声が聞こえてた。
あの女の人が、うちの前に現れてから、ずっと。
今ではもう、あの女の人が現れることもないのに、声はまだ聞こえてる。
ううん。
最初から、そんな声なんてなかった。
あれは紛れもなく、うちの…自分自身の声─。
◆◇◆
「え? 横っち、おらんの?」
「うん。何かブリーフィングとかで、皆出かけちゃったよ。」
美神所霊事務所の玄関。
留守番をしていた鈴女から横島がいないと聞かされ、銀一はどうしたものかと頭を抱えた。
「あちゃ〜…やっぱ連絡でも入れといたらよかったなぁ…。」
『皆様のお帰りなら、午後四時ごろの予定になりますが。』
人工幽霊壱号の報告に、銀一はちらりと腕時計に目を走らせる。
現在時刻、午後二時五十二分。
「ん〜…後一時間ちょいってところか。さて、どないしよ…。」
「待たしてもらうわ。」
銀一の言葉を待たず、夏子はそう言い置くとスタスタと邸の中に入っていく。
「ええよね?」
「うん! お話ししようね、夏子ちゃん!」
鈴女は嬉々とした様子でその後に続くが、銀一はその場に立ち尽くしていた。
自分の横を通り過ぎる一瞬、夏子がひどく固い表情をしていたのが見えたのだ。
まるで、何かを必死で堪えているかのような。
「近畿く〜ん。何してるの〜? 早くあがりなよ〜。」
「ん…ああ。」
鈴女の自分を呼ぶ声に、銀一も事務所の中へ入っていく。
さっきのは見間違いだと、そう言い聞かせながら。
「─でね! また横島が美神さんに折檻されたの!!」
「またぁ? ホンマにしょーもないなぁ、横島は。」
鈴女の話に相槌を打ちながら、くすくすと笑う夏子。
それを見ながら、銀一はやはりさっきの夏子の表情は見間違いだと安心していた。
ちなみに、銀一らの前にはコーヒーが置かれているが、これは銀一が入れたものである。
鈴女がやろうとしたが、さすがに無理だろうと思ったのだ。
その時も、夏子は固い表情で台所の入り口に立っていたようだが、それも見間違いだったのだろう。
会話が途切れ、銀一が静かにコーヒーを口に含んだ時。
「…昨日の横島も、この事務所の話ばかりしてたなぁ。」
ぽつりと夏子が呟き、銀一は「ん?」と顔を上げる。
夏子はどこか遠い目をして、背もたれに身を預けていた。
「まあ、そらそうやろ。横っちの生活のほとんどが、事務所中心みたいやし。」
横島の話では、高校入学とほぼ同時にこの事務所でのバイトを始めたらしい。
いわば、横島の青春時代のほぼ全てがこの事務所に詰まっているのだ。
「俺もお前も、横っちも。皆、それぞれの生活を手に入れたんや。」
「…変わったんやね。」
「そらそうや。少しずつ変わっていくんが当たり前のことやしな。」
「…ん。せやけど、うちは…。」
トゥルルルル…
夏子が言いかけたその時、事務所の電話が着信を知らせた。
鈴女が、夏子の肩からふわりと舞い上がり、電話機の方へと飛んでいく。
「はいは〜い。…って、私じゃ持ち上げられないし。」
『私が応対しましょう。─はい、こちら美神除霊事務所です。』
人工幽霊壱号が言うなり、着信音が鳴り止む。
続けて、聞きなれた声が電話機から聞こえてきた。
《あ、その声は人工幽霊壱号か?》
『横島さんでしたか。何かありましたか?』
何かもなにも、後ろの方が何やら騒がしい。
横島の声にも、苦笑している気配がうかがえる。
《それがさぁ、美神さんがまぁ〜たヒス起こしちゃって…ブッ!!》
《また、とか言うな!! それにヒスでもないッ!!》
横島の声が中断され、次に飛び込んでくる美神の怒声。
そして連続する殴打音。
なんとなく、通話口の向こうの様子が理解できる。
横島がしばかれているだろう殴打音をBGMに、おキヌの声が聞こえてくる。
《というわけで、ちょっと帰るのが遅れそうなの。》
『わかりました。ですが現在、宮尾様と小川様がお待ちなのですが。』
《えっ? ちょっと待っててね。横島さーん。》
いまだ殴打音…いや、何か液体が飛び散るような音が続く中、おキヌは暢気な口調で横島を呼ぶ。
聞いている方は、その暢気さが逆に不気味で仕方がない。
ふいに嫌な擬音が止み、しばしの沈黙の後。
《もしもし? 銀ちゃんたち、そこにいんの?》
先ほどまで殴打されていたはずだが、聞こえてきた横島の声はまったく平然としていた。
通話口の向こう側のことはなるべく考えないようにして、銀一は答える。
「ああ、夏子もおるで。」
《悪いけどちょっと待っててくれ。美神さん宥めねーと、帰るに帰れない…ブッ!!》
