椎名作品二次創作小説投稿広場


そして続く物語

追跡


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 4/14

 11月5日 8時55分

「何よ、さっきからこの感覚は!」

 朝からしばしば己の霊感に引っ掛かる妙な感覚に、美神は顔をしかめて悪態をついた。
 しかし、なんとなくその正体も分かっている。
 これまで何度も危険を切り抜けてきた超一流のGSとしての経験が何かに警戒しろ、と告げていた。
 だから彼女は、その日の朝己の霊感が伝えてきた何かと突如感じた胸騒ぎを気のせいだとは思わなかった。
 
 やがて横島を散歩に誘いに行った人狼の少女が帰ってきて彼の不在を告げた。
 それ自体はありえないことも無い。単に彼がオカルトGメンのビルに泊り込んで、そのまま寝てしまった可能性もある。
 しかし、オカルトGメンに横島の手伝いに行った氷室おキヌまでが慌てて戻ってきて、
 彼の不在を伝えたとき彼女はすぐさま美智恵に連絡を取った。

 幸い緊急の仕事もなく、美智恵はひのめを連れてすぐにこちらに来てくれた。
 美神は一応は平静を保ちつつ、だが僅かに切迫した声で己の感じた嫌な予感と横島の不在を告げた。

「ママ、横島くんが行方不明になっちゃったみたいなんだけど、何か知ってる?」

「昨日は人狼の里へ向かったはずだけど、昨日中に帰ってきた筈よ。
 最近はみんな外回りが多いから、誰もあってないみたいだけど………電話はしてみたの?」

「さっきから何度かけても圏外よ。これから探してみるけどちょっと手伝って欲しいのよ」

「私に何をさせたいの?」

「あいつがどこに居るか調べるのは、オカルトGメンが仕掛けた発信機があるから直ぐに分かるでしょう?
 あれのエマージェンシーを解除して」

 エマージェンシーとは霊障絡みの犯罪や特殊な事件に関わるオカルトGメン全員に仕掛けられている霊的な発信機である。
 これはオカルトGメン用の警察手帳に組み込まれている霊力を吸収する特殊な呪符が発する波長を
 オカルトGメン日本支部に備えられている設備で読み取る事で手帳の持ち主の現在地を見つけ出すシステムになっている。
 呪符が発する波長の強さは霊力に比例するため一般人がそれを持っていても意味が無く、
 また手帳の持ち主が手帳を体のすぐ傍に置いておかないと霊力の吸収が起きないため効果は無い。
 当然、オカルトGメンに出向している横島もそれを身に着けている。

 しかし発信機の場所を特定する(オカGでは「エマージェンシーを解除する」と言われている)行為は、
 手帳の持ち主が消息を絶ってから24時間後、と定められている。
 さもなければ常時ここから居場所を監視されているという緊張感に嫌気をさす人間が出てくるであろうし、
 何より個人の持つプライバシーの権利に関わる。
 それを踏まえて、美智恵は有無を言わさずにこちらに迫る娘に釘を刺す。

「令子、横島くんが消息を絶ってからまだ、16時間しか経ってないわ。これは明らかにオカルトGメンが定めた規則に反するわ」

「分かってるわよ。だから、ママは何もしなくていいわ。ただ見てみぬ振りをしてくれさえすればね。調べるのは私がやるから」

「………私や西条くんやピートくん達以外に見られたら、貴方もただじゃ済まないわよ。
 最悪、この計画から貴方の参加を凍結せざるをえなくなるかもしれない」

「大丈夫、だいじょーぶ。ばれなきゃいいんだし、ばれても揉み消せばいいんだから」

 悪びれもなくあっけらかんと言う娘に、美智恵は思わず額に手を当てて目を瞑った。
 娘が、ルールは破るためにあると公言しているのは知っていたが、ここまでとは………

「あとね。場所が分かったら何か背後関係が絡んでるかどうかを調べて欲しいのよ」 

「それはかまわないけど、令子も無茶するんじゃないわよ」

 会談が終わると、美智恵は美神事務所を出てオカルトGメンに向かった。

 娘には黙っていたが、美神美智恵にも横島が拉致されたという懸念に心当たりが無いではなかった。
 その原因は、『組み込み計画』が順調に進んでいる事がつい先日、数字となって現れたからである。
 それ自体は歓迎すべきであるのだが、この計画に対して反感を持つどこぞの宗教的なグループが更に過熱するのは目に見えている。
 オカルトGメン日本支部にも「計画を中止しろ」だの「貴様らに裁きの鉄槌を下す」だの「神のお言葉を教える必要がある」等、
 送られてきた脅迫状のバリエーションには事欠かない。しかもデータが公表されてからは更に増加傾向にある。
 計画を潰そうと暴走してくる連中の企みに、娘や横島がそれに巻き込まれる可能性が低いはずがない。

