椎名作品二次創作小説投稿広場


そして続く物語

語り継がれる物語


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 5/ 6

 空を見るのが好きだった。
 空を飛び回る鳥に憧れていた。
 あの大空に翼を広げて飛んでいきたかった。
 あの空の中ならば、許されない存在でも悲しみもなく自由に生きていける気がした。
 そうなれば、母もあのラインの畔で誰の目も気にせずに脅える事もなく平穏に暮らしていけると思った。
 だからお願いです。神様、どうか僕に空を舞う翼を与えてください。







「高度2500mで、あの竜の上を通過して」

 戦闘機の中で美神がパイロットに指示を出す。

「通過したら、いったん速度を落として竜を引きつけるの。
 既にあの場所から下流と上流に住んでいる住民の避難は終わっているから大丈夫よ」

「了解だ」

 彼女を乗せた航空機は世界最高性能を誇りながら製造費が高価すぎるために陽の目を見なかった。
 その機体がマッハを軽く越えるスピードを徐々に落としながら竜へと接近していく。
 そしてその真上を通過した時、唐巣達に止めを刺そうとしていた竜の動きが止まる。
 竜は突如視線を転じると凄まじい勢いで航空機に向かって飛翔を開始した。

「あいつの速度に注意して。瞬間的にはマッハを越える速さで動けるらしいから1000m以内に近寄らせると危ないわ」

 航空機も加速を開始すると、竜との距離を一定に保ちつつ南西方向に向かいだした。



「今のは………美神令子の波動を感じた、間違いない」

 ジークフリードの叫びに横島の顔に生気が戻る。
 慌てて走り寄ると、彼は精根尽き果てて気絶した唐巣を抱き起こした。

「リンツさん。美神さんがあいつを引きつけている内に倒れている人を連れて撤退していただけませんか?
 もう俺以外のGSは霊力も尽きてろくに動けません。
 世界GS本部が下した指令を果たせなくなった以上、逃げてもかまわないはずっす。
 リンツさん達は先ほど仰っていた任務を果たしてください」

「了解した。貴君はどうなさるのか?」

「美神さんの戦いには、俺が必要なんだです。だから俺はこの場であの人を待ちます。
 それがきっと正しい事だと思っていますから」

「しかし、貴君を1人残して撤退するわけにはいかない」

「では、僕が彼への護衛として残ります」

 先ほどまで倒れていたジークフリードがいつのまにか起き上がっている。

「ジーク、もう動けるのか!?」

「ご心配なく。この程度でどうにかなる柔な体なら、僕は姉上のしごきでとっくに死んでいますよ。
 リンツ大尉、魔界軍の仕官である僕が彼の護衛に当たります」

 気丈に振舞うもののその足元は震えている。
 明らかに立っているだけで精一杯なようだ。

「しかし、ジークフリード少尉!」

 尚も引かないリンツの軍人気質に苦笑すると彼は芝居がかった口調で告げた。

「ここで貴方達が残っていられると、任務遂行に差し支えます。
 民間人のGSの護衛に協力するために、ここは撤退していただきたい」

 どこか軽い口調で喋りながらも、ジークフリードの目は炯々とした光を湛えていた。
 それは正しく死を前にして為すべき事をやり遂げようとする戦士の覚悟だった。

「了解しました。どうやら残っていても足手纏いになるのは避けられないようですな。
 では、叶う事なら地上で、叶わぬ時はヴァルハラで再会しましょう」

 言い終わるとリンツは横島の手を力強く握る。視線が交差する。もはや何も言う必要などなかった。
 彼は手を解くとジークフリードと完璧な敬礼を交し合う。
 そして振り返ると、残っている部下に大声で指示を下した。

「全部隊撤退に移る。動けるものは動けないものを担いでいけ。
 必要なら武装、その他は放棄してもよし。戦友達の生命を守ることを最優先しろ!」

「「「了解!」」」

 復唱と共に第一中隊の兵士達が倒れているGSを担ぎ、或いは肩を貸しなが隊伍を整えて撤退を始める。
 リンツは横島から唐巣の体を受け取ると、その体を担いで全く乱れのない足取りでそれに続いていく。
 その後姿を見送っていたジークフリードが、しばらくしてポツリと言った。

