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始まりの物語

魔法使い横島


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 3/ 1

 11月もあと数日を残すばかりとなっている。
 少しずつ寒さも厳しくなり、厚い上着を身につけポケットに手を突っ込んで行く人の姿も目立つようになっている。
 もうすぐ冬だな、オカGビルの出入り口から外を眺めていたピートはそんな事を思いながらも待ち人の到着を待っていた。
 ほどなくして元気いっぱいでオカGビルに向かって来る少女と少し疲れた足取りでそれについてゆく青年が彼の視界に入ってきた。

「横島さん、シロちゃん、よく来てくれましたね」

「ああ、ピート。わざわざ出迎えに来てくれたのか、サンキューな」

「ピート殿、かたじけない。拙者がんばるでござるよ」

 待ち人を迎えるとピートは彼らビルの中へと案内した。


「横島さんとシロちゃんは『霊障対処法』による協力ですから、
 道具はこちらで貸す事になってるんですけど受け持ってもらう事件は少し厄介なんですよ」

「それで俺らが協力する事件ってどれなんだ?」
 
 美智恵と唐巣が中心となって作成したこの法律による無料除霊の代わりに、
 美神はオカGへの無償協力として、シロと見習いを卒業した横島を派遣する事に決めていた。
 
「今からこの事件の担当の方の所に向かいます。事件についての説明はその方から伺ってください」

 そう言うとピートはオカGビルの廊下を歩いてゆき、2人もそれに続いていった。
 しばらく歩くとピートは109と書かれた標識の貼ってあるドアの前で立ち止まりドアをノックする。

「飯塚さん、美神事務所の方を連れてきました」

「入って」

 その声を受けて3人が部屋に入る。中に入ると20代半ばと思しき女性が3人を出迎えた。
 髪は肩の高さで切りそろえられ、瞳からは意志の強さが感じられる。
 オカGの制服を見事に着こなしている様はクール・ビューティーという形容がぴったりだ。
 などと感じた瞬間横島の足は彼女にダイブをかますために地を蹴けろうとして

「ずっと前から愛して、ぐえ」

 この反応を予期して彼のジャケットの袖をつかんでいたシロと襟をつかんでいたピートによって阻止された。
 たまらず喉を押さえてしゃがみこむ横島にその女性から奇異の視線が突き刺さる。

「なかなかユニークな反応をする方がいらしたのだな、ピートくん」

「飯塚警部。彼は面白い性格をしていますが霊能の実力は確かなのでご安心を」

「ふむ、君がそういうのなら大丈夫だろう。そういえば彼はあの美神事務所のGSだったか」

「はい、この横島にお任せください」

 いつのまにか復活した横島が彼女の手を握っている。
 
「せ、先生、そんなご無礼を働いてはいかんでござる」

 素早くシロが彼に駆け寄って彼の手を握ると力づくでその手を離させる。
 ピートは横島とシロの素早い反応に目を丸くするが飯塚は彼らの反応を興味深そうに見るだけで何も言わなかった。



「それでは、あとはよろしくおねがいします」

 落ち着いたのを見計らってピートは部屋から去ると飯塚は話を始めた。

「まず、自己紹介をしておこう。私は飯塚祐子、オカGでは捜査一課で警部をしている。
 では早速私が担当している事件について説明しよう。
 3日前にオカGにK病院からある女性を霊視してほしいと通報があってね。
 彼女は一週間前に突然倒れたのだが、病院の検査では病気も外傷も全く見つからなかった。
 にも関わらず意識は戻らぬまま体は徐々に衰弱していった。
 不審に思った医師がオカGに通報しておかげで私が呼ばれたのだが、
 霊視したみたら案の定悪霊が取り憑いていたのだよ」

