椎名作品二次創作小説投稿広場


そして続く物語

秋美、涙を流す


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 4/ 2

 彼女は今にも息絶えそうになっていた。
 出血のせいで意識が闇に飲み込まれそうになる。
 必死で抵抗しながら、彼女は懸命に体を引き摺った。
 何故こんな事になってしまったのか?
 彼女の頭にはその疑問が離れなかった。
 同じ種族の他の者が人間に仇為すなかで、彼女の祖先の1人が人間に救われたことがきっかけになり
 それから代々、彼女の祖先はこの地方の人間と殆ど接触しない事で共存してきた。
 おかげでこの地方では人間側も彼女たちの姿を見かけても騒ぎ立てずに去っていくだけだった。
 そんな関係が成立していたからこそ、他の地方の仲間がGS達に調伏される中で彼女達はここで平穏に生きる事ができたのだ。
 ………なのに、何故こんな事に?

 それは本当に突然の事だった。
 自分が食糧を手に入れるために人に化けて人里近くに行った帰りだった。
 草や魚、獣の肉、木の実を川辺や雑木林で適当に手に入れて道路を横断しようとした瞬間、
 曲がり角から出てきた車に跳ねられて負傷したのだ。
 これは曲がり角が多く見通しの悪い場所なのに注意を怠った自分にも責任がある。
 しかし跳ねられた負傷だけならば死ぬ事はなかった。
 あの後、慌てて車から降りてきた男が、変化の解けた自分の姿を見るなり突然襲い掛かってきたのだ。
 男は「名おそろしきもの」と恐れられてきた種族である自分を札や棍で追い詰めていった。
 そのせいで彼女は男に追い詰められた末に、つい本気を出してしまい相手を殺した。

 男の顔には全く見覚えがなかった。この地方の者ではなかった。
 おそらくあの男はGSだったのだろう。
 だが自分も致命的なダメージを受けてしまった。もはや死は免れそうにない。
 自分の体にはあの人間の血や霊波が染み付いている。
 まだあの子は人間界の広さを知らない。もし自分を見つけたらきっとこの地方の人間の仕業だと思うだろう。
 それだけは避けなければ。あの子が人間を恨むようになってしまえばその先には死しかない。
 その前にそうではないと、自分を傷つけた人間は既に殺したのだと伝えなければ。

 けれど必死の努力にもかかわらず彼女の体はもう殆ど進まなかった。
 そして彼女は倒れた。ぼんやりとした彼女の目に愛しい我が子の顔が浮かんでくる。
 その子を安心させたくて弱弱しく笑顔を浮かべると彼女はそのまま事切れた。




 

「牛鬼?それが今回の交渉相手か」 

「そうだよ。簡単に手を出したりするなよ」

 交渉の詳細を説明されて首を傾げる雪ノ丞に、横島が苦笑いして釘をさす。

「でも牛鬼って人間を襲う種族として有名じゃないの?少なくとも私の前世の頃はそうだったはずよ」

「数百年前に、この地方の牛鬼は人を助けたことがあるんです。
 それがきっかけになって、それ以後この地方では牛鬼は人を襲わなくなったそうです。
 地元の方々も牛鬼の姿を見かけても静かに立ち去るか、食糧を分けていざというときの守り神にしていたそうです」

 車を走らせてながら秋美がタマモの疑問に答えた。

「つまりはこの地方限定で、共存共栄がずっと続いていたってわけだ。だから戦闘になったら困るんだよ」

「それじゃあ、退屈じゃねえか。どうして連れてきたんだよ」

「万が一の保険だよ。俺たちは見知らぬ土地から来た余所者だし、相手の牛鬼が警戒するかもしれないだろ?
 不意打ちしてくる事はないだろうけど、備えがあるに越した事はないしな。
 どうしても戦いたいなら交渉がうまくいった後に試合でも申し込め」

「ちっ!仕方ねえな。代わりに飯を奢れよ」

「それくらいしてやるさ。お前と戦え、ってのに比べれば随分楽だしな」

「あっ、それもいいな。前言撤回だ、仕事が終わったら俺と戦え」

「もう申し込みは受理されたんだよ。変更はきかねえぜ」

「もう、あんたらうるさいわよ。静かにしなさい!」

 軽口を叩きあう2人にタマモの一喝が炸裂し、車内が静かになる。

 今回、横島たちは牛鬼との交渉のために和歌山県の三尾川方面に向かっていた。
 交渉に赴くメンバーは、横島、秋美、タマモ、雪ノ丞の4人である。
 雪ノ丞は、オカルトGメンに研修に来ていた魔犬の試合の相手として呼ばれていたのだが、
 魔犬とのバトルを堪能して上機嫌になった後、横島からの手伝って欲しいという頼みを引き受けたのだ。
 ピートが魔犬の研修で参加できないため、雪ノ丞の飛び入り参加は他のメンバーにとっても心強かった。
 往復にかかる時間が長くなるため、今回は4人で向こうに宿泊する予定となっている。
 今日は到着してから簡単に情報収集をして、明日4人で説得に赴く事になっていた。 

 やがて車が目的地に近づいて山道に入り、山がちな風景が広がりだしてしばらく経った頃、
 狭い山道で警察が車を止めて何らかの作業を行っていた。
 秋美が車を止めて、外に出ると警官の1人に身分証明書を見せると、何かを話し込む。
 話を聞いているうちに秋美の表情が硬くなっていく。

