椎名作品二次創作小説投稿広場


そして続く物語

拉致


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 4/14

 ×××年 某日 某国 某所

 薄暗い部屋には6名の男女が集まっていた。
 6人とも不敵な面構えで直立不動の姿勢を取っている。
 素人ですら彼らを見れば一目で只者ではないと理解できるだろう。
 やがて部屋の扉が開き軍服を着た男が現れた。
 軍帽は着用していないが男は厳しい表情を浮かべて6人の前に立つ。
 6人の中でリーダー格が号令をかけた。

「敬礼!」

 一糸乱れぬ動作で6人は右手を額にあてた。男がそれに応じる。

「楽にしてよし」

 6人は敬礼を解くと予め準備してあった椅子に着席した。
 それを確認すると男は淡々と説明を始める。

「本日、私から諸君に与える任務は極めて特殊で極秘の物だ。軍関係者はおろか、政府高官でもこの任務について知っている人間は少ない」

 そこまで言って6人を見渡す。誰もがその顔に一片の動揺も浮かべていない。
 さもあらん。彼らの態度に男は内心で僅かな称賛を漏らす。
 ここにいる6人は極秘任務などには慣れきっている歴戦の戦士達だ。この程度で動揺するはずも無い。
 なんと言っても彼らはこの国が誇る最強部隊の精鋭達なのだから。
 男は再び話しを始めた。

「諸君には、できるだけ早く日本に潜入してある男を襲撃してもらう。
 襲撃の時期についてはこちらから指示を出すが、おそらく一ヶ月以内になるだろう。
 襲撃方法については諸君に一任するが、必ず守ってもらいたい事が3つある。
 1つ、襲撃対象を決して殺してはならない。重傷を負わせるのも極力避けて欲しい。
 2つ、その条件を守った上で襲撃対象を疲弊させ、追い込んでから故意に逃がす事。
 3つ、決して諸君の正体を悟られないようにする事。襲撃の際には十分それに注意して欲しい」

 説明が終わり、男は数分黙りこんだ。これは6人に作戦の概要を理解させ、そしてイメージを湧かせるためである。
 やがて男が口を開いた。

「何か質問は?」

 数人が手を上げる。男はその中で最も年嵩な人間を指名する。
 指名を受けた人間、アフリカ系の人間でスキンヘッドの男、は立ち上がって男に尋ねた。

「襲撃方法を一任するとありましたが、襲撃に当たってどれほどの支援が期待できるでしょうか?
 彼の国は我が国の友好国に当たりますが、現地での武器調達には困難が予想されます」

 男はその質問に頷くと返答する。

「この任務はその性格上、表立った支援はできない。しかしその点に関してはこちらで段取りを整えてある。
 諸君らは日本に潜入した後、こちらが指名した沖縄の軍基地に行ってもらう。
 その際に通信、武装、医療品等の物資や移動手段については十分な配慮が払われることとなる」

 質問をした年嵩の人間が着席する。男は更に手を上げた若いヒスパニック系の女を指名した。

「使用した武装や物資について放棄する事は許されますか?」

「問題ない。諸君らが使う物は数ヶ月前にある軍人の横流しにより、記録上は既に基地から消えている」

 質問者が着席すると、男はリモコンを操作してターゲットの映像を映し出した。

「諸君らの襲撃対象はこの男だ。名前は横島忠夫、職業はGSで現在ICPO超常犯罪課日本支部に出向している。
 彼の能力ならびに職場の環境だが……………」





 11月4日 12時25分

 『組み込み計画』は数ヶ月前の牛鬼の事件以降、概ね順調に進んでいた。
 計画参加者を増やす為の調査と交渉がオカルトGメンと横島達の仕事であるが、
 それに対して参加者達の行動や契約に対して不満の調査と、
 対象地域の環境状態やコストの削減の具体額を割り出す事が環境省の受け持ちである。
 少し前に計画開始から半年経過したため、環境省主導で最初の簡易調査が行われ、先日その結果が発表された。
 それによると、現在は20箇所で120名以上の参加者がいて対象地域は500kuに及んでいる。


