椎名作品二次創作小説投稿広場


そして続く物語

少年と竜と呪われた財宝


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 5/ 4

 彼女は絶望していた。
 一縷の望みを託した今日の日本人の発表でも、人と魔族の共存の可能性には触れていなかったから。
 彼女は嘆いていた。
 彼女と息子が普通に暮らしていける術を思いつけなかったから。

 彼女は善良で信心深いクリスチャンだった。
 それゆえにかつて彼女が魔族としか思えない男の暴行により望まぬ子を宿した後も、
 中絶する事も罪に慄いて自ら命を絶つ事も出来なかった。
 クリスチャンにとって自殺は劫罪。故にその罪の重さは殺人以上かもしれないのだ。

 やがて彼女は男の子を産んだ。
 そして、その子を産んでから数年後、彼女に再び絶望が訪れた。
 それまでは人間と変わらなかった息子の体には、人間には絶対に無い特徴が現れていた。
 彼の体の各部分には、硬くて黒い鱗のようなものがついてきたのだ。
 それ以降、彼女は息子が他の人間と交流を持つことを禁じていた。
 幸い肌をさらさないような服を着ていれば、その変わった特徴は人目に触れなかった。

 そして数年前、うっかり服を脱いでしまった所を目撃された彼は、
 良く顔を知っている隣人達から追いかけられ、投石など迫害や罵り言葉を浴びた。
 その時、咄嗟に顔を布で隠していなければ彼も母親も生きてはいられなかったかも知れない。
 ライン川に飛び込むことで数々の擦り傷や切り傷と引き替えに彼は運良く正体を悟られずに逃げ切ることができた。
 それから彼は自分が許されない存在であることを感じてあまり外に出なくなり、いつも空を眺めてすごすようになっていった。

 ここで、もし彼女が発表の当事者である日本人の青年に、人と魔族との共存は可能でしょうか、
 と問いかけていたならば或いは彼女は救われたかもしれない。
 青年はきっと笑顔で、可能ですよ、と肯定してくれただろうから。

 けれども、彼女は恐れていた。
 質問をしたときに、何故そんな事を聞くのかと問い返されたら、きっと何も答えられないだろうから。
 虚言で人を誤魔化すのは彼女の信仰心が許さなかった。

 日本の発表者の中には神父らしき人の姿もあった。
 もしも彼が自分の息子の正体に感づいたら、きっと神父は自分と息子を断罪するだろう。
 異端は認めない。異端になってはいけない。だからこそ自らの心身を清くして生きていけ。
 それが彼女の両親や幼い頃から教義を受けていた神父が彼女に残していった教えだったから。

 絶望しながら家に戻ってきた彼女を迎えたのは、黄金の珠を持っている息子だった。
 彼は母の様子を気遣いながらもそれを差し出してきた。
 それを震える手で受け取った瞬間、彼女の顔色が変わる。
 そしてすぐに彼女は金切り声を上げて珠を息子に投げ返した。

 それは巡り合わせが悪かったとしかいえない。
 厚い信仰心を持っていたが故に、彼女は手に持った瞬間に黄金の放つ禍々しさに気がついた。
 キリスト教が異端としている魔族が放つような波動と魔力。
 そうと分かったわけではないが、本能的に彼女はそれを恐れ、そして平気な顔で黄金の珠を持っていられた息子を恐れた。
 それ故に彼女は思わず叫んでしまったのだ。お前なんか呪われてしまえ、と。
 
 呪われてしまえ。母から黄金を投げ返されて、慌ててそれを受け取った瞬間、少年の耳にその言葉が飛び込んできた。
 その瞬間少年の手にした黄金が光を放つ。同時に少年の心にどす黒いなにかが大量に押し寄せてきた。
 身を屈めてそれに耐えようとする少年の耳に次々と呪いの言葉が飛来する。
 それは母の声音で少年の心を攪拌していく。少しずつ削られていく彼の理性。
 飛び散っていく彼の想い。薄れていく母の笑顔と空への憧れ。
 頭の中に飛び込んでくる呪いは、黒い泥のように彼を塗りつぶしていく。
 やがて少年の視覚が消える。次いで聴覚。そして嗅覚と味覚。最後に触覚。
 何もない暗黒の虚空の中で少年は絶叫を上げて、必死で何かを掴もうと手足を激しく動かした。
 突如右手に感覚が宿る。爪の先と指が痛み、手と手首が温かい。なんだろうと思って少年が右手に目を向けた瞬間、視界が開ける。
 そこには少年の右手に心臓を貫かれてもはや二度と笑みを浮かべることの出来なくなった母の姿がった。
 唖然としていた少年と少年が持っていた黄金の珠が、彼の母の心臓から吹き出した血によって赤く、紅く、アカク染まっていく。
 黄金の輝きはそれに伴ってどんどん強くなり、少年の中に入り込んでくる得体の知れない何かも勢いよく成長していく。
 やがて母が倒れて動かなくなった頃、真っ赤に染まった少年は虚ろな目で手にした黄金をしっかりと握り締めながら立っていた。
 黄金から血が滲み、彼の体に大きな魔力が流れ込む。
 それは彼の体を駆け巡ってその体を変容させていく。やがて少年の体は…………