「聞きたいことがあるそうなので、少し現場を見に行ってきます」

 そう言い残すと彼女は警官と一緒に奥に入って行った。
 しばらくして様子を見ようと横島たちが車から降りた時に秋美が戻ってきた。

「どうしたんですか、あれは?」

「奇妙な殺人事件がおきたみたいです。GSが殺されてるそうです」

 横島の問いに秋美は緊張しながら答えた。
 その返答を聞いて3人にも緊張が奔る。

「GSの殺人事件?もしかして」

「ああ、俺たちの交渉と無関係ではないかもしれん。タマモ、ちょっと協力してくれるか?」

「仕方ないわね。向こうに行ってから呼び出されるよりはマシかしら」

 すまなそうに頼む横島に頷いて見せると彼女は警官達へと向かっていく。
 横島達も荷物を手にするとそれに続いた。


「遺体の傷口から人間以外の匂いがするわ。こっちに続いてる。それに遺体に付いてた血も人間以外の血が混じってるみたい」

 慎重にGSと思しき被害者を観察しながら、匂いをかぐと彼女はそう告げた。
 彼女の言葉に警官たちがどよめく。
 これでこの事件が人ではなく霊障絡みという可能性が出てきたのだ。

「じゃあ、ちょっくら行ってみるか。
 秋美さん、GS免許が見つかったみたいなんでオカルトGメンとGS協会に連絡してもらえませんか?
 この人の個人的な情報と此処に来たのが依頼を受けてなのかどうかを調べる必要が出てくると思うんで」

「分かりました、私はここに残っています。横島さん、くれぐれもお気をつけて」

 警官たちを危険に合わせないように悪霊の仕業かどうかをまず自分たちが確かめてくる、
 GS免許を見せながら現場の責任者をそう説得すると、横島たちは匂いの源を探りに山に入っていった。



「もうすぐ近くよ。相手は動いてないわ」

 10分ほど歩くとタマモは立ち止まって振り返る。
 タマモの警告に雪ノ丞と横島も立ち止まって霊感を働かせる。
 慎重に先頭に立って歩き出した雪ノ丞は程なくして匂いの源を探り当てた。

「これは牛鬼みたいだけど………死骸があるぜ」

「本当か!?」

 雪ノ丞の言葉に驚いた横島が彼の隣にたって覗き込んだ。
 そこには牛のような頭部で首から下は鬼のような胴体をしている2m以上もある生物が横たわっていた。
 生物の体や周辺は血に染まっていて、触ってみても全く温もりが感じられない。
 文献や伝承が確かならば、この生物は圧倒的な怪力と知恵を持つ牛鬼に間違いないだろう。


「相当出血したみたいね。霊力も全く感じないし間違いなく死んでるわ」

 一通り調べた後に、タマモは牛鬼の死を断言した。

「参ったな、あの人と交戦して相打ちになったのか。多分この牛鬼が今回の交渉相手だと思うんだけど」

「ヨコシマ、なんだか遺体に妙な傷が多いわ。霊的な戦闘によるものだけじゃなくて何かと衝突したような………」

「車とぶつかったんじゃねえか?あの車、フロントライト付近がへこんでたぜ」

 牛鬼の死に対して湧き上がった様々な疑問をぶつけ合う三人だが、
 牛鬼の遺体を発見してから30分以上経っていることに気がついた。

「とりあえず、戻って警察に報告してくるか」

 横島はそう言って来た道を戻り始める。二人もそれに続いた。


 3人が牛鬼の遺体の発見を告げると簡単な現場検証が行われ、
 牛鬼の遺体から被害者の長谷川利彦と同じ血液型の血が発見された。
 そのため、地元の警察はこの件の捜査に4人の協力を要請した。
 死んだ牛鬼について、交渉相手なのかどうかを調べようと思っていた秋美たちもそれを受諾。
 そして明日の現場検証の参加を約束すると、彼らは予約していた宿へと向かった。






 少女は焦っていた。
 夜になるのに彼女の母が戻ってこない。そんな事は今まで一度もなかった。
 胸騒ぎに突き動かされて、住処を飛び出すと少女は闇の中を匂いを頼りに母の許へと向かっていった。
 近づくにつれ母の臭いに混じって妙な匂いがしてくる。湧き上がる悪寒を押さえつけながら彼女は母の許へ辿り着いた。

「お母さん?」

 血の匂いと死臭が立ち込めている。母の体は冷たく、彼女の声に何の反応も返さない。
 少女は目の前の光景が信じられずに呆然としたまま母を眺め続ける。
 その時、彼女は母の体から人間の血の匂いを感じ取った。
 屈み込んで母の体に近づく。そこには人間のものと思われる痕跡が数多く残されていた。
 注意深く母の遺体を調べながら少女は次第に母が殺されたことを理解し始めていた。

 彼女の心に負の念が宿り始める。
 裏切られた、人間に裏切られた、ウラギラレタ。
 オカアサンハニンゲンニコロサレタンダ。

 彼女の体から放たれた負の念に引かれてどす黒い塊が少しずつ近づいてくる。

「アッ、ハハ…………アハハハハッハハハハハハハハハッハ」

 やがて辺りには狂ったような哄笑と何かを咀嚼する音が響いた。







 宿にたどり着き、荷物を置いて休息していた横島達の元に、関係者やGS協会に連絡を入れていた秋美が戻ってきた。

「あ、横島さん。亡くなられた方の情報が届きました」

「八代さん、ありがとうございます。では詳細をお願いします」

「はい。亡くなられた方のお名前は長谷川利彦です。
 彼はここからはかなり離れた場所に事務所を開いています。中々腕の立つGSだったそうです。
 事務所のほうにも連絡してみたところ、あそこを通りかかったのは仕事の帰り道で偶然だったと思われます。
 その時に長谷川さんの戦闘スタイルについて教えてもらいましたが、
 牛鬼の体の痕跡から予測される戦闘スタイルとほぼ一致しました。
 ですから牛鬼を殺したのはあの方で間違いないようです」