「それじゃあ、他に何か問題はないっすか?」

「それが、夜中に狼の遠吠えが怖いと申される人がいましてな」

「あー、日本には純粋な狼は絶滅してますんで、撃たれることは無いでしょうけど、
 びっくりする人もいるでしょうし、夜中の遠吠えは人狼の里の付近でするようにしてくれませんか?」

「ううむ、仕方ありませんな」

 今日、横島は環境省所属の斉藤と共に、計画について感じた問題点や改善点の聞き取りに人狼の里に赴いていた。
 聞き取りは順調に進み、横島と斉藤が知りたかった項目は全て埋まっていた。
 そのため、彼らはリラックスしながらお茶を啜り雑談に講じていた。 

「これは土産です。シロもこっちで頑張ってくれてますし、たくさん持ってきました」

「おお!これはこれは、ご丁寧に。感謝いたしますぞ」

 やがて横島がリュックサックの中からドッグフードを取り出すと、長老は尻尾を振りながらも冷静な態度を取る。
 しかし、その脇で同席していた者達がだらしなく顔を輝かせていては、その努力が効果を発揮しているとは言い難いが。
 興奮した幼い人狼達に盛大に舐められながら、全てのドックフードの箱を渡した横島は、
 別れの挨拶を済ませると人狼の里を出ていった。



 11月4日 15時25分

「こちら、ベータ。ターゲットは現在、人気のない場所に降り立ったようです」

「了解。ガンマ、付近の警察機構と消防機関についての情報はあるか?」

「駅付近に、小さな施設が1つ。おそらく詰めている人数は5人以下だと思われます。
 他の機関はこの辺りから数Km以上離れているようです」

 襲撃地点としての条件は悪くない。
 6人の中で隊長を務めるアルファはその報告を聞くと決断を下した。

「ベータとガンマは私に従ってターゲットの尾行に移る。機会を見て最初の仕掛けに入るぞ。
 デルタ、イプシロン、ツェータ、現状の配置はどうなっている」

「こちら、デルタ。現在、ICPO超常犯罪課日本支部のあるビルから約500mほど離れた場所に待機しています」

「こちら、イプシロン。現在、美神事務所とICPO超常犯罪課日本支部付近が見渡せる場所に待機しています」

「こちら、ツェータ。現在、横島忠夫の自宅に探知機を設置中」

 準備は万端だ。これならすぐにでも取り掛かれる。
 報告を受けたアルファは満足げに頷くと冷静な声で指示を出した。

「了解した。デルタとイプシロンは指示があるまでその場に待機。
 ツェータは設置が終わり次第、美神事務所から最も近い駅に向かえ」

「「「了解」」」




 11月4日 16時35分

「やっぱり、綺麗だな」

 目の前には赤い世界が広がっていた。山一面が紅葉のせいで朱に染まりつつある。
 季節は既に秋の半ばに差し掛かっている。
 人狼の里を出てから急用の為に東京に直行していった斉藤と別れ、横島は1人で帰途についていた。
 そして現在、珍しく時間の余った彼は、帰りの電車を途中下車するとたまたま立ち寄った土地をのんびりと散策していた。
 降り立った土地の田舎風景を楽しみながら横島は機嫌よく今日の仕事を振り返る。
 最近の彼は、交渉で新しい参加者を獲得する他に、今日のように既存の参加者の苦情処理も行うようになっていた。


 眺めのいい場所を探して気の向くままに歩いていくうちに、
 いつしか彼はその土地の最も高い山(と言っても標高は1000m以下だが)まで足を伸ばしていた。
 頂上に近いせいか、そこは海辺のように強い風が吹き付けていた。
 眼下では紅葉が風に揺れて赤い細波の如くたゆっている。

「すげえ、山並みが燃えてるみたいだ」

 その風景を見ながら思わず横島は感嘆を漏らした。
 思えばアシュタロス大戦から、自分は今までずっと走り続けてきた気がする。
 でもこんな日は立ち止まって後ろを振り返っても見るのもいいかもしれない。