「それでその悪霊は退治したのでござるか?」

「いや、どうも知能があるタイプのようでね。
 私が除霊用の道具を取り出した瞬間に彼女の体から逃げ出して、現在行方不明なんだよ」

「その体に取り憑いたって事はその女性に恨みを持つ悪霊なんですかね?」

「私が霊視した時の感触ではそうではなさそうだった。
 強い怨念は感じられたがそれが彼女に向けられてはおらず
 彼女の身辺調査でも特に該当しそうなデータはなかったな。
 おそらく無差別に取り憑いて宿主を衰弱させるタイプだろう。
 生前に通り魔願望でもあった人間が変じた悪霊かもしれんな」

 そこまでしゃべると飯塚は顔をしかめて一言吐き捨てた。

「彼女に取り付いていたのは性質の悪い糞野郎だ
 欠片も残さぬようにぶっ潰してやりたいが、残念ながら私だけでは力不足だ。
 君たちの協力には大いに期待しているよ、あらためてよろしく」

「は、はあ。横島です、よろしくお願いします」

「拙者、横島先生の一番弟子、犬塚シロともうします」

 飯塚の勢いに押されて横島とシロは差し出された手を順々に握り返した。

「それでは、被害者のいる病院へ移動しよう、ついてきてくれ」

 一分の隙も見せず颯爽と踵を返すと飯塚は歩き出した。
 慌てて二人も彼女の後をついてゆく。
 それは奇しくも除霊の際に先頭を切って戦う美神についてゆく様とそっくりだった。




 その病室の前で来たとき、飯塚は立ち止まって振り返った。

「2人とも、声を立てずにそっと中を見てみろ」

 飯塚の指示に従って2人は病室をのぞいてみる。 


 そこは白い病室だった。
 飾られているのがスミレの花がその病室に存在する僅かな色彩だった。
 その病室のベッドには1人の女性が横になっていた。
 そしてベッドのすぐ側にある丸イスには少女が腰掛けて
 しきりに横になっている女性に話しかけていた。

「お母さんは、今日もねぼすけさんだね。
 だから代わりに私は早起きしたよ。
 それでお父さんを起こしてあげたんだからね。」

 返事が返ってこないのは分かっているのだろう。それでも少女は様々な話を続けてゆく。

「今日の体育のかけっこでは私、女の子の中では一番だったんだから。
 それに算数のテストでは90点も取れたんだよ、すごいでしょ」

 やがて話す内容が尽きてきたのだろう。
 少女の声は小さくなりその口調も徐々に沈みがちになっていった。

「あのね………私の学校にもねぼすけさんがいるの。
 キットちゃんといってね………黒い猫さんなんだよ。
 私が見てるときはね………いつも校庭の端で寝転んでるんだよ」

 小さな、本当に小さな音だった。
 けれど人間離れした聴覚を持つシロはその音を捉えた瞬間に
 それが少女が漏らした嗚咽だと理解してしまった。

「お母さん………私、もうお母さんを困らせないから……だから……お願い……
 目を覚まして……もう絶対わがまま言わないから……ずっといい子にするから」

 もうそれ以上はとても聞いてはいられなかった。
 少女に力いっぱいに大丈夫だと告げてやりたかった。
 しかし、思わず部屋の中に駆け込もうとしたシロの手を飯塚はぐっと握って引っ張った。
 そのまま病室から少し離れた場所まで連れてゆく。


 飯塚を睨み付け、無言の抗議をするシロに向かって彼女はぽつりとつぶやいた。

「泣かせてやれ」

「えっ!?」

「被害者の担当になった医者が言っていた。
 あの子はな、人目がある場所では決して泣かないそうだ。
 人前で泣くとな、目の前にいる誰かを困らせてしまうのが分かってるんだよ」

