椎名作品二次創作小説投稿広場


そして続く物語

シロ、奮闘する


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 4/ 4

「せんせー、おはようございます、散歩に行くでざる!」

 まだ早朝というにも早い時刻に横島の自宅のドアをどんどんと叩く少女が居る。
 その容姿は、高校生くらいのうら若い乙女にしか見えない。
 半袖短パンでほっそりとした四肢、健康的な肌の色と可愛らしい顔つき。
 そしてお尻のあたりにはふさふさとした尻尾が飛び出ている。
 普通の人間では、絶対に持ち得ない尻尾。
 それは現在、彼女の嬉しさを表わすかのようにぱたぱたと振られている。 
 彼女にとって深く敬愛する師と共に散歩する喜びは格別なのだ。
 横島が和歌山に出張に行った関係でこの数日間は会うことすら叶わなかったが、
 今日は久しぶりに2人で散歩にいけるためにシロは少々浮かれていた。
  
 あたりはようやく黎明が訪れた頃合でほの暗く、時折僅かな湿気を含んだ涼しい風が吹いている。
 それは犬塚シロの朝の日課である散歩の時間帯よりも大分早い。
 にも関わらず彼女がこんなに早く横島に散歩の同行を強請っているのは、
 夏の散歩は太陽が昇って地面を暖める前にしてくれ、という彼の言葉に従っているからである。
 おかげで横島はシロが誘いに来る日に限ると、ラジオ体操に出向く人間顔負けの早起きの習慣を身につけている。
 そして今日も、彼はシロがノックのしすぎてドアを壊す前に、目を覚ましてドアを開ける事ができた。

「おー、シロ。おはようさん」

 横島の声と同時にドアが開くなり、シロはダッと駆け出して、身体全体でその人物にぶつかっていく。

「せんせ〜〜!」
 
 数日振りに会えたせいで浮かれていたシロは、見事な胴タックル………もとい抱擁を極めた。
 まだ目が覚めきっていない横島は、その攻撃に倒れそうになりながらもなんとか足を踏ん張って踏みとどまる。

「うあっととと」

 総合格闘技的な観点からは、素晴らしい反射神経だと言ってもいいかもしれない。
 いつもと同じように何の警戒もせずにドアを開けたのにも関わらず、彼の体は自然にシロの行動に反応していた。
 まず彼は押し倒されもせず、真っ向からそのタックルを受け止める。
 そして間髪をいれずに背中と腰に手を回す事で、シロと己の間合いを零にして追撃ができる余地を消し去ったのだ。
 
 そしてその結果、シロにとっては嬉しく、横島にとっては近所の方々の目が気になる状況を誕生させた。
 傍目からその光景を見ていた人間ならば、2人が朝っぱらから屋外で熱烈な抱擁を交わしているバカップルだと断定しただろう。
 珍しくそこまで考えが回った横島は、一瞬で目を覚ますと慌ててシロを部屋に入れて世間の目を遮った。

「どうした、シロ?今日はいつもよりテンションが高いな」

「先生、一緒にお散歩するのは一週間ぶりでござるよ。拙者、この時間になるのが待ち遠しかったでござる!」

「そういえば、確かにしばらく散歩に付き合ってなかったな。とりあえず俺の準備が終わるまで階段の下で待っててくれ」

 満面の笑みを浮かべながら尻尾を千切れんばかりに振るシロを落ち着かせると、
 横島は素早く運動に適した格好に着替えて外に出た。



「うーん。早朝の涼やかな空気は、心地よいでござる!」

 シロは、そう言って大きく伸びをした。
 目前には、地平線から顔を出し始めたばかりの太陽。
 光を受けて徐々に色彩を帯びていく大地。
 伸び上がろうとする小さな命の匂いが微かに漂う大気。
 彼女は黎明から明るくなるまでにかけての生命の躍動を感じさせる時間が好きだった。
 
