椎名作品二次創作小説投稿広場


始まりの物語


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 3/ 7

 秋実から出張について報告を受けているとき、西条輝彦は上機嫌だった。
 明るい表情を浮かべ秋美に報告に対して快活な口調で労う。
 秋美が、横島にフォローを受けたおかげで人狼族との交渉では好感触を得られた事を話すと嬉しそうに相槌を打つ。
 同席しているピートはその様子に疑問を持つ。

(西条主任、横島さんが活躍する話を聞く時ははあまり面白い顔をしないんだけどな。
 ……それとも、横島さんのスカウトがうまくいきそうなのがうれしいのだろうか。
 そうだとしたら素晴らしい態度だ。公私のけじめをきちんとつけた対応は見習わないといけないな)

 西条の策略も知らずに彼に尊敬の目を向けるピート。 
 知らないという事はつくづく人を幸せに導く可能性に満ちている。
 もし敬虔な彼が上司の胸の内を知ってしまったら、
 自分の目が赤くなるのを止められないかもしれない。

 そんなピートをよそに、西条は秋美の様子を観察しながら最後の一手を考えている。
 そして秋美の報告が終わると西条はさりげない口調で彼女に質問を始めた。

「ご苦労だった、八代くん。今回はまずまず成果が得られたと考えてもいいいね。
 ところで、君は横島くんが計画に参加する事をどう思う?」

「はい、もし彼が計画に参加してくれれば非常に心強いです」

 秋美の返答を聞くと、西条は思案するような様子をしながら話を続ける。

「そうか。実は私もピートくんも少し前に同じ結論を下していてね。
 しかしああ見えても、彼は人情を大切にする性格でね。
 恩義のある事務所を出てこの計画に参加するかどうかは不透明なんだよ」

「そうですね。横島さんはそれで美衣さんを助けてくれたんですから」

 残念そうに頷く秋美の様子にほくそえみながら西条は言葉をかけた。

「そういえば、あの時に依頼を受けたのが美神事務所ではなかったら、彼女の命はなかったかもしれないね」

 その言葉の意味に気がつきはっとする秋美。
 それに目をやりながら西条は更に付け加える。

「もし、彼がこの計画に参加してくれれば美衣さんの時のように、
 罪のない妖怪が人間に殺されるような悲劇が起こるのを防ぐことができるんだけどね」

 そう言って僅かに哀しそうな表情で下を向く西条。
 西条の言葉に感化され、ピートが口を挟む。

「僕の方から横島さんを説得するのは駄目でしょうか?」

「僕も君も美神事務所とは縁があるからね。これ以上の勧誘は好ましくないよ。
 横島くんが計画に参加しようがしまいが、
 美神事務所とは協力体制が取れるようにこれからも良好な関係を保たなければいけないよ。
 もし君とあそことの繋がりが小さいのなら是非にもと頼むところなんだが」

 沈痛な表情で首を振りながら、西条はその場にいる人間に言い聞かせるようにピートの案を却下する。
 それを聞いて考え込む秋美に視線を移すと彼は用意してあった書類を取り出した。

「八代くん、これは昨日、君が出した報告書を基に作成した資料だ。
 交渉の際にどの程度まで現場の人間に裁量を委ねるのが良いのかは前々から議論になっていてね。
 君も後で目を通しておいて欲しい。それでは秋美くん、勤務に戻ってくれたまえ」

 そう言いながら西条は秋美にその書類を渡すとさりげなく付け加えた。

「横島くんにも参考意見が聞きたいので、近々彼にもそれを見せてもらえないかな?」

「はい、承りました。」
 
 書類を手に秋美は軽い足取りで退出してゆく。
 それを見送りながら西条は己の打った布石が実を結んだ事を感じ取った。

(あれなら、八代くんは誠心誠意で、それこそあらん限りの熱意で横島くんを説得するはずだ。
 はたして君にそれを拒む事ができるかな?これでチェックメイトだよ、横島くん!)
 