「殺る気満々な化け物だな」

「凄い殺気だよ。君がまた何か神族か魔族にでもちょっかいかけたんじゃないのか?」

 横島と西条の毒舌にもいつもキレがない。
 竜が近付いてくるにつれ、そこから発せられる膨大な魔力と、威圧感、更に殺気が彼らを貫いた。

「話し合いで平和に解決っていうのが君達の仕事の一環じゃないのかい?」

「普通ならあんなのを相手にする時は、こちらも神頼みだよ。ヒャクメは戦力的には頼りなさそうだけどな。
 あの竜、どれくらいだと思う?」

「あの魔力の大きさだと、フェンリル狼やパピリオ以上だろうね」

「同感…………逃げたくなってきた」

 その瞬間、会場付近まで接近していた竜が、ゆっくりとすぐ近くに舞い降りてきた。

 竜の襲来は、人々をパニックへと陥らせた。竜が通過する時の風圧だけで、その軌道付近にあった建物のガラスに皹が入っていく。
 なによりも竜が放つ圧倒的な威圧感が、人々に恐怖を与えるのだ。即ち、アレから遠ざからないと確実に死ぬ、と。
 郊外とはいえ、この周辺にもそれなりの数の人が住んでいる。
 悲鳴や怒号、そして祈りの言葉が彼処から聞こえてくる。
 彼らは或いはパニックを起こし、或いは恐慌に陥り、或いはショックで気絶しているのだ。

 その中で、高い霊力や実践経験豊富なGS達は踏みとどまって、何かしらの役割を果たそうとしていた。
 おキヌは笛を吹いてパニックが伝染するのを防ごうとし、
 秋美は悲鳴が木霊して声が聞き取れない混乱の中で能力を駆使して適切な情報を与えようとしていた。

 そして、西条、唐巣、横島らは、竜に立ち向かうべく、会場を抜け出していた。
 開けた場所に出た途端、彼らの視線のすぐ先には、あのフェンリルをも上回る巨大な黒い竜が大地に降り立ちその威容を現していた。
 そこから感じ取れる桁外れの魔力と存在感は、容赦なく襲い掛かり彼らの心を侵食しようとする。
 アシュタロスとも相対した彼らですら心に生じる戦慄を押さえ込む術がなかった。
 
「逃げないのかい、横島くん。別にオカルトGメンに協力する義務はないよ」

「………逃げてえよ。逃げていいんだったらすぐにでも逃げ出してえよ。
 でも、おキヌちゃんや秋美さんを残して逃げられるかよ、畜生!」

 脅えた顔をしながらも歯を食いしばりながら全力で前に駆け出した横島を見て西条は満足げに笑った。
 それでいい。強制などせずともこういう展開で彼が逃げだす事などありえない。
 突っ込んでくる彼に向けて竜は口を開く。

「やらせはせん」

 そのあいた口に向かって西条が銀の弾丸を撃ち込み、唐巣が霊波を放つ。
 それは見事に竜の口の中に吸い込まれ、竜は暴れまわった。
 その隙に接近した横島が霊波刀を伸ばして突き刺そうとするが、

「刺さらない!?」

 霊波刀の先端は竜の黒い鱗に阻まれる。
 一瞬それに唖然とするものの、横島は更に距離を縮めて鱗に切りつけた。

「これも駄目かよ!」

 なんと横島の最大出力による霊波刀の斬撃すらも、この鱗を切り裂く事は出来なかった。
 そこへ竜の視線が横島を捕らえる。

「危ない、横島くん!」

 竜が腕を振って横島のいる空間を薙ごうとした瞬間、横島の体に霊波がぶち当たり、彼の体を10mほど弾き飛ばした。

「唐巣さん!?………助かったけど、痛いっすよ。出力が大きすぎなんじゃあ」

「問題ないよ、横島くん。こういう場合は緊急避難と労災が適用されるから」

 すぐに立ち上がって文句を言う横島に、唐巣は涼しい顔で答える。
 その瞬間、西条の叫びが響き渡った。

「全員、霊力で防御しろ。咆哮が来るぞ!」

 横島が視線を竜に戻した瞬間、存分に息を吸い込んだ竜はとてつもない叫び声を上げた。
 その叫びはガードの遅れた横島の心を揺さぶり、その精神に少なからぬダメージを与えた。
 心臓が鷲づかみにされたような感覚。息苦しくなって同時に呼吸が荒くなる。
 急に目の前の竜が大きく、そして獰猛になったような気がする。
 思わず目を逸らして頭を振った瞬間、ぐらりと意識が遠のいて溜らずに膝を突いた。

 力のある竜が魔力を込めて咆哮を上げたとき、その声には相手に恐怖を与える性質が宿る。
 至近距離で魔力を帯びた咆哮を聞いてしまった場合、霊力でガードしなければ否応なく大きな恐怖を感じてしまう。
 性質はシロやマーロウの退魔の吠え声に似ているが、こちらは心臓を凍りつかせる絶叫といったところか。

「横島くん!」

 唐巣の声に反応してなんとか顔を上げた横島の視界に、何人もの人間が倒れ込んでいる姿が映った。

「西条、後ろ!」

「しまった。一般の方々が!」

 横島の声に反応して振り返ると、そこには霊能力のない普通の市民が何人も倒れている。
 近距離から浴びせられた竜の咆哮は彼らの心を握りつぶし、その恐怖によって彼らは気を失ったのだ。
 視線を竜に戻した瞬間、西条の顔が凍りついた。竜が僅かに前傾姿勢になって少し翼を広げている。
 どうやらこちらに突進してくるつもりのようだ。
 しかしこの状況では、それをかわす事は後ろに倒れている人たちの死を意味する。

