椎名作品二次創作小説投稿広場


下弦の月

疎外


投稿者名:ライス
投稿日時:05/ 4/ 9



 夕暮れ時。GS美神除霊事務所。横島はいつものように玄関ドアを開けた。その足取りは重い。階段を上り、二階の応接間のドアを開ける。すると、中では美神とおキヌが談笑していた。
「おはよ〜っす……」
 力の無い挨拶。今日もまた仕事である。とはいえ、悪霊の類が活動するのは例外を除けば、大抵は夜に限られる。その例に漏れず、今日の仕事も夜からだった。
 話していた二人は彼が入ってきた途端、急にばつが悪くなったのか会話を止めてしまった。おかげで気まずい空気が少し出来たが、彼女達は気遣うことなく、普通に彼と接し始めた。
「あ。おはようございます、横島さん」
「おはよ、昨日は大丈夫だったの? 傘持ってなかったみたいだけど、濡れたでしょう?」
「えぇ。でも、大丈夫ですよ。風邪も引いてませんし」
 ふと横島は後ろを振り向く。そして、再び気付かされた。シロがいない事を。いつもならば、天井からドタドタと駆け抜ける音がして、けたたましく階段を下りる音がしてくる。直後にドアが開き、その向こうからシロが自分の背中に飛びついてくるはずである。それが今日はないのだ。
 彼女は昨日、雨雲の向こうに消えていってしまった。どこに行ったのだろう。人狼の里だろうか。どちらにしても、ここにシロがいない事は確かなのだ。タマモもまたいなかった。彼女は、都庁の地下にある霊的施設で眠っていることだろう。幸い、怪我は思ったより浅く、快方に向かっているらしい。結局、シロがタマモに重傷を負わせ、どこかに消えてしまったという事実だけが残ったのである。
 横島が消沈しているのも、これが原因である。昨日まであった賑やかさがない。賑やかしの原動力だったはずの二人がいないからだ。加害者と被害者。今、二人の関係はそういう状況なのだ。オカルトGメンは警戒態勢を取り、もしもの緊急事態に備えている。ここも例外ではない。美神もその対策をしていることだろう。
 元の三人体制に戻ったとは言っても、やはり彼女達二人の存在は大きかったという事なのだろうか。事務所はどことなしに静かで、広かった。いつの間にか、五人いる事に慣れていたのだ。だから従来どおりの三人に戻っても、どこか物寂しい。心の隙間が埋まらない感じだ。横島にはそう思えた。
「……横島さん?」
「ん、あぁ。何? おキヌちゃん」
「なんだか元気無さそうに見えちゃって。大丈夫ですか?」
「大丈夫さ、なんとかね。ただ……」
「ただ?」
「あっ、いや、なんでもないよ。なんでも……」
「そうですか? なら、いいんですけど」
 なんでもない訳はなかった。シロが別れを告げた時、目の前にいたのは自分だ。雨に濡れていた彼女の苦しそうな笑みと目から涙がこぼれ落ちていったのを、自分ははっきりと見た。心配させまいと思ったのだろう。だが、不安は募るばかりだ。普通ならこっちがやかましく思う位、元気に満ち溢れていた彼女だからこそ、心配になってしまう。
「二人とも何してんのよ? 早く仕事の準備しなさい!? ただでさえ人手が少ないんだから、サボるのは厳禁だからね? 分かってる?」
 美神は話していた二人を見て、急かし立てる。除霊の仕事も暇ではない。こうして二人が欠けている状態でも仕事はある。仕事は待っちゃくれない。それに随分と前から予定に入っていた仕事で、外すことは出来ない。彼女とて、二人の事が心配じゃないはずが無い。現にこの仕事の後に入っていた仕事は、全てキャンセルとなった。仕事が終了次第、オカルトGメンと共に緊急対策本部を立てることになっているのだ。なんのかんの言っても、やっぱりこの人も鬼ではない。
「あ、ハイ! 今すぐ、準備しますね? ほら、横島さんも早くっ!」
「……」
「横島さん?」
「こらっ、横島ぁ!! さっさとしないと給料、さッ引くわよ?」
「あぁ、ハイハイ。言われなくても、やりますよ? 人使いが荒いんだからなぁ、もう」
「……なんか言った?」
「と、とんでもない! 言われた通りにやりますよ、準備を!」
(シロ……。お前は今、どこにいるんだ?)
 慣れた会話。息の合った、阿吽の呼吸、どうとでも言えるが、やっぱりパズルのピースは欠けていた。三人は仕事へと出かけていく。街は夕暮れ時。今日は昨日とは打って変わり、空は晴れ。日暮れの茜色はきれいに映えて、滅多に見ることが出来ないくらい美しい夕焼けを見せていた。
 