「何で長谷川さんは命までかけて牛鬼を殺したんだろうな」

 報告を聞き終わると横島は真っ先に浮かんだ疑問を投げかけた。

「ここの牛鬼が安全だって知らなかったんじゃないの?牛鬼って他の地方だとまだすごく恐れられてるんでしょう」

「でも人に危害を加えている現場に出くわしたんならともかく、姿を見ただけで命がけで立ち向かうか?」

 タマモの答えは横島にとっても予想できるものだったが、それを踏まえて彼は更に疑問をぶつけた。

「それなんですが、やはり車には牛鬼を跳ねた後がありました。
 見通しの悪い曲がり角で衝突事故を起こして、その相手が牛鬼だったことでパニックを起こしたんじゃないでしょうか?」

「有り得るんじゃねえか?牛鬼が狡猾で執念深い妖怪だってのは結構有名だぜ。
 一度恨みを買ったら絶対復讐される、そう思って止めを刺そうとしてもおかしくねえよ」

 秋美が地元の警察からの捜査報告から己の推察を述べると、雪ノ丞がそれに同意する。
 その後、いくつか疑問点や仮説を話し合うが、秋美の推察が一番辻褄が合っているように思われた。


「悲しいすれ違いだったんですね。もしも事故を起こした方がGSでなかったなら牛鬼の姿を見るだけで逃げ出したでしょう。
 長谷川さんがこの地方の出身だったなら、霊力で治療したうえで何かで補償してあげればきっと諍いは起きなかったと思います」

「人間と妖怪なんてすれ違いと誤解の連続よ」
 
「後味の悪い結末だぜ、くそったれ」

 事件を振り返って悲しげに述懐した秋美に冷たい口調でタマモが返す。
 吐き捨てるように雪ノ丞がそれに続く。

「この件に関しちゃ、俺たちにできるのはもう大して残ってないな。
 明日、もう一回現場検証に行ったときに埋葬と清めをやったら帰るとするか」

 黙って聞いていた横島が機を見て言葉をかけると皆が賛成する。
 やがて話し合いが終わると、4人は疲れを取るために宿についている温泉へと向かった。






 少女は疾走していた。
 母の匂い、特に母の血の匂いをつけている人間が母を殺した人間だ。
 狂気に犯された彼女はそう断定すると、匂いを求めて人里へ向かっていた。
 彼女の体は先ほどとは比べ物にならないほどの力に満ちている。
 心の中で『壊せ』、『殺せ』という声が響くのが妙に心地よい。
 やがてその声に身を任せながら走る彼女の目に、人間の造りだした灯りが飛び込んできた





 眩しさを感じてほんの少しだけ目を開けると光が飛び込んできた。どうやら朝になっているようだ。
 もう少し目を開けてみると何故か視界が揺れ動いている。酔っ払ったのかと寝呆けた頭で考える。
 数秒後に酔っているのではなく自分が揺すられているのだと気がつくと、次第に声が聞こえてきた。

「横島さん、起きてください。大変なんです!また殺人事件がおきました」

「なっ!?」

 自分を揺すっているのは秋美だった。
 その秋美が告げた言葉に横島が跳ね起きる。
 見ると秋美がひどく思いつめた顔でこちらを見ていた。
 一目見ただけで、彼女が冗談でこんなことを言ったのでないと否応なしに理解してしまう。
 横島は慌てて他のメンバーを起こすのを手伝った。

 全員が起きると、秋美は先ほどと同じ言葉を雪ノ丞とタマモにも告げた。

「それじゃあ現場検証は中止ね。あーあ、早く帰りたいのに」

「それどころではありません。殺された人達はみんな昨日会った警官の方です」

 暢気に呟いたタマモに突っ込んだ秋美のセリフの内容に全員が注目する。
 静まり返った部屋に時計の針の音が静かに響く。
 やがて横島がその沈黙を破った。

「八代さん、詳しく聞かせて」

「はい、殺人が起きたのはこの村の交番です。
 昨日の牛鬼の件で報告書を書いていた警官の方々が昨夜未明にこの村の交番で何者かに襲われて全員死亡したそうです」

「全員?そりゃあひでえな」

 秋美の説明に雪ノ丞が顔をしかめる。

「死因がひどく奇妙というか常識を超えるような殺され方をしているそうです」

「それで俺達を呼んだってわけか。さもなきゃ警察が身内殺しに、ICPO関係者でも部外者を関わらせるはずがないもんな」

 事態のあらましを理解した横島が立ち上がると、他のメンバーもそれに続く。
 4人は急いで朝食を取ると、現場になった交番へと向かった。



 集まっていた警官の一人に連れられて現場に到着した4人は、三枚の凄惨な遺体の写真を見せられた。
 検死を担当した医師が、顔を顰めてそれを眺めている4人に被害者3人の遺体の死因について解説していく。
 聞いていくうちに更に気分が悪くなる。説明が終わると彼らは不快さを隠しきれずに現場を見渡した。
 交番には血が飛び散り、備品は酷く散乱していた。何者かが暴れまわったが容易に見て取れる。