「ああ、この時間帯は涼しくて気持ちいいな」

 元気に動き回るシロを微笑ましそうに見守りながら、横島も相槌を打つ。
 体力的にはシロにはとても及ばない横島だが、
 シロがある程度の常識を覚えてくれたおかげで散歩のたびに疲労で倒れる事はなくなった。

 シロが横島に無理させなくなったのは、かつて一緒の散歩で横島を遠くに連れて行った時に起きた出来事が原因である。
 シロのハイペースのせいで空腹と疲労のために頭が働かなくなった横島は、道端にある怪しげな茸を食べると目を回して倒れた。
 驚いたシロが彼を引き摺りながら走ったせいで、美神事務所に戻ったときには胃だけでなく彼の体もぼろぼろになっていた。
 その結果文珠がなかった事もあり、食中毒と全身打撲のダブルパンチを食らった横島は10日間入院する破目になったのだ。
 その事件で敬愛する師を己の暴走により負傷させてしまったと感じたシロは、猛省のあまり一ヶ月間散歩を控えた。
 その後、彼女は横島と散歩する際にゆったりとしたペースで歩く事を覚える。
 やがて彼女は大好きな横島とのんびり2人で歩く事に喜びを見出すようになっていった。



 無邪気に駆け回るシロの姿は、外見は高校生でも、その振る舞いは無邪気な幼い子供を思わせる。
 散歩のときのシロは、無垢で健康的な少女という表現がピッタリだった。
 そのせいだろうか?いつの間にか横島は元気に駆け回るシロの姿に、思わず牛鬼の少女の姿を重ねてしまっていた。
 胸に微かな痛みが走る。目を閉じると彼女の死に際の顔と言葉が浮かんでくる。
 そして父の仇を討とうとがむしゃらになっていたシロの姿が浮かんでくる。
 やがて無念の表情を浮かべて血を流して倒れているシロの姿が………

 縁起でもねえ!
 慌てて首を振るとその映像を頭から追い払う。 

「シロ、あんまり離れるなよ」

 シロに声をかけながら横島は彼女のほうへと駆け寄って行った。


 後にして思えば、その日の散歩が普段と様相が異なったのは間が悪かったと言えなくもない。
 快晴で爽やかな空気に満ちた天候は、まさしく散歩日和。
 世の中いつ何が起こるかなど知りようもないし、自分以外の生き物の心理状態など推測するしかない。
 それでもあえて根本的な原因を追求するならば、
 ただでさえ浮かれていたシロが、横島に熱烈に抱きしめられたせいで顔を赤らめて通常の3倍はテンションを上げていた事であろうか。
 普段ならばそれでも問題は起きなかったであろうが、生憎、今日に限り横島は微妙に落ち込んでいた。

 結論から言うと、両者が気がついた時、視界には見た事のない風景と聞いた事のない地名が書いてある標識が映っていた。
 いつもよりも判断力の落ちていた2人は、足の向くままに散歩していたせいで道に迷ったのである。
 数年前ならば、この種の出来事は笑い話で済んだであろう。
 しかし社会人として今日もオカルトGメンのビルに出向かなければならない横島にとって、
 シロと散歩していて迷子になったのでは洒落にならない。
 そんな理由で遅刻、欠勤しようものなら、恥をかかされた雇い主がどんなお仕置きをしてくるか。
 ほんの少し考えるだけでも身の毛がよだつ!


 結局横島達は徒歩で帰るのを諦めてタクシーを捕まるとそこから最寄の駅に行った。
 幸い20分後に着く特急に乗ればなんとか間に合うだろう。
 切符を買って一安心した横島はシロと共に駅のベンチに座り込んだ。