 しかし、その瞬間、感傷に浸っていた彼の耳に特大の雑音が飛び込んできた。

「なんだあぁぁぁぁ」

 振り返った瞬間に、再び大音量が耳に飛び込み、熱風と衝撃が全身を襲う。
 反射的にしゃがみこんでそれをやり過ごす彼の前に、ガスマスクのような物をつけた人影が現れ、左腕を振り下ろしてきた。
 咄嗟にそれを霊波刀で受け止める。すると相手は左手に特殊警防を持ったまま、
 右手でポケットからグロッグ(アメリカの警官の標準装備の拳銃)を引き出すと即座に発砲してきた。

「うああぁぁぁ」

 超人的な反射で上体を倒してそれを避けると、彼はサイキック・ソーサーを展開して次弾を防ぐ。
 すると相手は素早く後退して茂みにもぐりこみ横島の視界から消えていった。

「な、なんだったんだ?」

 あまりの急展開についていけずに追う事も忘れて立ち尽くす横島だが、
 はっと気がつき、慌ててその場を離れた直後に銃弾の嵐が襲ってきた。
 間一髪それをかわした横島の耳に、枯葉を踏む音が聞こえた。
 当てずっぽうに音のした方向に向けて霊波刀を伸ばすと、何かを弾く音がした。
 正体を確かめるべく、走りこんだ彼の目に壊れたショットガンと黒い卵形の物体が転がっていた。

「や、やばっ」

 慌てて、急停止するとそのまま真横にダイブ。
 直後に生じた爆風に身を任せるようにしてそのまま転がると、横島は慎重に体勢を立て直した。

「畜生め」

 小声で悪態をつきながら横島は辺りを窺った。
 敵も静かに移動しているようだが、気配が感じ取れない。
 文珠を使うべきか。しかし、よほどうまく使わないと敵の思う壺だ。
 あんなに重装備で襲撃してきたのだ。おそらく計画的な行動なのだろう。
 狙いが自分ならば、霊能力者対策として霊波探知器くらいは持っている可能性が高い。
 『護』のような持続型では霊波から相手に位置を悟られるし、
 『爆』のような一瞬で効果を発揮するタイプは相手の位置が分からないと効果がない。
 いっそ『転』『移』で逃げ出すか。
 そう考えたが、すぐにそれを否定する。
 相手は間違いなくプロだ。駅に見張りを立てている可能性もある。

 思考が纏まらないうちに、またしても銃声が鳴り響く。
 3mほど前方に銃弾が撃ち込まれる。
 どうやらこちらに文珠使う隙を与えないように、常に牽制してくるようだ。

「くそっ!」

 せめて相手の方針が分かれば、打つ手もあるのだが。
 生け捕りにするつもりならぎりぎりの所で手加減してくるだろうし、
 殺すつもりなら、こちらも遠慮なく危険な文字を込めた文珠を行使してやる。
 1人でも捕まえられれば相手の思考を『読』み取れるが、
 襲撃者は時折射撃を繰り出してくるものの、最初の襲撃以降は全くこちらに近づいてくる気配がない。

「あーあ、とっとと逃げたいんだけどなあ」

 言葉とは裏腹に横島は戦闘姿勢を崩さずに相手の居場所を探り続けた。
 ピートならば問題ないが、この連中が秋美やおキヌを襲うような事になったら非常にまずい。
 そうなる前になんとか相手の狙いを『読』み取ろうと、横島は茂みの中で策を練ろうとする。

 しかし、相手も彼に考える時間を与えてはくれない。
 不意に、左斜め後ろから殺気を感じて左斜め前に飛ぶ。一瞬後、自分の居た地点に銃弾が通り過ぎる。
 すかさず銃声がした辺りに向かってサイキック・ソーサーを投げつけると、
 その成果も確かめずに、横島は茂みの中を移動していった。




「ベータへ、ターゲットはそちらへ向かった」

「了解、牽制をかける」

 連絡を送るとアルファは苦笑して熱源探知機と霊波探知機を眺めた。
 これがある限り、気配を消しても霊波を消しても横島の居場所を突き止めることが出来る。
 それにしても、いくらこちらが殺さないように気を使っているとはいえ、まさかまだ1つも文珠を使わせられないとは。
 これで向こうが殺すつもりの攻撃をしてくるようなら、殺し合いにならぬようにこの場から一時撤収するしかない。
 だからこそ、その前に危険を犯してでも文珠を使わせる必要がある。