「こいつはひでえな。すげえ力で殴り殺された後に、念入りに踏みつぶされてやがる」

「こっちは頚動脈を噛まれて即死だ。それなのに体中から噛み傷が残ってる」

「人間ができるような範囲を完全に逸してますね。まるでモルグ街の殺人です」

 写真を見ていた雪ノ丞が不快そうに言う。
 香港の裏社会とも関わりのある彼でもこのような残虐な仕打ちには平静ではいられない。
 同様に不快そうに写真を見ていた横島が気持ち悪そうに言うと秋美も強張った顔で首肯した。

 そんな中、タマモは交番の中を歩き回ると、時折立ち止まって様々な所に顔を近づける。
 最初は不審げな表情だった彼女は徐々にある確信を強めていった。

「昨日と似たような匂いが交番中からするわ。どうやら昨日見つけた以外にも牛鬼がいたみたい」

 タマモのその発言にその場は一気に喧騒に包まれた。
 言われてみると、人間のものとは思えない犯行手段と牛鬼の怪力や習性が重なっていく。

「それは間違いないのか、タマモ?」

「ええ、昨日遺体を調べたときにかいだ匂いだもの。そんなすぐには忘れないわ。
 ここに残ってる匂いはよく似ているけれど、別物だって断言できるわ」

 横島の意図を察すると、タマモはこちらを見守っている警官達に聞こえるように己の推論を述べた。
 ある警官はそれを聞くと慌てて責任者を呼びに行った。

 タマモの発言により捜査の協力を要請された4人は、医者の立会いの下で遺体を検分した。
 そこですぐに彼らは遺体についている霊的な特徴に気がついた。

「霊力が体に相当残留してるぜ。殺害するときは本気を出して一瞬で3人ともやったみてえだな。
 なのに殺した後も死体がぼろぼろになるまで痛めつけやがる。相当恨みを持ってなきゃ、普通はここまでやらねえよ」

「他にも牛鬼がいたとして、そいつは何でこの人たちを殺したんだ?
 この人たちは、牛鬼が死んだのとは関係ないじゃないか」

「待ってヨコシマ………3人の遺体から昨日の牛鬼の匂いが残ってるわ。
 多分もう1人の牛鬼は匂いがする人間を敵だと思って襲ったんだと思う。
 私達は宿に戻ってすぐお風呂に入ったからもう匂いは殆ど消えているけど、
 あの人達はお風呂に入る暇もなく昨日はずっとあそこにいたと思うの」

「なるほどな。それなら確かに仲間殺しと誤解してもおかしくないな。じゃあ、これからどうしようか?」

 遺体を調べてほぼ間違いなく他の牛鬼の仕業だという確信を抱いた4人だが、今後の方針をすぐには決めかねた。
 GSとしてもオカルトGメンとしても人に危害を加えた妖怪を放っておくわけにはいかない。
 それがたとえ、人間側が原因の誤解による行き違いであったとしてもだ。


 暗い気分になって宿に戻ってきた4人を地元の警察署の署長が、宿の入り口で出迎えた。
 署長自らの出迎えに戸惑っている彼らは、それでも彼を宿泊している部屋へと案内した。
 部屋についてそれぞれ自己紹介を終えると、署長は4人に頭を下げて土下座しながら牛鬼調伏を依頼してきた。

「突然のことで申し訳ありませんが、もし3人を殺したのが人間ではないのなら、
 皆さんには彼らを殺した存在の抹消をお願いいたします。
 ………水瀬は真面目で両親を大切にする男でした。
 ………河本は正義感が強く、道端で困っている人を見かけるとごく自然に手を貸すような男でした。
 ………古川は数ヵ月後に妹が結婚式を上げるのをたいそう喜んでおりました。
 正直に言いますと私達は彼らを殺した存在が憎い!
 発端となった人間とは何の関わりもないあの3人が、どうして殺されなければならなかったというんでしょうか!?」

「………分かりました。この種の事件は本来ならばICPO超常犯罪課が請け負うべき仕事です。
 御三方を殺害した存在が人間でない場合は、私達が必ず無力化してみせます。
 それと昨日現場に行った方には、しばらくの間くれぐれもこの村に近づかないように伝えてください」

 震える声で話す署長の顔には憤怒の形相が浮かび、目には悔し涙が溢れている。
 口を開こうとした横島を目で止めると、秋美は静かにそう告げた。



「殺し合いになるのはもうさけられねえな」

 署長が帰ると、静かになった部屋の中で雪ノ丞はぽつりと呟いた。

「あんまり嬉しそうじゃないな、雪ノ丞?」

「復讐なんてもの掲げてるやつは、大抵ろくでもねえ連中ばかりさ。
 でも大本の原因作ったのが俺たちの同業ってのは胸糞悪いし、あんまり戦う気がおこらねえんだよ。
 ところで横島、文珠はいくつ使えるんだ?」

「今あるストックは3つだよ………八代さんも相手を殺したくないんですね?」

 雪ノ丞の言葉に相手への微かな同情を感じ取ると、横島は苦笑いしながら秋美に話しかける。

「えっ?あ、いえ、あのその………」

「署長さんと話したとき、殺すとは言わずに相手を無力化させるって言いましたよね。それで分かりました」

 横島の穏やかな物言いに、秋美は俯いて搾り出すように自らの葛藤を打ち明けた。 

「すみません。牛鬼がした事が許されないのも、こちらの説得に耳を傾ける望みが薄いことも分かってるんです。でも───」

「ええ、事情を理解してしまったらそう簡単に割り切れるものじゃあない。それでいいと思います。
 俺達GSにとって人と人に非ざる存在との橋渡しを担うのは決して忘れてはならない事ですから」