「面目ないでござる………」

 尻尾と頭を垂れて、いかにも反省してます、というオーラを撒き散らしているシロ。
 それを見て苦笑いしながら横島は彼女の頭を撫でてやった。

「先生!?」

 いつもなら毒のない文句の1つでも言ってくる彼の、予想外なリアクションにシロが固まる。
 
「気にするな、お前の暴走くらい慣れっこだ」

「でも、先生。拙者………またやってしまいました」

「連帯責任だよ、今日の場合は。途中で気がつかなかった俺も悪い。
 だからこれは、2人だけの秘密、だな」

「2人だけ秘密……でござるか」

 手を止めずに優しく話す横島の言葉と頭上で動く師の手の感触に思わずシロはうっとりする。
 しばらく2人は黙って座っていたが、ようやくシロは師の様子にどこか不審な点を感じていた。
 思い出してみると、朝から彼は少々おかしかった。
 話しかけても上の空で遠くを見ていたり、かと思うと突然自分の隣に来たりなど普段とは違う行動を取っている。
 今もそうだ。優しく撫でられて思わずぼぉとしてしまったが、師がこんな事をしてくれたのは初めてだ。
 
 シロが横島の様子に敏感になったのは、数ヶ月前に美神たちの前で宣戦布告したことが原因となっている。
 あれ以降、言葉どおり彼女達は固有の武器を駆使して彼を捕まえようと様々な手段を試みている。
 それに焦りを覚えたシロは少し前から、己の絶対的な武器である超感覚を生かして横島や彼の周囲の人間の様子を観察し始めた。
 それは己の人生をかけた戦いに勝ち抜くための情報収集である。
 そのせいで彼女は除霊の際に以前よりも素早く悪霊の気配を感じ取るようになって美神を喜ばせている。

「先生、先日何かあったのでござろうか?今日の先生の御様子は、どこか普段と違うでござる」

「ん?ああ………あったといえば、あったかな」

 シロの指摘で今朝から自分の取った行動の不審さに気がつくと、横島は彼女の頭から手を離して口篭った。

「よろしければ、拙者に教えてくださりませぬか」

「………もうちょっと後でな。それに関しちゃ、今はうまく説明できねえんだよ」

「そうでござるか………」
 
 歯切れの悪い横島にシロも何かを感じ取ったのか黙りこむ。
 やがて横島は何気ない口調でシロに話しかけた。

「シロ、今の生活楽しいか。人間社会の中で暮らして嫌な事とかないか?」

「もちろん楽しいでござるよ。嫌な事が全くないわけではありませぬが」

「例えばどんなことだ?」

「そうでござるな。最近はおキヌ殿がお肉を減らした事とか、先生と顔を合わせる機会が少なくなった事とか、
 散歩中に赤信号で立ち止まった時、たまたま隣にいた方の付けている香水の強烈な臭いのせいで鼻が曲がりそうになったとか」
 
「そ、そうか」

 その内容の他愛なさに脱力する横島をシロは不思議そうに見る。
 気を取り直すと横島は散歩中にシロと牛鬼の姿が重なった瞬間に感じた事を伝え始めた。

「シロ、俺と待ち合わせているとき、約束場所に行ったら俺が血塗れになって倒れていたとする。
 もし俺をそんな目にあわせたやつを捕まえたら、お前ならどうする?」

「もちろん落とし前をつけさせるでござる。我々人狼は仲間を傷つけたやつには容赦しないでござる!」

「それじゃあ、駄目だな」

「何故でござるか!?」

 溜息を吐いて首を振った横島にシロは驚いて食い下がる。

「もしかしたら、捕まえた女性は俺からセクハラされたので反撃しただけかもしれん。
 捕まえたのが男でも、俺が知らずにそいつの恋人にちょっかいをかけたので、そいつに殴り倒されたのかもしれん。
 それなのに、捕まえた人間に仕返ししたらお前の方が悪者になっちまうぞ」

「そ、それは、話を聞いてみないことには」

「そうだよ、聞いてみなくちゃ分からない。
 だからその前にお前は俺から事情を聞かないといけないんだよ。
 かっとなって相手に怪我させてからじゃ遅いだろ?」

「それは、そうでござるが………」

 師に己の行動について指摘されてシロは口篭る。
 思えば、今日彼をここまで連れてきてしまったのも自分の感情に任せて走ったからである。
 そのせいもあって彼女は反論せずに黙って横島の言葉に耳を傾ける。