「ガンマ、手榴弾で飽和攻撃だ。但し時間差をつけてターゲットが対処できるように留意しろ」

「了解」

 ベータの牽制による銃声が鳴り響く。それに紛れてガンマはゆっくりと横島との間合いを詰めていく。
 そして横島の動きが止まった瞬間、彼女はわざと彼の視界にはいるように手榴弾を投げつけた。
 爆音が響き、熱風が荒れ狂う。そのせいで役立たずになった熱源探知機から目を離すと、
 霊波探知機を頼りにガンマは次々と手榴弾を投げつけていく。
 その瞬間、探知機に映った霊圧が突如膨れ上がった。

「文珠だ!」

 アルファの声がイヤホン越しに聞こえてきた。
 咄嗟にガンマは伏せて、辺りを窺うが彼の気配も霊波も感じ取れなくなっている。
 慎重に立ち上がって周囲を探る彼女にベータからの通信が入った。

「アルファ、ガンマ、どうやらターゲットは何らかの文珠を使って空を飛んだようです。
 突然高く飛び上がってから、虚空を鳶のように滑空していく姿が僅かに見えました」

 アルファは一瞬呆れて声が出せなくなった。
 鳶のように空を滑るだと!?まるでスーパーマンを相手にしているようじゃないか。
 しかも、手榴弾の連鎖爆発でこちらの行動も停止を余儀なくさせる瞬間を狙うとは。
 全くもって手強いターゲットだ。逃げっぷりには定評があるという報告はギャグではなかったのか。

 思わず笑い出したくなる衝動に襲われ、慌てて頭を振るとアルファは指示を下していった。

「落ち着け。あの状況を無傷で切り抜けるためには、少なくとも2つの文珠が必要だろう。
 とりあえず文珠の消費とターゲットを消耗させたのは間違いない。
 今後、ターゲットはICPO超常犯罪課日本支部に向かう可能性が高い。我々も一度車に戻ってあちらへ向かう」

「「了解」」

 ベータとガンマの返事を聞くと、アルファは山を下りながら、向こうで待機している部下に連絡を送った。

「ツェータ、ターゲットがそちらの駅に向かっている可能性が高い。
 彼を見かけたら、デルタとイプシロンにも連絡を入れて尾行を開始しろ」





 11月4日 18時48分

 一刻も早くオカルトGメンに行かないと。
 そう思いながら疲れた体を引き摺って横島は帰途についていた。
 不運にも携帯電話は、先ほどの戦闘で壊れてしまった。

「あーあ、どうせなら美人のねーちゃんに襲って欲しかったのに」

 いつものような冗談とも本音ともつかぬ言葉にもキレがない。
 逃げる際に『飛』と『護』の文珠を使ったおかげで怪我こそないものの、確実にその体には疲労が溜まっていた。
 とりあえず一眠りしたいと思いながらも彼が駅のプラットフォームを出て改札を抜けた瞬間、彼の霊感に悪寒が走った。
 見られている。どこからかは分からないが確実に自分は監視されているようだ。

「しつけーよ、ストーカーども」

 悪態をついて、人ごみに紛れ込もうとするが、霊感に伝わってくる警告は一向に治まらない。
 視覚以外にもこちらを監視する手段があるようだ、そう悟ると急いで霊力を消す。

「これで忍者みたいに気配も消せたら完璧なんだけどな」

 愚痴りながらも彼の足は休まずにオカルトGメンに向かっている。
 どこの誰かは知らないが、とりあえず隊長と美神さんに相談しないと、
 そう思いながら大通りを歩いていたその時、体に何かが奔り抜け、直感的に振り返る。
 見ると、すぐ後ろにサングラスをかけて帽子を着用した男が僅かに驚いたような顔をしている。
 その手には、小型無線機のような機械が握られていて…………スタンガンだ!
 慌てて人ごみを掻き分けて、走り出す横島。
 途中、何度も歩行者にぶつかったらしいが、そんな事は気にせず一直線に逃げ続ける。