「飯塚殿……」

「でもな、泣きたければ泣けばいい。
 そうすれば泣かないよりも少しはマシな気持ちになれる。
 あれぐらいの歳ならなおさらだ」

 飯塚の言葉にシロは項垂れた。

「面目ないでござる」

「分かったのなら、あの子の前では絶対にしけた顔は見せるんじゃない。
 無理にでも笑って少しでも明るい気分にしてやれ」

「了解でござる」

 病室の前に残って中を窺っていた横島が2人に声をかけてきた。

「もう、入っても大丈夫みたいっす」




 病室に入ってきた人間の中から飯塚の顔を見つけると少女はぱっと顔を輝かせた。

「こんにちは、裕子お姉さん。今日はお友達を連れてきたの?」

「そうだね、ちとせの頼りになるような心強いお友達を連れてきたよ」

「頼りになるの?」

「ああ、この2人はね、私のようにちとせのお母さんの目を覚ます手伝いをしてくれる人なんだ」

「ほんとう!?」

「うん、嘘ではないよ。さあ、2人に自己紹介してあげてくれないかな」

「はじめまして。星名ちとせです。T小学校の2年生です。
 あ、こっちに寝てるのは私のお母さんです」

 ちとせの紹介を受けて横島とシロも名を名乗った。

「はじめまして、ちとせちゃん。俺は横島忠夫」

「拙者、犬塚シロともうす」

「横島お兄ちゃんに、シロお姉ちゃんね。お母さんのお見舞いありがとう」

 ちとせはぺこりと頭を下げると3人に話しかけてきた。
 それは先ほど母親にしていたように他愛もない日々の出来事であったが
 3人とも笑顔を崩さずに耳を傾け、ときには相槌をうった。
 横島がシロとの散歩について面白おかしく話すと真っ赤な顔でシロが反論する。
 その様がうけたのか、話を聞いているちとせの顔はだんだんと明るくなっていった。



 日が沈んで看護婦が面会時間の終わりを告げると、ちとせは残念そうな顔でお別れを言った。

「それじゃあね、お話できて楽しかったよ」

「ああ、私もだ。シロくん、彼女をバス停まで送ってあげてくれないか?」

「了解でござる!」

 飯塚の言葉にシロは立ち上ってちとせの手を取った。

「では行くでござる、ちとせちゃん」

「うん、シロお姉ちゃんありがとう」



 病室を抜けて廊下を歩いてゆく2人を見送った後、
 横島は飯塚に部屋に入った当初から感じていた疑問をぶつけた。

「この部屋には結界が貼ってありますね」 
 
「ああ、3日前にあの子の母親から追い出した糞野郎は
 夜になると毎晩ここにやってくるんだよ」

「何故でしょう?」

「彼女を霊視してみれば分かるが、彼女の魂には悪霊の一部がくっついていたままでな。
 おそらくそれを取り戻そうとしているのだよ。
 厄介なくっつき方をしているせいで、危なくてこちらも下手にそれには手を出せない。
 おかげで悪霊を追い払ったのに、彼女は一向に回復しないと言うわけだ
 不幸中の幸いなのがやつの一部がここにあるせいで、やつは他の人間には取り付けないという点だな」 

 飯塚の言葉に従い、横島は彼女の霊視してみる。
 するとたしかに小さな黒い塊が魂の緒に絡まるように取り付いているのが見て取れた。

「これは……確かに文珠を使っても安全とはいえないかもしれません」

「そうか。ならばやはり悪霊の本体を叩くしかない」

「その悪霊は強いんですか?」

 飯塚はいまいましげに首を振ると詳しい話をした。

「いや、おそらくパワーはほとんどない。
 私や君なら不意をうたれてたとしてもたいしたダメージを受けないだろう。
 だがやつは狡賢いうえに逃げ足が速い。特に厄介なのが、危険察知が鋭いことだ。
 昨日も一昨日もやつの近くまでは接近できたが、
 攻撃しようとした瞬間の霊力を察知されそのまま逃げられてしまったよ」

