んでいく。
 山頂では、予め狩猟用の網を構えて待機している西条が、鷹の到着と共に銀狐を捕縛してのけた。

「傷害、並びに器物破損容疑で逮捕する!」

 西条が網の中でもがいている狐の灰色に霊力封じの特殊のお札を貼り付けると、見物人達から拍手喝采が起こった。

「いやあ、良くやってくれました。これで明日から安心して工事に取り掛かれます」

「おかげで胸がすっとしましたよ」

「これが古来から伝わる鷹狩ですか。なんとも美しかったです」

 彼らは今回の事件の依頼者であり、その中には銀狐によって傷を負わされた人達もいた。
 西条は美智恵からの指示通り、今回の作戦現場に彼らを連れて来ていたのである。
 その目的は、計画参加者が捜査官の指示に従っている事を依頼者達に示すデモンストレーションだった。
 だからこそ西条は「鷹と犬(科)を使った狐狩り」という人間にとって分かりやすい図式の作戦を実行したのである。


 そもそも今回の事件の発端は、数ヶ月前に東京都が打ち出した奥多摩の開発計画である。
 この計画の要綱は、国内の木材需要の低下等の理由から計画対象地域の現在の樹種の構成を見直すことであった。
 対象地域の樹種構成は、花粉症を引き起こすといわれるスギやヒノキなど落葉樹主体の人工林である。
 これをある程度伐採した後に潜在自然植生に従って照葉樹を植え直すために都の委託を受けた建設業者が機材と人員を派遣したのだが、
 土木工事や伐採に向かった人間が、次々に何者かに襲われて同時に一部の機材も破壊されたのである。

 一連の事件では、幸い負傷者は全員軽傷で機材の損傷も直ぐに直せる程度だったが、
 相手がなんらかの幻覚や変化を使うらしいという報告から、東京都からオカGに相談が舞い込んだのだ。

 事件をオカルトGメンが受け持つ事になった時、美智恵は西条に厄介な条件をつけた。
 それは、犯行が人外の存在であった場合は被害者や関係者に見せつける形で逮捕に踏み切れ、
 逮捕に関しては相手を傷つけるな、相手の説得は逮捕後にやるように、というものであった。
 一見無茶苦茶な指令であるが、これは『組み込み計画』の第3段階を機能させるためであり、
 オカルト絡みの事件における『組み込み計画』参加者の有用性を一般の企業に示すイメージ戦略でもある。

 今回美智恵が美神でもピートでもなく、敢えて『組み込み計画』と直接的な関わりの薄い西条を担当に据えたのは、
 彼女が西条の捜査や戦闘指揮における基本方針を評価したからである。
 西条の方針は基本的に、出来る限りの準備を整えて成功する可能性を極力高めてから作戦を遂行する、というものであった。
 美神令子のような奇抜さや横島のような土壇場の閃きはないものの、
 その堅実な方針や、部下や協力者を的確に動かす手腕に対する美智恵や唐巣の評価は高い。
 だからこそ彼らは、物事をスパッと片付けたがる美神よりも西条の方が適任だと判断したのだ。


 調査を開始してからまもなく、西条は犯行を行った相手が人外の存在である事を察知した。
 捜査協力などによってタマモの能力を知っていた事から、西条は妖狐の能力や習性と今回の犯人像との類似に気がつく。
 そこで彼は美智恵の意を汲んで『組み込み計画』のイメージを守るために、事件解決に人外の存在を利用する事を決定。
 その協力者として呼寄せたのが犬塚シロと太陽鷹の沙明である。
 太陽鷹とはインディアンによって信奉されてきた火の精霊の化身とされている種族であり、熱に強くて幻覚も効き辛い。
 そこで今回の相手との相性を考慮した西条が、組み込み計画参加者でもある彼に応援を依頼したのである。


 3人の実力ならば、銀狐を捕まえる事自体はそれほど困難でもない。
 しかし、西条はあえて派手な立ち回り等の鮮やかな逮捕劇をシロと沙明の2人を使って演出してみせた。
 これは、犯人が同じく人外の存在によって捕らえられる瞬間を目撃させる事で
 被害者やその関係者の心理に巣食っている人外の存在への恐怖を払拭するためであったが、その狙いは見事に当たった。

