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WORLD〜ワールド〜

最終話 横島忠夫が望む『世界』


投稿者名:堂旬
投稿日時:05/ 5/17

 そこには何も無かった。
 在るのは、ただ漆黒の闇。
 何も存在しない、正確には存在することが許されない空間。
 世界が消えた後に広がるそれは『無』。完全な『無』だった。
 そこにパレンツは唯一人在った。
 いや、一人ではない。パレンツの目の前に光の粒子が収束する。
 光はやがて、一人の男の姿を為した。
 その姿を認め、パレンツは笑う。
 何もないその場所に、在るのは唯二人だけ。
 パレンツと横島の二人だけ。

「やはり…貴様だけは残ったか……横島忠夫」

 横島は答えない。ただ静かにパレンツを見つめている。
 パレンツはその左手を天に―――この場所に天などは存在しないが―――掲げた。その先に小さな火球が出現する。

「最後だ…これが正真正銘最後の決着だ……ケリをつけようじゃないか」

 パレンツの言葉と同時に火球は大きく膨れ上がった。
 コロナを纏い、時折紅炎を噴き出させるソレは、規模は小さいものの確かにこの世の全ての命の源―――――太陽だった。

「これが私の創造し得る最高の威力だ。万物の源。生命エネルギーの究極。さあ、貴様はどうでる? これを超えてみせるか、横島忠夫?」

 空気すら存在しないこの空間で、横島を嬲るように風が通り抜けていく。
 パレンツの創り出した太陽から発せられるエネルギーの風、太陽風が漆黒の空間を駆け抜けていく。
 横島は目を閉じ、意識を集中した。横島の右手にサイキック・ソーサーが出現する。

「何のつもりだ?」

 パレンツの問いを受けてか、横島は目を開いた。口を開く。

「何っていわれてもな…決着をつけるんだろ? 俺はこれでいい。どちらが真の『創始者』だとか、宇宙の意思だとか、そんなことはどうでもいいんだ。ただ俺は、人間として、ただの『横島忠夫』として、お前を否定してやる」

「ならば否定してみせろ。どうせできはしない。この太陽の輝きをその脆弱な霊気の盾で防ぐことなどかないはしない。これで幕だ。世界と共に消えてうせろ」

 唯一漆黒を照らす偽りの太陽が、破壊を求めて蠢いた。横島の右手に輝く盾は、その堅固さを象徴するように一際強く輝いた。
 そして二つのエネルギーはお互いの手を離れた。
 衝突する。ちょうど二人の中間で。

「消えろッ! 消えうせろッ!! 燃えて! 燃えて!! 燃えてッ!!! 一片の塵芥も残しはしないッ!!!! 無と帰せ!! 横島忠夫ォォォォォォ!!!!!!」

 偽りの太陽が輝きを増す。全てを飲み込もうと横島のほうへ進行を開始する。
 だが、太陽は動かない。動けない。

「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 ああ、それはなんと不可思議な光景だろうか。
 直径数百メートルと、規模は本物にくらべ大きく劣るとはいえ、確かに本物と同等の熱量を持つパレンツの創造した太陽。
 それがわずか三十センチ四方の霊気の盾に阻まれている。受け止められている。
 押し返されている。

「馬鹿なッ! 押されているだとッ!? そんな馬鹿なッ!!」

 太陽は徐々に徐々にその創造主へと還っていく。その凶悪に過ぎる熱量は創り手であるパレンツをも脅かす。

「くあッ…! お…のれぇ!!」

 自身を蝕む高熱に耐えかねて、パレンツは自らが生み出した太陽を消しさった。
 当然、その進撃を阻むものがなくなったサイキック・ソーサーが向かう先は―――――

「な…!」

 高速で突き進んだサイキック・ソーサーはパレンツの眉間に突き刺さった。パレンツの頭部が激しく損壊する。

「よ…こ…し……ま………」

 潰れて醜く歪んだ眼で、最後にパレンツはそれだけを呟いた。
 パレンツの体が粉々に砕けていく。その存在を維持できず、細かく砕けて消えていく。
 やがてパレンツは完全に―――――消えた。

「……ふぅ」

 サイキック・ソーサーを放ったままだった手を下ろして、横島は息を吐いた。



 決着はついた。だが、まだ終わりではない。
 どれほどの時が経っただろうか。横島はずっと皆のことを思っていた。過去の記憶を振り返り、想っていた。
 そして決意する。新たな世界を創り上げることを。
 横島は右手の手のひらを大きく開き、その手首を左手で強く握った。やはり文珠という能力を扱っていた経験上、この方が力をイメージしやすい。

「すぐだぜ…みんな……みんなまた、すぐに逢える」

 横島の右手から光が溢れ出す。
 目も眩まんばかりのその輝きは漆黒の闇を切り払っていく。
 その時だった。
 横島の体を突然激痛が襲った。

「ぐああッ!?」

 横島が行おうとしているのはパレンツのようにただ世界のきっかけを創るだけではない。
 ちっぽけなエデンを創るのとはレベルが違う。横島が行おうとしているのはすでに完成された世界の創造。完全な世界の創造だ。
 それはいかに『創造力』を持つ者であっても、その創造の限界を大きく超えたものだった。
 横島の全身から血が霧となって噴き出す。筆舌に尽くしがたい激痛が絶えず横島を蝕む。
 限界を超えた力の行使は器である横島の体を破壊していく。両手の爪はすでに全て剥がれ落ちた。両腕の皮膚は焼けてただれた。
 筋肉はあちこちで断裂を起こした。内臓にもなにかしらの影響を及ぼしたのか、胃液と血が混ざって喉にこみ上げた。
 だがそれでも。それでもなお。横島は力の行使をやめない。やめようとはしない。
 横島の脳裏にみんなの顔が浮かび上がる。
 美神、おキヌ、シロ、タマモ、雪之丞、タイガー、ピート、西条、冥子、エミ、唐巣、小竜姫、斉天大聖、ヒャクメ、カオス、マリア、魔鈴、かおり、魔理、美智恵、ひのめ、大樹、百合子、ベスパ、パピリオ。
 皆が笑って横島を励ます。頑張れ、頑張れ―――と。
 そして―――――もう一人。
 横島自身から放たれる黄金の輝きとは別に、光を放つものがあった。蒼白い、幻想的な光。その光はある一人の女の形を為した。
 光の向こうで『彼女』はやさしく微笑んだ。