 秋美の言葉をやんわりと肯定してやりながらも、
 彼の今までの経験は、秋美の望みが叶う可能性が残酷なまでに低い、そう告げていた。

「私もそれはミカミに言われたわ。
 ところで牛鬼と戦うなら遺体があったところに行ってみない?
 何か分かるかもしれないし、あの牛鬼の匂いを付け直す必要もあるしね」

 タマモの言葉に全員が頷く。
 彼らは道具を取り出すと、それを車の中に運び込み車を発射させた。
 その先に待ち受ける残酷な結末を知らぬままに。



「………無くなってるな」

「遺体が消えてますね」

「誰かが担いで運んだのか?」

 3人がその場に着いた時、そこには何も残っていなかった。
 あれほどの大きさの死体はどこにも見当たらない。
 狐につつまれたかのように呆ける三人を尻目にタマモはその匂いをたどった。

「待って、匂いはこのあたりに充満しているわ。引き摺った後もない。それに………これは!?」

「どうしたタマモ!?」

 急に大声を上げたタマモに横島が急いで声をかける。
 振り向いてみると、彼女は気持ち悪そうに地面を指差していた。

「ヨコシマ、注意して見てみて。残骸………みたいなものがあるの」

「おいおい、マジかよ。これ、多分足の筋だぜ。それにこれは骨の欠片みたいだぞ」

 よく見てみるとあたりには牛鬼の体の部分と思わせる物体がいくつか残っていた。
 その様子を見ながら考え込んでいた秋美は突如はっとしたように顔を上げた。

「八代さん、なにか思いついた事でも?」

「あまり考えたくないのですが………生き残った牛鬼がここにあった遺体を食べた可能性があります。
 ある文献に牛鬼は強いものを食らうと霊力を増すという描写がありました。
 他の文献にはそのような記述はなかったので信憑性は定かではないのですが」

「もしそうだとしたら、相当強くなってるかもしれないな」

「頭も相当いかれてやがるぜ。仲間の遺体を食って復讐しようなんざ、正気ならとてもできねえよ」

 秋美の説明に、横島は難しい顔をして呟き、雪ノ丞は渋い顔で吐き捨てた。
 彼らは交番を見たとき以上の狂気をこの遺体の消失から感じていた。 

「もう匂いは十分付いたわ。後はどこか戦いやすい場所で待機するだけね」

 しばらく黙ってその場を眺めていた横島たちに、周囲を調べていたタマモが声をかけた。
 それに従って、彼らは牛鬼を迎撃するために案内図に載っていた場所に移動を開始した。

 やがて目的地へとたどり着く。
 そこは登山道から外れ、草が生い茂ってはいるものの木が疎らで比較的見通しも良く、傾斜もほぼ平らであった。
 戦うには申し分ない地形である。
 そう判断すると4人は座りながら霊力を抑え、時折雑談を交わしながら緊張した面持ちで日が暮れるのを待った。
 やがて太陽が地平線から姿を消し、少しずつ夜の闇が辺り侵食していった。




 少女は歓喜と苛立ちに震えながら闇に蠢いていた。
 人間とはなんと脆い生き物なのか!
 まさかあの3人が3人とも一撃を加えただけで死んでしまうとは思わなかった。
 あれでは母を殺した罪を思い知らせるには不十分ではないか!
 まあいい。今度の相手はじっくりと嬲り殺してから八つ裂きにしてしまえばいい。

 母の仇を取りたくて殺すのか、楽しいから殺すのか、もはや少女には判断がつかなくなっていた。
 『コロセ』、『コワセ』と心に響く声は既に自分自身の声と同化していた。
 殺しの愉悦に浸りながら彼女は匂いのする方角へ駆けていった。




 周囲に気を配っていたタマモが突然、緊張を高めた。
 彼女は慎重に耳をすませながら辺りを窺い、気配を読み取ろうとする。

「気をつけて。何か来たかもしれないわ」

「霊力も生き物の気配も何も感じられねえけどな」

「ええ、気配は完全に殺してるみたい。でも匂いや移動の際の音までは消せないわ」

 タマモの警告に軽口を叩きながらも、雪ノ丞は霊力を抑えたまますぐに動けるように姿勢を変える。
 その時、突如横島が霊力を高め始めた。

「どうやら、気のせいじゃないみたいだ」

「横島さん?」

「霊力を高めた時、背後で少しだけ気配がもれた。こちらに反応したんだと思う」

 全力から半分程度まで霊力を上げると、彼はわけもわからずにこちらを見ている三人に小さな声で告げた。
 その瞬間、横島の背後で霊力と殺気が膨れ上がる。その禍々しい気配を感じて4人は飛び退くと臨戦態勢をとった。

「やつもお前の狙いに気がついたみたいだぞ………おいおい、こりゃあなんて殺気だよ」

「ここまで凄いのはミカミの除霊でも滅多に見かけないわね。アキミ、私から離れないで」

 姿を現した牛鬼から放たれる威圧感は突き刺さる程に鋭く、その体躯も死んだ牛鬼のそれに劣らない。
 なによりもその目にはどす黒い狂気が現れている。

 4人は即座に陣形を整えた。
 雪ノ丞は魔装術を発動させて前衛に立ち、中間にはタマモ、
 後衛には右手にサイキック・ソーサーを構えた横島と、銀の弾丸を込めた霊銃を構えている秋美がいる。
 