 よほど悔しかったのだろう、飯塚は話しながら顔をしかめる。
 
「それじゃあ、おそらく今夜も」

「間違いなくやつは現れるだろうな、そこを3人がかりで叩く!」 



 深夜、ちとせの母の眠る病室の中で3人は気配を消しつつ
 攻撃態勢を整えて、静かに悪霊が来るのを待っていた。

「シロ、何か感じるか?」

「特に異常はないでござる」

「今日はやつが来るのが遅いな、連日の失敗で警戒してるようだ」


 どれほど待機を続けていたのだろう。
 シロの耳がピクリと動き飯塚は目を細めた。
 常人には分からない結界の軋みを感じて3人は身構えた。

「どうやら、来たようだな」

「では、攻撃に移るでござるか?」

「焦るな、やつはしばらくは結界の周りをうろつくはずだ。決して窓側からは離れんがな。
 それでもこちらが窓をあければ逃げをうつ。下手に動けばこれまでの二の舞だ。
 ゆえにやつに気取られないよう、タイミングを計って攻撃する必要がある」

 あらかじめ飯塚と作戦を練っていた横島もシロに言い聞かせる。

「シロ、まず俺の文珠で病室内からやつを攻撃する。
 直撃すればそれで終わりだが、そう簡単な相手でもないらしい。
 お前は俺が攻撃をかけたらすぐに窓を開けて全速力で追撃に移れ」
 
「了解でござる」

「私は結界の維持に全力を注ぐ」 

 3人が話している間も結界のきしむ音が絶えない。
 飯塚の言うとおりこの悪霊は執拗に病室に侵入を試みているようだ。

 横島は飯塚とシロに目で合図を送ると文珠を取り出して素早く『浄』の字を刻んで発動させる。
 同時にシロは窓を開けると悪霊の気配がする方向に向かってダイブする。
 そのまま空中で霊波刀を発動させて悪霊に切りつけるものの
 飯塚の言ったとおり悪霊は素早い動きで飛び上がり、シロの斬撃を回避した。
 その刹那、飯塚の手から霊体ボウガンが、横島からはサイキック・ソーサーが放たれる。
 悪霊のスピードを見切り、その移動先を予測して放たれた攻撃は狙い通りに悪霊の元へ迫ってゆく。

 やった!
 しかし3人が直撃を確信した瞬間、悪霊は更にスピードを上げてそれを回避した。
 そしてそのまま上昇して素早い逃げ足で病院から離れてゆく。

「くっ!」

 もはや己の跳躍では届かぬ高さに逃げ延びた悪霊を睨み付けると
 持ち前の超感覚を生かして彼女は悪霊の追跡を開始した。


 
 1時間後、3人は病院の庭に集まっていた。

「面目ないでござる。振り切られてしまったでござる」

「人狼の追跡すら凌駕するスピードか。逃げに専念させるととてつもなく厄介だな」

 シロの報告を受けた飯塚は腕を組んで瞑目した。
 
「大規模な罠を張って閉じ込めるしかないっすかね?」

「………それは難しいな。
 あの鋭い察知能力に悟られずに誘い込むにはそれ専用の大規模な結界をはる必要がある。
 しかし現場はこの通り人手不足でね、この人数でやるとなると一週間では終わるまい」

 1つ息を吐くと飯塚は横島の提案に首を振る。

「あの悪霊が何処に逃げ込んだのかは分かりませぬが、やつの発していた気配のようなものは覚えたでござる。
 明日、先生と共にやつの捜索をしようと思うのでござるが」

 組んだ腕を解いて目を開くと飯塚はシロの懇願を受け入れた。

「そうだな、昼の探索はお前達に任せよう。
 私は病室で待機する。結界を点検せねばならないし
 ちとせにも話し相手が必要だからな。それでいいな?」

「「了解(でござる)」」

「では今日はもう帰って体を休めろ」

 それを聞くとシロは美神事務所へ走り出した。
 横島も踵を返して帰途につこうとするが、飯塚に呼び止められる。

「横島くん、2日前に私も見鬼を使って周囲の探索をしてみた。
 しかしやつは明るいうちは力を抑えているうえ拠点を転々と変えているようでな。
 やつの残滓は感じ取れたがやつの発した霊力は感じ取れなかったのだよ」

