椎名作品二次創作小説投稿広場


下弦の月

遭遇


投稿者名:ライス
投稿日時:05/ 4/ 9

 彼女は夜通し走り続けた。どうしようもなく、ただ無言で駆け抜けていく。不思議と疲れはない。シロは道標もなく、闇雲に森を突き進んでいく。気付くと周りは明るくなっていた。太陽が昇っている。もう、どれだけ村から離れたのか分からない。自分の知らない風景だ。随分遠くに来てしまったらしい。それで良かった。何もかもを忘れるには、うってつけだった。
(タマモは、無事でござろうか?まぁ、あいつの事でござる。きっと元気になって、憎まれ口を叩いているでござろう。きっと。きっとそうでござる)
 彼女は心の中で呟く。タマモの事が心配ではある。しかし、自分が心配していいものか悩む。会って謝りたい。その思いは強くシロの心を締め付ける。辛い。自分が自分でなかった瞬間の出来事だけに余計に辛い。やめよう。
(でも、美神どの、おキヌちゃん、他のみんなはどうしてるでござろう。多分、倒れているタマモに驚いたでござろうなぁ……。拙者がタマモに大怪我を負わせたのだから、さらに驚くでござろう)
 そして、また呟く。戻ったところで、自分がタマモにやった事は事実でありなんら変わらないだろう。このまま帰ったとしても、自分の中で動きまわるおぞましい感情を抑えられずに、再び誰かに手を掛けることになるだろう。だから戻れない。村に至ってはもってのほかだ。やめよう。
(せんせぇ、拙者は……)
 やめよう。
 考えるのをやめよう。そして忘れよう。いや、忘れていたい。今、この時、こんな時だからこそ。シロは考えたくなかった。自分が馬鹿だからというわけではなく、思い起こすのが辛いだけだからだ。自分がその災いの種であるから、なおさらだ。だが、苦楽を共にしたかけがえのない仲間を忘れられるはずもなかった。彼女は希少な人狼の女性でもあり、また武士の誇りを併せ持っている。義侠心があり、仲間を大事に思う強い思いが彼女にあるために、忘れられないのだ。
(拙者は何処へ行けばいいのでござるか……?)
 自分がいた街にも故郷の村にも戻れない。彼女の行き先は誰にも分からない。走り続けるしかないのだ。村からも街からも、遠く遠く離れた所に行きたい。それだけがシロが望む事だった。
 その時。ふと考え事から我に返ると、シロは体勢を崩してしまった。足のもつれか、思わずなのか、バランスがつかなくなり、彼女は慌てた。体勢をを取り戻そうと努力はするものの、結局、彼女は山の急勾配を転げ落ちていってしまった。
「あああぁぁぁぁぁ〜〜っ!?」
 朝の何処とも知れない山奥の出来事。彼女の叫びが山びこになって辺りを響かせた。


       ◆


 村に朝日が昇った。またいつもように朝の風景が村に広がる。長老はすでに起床して、なにやら身支度をしている。どうやら旅支度のようだ。その後、彼は蔵の方へ行き何かを探した。
「どこじゃったかの、あれは」
 村にある蔵は武器庫だ。剣やら銃やらがそこら辺ごろごろと転がっている。そこに長老は入っていた。探し物は続く。目当ての物が見つからないようで、そこら中にある刀や他の武器を押し寄せながら、奥へ、奥へと入っていく。
「おぉ、あったあった。これじゃ、これじゃ……」
 そういって、手に取ったのは一組の弓矢。単なる古めかしい竹弓ではあるが、そこは年代ものらしい風格を漂わせていた。矢もまた似たような雰囲気を醸し出している。長老はそれらを蔵から出すとそれぞれ持ち運びやすいように、矢は矢筒へ、弓も弓袋に入れた。彼はこしらえてもらった握り飯を笹の葉で包み、また茶の入った竹筒の水筒を三本を腰巻にぶら下げる。包んだ握り飯は蔓で縛り、さらに風呂敷に包んで、自分の背中を斜めに横断するように掛けた。そしてわらじを履いて、笠をかぶると、出発の準備が整ったのだ。
「では、行って参るぞ。わしが旅の出たことは内密にするように。よいな?」
「はっ……!」
 長老は自分の世話をしてくれている若い人狼に言付けると、屋敷の裏側からこっそりと出発する。蔵から引っ張り出してきた弓矢を持って。彼の向かう先は、東京。そこでシロに何があったのか。自分の目で確認したい、彼はそう考えていた。それで、もし最悪の事態が起こっていた場合は……。いや、今は考えるのをよそう。長老は胸に誓うと、老人とは思えない足並みで山を駆け下りていった。