『頑張って―――――ヨコシマ』

「へへ……」

 夢か現か幻か。だが彼女の姿は確かに横島に最後の力を与えた。
 光は漆黒の闇を完全に切り払い、全ては黄金に染められた。
 そして―――――――――――





























 これから語られることは、世界のからくり。
 だれも知らない、知ることの無い世界の成り立ち。




 かつて世界は一度滅んだ。
 膨張に膨張を重ねた宇宙は、ある日何の前触れもなく、眠るように穏やかに終わりを告げた。
 そして宇宙意思は―――いや、宇宙が生まれる以前から存在していたこの意思を宇宙意思と呼称するのは正しくない。ここでは便宜的に『母』と呼称することにしよう。
 『母』は新たな『子』を欲した。新たな『子』たる新たな宇宙を欲した。
 そこで母は『種』をまいた。種の名は―――――パレンツ。
 だが『母』は知っていた。
 無理やりに造られた存在であるパレンツは『創始者』になり得ないことを知っていた。
 前宇宙より引き継がれた唯一の存在であるその『種』はやがて『芽』を出すことになる。
 パレンツによるエデンの創造だ。そしてパレンツはアダムという原初の命を創り出す。
 パレンツはここでひとつのミスを―――おそらくはそれも『母』の思惑通りに―――犯す。
 アダムに創造力を受け継がせてしまったのだ。パレンツはそれを忘れさせるため、自分にあった全ての『知』をアダムに与えた。
 アダムはパレンツの狙い通り『無』から『有』を生み出すよりも、『有』を『変』させることに喜びを見出し、創造力の扱い方を覚えることはなかった。
 また、それ以降創造力をもつ者が生まれることはなかった。パレンツにとって、とりあえずこの問題は解決したといえる。
 さて、ここからパレンツがどういう行動をとったかを語ろう。
 パレンツは本能的に『母』の行動を真似ようと試みた。世界に影響を与えることなく、ただ見守るだけの『意思』という存在であろうとしたのだ。
 最初のうちは、パレンツは穏やかに世界を見守っていた。見守り続けることができていた。だが、『母』によってパレンツに刻まれていた性<さが>はそれを許さなかった。
 世界は世代を重ね、種は多様化し、特異的なものも現れるようになる。パレンツが『イレギュラー』と呼称していた存在も生まれ始めた。
 自分の創り出した世界なのに、その上を自分を脅かすものが悠々と横行している。
 気に入らない。パレンツは単純にそう考えた。そしてそれはパレンツにとって耐え難いものだった。
 例えるなら、自分の砂場を取られた子供の感覚。それが最も近いだろうか。
 パレンツは心の安定を保つため『イレギュラー』の排除に乗り出す。そうしてパレンツは数多のイレギュラーを葬ってきた。
 そしてパレンツは横島と出会うのだ。


 ――――――『母』の思惑通りに。


 横島忠夫。彼こそが真に『創始者』たる者として生まれた存在だった。
 アダムとして最初にこの世に生まれ落ちた彼はパレンツによって創造力の種を植え付けられる。
 だが生まれ落ちたばかりの未熟な魂で完全な世界を創造しうる『創造力』を行使できるはずもない。それはパレンツによってすでに証明されていた。
 そこでまず必要だったのは魂を『創造力』を究極に扱えるまでに成熟させることだった。
 アダムであり、横島忠夫である彼は、幾度も幾度も転生を繰り返した。様々な人生を経験していった。その経験によって魂は成熟していった。
 そして遂に完全な世界を創造しうる魂は完成した。これはすでに語られたことだが、彼が『高島』としての人生を生きていた時だ。
 魂は完成していた。だが高島は『創造力』を扱えなかった。高島はその正しき『器』ではなかったということだ。だから高島は早々にその肉体を滅ぼされることとなった。
 魂は正しき器を求めて転生を繰り返す。魂はすでに完成しているため、無駄な経験を積ませる必要はない。そのため、器となりえなかった横島の前世たちは早々にその人生に幕を引いていく。
 そして魂は遂に横島忠夫という器に出会う。
 だが、魂は創造力の扱い方を知らない。無意識にもれ出る力は文珠という形で発現したけれども、文字という制限、生み出される事象の限界がある。
 これでは完全な世界の創造など望めはしない。
 だから『母』は横島に様々な試練を課した。力を欲せざるをえない状況を作り出した。
 様々な戦いを経て、横島は徐々に力に目覚めていく。だがそれだけではまだ足りない。
 『母』は決め手を用意していた。
 横島に自分自身の持つ力を自覚させるメッセンジャー。
 パレンツは横島の元へと現れた。
 全ては原初より定められていたこと。
 ただそのためだけにパレンツは生まれた。




 それからのことはすでにこれまでの物語で語られた。
 二人は出会い、争い、横島は創始者として覚醒した。
 不完全な世界はそれを生み出したパレンツ自身によって幕が引かれ世界は『一時的に』無に帰した。




 そして今、横島の手によって新たな世界が紡がれる――――――































 チュンチュンチュン―――――
 スズメのさえずりが穏やかな朝の到来を告げる。カーテンの隙間から漏れる暖かな陽光を浴びて、冥子は眩しさから逃れるように身をよじった。
 枕もとの目覚ましが控えめに音を鳴らす。冥子はまた身をよじった。

「う…ううん………」

 もそもそと起きだして、目覚ましを切る。だがそのぼんやりとした目を見る限り、まだ起きたとは言いがたい状態のようだ。
 事実、冥子はふかふかのベッドに座り込んだまま首をかたむかせ、再び眠りに入る。
 部屋のドアを優しくノックする音が響いた。