「馬鹿な連中ね。令子と私に喧嘩を売るなんて………」

 だからこそ、このような事態が次にも起こらないために敵は徹底的に叩き潰す必要がある。
 少なくとも自分と令子はそう考えるだろう。
 美神家の女を敵に回すとどうなるか、相手は貴重な経験を得る事になる。
 もちろんそれは………彼らが生き残れればの話だが。

「………あの子、半殺しで済ませてくれればいいのだけれど」

 あらかじめ相手の冥福を祈ると、美智恵は敵の背後関係を洗うために情報収集を開始した。
 




 11月5日 11時15分

「うーん、久しぶりによく寝たなって………なんじゃこりゃ!」

 目を覚ますと柔らかい物の上に寝かされている。体を起こそうとすると手足が何かに縛られている。
 昨夜のことを思い出すと妙に頭が重い。確か妙な奴に襲われてホテルに逃げ込んでそれで………
 懸命に思い出そうと唸る横島の耳にドアが開く音が聞こえてきた。

「意外に早く目が覚めたようだね。おはよう、ミスター横島」

「ああ、ピーターか。おはようさん………って、なに普通に話しとんじゃ、おのれは!
 一体ここはどこだ?俺を拉致監禁しやがって何が目的だ?
 まさか俺の体が目的とか言い出すんじゃねえだろうな!?」

「体が目的か。ある意味間違いではないね」

 その途端、横島から強力な殺気が漏れ出す。
 縛られた腕から霊波刀を出した彼は、懸命にロープを断ち切ろうとする。

「やめた方がいい。その体勢では君の体が傷つく危険がある」

「うっせー。俺の体は絶対にやらん!どうしても欲しいって言うんなら命賭けてかかってきやがれ」

 牙を剥いて縛られたまま襲い掛かってこようとすると横島から距離をとると、ピーターは宥めるように話しかけた。

「いや、それは誤解だよ。私は君をスカウトに来たんだよ。君の体を私の所属する組織に預けて欲しい、とは思っているがね」

「なんだよ、それを先に言えって…………って、やっぱり拉致監禁じゃねえか!
 言う事聞かなかったから次は脅迫しようって訳か、この野郎!」

「まず落ち着いてくれ。君をここに運んだのも、こんな風に縛っているのも止むに止まれぬ事情があったんだよ」

 そこまで言うと、ピーターは話を止めて横島を見る。僅かに血走った目や口調の激しさから興奮した様子が容易に見てとれる。
 しかしそれでも、交渉については確かな実績のある彼をペテンにかけるのは骨の折れる仕事だろう。
 けれど、ピーターはそういった厄介な仕事が嫌いではなかった。むしろ彼は騙しあいを好んだ。
 組織での交渉担当になったのもその嗜好ゆえだった。

「君が眠ってからすぐにね、近くに張り込んでいた同僚から連絡があったんだよ。
 私達のいたホテルに君を襲った連中の同類のような人間が侵入してきたって。
 それで護衛のために仕方なく眠っている君を担いでホテルから逃げ出したんだけど、
 その後に行く場所が無くて我々の活動拠点に連れてきたって訳だよ」

「胡散くせえ説明だな。なんであんたが俺を護衛したのか。
 どうしてオカルトGメンに連絡しなかったのか。
 そもそも本当にここに連れてくる必要があったのかとかいくらでも怪しい所があったぜ」

 その質問を受けてピーターは僅かに顔を綻ばせた。この疑問は当然感じてしかるべきものだ。
 逆にこんな説明に納得させられるようだと任務の達成はともかく彼個人にとっては興醒めも甚だしい。

「尤もな疑問だね。まず私が、正確には私達が君を護衛したのは君がまだスカウト対象だからだ。
 君とはまだ交渉の余地がいくらでも残っているのに、むざむざ殺されるのを黙っているわけにもいかない。
 オカルトGメンに連絡していないのは我々の身分のせいだよ。私達の活動全てがこの国の法律に則っているわけではない。
 だからこそ、私達はこの国で活動している事を関係者以外には誰にも悟られないように情報管理には注意を払っている。
 この国の公的機関や国連系の組織に連絡する際には、基本的に上層部の許可がいるのだよ。
 というわけで、我々は我々の存在を知られずに君の安全を図るために、君をここに連れて行くしかなかったのだよ」