「くっ!」

 西条は足を止めて、霊力を手に集中して壁を作り出す。唐巣は聖の結界を、他のGS達も己の霊力でガードする。
 竜から放たれる魔力が強まり、その凄まじさに西条は死を予感した。
 けれど、それでも彼は無駄とは思いつつもガードを固める事をやめなかった。
 理屈ではない何かが彼をその場に留まらせるのだ。それが何かは分からない。
 分かっているのはここから退いた瞬間、西条輝彦が西条輝彦でなくなってしまうという事だった。
 西条たちが覚悟を固め、そして竜が地を蹴った瞬間、横合いから魔力が迸り竜の体を弾き飛ばした。

「皆さん、無事ですか!?」

 そこには妙神山にいるはずのジークフリードの姿があった。

「ジーク、どうしてここに!?」

「先ほど連絡を受けた妙神山にはたまたまヒャクメが来ていまして、彼女が千里眼を使ってこの場所を確かめたんです。
 それで緊急事態という事で、僕が鬼門の能力でここに派遣されました」

「よく魔族が人間界に出張する許可が下りたね」

「ええ、ヒャクメ様が千里眼を使って分析したところ、あの竜は僕と因縁がある存在のようです。
 あの竜は神魔の竜族ではなく、なにかが媒介となって竜に変じた存在のようです。
 そしてその竜の核になっているのは、ライン川のどこかに沈んでいるはずのニーベルゲンの財宝の一部(ラインの黄金)だと分かり、
 僕にその奪取もしくは破壊が任されました。
 元々あの財宝は僕の死に絡んでライン川に捨てられたものなので、今回の件は僕にも無関係ではないんです」

 話している間にも竜は立ち上がって飛翔を始めた。
 竜をこの場から引き離さんとして、ジークフリードは飛び上がって体当たりを仕掛ける。
 しかしその弾丸の如き一撃は、竜の体を数十メートル下がらせただけだった。
 動きの止まった所で竜はその巨体を振って、至近距離から銃弾を叩き込もうとしたジークフリードを跳ね飛ばした。

「僕のパワーを真正面から受け止めた!?こ、これはかつてのファーブニル以上の戦闘力だ」

 跳ね返されたジークフリードが驚愕の声を上げる。
 そこへ、ジークフリードに襲い掛かろうとする竜の前に飛び出した影があった。

「サイキック・猫騙し!」

 両手に高めた霊力をぶつけ合わせて閃光を生み出すその技が刹那、竜の視界を白くする。
 それによって横島は竜の気を逸らすと、

「そしてゴキブリの様に逃げる!」

 竜の頭を乗り越え、その背中を滑るようにして逃げていく。
 竜が横島を振り払おうと体をよじった瞬間、その後頭部にGS達が放った霊波が突き刺さった。
 たとえ鱗を貫かなくとも、霊波は竜の魔力に干渉し、僅かでもダメージを与えるのだ。

 その間に、数人のGSが後ろで倒れている人間を抱き上げて会場に運び込み、
 ジークフリードは竜の霊核である黄金の波動と魔力を分析するために感覚を高めた。
 数秒後、再び彼の顔は驚愕に彩られた。

「まさか、超克したのか!」

「超克?」

「はい。キリスト教の隆盛と共にオーディン達の神話はキリスト教の伝説と融合させられ、
 オーディンが主神ではなくなったように、この地の神々と悪魔達の伝説は駆逐され、あるいは格下の存在となっていきました。
 ですが、もしあの伝説に関わる存在、今回の場合はラインの黄金とその所持者ですが、
 その者が自分よりも格上の存在であるキリスト教の関係者を、何らかの手段で超えてしまえば話は別です。
 その存在はキリスト教を部分的に超克し、キリスト教に抑えられて来た格を上げて、かつての伝説の力を取り戻します。
 今回の場合、媒体となったラインの黄金はより強い魔力と呪いを獲得し、
 所有者に大きな災いをもたらすと同時に圧倒的な力を与えるでしょう。
 竜族ではなく巨人族だったファーブニルを強力な竜に変えたように」

「それではあそこの竜は、なんらかの方法で超克を果たし、
 それによって大量の魔力と強力な呪いを浴びて飛躍的にパワーアップした存在の末路というわけか」

 話しながらも西条はこちらに向き直った竜の目を狙って射撃を開始した。
 先ほどの横島のサイキック・猫騙しが効果があったことから、目による攻撃が有効だと推測したのだ。
 そしてそれは狙い過たず、竜の左目を貫いてその顔を地に染めた。
 再び響き渡る怒りをも込めた竜の咆哮。しかし、今度は精神のガードも充分に固めていた西条たちは怯まずに攻撃を続けていく。