「正しいと思う事を、ですか」

「…………本当は俺だって、逃げたくて逃げたくてたまらないんだよ。
 俺はあの竜が、あいつの頭の中に渦巻いてる狂気が怖い。
 周りに誰もいないのにあいつと正対しなきゃいけないって考えるだけで足が竦んじまいそうだ。
 でも、この状況を作るために、俺に文珠を使わせないようにしてまで、みんな死に物狂いで足掻いてきたんだ。
 あんな事、聞かされたのに逃げるようじゃ、申し訳なくてみんなに一生頭があがんねえよな。
 だから…………今はここで美神さんを待つのが『正しいと思うこと』さ。

「横島さん…………」
 
 搾り出すように声を紡ぐ横島の横顔を、これから最後の戦いに赴く男の顔をジークは見つめた。
 迷いもある。怯えもある。けれどその顔にはそれ以上に決意が満ちていた。
 唐巣の言葉が、そこに込められた信念が横島の心から逃げ道を塞ぎ、
 かつてデミアン達に挑んだ時のような覚悟を彼の心に宿していったのだ。

「ところでジーク。護衛っていっても、魔力はもう殆どないんだろ。撤退しないのか?」

 それまでの顔付きを一変させると横島はいつも通りの口調に戻った。

「大丈夫です、まだ飛ぶ力は残ってますから。
 美神さんにお会いして、僕が分析した竜の情報を伝えるまではここに残ります」





「あいつの水平飛行速度ってどれくらいか分かる?」

「時速250Kmを超えているようだ。全く信じられんよ。
 エンジンもついてないのにこんなスピードで水平飛行する生き物がいたなんて。
 隼や燕も時速100km以上の水平飛行速度で長距離を飛び続けるのは不可能だ。
 一機1万ドルを越える最高級のハンググライダーでさえ120kmの水平飛行速度を保てるのは一定の条件下の場合だけだぞ」

「世界にはまだまだ不思議が溢れてるって事ね。
 でも、いくらあいつが速くたってこの機体の全速力に比べれば10分の1よ。
 あっ、少し進路を南東寄りにして。
 それから竜がさっきの位置から40km以上離れたら、反転して全速力で戻るの」

 首尾よく竜の陽動に成功した美神は、次の手を打つべく頭をフルに回転させる。

「それでは竜が我々を見失って、暴走する恐れがないか。そうなったら本末転倒だぜ」
 
「大丈夫よ。竜は私がライン川周辺にいる限り私を目指して何処までも追ってくるわ。
 そうなるように目印になる物があるから絶対よ」

 今頃、竜の中では指輪を取り戻せという叫び声が響き続けているのだろう。
 ニーゲルゲンの財宝の中でも特に強い魔力を秘めたこの指輪ならば、竜にとっては十分すぎるほどの目印となるはずだ。

 やがて美神はすぐそこまで迫っている戦いに備えて己の霊力を高めていく。
 調子は良い。気分も悪くない。ここまでぶっ通しで飛んで来たせいでアドレナリンも充分だ。
 大丈夫、私はやれる。小竜姫の暴走を鎮め、フェンリル狼を打ち倒し、斉天大聖の修行を生き延びた。
 アシュタロスでさえ私を倒す事はなかった。だから私がこんな事で負けるわけがない。
 彼女から僅かに残っていた迷いと恐れが消えていく。

「やつが40km以上離れた。今から反転するぞ!」

 目を開けた瞬間、パイロットの声が耳に響いてきた。
 2人乗りの航空機が、アクロバティックな動きで竜を引き付けながら反転する。
 進路を一気に変えて機体を水平に戻すと、、パイロットは爆発的な加速を開始した。
 美神の体に凄まじいGが襲い掛かってくる。
 その押し潰される様な強いGを感じながら彼女は竜の思念を感じた。

「たいした執着心ね。私もお金は大好きだけどあんたのはもう病気よ」

 ワルキューレ達が神になり、そして魔族に堕ちる過程でニーベルゲンの指輪だけはその呪いを解かれたそうだが、
 そんな事とは関係なくあの財宝にかかった呪いは、指輪を取り戻すために竜を一層の狂気へと駆り立てているのだ。

「もうすぐ到着だ。高度を低下させる」

 それまで2500mを保っていた航空機が高度を落とし始める。
 フライトは最後の段階に差し掛かった。

「いよいよね」

 装着済みの降下用の装備に軽く触れる。

「減速するぞ!」

 マッハ3を超えていた航空機がそのスピードを急激に落としていく。
 その瞬間、美神の体には先ほどよりも更に大きなGが襲い掛かってきた。

「くっ!」

 思わず、苦悶の叫びを上げながら、彼女は自分を叱咤した。
 宇宙空間での核ミサイルの応酬とメドーサとの高速戦闘に比べればこれしきのGなんか!