「では、銀狐の取調べはこちらが責任を持って行いますので」

「よろしくお願いします。ところで今回の協力者の方はもう1人いると窺いましたが」

「ああ、犬塚くんならもう少しすればここに戻ってくるでしょう」

 銀狐が網の中でおとなしくなると、依頼者達の雰囲気は一気に和やかになった。
 大人しく西条の腕に乗っている沙明を怖がる者はおらず、それどころか沙明のすぐ傍まで近付いて西条と談笑する者もいる。
 やがてシロが山頂に姿を現すと、彼らは笑顔で彼女を出迎えてその働きを労った。
 その様子を横目に見ながら、西条は事件解決の報告の為に携帯電話を取り出した。








 

「犬塚シロと沙明が西条警部の指揮によって例の事件を解決しました」

「まずは一安心という事ですね」

 受話器を切った唐巣が告げると、針谷は相変わらずの無表情のまま返答する。
 唐巣が席に座ると針谷は彼を見つめながらぼそりと話し始めた。

「これまでの経過から『組み込み計画』の第三段階は、まずは順調と言っても良いと思います」

「同感です。
 オカルトGメンのデータベースによると、オカルトGメンに持ち込まれた事件の解決率は一年前と比べると10%上昇しています。
 悪霊以外での人外による犯罪発生件数は5%減少しています。
 『組み込み計画』の参加者の活用は、人外の存在による犯罪に対する抑止力として機能しつつあります」

 唐巣の同意に頷きながら針谷は肝心の事柄に踏み込んだ。

「計画参加者による人外の存在の犯罪の抑止。
 それが順調に進んでいる現状を踏まえて、
 そろそろ『組み込み計画』を第四段階に移行させる事も視野に入れるべきではないですか?」

 その途端、唐巣の顔が僅かに曇った。
 かつて協会が計画に参加するようになった時、政府とオカGと協会は『組み込み計画』を5つの段階で踏襲していく予定を立てた。

 第一段階は、人外の存在のスカウト。それによる計画参加者の確保。
 第二段階は、計画参加者との契約を円滑に進め、『組み込み計画』の第一目的である環境保全におけるコストの削減を図る事。
 第三段階は、オカルトGメンの捜査に計画参加者を積極的に活用する事で、治安面においても彼らの利用が有効である事を証明する事。
 第四段階は、協会が認証した人外の存在(計画参加者が中心になる予定)を要望に応じて現役GS達に紹介する。
       もしGS側からの要望があれば、彼らを弟子や助手として斡旋する事もありうる。
 第五段階は、法整備によって計画の参加者に様々な権利を法律によって保証するというものである。

 『組み込み計画』の開始から1年強が過ぎたが、計画の進捗は第三段階まで到達している。
 かつて横島と唐巣の視察の下でピートとコボルトのブラウンがガンコナーの結婚詐欺事件を解決してから今日の銀狐捕獲作戦までに、
 オカルトGメンに持ち込まれた事件を計画参加者が中心になって解決した例は優に二桁を超えていた。

 この成果を基にした政府や協会の広報活動や、アシュタロス事件で有名になったピートを利用したオカGの宣伝工作によって、
 世間での人外の存在に対する好感度や安心感は、計画の開始前に比べると3倍になったといわれている。



 ところで、現在ではGSによる除霊において人外の存在が協力するケースはそれほど珍しくはない。
 しかし、継続的に人外の存在を活用しているのは、美神令子と犬神族など個人的なコネを持つ一部のGSだけである。
 協会の調べでは、年に10回以上の危険を伴う依頼をこなす現役GSは約200名。
 これは全免許保持者の約20%に当たる。
 GSという危険を伴う仕事では、免許取得から5年以内に半数以上の人間がGSを廃業するか最も危険な現場からは離れていく。
 その内訳は、除霊の際に再起不能の傷を負う者や死亡する者、大金を稼いだ後に転職する者や悠々自適の毎日を送る者等である。
 このように、免許取得から10年後も現役GSとして現場で活動しているのは、免許保持者の3分の1程度に過ぎない。
 数十年も除霊の現場に立ち続ける唐巣はかなりの変り種といえよう。