       ◆




 夕焼け。空を赤く燃やし、焦がすような色。散り散りに浮かぶ雲は暗く、沈む太陽に差し掛かっていた。嫌な感じが漂ってくる。ここ数十年、こんなにどろっとした殺意を感じた事はなかった。まるで、体中をヌメヌメとした物がまとわりついてくるようなおどろおどしい殺気。彼女から真っ先に感じたものがそれだった。
「シロ……、なのか?」
 長老は彼女を見て、愕然としていた。服装は、確かに彼女であった。だが、どうだろうか。爪は長く伸びて、尖っていた。牙も鋭さを増しているようである。それらの中でも、彼が特に目を見張ったものは、彼女の髪だった。彼女の髪は白く長い後ろ髪に、赤く染まった前髪が特徴だ。それが今、逆転している。
 風が山中になびく。彼女の長い髪は揺らめいていた。鮮血のように妖しく映える真っ赤な後ろ髪。それとは対照的に、雪が積もったように真っ白い前髪。彼女は一変した。表現はつたなくなるが、彼女の変化を物語るのならば、充分に足るものであった。
「長老ぉ」
 山から転がり落ちてきた少女の苦しそうな声。彼女の目は今にも涙がこぼれ落ちそうで、辛そうだ。また、救いを求めているようにも見えた。すると長老は落ち着いて、彼女を問いただす事にした。
「一体全体、どうしたと言うんじゃ? こんな日暮れに」
 彼女は長老の方をじっと見つめると、ゆっくりと喋り出した。
「拙者は、もう自分が分からない……! 昨日の晩に月を見て以来、何かがおかしいのござる」
 長老は一瞬、顔を強ばらせた。まさに驚きを隠せないでいた。昨晩は下弦の晩のはずである。先ほど、子供らに昔話をしてやったばかりだというのに。
「勝手に心臓が高鳴り始めてっ。その次には、心の奥からなにか得体の知れないものがこみ上げて来たんでござるっ!」
「得体の知れないもの?」
「そうでござる。でも、気持ち悪いものでは決してござらん。むしろ、気持ちのいいものでござった。ぞわぞわするような、恐ろしくそれでいて楽しくもある不思議な感じ。そんな感覚を覚え、ふと気が付けば、拙者は月に吠えていたのでござる。そして拙者は、取り返しの付かない事を……!」
 そう言うと、シロは顔を逸らす。途端に、彼女の身体は震え始めていた。太腿の上に置いていた手の平を強く握る。握り締められた拳が次第に汗ばんでいく。そして、彼女の目はまるで怯えきっていた。今にも狂いだしそうな目。よっぽどの事があったのだろう。まるで何か悪い事をして、怒られるのを恐れている子供のようだ。こんなに弱々しい彼女を見るのも、初めての事だった。そして冷や汗がたらりと頬に流れ、彼女は意を決して息を吸った。
「拙者は……、拙者はタマモを傷つけた!!」
 シロはさらに拳を強く握り返した。さらに、拳を作り出している手は小刻みに震え出している。タマモというのが何者であるかと言うことは、美神が時たま送ってくる手紙で知っていた。シロのよき喧嘩相手であり、また仲間でもあると。だが、シロは傷つけてしまったらしい。その証拠に彼女の着ている、破れかけたTシャツには何か黒い点々が大小、散っている。薄暗くてよくは分からないが、恐らくはタマモの血なのだろう。また彼女の口調から、決して本意ではない事も判る。けれど、シロの表情は浮かない。武士として、自分の行動が許せないのだろう。長老には分かっていた。シロが下弦の月を見てしまったという事を。かつて、兄がそうなったようにシロもまた……。長老は苦々しい思いで、歯を食いしばった。
「そう、拙者はタマモをこの手で壊してしまった。ただただ、快楽でござった。タマモを傷つけたくて、殺したくて、それが楽しくてしょうがなかったんでござる」
 シロはうつろな目で吐き捨てるように語り出した。