 10分ほど走ってから背後を振り向くと、先ほどの男の姿は見えなかった。

「全く。忍者か、あいつは」

 あんなに接近されたのに、しかも攻撃される寸前だったのに、気配も殺気も感じなかった。
 攻撃される直前に逃げ出せたのは、たまたま霊感の警告に従ったからに過ぎない。

「あー、疲れた、もう駄目」

 へたり込みそうになる体を夢中で叱咤して立ち上がるが、走る元気は既にない。
 それでもゆっくりとした速度で歩きながら横島はオカGを目指していった。



「こちらツェータ、ターゲットに襲撃をかけるも逃亡される。自宅に仕掛けた探知機からの反応は依然なし。
 どうやらターゲットはICPO超常犯罪課日本支部へ向かっている模様」

「こちら、イプシロン。ターゲットを発見次第連絡する」

「こちら、デルタ。ターゲットの牽制に発砲許可を」

「こちら、アルファ。現在、ベータ、ガンマと共に駅に到着した。発砲はサイレンサー付き拳銃に限り許可する」

「了解」





 11月4日 19時25分

 頼りない足取りながらも横島はオカルトGメンから、約1Kmの地点まで歩いてきた。
 あと少しでオカルトGメンのビルに着く。
 そう思って横島が最後の力を振り絞ろうとした瞬間、前からまたもサングラスをかけた人間が近づいてくるのが見えた。
 
「俺が何をしたっていうんじゃー!」

 思わず叫んで自棄糞気味に飛び掛ろうとした時、頬に痛みが走る。
 手を当てると生暖かい感触が、その手を見ると赤い色がこびりついている。
 前方から迫ってくる人間の手には黒光りする小さな物体。

「マジかよ」

 銃声は聞こえなかった。サイレンサー付きの拳銃に撃たれたのか。
 それだけ理解すると、横島は素早く回れ右して疲労もなんのそののスピードで逃げ出した。

「逃げてやる、逃げてやる!ゴキブリよりもしぶとく逃げ切ってやる!!」

 時には飛び上がり、壁を蹴り、匍匐姿勢で走り出す横島の姿は言葉通り人間離れしている。
 あまりの逃げっぷりにデルタが呆気に取られる間に、横島は拳銃の有効射程から離れていった。

「しまった!こちらデルタ、ターゲットはそちらに向かった」

「了解、これからハントを開始する」

 交信しながらもデルタも霊波探知機を頼りに横島の後を追い始める。
 もはや横島を追い詰めるのは時間の問題だろう。



「ここまでくれば………とりあえずは大丈夫なはず」

 疲れきった体は使い古しの雑巾の如くぼろぼろになり、疲弊した精神は酔っ払いの如く朦朧としながらも、
 横島は這うようにして近くの公園にたどりつくとベンチの上に寝転がった。

「くそ、こんなことなら駅で文珠を使ってりゃあ良かった」

 あの時は人目につくことを恐れて『転』『移』の文珠を使わなかったが、
 現在のように頭がふらふらの状態では、とても複雑なイメージングや霊波のコントロールなど出来ない。
 とりあえず疲労をとろうと彼は目を瞑ったが、たった数分後に彼の耳に再び足音が聞こえてきた。
 目を開けてがばっと上体を起こして周囲を窺うと、2つある出入り口からそれぞれ数人の人影が見える。
 これ以上は逃げ切れない、その認識は少々物騒な方向に横島のメンタルを突き抜けさせた。

「もう、どうなっても知らねえぞ!」

 予め生成した『爆』の文珠を手に取ると、彼はそれを投げつけようと右腕を振りかぶった。
 その瞬間、公園の中に黒いミニバンが割り込んできた。

「乗るんだ、ミスター横島!」

 横島の前にバンが割り込むと、そのドアが開いた。
 運転席に乗る金髪の男に促され、横島は夢中で中に駆け込んだ。
 それと同時に、バンは反転すると急加速してその場を走り去る。
 数発の銃弾がバンを襲うが、全て弾かれる。そして横島を乗せた車は襲撃者の視界から消え去っていった。