 そこでGS達の負担を減らして安全を高めるために協会が考え出したのが『組み込み計画』の第四段階だった。
 それは唐巣と針谷が考案した協会主導の新しい除霊補助のためのシステムである。

 まず、計画に参加する者から希望者を募り、その中から能力や経験、除霊に関する理解や関心、人間との協調性などに秀でた者を選抜する。
 選ばれた者は有望株として協会のリストに登録される。
 現役GSの要望があれば、彼らはGSとの面談の末に助手や弟子として雇われたり、一時的な助っ人として除霊に参加する事になる。
 つまりは協会は有能な人材を確保すると共に、人外の存在の就職先を斡旋する役目を負うのである。
 またGSと派遣者の間で何らかのトラブルが発生した際は、協会の責任者が両者の調停を務める。

 しかし第四段階を実行するためには、希望者や選抜者を納得させられるだけの交渉経験と実力がある人間が中心にいなければ話にならない。
 そうでなければ、選抜されなかった者は不公平だと不満を抱くだろう。
 トラブルの解決の際にも、計画参加者との面識や彼らに対する理解が深く、人外との協調について豊富な経験を持つ者の助言は必須である。
 だからこそ、唐巣達は協会に籍を置いていた横島を第四段階の実行者に据える予定だったのだが………

「横島くんの抜けた穴を埋める人材はまだ決まっておりません。
 美神事務所の現状を考えれば、おキヌくんと美神くんに頼むわけにもいきませんし、頼んだ所で断られるのがおちでしょう」

「それは困りましたね。オカGが十分以上に役割を果たしている以上、
 第四段階への移行が協会の事情で延期になってしまえば我々の面目は丸つぶれです。
 最悪の場合、『組み込み計画』は第四段階を先送りして第五段階に移行する事すらありえます」

 唐巣の返答を聞いて針谷も苦い顔をする。
 第四段階が順調に進めば、協会はGSと人外の存在の双方に恩を売り、更に斡旋料等を徴収する事も可能になる。
 それによって協会の受ける利益は相当な額になるはずだった。
 それ故に、藤田も針谷も第四段階の成功には特に強く執着していた。

 唐巣にとっても、この第四段階は『霊障対処法』が可決されてから新たに見い出した目標だった。
 現状では、除霊には常に危険が付きまとう為に、GS達は安全対策の為に大金を投じている。
 その為に、除霊における平均的な依頼料は相変わらず高額のまま推移していた。
 『霊障対処法』が可決されてマシになったとはいえ、まだまだGSに頼る事もできない貧しい人は多い。
 そこに協会が認証した人外の存在が、そんな人達の役に立てるようになれば、現状を一気に改善できる可能性がある。
 うまくいけば、協会や人外の存在に関するイメージも今とは比べ物にならない程に良くなるだろう。


「本来ならば私が責任者として立ち会うべきなのでしょう」

「はい。貴方が引き受けてくれるのならば我々も何も心配する必要はないですが………」

 針谷は机から取り出した書類を唐巣に渡した。

「やはり正式な通達が届いていましたか」

 それに目を通した唐巣は口を引き結んで目を閉じた。
 唐巣宛てに届いたその書類。
 それはヴァチカンからカトリックの関係者達に送られた要望書だった。



 ジークの活躍により、現在ヨーロッパを中心に魔族についての定義を見直す動きが生まれつつあった。
 これはジークがライン川沿岸の地域社会を救った映像はテレビによって全世界に流れた事が原因である。
 ヴァチカンにとって魔族はすべからく排斥すべき存在であり、魔族を見直す運動など到底認められるわけもない。
 しかしジークが大勢の人間の命を救ったのは否定しようもない事実であり、そんな彼を『悪』だと決めつける事も出来なかった。
 そこでヴァチカンは、その運動の流れを見定めるためにしばらく静観する事を決め、
 全世界の聖職者達に異端の排除や異端との交流などの先鋭的な活動を自粛するように要請したのである。
 この要請を受けて、唐巣は以前よりも更に『組み込み計画』と距離をとらざるをえなくなってしまった。