「そして切りつけて、タマモが血しぶきを上げた瞬間。拙者は得も知れぬ快感に襲われたのでござる。ゾクゾクと震えるような気持ち良さが全身に走って……。その時にはもう、傷ついたタマモに気に掛ける余裕すらなかったし、それを察することも無かったんでござる。タマモといえど拙者の仲間でござる。なのに拙者は、拙者はっ!」
 狼狽する彼女。頭を抱え、髪をくしゃくしゃにしてまで苦悩している。武士としての誇りがより彼女を憤慨させているようだった。
「もう、自分の事がなんだか分からなくなってきたでござる……」
 対して。それを見つめる長老は冷静さを取り戻し、またシロへと問いかけた。
「下弦の月を見てしまったのだな?」
「? 確かに拙者は月を見たでござるが……、それが何か?」
「何も知らんのか? 親からは何も聞いておらんのか?」
「……長老。それは冗談で言ってるのでござるか?」
 長老はすっかり失念していた。彼女は天涯孤独の身になってしまったという事を。もうここには、彼女の帰るべき家も迎えてくれる者もいないのだ。
「む……。そうだったの、すまぬ。しかし、何も聞いてはおらんのか?」
 シロは頷く。
「では、寺子屋の授業で習わなかったのか?」
「せっ、拙者はそのぉ」
「なんじゃ、言うてみろ?」
「その、言い出しにくいのでござるが、いつもつい居眠りを……」
 やはりかと、長老は溜息をついた。そして。
「馬鹿者がっ」
 静かに呟いた。怒り心頭というわけでもなく、抑揚の効いた低い声で穏やかに。
 シロは長老が怒鳴ってくれた方がどんなに良かったか、それだけを考えていた。だが、実際は事の重大さを知らされただけだった。自分が何をしてしまったのか、全く知る由もなかった。分からなかった。気付けば、いつの間にか月に魅入られ、タマモを傷つけた快楽に酔い、横島さえも……。今は正気だが、またいつになったら、自分が狂気に走るか分からない。それが怖くて、救いを乞うために村へと戻ってきた。しかし、結果は愕然とするものだった。長老の諦観にも似た表情。それが全てを物語っていた。
「長老」
「……今は、正気なのじゃな?」
「勿論でござる! でなければ今頃、長老の首を引きちぎって殺しているはず」
「では、正気に戻ったのはいつじゃ?」
 シロは頭を捻り、思い出そうとした。けれど、頭に浮かぶのは横島の顔ばかり。頭の中を何度振り払っても、同じことの繰り返し。しかし何故、こんなに彼の顔が浮かんでくるのか、それが彼女には不可解だった。横島の事は確かに大好きではある。が、こんな緊迫した状況で思い浮かべている場合ではない。彼女は懸命に正気に戻ったときの事を考えたが、結局、何も思い出せなかった。
「思い出せんか」
 頭を悩ませているシロを、脇で見ていた長老は催促するように聞く。
「はい。どうしてなのか、よく分からないのでござるが、先生の顔が浮かんできて思い出せないんでござるよ……」
「先生?」
「そうでござる」
 知っての通り、シロの言う先生とは無論、横島の事だ。長老も彼とは面識があったし、彼女が横島をその様に呼んでいる事も知っている。すると、彼は何も言わず、肩で深く、大きく呼吸をすると、シロに向けて語り出した。
「……まぁ、いい。だが、よく聞くのだ、シロ。お前は下弦の月の呪縛に取り付かれたのじゃ。今は大丈夫かもしれないが、やがてはお前の精神を侵食して、破滅に追いやるだろう」
「そんな! じゃあ、拙者は、拙者はどうしろと言えばっ!」
 聞きたくなかった。そんな宣告に耳を貸したくもなかった。ここに戻ってきても、残るのはただ絶望だけなのか。救いを、助けを、自分は求めてきたと言うのに。
「……だが、このまま黙って見過ごすわけにもいかん」