「冥子様。ご起床の時間でございます」

 ゆっくりとドアが開き、お手伝いさんであるフミが姿を現す。
 フミはベッドの上で座ったまま眠っている冥子を見てくすりと笑みを浮かべた。

「ほらほら、冥子様。早く起きないとまたお母様に叱られてしまいますわよ」

 フミは冥子の肩に優しく触れると、軽く冥子の体を揺さぶった。
 冥子の目が開き、しばらくぼ〜っとさまよっていた視線は数秒の後にフミの姿を捉える。

「……まだ眠い〜。お仕事も無いんだし〜〜もう少し寝ちゃダメ〜〜?」

 一向にベッドを降りようとしない冥子に、フミは困ったように苦笑をもらす。
 廊下からドタドタと足音が近づいてきた。

「何を言っているのですか〜! 健全な精神は〜健全な生活に宿るものなのです〜〜! さあさあ早く起きなさい〜〜〜!!」

 怒声と共に部屋に乗り込んできたのは冥子の母である六道理事であった。
 怒れる母を前にして、冥子はしぶしぶとパジャマを脱いで着替えを始める。

「う〜〜。休みの日に二度寝するのがすごく気持ちいいのに〜〜〜」

「いいから〜〜着替えたら目覚ましに散歩にでも言ってらっしゃい〜〜〜!」

「はい〜〜わかりましたぁ〜〜〜」

 ぐずる冥子を無理やりに部屋から追い出す。冥子はひとつ大きなあくびをしながらすごすごと出て行った。
 ふう、と一つ息をついて、六道理事はフミの方を振り返る。

「それでは〜私は〜〜あと少しだけ眠ります〜〜〜。ご飯が出来たら呼んでちょうだいね〜〜〜」

 それだけを言うと、冥子と同じように大あくびをしながら六道理事は部屋を後にする。
 フミはやれやれ、とまた苦笑をもらした。

「ん〜〜よいしょ〜〜〜!」

 大きな玄関のドアを押し開けて、冥子は庭へと進み出た。朝日のあまりの鮮烈さに、思わず手で顔を射す光を遮る。
 白いワンピースを身に纏い、冥子は日を遮るために麦わら帽子をかぶった。
 清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んで、冥子は庭に敷き詰められた芝生を踏みしめる。

「本当に、いい天気〜〜〜!」

 体を優しく撫でていく涼しい風を感じながら、冥子は気持ち良さそうに目を閉じた。














 陽の光を浴びてその荘厳さをなお一層際立たせ、それでも一片の嫌味を感じさせることなく、唐巣が神父を務めるその教会は在った。
 その扉を開き、中から四人の人影が姿を現す。その内の二人は明らかに貧しさが見て取れる母娘である。あとの二人は当然、その教会に住む唐巣とピートだった。
 母娘はしきりに頭を下げている。その表情には感謝がありありと表れていた。

「本当にありがとうございました…これ…少ないですけどお礼を……」

「いえいえ…礼などいりません。隣人を助けよ…私は主の教えに従っただけですから」

 母親のほうが差し出した封筒を唐巣は受け取ろうとはしなかった。母親は何度も頭を下げながら、3,4歳ほどであろう娘は大きく手を振りながら帰路につく。

「神父さまぁ〜〜ありがとぉ〜〜〜!!」

 母娘の姿が見えなくなるまで、唐巣は手を振っていた。
 やがて母娘の姿が見えなくなってから、ピートは唐巣に笑いかける。

「まったく…相変わらずですね、先生」

「ん? ふふ…私はお金を求めて彼女らを除霊したわけではないからね。それに私はしっかりと報酬を受け取っているよ」

 唐巣の脳裏に先ほどの手を振りながら帰っていく少女の笑顔が蘇る。笑いながら唐巣はピートを振り返った。

「最高の報酬じゃないか」

 ピートは唐巣の言いたいことに見当がつかず、首をかしげた。そんな弟子の姿を見て唐巣は、今度は声を上げて笑う。
 そのまま教会の中に戻ろうとした二人の耳に爆音が響いた。
 何事かと唐巣とピートは辺りを見回す。キキィッ!とけたたましい音を立てて一台のバイクが二人の前に止まった。
 フルフェイスのヘルメットを被ったまま、ドライバーはバイクを降りて二人に―――正確にはピートにつかつかと歩み寄る。
 ピートの前で立ち止まったそのドライバーはおもむろにヘルメットを外す。ヘルメットからはみ出していた黒髪から大体の正体は二人には見当がついてはいたが、ヘルメットの下からは二人が思ったとおりの、褐色の肌をした端正で美しい顔が現れた。

「エミさんッ!!」

「神父、ちょっくらピートを借りるワケ」

「え、えぇ?」

 事態の把握が出来ない唐巣とピートを尻目にエミはちゃっちゃと行動を進めていく。
 ロープでピートをふん縛ると、そのままバイクの後ろに縛り付ける。なぜか亀甲縛りだ。
 ピートが抗議の声を上げる間も無く、唐巣が引き止める間も無く、エミはエンジンを吹かすとあっという間に走り去っていった。まさに嵐のごとしだ。

「ちょっ…ちょっとエミさん!! 何なんですか!! 何のつもりなんですか!!」

「何って決まってるじゃない。デートのお誘いなワケ」

「こんな強引極まりない誘いがありますかッ! 拉致じゃないですかこんなモンッ!! まだ先生のお手伝いが残ってるんです!! 悪いですけど、帰らせてもらいますよッ!!」

 自身の体を霧として、束縛するロープから逃れようとしたピートだったが、それは叶わなかった。

「…ッ!? 霧になれない!! どうしてッ!?」

「フフフ…そのロープをよ〜く見るワケ」

「こ、これは呪縛ロープッ!! ここまでやりますかアナタはーーー!!!!!」

「オーーッホッホッホッホ!!!! 何も聞こえないわ〜〜ん!!!」

 ピートの講義の声を完全に無視して、エミはどんどんスピードを上げる。ふたりはおっそろしい速度で教会から離れていった。
 二人だけの楽園を目指して。

「せめて…せめてこの縛り方だけはやめてください〜〜〜〜ッ!!!!!!」

 ピートの懇願は、またもエミの哄笑によってかき消された。
 一人置いてきぼりにされた唐巣は苦笑を浮かべながらため息をついた。
 今はただ呆れるほどに騙されやすい、純粋な弟子の貞操の無事を祈る。
 唐巣はもう一人の不肖の弟子に進められた家庭菜園に水をやろうと、じょうろを片手に教会の裏手に回った。

 ふと、空を見上げる。
 雲ひとつない、抜けるような青空が広がっていた。

「いい…天気だ」

 目を細めて、唐巣はしばらく空を見上げていた。














 ピンポーン。
 ピンポーン。
 ピンポーン。
 三回ベルを鳴らしたところで、タイガーと魔理の二人はその事務所が無人であることを知る。

「あれ。おかしいノー」

「エミさんどこ行っちゃったんだ?」

 今日は二人そろってエミに訓練をつけてもらうことになっていたのだった。
 それなのにエミは事務所にいない。まさか二人もエミがピートを拉致しにくりだしているとは思いもしなかった。

「う〜ん、どうしたもんかノー?」

「ねえ?」

 二人はそろってため息をついた。一日の予定が急にすっからかんになってしまったのである。
 エミのいい加減さは前から知っていたタイガーであったが、理由も知らせずドタキャンとはひどすぎる。
 タイガーはもう一度ため息をついた。

(まあ単純に忘れとるんじゃろ〜ノ〜。しかしこれからどうしたもんジャ?)