 最後の仕上げに西条はピートに声をかけた。

「ピートくん、今日の夜、八代くんと横島くんが2人きりでディナーを取るようにセッティングしてくれないか?
 口裏は僕が合わせるから多少の嘘をついてもかまわないよ」

「主任、狙いは分かりますが。さすがに嘘はまずいのでは………」

 信仰心の厚いピートがためらいを見せると、先ほどのように西条は沈んだ表情をする。

「分かっている。しかし我々では思い切った説得ができない。
 君は令子ちゃんに知られるのを覚悟で横島くんを説得する自信があるかい?」

「そ、それは………難しいです」

 痛い点を突く西条の言葉にピートは怯んだ。
 彼とて美神を敵に回したくはない。
 人間離れした体力や耐久力のある自分なら美神は遠慮も躊躇いも容赦もなく攻撃してくるだろう。
 しかし戦闘能力の低い八代なら美神も大怪我させるリスクを恐れて直接攻撃に出る可能性は低い。

 悩むピートの耳に更に西条の言葉が聞こえてくる。

「ピートくん、この件がうまく行けば、人と共生可能な存在が迫害される事も激減する。
 現場の人手不足が解消できれば、霊障に悩む市民の皆さんの苦しみを救うことにもつながる。
 だからそのための行いは、君の信じる神もきっとお許しになるだろう」

 人を欺いて傷つけるのは罪だ。けれど嘘も方便という言葉もある。
 主は助けを求める人に手を差し伸べるように仰っていた。
 ならば多くの人の助けへとつながるこの嘘は主も必ずやお許しになられるだろう。
 それでいいのですね、先生!

 虚空に目を彷徨わせると自分に向かって手を振っている唐巣の姿が浮かんでくる。
 何故かその隣には神通昆を手にした美神が立っている。
 思わずそこから目をそらすとピートは胸の中にある何かを吹っ切って爽やかな顔で答えた。

「セッティングは任せてください!」

 



 この日は久々に事務所のメンバーが全員揃って依頼に当たっていた。
 大口の依頼で除霊対象の悪霊達は質・量ともに大きく、完全に理性がなくなっているため動きが読みにくい。
 除霊現場であるビルは、つい最近悪霊が出るまでは普通に使われていたため設備が丸々残っている。
 依頼料は破格だが、それらを傷つけた損失分の金額が依頼料から引かれてゆくという条件が出されている。
 よって威力ある『爆』等の文珠は使えず、シロの霊波刀や美神の神通昆、タマモの狐火等も限定的に使わざるを得ない。
 そのためこの除霊作業はリスクが高く時間も掛かると見られていた。

 しかしそんな難度の高い依頼でも事務所のメンバーの総力を挙げれば他愛もない。

 タマモの幻覚で大部屋や倉庫におびき寄せた一団を
 美神の指示の下にシロがその身体能力をいかして仕留めてゆく。
 あらかじめトラップを張った場所に迷い込んだ浮遊霊は
 動けなくなったところを護衛役の横島の栄光の手やおキヌのネクロマンサーの笛によって祓われる。
 不測の事態で危機に陥ったときはあらかじめ全員に渡されていた文珠を使って切り抜ける。

 こうして美神の指揮で相手を分断しては各個撃破してゆき、
 ある程度まで悪霊を減らすとメンバーたちは一旦ビルの入り口に戻る。
 そこから順々に上ってゆきながら、今度は追いかける立場になって悪霊を追い詰めてゆく。
 そして散発的な抵抗を排除しながら最上階につくと、残っていた集合霊を
 おキヌの護衛に専念していて霊力の消耗の少ない横島が苦もなく仕留めて依頼を完了させた。  


「久しぶりに悪霊をしばきまくって良い運動になったわ!
 お金もたっぷり貰えたし、言うことなしの依頼だったわね」

 ここ数日溜まっていたストレスを解消できて、美神は上機嫌になっていた。
 あれほどの除霊をこなしたのにその表情には余裕が満ち溢れている。

「机とかロッカーとか備品の類を壊しちゃいけないから、俺、結構神経使いましたよ」

 発言とは裏腹に元気な顔をしている横島。

 それに対して囮役をしていたタマモや始終動き回っていたシロ、
 笛を吹き続けて息の上がったおキヌは少し疲れた顔をしている。
 その様子を見て取った美神は労いも込めて声をかけた。

「今日は予想以上に儲けたからね。私の奢りで、お祝いも兼ねてこれからどこかに食べに行くわよ」

「まことでござるか!拙者、焼肉をお腹いっぱい食べたいでござる」

「特製キツネうどん、好きなだけ食べてもいいのね!?」

 何故か食事に関しては太っ腹な美神から褒美が出る。
 歓声を上げるシロとタマモ。おキヌも嬉しそうな顔をする。
 しかし横島だけが残念そうな顔で沈黙している。
  
「どうしたの横島くん、黙っちゃって?」

「すいません、さっきピートから連絡がありまして、
 昨日の出張の結果からオカGが纏めた報告に関して意見が欲しいって言われて、
 俺も自分がやった部分もありますし、会うついでに夕飯食べる約束したんです」