「お前は女子高生みたいな外見してるけど、人からしてみればお前のパワーとスピードは無茶苦茶なんだよ。
 感情に任せてそれを振るうと誤解されちまうぞ。
 誤解されるぐらいなら謝ればいいんだけど、もし危ないやつだと思われたらやばいんだよ。
 人間が集団単位でそう考えると、結構過激な行動に出るかもしれん。
 昔俺が人類の敵だって誤解されたときは、誤解が解けるまで結構嫌がらせがあったしな」

「先生………拙者は危なっかしいように見えますか?」

「何かあった時はお前が一番、向こう見ずに突っ走りそうだからな。
 走り出す前に足元を見て、走っても大丈夫かどうかとか、
 そもそも走らないほうがいいのかどうかを確かめてから走らないと痛い目を見るかもしれねえぞ」

 軽い口調だが師の言葉に隠されている真剣さは十分すぎるほどに彼女にも伝わった。
 やはり少し前に彼に何かあったらしい。そのせいか彼は自分の事を真摯に心配しているのだ。
 横島の事情は分からないものの、シロは彼の言わんとする事について考え始めた。

 それから程なくしてホームに電車がやってきた事を告げるアナウンスが響いた。





 シロが事務所に戻ると美神とおキヌは既に除霊の準備を始めていた。
 タマモが横島の手伝いに行ったため、その日はシロと美神とオキヌの三人で除霊に当たる事になっている。

 横島が抜けてその手伝いに誰かが派遣されるようになったため、美神事務所の除霊は残りのメンバーで行うようになっていた。
 準備を終えるとコブラに乗り込み、霊障のおきている現場に向かう。



「あーもう、うざったいのよ!」

 集合霊が美神に向かって襲い掛かっては離れ、襲い掛かっては離れていく。
 そのヒット&アウェイの戦法に美神は苛立たしげに神通棍を振る。
 そこから放たれる霊鞭は流麗な軌道を軌道を描いて集合霊を捕らえようとするが、
 鞭が当たる瞬間に集合霊は分裂して美神の攻撃の効果を最小限にする。
 おかげで美神の攻撃はまたしても不発に終わった。

 今回の除霊対象の悪霊は社員旅行で移動中のバスにおきた事故で死んでしまった人間達の成れの果てだった。
 彼らは悪霊となって元の職場を占領、社員旅行を企画した責任者と社長を呼ぶ事を要求した。
 突然の襲来に慌てた会社側が急いで美神に依頼するものの、彼女達が到着するまでにビルは完全に占拠されてしまっていた。
 中に入ってみると、美神たちは多くの数の霊の存在を確認する。
 霊達が同じ部署で働いていた者同士の集まりなせいか、その動きは非常に組織的で統率が取れている。

 霊達はおキヌの笛の効果を知るとビル中をちょこまかと動き回って音色が届かない場所に逃げ、
 美神の追撃を先ほどのように合体・分裂を駆使してかわしながら霊力・気力・体力の消耗を誘う。
 追うのを止めて結界を張ろうとすると、ポルターガイスト現象を起こして机やイスを飛ばしながら妨害してくる。
 癪に障るほどうまいゲリラ戦だ。悪霊達は決して正面からこちらに立ち向かおうとせず、
 奇襲や嫌がらせで常にこちらに緊張状態を強いる事で気力や霊力を削ろうとする。
 体力はあるが接近しなければ攻撃手段のないシロだけでは壁を抜けて逃げる悪霊を捕らえきれず、
 美神だけでは巧みに動き回る悪霊を全て倒す前に霊力が枯渇するかもしれない。

 その膠着状態を打破するために、美神は一気に勝負をつけるべく賭けに出た。
 悪霊を追わずに一旦広い部屋に移動すると、シロを護衛に付けておキヌに笛を吹かせて、自身は結界を造り始めたのだ。
 結界が完成すればその中で休憩を取れるようになるため、相手のゲリラ戦は脅威ではなくなる。
 結界の中で体力や霊力を回復できるようになれば消耗戦はその意味をなくす。
 また悪霊が結界を壊そうと近づいてきたならば、結界の中から彼らを仕留めればよくなるのだ。