 突然巻き起こる旋風。
 同時に飛翔する竜。その翼を広げた竜の姿はまさに圧巻の一言だった。
 それは何と禍々しく、雄雄しく、美しいことか。
 飛翔する黒い竜の凶悪さと神々しさの入り混じった姿は、黒衣の死神のそれを思わせる。
 だが黒い竜は死神ほど理知的でも慈悲深くもなかった。
 高く飛び上がった竜は、無傷の右目で西条たちを睨みつけると急降下して襲い掛かる。
 それは巨体の重量と落下速度と魔力による圧倒的な暴力の具現。
 四肢とその爪には膨大な魔力が込められ、己の目を傷つけた矮小な存在を押し潰さんとする。
 その一撃は大気圏を越えて飛来する隕石の如く高速で襲い掛かり、竜が大地に接触した直後、すべては薙ぎ倒された。
 上空から舞い降りた竜の爪と魔力は地を抉り、破壊を撒き散らしながら、その爆撃の中心地に半径数mのクレーターを出現させた。
 飛び退って回避したGS達を猛烈な勢いで飛び散るアスファルトの破片が傷つけていく。

「はは……はははは……」

 後ろに跳びながら霊力でガードを固めていたおかげで危うく難を逃れた西条は、思わず笑っていた。
 幸い先ほどは左目が傷ついていたせいで照準がずれたようだが、
 こんな攻撃を、こんな理不尽な破壊を、どうやって防いだらいいというのか。
 圧倒されたのは西条だけではない。戦場にいるGS達も呆けたように竜と竜の撒き散らした破壊の痕を見ていた。

 勝てるわけがない。その弱気がGS達の心に忍び寄る中で、横島はある文珠を握り締めていた。
 それを使えば、この場を凌げる可能性はある。
 しかし、知性もなく破壊衝動だけでうごいているようなあの竜にこの方法を使えばどうなってしまうのか、その恐れが彼を躊躇させた。

「横島さん!」

 不意に背後におキヌの声が聞こえた。

「おキヌちゃん、来ちゃ駄目だ!」

 そう言って背後を振り返った横島の視界に息を切らせているおキヌの姿が映る。
 直後に響き渡る竜の咆哮。目を戻すと竜が再び飛翔を開始している。
 その狙いは、まだ大勢の人間が、秋美が残っているはずの会場。

「ふざけるなぁ!」

 横島は絶叫すると、迷いを捨てて『模』の文珠を作用させた。それと同時に彼の体が黒い鱗に覆われていく。
 それをも意に介さずに、彼は凄まじいスピードで走り出すと高く跳躍し、そのまま飛翔する。
 毒のブレスを撒き散らして飛び回る竜に横島が高速で体当たりする。
 今の己の出せるフルパワーでぶつかったその衝撃は、竜の不意を突いたことも相まって、竜を南東に数百メートル弾き飛ばした。
 体当たりの後、一瞬よろける横島。しかし、彼は歯を食いしばって更なる追撃をかける。
 一撃、また一撃と体当たりが敢行され、その度に竜の体は会場から離れていった。



「おキヌちゃん、一体どうしてここに?」

 問いただす西条に、おキヌはすまなそうに頭を下げた。

「すみませんでした。美神さん達と連絡が繋がって、こちらの状況を伝えてそれで伝言を受け取ったので慌てて来てしまったんです」

「そうか。それで、令子ちゃんは何と?」

「美智恵さんと藤田さんが六道家にも頼んで日本GS協会を動かすそうです。
 美神さんは現在こちらに向かうために事務所を出たそうです」

「分かったよ。これから僕達は竜を追うから、君はここで負傷している方々にヒーリングを施してあげてくれ」

 そういうと西条は唐巣達の後を追った。
 すぐにか彼やジークフリードに追いついていく。
 その時、情報仕官として先ほどの攻撃を分析していたジークフリードが呟いた。

「あれほど強靭な肉体と魔力。いくら超克を果たしたとはいえ、異常すぎる」

「何か別のファクターがあるというのかい?」

 それに反応した西条の言葉にジークフリードは己の分析を足を止めずに説明してゆく。

「元々財宝の呪いが本格的に起動するのは、財宝を手放した所有者が新しい所有者に向けて呪いの言葉を発した時なんです。
 また竜に変身するほどに大きな魔力が流れ込むのは、
 何らかの大きな禁忌を犯して、呪いを受けるに相応しい穢れた存在でなければいけません」

「例えば、伝承にあるように親殺しか」

「はい。親と宗教的な上位者を殺してその血を浴びれば、呪いと魔力を受けるには充分すぎるほどの穢れになるでしょう」

「つまり、あの竜はその全てをやった可能性があると」

「でなければ、人間界であれほどの戦闘力を発揮できるほどに変化するとは思えません。
 あんなのと勝負になるのは、人間界にいる存在の中では老師しか思い浮かびません」

 その時西条は、美神が使っていた魔具を思い出してジークフリードに怒鳴った。

「令子ちゃんが持っている指輪は大丈夫なのかい!?
 あれはニーベルゲンの財宝の中でも特に強い魔力を帯びていたんじゃないのか!?」

「あの指輪に限っては大丈夫です。
 僕達がかつて神族になったときに、あの指輪だけが単体で強い魔力を放っていたためにその当時の上級神によって拾い上げられ、
 そこで長い年月をかけて呪いを解かれたうえで姉上に返還されたのです。ですからあの指輪には呪いはありません」