 その時、タイガーの頭に雷鳴のような閃きが生まれた。

(これは…デートに誘う絶好のチャンスでわッ!?)

 ちらりと魔理の様子を盗み見る。魔理も何となくタイガーの方を見ていた。ばっちりと目が合ってしまう。
 ぼっ!とタイガーの頬が朱に染まった。言っちゃ悪いが気持ち悪い。

(思い切って誘ってみてわ…あぁ! でもそれだと向上心の無い男だと思われてしまうかも知れんのジャー!! それよりも二人だけで修行しようと切り出したほうが…ああでもこんなせっかくのチャンスに!?)

 でかい体をこの上なく縮めて、タイガーは頭を抱えて煩悶する。
 その様子を見ていた魔理は思いっきりタイガーの腕に抱きついた。突然腕を包んだ柔らかい感触にタイガーは驚いて魔理の顔を見つめる。

「なあタイガー! せっかくだし、二人でどこか遊びに行かないか? 修行はちょっとだけお休みしてさ!!」

 全てお見通しだと言わんばかりに魔理は笑って言った。
 タイガーは縮めていた体を戻し、たどたどしく笑いながら胸を張った。

「そ、そうじゃノ! それがいいノー!! 魔理サン、どっか行きたいところありますか!?」

「そうだな…どこでもいいよ。でもその前にさ、ちょっと家に寄らせてくれよ。修行するつもりだったからさ、服…こんなだろ? もうちょっと可愛くしていきたいからさ」

 魔理の服装は特攻服にサラシといつもの戦闘用の服だった。魔理は顔を赤らめながらタイガーの腕を引いて駆け出す。

「ほら、行こうぜ!! タイガーッ!!!!」

「ワッシは…ワッシは幸せモンじゃーーーーーーー!!!!!」

 タイガーは己の心を隠すことなく叫ぶ。
 駆け出す二人の手はしっかりと握られていた。

 空はいまだ雲ひとつなく―――――――














 久しぶりに旧友の元を訪ねに、ヒャクメは妙神山を訪れていた。
 現在妙神山は霊験あらたかな由緒ある武道場として名を馳せ、百人を超える弟子を取っている。
 道場とは別の、小竜姫たちの住居となっている玄関の扉をヒャクメは勢いよく開けた。

「小竜姫ーー!! 久しぶりなのねーーーー!!! ってうわぁッ!?」

 木造作りのその家は、玄関を開けてすぐに二階へと上がる階段が設置されている。
 ヒャクメの目の前で、その階段を勢いよく転げ落ちてくる影があった。
 どしーん!と見事に音を立て、その影は床にしたたかに背中を打ちつける。
 階段の上からその影を追うようにまたひとつ影が躍り出た。

「ぬ…ぬう…けっこうシャレにならん痛みじゃわい……!」

「老師! 逃がしませんよッ!!」

「斉天大聖老師!? 小竜姫!? 一体なにしてるのね!?」

 ヒャクメの見ている前で、小竜姫は手際よく老師を荒縄でぐるぐると縛っていく。
 逃れようと老師は必死にもがくが、小竜姫は容赦ない。

「さあ、観念なさいませ、老師!!」

「後生じゃ!! 見逃せ小竜姫!! 今日は『鉄剣4<てっけんふぉー>』の発売日なのじゃ!! はよう行かねば売り切れてしまうぅぅ!!!!」

「予約するのを忘れた老師の怠惰が引き起こしたことでしょう!! 自業自得です!!」

 さながら、みのむしのようになりながらジタバタともがく老師を小竜姫はその肩に担ぐ。
 そこで小竜姫は初めて玄関で呆然と立ち尽くすヒャクメの姿に気がついた。

「あら、ヒャクメ。久しぶりね。今日はどうしたの?」

「それはこっちのセリフなのね〜……どういう状況なの、コレ?」

 ああ、と呟きながら小竜姫は照れくさそうにはにかんだ。

「恥ずかしいところを見られちゃったわね。いや、老師がね、今日は新作のゲームの発売日だとか言って修行を放って行こうとなさったのよ。それで今の状況に至るわけなの」

「あ〜…そぅ」

 旧交を温めようと意気揚々とやってきたヒャクメだったが、なんだかどっと疲れがたまったのを感じた。
 呆れて肩をうなだれながらようやく家に上がる。

「これから修行なんでしょ? とりあえず上がって待たせてもらうのね〜」

「悪いわね。しばらくかかるから、温泉にでも入ってゆっくりとしていってちょうだい。さ、老師! 行きますよ…ってあぁ!!」

 小竜姫の叫びに、部屋の奥に引っ込もうとしていたヒャクメは驚いて振り返る。
 なんと縛り付けられていたはずの老師の姿は丸められた布団に早変わりしていた。

「ふはははははは!! まだまだ未熟じゃぞ、小竜姫!!!」

 すでに玄関を飛び出し、遠くへ駆け去りながら老師は飛びはね、小竜姫を挑発する。その姿はもはやただのサルにしか見えない。
 小竜姫の顔がたちまち紅潮した。

「ろおぉぉぉしぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!」

 その時、道場と住居とをつなぐ渡り廊下を駆け抜けて、パピリオが玄関に姿を現した。

「ええ〜〜い! いつまで待たせるでちゅか!? もう弟子はみんなうぉーみんぐあっぷまですんでるんでちゅよ!?」

 パピリオは小竜姫の背中を掴むと無理やりに道場のほうへと引っ張っていく。そんなパピリオを、駆けつけた鬼門たちが必死にいさめた。

「さあさあ金を取っている以上しっかり仕事するでちゅ!! やらないんだったら今月の月謝は返してもらいまちゅよッ!?」

「パピリオ殿!! 小竜姫様は仮にもあなたの師匠に当たるお方! もうちょっと敬意を持って……」

「やかまちい!! 仕事ほっといて猿とおっかけこしてるようなアホチンを尊敬なんてできるかーーーーーーーでちゅ!!!!」

「ぬおおおおおーーーーーーー!!!!」

「ああっ!? 右の!!」

 哀れ右の鬼門はパピリオの一撃を受けて外まで吹き飛んでいった。

「とっとと行くでちゅよほらぁ!!」

「老師!! 今夜は晩御飯抜きですよぉ〜〜〜!!!!!!!」

 パピリオにずるずると不恰好に引きずられながら、小竜姫は声を限りに叫んだ。

「なんか…来る時期、間違えたのね〜〜〜」

 ヒャクメは畳にごろりと寝転がりながら、さめざめと呟いた。
 ともあれ、今日も妙神山は平和で、活気に溢れていた。














 自身が経営するレストランを休店日として、魔鈴はレストラン内の大掃除を行っていた。
 とはいえ、元々が清潔にされているため、それほど大規模なものにはならない。二時間ほどで全てを終え、魔鈴は客席に座って一息ついた。
 窓枠を指ですくってみる。一片のほこりすら付着しない。