「高度1200m、対気速度120km。今だ、行け!」

 弾かれるように反応した美神は流れるような動作でハッチを空けると、素早く身を乗り出してそのまま真下へ落ちていく。

「マルスよ。あのお嬢ちゃんに必勝の加護を」

 軍人であり徹底的なリアリストであるパイロットは、この時ばかりは神に祈った。
 もし彼女があの竜を倒せるのなら、これからは毎週教会に通ってもいいと思いながら。



 パラシュートが1000フィートを感知して開いていく。
 落下速度の減少と気流による移動を感じながら美神は下方を見た。
 数十人の人間が東に動いている姿が見える。もうその集団の先頭は結界をくぐりぬけている。
 どうやら最後まで頑張っていた連中は無事に撤退できたようだ。

 それを確認しながら美神は微妙な霊力をコントロールしつつ、パラシュートを操作してその落下速度と落下地点の調節をする。
 地上に着くまであと50秒といった所だろう。
 あの竜がここまで戻ってくるのは自分が飛び降りてから約450秒後。迎撃体勢を整えるには充分だ。

 
 大地に降り立つと素早くパラシュートを外して辺りを見回す。
 上空からも見て取れたが、視界に映る風景はまるで焦土だ。
 地面は鋭い爪痕が何箇所も穿たれてぼろぼろになっている。
 ミサイルの爆発と炎の奔った後に残ったのは赤茶けた大地と灰の山。
 毒の撒き散らされた場所からは悪臭が漂っている。
 それが消えるまでそこには草の一本も生えず、虫の一匹も住まないだろう。

「本部があんなに形振り構わない命令を出すわけね。
 こんな事が出来るやつを野放しにしたら、数日でライン川全域が死の大地になってのは誇張じゃなかったわ」

 ライン川はその景観や古城などの文化的な価値に加え、海運等の物流に関しても重要な位置を占めている。
 ここが潰れればヨーロッパ経済にとって、動脈が1つ破損するくらいの意味がある。

「命がけの仕事なんて山ほどこなしてきたけど、
 数千億円規模の経済に関わるような事件は久しぶりね。
 EUにはいくら成功報酬吹っかけてやろうかしら」

 彼女の声に恐怖はない。愉悦もない。
 あるのは勝って生き残ってみせるという不屈の精神とプロとしてのプライドだった。

 視界に映る範囲には死体は転がっていない。
 しかし逃げ遅れた者、竜の足止めで犠牲になった者の数は少なくないのだろう。
 それに何も感じないわけではない。
 この大地が無残な焦土に変わったことに憤りがないわけじゃない。
 けれど、今、必要なのは勝つ事のみ。怒りも憤慨も今は心に秘めておけばいい。

「もう、終わりよければ全てよし、とはいかないでしょうね。でもとりあえずあいつはここで止めてやるわよ」

 その時、こちらに走ってくる気配と共に聞きなれた声が飛び込んできた。

「美神さん、待ってましたよ」

「主役はね、遅れた頃にやってくるものよ」

 美神は持ち前のペースで掛けられた言葉を投げ返す。

「状況は分かってるみたいっすけど、少し前にGSの人達も軍も撤退しました。
 今は東の方にある結界に避難中です。問題が起きてないならもう向こうについてるはずっす」

「それは大丈夫よ。空から見えたけど軍隊の連中は結界を越えたわ。
 だからあとはあの化け物をぶったおすだけね」

 そこでようやく彼女は空から目を移す。
 視界には汚れきった横島と憔悴気味のジークフリードの姿。
 人目見ただけで彼らがどれほどの激戦を繰り広げてきたのかが推し量れた。