       ◆


 シロがいなくなって四日が経った。その傷跡は未だに深い。事務所にはいつもの三人が出揃っている。誰も動こうとはせずに、押し黙ったままである。依然、まだ情報らしい情報も被害も伝わってきてはいない。世間的には幸いな事だろう。しかしミクロ的視点から見るとすれば、それは幸いな事なのだろうか。決して幸いではないだろう。むしろ状況は深刻である。未だに当事者は見つからず、被害者は都庁の地下でその目覚めを待つばかり。三人は待つしかなかった。
「晴れてるわね」
 美神が席を立って言う。外はまもなく木枯らしでも吹き出そうかという寒々とした青い空で、澄み切っていた。それでいて、どことなく寂しい感じだった。まるで現在の状況を表している、その様にも思えた。横島とおキヌは沈黙という堰を切った彼女に注目している。彼女は窓を眺めながら、言葉を続けた。
「シロは今、どこなのかしらね」
「さぁ……。案外、村なんかに戻ってたりするかも」
 おキヌはなんとなく相槌を打つ。このまま、黙っていてもしょうがないと感じたのだろうか。この場の重い空気をなんとかしようと、彼女は話にふくらみを持たせようとしていた。
「だと、いいんだけど。それにしても……」
「どうかしました?」
「どうもこうも、シロのお陰で仕事がぱぁよ? のこのこと帰ってきたら、とっちめてやろうかしら」
「み、美神さん、いくら冗談でもそれはまずいですよ? 状況が状況なんですし」
「そ、そりゃそうだけどね」
 おキヌの言う通りだった。重かった空気は更に重くなったような気がした。やはり逆効果であった。彼女が目の前を振り向くと、そこにいる横島は口を開こうとはしなかった。ソファに座り込んだまま、うつむいて床を眺めている。
 彼は彼女達にはあの日、シロに会ったということを教えた。そこの事を伝えた後、美神に拳骨で殴られたのは言うまでもない。だけど、その時はシロがタマモを傷つけたことなど信じられなかった状況であった。
 彼女は一方的に自分から離れていったのだ。横島には訳の分からない事ばかりだった。あの時の雨。びしょ濡れの彼女。そして、一方通行の別れの言葉。そして、別離。何から何まで判らない。
『遠くに行っても見守っていて欲しい』
 彼女がなんであんな事を言ったのかも分からないし、理解する術もない。自分の言いたいことも言えずに、彼女は去っていった。その言葉の意味をも、持ち去って。
「でも、いい天気ね」
 美神は横島の事を見向きもせずに、窓の外を眺めた。雲ひとつない青空はどうしようもなく綺麗で果てしない。同じ空の下のどこかにシロはいる。そして、同じ空を見つめているに違いない。そう願いたい。美神はそんな思いを張り巡らせいる。ふと時計を見た。そろそろ、隣のオカルトGメン日本支部の緊急対策本部で定例会議が行われる時間だ。彼女はそれに参加しなければならなかった。