 それを聞いて安堵する西条にジークフリードは苦い顔で告げた。

「しかし、ライン川に他の財宝が捨てられてあちらこちらに散在するようになってから、長い間が経ちました。
 それによって財宝は徐々に川と一体化していきながら、
 ライン川の魔力を少しずつ吸収して膨大な量の魔力をストックしていたようです。
 おそらくライン川全体の魔力が高くなったように感じたのは、
 最大限まで魔力をストックした黄金が吸収するのと同時に川の全域に魔力を放出していたせいでしょう。
 それが長い時間をかけて行われたカモフラージュ同然の効果をもたらし、
 皆さんに異常らしい異常はないと思わせていたのだと思います」


 しばらく無言で走った後、西条は先ほどの竜の爆撃を思い浮かべながら尋ねた。

「君はあの竜がファーブニル以上だと言ったが、ファーブニルには空を飛ぶという伝承はほとんどなかったね」

「ええ、ファーブニルはあんなに立派な翼などなかった。あれはむしろ飛竜、黒い飛竜ニーズへッグのようです」

「そ、それはファーブニル以上の化け物じゃないか。
 ラグナロク以前は最も邪悪だといわれ、世界からエネルギーを吸い取っていたあの竜か」

「ええ。ラグナロクの時に僕はヴァルハラを守る戦士として、少しだけニーズヘッグを見た事がありますが、
 あれにファーブニルの特徴を混ぜると目の前にいる魔竜に似ています」

「そのニーズヘッグは今でも魔界かどこかで生きているのかい?」

「はい。ニーズヘッグはラグナロクを生き延び、今は魔界の奥底に潜んでいる筈です。
 少なくともあの黒い竜はニーズヘッグではありません」

「しかしフェンリル狼が大神族という血筋の人狼を残したように、
 財宝の呪いを受けた存在がシロくんや犬飼のように僅かとはいえ神々の血筋をひいている存在がいないとは限らないか」

 それまで黙って話を聞いていた唐巣が口に出した言葉に西条は己の記憶からある結論を導いた。

「犬飼ポチが八房使って先祖帰りを果たしてフェンリル狼の力を得た現象!?」

「おそらく最悪のケースだ。呪いの言葉による財宝の呪いの発動と親殺しの因果。更に超克。
 それにより増幅された呪いと魔力の受け手となった所有者の潜在能力が一気に開放されて、先祖帰りを起こしたんだ」

 食いしばるようにジークフリードが告げ、唐巣も頷いた。
 この瞬間、彼らは再び神話に登場する伝説の存在との戦いを余儀なくされることを思い知らされたのだった。
 やがて無言で走り続ける彼らの視界には、

「見えた。横島くんだ」

 空に浮かんで炎や毒のブレスを応酬し合う竜と横島の姿が映った。




「でやあぁぁ!」

 火を吹いた竜に対して、横島も掌から放った炎をぶつけてそれを打ち消す。

「よし、だんだん分かってきたぞ」

 先ほどから何度も繰り返される激突と相殺。
 なるべく殺気と恐怖を撒き散らす竜の頭の中を覗かないように慎重に竜の攻撃手段や特性を探りながら、
 横島は徐々に戦場を南に移してマンハイムから遠ざけていく。
 そして時には全力で体当たりを仕掛けて強引に竜の体を跳ね飛ばしながら、
 このあたりで最も人の気配の少ないライン川の畔へと導いていく。
 しかし、竜の体がライン川に近付くに連れて横島は眉をひそめた。

「もう回復してる?」

 己の攻撃で痛めつけたはずの竜の腹、それとリンクしている自分の腹に手を当てて呟いた時、竜が凄まじい魔力を乗せて咆哮を上げた。
 そこには今までよりも遥かに強固な感情が宿っていた。
 瞬間、横島の頭にその思念が激しい勢いで無理矢理に流れ込んでくる。
 それは呪いに犯された竜の狂気の具現。
 おそろしく強固で一途に頭の中で想い続けていなければ、到底起こらない現象。
 それがこちらの意識を刈り取らんと怒涛の勢いで横島の頭の中を駆け巡ったのだ。

 『疎み』、『嫉み』、『恐れ』、『迫害』、『隔離』、『憎悪』、『哀』、『憧憬』
 『お前は殺した』、『お前は竜だ』、『お前は財宝を守り続けろ』
 『お前は呪いに縛られ続ける』、『救われる事も報われる事も理解される事もない』
 ■を殺した。ただ■の笑顔が見たかったのに。■はそれだけで良かったのに。
 ■さえ救われれば。僕が■に行く事が出来たら。■が欲しい。
 ■の彼方へいけるような■が欲しい。■の為に、■がどこにでも行ってしまえる様に。
 ライン川に近づいて黄金を奪おうとする者は■せ!尽く引き■いて、■し尽くせ!