「ジーク、勝算は!?」

 単刀直入に必要な事だけを問う美神に彼の顔が僅かに曇る。

「やつの魂は核となっているラインの黄金と完全に融合しています。
 いくらやつを傷つけても、ライン川の魔力があるかぎり竜は何度でも蘇るでしょう。
 黄金を砕かない限り、勝ちはありえません」

 情報仕官であり、ニーベルゲンの財宝に深く関わっていただけに、彼の分析は的確でその説明にも淀みがなかった。

「その黄金を砕く方法はあるの?」

「僕のグラムならば砕けます。
 グラムは竜殺しの属性と共に、ニーベルゲンの財宝を長年所持していたファーブニルから引き離した因果を持っています。
 魔剣としての力を解放したグラムならば財宝と竜を分離する事は造作もありません。
 たとえ、所持者と黄金が融合していたとしても、両者を切り離してまとめて消滅させられます」

「どうして、それを使わなかったの?」

「人間界では僕がグラムを開放出来るのは、魔力が完全な状態でも10秒ありません。
 竜の動きを数秒止められれば、確実に当てられるのですが、
 もし、回避か防御されたら、核になっているラインの黄金をピンポイントで貫くのは困難だからです。
 今の僕の残存魔力ではとてもグラムの開放には至れません。
 それに僕がグラムを開放できたとしても、やつの動きが健在の間は中てる自信がありません」

「霊力を使って破壊する方法はあるの?」

「超克を果たして伝説の力を取り戻したニーベルゲンの財宝の魔力は、かつて主神であったオーディンすらも惹きつけました。
 上級神魔レベルの霊力や魔力をもってしても数分であれをどうにかするのは非常に難しいです」

「なるほど。それならこれを残していたのは正解だったのね」

 ジークフリードの説明を聞き終えた美神はにやりと笑うと、ネックレスから文珠を外して彼に投げつけた。
 文珠が発動した瞬間、ジークフリードの体に徐々に力がわいてくる。

「これは、魔力!?」

「ひとつだけ持っていた文珠に『魔』の文字を込めたのよ。込められた霊力は数百マイトでも、
 あんたの体内に残存する魔力を励起してくれるから、5分あれば千マイト分くらいは回復するはずよ。
 航空機に揺られて気分が悪くなった時も我慢して使わずに温存してたんだから、その分しっかり働いてもらうわよ」

「あ、はい。もう少しで数秒ならグラムを開放できそうです」

「じゃあ、あとはやつが動けなくなるような攻撃を叩き込んでやればいいって事ね」

「先ほどの攻防では、魔竜は複数の戦闘機からのミサイル攻撃すら直撃するのを防ぎきりました。
 生半可の攻撃じゃあどうにもならないです。その上、向こうは超加速もどきが使えますよ」

 叫び返すジークに美神は不敵な顔を向ける。

「横島くんたちが頑張っているのを聞いて、いい方法が浮かんだのよ。
 さっき竜が私の乗った航空機を追い回したのを見て、その方法ならいけると確信したわ。
 大分荒っぽい方法だけど、確実にやつの動きを止められる」

 そこまで言うと彼女はそれまでの厳しい顔を少しだけ緩めた。

「横島くん、あんた達がこの数時間粘ってた様子は、戦闘機内の通信機を通じて全部聞いていたわ。
 よく頑張ったわね。
 あんたや西条さんや唐巣先生やジークのおかげで、ここに来る途中にあいつを倒す方法を思いつけたのよ」

「あいつを今すぐに倒せる方法………それは確実っすか、美神さん?
 失敗すれば、もう俺たちには後が………」

「絶対なんて言葉はこの世にはないのよ。私が思いついた作戦はある意味で博打よ。
 でもね、横島くん。わたしを信じなさい。美神令子は、殺すと決めた相手を必ず葬ってきたわ。
 もう一度言うわよ。私を信じなさい。私達は勝つわ。私がそう決めたんだから!」

 そう告げる彼女の顔には自信が溢れていた。
 それは今までずっと横島達を引っ張ってきた確固たる強さだった。
 そんな彼女の姿は、この血生臭い戦場にも関わらず、輝かんばかりに美しかった。
 まるで戦乙女のような美神の姿に、横島は思わず状況を忘れてくらくらとする。