 しかし結界作成中はとても悪霊に構ってはいられない。
 文珠があれば一時的な抑えになるので問題ないが、敵中で援護なしに結界を作成するのはリスクが大きい。
 そして生憎彼女の手元には文珠がない。
 ふと横島の顔が浮かんでくる。
 今、彼が隣に居てくれたら何の心配もないのだが………無事に終わったらその後で横島をしばいてやろう。

 脇道にそれた思考を強引に元に戻す。
 おキヌが笛を吹いている限り、少数の悪霊が襲ってきても問題ない。
 結界が完成するまで後3分ほど。それまでに悪霊たちが総攻撃をかけてこなければこちらの勝ちだ!
 しかし企業戦士として鍛えられていたせいか悪霊達も狡猾だった。

「我々の要求が通るまで、負けるわけにはいかないぞ!ここは一致団結するんだ諸君!」

 悪霊達は合体すると1つの巨大な集合霊となって襲い掛かってきた。
 荒れ狂う霊の余波を受けて部屋の中の備品が飛び交い、八割がた構築した結界が崩れそうになる。

「シロ、時間を稼いで!」

「了解でござる!」

 シロは咄嗟に美神の前に立ちふさがって迫ってくる悪霊に斬りつける。
 しかし悪霊は美神のとき同様に分裂して直撃を防ぐと、二手に分かれておキヌと美神を妨害する。

「きゃっ!」

 多数の悪霊の勢いに押されておキヌは思わず尻餅をつき、口から笛が離れてしまった。

「おキヌ殿!」

 一瞬でシロはおキヌの元に駆け寄ると霊波刀を振り回して彼女を狙っていた悪霊を蹴散らした。
 それでも悪霊は攻勢を弛めず、おキヌが笛を吹くのを牽制する。

「こ、こいつら」

 美神の焦った声に振り向くと、悪霊が構築しつつある結界を壊そうと結界の基点を狙って攻撃を繰り返している。
 構築中の結界を壊されないためにその場に留まっている美神は、
 神通棍を振るいお札を投げて応戦してなんとかそれを阻止しているが次第に疲労が溜まっていく。

 おキヌを守りながらそれを見ていたシロは強烈な焦燥感に襲われた。 

 あの美神殿が危ない状況に陥っている!?

 衝動的に美神の方に駆け寄ろうとするシロの脳裏に、今朝横島が言った言葉がリフレインする。

───走り出す前に足元を確かめろよ。

 咄嗟に周囲を見るとおキヌを狙っている悪霊の数はまだまだ多い。
 そのせいでおキヌは回避に専念せねばならず、笛を吹くことすらおぼつかない。

 今は拙者がここを動くわけにはいかない!
 拙者が美神殿の許へ向かえばおキヌ殿が危なくなる。
 ならば、美神殿を信じてこの場に留まるしかないのか!?

 葛藤がシロを苛み、駆け出そうとしていた彼女の足をその場に縫い付ける。
 おキヌに襲い掛かる悪霊を追い払いながら、彼女はなおも考え続けた。

 見ているだけなのがこれほどにつらいとは………でも、耐えなければ。
 先生が仰っていたように、感情に流されて大事なものを見失ってはいけないでござる。
 なにか、ここを動かずに美神殿を援護する方法はないのか。

 シロは必死になって今まで己が経験してきた戦いを次々に思い浮かべる。
 犬飼、ネズミ、ナイフ、天狗等の姿が浮かんでは消えていく。
 その中で彼女はある事象をもう一度思い出した。その瞬間シロは天啓を閃き、目を見開いた。

 あれだ、あれならばこの状況を打開する切り札になるでござる!

 思い立つと、シロは一瞬で神経を研ぎ澄ます。
 シロの驚異的な集中力はそれを為すためだけに注がれだした。

 もっとあの時の彼の声を思い浮かべろ。
 自分に為しうる最高の発声を想像しろ。
 不可能な筈はない。必ずできるはずだ。
 何故ならこの身は、吠え声で大地を震撼させた誇り高き人狼の一員なのだから!