「………それで俺の安全とこのロープでぐるぐる巻きにしたのにはどんな関連があるんだよ」

 さも仕方なさそうに説明するピーターに横島が突っ込む。
 それは当然だろう。明らかに今の横島の状態は、護衛対象に対するそれでなく、むしろ危険人物の輸送中と表現したほうが相応しい。
 しかしそれに対してもピーターは少しも動揺せずに切り返した。

「そもそも君をここに連れてきたのはイレギュラーな事態でね。
 それに対して我々の同僚の1人が、過去君に酷い事をされそうになった、と言って激昂してね。
 彼女を宥めるためにこの処置は仕方が無かったんだよ」

「ちょ、ちょっと待て!なんだ、その俺がした酷い事ってのは!?」

 やましい事が無くも無い横島が慌てたように聞き返すと、ピーターは部屋のドアを開けると何かを言った。
 やがて、日系で長身の男と同じく日本人のような顔立ちの女が入ってきた。
 その女を見た横島の顔が強張る。彼女の顔には見覚えが………………ありすぎた。

「横島くん、紹介しよう。こちらの背の高い男が私の同僚のウォン、そしてミス須狩だ」

 横島はぽかんと口を開けたまま須狩を見つめた。背中から嫌な汗が湧き出てくる。

「君は過去に服を脱ぎながらミス須狩に襲い掛かり、
 更に自分の言う事に逆らえなくするように君の霊能で操ろうとしたそうじゃないか。
 いくら君が我々にとって重要人物でも自由にするのは危険だと、ミス須狩から要請があってね」

「し、仕方なかったんや。あの時はこっちも危なかったんや。命を護る為だったんや」

 ピーターの話す内容があながち否定できないだけに、横島はイヤーと騒いで首を振った。手が自由だったら頭も抱えていただろう。
 須狩側も美神側も非合法だったのはお互い様であったが、振り返ってみれば自分の行動はかなり悪質な性犯罪である。
 あの後美神とおキヌから受けたお仕置きの記憶とも相まって、目の前の出来事は横島の心を鋭く抉り更に叩き落す。

「まっ、そういうわけでしばらくその状態で我慢してくれ。
 今はこちらも安全を確認しているところだが、24時間後までには必ず君をオカルトGメンの近くまで送り届けるから」

 無慈悲に告げるピーターの言葉とこちらを見下ろすウォンと須狩の視線が痛い。
 がっくりと項垂れた横島の様子に頷き合うと、3人は部屋から出て行った。


「とりあえず、これでしばらく脱走の心配は無いな」

「でも、よく信じたわね、あんな説明」

 部屋を出た三人のうち、須狩が疑問をぶつける。
 それに対してピーターはのんびり歩きながら種明かしをした。

「あらかじめ下準備してあったのさ。ここに連れてくる前にある薬品を注射してね。
 その後に催眠学習の要領で人の言葉に疑いを持たないような暗示をかけたんだよ。
 彼の危険に対する洞察力や相手の口裏を読む能力を鈍らせるためにね」

「それってまるきり洗脳じゃないの。たった数時間でうまくいくものなの?」

「投与した薬の効果で一時的に暗示にかかりやすくなったからなんだが、
 それでもあくまで普段よりも人の話を疑いにくくなる程度のものだよ。洗脳なんてものとは程遠い。
 継続的にやるならともかく2,3日もすれば常人でも元通りになる程度の効果さ」

 もちろん、それだけではない。
 ピーターが須狩をわざわざ呼寄せたのは、あの瞬間に横島から冷静さを奪うためである。
 思いがけない須狩の登場に動揺したせいで、横島の心理的な障壁が弛みその結果、暗示がより効力を発揮したのだ。
 これで横島は、怪しい素振りを見せない限り、当分はこちらの言動や行動を疑いにくくなった。

「急いだ方がいいわ。美神令子が絡んで来る前に話をつけておいたほうがいい」

 うまくいっている事に顔綻ばせるピーターに須狩が釘を刺す。
 彼女はかつて嫌というほど美神の恐ろしさを知らされていた。
 犯罪者として捕まった須狩だが、アシュタロス大戦の折に日本中で悪魔や悪霊が暴れまわった時に、
 南部グループの裏施設は消滅。保管してあった証拠も尽く失われ、彼女は証拠不十分で無罪の身となる。
 その後はオカルトの知識を買われてピーター達の組織にスカウトされてこの仕事をするようになったが
 それでも、犯罪者やテロリストや悪辣な死の商人などよりも美神令子の方が遥かに恐ろしかった。
 