「追いかけますか、アルファ?」

 イプシロンが声をかける。それに対して、顎に手を当てしばし黙考すると、アルファ全員に告げた。

「作戦は終了だ」

「しかし、アルファ!」

 イプシロンの反論を手で制すると、アルファと呼ばれていた男は口調を改めて話し始めた。

「俺たちの任務はあいつに死の恐怖を味わわせた上で、心身を疲弊させる事だろう。もう十分だろう?」

「ターゲットはまだ文珠を残しているんじゃないの?」

 こちらもくだけた喋り方になったガンマが尋ねる。

「それは仕方ないさ。これ以上追い詰めて文珠を容赦なく使われたら、こちらが危ない。
 作戦が失敗するだけなら単に懲罰を受ければいいだけだが、
 もし誰か1人でも正体がばれたら、俺達全員口封じに消されてもおかしくないんだぜ」

「そうそう。あとは他の連中に苦労させればいい」

 ベータが肩をすくめ、ツェータもそれに同意する。
 結局彼らはそれ以上の追撃を止めると、正体が露見せぬように戦闘服から普段着に着替える為の場所を探し始めた。







 11月4日 20時6分

 黒いバンは近くにあるホテルの駐車場に入ると、そこで停車する。
 それを機にそれまで黙っていた横島は運転席の金髪の男に声をかけた。

「さっきは助かったよ。俺は横島忠夫」

「私はピーター・リカルド。ピーターと呼んでくれ」

「OK、ピーター。それで、どうしてあそこで俺を助けてくれたんだよ?」

「善意によるボランティアって答えはどうかい?」

「おいおい、いくらなんでも、それで納得したらやばいだろ」

「ま、それはそうだね。では、本題に入るよ。私が君を助けたのには勿論下心がある。
 それどころか、私があの場所で君に出会ったことすら偶然ではないよ」

「………どういう事だよ」

 険しい顔で警戒心も露に聞き返してくる横島に、ピーターは軽い口調でなんでもない事のように説明を始めた。

「今日は、仕事の関係で君と話をする予定だったんだけど、見かけたとき誰かに追われていたようだったんでね。
 失礼ながら車の中から様子を窺っていたんだけど、ちょっとシャレにならない雰囲気だったから割り込ませてもらったんだよ」

「じゃあ、俺をどうこうするつもりはないんだな?」

「勿論だよ。だって私の請け負った仕事は君の引き抜きなんだから」

「引き抜き!?」

 思わず聞き返した横島にピーターは何故か少しだけ得意げに頷くと彼を促した。

「とりあえず、こんなところで立ち話するよりも私が昨日からチェックインした部屋に行かないか?」

「ああ、まあいいか」

 疲労がピークに達していた事もあり、横島は彼に従ってホテルへと入っていった。




 11月4日 20時18分

「腹は減ってないか?私はルームサービスを頼むが」

「ああ、俺はコーヒーとサンドウィッチを頼む」

「OK」

 ピーターが電話をかけてルームサービスを頼み終わると、彼らは向かい合って先ほどの話を再開させた。

「で、ピーターは何処の何者なんだ?」

「これはまた、単刀直入な聞き方だね。私が所属しているのは『intel』という組織だ。
 『intel』はアメリカ合衆国の設立した情報を扱う公的機関の1つでね。私はそこのスカウトってわけだ」

 そういいながら、ピーターは身分証明書を取り出して横島に見せる。
 それを横島が確認したのを見ると、彼は話を続けた。

「『intel』の上司からは、君を口説き落としてすぐにでも協力を得るようにしろって言い付かっていてね」

「それで、俺にどんな事をさせたくてスカウトしにここまで来たんだ?」

 ピーターに身分証明書を返しながら横島は肝心な部分に切り込んだ。
 それを笑顔のまま受け止めると、ピーターは少し声を潜めた。

「ちょっと長い話になるけどいいかい?」

 横島がそれに頷こうとした瞬間、ドアがノックされる。

「失礼します。ルームサービスをお持ちいたしました」

 ボーイが入ってくると、軽食と飲み物を置いていく。
 彼が去った後に横島がピーターに話を続けるように促すと、ピーターはゆっくりとした口調で説明し始めた。

「我々が君に期待しているのは、今、君がしている事とあまり変わらないんだよ。
 要するに人外の存在を『intel』と他の組織の役に立ってもらえるように説得してくれってことさ」