《私ゃ猛獣かッ!?》
再び、嫌なBGM再開。そして、そのまま通話は切れた。
最後の方、「ちょ…刻真、加勢してくれ〜!!」とか「悪い。無理。」とか聞こえていたが。
とりあえず、銀一が今出来ることは、友が無事帰ってくることを祈るのみである。
「まあ、もう少し待たせてもらうか。なあ、夏…ん?」
「あれ? 夏子ちゃんは?」
銀一と鈴女が振り向いたとき、確かにそれまで居たはずの夏子の姿が無かった。
『小川様なら、現在屋根裏部屋におられます。』
「はあ? 何でまたそんなとこに…?」
人工幽霊壱号からの報告に、首を傾げながら銀一と鈴女は部屋を出て行く。
…もしも。
もしも、人工幽霊壱号にも首があったなら、きっと同じように首を傾げていたはずである。
『…どうやって、私の知覚に悟られず移動されたのでしょう?』
◆◇◆
二つのベッドが並べられている部屋。
夏子はつうっと指で何かを確かめるように、自分が腰掛けている窓の縁をなぞる。
今は、シロとタマモの部屋である屋根裏部屋には、どこか森の匂いがする。
話では、二人が入居する以前に、粉々に吹き飛んだことがあるらしい。
だが、それでも。
夏子はそれを、『彼女の残り香』を感じていた。
「…ここで、暮らしてたんやね。」
夏子は立ち上がり、その指を壁に這わせ、なぞりながら部屋を歩き回る。
「ここで…横島と笑ってたんやね。ここで…。」
やがて、また元の位置に戻ると、窓の縁に手をついて背を向ける。
その手が、ぎゅうと固く握り締められる。
ふいに、誰かが階段を登ってくる音がしたが、夏子は振り向かない。
いや、聞こえてすらいないのかもしれなかった。
やがて、銀一が鈴女とともに顔を出す。
「夏子。こんなとこで、何してんのや?」
銀一の問いかけにも、夏子は無反応であった。
訝しげに眉をひそめながら、銀一は屋根裏部屋にあがると夏子に近寄っていく。
「おい、夏子…?」
「…ッダメ! 近畿くん、離れて!」
銀一が手を伸ばしかけたとき、鈴女がはっとして銀一の襟を引いて制止する。
その声になにやら切迫したものを感じ、戸惑いながらも数歩後ろに下がる銀一。
「な、何や? 一体…。」
「こんな…。」
ふと夏子の口から漏れた呟きに、銀一がびくりと身を震わせる。
そうさせるだけの、何か危険なものを感じ取ったのだ。
夏子を見れば、肩を震わせて戦慄いている。
両手は拳を握り締め、ぎりぎりと銀一まで音が聞こえるほどの力が込められていた。
「こんな場所…!!」
『!! 危ないッ!!』
次の瞬間、美神所霊事務所の屋根裏部屋は、以前の破壊を上回る規模で吹き飛んだ。
って、作者ァ!! 私らの出番はあれで終わりなワケ!?
アンタ、よっぽど私に呪われたいワケね!!
…とりあえず、気を取り直して。
まあ、今回横島の奴が令子にボコられてんのは、いつもの如く余計なこと言ったからなワケ。
刻真に向けられてた矛先が、そのまま横島に移ったってワケ。
んで、刻真は刻真で、これ幸いと距離とってるんだから…ちゃっかりしてるわ、あの子。
…何かあの子のしたたかさは、令子とかに通じるもんがあるワケ。
ま、それよりも。
令子の事務所、吹き飛んでるけど…。
ザマーないワケ!!
ほんと、よくよく建物と相性の悪い女なワケ!!
前の事務所も、自宅も、今の事務所も、必ず一回は吹っ飛んでるし…呪われてるんじゃない?
ま、私が呪ってるわけじゃないけどねー! ホホホホホ!!
だいたい─以下略(以後数十分ほど罵詈雑言が続きますので割愛させていただきます。) (詠夢)
屋根裏部屋が吹き飛んでしまいましたが結界が張られている部屋を吹き飛ばすとは一体どのくらいの力が働いたのでしょうか?
この調子で『彼女の残り香』がする場所を破壊していってしまうのでしょうか?
横島や銀一の行動に期待です。
ではまた。 (夜叉姫)
オリジナルキャラクターの刻真、すごく気に入りました。
これから先がすごく楽しみです。期待して待っています。 (サシミ)
夜叉姫 様:
夏子の暴走はさらに加速する予定です。
あと、『彼女』が強く残っているといえば…と、ネタばれになりますかね。
二人の行動からは、目が離せませんよ。何といっても、今回の章のメインですから。
サシミ 様:
いや、感動とまで言っていただけて、まこと感謝の極みです。
刻真を気に入っていただけたようで何よりです。
これからもよろしくお願いします。 (詠夢)