 シロの体が縮んでいき、狼の形態へと変わっていった。

 おキヌ殿が美神殿から受けていた波長と霊波の変換訓練を思い出せ。
 自分はあの訓練をいつも近くで聞いていた。そして少しだけ訓練を受けてもいたのだ。
 その時の感触を今この場に蘇らせろ。

 狼形態になったシロの口に霊波が収束していく。
 彼女は霊波刀を出すときのように十分な量の霊力を口に溜めると、それを一気に放出した。

「ウオオオォォーン」

 叫び声に乗せられた霊波が周囲に響き渡り、蠢いていた悪霊に突き刺さっていく。
 シロの全速力の一撃すら上回る速度で放たれた吠え声。
 音速で響き渡ったそれは動きの早い悪霊などものともせずに捕らえていった。

「でかしたわ、シロ!」

 吠え声の威力は決して大きくはない。その場にいた悪霊のうち倒せたのは2割にも満たなかった。
 しかし予想もしなかった方角から飛んできた霊波は悪霊たちの虚を突いてその統率を乱し、
 美神が攻勢に移るための間を十分以上に稼ぎ出していた。

「極楽に、逝きなさい!」

 お札を投げつけて悪霊達の秩序を崩した美神が、すかさず神通棍を振るう。
 神通棍から伸びた鞭が次々に無秩序になった悪霊達を捕らえて消滅させていく。
 
 それを見届けると、シロは再び高らかに吠えた。
 放出された霊波が無秩序に動き回っていた悪霊達を襲って更にダメージを与える。
 傷を負って冷静さを欠いた悪霊達は我先にとその場から退散していき、その場に残った悪霊は僅か数体のみ。
 その数体が、それでも結界の基点に特攻しようとした瞬間、笛の音が静かに辺りを包んだ。
 回避の必要がなくなったおキヌが再び笛を吹き始めたのだ。
 それはその場に残存していた悪霊たちを祓っていき、そして程なくして結界が完成した。
 これにより勝敗は完全に決したのだった。


「やったでござるな♪」

「そうですねって、シロちゃん。どうしたの、その声は!?」

「えっ!?あ、う………あーあーあーあーあー。ってなんでござるか、このしわがれ声は!?」

 除霊が終わって喜ぶシロの声を聞いたおキヌがその変わり様に驚いた。
 おキヌの指摘にシロが耳を澄ませながら発声してみると、飛び込んでた己の声は先ほどまでとは似ても似つかぬほど低くしゃがれていた。

「も、もしかして先ほどの吠え声のせいでござろうか?」

「そういえば、シロちゃんの鳴き声で悪霊が怯んだみたいでしたけど、あれは何だったんでしょうか?」

「説明するわ!
 シロの集中力と霊力があるラインに達したとき、その吠え声にはGS犬のマーロウと同様に退魔の性質が宿って、
 悪霊達を打ち砕くため、秒速343m(音速)の速さでその魂に突き刺さったのよ!」

「そうだったんですか」

 おキヌが首をかしげた時、突然美神が説明を始めた。
 どこから取り出したのか真っ黒なサングラスをかけて力説する彼女からは妖しい雰囲気が放たれている。
 色々大変だった今回の除霊のせいで彼女のテンションも色々と上がりすぎたようだ。
 しかしおキヌは当たり前のようにそれを受け止める。
 その様子にシロは目を点にしつつも問い返した。

「いや、そうではなくて何故こんなに声がしゃがれたんでござろうか」

「吠えればその後の発声は野性に還った狼の鳴き声と同様になるの。
 それがまだ未熟な人狼に課せられた代償なのよ!」

「そ、それでは拙者はこれからずっと、こんな声のままなんでござるのか!?」

 残酷な真実を突きつけられたシロは打ちのめされ、両膝と両手を地に付けて俯いてしまう。 
 それを見て落ち着いたのか、美神はサングラスを外して妖しげな雰囲気を払拭する。
 