 11月5日 14時12分

 美神はもう何時間もオカルトGメンのパソコンを使ってエマージェンシーを解除して横島の居場所を探っていた。
 横島の霊波が探知されたのはここから北東に230kmほどいった場所である。
 その場所の更に詳しい座標を計測するために霊波の探知ポイントと電子地図を重ね合わせているのだが、
 横島のいる地点の座標の精度はまだ±1kmほどの誤差がある。
 なんとかそれを埋めるために探知点付近の航空写真を取り出して地形や建造物の有無を把握する。
 そうして誤差を限りなく0に近づけるために様々な試みを駆使したのだが、ここの設備では±100mまでが限界のようだ。

 美神が探知点を調べている間に、ピートと秋美は探知点付近の建造物の持ち主とその経歴を調べ、
 裏がありそうな会社や人物をリストアップして、横島がいる可能性の高い建物の割り出しに努めている。
 やがてその努力の末、霊波の探知点と思われる建物が1つに絞られたとき、
 横島について目撃者が居ないかどうかを調べていた美智恵とシロとタマモが部屋に入ってきた。

「みんな、横島くんの身柄を攫った相手が分かったわよ」

「本当、ママ!?」

 美智恵の発言に美神たちが反応する。彼女は右手に持っていた書類と写真を広げた。
 写真には横島と1人の男がホテルに入る様子が写っていて、書類にはその男の顔写真と履歴が乗っている。

「彼の名前はピーター・リカルド、アメリカ合衆国の諜報組織『intel』の一員よ。最も実名かどうかは怪しいけどね」

「『intel』?知らないわね。CIAとは違うの?」

「『intel』は国外に出て情報収集するほどアグレシッブな組織ではないわ。
 彼らは雑多に送られてくる情報をどれが重要なのか見分ける事を主な任務として、
 暴力が絡むような事を業務にする事は少ないといわれているけれどね。
 尤も現場に出るCIAのエージェントはいくつも名前と身分を持つから、彼の場合もCIAが本職なのかもしれない。
 でも、とりあえずその疑問はおいておいて。
 彼は引き抜きやスカウトにかけてはかなりの凄腕だそうよ。
 スカウト対象にいつのまにか洗脳を施して首を縦に振らせる、とまで言われているわ」

「この映像を見つけたのって、少し前でしょ。よくそれでここまで分かったわね」

「実はね。証拠は無いけど、ピーター・リカルドはICPOの捜査官を過去5年で3人引き抜いているらしいのよ。
 彼らがICPOを去る直前には、いずれもピーター・リカルドとの接触が確認されているわ」

「………つまりICPOはそいつに恨みがあるから、私怨でデータベースに要注意人物として登録してたわけね」

「…………そのあたりは想像に任せるわ。
 とにかく、この男を横島くんと接触させた以上、アメリカは横島くんを『intel』に連れて帰ろうとしているみたいね」

「意外な相手ね。でも横島くんが引き抜きなんか承知するわけないじゃないの」

 安心したように答える美神に、そうですよねー、とおキヌたちも相槌を打つ。
 しかし美智恵は苦々しい顔をするとその認識を打ち砕いた。

「令子、ピーター・リカルドの交渉術は未だに不明なのよ。
 本当に相手を洗脳しているかもしれないし、何か秘策を用意しているのかもしれない。
 ………案外女性を使って既成事実を作ったりしてるのかもね」

 ピキっ!
 瞬間、部屋には緊張感が走る。なるほど交渉の際に相手の弱点を突くのは基本だ。美神も横島にそう教えて実践してきた。
 
「そういえば、ICPOから引き抜かれた捜査官の1人は、ピーター・リカルドから紹介された女性と結婚したって噂が………」

「な、なんですって!!」

 以前に起きた横島のオカルトGメンへの出向騒ぎの際の混乱が鮮やかに蘇ってくる。
 横島がいなくなるかもしれない。その認識は彼女たちのトラウマを刺激して……瞬間、世界が崩壊した。

────アメリカの諜報組織!?
    そのトップエージェント!?
    横島を、洗脳して連れて行く!?

 そう悟ったとき、美神の理性は激怒によりに消失し、おキヌやシロ達は彼女の放つ殺気に恐怖した。

────あいつを奪っていく奴は、死なす!

 その意思は美神の全身を駆け抜け、彼女の霊力を灼熱の怒りと共に最大励起させた。
 そこから湧き上がる霊力量は彼女の限界をいとも容易く越えて、
 美神の体の周囲を渦巻く霊波が稲妻の如くスパークしていく。

────横島は奪い返す!
    アメリカの狗は東京湾に沈める!
    あいつは渡さない!