「とりあえず、候補者のリストアップはしておきます」

 そう言いながら針谷は立ち上がってドアの取っ手を掴んだ。
 彼が退出すると部屋からは1人分の気配と熱が消えてゆき、閑散とした空気に包まれる。
 その中で唐巣は寂しげな表情のまま、もう一度ヴァチカンからの要望書を眺めた。

「横島くん。これからも私達には君が必要なんだよ」

 その呟きは誰にも聞かれることもなく宙に消えていった。




 オカルトGメン日本支部の『組み込み計画』の担当者用の部屋に美智恵がやってきた時、時計の針は正午を回っていた。
 部屋にいたピートと秋美が彼女を迎え、2人がこの3日間で必死に纏め上げた『組み込み計画』の第二次報告書を美智恵に手渡した。
 真剣な表情でそれに読みふける美智恵と緊張した面差しでそれを見つめる2人。微妙な緊迫感が部屋の中に溢れていく。
 やがて大きく息を吐いた美智恵が顔を上げてると3人の視線が交差する。
 テストの答案を返却される直前の学生のような表情を浮かべている2人を見てくすりと笑うと、

「上出来よ。これで予定していた規模と人数は達成したといってもよいわね」

 美智恵は労いの言葉を掛けた。

「それじゃあ」

「『組み込み計画』の第1段階は成功よ。
 予定の規模に達した以上、今後はこちらからのスカウトを凍結して、現場で働く参加者達のサポートに軸足を移していくことになるわね」

 2人の胸に喜びと達成感が湧き上がる。
 その一方で、報告書を作成している時に半ば予期していたとはいえ、これで第1段階が終わるという事に秋美は戸惑いを感じていた。

「本当に能動的なスカウトを止めても大丈夫でしょうか?」

「ええ。この報告書のデータを見れば、政府側の担当者は必ずそう判断するわ。
 規模だけ大きくしても中身が伴わなければ、具体的な成果が上がったとは言えないからね。
 だからこそ私達の役割も、第1段階のスカウトから第2、第3段階のサポートに重点を移す事を求められるはずよ」

「第2段階と第3段階の振り分けはどうなるのですか?」

「第2段階は政府の担当で、第3段階はオカGの管轄になるわね。
 ピートくんは当分西条くんや飯塚さん達と一緒に第3段階に専念して頂戴。
 第2段階の参加者の為に環境省と農林水産省から何人かサポート要員が来るそうだから、
 八代さんは彼らと参加者がうまく協力し合えるように仲介になってあげてね。
 もし新規の参加希望者から連絡があった場合は、その受付と面談もお願い。
 それじゃあ、この報告書は政府の方に持っていくからね」

「「了解しました」」

 2人の返答を聞いて美智恵が満足げに頷くと報告書を鞄にしまった。
 彼女が退室するとそれまで真剣だった2人の顔にも笑顔が浮かぶ。

「やりましたね」

「はい。計画開始前に人狼の里を訪問した時は、こんなに順調にいくと思ってもいませんでした」

 ピートに相槌を打ちながら秋美は、かつて人狼の里で犬神族の若者に詰め寄られた時に、横島に助けられた事を思い出していた。
 あの時から既に1年以上の時が流れていた。
 彼と共に働くようになって、秋美は大勢の人外の存在と触れ合いを通じて彼らについての理解を深めてきた。
 危険な場面に遭遇する事もしばしばあったが、そのたびに仲間に助けられてここまでやってこれた。
 けれども、此処にはその成果を伝えたい人が、この喜びを一緒に分かち合いたい人がいない。
 そう思った途端に急に気持ちが沈んでしまった秋美は、気分を変えるために窓辺に近付いた。
 視線を上げると彼女の目に小さなちぎれ雲が空を流れていく姿が映る。
 窓を開けると僅かに湿気を含んだ冷たい風が彼女の頬を撫でた。

「横島さん、貴方と出会うきっかけなったこの計画は順調に進んでいます。でも私は………」

 囁くように紡がれた言葉は風に乗って大気に溶けていった。
 


 既にあのライン川での竜の襲撃から1ヶ月近くの時間が経っていた。
 あの事件の解決に尽力した人間達は、再び彼らの在るべき場所に戻って日々の業務に取り組んでいた。
 しかし、美神事務所にも、オカルトGメン日本支部にも、日本GS協会にも横島忠夫の姿はなかった。


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