「その霊力、ただの人間とは思えない……っ!?貴様らがお母さんを殺したのか!」

 こちらの様子を観察していた牛鬼が、何かに気がついたように吠えると凄まじい勢いで突進してくる。
 正面からそれを受け止めようとする雪ノ丞に牛鬼の拳が振るわれる。
 大振りでフォームも出鱈目、体重も乗っていないその一撃は、
 なんと両腕でガードした雪ノ丞を数メートルも吹っ飛ばした。

「ぐっ」

「雪ノ丞、大丈夫か!?」

 すかさずこちらに駆けよろうとする牛鬼をサイキック・ソーサーを投げつけて足止めしつつ、横島は彼に声をかけた。

「腕がちょっと痺れてるだけだ。戦闘には支障ねえ。気をつけろ、とんでもねえパワーだぜ」

 雪ノ丞の返答を聞くなり、逆に牛鬼に走り出す横島。
 左手に霊波刀を発現させながら迫ってくる横島に牛鬼は角で串刺しにしようと頭を振る。
 
「馬鹿か!?当たったら終わりだぞ」

 雪ノ丞が叫んだ瞬間、横島は霊波刀を地面に突き立てて、それを力いっぱい握り締めて急停止する。
 牛鬼の顔が驚愕に染まる………まさか全速力から一瞬で停止するとは思わなかったのだろう。
 攻撃動作を止められず、完全に体の泳いでしまった牛鬼に、横島は右手をその体に叩き付けた。
 その途端、牛鬼の動作が鈍くなる。横島を振り払おうともがく様は、先ほどとは打って変わり鈍重な亀のようだ。

「『遅』の文珠を発動させました。八代さん、今のうちです」

 横島の声を受けて、秋美は牛鬼に向かって思念を飛ばす。

(貴方の仲間を殺した人はもう死んでいるのよ!)

(嘘だ、お前たちGSが殺したんだ。『殺す』、『壊せ』)

 予期せぬ反応に彼女は思わず頭を抱えた。

「八代さん!?」

「おかしいです………私の思念の送信はあの牛鬼にしか届いていないのに………複数の思念の返信が返ってきました」

 複数の非常に強い怨念を感じたせいで気分を害した秋美は、途切れ途切れに感じた印象を伝える。 
 秋美の言葉に横島たちは牛鬼を牽制しながら、その挙動を観察する。
 牛鬼は劣勢にもかかわらず狂気混じりの血走った目で、彼らを睨みつけると鈍重な体を引き摺るように攻撃を試みる。
 それをバックステップでかわしながら、タマモは牛鬼の霊臭が変化している事に気がついた。

「ヨコシマ、ユキノジョウ、詳しく探ってみるから足止め、お願い」

「「分かった!」」

 雪ノ丞と横島は、まだ動きの遅い牛鬼に近寄ると纏わりつくように、その周囲を高速に回りながら注意を逸らす。
 その間を利用してタマモは牛鬼の霊臭の判別に集中する。
 確かに変化している。これは最初の牛鬼の死体から感じた匂いとも、交番で感じた匂いとも違う。
 何か全く別の匂いが交じり合っているような………牛鬼の近くから別の匂いが漏れるように漂っていく。
 その匂いはだんだんと弱くなり、やがて消えてしまう。その後に唐突に牛鬼の霊臭が変化した。

「アキミ、ゴーグルで牛鬼を見て!」

 タマモの声に従い、秋美は弾かれるように持っていた霊視用のゴーグルを付けて牛鬼を凝視した。
 すると彼女の視界には牛鬼の中に入ろうとする低級霊が牛鬼の周りに複数いる映像が見えた。

「牛鬼に複数の悪霊に取り憑いています。半端な数ではありません!」

 低級霊の一つ一つはあまりにも霊力が弱くて存在感が薄いため、霊能力者でも注意しなければその存在に気がつかなかっただろう。
 しかも今は牛鬼の霊力の大きさがカモフラージュとなって、低級霊が集まっているのが見えにくくなっている。
 低級霊を取り込む事で、牛鬼の霊力は少しずつ増大してく。
 その反面、悪霊の負の念は牛鬼の内心を蝕んでいくのだ。 

「取り憑かれてるっていうよりも、自分で引き込んだって感じだな。仲間を殺された嘆きが悪霊と呼応したみたいだぜ」

「まずいな。悪霊と切り離さないと説得なんて不可能だ」

 横島と雪ノ丞も牛鬼の状態に気がつき、事態の複雑さに舌打ちする。
 その刹那、文珠の効果のきれた牛鬼が全速力で襲い掛かってきた。
 それを辛うじて回避する横島。
 彼の背後にあった木が牛鬼の一撃を受けてへし折れる。
 すれ違いながら牛鬼の足に切りつけるが、牛鬼は気にした風もない。

「横島、殺すつもりでいかねえとやばいぞ!」

 雪ノ丞の警告に内心では頷きながらも、彼は牛鬼を殺す事に躊躇いを感じていた。
 悪霊に乗っ取られた末の凶行ならばなんとかして助けてやりたい、
 しかしそれは依頼してきた署長や殺された警官の親しい人達に対する裏切りだ。
 彼の中でその2つの思いがぶつかり合い、彼を刹那の間葛藤させた。
 そのせいで横島は振り返った瞬間に、いつもなら感じたはずの違和感を見落としていた。