 一方、美智恵も現状に焦りを感じていた。
 横島は現在この計画の要だ。
 手探り状態で始めたこの前例の計画を、個人事務所のレベルでなく国家規模のプロジェクトとして成功させる為には、
 彼の喪失はまさに致命傷といってもいい。
 何故ならば人間だけでなく計画参加者にも不安はある。
 しかし横島や美神事務所がいざという時の面倒を見てくれる安心感が多くの参加者の拠り所となり、
 彼らが激発してトラブルになるのを防いでいるのだ。
 仮に横島が抜けた場合、こちらとの契約では美神事務所はこの計画から手を引く事になっている。
 たまにならば協力してくれるだろうが、今までのような濃密な協力体制は望むべくもない。
 そして横島の存在を精神的支柱としていた八代秋美が立ち直るのには、どれほどの時間がかかるか。
 その間に計画参加者の起こしたトラブルが多発すれば、この計画は凍結される恐れがある。

 冷酷な言い方をすれば、ピートや秋美ならば失ってもいい。
 たとえそうなってもその人間が残したデータを補充した人材に引き継がせれば済む事だ。
 だが、人外に好かれるという稀有な性質を持つ彼は別だ。
 美神事務所の所長が美神にしか務まらないように、この計画で横島の代わりになる人材は存在しない。
 唐巣と美神の両名の全面的な協力があれば別だが、それは彼らを取り巻く環境が許さない。
 にも関わらずその最重要人物は攫われるというあってはならない事態が起きたのだ。


 その焦りが明敏な美智恵の判断を曇らせた。
 彼女も、ICPO捜査官の引き抜きに関わり、
 オカルトGメンの事情についても詳しい可能性があるピーター・リカルドが、
 手帳の仕組みについて気が付いているかもしれないという懸念はあった。
 未だにエマージェンシーが反応を返す事に多少の疑問を感じてもいた。

 しかし時間をかける事は出来ない。
 知らぬ間に洗脳を施すと言われているピーター・リカルドが横島を洗脳してしまえば彼を救出する可能性は急減する。
 しかも文珠を使える彼が、脱出はおろかこちらに連絡さえもしてこないのだ。
 娘やおキヌ達の霊感に嫌な予感が伝わってこない所を見ると、彼に危害が加えられている可能性は低いが、
 もしかしたら既にピーター・リカルドからなんらかの洗脳を受けてしまった可能性もある。
 もし横島が、彼と一緒にこちらの手の出せない場所に連れ去られてしまったら………………この計画は終わりである。

「ママ、穏便に済ますなんて甘い事は考えてないわよね?」

 娘の静かな声が飛び込んでくる。
 その声には、常人なら容易く気絶させられる程に濃密な殺気が込められ、それは十分な破壊力をもって部屋中を荒れ狂う。
 しかし美智恵は怯まない。否、それどころか娘同様に彼女の体からも霊波と殺気が振り撒かれ始めた。
 2つの殺気が飛び交い、部屋中の備品は何かに引き裂かれたかのようにズタズタになる。
 娘の殺気と焦り、そして己の懸念に突き動かされて美智恵は迷いを捨てて強襲を決意した。

「勿論よ、令子。日本政府には緊急事態だと言っておくわ。
 これから救出メンバーを編成するわ、一時間後に出発よ。
 派手にやってもいいから、貴方も用意を整えておきなさい」

「任せて。人間相手の武装は地下の隠れ家にたっぷり置いてあるわ。
 一度、アップル(建物内の制圧攻撃用の手榴弾)とバーレットM95(最大射程約2000mの対戦車ライフル)は使ってみたかったのよね」

 交差する視線。
 不敵に笑いあう母娘。

 隣にいた西条やおキヌ達は一言も口を出せぬままにびっしょりと汗を流しながらそれを見守っていた。
 




 11月5日 16時28分

モニタールームに入ってきたウォンにピーターが声をかける。

「ウォン、ミスター横島の様子はどうだい?」

「最初は色々尋ねてきたが、殆ど返事を返さなかったせいで相当退屈している。
 今は暇をつぶすためになんとか体を動かそうとしてごろごろ転がっている」

「それは好都合だ。そろそろ交渉に入るか」

 ウォンの返答に大きく頷くとピーターは立ち上がって書類を取り出す。
 そこに須狩が声をかけてきた。

「ねえ、ピーター。なんでこんなに時間をかけたの?
 私は美神令子を甘く見るなと何度も忠告したはずよ。あの女と、あの女の持つコネは侮れないわ。
 あえて横島の手帳を放置して居場所を限定させやすくしたのはプランBのためだけれど、
 説得する前に襲撃されたら目も当てられなかったところじゃないの」