 謝る横島におキヌ達は残念そうな顔をするが、
 数日前に美智恵からオカG絡みの用件があるときはなるべく邪魔をしないように
 釘をさされているため美神はしぶしぶそれを認めた。




「なんだよ、ピートのやつ。男同士で晩飯食べるのにこんなシャレた所を指定しやがって」

 除霊の後に直行したために普段着のままだった横島はピートが指定した店の前で毒づいた。
 外から外装や店内の様子を窺うだけでも、その店が落ち着いた雰囲気で出てくる料理も決して安い値段ではない事が分かる。 
 この格好のままピートと2人で店に入ったら、自分が浮いてしまう姿が目に見える。

「何を考えてるのか分からんが、ピートが来たら絶対に場所を変えてもらうぞ」

 ぶちぶち文句を言いながら佇む彼の背中から聞き覚えのある声がした。

「横島さん」

「へっ?って、八代さん?その、どうしたんですか、こんな所で?」

 振り返るとすぐ後に秋美が立っていた。
 仕事帰りなのだろう、スーツ姿でニコニコと笑いながらこちらを見ている。
 そんな彼女の姿は、子供に笑顔を見せる保母さんのような、どこか透明感のある魅力に溢れていた。
 あまりじっと見たら眩しくなってしまいそうだ。
そのせいか横島は当たり障りのない返答を返してしまう。

「ピート先輩の都合が急に悪くなったので私が代役にとして参りました。
 先日のお礼もきちんとしておきたかったですし、
 今日は先輩の代わりに私に付き合ってくださいませんか?」

 小首をかしげてこちらを覗き込むように聞いてくる秋美にドキッとしながら横島は慌てて答えた。

「それは、かまわないですけど。八代さん、ここに来るように言われたんですよね。
 俺、除霊の帰りでこんな格好だし、場所を変えませんか?」

「横島さんは、この店の料理は嫌いですか?」

「いえ、入ったことはないです。でも俺と一緒だと多分じろじろ見られますよ?」

「それなら何の問題もないですよ。
 今後も交渉を続けていくのならプレシャーなんて散々感じることになるでしょう。
 それに比べれば人から見られるプレッシャーなんて全然気になりませんよ」

 横島は自分の格好を見せて再考を促すが、それを笑顔のままいとも容易く受け流す秋美に押され気味になる。 

 この店は私のお気に入りなんです、横島さんも気に入ってくれるといいんですけど。
 そう言いながらさりげなく横島の隣に立つと秋美はやんわりと促してくる。

「や、八代さん、今日はなんだか活動的ですね」

「良い事があったんですよ」

 貴方と2人きりの時間ができたんですから、秋美は胸の中でそう呟いた。




 店の料理の味は素晴らしかった。
 それを味わううち、格好を気にしていた横島もリラックスした気分になってくる。

 2人は出てくる料理に舌鼓をうちながら会話を楽しんでいた。
 秋美が西条から頼まれていた資料を見せると横島は彼なりの意見を出す。
 横島の意見の根拠を尋ねると、横島はこの2年で経験した仲介絡みの体験について話し始めた。
 横島が体験した事がどれも波乱に満ちたものばかりということもあり、
 秋美は時折笑い声を上げながらも夢中になって横島の話を聞いていた。
 やがて話題が今日の除霊の事に及ぶ。