 牛鬼の姿が消えている。おもわず正面から目を逸らせてあたりを見渡した瞬間、
 彼の右脇腹に凄まじい衝撃が走ると体が浮遊する。
 彼の体は地面に落ちた後も、かなりスピードで10メートル以上も転がった後にようやく止まった。

 胃の内容物が逆流しそうになるのを必死でこらえて顔を上げると、自分がいた地点に牛鬼がいる。
 そこでようやく横島は自分が牛鬼に殴り飛ばされた事に気がついた。
 雪ノ丞と秋美を見ると、彼らは横島から注意を逸らそうと霊波砲と霊銃を容赦なく撃っている。
 横島が傷ついた事で、僅かに残っていた躊躇いを振り切り、2人は全力を出しているのだ。

 なんとか体を起こして『癒』文珠を発動させた横島の許にタマモが駆け寄ってきた。

「怪我は大丈夫?」

「文珠を使った。もう少しで動けるようになるよ。
 さっきは突然牛鬼が消えたんだけど何が起きたんだ?」

「牛鬼のお得意の変化の術よ。
 美人に化ける事が多いんだけど、さっきは静止して木に化けることで消えたように見せかけたの。
 横島が注意を逸らした瞬間、術を解いて殴りかかったのよ」

「くそっ!やられたな、もう殺すしかないのか」

「………ヨコシマ。一回だけ私がチャンスを作るから、その時に悪霊を切り離して」

 苦しそうに腹を押さえる横島にタマモはそのクールな表情を一瞬だけ顰めると告げた。
 横島が驚いたように頷くのを見て彼女は立ち上がる。

「ヨコシマ、ついてきて」

 そう言うとタマモは暴れている牛鬼に向かって、特に急ぐ素振りも見せずに歩いていく。
 痛む体を引き摺るように横島はそれに続く。
 無防備な体勢で近づく2人と、牛鬼との距離が縮まっていく。

 10m………8m………牛鬼が2人の接近に気がつく……
 6m………雪ノ丞を振り払って牛鬼が二人に向かって駆け出す…………
 3m………そのとき、牛鬼は何もない空間を薙ぎ払った。

 全力を込めた一撃が予想外の空振りに終わり、牛鬼の体勢が崩れる。
 タマモの幻術が見事に決まったのだ。
 彼女は牛鬼が二人の接近に気がつく前に、自分と横島の2m前方に自分たちの幻影を投影していた。
 その幻影を自分たちが接近するのに合わせて動かしていたのだ。
 
「ヨコシマ!」

 タマモの叫びに横島が痛みを忘れて飛び出し、牛鬼との距離を零にする。
 牛鬼の体に触れながら彼は、悪霊を弾き飛ばすイメージを込めた『浄』の文珠を発動させた。

「グギャアァァァッッ!」

 清めの光が牛鬼の体を包み込むと、牛鬼の中にいる悪霊達が浄化させられて断末魔の叫び声を上げた。

(もう止めて。あなたのお母さんを殺したGSはもう死んだの。
 私たちもあなたが止めるならこれ以上戦うつもりはないのよ!)

 悪霊が文珠の光が消えるのに合わせて秋美が思念を飛ばす。
 それは悶えている牛鬼にも正確に伝わるが、牛鬼からの反応は返ってこない。
 
 警戒を解かずに牛鬼を見守る4人。
 反応が返ってこない牛鬼を訝しく思ってゴーグルを付けた秋美は信じたくない光景を目にした。
 祓ったはずの悪霊が再び牛鬼に集まっていく。
 悪霊達はどこからともなく現れ、吸い寄せられるように牛鬼の中に消えていく。それに伴い牛鬼の傷が少しずつ癒えていく。

「そ、そんな…………」

「アキミ?」

 絶句する秋美の前で、牛鬼は立ち上がるとゆっくり口を開いた。

「コロス、オカアサン、カタキ、ユルサナイ、コワス」

 その声を聞いた瞬間、4人は急いで飛び退って散開した。
 もはや牛鬼に正気が残っていないのは明らかだった。

「どうしてだ、文珠は効いたんだろ!?」

「あの子………悪霊の念に触れすぎて生きたまま悪霊と同化してしまったのよ。もう魂の奥まで侵食されてるわ。
 悪霊が取り憑かれたんじゃなくて、あの子が悪霊そのものになってしまったようなものよ!」

 雪ノ丞の問いにタマモは牛鬼から目を逸らさぬまま答える。
 その時、牛鬼は突然動き出すと雪ノ丞に襲い掛かっていった。
 悪霊を吸収したせいか、明らかに牛鬼のスピードが上がっている。


「もう殺すしかない」

「霊体の中枢を破壊しないとあの子の負の念と妖気に引かれた悪霊が集まり続けるし、
 肉体だけ傷つけてもあの子の魂が肉体から離れて悪霊になるだけよ。アキミ、覚悟を決めて」

「………分かっています」

 横島の呟きに今度はタマモも肯定する。
 秋美も銃を構えると雪ノ丞と格闘している牛鬼に狙いを定めた。
 

「この野郎!」

 どんどん増してくる牛鬼のパワーを捌ききれなくなった雪ノ丞は、咄嗟に沈み込むと足払いをかけた。
 上半身への攻撃に慣れていた牛鬼はその低空の一撃を避けられず、バランスを崩すとたたらを踏む。
 その瞬間、3人の放ったサイキック・ソーサと銀の弾丸、狐火が牛鬼に直撃した。