「だからこそだよ。君の言うとおりこの任務の成功の鍵は時間だ。
 長く時間をかければ彼も我々の言葉に疑いを強めるし、オカルトGメンもここを突き止める。
 昔、引き抜いたICPOの捜査官が言うには、
 オカルトGメンの捜査官の居場所の特定は、消息を絶った24時間後でないと始めてはいけないらしいよ。
 それならまだ数時間の猶予はあるはずさ。
 それでも交渉を一度で済ませるために、ここまで彼を退屈させて焦らせて判断力を低下させたんだよ。
 今の彼なら、暇をつぶすために少しでも長く私と喋っていたいと思っているだろうからね」

「でも以前の交渉の感触では、うちの上層部の意向を話さないとどうにもならないんじゃないの?」

「それについては許可が下りたよ。うちの組織の狙いなら話してもいいそうだ」

「なるほど。行政府の目的さえ言わなければ、って事ね」

「おいおい、大統領閣下や補佐官殿たちが何を考えているのかなんて、我々が知るわけもないだろう?」

「でも推測する事は容易だわ。頼りになる友好国が突然、環境保護の分野で敵に回りそうになってるんだから」

 須狩が示唆した事をピーターもウォンも否定しない。
 自国のみの環境保護はともかく、ボーダレスな環境保護に関して、先進国の中でアメリカが不熱心な事は世界的な常識である。
 これに関しては日本以外の先進国や発展途上国も冷たい目を向けている。
 ここでもし日本が『組み込み計画』を成功させて、
 環境保護と共に森林再生や里山保全、国有林の維持・管理を低コストで成し遂げて
 削減できた莫大なコストを環境対策の補助金等に回して、二酸化炭素削減に成功したらどうなるだろうか?
 おそらく世界中でアメリカに向けて、日本を見習え、お前らも二酸化炭素削減を削減しろ、
 経済を理由に議定書に批准しないのは単に努力してない事が原因だ、という声が一層高まるだろう。
 少なくとも、鬼の首を取ったかのごとく、アメリカを痛烈に批判する国の増大は避けられない。

 しかし、選挙、特に大統領選出の際に宗教勢力が大きな影響力を持つアメリカでは、
 宗教的な反感を買う可能性が極めて高い『組み込み計画』を実行する事は出来ない。
 そのため二酸化炭素削減を実行しようとするなら産業界に大きな負担をかける対策を打ち出すか、
 どこかの国に頭を下げて金を払って排出権を買い取るか、である。
 どちらの方法を取るにせよ、それがアメリカ経済に与える影響は甚大である。
 しかし、環境の分野でこれ以上各国の声を無視して激しい反感を買った場合、
 アメリカの打ち出した経済グローバリズムに対して与える悪影響は計り知れない。
 現在、アメリカにとって、『組み込み計画』の躍進振りは目の上のたんこぶなのだ。
 口には出さないが横島の引き抜きの真の目的の1つが、
 『組み込み計画』の成功を阻止する事にあるのは彼らにとっては周知の事実である。
 可能性は可能性の内に潰すのが最も安全でてっとりばやい。
 現在の大統領が、議定書に批准した場合に最も影響を受ける産業の1つである
 オイルメジャーと関わりが深いのも今回の任務と無関係ではあるまい。

「ピーター。貴方はこの計画がそこまでのものだと思う?」

「少なくとも、次の大統領選の時には無視できない数字を発表するかもしれないね。
 もしそうなれば大統領と彼を盛り立てた現在の政権党は手に汗握る選挙を展開する派目になるかもしれない。
 更に計画そのものが国際的に今まで以上の注目を受ければ、とても秘密裏に妨害する事なんてできなくなる。
 だからこそホワイトハウスとキャピタル・ヒルの重役の何人かは、
 重要な外交カードに成長しないうちに、今はまだ芽が出た段階の『組み込み計画』を阻止したいんだろうよ」

「それで仮に引き抜きがうまくいっても、日本政府が黙ってないんじゃないの?
 例の計画には高級官僚と大臣クラスの人間が相当力を入れてるって聞いたけど」

「そのあたりは、我が親愛なる大統領閣下と国務長官殿、補佐官殿達にお任せしようじゃないか。
 彼らの下には外交が好きな人間は掃いて捨てるほどいるしね。
 我々は彼と仲良く本国に帰還して、一緒に祝杯を挙げてから、今後のお仕事の手ほどきをしてあげればいいのさ」

「でも彼が今回の事情をどこかで知ったら、騙されたと思って帰国するかもしれないわよ。そうなる前に洗脳でもするわけ?」

「それについてはうちの上司が何か考えてあるみたいだよ。
 態々あいつらに襲撃させたのも、今回彼をここまで連れてきたのも、この先彼を引き止める枷を手に入れるためなんだとさ」