「ああああああぁぁぁぁぁ!」

 堪らなくなって彼は絶叫上げた。
 その思念が、その狂気が渦巻き、瞬き、雷光の如く脳裏へと突き刺さる。
 慌てて、脳に壁とフィルターをかけるようなイメージを思い浮かべる。
 感情と思念の奔流は勢いを弱めたが、その分鮮明な映像が、おそらく竜になる前の存在の記憶がゆっくりと流れ込んでくる。
 竜の口から吐き出された毒のブレスを、手から放ったブレスで相殺する。
 何も考えられずに、全力でぶつかっていき、竜を100mほど跳ね飛ばしてその接近を防いだ。
 それと同時に、横島は胸を押さえてうずくまってしまう。
 どうやら、竜もしたたかにダメージを負ったようだ。

 竜が体勢を整えて飛翔する。それを追いかけようとした横島の頭に再び映像が流れ込んできた。
 顔をあげる。けれども視界は竜の姿を写さず、ただ、頭の中で竜の記憶だけがリフレインしている。
 その中で、母に疎まれ、脅えられ、稀に出会う他人からは悪魔のように忌み嫌われ、殴られ、人目につかぬように閉じ込められ、
 そして母が一人で泣いている姿を見て、慰める事も出来ずに心を痛めて涙を流すほんの少しだけ変わった外見を持った少年がいた。

「やめろぉぉぉ!」

 ……胸が、痛い。頭も割れるようだ。
 バズーカをも軽く凌駕する竜の一撃ではなく、その映像が、少年の感情が、竜の狂気が横島の心を切り裂こうとする。
 ズキンと激しい頭痛が襲い掛かる。
 その刹那、薄れそうになった意識の片隅で少年が決定的な罪を犯した瞬間の記憶を見た。
 幸いにも理解には至らなかった。
 だが少年の絶望だけは感じとってしまった。
 それが限界だった。これ以上、見てしまえば自分はもう戦えなくなる。

「横島くん!」

 視線を転じると、ジークフリードたちの姿。
 その瞬間、彼は、再び全力で竜に体当たりして跳ね飛ばすと、意識をジークフリードに集中させた。
 同時に、自分の体を変化させている文珠の効果を意識しながら、ジークフリードの姿を読み取っていく。
 まもなくその効果が現れ、頭部以外を黒い鱗に覆われていた横島の姿はジークフリードの肌の色に覆われていく。

「やったか」

 荒い息をつきながら横島は自分の姿に目をやって、『模』した対象が変更されたのを確認した。
 垣間見てしまった竜の記憶を封印するべく、横島は目を瞑って強く念じた。
 すべて忘れろ。さっき見てしまった映像は全て幻だったと思え。
 竜が吐き出す毒。竜が吹き付ける炎。竜の上げる咆哮。高速でこちらを引き裂こうとする竜の爪と牙。
 圧倒的な破壊力の餌食になるかもしれないおキヌや秋美。
 気に掛けるのは、今はただそれだけだ。迷いも後悔も戦いの後に取っておけ。
 さあ、目の前で展開する無慈悲な現実に対処しろ。
 そして目を開けて竜の姿を見た途端、横島の意識はその現実に没頭しようとして叫んだ。

「こいつの攻撃は大まかに分けて3種類だ。
 口からは炎と毒のブレスを吐く。
 空中に飛び上がったら急降下の体当たり。
 あとは爪と牙と尾から繰り出す攻撃。とくに尾はすげえ速さで飛んでくる。
 それにジーク、こいつ、ダメージを与えてもどんどん回復してきやがるぞ!」

 横島の叫びにジークフリードも叫びを返す。

「核となっている黄金の魔力とファーブニルの血による不完全な不死属性のせいです。
 とりあえず足止めに専念してください」

 そう言い終わって、自らも竜の所に向かおうとしたジークフリードを西条が引きとめた。

「不完全な不死属性とはどういう事だい?横島くんの攻撃はダメージは与えてきたようだが」

「おそらくですが、あの財宝には僕がファーブニルを殺した際にファーブニルが流した血がこびり付いていました。
 あの財宝を飲み込み、その力を持ったあの竜にはファーブニルの血による不死の属性が不完全ながらも付いたようです。
 攻撃されても無傷というわけではありませんが、負った傷を短時間で元通りにして、死から遠ざけるように作用しているようです」

 竜に視線を戻すと、先に西条の銃撃で傷ついたはずの目が元通りになっている。
 それを見て西条も竜の出鱈目さを悟らざるをえなかった。

「つまりは、パピリオの時のようにチクチク攻撃して少しずつ弱らせようとしても無駄というワケか。倒す方法は?」

「ファーブニル自身は巨人族の血を引き、魔法の心得もある強い男でした。
 だからこそ、ニーベルゲンの財宝の呪いに犯されても言葉を喋るなどの僅かな理性は残ったままでした。
 従って彼は長年傍にいたにもかかわらず、財宝と融合するには至らなかったんです。
 けれどあの竜は財宝を取り込むことで融合して心と引き換えに協力無比な魔力を得ました。
 そして今もライン川からやつの体の中の黄金に魔力流れ込んでいくのが感じられます。
 しかし、それによって竜の霊核でありで魔力を供給しているラインの黄金こそが奴の弱点となったのです。
 ですからあの鱗を切り裂いて、一気に攻撃して黄金を破壊するか、黄金を所有者から切り離すしかありません」

「あの鱗は、横島くんの霊波刀が通じなかった。僕のジャスティスでも通用するかどうか…………
 ジーク、君がかつてファーブニルを殺した時のように、竜殺しの剣を使う事は出来ないのかい?」