「ほら、早くしなさい。あいつ、戻ってきたわよ」

 どやされて空を見ると、遠くに小さな黒い点が見える。
 ようたく我に帰った横島はそれまでずっと温存していた『同』『期』の文珠をとりだす。

「美神さん、合体します。最後は美神さんが決めてください!」

 そういって『同』の文珠を投げる横島。

「あら、私に華を持たせてくれるの?気が利くようになったじゃない」

 軽口を叩くと美神はそれを受け取り発動させる。

「「同期!」」

 その瞬間、かつて魔神に一撃を与えた奇跡が発現する。
 彼女から吹き荒れる霊力が突風を巻き起こし、ジークフリードすらも圧倒する。
 両者の霊力の流れは、その方向がぴったりと重なって美しく共鳴し、ほんの僅かなずれすらない。
 横島と美神しか知らない事だが、確固たる信頼関係を築いていた二人の合体はアシュタロス戦の時よりも遥かに安定していた。

「へーえ、悪くないじゃわね。なかなか様になってきたわよ、横島くん」

 横島の抜群の霊力制御が気に入ったのだろう。美神は彼女らしからぬ素直な賞賛を送る。
 そのまま剣に変えた『竜の牙』と盾化した『ニーベルンゲン指輪』を構えるとジークへと向き直る。

「ジーク、魔力はどれだけ溜まった?」

「キャパシティーの半分近くまで回復しています。これだけあればグラムを開放するには何の問題もありせん」

「分かったわ。それじゃあ、体勢を崩してくるから、あんたは止めを刺すことに集中しなさい」

 気軽に言い残すと彼女は素晴らしいスピードで空飛ぶ竜へと向かっていった。
 その姿は弾丸のような勢いで一直線に魔竜の胴体に接近してゆく。

「無茶だ!」

 本来は魔界でないと引き出せない高密度の魔力を全身に高めながら、ジークフリードは思わず叫んだ。
 横島は散々見たではないか。あの魔竜が翼とブレスで超音速のミサイルすら事も無げに防いだのを。
 現在の彼女のパワーは確かに素晴らしい。しかしそれでもそのスピードはミサイルには及ばない。
 ましてあの合体技は長時間使用できないと聞いている。
 あれでは防御にまわった魔竜に決定的な一撃を与えるには時間がかかりすぎる。
 それなのに、何故2人はあのように真正面から突っ込んでいくのだ!


 

 竜は向かってくる美神を脅威と認めたようだ。
 その目が彼女を捕らえると同時に動きが止まる。

「ゴアァァァ」

 雷鳴の如き魔竜の咆哮と共に、猛り狂う魔力の波動が美神の心臓を握り潰さんと激しく吹き荒れる。
 だが圧倒的な霊力を纏った美神は微塵もひるむことなく竜に向かって飛んでいく。
 両者の距離が詰まる。
 流星を思わせる勢いで駆ける美神を前に魔竜は完全に迎撃体勢を整えた。

「面食らってるようね、ジークは。でも心配いらないわ。
 だって、あいつはこちらの攻撃を決して避けないもの。
 こいつみたいに使うこともできないくせに、金にしがみくやつを見るといらいらするのよね。
 だからここで私が引導を渡してあげるわ!」

 激突する寸前、襲い掛かる魔竜の一撃を直前にしながら美神が口元を歪めて不敵に笑った。




 そして両者が交差した瞬間、完璧のはずだった魔竜の迎撃体勢は何一つ機能しなかった。






───伝説にいわく、巨人族の血を引くその男はニーベルゲンの財宝を手にするために父を殺める。
   財宝を手に入れたその男は竜に姿を変えて、決してそれを離すことはなかった。


「ジークのグラムがあいつの天敵なら、『ニーベルゲンの指輪』は、やつにとっては何を犠牲にしても守るべき財宝の一部。
 守るべき財宝を傷つけるような行動はとりえないわ。故に、私を迎撃することは不可能!
 伝承に縛られて財宝に執着するあの竜が、この指輪を前に回避行動を取ることも不可能!
 そして『竜の牙』なら鋼鉄すら凌駕する竜の外皮すらをも切り裂ける!」