 そう言うとピーターは立ち上がって部屋を出て行く。
 やがてウォンが見ている横島の部屋に備えられたカメラのモニターの中に、ピーターの姿が現れた。

「やあ、ミスター横島。随分と不景気な顔だね」

「当たり前だろ。もう何時間もこんな格好で転がってると思ってるんだよ」

「はははは、もう少しの辛抱だよ。精力が減退する薬を飲むなら縄を解いてもいいと須狩女史は仰ってるが」

「げっ!それは勘弁してくれ。俺の商売道具の源がなくなっちまう」

 そう言いながら転がって後退りする横島に、ピーターは苦笑を浮かべると、本題に入っていった。

「ミスター横島。ちょいとこちらの風向きが変わったんでもう一度私の話を聞いてはもらえないかな」

「前に言った以上の情報くれない限り、俺の返事は変わらねえよ」
 
「了解だ。私としてはもう一度交渉したいと思っていてね。さっきボスに連絡を取って経緯を説明したんだよ
 それで、なんとかボスの許可が下りてね。もう少し突っ込んだ話をしてもいいそうだ」

「あー、それなら話してくれ。こっちも退屈で死にそうだったしな。
 それで俺をスカウトする目的はなんなんだよ?」

 縛られたままこちらを向き直った横島にピーターは間を取るようにゆっくりと話し始めた。

「まず『intel』の仕事だが、CIAから送られてきた情報を解析してそれを送り返したり、
 情報を持っている人間からどうにかして非合法な方法を取らずに情報を引き出す事だよ」

「それと俺のスカウトがどう関わるんだ?」

「君の文珠は短時間なら相手の心を操作することさえ可能だと須狩女史が言っていたんだよ。
 うちのボスはそれに目をつけてね。何か重大な情報を握っている人間の尋問の際に、君の文珠を是非役立てて欲しいんだよ」

「おいおい、相手を文珠で洗脳しろって事かよ」

 むっとした表情を浮かべる横島に、ピーターは弁解した。

「いやいや、こちらが期待しているのはそんな非合法なものではなく人道的な尋問だよ。
 君の能力にしたって知らない人間から情報を引き出す事は出来ない。
 こちらは、時には容疑者や怪しい人間に対して強引な手段をとらざるをえない事もある。
 けれど君が文珠をつかってくれれば、相手を傷つけずに情報を引き出す事が可能だし、
 なにより薬物や暗示を使った洗脳とは違って、効果が消えた後に後遺症を残す事もない。
 君の協力があれば、我々は情報を得られるし、相手に余計な傷を負わせることも減る。
 文珠の使用は、法律に照らしても何らやましい事もなく、まさに人道的な手段ってわけさ」

 大仰に腕を広げて熱弁するピーターの前で、横島は少しだけ安心した。
 正直自分に合っている仕事とは思えないが、
 スパイの真似事をして危ない場所に忍び込んだり、要人の誘拐やら暗殺やら護衛やらをやるよりはよっぽど楽だ。
 それに、前回の交渉でピーターが告げた待遇も魅力がないではない。
 あの条件なら、1年も経てば一戸建ての家を買って悠々暮らす事も可能だろう。

「それで、最初に俺に持ちかけた妖怪のスカウトの話はどうなったんだよ?
 今の話を聞くと、俺がスカウトになる必要なんてどこにもないじゃないか」

「ごめんごめん、そちらも説明してなかったね。これは純粋に各方面で需要があるからなんだよ。
 特に我々や警察やレスキュー隊なんかが切実に特殊能力のある存在を欲しがってるのさ」

「どういうことなんだ?」

 ピーターの答えに、横島は驚いて目を丸くした。
 日本ですら社会的な妖怪の進出はまだ『組み込み計画』等の試行段階なのに、アメリカではもっと進んでいるのだろうか?
 そんな横島の疑問にたいする返事はある意味でアメリカらしいものだった。

「君の言うとおり、カトリック等の宗教的な保守派のおかげで、
 君の取り組んでいるような大々的な計画は我が国では立てられないよ。
 でも一部では別さ。例えば、君の弟子のシロくんは人間とも犬とも普通に会話が成り立つそうじゃないか」

「ああ、そうだけど」

「警察の捜査において彼女のような存在は、警察犬と捜査官との円滑なコミュニケーションを図るのにおおいに役に立つよ。
 現場で有能な者ほど、シロくんのような存在の有り難味を知っている。我々にしてもそうだ。
 空を飛べる妖怪がいれば、怪しい場所の偵察にはもってこいだし、
 動物に擬態できる妖怪なら警戒が厳重な場所に侵入しても怪しまれない。これほど頼もしい味方はそうはいないな。
 レスキュー隊に関しては特に説明する必要もないだろうが、
 シロくんのような身体能力秀でた存在は、一刻を争う人命救助の場面では大きな戦力になるのは間違いないだろうね」