 サンドウィッチに手を伸ばしながら説明するピーターに、横島もコーヒーを啜りながら疑問を返す。

「説得しろって、どういう条件で働かせるつもりなんだ?
 力ずくで無理矢理従わせようってならお断りだぞ」

「はははは、もちろんそんな事はないさ。
 今、君の取り組んでいる計画のようにちゃんとしたギブ・アンド・テイクなものだよ」

「へー、アメリカもそんな事、認めるようになったんだ」

 少し驚いたような顔をする横島に、ピーターは少し肩を竦めると首を振った。

「いや、一般には内緒だよ。君が首を縦に振ってくれたとしてもしばらくは秘密のままだろうね。
 ま、それはそうと、もしも『intel』に来てくれるなら最低でもこれだけの待遇は用意するよ」

 そういって差し出された書類に目を通した瞬間、横島は僅かに固まった。

「ピーターの職場って給料、こんなにもらえんの?」

「まあ、危険手当付きだから高い面もあるんだけど、基本的にその額と他の面の待遇は君という人間に対する評価さ。
 我々が君に求めているのは、君しか持っていない資質なんだ。
 代わりがない唯一利用できる者を大事にするのは当然だろう?」

 その言葉に思わず涙ぐむ横島。振り返ってみると不遇の時代は長かった。
 人間で唯一の文珠の使い手になった後も安い給料でこき使う、というのがかつての冬の記憶は今なお鮮やかに彼の脳裏に焼き付いている。
 相手が男とはいえ、自分を評価してくれるのが嬉しくないわけがない。
 
「それじゃあ、ここにサインしてくれるかい?」

 話を打ち切って畳み掛けるようにサインを促すピーターに釣られて署名しそうになった瞬間、
 横島に契約絡みのトラウマの記憶が蘇ってきて、彼の手を止めた。
 慌てて姿勢を戻すと、横島は咳払いして僅かに引っ掛かっていた事に切り込んだ。

「ピーター、建前はそれくらいにしてくれ」
 
 一瞬ピーターの顔が硬直する。が、すぐに柔和な表情を浮かべると彼はとぼけたように返事を返した。

「建前?何のことかな。私が話した事に嘘なんか少しも混じってないよ」

「じゃあ聞くけど、俺にスカウトさせた人外の存在をどんな目的に活用するつもりなんだ?
 俺だって『組み込み計画』に参加してからそこそこ経つ。
 計画に関連してとてつもない額の予算を扱う官僚と話す機会も何度も会った事がある。だから分かる事もあるんだよ。
 例えば、この計画が国家的な規模で効果を発揮するためには、あんたの言うような方法じゃあとても無理だって事。
 公にしないで進められる規模の効果なんて国レベルで見れば高が知れてる。
 無駄とは言わないが、態々こんな良い待遇で俺をスカウトする理由としては薄弱だ。
 なら、別の目的があると考えた方が自然だろ。
 さあ、答えてくれよ。ピーターの所のお偉いさんの狙いはなんなんだ?」

 先ほどとは打って変わって睨むように真剣な眼差しでこちらを見る横島の言葉に、ピーターは内心で感嘆した。
 全くあの報告書を作った人間の能力を疑わざるをえない。
 目の前にいる人間の知性が平凡なハイスクールを芳しくない成績で卒業した程度にすぎないだと?
 数年間アルバイトをしていて、半年前にようやく美神事務所の正社員になれた程度の実力だと?
 馬鹿が。横島忠夫のアルバイト時代の実績の分析があまりにも不十分ではないか。
 この男は、ここ何年も人や人外の連中相手に力と知恵を駆使して交渉を続けて成果を上げてきた男だぞ!
 言わば交渉のエキスパートだ。こちらの言い分の裏なんぞ即座に気がつくに決まってる。
 しかし心身が消耗しているくせに、これだけの洞察力を発揮するとは、よほど勘が鋭いようだ。