「うん♪」

 魔鈴は満足げに頷いた。
 その時、からんからんとレストラン入り口に取り付けてある鈴が鳴った。『CLOSED』の看板はかけてあったはずなのだが。

「ごめんなさい。今日は休店日なんです…って西条さん!!」

「やあ…」

 ドアを開けて中に入ってきたのは西条だった。

「どうしたんですか? 今日は」

「いやあ、近くまできたもんでね。寄ってみたんだよ」

 そう言って西条は魔鈴の正面に腰掛ける。

「私、何か作りましょうか?」

「ああ、いいんだ。食事は済ませてきたから」

 魔鈴は浮かせかけた腰をまたソファー仕様となっている席に下ろした。
 そのまましばらくとりとめのない話をする。だが、西条は終始落ち着きがなかった。

「あの…西条さん、どうかしましたか?」

 あまりにそわそわとらしくない態度をとる西条を、魔鈴は怪訝に思いそう声をかけた。
 おもしろいくらいに西条はびくりと肩を弾かせる。

「ああ、いや、その、なんでもないんだよ。あはは……」

 これほど乾いたという形容詞が似合う笑いもあるまい。次第に笑い声は小さくなり、ついに西条は黙り込んでしまった。
 しばし重苦しい沈黙が店内を支配する。

「………」

「………」

「…………」

「…………」

「……………」

「……………いや、あのね?」

 沈黙に耐えかねて、西条はついに観念したかのように口を開いた。

「さっき、近くにきたから寄った……って言ったじゃないか。あれ……嘘なんだ。本当は最初からここに向かっていたんだよ」

「でも食事は済ましてらしたんでしょう…? だったら、どうして……?」

 魔鈴の問いに西条は再び黙り込んでしまう。いや、黙るというよりは話す言葉を慎重に、慎重に選んでいるようだ。
 西条の顔がきりりと引き締まる。西条はごそごそと自らのポケットをまさぐり始めた。
 そして西条はことり、とテーブルの上に深い藍色をした、十センチ四方の箱を置いた。
 魔鈴の目がぱちくりと、いっぱいに開かれる。

「西条さん…コレ……?」

「『答え』を……出しにきたんだ」

 魔鈴は震える指でゆっくりと箱を開く。
 そこには美しく、慎ましやかな光を放つ指輪が収められていた。
 魔鈴の瞳から涙が溢れ出す。
 西条の顔から途端に緊張が消えた。

「いやぁ……女性に本気で告白するなんて生まれて初めてでね……ここまで不様になってしまうとは思わなかった。……返事、聞かせてくれるかな?」

 魔鈴は何も答えない。魔鈴はただ、指輪をゆっくりと箱から取り出し、左手薬指に通した。
 涙に濡れた顔に満面の笑みが浮かぶ。それが魔鈴の答え。
 二人は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。
 そしてお互いをしっかりと抱きしめた。

「うぇっ…! うぇっ…! ヒック……! 嬉しいです…! 嬉しいです! 西条さぁん!!!!」

 魔鈴は泣きじゃくり、西条にすがりつく。西条は微笑みながら、優しく、いつまでも魔鈴を抱きしめていた。
 内心、心からの安堵を覚えながら。
 幸せにしようと心に誓う。幸せになろうと心に誓う。

 二人を祝福するように太陽は天高く―――――輝く。













 今にも朽ちかけたぼろぼろの木造家を前にして歓喜の声を上げるものがいた。
 こんなにも天気はいいというのに、その老人は黒いコートで全身を包んでしまっている。
 集中する周囲の視線をまったく意に介さずに、ドクター・カオスは喜びをかみ締める。
 その傍らには、いつものようにマリアが佇んでいた。

「いやぁーーー! やっと夢にまで見た一軒家じゃわい!! これで大屋のばあさんに薙刀持って追い掛け回されんですむわい!! 自分の家…くうぅ〜〜いい響きじゃあ!! 実に半世紀ぶりにもなるか! のぉ、マリア!!」

「イエス、ドクター・カオス」

 カオスの声に、無感情に答えるマリア。しかし彼女の中にも確かに喜びという感情は生まれているだろう。

「さあ、これから忙しくなるぞ!! まずは家そのものの修繕!! そして地下研究所の建設!! やることは山ほどある!!! まずはご近所挨拶じゃ!! 行くぞ、マリア!!」

「イエス、ドクター・カオス」

 カオスはなけなしの金で用意した菓子折りを片手に、まずは右隣の家を訪ねることにする。変なところで律儀なじじいである。
 玄関の門のところに取り付けられた呼び鈴を鳴らす。
 しばらくするとドアが開き、その家の住人、これからお隣さんとして長い付き合いになるであろう人物が姿を現した。
 今後、研究所からの騒音などに目を瞑ってもらうことになるのである。できるだけ愛想よくせねばなるまいとカオスは考えた。

「やあ、どーもどーも!! 儂は今度となりに越してきたドクター・カオスと申すもの! こっちは…あ〜…娘のマリアじゃ。これはお近づきのしるしじゃ。これからよ…ろ…し……く………」

 カオスの言葉が止まる。
 マリアですらその顔にはっきりと衝撃を表していた。

「あらあら、ご親切にどうも。ドクター・カオスさん…だったかしら。外国の方でいらっしゃるのかしら。日本語がお上手ですねえ。私は有馬 真理<アリマ マリ>と申します。こちらこそどうぞよろしく……どうしました? 私の顔に何か?」

 四十代半ばというあたりだろうか。やはりその年相応に顔にしわが刻まれてはいるが、その顔は確かに―――――カオスがかつて愛した、マリア姫のものだった。

「あら、そちらのお嬢さん…私の若い頃にそっくり。なんだか初めて会った気がしないわ……不思議ね」

 カオスはマリアの耳元で小さく呟く。

(マリア…彼女は……まさか………)

(イエス。87%の確率で・マリア姫の転生した人物と・考えられます)

 なにより、疑うべくもないのは自分の感覚。ひどく安らいでいる。捜し求めた半身をようやく手に入れたことに歓喜している。
 ほかの何でもない、カオスの魂そのものがイエスだと告げていた。