「あら。いつの間にか、会議の時間みたいね」
「あ、そういえばそうですね。最近、本当に時が経つのが早くて。気付かない内に結構経っちゃてるんですよね」
「ほんとにそうね、老けたって事かしら? あぁ、いやだ。それじゃ、留守番よろしくね。あと、そこで黙り込んでる馬鹿もお願い」
 美神は窓を眺めるのをやめると、上着を羽織り部屋を出て行った。
「いってらっしゃい」
 おキヌは美神を見送った後、再びソファに座り込んでうつむく横島を正面から見つめていた。
「シロちゃんもタマモちゃんも無事だと良いですね」
 横島に発言を促そうと、おキヌはそっと話しかけてきたが返答は来ない。
「きっと大丈夫ですよ」
 おキヌは拳を強く握って言う。何の根拠もないけれど、そう励ます以外には何も出来ない。
「だから、横島さんもそんなに思いつめないで下さい。シロちゃんがいなくなった事は横島さんのせいじゃないんですよ?」
 確かにそうだった。シロは自らの意思で横島から離れていったのだった。しかし。
「心配なんだ」
 横島はとつとつと呟き始めた。
「飛び抜けるほどに元気だったシロがあの夜、あんなに弱々しかった。微笑み返してきた笑顔もどこか切なげで悲しそうだった。雨に打たれていて、明かりも薄暗かったんでよくは見えなかったけどそんな感じだったよ。向こうはこっちに心配させたくないと思ったんだろうな。ったくよ、変な時に気ぃ使いやがって。だけど、それがひどく辛そうに見えたんだ……」
「横島さん」
「その時、思ったんだ。二度と会えないんじゃないかって。案の定、こっちに来たらシロはいなくて。おまけにタマモは大怪我を負っていた。次の日のここの雰囲気ときたら……。こんなにも寂しく思えたのは初めてだった。二人がいなくなって気付いたんだ。いつもがやかましい分、いなくなると余計に寂しく思えるんだってね」
 横島はうつむいたまま話し続ける。
「俺には判らないんだ。シロがなんであんな顔をして俺の前から、事務所の皆から離れていったのか。あいつは俺を半ば突き放して去っていっちまった。理由は知らない。もうここにはいないんだ。だから、俺は知りたい。なんで目の前から去っていったのか、あの笑顔を無理矢理作った意味がなんなのかを。知りたいんだ……」
 横島は顔を上げて、おキヌの方を見て搾り出すように言った。表情は思いつめている。おキヌは励まそうと言葉を考えるが、何も言い出せなかった。
「けど、横島さん」
 すると、ドアの呼び鈴が鳴る。誰か来たみたいだ。おキヌは何か言いかけようとしたが、それに遮られて、言葉は続かなかった。彼女はドアを開けに階段を下りていった。客を出迎えるためだ。しかし、この来客が彼女の思う以上に、この件に関して重要な意味を持つものとなったのだった。
「あ、これはこれはおキヌどの。お久しぶりでござる。美神どのはご在宅でござろうか?」
 人狼族長老の突然の訪問であった。