 そう。美神は己の一撃を魔竜が避けない事を確信していた。
 その確信の上で、一直線に駆ける事で最大限の加速を得る。そしてその全てのベクトルを魔竜に叩きつけたのだ。
 神族、魔族が扱う武具すら使いこなす美神だからこそ生み出せた一撃は、魔竜の鉄壁の防御を完全に打ち破った。
 西条の奮戦。ジークフリードの分析。リンツ達の覚悟。唐巣の粘り。
 それらの全てが軍やオカルトGメンの通信を通して美神に伝えられ、魔竜の特性を、そしてその弱点を暴いて彼女の確信を生んだ。
 彼らの流した血が、彼らの願った想いが、この瞬間報われたのだ。
 


 直撃を受けた魔竜の体には大穴が開いていた。
 強靭な鱗は半分以上が吹き飛び、その胴体からは大量の血が流れ出している。
 体から放たれる威圧感は著しく衰え、瀕死のダメージを負っているのは隠しようもない。

 もうすぐ蘇生が始まるだろう。
 けれども今はジークフリードを遮る障壁は何一つ存在しない。
 既に核となっている黄金は、美神たちの一撃によって露出している。
 目を凝らさずとも黄金の放つ禍々しくも美しい輝きが目に入ってくる。

 西条らのオカルトGメン、唐巣や横島らGS達、そしてリンツら第一中隊の兵士達の命を掛けた死闘が、
 力無き者達を守る盾となった戦士達の執念が、彼らが守りたいと願ったどこかの誰かの未来のためにこの状況を生んだのだ。
 それを確信したジークフリードは、戦友達の想いに、彼らの願いに応えるべく高めた魔力を解放させる。
 その刹那、先ほどまでとは比べ物にならない大きさの魔力が溢れ出す。

「起きろ、グラム!」

 魔族の衝動をも解き放った彼は獰猛な気分に包まれる。
 もう力加減が効かない。おそらくこの一撃は軌道上の全てを破壊しつくす。
 今の自分に与えられた時間は、竜の所まで飛んでグラムを一振りするのが限界だ。
 だが、心配はいらない。空に浮かぶ魔竜はありえない筈の直撃を受けて完全に沈黙している。
 だから、今ここで、やつを、殺す!

「ああああぁぁぁぁぁ!」

 咆哮と共に宙を駆け抜けるジークフリード。その手の中には彼の生涯を彩った破滅と栄光の魔剣グラム。
 それを手にして竜に立ち向かう彼の姿は威風堂々。
 開放した魔力は発光と鳴動を生み出し、彼自身から放たれる威圧感は魔竜のそれを凌駕する。
 まさしくこの地に伝わる神話の中でも最大の英雄に相応しい雄姿である。

「消え去れ!」

 射抜けとばかりに空を駆け上がるその姿は、摂理に逆らって遥かな天頂を目指す彗星。
 一陣の光と化しながら、なおも彼は加速を続けて虚空にその身を奔らせた。
 ジークフリードが、いや、ジークフリードの化した一陣の光が、吸い込まれるように動かぬ魔竜へと迫っていく。
 風を纏い空を駆る光の彗星と伝説の黒い飛竜の末裔が激突した瞬間、生じた閃光と爆砕と轟音が世界を震撼させる。
 ……………そうして。
 光が消え去った後に残されたのは、竜の核の黄金をジークフリードのグラムが貫いている姿だった。

「グルウウゥゥァ、ガアァァ!!」

 天雷の響きにも似た断末魔の咆哮をあげると竜は空高く飛び上がっていった。
 グラムの一撃が、竜殺しの名を持つ魔剣が黒竜の核であったラインの黄金を完膚なきまでに打ち砕いた。
 それにより、黒竜のその不死性を消し去られ、更に竜をライン川に縛り付けていた執着も消え去った。

 黒竜の体はずたずたに引き裂かれ、その骨は断ち切られ、紫色の液体を流している。
 既に死に体でありながらも竜はそれでも天を目指して一直線に飛翔していく。
 それはまるで太陽に挑むかのように大胆で、空を抱きしめるかのように一途であった。
 やがて竜の姿は溶けていくように薄れていく。
 そしてその体もその夥しく流れた血も幻であったかのように空の中へ消え去っていった。
 