「それでは、一番多く悪霊を祓ったのは犬塚さんなんですか?」

「あいつはスタミナとスピードと運動性はピカ一です。
 美神さんの的確な指示があれば、前衛としてはまず心配ないですね」

「横島さんは後衛の氷室さんの護衛だったんですか」

「おキヌちゃんを近接戦闘させるわけにはいきませんから。
 優しいあの子の性格は、格闘や斬り合いには全く不向きですからね」

「では、今日の横島さんの役割はナイトでしょうか?」

「いいえ、俺はルークですよ」

 秋美の言葉に、俺はナイトなんてキャラではないなと苦笑する。

「ならば美神さんは?」

 微笑みながら問いかける秋美に横島も興が乗ってくる。

「「クイーン」」

 期せずして言葉が重なる。

「クイーンは動かないのが定石」
 
 秋美が詠うように口にすると

「されど、ひとたび動けばどの駒よりも強力な戦士」

 横島がそれに合わせる。

 そこで己の気障な言い回しに気がついたのだろう、2人は思わず吹きだした。




 食事終わって外に出ると秋美は横島を人気のない公園へ誘った。

 冬の夜の公園は冷たく人影は全く見られない。
 頼りない明るさの街灯の下、秋美は空を見上げた。

「やっぱりこの街からは、あまり星が見えませんね」

 話の行方が分からず戸惑う横島に秋美は次々と言葉を投げかけてゆく。

「人狼の里への出張は本当に勉強になりました」

「人とはある程度の交流のある人狼族でさえ、この計画に組み込むのは難しいです」

「横島さんの言ったとおり、1人でやるのはとんでもない無謀です。
 誰かが常に気を配りながら慎重に話し合いを進めていかないと駄目なんですね」

 黙って秋美を見つめる横島。彼女は一旦黙ると意を決して言葉を紡いだ。

「横島さん、私はこの計画に参加することを本当に光栄に思っています。
 美衣さんと友達になれて、そしてこの計画を知って、
 これからは、私のように他の人達が美衣さんのような方とも仲良くなれるのかもしれないって、そう思いました」

 秋美の眼差しが強くなる。そこには確固たる意思が込められている。

「だから、横島さん。私と一緒にこの計画に参加してもらえませんか?
 貴方とならばきっとこの計画を成功させられるって私は確信しています」

 秋美の顔は紅潮し、その言葉には強い情熱が込められる。
 無言の横島に向かって語りかける秋美のテンションはどんどん高くなってゆく。 

「………美衣さんと親しくなってから実感させられたことがあります。
 友達になれるかもしれない存在が、人間の過った認識で排除されてしまうなんて嫌なんです!」

 言いたかったことを全て言い終わったのか秋実はそこで言葉を切った。
 沈黙を守っていた横島はただその様子を見つめている。
 2人の間に静寂が訪れ、秋美の高まった熱気を少しずつ冷ましてゆく。

「ごめんなさい、横島さんの気持ちを無視していました」

 頭を下げる秋美に横島は慌てて手を振った。

「とんでもないっすよ。謝らないでください。
 そこまで俺を評価してくれて、本当にうれしかったです」

 横島の言葉に顔を上げると、秋美は精一杯努力して微笑みながら別れを告げた。

「横島さん、今日は本当に楽しかったです。
 所用があったのですが、あんまり楽しかったので遅れそうになってしまいました」

 そう言って、せめてタクシー乗り場まで送るという横島の申し出を謝絶すると
 秋美は足早に横島から離れていった。

 それが限界だった。あれ以上彼の側にいたらきっと自分は泣き顔を見せてしまう。
 彼が事務所に恩を感じていることを分かっていながらも、あんな事を言ってしまった。
 あれは紛れもなく自分の本心だった。そして同時に横島を悩ます種でもある。
 それを理解していながらも言葉を止めることができなかった。
 
 歩きながら、秋美は頬に熱いものが流れてゆくのを感じていた。






「どこかで、友達になれるかもしれない存在が、殺されてしまうかもしれない………か」

 秋美の言葉は、横島の心の中に今なお色褪せずに焼きついている女性を思い浮かばせた。

「ルシオラ………」

 彼を一途に愛した蛍の化身は、まさしく人に非ざる存在だった。
 それでも自分と彼女は周りの友人達を交えながら馬鹿騒ぎしたりもした。
 そして2人だけで東京タワーから夕日を眺めた。
 それは短くとも楽しいかけがえのない日々だった。

 思えばあの状況は一種の奇跡だったのだ。
 自分の周りにはあれだけの特異な連中が集まっていた。
 そして高名なGS達が彼女が罪に問われぬように骨を折ってくれた。
 だからこそ、自分と同様にテレビ中継にまで映った彼女が、
 周りからの迫害もなく人間と同じような生活をすることができたのだろう。

 その認識は彼の胸に痛みと同時にある願いを植えつけていった。

(もし、この国のどこかで俺みたいに人じゃない美人の姉ちゃんを好きになったやつがいて、
 そいつが人間にホレた女を殺されたらやりきれんよなあ)

 公園を抜け、大通りへと向かう。街の明かりが徐々に近づいてくる。

(この計画が成功すれば、俺達みたいな珍妙な組み合わせのカップルもお気楽にいちゃいちゃできるようになるんだぜ。
 他人の恋愛なんて蹴っ飛ばして石でも投げてやりたいところだけど、その場合だけは見逃してやってもいいかな)

 気がつくと駅を出て自宅の近くまで歩いている。 

(ルシオラ………もしこの計画でさ、俺達みたいなカップルがお気楽に生きられるんなら、俺は………) 