       ◆


 目覚めると布団の中だった。
「ここは……」
 シロは仰向けに横たわったまま、天井を見上げていた。見慣れない所だった。どうやら人家のようだ。古ぼけた天井だった。でも、懐かしい感じもする。周りは古めかしい囲炉裏と板ぶきの床。不思議と心は落ち着いている。ふと長老から受け賜った刀がないのに気が付く。慌てて周りを見てみると、刀は枕の目の前に置かれていた。シロは安心した顔つきで大きく呼吸をした。
 顔を横に振り向けると壁にあった格子が開いている。外を見ると、空は晴れていた。雲が途切れ途切れに細々と浮かんでいる。鳥が飛んでいた。鳥が空を自由に飛んでいく姿をじっと見つめていた。
 あぁ、自分もあの鳥のようにどこか遠くに飛んでいけたらなと、彼女は物思いにふける。誰も傷つけたくない、だから誰も知らない場所で、ひっそりと一人で暮らしたい。今となっては、彼女の願いもそんな寂しい希望でしかなかった。
 日に日に衝動は強まっていく。殺したいという欲望が頭の中を満たしていく。村の仲間を、事務所のみんなを。この手でじわりじわりと握り潰したり、ざくざくと切り刻みたい。返り血を浴びて生き血を飲みたい。そんな事を思う自分が怖かった。そしてその想像をするだけで、快感にも似た身震いをする自分を抑えつける。今日はなんとか抑えがつけられた。明日、抑えられるか不安だ。おぞましい衝動は強まっていく。明後日、五日後、一週間先の自分がこの衝動を抑えられるかどうかとても不安だった。ひょっとすれば、欲望に負けてしまいかねない。それだけはあってはならない。自分の大切な仲間を自分の手で失いたくはない。自分が慕う師匠の横島も誰もかも、だ。シロは固く心に誓う。
「あ、起きたんだね! 母ちゃ〜ん、お姉ちゃんが起きたよー?」
 聞こえてきた声にシロは、はっとした。子供の声だった。子供は母親を呼びに姿を消した。シロは布団から上半身を起き上がらせると、声がした方を見ていた。その方向にはかまどがある。村の住まいと似たような家の造りだった。
「だからでござるか」
 懐かしさを覚えたのはそのせいだろう。昔、まだ父と母が生きていた頃の楽しい家族の団らん。それが囲炉裏の周りであったのを覚えている。今になって思い出した。ここはその時の家とそっくりだったのだ。
「母ちゃん、早く早く!」
「そんなに急かさないのよ、ケイ。お姉ちゃんがびっくりしちゃうでしょう?」
 再び声が聞こえてきた。子供と女性の、つまりは親子の声。家に入ってきた親子二人は、起きてきたシロを見た。
「あぁ、良かった。大丈夫ですか? 丸一日意識がなかったから、心配しましたよ?」
 母親は拾ってきた薪をかまどの横に置いて、座敷へと上がるとシロに声を掛けてきた。しかし、何故か母親の服装はボディコンスーツだった。
「私が狩りをしていた時に気絶していたあなたを偶然見つけて、ここに連れて来たんですよ。」
「か、かたじけないでござる! このお礼をなんと言えばいいのやら……」
 シロは母親に向けて、感謝の意を示して頭を垂らす。すると母親は謙遜しながら、後に続いた。
「止してくださいっ。私たちは当然のことをしたまでですよ? お顔を上げてください」
「……ところで、ここは?」
「人知れぬ森の奥です。昔は民家もあったみたいですけど。私達、ここを勝手にお借りして暮らしているんです。」
「で、では、なぜこんな所に」
 シロは気付いた。この親子二人は少なくとも人間ではない。人間の霊力とは違うものを感じたからだ。となると、自分と同じ類の種であると言うことだ。でも、人狼ではなかった。かと言って、タマモのような妖孤でもない。となると、この親子は何者なのだろうか。答えは子供が持っていた。髪の毛が対照的に二ヶ所逆立っている所がある。まるで耳のように。あと二人には共通の特徴があった。二人とも目が猫の目のようだったのだ。彼女はそれから推測して、二人の正体を考えた。
「化け猫、でござるか?」
「えぇ。あなたは人狼ね? 人狼は群れをなして村を作ってるはずだと思いましたけど、あなたは一人ですよね? 何かあったんですか?」
「それは……」
 シロは一瞬、口をつぐんだ。その様子を見て、母親の方は何かを察したのか小さく微笑んだ。
「いいんですよ、別に言わなくても。なにか言えない事があるのなら、私達は無理に尋ねませんので」
「し、しかし」
「でも何かあって、村にはいられないのでしょう? 見たところ、あなたは悪い人じゃないみたいですし。それに怪我の事もありますから、どうでしょうか。ここで暮らしてみては。ケイも一人ぼっちなので、遊び相手が出来ればきっと喜びますわ?」
「いいんでござるか? 拙者のような見ず知らずの者をたった二人だけの家に迎えたりして……」
「構いませんわ。人が多いほど賑わいますし、困った時はお互い様ですから」
 シロは嬉しかった。こんな姿になってしまった自分を受け入れてくれる人がいたことを。 
「では恐縮ながら、お言葉に甘えるとするでござる。申し遅れたでござるが拙者、名を犬塚シロと申す者」
「そんな、畏まらなくてもいいですよ。私は美衣。向こうにいるのは息子のケイです」
 静かな森。秋の青空にはいわし雲がうかぶ。その日、親子二人とシロは出会った。そして、人が入ってきそうにもないこの森の奥深くで、三人の奇妙な生活が始まったのだった。


 続く


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