 ……音が止んだ。
 その光景はまさしく幻想だった。御伽噺の中にしか存在しないような竜殺しの冒険譚。
 神話の大英雄ジークフリードは、人々が思い描く最強の幻獣、ドラゴンを正面から切り伏せた。
 それは、人が人外を越える可能性。それは魔族が人を助けた物語。
 灰も残さず消えていった竜の姿と力を使い果たしながらも堂々と地に降り立つ彼の姿は神々しさに満ちていた。
 それは人々の宗教的な観念や常識を越え、まだ少年だった頃に胸に抱いた幻想を、幼い頃に夢見た物語を胸に蘇らせていく。
 誰しもが無言でその胸に憧憬と懐古の念を抱きながらジークフリードの姿を見つめている。

 やがて結界の向こう側から黒竜の死を見届けた人々の中から少しずつジークフリードを称える声が漏れ出す。
 それはうねりとなって広がっていき即座に大歓声へと変化する。
 凶悪な竜を猛威の前に心が折れかかっていた人達の誰しもが、ジークフリードによって救われた喜びと感謝を共有していた。
 
「Sieg、ジークフリード! Sieg、ジークフリード!!」
 
 彼の姿を目撃した者達は、ジークフリードが魔族であることも忘れて彼の名を叫び、彼を称える。
 それは途方もない歓喜であり、憧憬であり、そして感動の発露だった。
 一流のGS達が、ベテランのオカルトGメン達が、歴戦の軍人達が、そしてライン川沿岸に住んでいた避難者たちが、
 これを見ていた全ての人がかつての大英雄を称える。中には涙を流して、絶叫する者までいる。
 この瞬間、彼らの心にはかつてこの地に君臨したジークフリードの伝説とその雄姿が刻まれたのだ。

 
 強大な悪夢の前に絶望の海に沈んでいた人達のために剣を取った英雄は、
 盾を構えた光の戦士と共に、大地に希望を、空に静寂を取り戻すために天翔る。
 それはきっと御伽噺。誰もが笑う御伽噺。
 されど彼らは笑わない。彼らはきっと信じ続ける。魔族となった1人の英雄の物語を。
 彼らの生涯が終わるその日まで、彼らは子や孫や友人にその伝説を語るだろう。
 ある魔族がライン川に接する国々の危機を救った御伽噺は、伝説として永遠に語り継がれるだろう。




 今ここに、新たなる伝説が、語り継がれる物語が誕生した。
 それは魔族の物語。それは人間の物語。
 眩い伝説を紡いだかつての英雄は、黒い竜を打ち倒して多くの人々を救い出し、再び英雄と呼ばれる事となった。
 かくして語られるべき伝説が生まれ、少年の物語は語られぬままに空に散って消えていった。
 誰が邪悪な存在なのか。どうして竜は生まれたのかも知られることもなく。
 語り部が消えた物語は新たな章が紡がれる事もなく、もはや追憶の中にすら存在しない。

 誰も知るまい。少年の受けた絶望を。
 誰も知るまい。少年が抱いたささやかな望みを。
 誰も知るまい。飛翔を続けながら消えていった竜が空を見ながら微笑んだ事を。
 誰も知るまい。少年の物語が消え去った事すらも。
 厚い信仰心と傷だらけの心と紙一重の憎悪を持つ母親と、空への憧憬を抱いていた少年を記憶に留める者などない。
 だからこそ人々は気がつかない。人外の存在を頑迷に否定、排除、無視する事の愚かしさを。
 かくして伝説は語り継がれ、密かに起きた悲劇は人知れずに消えていく。
 …………たった一人の例外を残して。



 死闘の翌日、横島は密かにホテルを抜け出すと残っていた記憶を頼りに少年の家があった場所を探し出した。
 完全に瓦礫と化したその場所には、人の生きていた証など微塵も感じ取れない。
 瓦礫をどけて、土を剥き出しにする。竜が生まれた場所であるのに、いや、だからこそなのかもしれない。
 その土は僅かに湿り気を帯び、毒にもやられておらず、栄養状態も悪くないようだ。

「こんな所でもお前にとっては故郷だったんだな。
 こんな場所なんか捨ててとっとと逃げられりゃあ良かったのにな」

 竜が消える瞬間、『模』していた影響なのか、横島は竜の思念を僅かに感じ取ってしまった。
 黄金の呪いから、そしてそれが生み出す執着から開放された竜の魂が放った思念は、
 己を虐げた者達への怨嗟の叫びでもなく、自らを襲った理不尽な運命への絶望でもなく、ただ1つ許された夢への憧憬。
 何処までも青いこの空を見て、その空を飛んでいる喜びに打ち震えながら、少年は静かに消えていったのだ。
 その思念を感じ取った瞬間、横島の脳裏には必死で封じ込めていた竜の記憶が、その狂気が、垣間見てしまった絶望が蘇った。