 伝承ではジークフリードによるグラムの斬撃は鋼鉄以上の硬さの鱗を纏ったファーブニルを切り裂いた筈だ。
 しかし、西条の問いに彼は悔しげな顔で首を振った。

「はい。グラムを人間界で扱えるのはヴォルスング王の大樹から選定の剣を引き抜いたような英雄の中の英雄だけです。
 けれど僕はキリスト教に駆逐されて魔族となったときに、人間界でグラムを開放させられる『英雄』としての資格は失いました。
 だからこそ妙神山に留学生として派遣しても危険なしと上層部に判断されたのです。
 魔界に戻ればグラムを竜殺しの剣として開放させる事は出来ますが、もしそれを人間界でやるとしたら、
 魔界にいる時並のパワーを引き出してグラムに魔力と魔素を大量に送り込んで、グラムにここは魔界だと誤認させるしかありません」

「それはどうすればいいんだい?」

 勢い込んで尋ねる西条。
 だがそれに対してもジークフリードは渋い顔のまま答えた。

「簡単です。僕の中のリミッターを外せばいいんです。
 けれど魔力の供給が魔界に比べて遥かに少ない人間界では、それをやると数秒で動けなくなってしまいます。
 グラムを開放して一直線にその核を打ち抜ければいいのですが、少しでもやつに動かれたり防御されたりすればアウトです」

「つまり、あの竜が動けなくなった状態に追い込まなければラインの黄金を破壊する事は出来ないのか。
 僕や唐巣先生の適正では横島くんと同期合体しても令子ちゃんほどの出力はえられない。安定するかも怪しいところだ。
 しかもあの様子だと、どうやら横島くんは竜を『模』してなんらかの精神的ダメージを負ったようだ。
 もう一度彼が竜を『模』したとしても、そのまま戦闘を続けられるとは期待しないほうがよさそうだ。
 この状況では君が魔力を極力使わない状態のまま、我々がやつに致命傷に近い傷を負わせるのは極めて難しいだろうね」

「ええ、僕もそう思います。
 ですから我々がとるべき手段は持久戦に持ち込んで非戦闘員の退避と結界の展開を行いつつ、
 やつから黄金を分離させる方法を探るしかないでしょう。援軍は期待できますか?」

「オカルトGメンが現在、結界用の道具を持ってここまで急行している。
 ヨーロッパのオカルトGメンの規模と錬度は世界最高水準だ。到着すれば相当の戦力になる」

 その時響き渡る轟音。西条たちが見た先には、
 急降下をかわされた竜と間一髪で避けながら同時にジークフリードの魔力で霊波砲を叩き込んだ横島の姿。
 竜が追撃にブレスを吐こうした瞬間、その顔に唐巣達の霊波が直撃する。

 横島も唐巣達も視界を閉ざされて無闇に暴れまわる竜から距離をとる。
 彼らはいったん集結すると結界を展開し始めた。

 竜を睨みつけながら横島が竜の感情と思考の渦から拾い上げた情報を伝えだした。

「さっきこいつの頭の中をちらっと覗いて分かった。こいつが惹かれているのは俺たちの出す霊力。
 こいつにとって霊力は光なんだ。だから近寄って触ろうとする。何でかジークの魔力には反応しないんだけどな。
 あと、こいつが排除したがってるのはライン川に近付く誰か。
 ライン川の何処かにニーベルゲンの財宝が散り散りになってるせいで、
 こいつにとってはライン川そのものがラインの黄金なんだ。やつの仲の黄金が媒介になってライン川の魔力がその核に集まってるみてえだ」

「それなら霊能力者がライン川付近まで行けば」

 西条の声に横島は頷いた。

「多分、全員がくたばるまでそこから動かねえはずだよ。
 その後はライン川に近付く人間を例外なく殺そうとするだろうけどな。
 ただこいつは基本的にライン川から離れれば離れるほど弱くなるんだよ。
 財宝の呪いがラインの黄金から離れるなってがなりたてるからな。
 だからライン川から一定距離以上離れられない。多分俺達がいた会場ぐらいまでなんだろう」

「けれど、僕達がここから離れれば竜は」

「理性のなくなった小竜姫様が竜の姿でずっと暴れまわるようなもんだ」

「ええ、おそらくライン川沿岸全域が竜の徘徊によって廃墟と化すのにそれほど長い時間は掛からないだろうね。
 そして毒の息を浴びた大地は長年にわたって不毛の地へと変わってしまう」

「冗談ではなく、北西ヨーロッパ諸国崩壊の危機なんだな」

 苦しげな顔で呟く横島の脳裏には、昨日過ごしたケルンの町並みやそこに住む人々の姿が浮かぶ。

「それだけではすまないだろうね。
 ドイツ、オランダ、フランス、スイスは大打撃を受け、世界経済にも多大なダメージを与える。
 それによって引き起こされる金融危機、物価の高騰、暴動等で大勢の人が苦しむ事になる」

「あーあ、またしても俺たちの肩に大勢の人間の命がかかってるのかよ」

「こうなった以上、潔く覚悟を決めるしかないね」

 事の重大さを意識させられ、西条も横島もその重圧に負けまいとあえて軽口を叩く。
 その時、竜が暴れるのを止めてこちらに向き直ろうとする。
 どうやら視界がクリアになったようだ。
 それを感じた横島たちは再び竜に向けて疾走した。

 再び迫る竜の爪。凄まじい風圧を伴って襲い掛かるその一撃を横島は空に飛んで回避する。
 視線をジークフリードの目に向ける。
 この状態ではコピー先の相手の考えを読み取れる事を彼も知っている。
 ジークフリードが頷くと同時に、頭の中に声が聞こえてくる。

(先に突っ込む。僕が右に動いたらそのまま霊波砲で攻撃しながら左に離脱)