 次の日、美神事務所は軽い驚きに見舞われていた。
 横島が朝早く例の計画の資料を持参して事務所に来ると、その効果や弊害等について様々な質問してきたのだ。
 これまでこの問題について明確な態度を見せなかった彼の行動は周囲を困惑させた。

「それで美神さん、例えばこのケースだと成功率はどうですか?」

「その種族が相手だと取り込むのは難しいわね。元々人間との繋がりが薄いし、生態的な類似点もないわ」

「この場合はこういう手段なら効くっすか?」

「ええ、適切よ。でも形式重視のお役所が現場にそれができるだけの権限をくれるとは限らないわよ?」

 仕事でもないのにいつになく真面目に質問してくる横島に美神はペースを乱される。
 おかげでこちらのペースに持ち込んで昨夜何があったか問い詰められない。
 そんなやりとりが除霊の現場に出発する時間まで続いていた。



 その日に入っていた依頼は難易度の低いものが1つだけだった。
 美神たちはすぐにそれを片付けるといつものように事務所に戻る。
 
「横島くん、もう今日は除霊もないし帰っていいわよ。オカGに返事するのは明後日までなんでしょ?」

 事務所についた時、時刻はまだ午後を少し過ぎた所だった。
 しかし先ほどから横島の煩悩パワーと霊力が少し下がっている事に気がついた美神は横島をあがらせた。

「そうっすけど、いいんですか?この前に来た大口の依頼の調査する予定なんですけど」

「依頼の遂行期限はまだまだ先よ。別に今日終わらせなきゃいけないわけじゃないわ。
 だから今は、あんたはなんて返事するのかを考えなさい」

「分かりました。それじゃあ、先に上がらせてもらいます。みんな、また明日ね」

 急展開についていけないおキヌ達に声をかけると横島は事務所から出てゆく。

 美神と横島のやりとりを見ていたタマモは、横島が事務所から出たのを確認すると美神に向き直った。

「ねえ、ミカミは横島を派遣したいの?」

「別にそういうわけじゃないわよ。私としては今回の件はあんまりいい気はしないわ」

「どうして、ミカミ?ヨコシマを派遣するデメリットって何かある?」

「便利に使える丁稚がいなくなったら不便じゃないの!
 人外担当がいなくなったら仕事にも差し支えるわ」

「でも、あの計画が始まれば人外からの仲介の依頼は向こうに回せば良くなるんでしょう?
 そうすれば国から仲介料も入るみたいだし、稼ぎが減ることはないんじゃない?」

「そ、そういう予測も成り立つかもしれないけど」

「なら、別に反対する理由なんてないじゃない」

 痛い点をつかれた美神が目を泳がせると、我慢できなくなったシロが口を挟んできた。

「タマモ!貴様、先生をここから追い出したいのでござるか!」

「そういうわけじゃないわよ。ただ、何があったのかは知らないけど、あの様子だとヨコシマは結構出向に乗り気みたい」

「で、出鱈目を言うなでござる!」

 息を呑むおキヌ。対照的にシロはタマモに食って掛かる。
 タマモはクールな顔でシロを見返すと自らの考えを告げる。

「あんただって、分かってんでしょ?横島が変にシリアスな時って悪巧みしてるときか
 何かをすごく真剣に考えて実行に移そうとしてるときよ。今の場合は明らかに後者ね」

「う、うるさい。うるさーい!」

 タマモに言い負かされシロは半泣きになって走り去っていく。

 

「で、結局ミカミはどうするの?」

 何事もなかったかのように話を続けるタマモに美神は投げやりに答える。

「前に言ったでしょう。この件に関しては横島くんの判断に任せるって」

「でも、あいつなら八代って女が頼めばこのまま簡単に承諾しちゃうんじゃないの?」

 何気なく言ったタマモの言葉に美神が固まる。

 ありえる。横島ならありえる。というか秋美に懇願されてそれを撥ね付ける横島のほうがありえない。
 しかし、それを阻止するためにこちらが泣き落としをするのか?
 それこそ、アシュタロスがお気楽魔神に転生するぐらいありえない。
 私があいつの前で泣くなんて、冗談交じりに愛の告白をするよりもありえない!