「これは…奇跡かな……」

 カオスはふいに目頭が熱くなるのを感じた。慌てて涙がこぼれぬよう目頭をおさえる。
 十分に心を落ち着けてから、カオスは口を開いた。

「失礼ですが……ご結婚はなさっておるのですかな?」

「それが…お恥ずかしい話なんですが、この年になるまで一度も……この家も、いまだに実家に住まわせてもらっておりまして……」

 照れくさそうに、有馬真理と名乗った婦人は笑う。カオスも、マリアも笑った。

(待っていて……くれたんじゃな………)

 それからしばらく、カオスは話し込んでいた。まるで自分の近況を恋人に伝えるように。
 真理は熱心にカオスの話に聞き入っていた。珍妙奇天烈なカオスの話を一度も疑うことなく。

「ふふふ…あぁ、楽しい…! こんなに人と話し込んでしまったのは久しぶり…! どうかしら? 上がってもっと詳しく話してくださらない? 粗茶くらいなら、お出しできますが………」

 彼女の笑顔に、彼女の仕草の一つ一つに、カオスはマリア姫の面影を確かに感じていた。
 マリアは慈しむような瞳で二人の様子をただ見守っていた。

「では…お言葉に甘えてお邪魔させてもらうことにするかの。のう、マリア?」

「イエス、ドクター・カオス」

 ようやく、巡り合えたのだ。もう、離れはしない。離しはしない。
 カオスのコートの裾がふわりと舞い上がる。
 一際涼しくて心地よい風が吹き抜けていった。














 映画館の入り口でなにやら注目を集めているカップルがいる。
 見たい映画の食い違いで、大声を張り上げてもめているようだ。
 毎度懲りずにこのようなやりとりを行っているのは、伊達雪之丞と弓かおりである。

「だから俺は『ラスト・サム来』が観たいんだよ!!」

「私は『世界の中心で、愛を唄う』が観たいの!!」

 お互い一歩も譲らない。口論はどんどんヒートアップしていく。

「こっちはな! 貴重な休みを使ってここまで来てんだよ!! 明日にはまた朝イチで北海道だ!! 俺の観たいもん観る! そっちがそれに合わせるっていうのが筋だろうがよッ!! 大体金払うの俺だろうがーーーー!!!!」

「このせっかくの連休もアナタの仕事のせいで今日一日しか遊べないんでしょッ!! 私の方に合わせるのが常識じゃないッ!! お金払うからってそんなに威張らないでちょうだい!! 映画代くらい笑って払ってくれるくらいの度量と甲斐性を見せたらどうなのッ!?」

「なんだーーーーーーーー!?」

「何よッ!?」

 二人の言い争いはますます白熱していく。アナタは時間にルーズだとか、お前は調子に乗りすぎだとか、もう収拾がつかない。
 罵詈雑言行き交う最も醜い言葉のキャッチボール。二人とも極度の意地っ張りで、ボールを受けたら全力で投げ返してしまうのだから始末におえない。
 果ては公共の場で放送禁止用語まで飛び出す始末。こんなデートをしでかすのは世界広しといえどもこの二人くらいであろう。
 そしてかおりは遂に『お決まりの台詞』を言い放ってしまうのである。

「仕事と私と、どっちが大事なのよッ!!」

 言った途端、かおりはハッとなって口を押さえた。こんな台詞をはく女は、男にとってうざい女ナンバーワンである。
 もちろんかおりもこんなことを本心から思っているわけではない。かおりは頭のいい女性である。仕事と異性関係は、並べて比べられるものなどではないということなど重々承知している。
 まさに勢い。まさに売り言葉に買い言葉。
 かおりはさすがに不安になってしまった。雪之丞の顔は影になって見えない。
 嫌われてしまう。愛想を尽かされてしまう。かおりの心臓はどくんどくんと破裂しそうなばかりに脈打った。
 雪之丞の頭から、ぷちん、という音が響いた気がした。

「あああぁぁぁあああったまきた!! この野郎、言わせてりゃあいい気になりやがって!!!!」

 雪之丞は突然怒声をあげると携帯電話を取り出した。素早い指使いでダイヤルを押し、耳に当てる。

「もしもし!! 伊達雪之丞だ!! 明日の依頼だけどな、キャンセルだ!! あぁッ!? うるせえぇぇぇぇぇ!!!! そっちゃ別に急ぎの事件じゃねえだろうが!! こっちは至急かつ死活的な問題なんだよッ!! 文句あんなら別のやつに頼めボケェェェェェェ!!!!!」

 一気にまくし立てると雪之丞は携帯電話の電源を切った。電話の向こうから怒声が響いていたような気もするが、それも同時にぷつりと消える。

「どうだッ!! 今日と明日で映画を二回観りゃいい!! これで文句ねえだろうが!!!」

 あまりに乱暴な雪之丞の行動にかおりはあんぐりと口を開けた。
 ぱくぱくと口を開けたり閉じたりを繰り返す。

「あ…アンタなんてことしてんのよ!! 信用が売りの世界でしょッ!? そんなことしたら……」

「関係あるかッ!! 俺クラスになりゃ頼って依頼してくるやつなんてくさるほどいる!!」

 そう言い捨てると雪之丞はかおりの手を強引に引いた。かおりは少しバランスを崩してしまう。

「ちょ…ちょっと…レディは大切に扱いなさいよ!! 相変わらず粗暴なんだから!!」

 文句を言いながらもかおりの顔は笑っていた。
 あんなことを口走ってしまった自分を許してくれた。自分の立場を苦しめてまでそれを証明してくれたのが嬉しかった。
 ああ、悔しいなあ。かおりはそう思った。
 自分はこんなにも雪之丞を愛してしまっている。雪之丞に心を捉われてしまっている。
 だがそれがたまらなく幸せだった。
 雪之丞は信用回復のために走り回る自分を想像してげんなりとなっていた。だが後悔はしていない。
 今自分の隣にいる女が笑ってくれるのなら、自分はどんな泥でも被ってやろう。雪之丞はそう思った。
 自分はこんなにもかおりに惹かれている。心を奪われてしまっている。
 だがそれがたまらなく心地よかった。
 あんなにもいがみ合っていたのが嘘のように、二人は仲良く手を取り合って映画館の中へ消えた。