「待ち伏せに徹したほうが賢明って事ですか?」

「私だけならならばな。シロくんの超感覚があればあるいはいけるかもしれん。
 私が見つけたやつの残滓が残っていた場所と此処との距離を考えると
 やつはこの病院から半径5q以内に居る可能性が高い。それを頭に留めておいてくれ」

 飯塚の細かい気遣いに横島は頭を下げた。

「分かりました、明日はやつを叩きのめしてやります」

「吉報を待ってるよ」


 


「うう、みつからんでござるな」

「ここも外れか」

 飯塚の忠告どおりだった。
 シロの活躍で怪しい気配を感じた場所はいくつも見つかった。
 しかしそれらは全てあの悪霊の残滓で本体を見つけるには至らなかった。

「少し休もうぜ、シロ。朝からずっと動きっぱなしで疲れた」

「仕方ないでござるな」

 近くの自販でスポーツドリンクを2本買うと横島は片方をシロに放って自分はその場に座り込む。
 スポーツドリンクを受け取ったシロはそれを飲み干すと少し前から固めていたある決意を告げた。

「先生!」

「ん、どうしたシロ?」

「拙者の感覚を文珠で強化していただけませぬか!」

 先ほどから悩んでいるのはこれが原因か。
 横島はそう思ってシロを嗜めた。

「強化っていってもそう簡単にはいかんぞ。
 そんなに長い時間続かないし強化された感覚についてゆけるかどうかも分からん。
 それに俺も経験があるんだが、強化するとその反動がつらいんだよ」

「ならば文珠を飲めばどうでござるか?
 それなら持続時間は増えると以前に聞いたでござる」

「まあ、そうなんだけどな。
 それでもうまくいくかどうかは分からん。今、博打をうつ必要はねえよ」

 普段は大抵横島の言う事を聞くシロには珍しく、彼女はこの時更に横島に食い下がった。

「先生、お願いでござる!
 拙者、昨日ちとせちゃんに彼女のご母堂を必ず目覚めさせると約束したのでござる!
 今、全力を尽かさねば彼女に顔向けできないでござる!」

 シロの必死の懇願に横島はついに妥協した。

「分かった。だけど1つ条件がある。駄目だと思ったらすぐに吐き出すんだぞ」

「分かったでござる!先生、ありがとうでござる!」

 

 横島は取り出した文珠に感覚が鋭くなるイメージを送り込む。
 イメージが終わると彼の手の中には『感』の文字が刻まれた文珠があった。
 しばしそれを見つめると黙って彼はそれをシロに差し出した。 

 これを飲み込めば己の感覚は更に研ぎ澄まされ、より遠くの場所の情報でも感じ取れるだろう。
 必ずやつを見つける!それだけを心に刻み、やつの気配を思い返しながらシロは文珠を嚥下した。

 瞬間、目の前が暗くなった。
 通常をはるかに超える情報量が流れ込んでくる。
 頭の中が白くなるような錯覚。流れ込む情報を処理しきれず頭を抱える。

 目の奥が痛む。背中を丸める。
 やつの気配を掴まなくてはなくてはいけないのに頭が全く働かない。
 敗れるものかと食いしばっていた心が折れかける。
 なにか、感じられればそれを元にやつの居場所がつかめるのに!
 それなのに頭が働かない。すこしずつ意識が薄れていく。
 その刹那、昨日少女と約束を交わした映像が流れてきた。

「ちとせちゃん、ご母堂は必ず拙者と先生で助けてみせるでござる」

 ああ!
 あの時自分は約束した。彼女の母親を助けると約束した。
 己の面目にかけて誓った約束だ。ここで踏ん張れねば何が武士だ!
 先生の弟子と名乗るもおこがましい!なにより己に誓ったのだ。
 あの少女に笑顔を取り戻させるのだと。それだけは違えるわけにはいかない!
 痛みを無理やり押さえ込む。流れ込む情報に集中する。必ずやつの尻尾を掴んでやる!