「っ!!その時は、その時よ!
 仲介がらみの仕事は全部あいつに押し付けてギャラは全部こっちでふんだくってやるから!」

 暴走しそうになった思考を無理やり断ち切って美神は立ち上がる。

「横島くんがいないんだから代わりに調査に行くわよ!おキヌちゃん、シロは公園にいるだろうから見てきて」

「は、はい。分かりました」

 そう言うと美神は道具を取りに部屋から出ていき、おキヌもシロを探しに行く。


「はあ、失敗したわね。ミカミ達に発破かけるつもりだったんだけど」

 誰もいなくなった部屋でタマモはぽつりと呟いた。



 その日の仕事が終わるとおキヌは買い物をしにスーパーに行く。
 目当ての食材を買いこむと目的地へと向かう。
 事務所のメンバー用の夕食は既に用意してある。
 だから久しぶりに今日は彼の家でのんびりと2人で過ごせる。
 そんなことを思いながら横島の家の前にまで来るとおキヌはいつものように声をかけた。

「横島さん、夕飯作りにきました」

「あっ、おキヌちゃん、ありがとう」

 中からは相変わらずの彼の声が聞こえてくる。
 それを聞いておキヌは嬉しそうに中へ入っていった。


 
 相変わらずの食べっぷりだった。
 高校卒業後、依然とは雲泥の差のある待遇を受けるようになった横島だが
 おキヌの目の前で彼女の作った料理を美味そうに食べている。
 多めに作った料理もその食べっぷりの前ではあっという間に消えてゆく。
 おキヌもそれを嬉しそうに見ながら箸を動かしていった。

 食事も終わり、まったりとした時間が流れる。
 横島はお茶をすすり、おキヌは食器を片付けていた。
 おキヌの頭に先ほどの場面がリフレインする。
 
 相変わらずおキヌちゃんの料理は最高においしいよ
 そう笑顔で言ってくれた彼の顔を思い出すと思わず顔がほころぶ。

「おキヌちゃんこのお茶っ葉、いつもと違う?」

「ええ。里帰りしたときに買ったんです。お口に合いませんか?」

「いや、美味しいよ。静岡産のお茶かな」

 何気なく交わされる会話がなによりもうれしい。
 そんな温かさに満ちた空間の中で彼女は至福を感じていた。
 このまま時が止まってしまえばいい、そんな陳腐なフレーズすら頭をよぎる。

 後片付けを終えると足取りも軽くおキヌは横島のほうへ戻ってゆく。
 と、浮かれていたせいだろうか、後片付けの際に水が飛び散ったせいで濡れていた床に滑ってバランスを崩す。
 気がついた瞬間に浮遊する感覚、次に全身に軽い衝撃がはしり上半身に暖かい体温を感じる。視界が何かに遮られる。
 
「おキヌちゃん、大丈夫?」

 転びそうになった自分を助けようとした横島に、自分がもたれかかっているみたいだ。
 自分は横島の胸に顔をうずめ、横島の手が自分を支えるために背中と腰に回されている。
 理解した瞬間に頭が沸騰する。大丈夫だと告げて離れようとした瞬間、タマモの言葉が蘇った。

『ヨコシマは結構出向に乗り気みたい』

 彼の背中に回した手に力がこもる。

「おキヌちゃん?どこか怪我でも?」

 彼の声が聞こえてくる。
 首を振って更にすがりつく。俯いたまま告げる。

「少し胸が痛いんです。だからもう少しだけこのままでいてくれませんか?」

 鏡を見なくても自分の顔が真っ赤だというのが分かる。彼の顔も赤くなっていて欲しい。
 全身に感じる温もり。生き返って一番に嬉しかったのはこの温もりを感じられた事だ。

『おキヌちゃん、むかしのままだな。かわいい!しかも今は生身!』
 失いたくない。

『おキヌちゃん、心霊治療も出来るんだよな』
 ずっと側にいて欲しい。

『おーっ、けっこー効く効く!
 ホラ、おキヌちゃんがいてよかったろ?』
 ………大好き。
  
「おキヌちゃん、もう大丈夫かな?」

 気遣うように問いかけてくる彼の鈍感さが恨めしい。でもそんな彼の優しさはその何倍も愛しい。
 もし彼が出向しても、私と彼の時間が全て消えてしまうわけではない。
 この絆がある限りチャンスはいくらでもやってくる。
 後は私がそれを手繰り寄せる勇気を振り絞るだけなんだ。


 この時、おキヌはある決意を固めた。
 或いはそれが、おキヌの宣戦布告だったのかもしれない。




 その夜、美智恵はオカGのビルの一室で残業していた。キャビネットから書類を取り出すと内容を確かめる。
 その内容に不備がなければ書類を束ねて別のキャビネットに移す。
 一通りの作業が終わると椅子に座ったまま壁のある一点を見つめて声をかけた。
 