「だから今日は俺に付き合えよ!! そっちは明日観りゃいいじゃねえか!!!!」

「そっちこそ明日観ればいいでしょーーー!?」

 再び映画館から響いてきた口論は、開幕ベルが鳴り響くまで続いていたという。














 ゴルフボールが空気を切り裂いて飛んでいく。

「ナーイスショット!!」

 キーやんにより飛ばされたボールはぐんぐん飛距離を伸ばし、フェアウェイに着地した。
 パチパチとサッちゃんは手を叩く。

「さすがや、キーやん! こらいこうと思えばイーグルも狙えるで!!」

「たまたまですよ。いつもこうなら楽しいんですがね。あなたの番ですよ、サッちゃん」

「おう!!」

 サッちゃんはキャディからクラブを受け取ると渾身の力を振り絞って振り切った。
 打ち出されたボールはどんどん飛距離を伸ばし、あらぬ方向へと消えていった。

「OBで〜す」

 キャディの事務的な声が響く。それがどうしようもなくサッちゃんの神経を逆撫でした。

「んがあぁぁぁぁ!!! なんでやねん!!!!」

「これこれ、短気はいけません。キャディの方が怯えているではありませんか。はい深呼吸〜深呼吸〜〜」

 キーやんに促されてサッちゃんは一度、二度と大きく息を吸い、吐く。
 大分落ち着いたのかサッちゃんはもう一度ボールをセットすると、クラブを構えた。

「くっくっく…みとれよぉ〜〜ブッちゃんにアッちゃんめ〜〜〜! ちょっとゴルフ上手いからって見下しおってからに!! この特訓を経て、次の勝負でアッと言わしたるわい!!!!」

 以前コテンパンに打ち負かされたリベンジを誓い、サッちゃんは会心の出来をもってクラブを振りぬいた。




「OBで〜す」

「ぬああああぁぁぁぁぁぁ!!!! どないやっちゅーねん!!!!!!!!」

 暴れまわるサッちゃんを横目に見つめ、キーやんは肩をすくめた。














 ベスパは台所に立っていた。
 豆を挽くことから始めてみたコーヒーがようやく出来上がろうとしている。
 ポットに溜まったコーヒーをマグカップに移す。一口試しに飲んでみた。ほのかな苦味が心地いい。
 だがベスパは甘党だ。角砂糖をひとつ、ふたつと入れて飲み、ようやく満足いったように頷く。
 マグカップをもう一つ用意し、コーヒーを注ぐとソーサーに角砂糖をひとつ添える。
 振り返り、心地よい感じに陽が射し込む和室で、畳に横になっていた男に声をかける。

「おいしいコーヒーが出来ましたよ。いかがですか……アシュ様?」

 男は―――アシュタロスはむくりと起き上がるとあぐらをかいて座り込んだ。

「ありがとう……いただくよ、ベスパ」

 ベスパはコーヒーをアシュタロスに渡すと、その隣に座り込む。ベスパはそのままアシュタロスの肩にしなだれかかった。
 部屋にはしばらくコーヒーをすする音だけが響く。
 二人は陽光に照らされ輝く庭をじっと見つめていた。

「平穏だな………」

 アシュタロスはポツリと呟く。

「ええ…これが平穏です……」

 ベスパも静かに頷いた。
 それから二人はふたたび黙って庭を見つめていた。
 なんとも心地いい沈黙だった。お互いがそこにいるだけで満たされていた。
 二人のカップはすでに空になっている。

「いい天気ですね……」

「ああ…とてもいい天気だ……世界とはこんなにも綺麗なものだったのだな………」

 ベスパはアシュタロスの顔を見つめる。
 アシュタロスもベスパの視線に気付き、ベスパの方へと顔を向けた。

「こんなに天気もいいんです。どこか行きませんか? このまま二人でいるのもいいけれど、こんな日に外に出ないのはなんだかとても損な気がします」

「ああ、そうだな……パピリオの様子でも見に行ってみるか」

「ええ、そうしましょう。あいつったら、どうせみんなに迷惑をかけてるんだから」

「ははは…そうかもしれないな。だが、パピリオはきっと皆と上手くやっているよ。憎めないからな、あいつは」

 とりとめもない会話を交わしながら、二人は外出の支度にかかる。

 求めたものはこれだった。
 男はただひたすらに平穏を。
 女はただひたすらに男と共に生きることを。
 本当なら、とてもとても簡単に叶うはずだったささやかな願い。だけれども、今まで叶うことの許されなかった願い。
 今、この世界で二人の願いを邪魔するものは何もない。
 男は手に入れた幸せを守り続けるだろう。
 女はつないだ手を二度と離すことはないだろう。
 これからも、ずっと――――――――














 公園のベンチに座り、美智恵はひのめが遊ぶ姿を微笑ましげに見つめていた。
 順調に成長を続ける我が子を見つめ、美智恵は決意を新たにする。もう教育は過たないと。
 まだそんなに上手く言葉を扱うことは出来ないけれど、二本の足でトコトコと歩くことは出来るようになった。
 そんなひのめは砂場で同じくらいの年であろう子供たちと楽しそうに遊んでいる。実に順調だった。

「あら…」

 美智恵は公園に新たに入ってきた見覚えのある人達に声をかけた。

「ご夫婦そろってお散歩ですか? 仲良さげでうらやましいですわ。大樹さん、百合子さん」

「やあ、これはこれは美智恵さん! 偶然ですなぁ!!」

「あら美智恵さん! どうしてこちらに?」

 思わぬ出会いにほんの少しの驚きと、喜びを感じながら三人はしばし談笑に花をさかせた。

「へえ…ご息女の公園デビュー! まあ、美智恵さんの娘さんならきっと賢くてかわいくてすぐにみんなに受け入れられるに違いない。なんの心配もないですな!!」

「まあ大樹さんったらお上手ね。そちらはなぜこの公園に?」

「いえ、こんなに天気がいいでしょう? ちょっと散歩してみようと思って…ひのめちゃん、また少し大きくなりましたね」

「ええ、この時期の教育は人格形成に影響しますからね。できるだけ色んな所に連れて行ってあげようと思ってるんです。子供にとって何よりの栄養は、感動ですからね」

 砂をぺたぺたと固めて山らしきものを作ろうとしているひのめを見て、三人は微笑む。

「あら、ごめんなさい。せっかくのご夫婦での散歩、邪魔したら悪いわね。そろそろ帰ろうかしら」

 思い出したように美智恵は言うと、そそくさと帰り支度を始めた。

「そんなに気を使ってもらわなくても…」

「そうですよ。まだお話もしたりないし…」

 気を使わせてしまっては悪いと二人は美智恵を引き止めた。
 だが美智恵は首を横に振ると、笑って言った。

「いえ、実はそういうことでもないんですよ。もう二時間近くもここにいますし…今日は日差しも強いからこれ以上は体に毒だと思いまして……また、機会でも見つけてお茶でもしましょう。私もまだ全然話したりないですしね」