 横島がその指示通りに体を動かす。ジークフリードが右に動いて相手の注意をひきつけた瞬間、
 ワンテンポ遅れて逆方向に動いていた横島の霊波砲が直撃する。
 吹っ飛ぶ竜に息をあわせた2人が蹴りをくれる。
 2人の連携が動き始めた。
 
 西条がそれに加勢しようとした時、彼の頭にも声が響いてきた。

(西条主任。オカルトGメンドイツ支部のマンハイム局から応援の方々が到着しました。広域展開結界用の破魔札等も届いています)

(分かった。すぐに戻る。君は引き続き会場に来ていた方々の避難を誘導してくれ)

(了解です)

 秋美からの送信が途絶えると、西条は唐巣に向き直る。

「唐巣先生、オカGの援軍と武器や救援物資が届いたようです」

 それだけで唐巣は西条の意図を察したようだった。
 彼は軽く頷いて西条を促した。

「分かった。向こうにいる人達を頼む。そしてマンハイムの街の人々の安全を」

「心得ています。それでは先生も御武運を」

「任せてくれ。伊達に長く生きていないよ」

 その言葉を胸に、西条は背を向けて走り出す。
 自分にはここで戦うよりも、役目を果たすに相応しい場所があるのだから。
 後ろ髪引かれながらも西条は、己にそう言い聞かせて会場へと走り続けた。





 残っていた負傷者の治療がようやく一段落しておキヌは辺りを見回した。
 彼女の視界には、もはや原形をとどめていない会場に、数十人のオカルトGメンの捜査官が動き回っている姿が映った。
 ある者は、その場に残ったGS達と共に負傷者の治療や救助に回り、ある者は適当な場所を選んで破魔札を張っていく。
 竜の姿が見えなくなった事でパニックが収まった一方で、
 負傷者や避難者達からはこの理不尽な信じがたい事態に対する絶望と怒りが充満していた。
 自分達をこんな目に合わせた竜への怒り、そして圧倒的な暴力による破壊を見せつけた竜に対して感じる恐怖と無力感。
 その全てが避難者達の表情に安堵共に激しい怒りを渦巻かせる。竜を生み出しすのに彼らが加担していた事も知らずに。

「八代くん。結界の展開はどの程度進んでいる!?」

 その時、おキヌの耳に西条の声が聞こえてきた。見れば汗だくになった彼が八代へと向かっている姿があった。
 おそらくここまで一直線に走ってきたのだろう。彼の呼吸は荒くその服装も乱れて汚れが目立つ。
 しかし、普段の西条のスタイルからは程遠い格好でありながらも、その顔には鋭さが、その目には炯々とした光がある。

「第一次応援の方々が持ってきた分を全て使えば、約1kmに渡っての展開が可能になります。
 先ほど主任が仰っていたようにライン川に沿うような形での展開を目的とした場合、
 100mの結界線を構築するにはあと15分かかります」

「では、今のうちにこの付近にいる人には、結界線の東側に移ってもらう。八代くん、ご苦労だが誘導を頼む」

「了解しました」
 
 二人が離れて西条が指揮車両へと向かう。彼に横島の安否を確かめたかったが、それは今すべき事ではない。
 おキヌは己の心に湧き上がった衝動を押さえ込むと、
 避難者達の心に少しでも落ち着きを取り戻させるためにネクロマンサーの笛を手に取った。
 彼女が笛を吹いて避難者達の心の安定を図り、秋美が能力を使ってパニックが起きないように的確に避難を誘導していく。
 そして、横島とジークや唐巣ら数十人の直接的な攻防に長けたGSが
 竜を引き寄せて足止めするためにライン川の畔に移動してから数十分後、ついにオカルトGメンは準備を整えた。

「西条警部。広域結界の設置が完了いたしました。この場からライン川に沿うような形で100mに渡って線上に展開できます」

「よし、タイミングを計る。結界の展開ライン上に避難者がいないか確認しろ。それが終わったら展開する」

 間髪いれずに飛ぶ指示に彼らも素早く反応を返す。

「確認致しました。現在、ライン上付近にいる人はおりません。避難者も誘導役のGSの方がストップをかけております」

「よし、広域結界展開せよ」

 その声にオカルトGメンの捜査官達が、数mの高さもある結界用の巨大破魔札を起動させる。
 破魔札から光が放たれ、その光は互いに結びつくように干渉しあって壁を作っていく。
 歓声があちらこちらから漏れていく。魔の属性を持つものだけを遮断する聖の結界が展開したのだった。

「みんな結界の向こうに行けばもう安心よ、竜はまだずっと向こうにいるから慌てないでそちらに進んでいって」

 秋美の声に、おキヌの笛の音色に、結界が作動した光景に、人々は落ち着きを取り戻して避難を再開していった。
 これで会場に残っていた人々の避難はほぼ終了し、人類側は安全圏の構築に成功した。

「第一ラウンドはなんとか生きて乗り切れた。だが、これからが本当の戦いだ」

 そう呟くと、西条はここから西に数km離れたライン川に目を転じた。
 視線の先では、伝説の存在であるドラゴンが、先祖帰りによりニーズヘッグの力を顕現した黒い飛竜が、
 恐るべき戦闘力を秘めた魔竜が、その威容を誇るかのように暴れまわっていた。


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