「やりきれねえよなあ。生まれる場所と生まれる理由を選べないやつが、何にもしてないのにレッテル貼られるなんてさ」

 邪悪など最初から存在しなかった。
 あったのは虐げられた少年とその少年の嘆きと血と投げかけられた呪いの言葉に反応した財宝だった。

 どうということもない人の営みも、思い込みと先入観はそれを別のものへと変貌させる。
 そしてその結果から生れ落ちるのは、愚かさと弱さと狡さが混ざり込んだ救い難い悪意。
 理解する前に邪悪と決め付け、結果的に竜を生み出した価値観こそが諸悪の根源だと見なす事すらできるのだ。
 宗教の教義も神の救いもこんなものを助長していたというのなら、今回の件はまさに滑稽な悲劇と言うしかない。
 或いは因果応報と言うべきなのだろうか。

「これが墓石の代わりだ」

 彼はポケットから種を数粒取り出した。

「こいつの花も空が大好きなんだよ。これからはこいつがお前の代わりに太陽を向きながら高く伸びていくさ。
 こいつの花はな。『太陽に向かって咲き、日について廻る』って誤認されてから、この名前がついたんだぜ。
 どうせ先入観で誤認されるんならこういう方が、よっぽどましだろ」

 それは向日葵の種だった。
 ギリシャ語で「太陽の花」と呼ばれるこの植物は、この場所ならば人間の背丈よりも大きく育っていくだろう。
 そして、きっとこれからは、この場所には空と太陽に向けてひまわりの花が咲き乱れる。
 ただ一度の理解もなく、ただ母の笑顔と空に還る事を夢見た少年。
 その花は、きっと少年が大事に思っていた母親の笑顔のように、おおらかで、明るく、そして美しく咲くのだ。



 種を植え終わると、横島は手を合わせた。
 竜のせいで多くのものが失われ、多くのものが危険にさらされた。
 その中にはもう決して取り返せないものもあるだろう。
 だから被害者達が竜を憎むのも、竜を滅ぼしたジークフリードを称えるのも当然の事なのだ。
 けれど、それでも、自分が彼に哀惜の念を抱いてしまった事をどうか許して欲しい。
 ここに来る事も、竜の事も誰にも言っていない。だからこれは単なる自己満足。知ってしまった者のせめてもの務め。


 もはや語るべき事などない。
 GS達は竜を打ち倒し、魔族の青年は竜の核を砕いてその脅威を消し去り英雄となった。
 横島の記憶に留まる物は、血塗れの戦場と歓声、滑稽な悲劇と英雄譚、そして竜の過去と少年が抱いた願いだけだった。

 立ち上がって少年の墓に背を向ける。
 さあ、歩いていこう。少年が少年の夢へと辿り着いたように、横島も横島の道を進んでいく。
 人と人外の存在の共存の道は遥かに。 
 魔族の血を引き竜となった少年の過去を胸に、横島はその果てを目指して遥かなる路をゆく。


 
 魔族は敵。魔族は悪。
 皮肉にもそれは、一匹の飛竜と英雄を生み出した。
 皮肉にもそれは、魔族が人間を助けた、という物語を生み出した。
 竜と人間と魔族の戦いは、発表の取材に来ていたメディアの関係者によって編集され、テレビ中継で世界中に発信された。
 その映像により、世界中の人々は否応なく実感させられた。
 魔族は必ずしも敵ではないことを。

 …………そうして。
 その出来事を、その想いを糧としながら、世界は物語を紡いでゆく。
 悲劇を経て、傷痕を残し、伝説の誕生に立ち会った者達も、その歩みを止める事はない。
 朝から夜へ、夜から朝へと移りゆく時の流れに乗って、物語は伝説を語るためにくるくるとくるくると紡がれていく。
 そこには輝きがあった。勇壮な伝説があった。希望があった。そして、真実はなかった。
 やがて語り継がれた物語は…………


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