 美智恵は大樹、百合子に別れを告げるとひのめを抱き上げて家路についた。
 遊び疲れたのか、ひのめは美智恵の腕の中ですやすやとすぐに寝息をたて始めた。
 その寝顔を見て、美智恵は心から幸せを感じていた。この笑顔を守り抜くために自分は生きていくのだ。

 気付けば陽は傾き、街は暁に染められ始めていた。














 どこまでも続いているのかと思えるほどの大草原で男は目を覚ました。
 信じられないという風に、辺りを、自分の姿を見回す。

「ふふ……まさか、私すらも救ったというのか……? 甘い…なんと甘い男だ…! くくく…ハッハッハッハッハッハ!!!!!」

 笑いながら、長い黒髪を持った男は歩き出した。
 どこに向かっているのかもわからないまま、男はただ草原の向こうへ歩き続けた。














 新たな世界には、種族という垣根は存在しない。神界も魔界も存在しない。
 この世界に生きるものは全て等しいただの命。
 だから、役割を押し付けられることもない。魂の牢獄なども存在しない。
 ここは横島忠夫の望んだ世界。誰もが幸せになれる世界。
 横島は、その身を犠牲としてこの世界を創り上げた。














 美神除霊事務所は大騒ぎだった。
 この日はおキヌの誕生日。事務所のメンバーだけでささやかなパーティーを催そうと大盛り上がりだった。
 といっても豪勢な料理を用意しているのは美神で、室内の飾り付けを終わらせたシロとタマモは暇を弄んで将棋に興じている。

「ひとつひとつ行動範囲の異なる駒を用い、戦略を駆使して王将を討ち取る…ほかにどれだけ損失を出していようと王将を取りさえすれば勝ち……やっぱり人間って娯楽を作ることにかけてはサイコー!!」

 これはタマモ嬢の弁である。今日シロからルールを教えてもらったばかりの彼女であったが、持ち前の知力と閃きでシロを圧倒していた。
 おキヌはパーティーの主賓ということで、美神を手伝うことは許されず、美神が料理する様をうずうずしながら見守っていた。

「待ったでござる!!」

「あれぇ? アンタ真剣勝負の最中に待ったなんていうの? アンタそれでも武士?」

「ぬ…ぬががががが!!!」

 そんなやりとりを行っていた二人を美神が怒鳴りつけた。

「なにやってんの!! 料理できたんだから運ぶくらい手伝わんかーーーー!!!」

「キャインキャイン!!」

「うわわッ!! そんな怒鳴んなくてもいいじゃない!! シロ、将棋盤はそのままにしとくのよ」

 これ幸いと駒を片付けてしまおうとしていたシロを、タマモが目ざとくたしなめた。シロはちっ、と舌打ちする。
 やがて料理は全て食卓に並べられた。
 パーティーの準備はととのったのだ。だがパーティーはまだ始まらない。
 事務所のメンバーはまだ全員そろってはいないのだから。

 パーティーの準備が整ってから、もうしばらく経っている。

「まったく…どこほっつき歩いてんのよあの馬鹿……料理、冷めちゃうじゃない」

 美神は食卓にひじをつき、その上に顎を乗せたまま不機嫌そうに呟いた。
 タマモとシロは、再び将棋に興じている。
 おキヌは不安そうに呟いた。

「帰って……きますよね?」

 おキヌの言葉に美神は顔を歪める。彼女も同じような不安を抱いていたのだ。

「帰ってくるにきまってるじゃない…変なこと言うんじゃないわよ、おキヌちゃん」

「ごめんなさい…でも、なんだか…なんだかとても不安になって………」

 美神にも、おキヌにも、もちろんシロにもタマモにも、この世に生きる全てのものに、パレンツの記憶はない。
 新たな世界を生きるもの達は、今の世界に違和感を感じることなく、元から在ったものと認識して過ごしている。そのようにこの世界は創られた。
 それでもなお、美神は、おキヌは不安を感じていた。

 彼が二度と戻ってはこないのではないか――――――と。














 その身を犠牲にして――――――?
 いや、そんなことはありえない。彼は、横島忠夫なのだから。
 彼の願いの最も大前提としてあるのは、自分自身の幸せ。
 横島は自分を犠牲にして皆の幸せを望んだりはしない。
 横島は、自分も皆も全員幸せになることを望むはずだ。
 彼は、とても欲張りなのだから。



 だから彼は彼の家である事務所のドアを叩くのだ。
 愛しき者たちの笑顔を求めて。



 ドアをノックする音が部屋に響く。
 人工幽霊壱号が彼の帰還を皆に告げた。

「横島クン!?」

「横島さん!?」

「せんせぇッ!?」

「あっ!!」

 美神は、おキヌは、弾けるように部屋を飛び出した。
 シロはちゃっかりと将棋盤を蹴飛ばしながら駆け出した。ばらばらになった将棋の駒に目を奪われていたため、タマモは一瞬遅れて飛び出した。
 階段を駆け下り、玄関へ。
 玄関に佇む人影を認め、美神の目に、おキヌの目に、シロの目に、タマモの目に、涙が浮かぶ。
 四人の声が、揃った。




――――――――おかえりなさい。




 その言葉に、彼は―――――横島忠夫は笑って、答えるのだ。
 帰ってこれたことに、万感の思いを込めて。
 再び皆と逢えたことに、溢れ出す想いを込めて。























―――――――――ただいま、と。












                         W・O・R・L・D 〜ワールド〜                         The end












































 ザザーン―――――――
 ザザーン―――――――
 砂浜を削り取って、波が寄せては帰っていく。
 彼女は砂が足を通り抜けていく感触を楽しんでいた。
 水平線には夕日が沈もうとしており、海岸線は鮮やかな紅に染まっている。
 彼女はふと人の気配を感じて振り返る。愛しき人が、そこにいた。

「やっと…会えたな………ルシオラ」

「………ヨコシマ!!!!」

 二人はきつく、きつく抱きしめあう。お互いの存在を確認するように。もう二度と離さないように。
 『あの日』二人で見た時のような鮮烈な夕日を背にして、二人はいつまでもそうしていた。














 いつの間にか夕日は完全に水平線に沈みこみ、夜の帳<とばり>が下ろされる。
 だけど。陽はまた昇り、この場所に沈む。
 明日も明後日も、その次の日も、ずっと。ずっと―――――




 物語は、紡がれていく。


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