 なるほど、アメリカ流の合理主義に基づく考え方か。それには納得させられる部分もある。
 そう考えながら、横島は更に疑問をぶつけていった。

「でも、アメリカに住む良識を持った皆さんは、そういった存在が社会に紛れ込むのを容認してくれるのか?
 さっきあんたも言ったように、保守的な考え方を持った人間なら、
 人外の存在が自分の近くに居るだけで排除しようと考えるかもしれないぞ」

「我々も最初は市民に混じって人外の存在が生活できるとは思ってない。
 だからこそ、君には彼らの面倒を見て欲しいんだよ。
 それが順調に進むなら、我々の仕事の手伝いは疎かになっても構わないからそちらに専念したっていい。
 もちろん人外の存在に関して理解のある人間を何人でもサポートに回す。
 必要ならば、彼らの活躍や美談をマスコミに流して、徐々に世間でのイメージをアップさせていく方針さ。
 ハリウッドが好きな国民性は、一種のアイドル的な価値さえ持たせれば、自然にシンパがついてくるんだよ」

 そこまで聞くと横島にもピーターの話の骨子が見えてきた。
 要は、『組み込み計画』が森林等の保全をメインに据えた人外の存在の社会進出の計画であるのに対して、
 ピーターの話は『治安、災害救助、公安部門』に関しての限定的な人外の存在の利用計画なのだ。
 勿論現在のアメリカでは、日本に比べて人外の存在が社会に進出する余地は少ない。
 しかし努力次第ではそれを拡大する事も可能になるかもしれない。
 自分の文珠に対する期待も、気持ちが良いものではないが、しっかりと評価してくれている。
 そう考えれば、計画の理念もそれに参加した場合の自分への待遇も確かに悪くない。

「でも、なんで情報を扱うらしい『intel』って組織がこんな話を持ちかけるんだ?思いっきり内政に関わりそうな事柄じゃないか」

「そのあたりは色々事情があるのさ。行政の中枢にいる人間が外国人にこんな話を持ちかけた、
 なんて事がばれたらスキャンダルの種になるし、大勢の人間が反発してくるのは目に見えてるしね」

「ふーん………それじゃあ、いつもはピーター達はどういうことしてんだ?」

「ああ、それはねえ……………」

 やがて話が一段落すると、横島とピーターはリラックスしたのか雑談を始めた。
 モニターを眺めていたウォンにも彼らが先ほどよりも親しげになっていることが感じ取れる。
 どうやら腹を割った話し合いはピーターの狙い通り良い方向へ作用したようだった。



「それでね、現場は苦労してるんだよ。
 上司はああしろ、こうしろってうるさく言うけど、出来ない事はどう頑張ったって無理なんだよ」

「分かる、分かる。現場に関わらない奴が、もっと良い数字が出るようにしろって言ってきた時は、温厚な俺もキレそうになったな。
 ところで、ピーターは交渉役、須狩のねえちゃんはアドバイザーってのは聞いたけど、あのウォンって何やってんの?」

「ああ、彼はシステム担当だよ。ああ見えて、ウォンのコンピューターシステムの扱いや乗り物の操縦はピカ一だよ」

「へー、見かけによらんものだな。俺はてっきりボディーガード役だと思ってたんだが」

「それも外れではないんだけどね。接近戦ならウォンに勝てる奴なんか滅多にいないよ。
 尤も彼は拳銃の腕はいまいちだから、拳銃があれば僕でも勝てない事はないんだけどね」

 いつの間にか横島とピーターは親しげに雑談を交し合っていた。
 彼はこのようにしながら相手の警戒心を少しずつ解いていくのである。
 そしてここまでのピーターの計画は概ね順調であった。
 横島の判断力を薬と暗示で一時的に低下させて、情報を誤認させる事で保護と偽って彼を退屈させて交渉の主導権を握る。
 現在では横島もピーターの話に熱心に耳を傾けるなど、その態度も最初に比べればかなり友好的になっていた。

 そして彼らの思惑通りに彼女達はやってきた。
 邪魔者を粉砕するために、自分の物を取り返すために、役者はピーター達の望んだ役割を果たすために引きずり出されたのだ。



 11月5日 17時42分。

 ピーター達の居る施設に爆音が響くと同時に最初の衝撃が奔った。
 彼らにとっては待ちに待った美神令子の強襲である。


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