 むっ!
 今、何かが研ぎ澄まされた彼女の感覚に引っ掛かった。
 顎に力を入れて歯をかみ締め、激しくなる頭痛を押さえ込みながらも己の感じた違和感を探る。

「見つ……けた」

「シロ!さっさと吐き出せ!無理するんじゃねえ!」

 己の肩を抱く師の腕にそっと触る。

「先生、見つけ……ました」

「分かった!どっちだ」

「ここから………南西に2kmほどいった場所から……やつの気配を感じるでござる」

 それを聞くとシロを抱き上げ、横島は用意していた『速』の文珠を発動した。

 瞬間、時間の流れが変わる。
 超加速ほどではないが周りの物体の動きが極端に遅くなる。
 走り出す。周りの景色が飛ぶように流れる。
 足に痛みが走る。無視する。更に痛む。
 よろけそうになりながらも疾走を続ける。

 弟子が死力を振り絞って伝えた情報だ。
 これを生かしてやらずして、どの面下げて師匠面しろというのだ!
 見てろ、シロ!お前の師匠は馬鹿でスケベで勇敢でもないけど弟子の頑張りに応えてやるくらいの事はできるんだぞ!



「先生、あそこで……ござる」

 シロが100mほど先にある空き地を指差す。

「よし分かった。だからもう吐き出せ!」

 横島は足を止め、シロから文珠を吐き出させる。
 呼吸は荒いがシロの顔には笑みが浮かんでいた。

「さすがに………疲れたでござるな」

「ったく、無茶しやがって。ここでおとなしく休んでろよ。
 あとは俺がきっちりと落とし前つけてやる」

 腕の中のシロを道端に下ろすと横島は気配を消して歩き出した。
 『速』を使った反動が彼の足に襲い掛かる。歩くたびに痛みがはしる。
 しかしもはや急ぐ必要はない。気持ちを落ち着かせる。残る文珠はあと3つ。


 ゆっくりと歩み、普段の10倍の時間をかけ、ついに彼はシロの示した空き地の前までたどり着いた。

 何も感じない。超感覚を持つシロがようやく感じ取れたくらいだ。
 自分では隠れているあの悪霊の気配を感じ取ることはできない。 
 迷いはない。弟子の感覚を信じてここまで来た。ならば自分がやることは決まっている。

 横島は2つの文珠『結』『界』を発動させた。
 空き地全体が瞬時に強力な結界に包まれる。

 隠れていたやつがあわてて動き出すのが分かる。しかしもう遅い。
 あの悪霊にはこの結界は決して破れない。もうやつは袋のねずみだ。
 あとは自分が最後の仕上げをするだけだ。