「敵意がないのは分かってるから、出ていらっしゃい」

 壁がゆらぐとその形を変えてゆく。そこには金髪の少女が立っていた。

「あら、珍しいお客さんね。ようこそ、タマモちゃん」

「こんばんわ、ミチエ」

「一体どうしたの?なんとなく予想はつくけれど」

「ヨコシマの出向のことよ」

 美智恵の予想通りの返事を返すと、タマモは今日の事務所での出来事を語った。



「こういうわけなんだけど。ねえ、なんとかならない?」

「そうね・・・・・・・令子達はどう思ってるみたいなの?」

「バカ犬は完全に反対ね。無理矢理にでも引き留めたがってると思うわ。
 おキヌは賛成はしていないけれどヨコシマが出向した場合の事も何か考えてるみたい。
 ミカミはどういうスタンスを取るか迷ってるわね」

「そうなの。予想通りといえば予想通りの反応ね」

 考え込む美智恵。
 しばらく黙ってそれを見ていたが、やがてタマモは声をかけた。

「ねえ、ヨコシマを派遣した場合、事務所のメリットは大きいの?」

「ええ。成功すれば黙っていても国の方から妖怪との仲介や仲裁絡みの依頼をいくらでも持ってきてくれるでしょうね」

 それを聞くとタマモは目を細めた。
 予期していた事とはいえ面白くない。そこへ美智恵から声が掛かる。 

「タマモちゃん、貴方はどう思ってるの?」

「そっちが立てたあの計画が成功すれば私に対する危険だって減るから
 関係ないところで持ち上がった話なら賛成したわ。
 でも、ヨコシマが抜けたせいで結構居心地の良かったあそこの雰囲気が今みたいに悪くなるのは嫌よ」

「分かったわ。令子達の答えが出るまでは行かないつもりだったけれど
 そうも言ってられないみたいね。それじゃあ、これから事務所に行きましょうか」 

(西条くん、見事な作戦だったわ。
 まさか横島くんが自分からこの計画に参加するつもりになるとは思わなかった。
 ………でも勝負はまだ終わっていないわよ。
 私を超えるのは、まだ少し早いということを思い知らせてあげる)

 内心で弟子の成長に舌を巻きながらも、美智恵は腰を上げた。



 そこには空の酒瓶が何本も転がっていた。
 飲み干された酒はどれも高級でその味も値段に見合ったものばかりだった。
 しかし度が過ぎればそれも台無しである。
 部屋には様々な酒の匂いが立ち込め、なんともいえないコントラストを醸し出している。
 その中央で顔を赤くしながらグラスを傾けている美女がいる。
 本来なら空瓶さえなければ絵になる情景なのだろうが、今の彼女からはとてつもないプレッシャーが放出されている。

 バタン。事務所に入るとすぐにタマモは倒れた。
 酒の匂いと美神のプレッシャーのダブルパンチに彼女の意識は一瞬で刈り取られたのだ。
 
「あらあら、仕方ないわね。令子、隣に寝かしておくからね」

 タマモと一緒に入ってきた美智恵が彼女を抱き上げて隣の部屋に連れてゆく。
 美神は無言で頷くと母親の為にグラスにウイスキーを注いだ。

 ちなみにシロは屋根裏部屋まで届く美神のプレッシャーを浴び続けていた。
 そのせいで眠ることも出来ずにベッドの上でガタガタ震えている。

 美智恵が戻ってくると美神はグラスを差し出した。

「どうぞ、ママ」

「あら、ありがとう」

 美智恵がグラスを傾ける。
 そのまま無言で少しずつ中身を干してゆく。
 その雰囲気に耐え切れなくなった美神は仕方なくプレッシャーを収めて話しかけた。

「今日はどうしたの?」

「ちょっと反則なんだけど、今回の計画の舞台裏の話でもしようと思ってね」

「なんか、面白い話でもあんの?」

「さあ、それは令子次第ね」

 美智恵の予想通り、美神はその話題に食いついてきた。
 先ほどまで酔っていたせいでトロンとしていた目に力が戻ってくる。
 美智恵は空になっている娘のグラスに水を入れて差し出した。
 美神がそれを飲んで少し酔いが醒めるのを待ってから話を始める。