 そう言って、長老は書斎の奥に戻ると、掛け軸が掛かっている下に置いてあった二本の大小の鞘の長い方を手に取り、それをシロに渡した。受け取った瞬間、彼女は何かを感じ取った。心の中で共鳴しあうというか、繋がるような感覚。ここへ来る前にかすかに脳裏で声のようなものが聞こえた。この刀が呼んでいたのだろうか。シロは鞘に収められた刀を見つめながら、そう思った。
「お前にはそれを渡しておこう」
「これは……?」
「この刀は十六夜(いざよい)と言う。古くはアルテミスの加護を受け、人狼族の蔵に納められていた刀じゃ。一説によれば、隕鉄で作られたとも言われておる。きっと、お前に役立つはずだ。この刀を託そう。そして、村を出てゆけ」
「えっ」
「おまえは危険な存在じゃ。おまけにわしは長老と言う立場にある。だから村の安全を第一に、考えねばならん。遥かに昔にだ、お前と同じような者が出ておる。その時はわしもまだ、子供だったが、その者のおかげで、ワシは家族を失い、村には多くの犠牲者が出た。過ちは二度と起こしてはならない。これ以上、村には犠牲を出してはならんのだ。分かるな?」
「拙者は八分者でござるか……」
 言葉は吐き捨てられるように出てきた。その背後には失望が見え隠れしている。
「辛い事ではあるが、納得してくれ、シロ。お前がいなくなれば、村の安全は保たれるのじゃ」
「しかし……!」
「行けっ!!」
 長老の怒声が響く。それに気圧されたように、身を乗り出していたシロの体が一歩、引いた。長老は背を向ける。シロもまた、その無言の合図に抵抗するを止め、力を抜き、ゆっくりと立ち上がった。
「分かったでござる……」
 消沈した面持ちで、彼女は庭から離れていく。歩調はゆっくりと、そして次第に早く。シロは山の闇に消えていった。その姿はどこか悲しく、寂しい。彼女は二度と戻れない。今は亡き、家族との思い出が詰まった故郷に。別れを告げながら、駆けていく。
 日は沈み、夜はやって来ていた。瞬く星々の中に大きく浮かぶ月。空気が澄んでいるせいか、その穏やかな輝きは静かに強まっている。
 山の闇は深い。木々は夜空を葉で覆い、山なみの森はさながら闇の街道と化していた。そんな道なき道を進む、シロの行く末を示すようである。行き場を失った。これから何処へ行けばいいのだろう。彼女の中では、そればかりが堂々巡りしていた。行くあても無い。彼女は考える。今までにあった事、そして、横島の事を。
「先生ぇ……」
 その言葉を呟くと、それらを考える事を止めた。余計に辛くなる。彼女は走った。一心不乱に。あてもなく、どうしようもない。今は悲しみを背負い、無心に走るだけ。それしか考えないことにした。そうすることで、少しは気が楽になるだろうと思った。それだけだった。シロは長い夜を、村よりさらに先の山奥に突き進んでいく。

 長老は後ろを振り返らなかった。彼女は下弦の月に魅入られてしまった。かつて、自分の兄がそうなったように。しかし、村の安全は絶対に保持しなければいけない。彼女が再び戻ってくるようであれば、自分は、村に住む同志は、彼女を始末する事だろう。
 彼女が芯が強い。犬飼の忘れ形見であるシロ。武士であった父の遺志を継ぎ、彼女は強く生きようとしている。だが、彼女の命運は定められてしまったのだ。破滅へと向かう運命へと。
「シロよ、すまぬ」
 長老の思いとは裏腹に、星々は夜空にきらめいている。それは美しく、また皮肉めいたもののようにも思える。彼は空をしばらく見上げ、星空を眺めていた。眺め終えると、縁側の雨戸を引き出して閉めていく。
 こうして夜は何食わぬ表情をして、そして更けていった。


 続く   


 


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