 横島は栄光の手を展開して空き地の中に入っていった。
 




「全くたいした回復力だな」

「先生ほどではござらんよ」

 悪霊を退治してからしばし休憩をとった後、2人は飯塚の待つK病院に向かっていた。
 病院に到着して飯塚の霊気のある方へ向かう。程なくして彼女の姿が見えてくる。

「彼女の体に残っていた霊気が先ほど消えたのを確認した。
 2人ともよくやってくれた。オカGを代表して礼を言う」

 相変わらずの口調で2人を出迎えた飯塚は見事な動作で敬礼した。

「そ、そんな照れますよ、飯塚さん。それにお礼なら今すぐにでもその体で、てぇー!」

 横島が重心を沈め足に力を込めた瞬間、その足の上にすばらしい速度でシロの足が落ちてきた。

「いってえな、シロ。何するんだよ」

「敬礼されている方に飛び掛るのは武士の行いにあらずでござるよ、先生」

「俺は武士でも何でもねえぞ。分かってんだろ、シロ!」

 そんな漫才じみたやり取りを眺めながら飯塚は僅かに口の端を持ち上げた。
 そして手帳を破ってさらさらとそこに何かを書きつけると横島に手渡した。

「飯塚さん、こ、これは!?」

「私の携帯の番号だ、一緒に酒が飲みたくなったらいつでも電話して来い。
 但し、私を口説きたかったら私の飲むペースについてこれないと話にならんぞ」

「は、はい。あ、これ、俺の携帯の番号です」

「ふむ、受け取っておこう。では、しばしのお別れだ。2人ともまた会おう!」

 初めて会った時のように颯爽と去ってゆく飯塚に圧倒され2人は無言で彼女を見送った。
 しばらくたってからシロがぽつりとつぶやいた。

「先生、ちとせちゃんの御母堂の見舞いに行きませぬか?」

「ああ、そうだな」




「ちとせちゃんの御母堂の意識は相変わらず戻らんでござるか……」

「気を落とすなって、シロ。彼女にとり憑いていた悪霊は成仏させたからもう大丈夫だ。
 文珠を使って回復に充てたし、遅くとも明日には確実に意識を取り戻すよ」

 2人が見舞いに行ったとき彼女は相変わらず眠っていた。
 しかし昨日までとは異なり彼女の顔には赤みがさし、その表情も穏やかなものへと変わっていた。
 彼女の衰弱を幾らかでも緩和するために横島が「癒」の文珠を使うとその顔には更に生気が戻った。 

「分かってるでござる……でも少しでも早くあの子の笑顔を取り戻したいでござるよ」

「うーん、そうだなあ。よし!じゃあ、一芝居うつから俺に合わせろよ!」

「先生、どうするんでござるか?」

「いいか、俺が掛け声をかけたらそれに合わせてだな………」



 ちとせが病室に入ってからしばらく経ってから2人は再び病室に入った。
 今日も母が目覚めぬ事を知り誰もいないのを確かめてから泣いたのだろう。
 ちとせの目尻に少し涙が残っている。
 シロはそれに気づかぬ振りをしてちとせに声をかけた。

「ちとせちゃん、今日は拙者達が話したいことがあるでござる」

「あっ、シロお姉ちゃん。お話ってなあに?」

 ちとせはシロを見るとわずかに明るい顔を見せた。
 横島はシロと話しているちとせの許へ歩いて行くと、
 しゃがみこんで目線をちとせの高さに合わせてから陽気な口調で話しかけた。