「確かに君の言い分も分からなくもない。でも私は一介のエージェントにすぎない。
 お偉方が私如きにそこまで説明してくれるはずも無いんだよ。だから私は上から聞かされた範囲では嘘は1つも吐いてない」

 宣誓するように軽く片手を上げると、それでもピーターは軽い口調で答える。
 その言葉には確かに説得力があった。
 背後にいる組織が多きければ大きいほど現場の人間に上層部の思惑は伝わりにくいものである。

 彼がどれほどの程度の地位の人間かは分からないが、
 それが分からない限り自分にとって、裏の事情を聞き出すことも推測する事も不可能だ。
 そう考えると横島は首を振って返事を返した。

「これだけじゃあ、判断材料としては少なすぎる。悪いが断らせてもらうよ」

「残念だな。こちらは今の君が受けている待遇に比べて破格の待遇を用意する準備がある。
 だから考え直してくれる気はないかい?」

「どうしてもスカウトしたいなら、せめてもっと詳しい事情を説明できる人間を連れてきてくれ。
 俺だって金があれば嬉しいし、遣り甲斐のある仕事なら転職する気にもなるかもしれん。
 でも、さっきのあんたの説明だけだと、下手したら犯罪の片棒を担がされる、って不安が残るからYESとは言えねえよ」

 そう言って立ち上がった横島だが、歩き出そうとした時に体がふらついた。
 おもわずよろけそうになって目の前のテーブルに両手をつく。

「大丈夫かい。一体どうしたんだ?」

「すまねえ。なんだかやけに体が重くなって………」

「無理もない。さっきまで銃器で武装した連中とドンパチやってたんだから疲れが出たんだろう。
 ここで横になっていくかい?」

 再び歩きだそうとして、倒れそうになった横島をピーターが支える。

「ああ、わりいけどそうさせてくれ」

 そう言うと横島は備え付けのベッドに横になって目を瞑った。
 重い頭の片隅で、疲れていたとはいえ何故こんなに急激に眠気が襲ってきたのかを不思議に思いながら。




「もう入ってきてもいいぞ。ウォン」

 横島の様子を確かめたピーターが携帯電話を取り出してそう告げると、程なくして1人の男が部屋に入って来た。
 どう見ても東洋系の顔立ちの長身の男はこのホテルの制服を身につけている。

「ウォン、あの薬の効果はどれぐらいだ?」

「常人なら24時間、訓練を受けている者でも10時間は眠り続ける」

「それにしても随分と早く効いたな。ミスター横島が予想より早く席を立ったから随分と焦ったよ」

「そのために別チームが心身を疲弊させたのだろう」

 ピーターの質問にウォンは淡々と答える。
 全く感情を感じさせない口調は彼が先ほどこの部屋に入ってきたときとは別人のようだった。
 ホテルのボーイに扮したウォンはピーターがルームサービスを頼んだときに、
 予め横島の飲むコーヒーに即効性で筋弛緩と睡眠効果のある薬を仕掛けてから届けたのだ。

「これで準備は完了だな。では今から第二段階に入るとするか」

 そう言いながらピーターはウォンの持ってきた鞄を置けると注射器とアンプルを取り出す。

「これで本当に起きた時には俺達に逆らえないようになってくれるとうれしいんだけどな」

「臨床試験の結果とお前の暗示がうまくいけば問題ないだろう。とりあえず今はやれる事をやるだけだ」

「りょーかい」

 無機質に答えながら横島の服の袖をまくって腕を露出させたウォンに苦笑を返しながら、
 ピーターはアンプルの中身をセットして注射器を横島の腕に刺した。

「ターゲットは確保した。処置も済ませて今は眠らせてある。これからそちらへ向かう」

 ピーターが横島への処置を行っている間に、ウォンがどこかへ連絡入れる。

 やがて何かを持ち上げる音が聞こえると、程なくして部屋から人の気配が消える。
 足音が遠ざかっていく音が微かに響くと辺りは静寂に包まれ、部屋のベッドで寝ているはずの横島の姿は影も形もなくなっていた。


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