「うう、美神殿………拙者………もう」

「ああ、あんたの声?急に霊波を乗せて大声で叫んだから一時的にしゃがれただけよ。
 2,3日も大人しくしてれば治るわよ。人間がカラオケで歌いすぎたのと同じようなもんだからね」

 人格が変わったかのようにいつも通りの態度に戻ると、美神はあっさり真相を教えてやった。
 それを聞いてシロはようやく顔を上げた。

「咄嗟に退魔の吠え声を使うなんてすごいですね。今日は思いっきりご馳走しちゃいますから」

「えへへへ、ありがとうでござる」

「シロ、退魔の吠え声を使ったのは確かによくやったわ。でもね、本当によくやったのはその前の行動よ」

「拙者が持ち場を離れなかった事、でござるか?」

「ええ、そうよ。直情的なあんたが私の方に突っ込まなくてもなんとかなるように工夫した。
 その結果として私達は無事に依頼を遂行できたし、あんたは新しい武器を手に入れた。
 考えてから行動したからこそ、焦って行動するよりもいい結果になったのよ。よく言うじゃない、急がば回れってさ」

 美神の言葉にシロは思い当たる点があった。
 駆け出そうとした瞬間、横島の声が聞こえてきた気がしたおかげで踏みとどまれた。
 もしあの時感情に任せて美神を助けようと自分が持ち場を離れてしまったら、今頃おキヌが負傷していたかもしれない。
 それは自分の考えなしの行動せいで仲間を傷つけてしまうのと同義である。
 走り出す前にできる事を模索したからこそ、今自分達は無事ここにいるのだ。

 1人で納得してうんうんと頷いているシロを尻目に、おキヌは気になっていた事を美神に尋ねた。

「ところで美神さん、もしシロちゃんが退魔の吠え声を使わなかったらどうしてたんですか?
 美神さんが悪霊に取り囲まれたとき、私、物凄く焦っちゃいました」

「大丈夫よ、おキヌちゃん。いざという時の切り札はちゃんと用意してあるわ」

 そういうと美神は己の耳飾りのを取って二人に見せた。
 それを見た2人は目を丸くする。

「………綺麗な精霊石でござるな」

「随分純度が高そうな精霊石ですね。どうして取り囲まれたときに使わなかったんですか?」

「これ、高いのよ。このぐらいの大きさで高い威力がでるから、
 もう一度同じ物を買ったら1億ぐらいじゃあ済まないわね。
 だから今日の8千万の依頼なんかじゃ使いたくなかったの」

 てへっ、とばつがわるそうに笑う美神に2人は盛大に突っ伏した。

「美神さ〜ん」

「だ、大体横島くんも悪いのよ。三日前の出張で文珠全部使っちゃってみたいでさ。
 昨日、除霊に行くから緊急用に一個くれって言ったのに、持ってないからって断るんだもの!
 折角この前の出張で相当疲れたみたいだから、用を済ませた後は気晴らしにどこかに連れていこうと思ってたのに。
 それなのにあんな事言うんだから思わずしばいちゃったのよ。そのおかげで結局どこにも連れて行けなかったじゃないの!」

 誤魔化すように勢いよく言い訳するうちに美神は腹が立ってきたようである。
 おかげで2人の前で言わんでもいい事までぺらぺら喋ってしまっている。
 はっと気がつき、美神が止まる。目の前からジト目をする2対の視線が突き刺さる。
 刹那、気まずい空気が流れ、世界がモノクロになって静止する。


「シロ、とりあえずあんたもこれからはおキヌちゃんと一緒に発声練習するのよ。
 吠えたらその度に声が変わるなんて嫌でしょう?
 それにあんたの吠え声は、マーロウに比べればまだまだ未熟よ」

 コホンと咳払いすると美神は尤もらしい理屈を持ち出した。
 その言葉にシロも居住まいを正して返事を返す。

「了解でござる。拙者、これからも精進するでござる」

「とりあえず、人の形態の時でも吠え声が出せるようにしなさい。
 霊波刀を展開したまま吠え声が出せるようになれば、除霊の際に遠近両方で攻撃できるから行動の幅が広がるわ」