「ちとせちゃん、お母さんはもう大丈夫だよ」

「えっ!?」

「お母さんにはね、悪さをする妖精さんがとり憑いていたんだ」

「妖精さんが?」

「そうだよ。お兄ちゃんとシロお姉ちゃんがそれを見つけてね。
 お母さんからその悪い妖精さんを追い払ったんだ。
 だからね、お母さんは明日には目が覚めるよ」

 母親が目覚めると聞いてちとせは驚きに目を見開いた。そのまま横島をじっと見つめる。

「お医者さんもお母さんを目覚めさせられなかったのに
 どうやって、お兄ちゃんは妖精さんを追い払ったの?」

 ちとせの純粋な問いに、横島はシロに目配せすると悪戯な笑みを浮かべながら答えた。

「お兄ちゃんはね、魔法使いなんだ。シロお姉ちゃんはお兄ちゃんの弟子なんだよ」
 
「魔法使い………なの?」

「うん、本当は秘密なんだけど、ちとせちゃんには1つだけ魔法を見せてあげる。
 それじゃあ、いくよ。シロ、犬になれ!」

 横島が最後の台詞に合わせてシロは精霊石のついたネックレスをすばやく外す。
 その瞬間、シロの姿は子犬に良く似た子供の狼になる。


「うわぁ、シロお姉ちゃんが犬になっちゃった……可愛いね」

 ちとせは変身したシロを見て驚くものの、しばらくしてからおずおずとシロに手を伸ばしてその体を撫でた。

「ちとせちゃん、くすぐったいでござる」

「シロお姉ちゃん、犬になってもお喋りできるんだあ」

 狼の姿のシロが喋ったためちとせは再び驚いた。苦笑いしながら横島がフォローする。

「シロはお兄ちゃんの弟子だからね。だから犬になってもお喋りくらいはできるんだよ。
 それじゃあ、ちとせちゃん、そろそろシロを人間に戻すから少し離れて」

「う、うん」

「では、シロ。人間に戻れ!」

 横島の掛け声に合わせてシロは足元に置いてあるネックレスを身につけ人の姿に戻った。 



「すごい、すごいよ!」

「はっはっは。ちとせちゃん、これで信じてくれたかな?」

「うん、信じるよ。お兄ちゃん達は正義の魔法使いなんだね。
 お母さんはもうすぐ目を覚ますんだよね?」

「そうだよ、それは魔法使いが約束するよ。
 だからね、ちとせちゃんも1つ約束して欲しいんだ」

「いいよ、なんでも約束してあげる」

 横島は優しくちとせの手を握ると、彼女の目を見ながら告げた。

「ちとせちゃんにはもう泣かないでほしいな。
 お母さんが目覚めたときにはちとせちゃんには笑顔でいてほしいからね」

「うん、分かったよ。私、もう泣かないから。笑顔でお母さんが起きるのを待っているから」

「よし、約束だぞ。それじゃあ約束した証にお兄ちゃんとお姉ちゃんと指きりだ」

 ちとせが小指を差し出すと横島とシロは順番に指きりを交わす。
 指きりが終わると横島は立ち上がってシロを見た。
 シロが頷くの確かめると横島はちとせに別れを告げた。

「ちとせちゃん、お兄ちゃんとお姉ちゃんはそろそろ帰る時間なんだ」

「そうなんだ………また会えるかな?」

「「もちろん(でござる)」」

 最後に彼女の頭を撫でると横島とシロはビルの出口に向かって歩き出す。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう。大好き!」

 ちとせの声が響き、周りにいた人間がおもわず2人を見る。
 数多くの好意的な目が彼らに注がれ、くすぐったい思いをしながら2人は足早に去っていった。
 





「飯塚くん、私の見間違えではなければ先ほど妻の病室にいた少女が犬に変わった様に見えたが」

「見間違いではございません、星名課長。あの少女は人狼族の出身でして
 霊的なアイテムを使うことで狼と人の両方の形態をとることが可能なのだそうです」

「なるほど………それで、彼女はオカGの関係者なのかい?」

「いえ、彼女は先日施行されました『霊障対処法』絡みで美神事務所から派遣されてきた協力者です」

「ほう……美神事務所では人狼の少女を雇用しているのか。
 オカルト業界でも異端の方針を掲げて実現しつつあるという噂を聞いたことがあったが
 誇張された夢物語なのかと思っていたよ。これは調べてみる価値があるかもしれんな」




 歴史にIFはない。

 もしあの時期に法案が成立しなかったら。
 もし美智恵が美神に無料除霊の代替手段としてオカGへの無償の協力を薦めなかったら。
 もしあの日にシロが星名の目に留まらなかったら。 

 しかしそれらは言っても詮無き繰言に過ぎない。

 はっきりとしているのは、その日妻の見舞いにきていたある行政組織の幹部が
 シロがオカGに協力している事を知って強い印象を受けたということだ。

 これより後に美神事務所を激震させた出来事の要因となるピースが出揃った。


 

おまけ

「ひどいでござるよ、『犬になれ!』はあんまりでござる。拙者は犬ではござらん!」

「仕方ないだろ、ちとせちゃんが狼の形態のお前を見たら、狼よりも犬を思い浮かべるに決まってるだろ」

「うう、納得できないでござる。謝罪と賠償を請求するでござる!」

「わかったよ。今日はどこかに夕飯食いに行くぞ。高い肉をご馳走してやるから機嫌直せ」

「本当でござるか!先生、大好きでござる!」

「ええい、ひっつくなっつうの。全くお前も現金なやつだな」

 即座に上機嫌になって自分の右腕にくっついてきたシロを見て横島は苦笑した。
 見上げれば、太陽は地平線に沈みかけ、あたりを真っ赤に染めていた。


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