「もともとはね。計画の発案者の1人の星名氏がシロちゃんに目を留めた事が原因だったのよ」

「なんでシロに?まさかシロの桁外れの散歩に目をつけたわけでもないでしょう?」

「ええ、違うわよ。星名氏が目をつけたのは人外の存在が人間社会に溶け込む様よ。
 シロちゃんのオカG捜査への協力なんて典型例かもしれないわね」

「でも、それなら計画持ち上がるのが早すぎない?
 その人がシロを見たのって、結構最近なんでしょ?」

「そうなんだけどね。その後に星名氏はシロちゃんを調べるうちに美神事務所の実績に驚愕したそうよ。
 これだけの実績を民間の一事務所が立てられるなら、大規模な組織力を動員すればもっと大きな実績がでるって考えたのね。
 でも、いきなりそんな前例のない計画を成功させるのは難しいでしょう?
 そこで発案者の人達は計画に民間から実績のある人間を、場合によっては事務所ごと取り入れてやろうって考えたわけ」

 美智恵は言葉を止めるとグラスの中身を一気にあおる。
 喉が焼けるような感覚の後、全身にウイスキーが染み渡るような錯覚。
 一息つくと、彼女は切り札としてとっておいた最後のカードを切った。

「それでね、令子。発案者に頼まれてこの計画に必要な民間からの協力者のリストを作成したとき
 唐巣先生と貴方と横島くんのうちのだれか1人は確保したいというのが私たちの結論だったわ。
 そして協会からの圧力で唐巣先生の確保が難しくなったので
 私たちは貴方ではなく横島くんに話を持ちかけることを即断したわ。どうしてだと思う?」

「私の性格だとこの計画の参加者としては不安が残るからでしょう」

 ああ、やはり気が付いてなかったのか。
 ほんの少しの失望とかなりの安堵を覚えて美智恵は娘に選考の舞台裏を教えた。

「それもないとは言わないけどね。
 それ以上に貴方と横島くんの立場の違いに配慮したからなのよ」

「立場の違いって・・・・・・・そうか!
 所長の私がこの計画にかかりきりになったら、美神事務所の運営が!」

「横島くんも経営の才能があるのは確かみたいだけど、
 それでも今すぐに年間を通して貴方がやっていた外部との折衝と根回し、
 それにお金絡みの事務処理を代行してもらうのは無理があるでしょうね。
 貴方が抜けたらこの事務所は今までのようには機能しなくなるのよ」

「選考の際にはそれに配慮したって事?」

 そこまで来たとき美智恵は意味深な顔になって告げた。
                   
「そうなるわね。だって計画に必要なのは『最低1人』なのよ?」

 美智恵の意味深な表情に美神は少し戸惑う。
 何かが引っかかる。
 『最低1人』、母のこの言い回しには何か重要なヒントが隠れているはずだ。



 考え込む娘をそれとなく観察しながら、美智恵は多くの混乱をもたらした今回の騒動について振り返った。

(思えば、令子に横島くんのオカG派遣を薦めたのが発端だったのかしら?
 ……いいえ、令子が『人と人外の存在の共存共栄』の方針を掲げてそれを彼と共に軌道に乗せたときから
 今回の騒動がおきるのは不可避だったのかもしれないわね)
 
 2年前のあの日、娘があの方針を打ち出した時、何かが動き出したのだ。
 アシュタロス大戦でおきた混乱のせいでこの国ではあの当時、人と人外の存在の間に大きな波風がたちそうになっていた。
 それを未然に仲裁したのが、現世利益を最優先、最大追及している私の娘。
 そして娘の弟子であり、隣で娘のバックアップを引き受けていた彼。

 この2年間、数々の難題や妨害があったにも関わらず彼女はいつも楽しそうに仕事に打ち込んでいた。
 その様子を見て、美智恵は娘の隣には彼の存在が不可欠なのだと感じた。
 だからお節介と知りながらも、今日ここで口をだしたのだ。

 これは娘にしてやれる2つ目の援護射撃だ。
 自分にしてやれるのはここまでだが、娘ならすぐに自分のかけた謎に気が付くだろう。
 但しその無茶な答えを実行するかどうかは未知数だ。
 それでも自分がなりふり構わず公彦を捕まえた時の事を思うと
 その破天荒さを存分に受け継いでいる娘ならば可能性はある。

 美智恵はもう一度グラスを傾けた。




 大混乱を引き起こしたアシュタロス大戦。美神令子が打ち出した特殊な方針。
 美神事務所の躍進と横島忠夫の成長。『霊障対処法』の制定とオカGでのシロの活躍。
 突如持ち上がったあの計画と西条の暗躍。横島忠夫と八代秋美の出会い。
 全てのピースが絡み合いながらも織り成す混沌はその中である文様を浮かび上がらせようとしていた。
 
――――決着は近い


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