「えっ、人の形態で吠え声を出すのでござるか!?」

「何よ、文句あんの!?精進するって言ったじゃないの」

「狼の姿は野性の象徴でござるから問題ないのでござるが………
 乙女の姿で吠える姿を先生に見られるのは………恥ずかしいのでござる」

 不満げに返答したシロに、美神がその理由を問いただす。
 するとシロは頬を染めて乙女チックに首を振ってぽつりぽつりと話し始めた。
 シロのその様子を見た2人は、瞬時にヴァルキリーもかくやという程のオーラを放った。
 その威圧感におされて後退りしかけたシロを、2対の絶対零度の視線が貫いた。

「甘えるんじゃないわよ、居候の分際で!あんたは、修行に来るって名目で人狼の里からここに来ているのを忘れたの!」

「心配しないでください、シロちゃん。
 発声練習を受けた先輩として、シロちゃんの地声が狼そっくりな野太い声になるまでちゃんと教えてあげますからね」

「そ、そんなの嫌でござるぅぅ」

 迫り来る二人の魔の手から逃れようと脱兎のごとく走り出すシロ。
 彼女は助けを求めようとその心に師の姿を思い浮かべながらオカルトGメンに逃げ込もうとしていた。


 先生。拙者は今日の除霊の際に、先生が拙者に伝えたかった事を少しだけ理解できたと思います。
 美神殿や先生のお傍にいて、除霊のお手伝いをする事で、拙者も成長していると実感できました。
 これからもずっと先生のお傍に………できれば先生の隣に立ってずっと………拙者は先生と共に生きたいのでござる。
 でも………とりあえず今日は美神殿たちから拙者を匿ってくだされ。


 そしてオカルトGメンの部屋に逃げ込んだ彼女を迎えたのは、

「シ、シロ。どうしたんだ、そのしゃがれ声は!?」

「あっはははははは、馬鹿犬。その声、なんとかしてよ。それじゃあまるで男よ」

 自分の声を聞くなり驚く横島と笑い出したタマモの姿だった。
 ………その日、野太い声で大泣きするシロを宥めるために、横島は食事を奢り、夜中まで彼女の散歩に付き合ってやったという。




 師と共に食事を取り、師と一緒の散歩を堪能して眠るシロの顔は、
 信頼する者が傍に居てくれる安心感からひどく無防備だった。
 その寝顔を見つめながら、横島は先ほどの出来事を思い出していた。
 今日の除霊で彼女は随分と多くの物を得たようだった。
 落ち着いた後に話を聞いてやると、彼女は止めどなく喋り始めた。
 除霊で美神がピンチになった事、自分が退魔の吠え声を出せた事、
 横島が言っていた感情に任せて飛び出すなという言葉を実感した事等等。
 その中で彼女は言ったのだ。
 たとえ誤解や諍いが待ち受けていたとしても、これからも自分は横島達と共にこの世界で生きていきたいと。
 そのためならもっと色々頑張れるだろうと。

 それは思い悩む横島を勇気付ける希望でもあった。
 目の前にいる大切な存在が自分を、自分のやる事を必要としていてくれる。
 この計画に関わる理由はそれだけで十分なのだ。もう自分には守りたい人達が既にこの胸の中に在ったのだ。
 だからこそ、ここで立ち止まる訳にはいかない。
 これからも防げなかった悲劇に悔恨の涙を流す事もあるかもしれない。
 理想と現実の狭間で苦悩する事になるかもしれない。
 けれども今はまだ、恐れず、退かず、ただ前へ。
 
「シロ………サンキュ」

 そういって無邪気に寝ている弟子の頭を優しく撫でてやる。
 牛鬼の事件で悲しみと深い挫折味わった彼は、今、静かに立ち上がろうとしていた。







 シロが寝静まった後、横島は己の身の安全と理性を守るためにピートや雪之丞を自宅に呼んだ。
 ………後日、必ずくるであろう美神からの尋問を、生きて乗り切るための証人を確保するために。


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