「ガアアァァャアァァ」

 叫びを上げながらも牛鬼は踏みとどまって4人を睨みつけた。
 その体は満身創痍。
 左腕はずたずたに引き裂かれ、弾丸が貫いた胸部からは出血が見られ、肉体はとうに限界を越えている。
 それなのに………牛鬼に屈する気配など何処にあるというのか。
 滅びかけた肉体で牛鬼はがむしゃらにこちらに向かってこようとする。

「キサマラ、ニクイ、ユルサナイ、オカアサンノカタキ、ヤツザキニ」

 それは終わりの見えた者が見せる最後の炎にすぎない。
 牛鬼は倒れそうになりながらも、その都度踏みとどまって4人を殺そうと歩を進める。

 耳に届いた憎悪の言葉は荒れ狂う牛鬼の心の具現。それは一直線に4人の心に突き刺さった。
 牛鬼は完全に死に体だ。
 けれど、信仰心にも似た一途で純粋な憎悪が滅びようとする肉体を越えて牛鬼に際限のない力を与えているのだ。

 言葉もなくその様子を見つめていた3人を押しのけて、雪ノ丞が牛鬼の前に立ち塞がる。

「わりいな。俺たちはお前のママを生き返らせてやることなんてできねえ。
 同化しちまったお前から悪霊だけを引っぺがしてやる事もできねえ。
 できるのは、せめてこれ以上お前のせいで悲しみが広がる前に死なせてやることだけだ」

 右腕の魔装術の先端部分が鋭く尖り、そこに霊力が集中していく。
 それと同時に雪ノ丞は鋭く踏み込むと半身のまま牛鬼に突っ込んでいく。
 彼は足にも霊力を込めて加速すると、一気に牛鬼との間合いを消し、その体に右拳を突き刺した。

「あばよ」

 その瞬間、牛鬼の体を眩い光が包んだ。
 零距離からのありったけの霊力を注ぎ込んだ雪ノ丞の霊波砲が牛鬼の霊体中枢を完全に打ち砕いていたのだ。



「お母さん、痛いよ。ごめんなさい、駄目だったみたい」

 仰向けに地に伏した牛鬼が虚空に向かって呻いていた。 
 皮肉にもその声からは、悪霊の怨念と狂気が消えていた。
 霊体中枢を砕かれる事で、彼女は彼女を突き動かしていた悪霊から開放されたのだ。
 ………それがもう完全に手遅れだったとしても。
 震えて咳き込む牛鬼の口から血の飛沫が散る。呼吸のたびに激痛があるはずだ。

 見るに耐えなくなった雪ノ丞が進み出る。

「もういいだろ。早くとどめをさしてやったほうがいい」

「待ってくれ」

 横島は雪ノ丞を制すと牛鬼の傍らに歩み寄り、タマモの方を向いた。

「タマモ、頼む」

 タマモは頷くと横島の体に幻術をかけて、見破られないように牛鬼にも幻術を施す。
 すぐにタマモの幻術の効果が現れ、横島の外見は死んだ牛鬼そっくりの姿に変化した。
 
 横島は苦しみもがく牛鬼の手を取ると、そっと自分に目を向けさせた。
 憎しみに燃えていた彼女の目が見開かれる。横島に抱きついて実体があることを夢中で確かめる。
 やがて彼女の目から涙が溢れてきた。
 泣いている事にも気がつかない様子で彼女は弱々しく口を開いた。

「お母さん、ひどい夢を見たの。お母さんが死んでしまって───」

 横島は彼女の声を遮って彼女に向けて『忘』の文珠をかざした。
 それはこの数日の記憶を彼女から消してゆく。やがて彼女の顔から恐怖と険が取れていった。
 それを見計らって横島は優しく告げる。

「もう何も心配しなくていいよ。だから何もかも忘れてゆっくりと眠って」

 その言葉を聞くと、彼女は横島に向かって微笑みながらゆっくりと目を閉じていく。

「おやすみなさい、お母さん」

 やがて彼女の体がその活動を完全に停止した。
 全てを包み込む夜の闇の中で静かに息を引き取っていった彼女の安らかな顔には、
 彼女の心を蝕んでいた強烈な負の念の痕を微塵も残していない。
 その顔は魔物としてでも悪霊としてでもなく、きっと母親を慕うひとりの少女のものだった。



「出会うのが遅すぎたよな、俺達」

「ごめんなさい。あなた達を助けたかったのに、できればお友達になりたかったのに………こんなことしかしてあげられなかった」

 横島は目を逸らさずに腕の中の彼女の遺体を見つめている。
 秋美はこみ上げてくる嗚咽を止められなかった。
 彼女はケイと同じような立場だったのだ。
 もし美衣が自分たちに会う前にGSに殺されていれば、残されたケイもきっとこの子と同様に暴走していたであろう。
 数ヶ月間彼女の身の回りの世話を親身に焼いていた彼女には、どうしようもなくそれが理解できてしまうのだ。



 『組み込み計画』の参加者にとってこの件は忘れられない苦い挫折と教訓を心に刻んだ。
 『人と人外の存在の共存共栄』の理念の達成の前には遥かに険しい壁と遠い距離が横たわっている現実。
 これより何年もの時間を超え、いくつもの失敗を経て、更に様々な困難に挑み続け、ようやくそれを乗り越える事ができるのかもしれない。
 けれども今はまだ、その果ては遠い。


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