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文珠使い

縁の断絶(全篇)


投稿者名:ヨシ
投稿日時:05/ 1/25

 
《1997年12月28日》


ローマ―――――――夜明け前。


年末も押し迫ったこの時期、仕事をする人の数より新年にそなえ休暇を楽しむ者の数が多くなる。
ヴァチカンは観光地とはいえ、新年の祝いに訪れる者は信者を除けば、それほど多くは無い。
数キロ離れたローマの街の様子もどこか密やかで、家族だけの時間を過ごしているのだろう。


シャア―――――――。


HOTEL《アトランテ・スター》の最上階、豪華なスィートルームに泊まる女性客が2人。
部屋の装飾は歴史あるホテルにふさわしく、華やか過ぎないやわらかな調度品が置かれ、
所々に飾られた美しいな花々が部屋全体に、清清しい香りと気品ある雰囲気を後押ししている。


キュ、キュッ。


バスルームから姿を現したのは、持参したバスローブに身を包んだ美神令子である。
シャワーを浴びただけなのか、腰より長く伸びた赤髪は頭の上で一纏めにされている。
ゆっくりとした足取りで窓際へ歩く、途中覗いた寝室からはおキヌの寝息が聞こえていた。


「付き合せて飲ませちゃったから、お昼くらいまで起きないかしら。」


窓際のテーブルを見ると、何本もの洋酒のボトルが散乱している。
仕事で嫌な事もあり、いつも以上の勢いで好きなお酒を飲んだのだが、
付き合わされたのは女子高生のおキヌである、二杯目で夢の世界へ旅だってしまった。
そこからは美神一人で朝まで飲んでいたのだが、彼女に酔った気配は微塵もない。


「ふぅ、なぁ〜んかスッキリしないのよね。」


美神は窓から薄暗い街並みと、その向こうに建つサン・ピエトロ大聖堂を眺めながら考える。
夕方に成田からミラノ経由でローマに入り、そのままヴァチカン大宮殿へ向かったのだが、
いくら行きの飛行機で睡眠を取ったとはいえ、どれだけお酒を飲んでも眠くならない。


「この感じ、あの悪魔のせいじゃないっていうの……?」


ここ最近、ずっと美神は得体の知れない不安感に付きまとわれていた。
ヴァチカンからの依頼で対面した前知悪ラプラス、彼がその原因かとも思ったのだが、
こうしてお酒を飲み、シャワーを浴びて頭をリセットしてみても不安感が全く消えない。
そうなると、思い当たる不安の対象はもう一人しか残っていない。


「横島クン……か。」


美神令子は横島忠夫にたいして、自分でも判断しづらい感情があり、
これまでその事を考えるのを意識的に棚上げし続けてきた。
彼女の前世メフィストという女魔族が横島の前世、陰陽師の高島に恋をしたのだが、
それが死に別れに終わってしまい、その時の強い思いが1000年の時を超え、
今世で美神令子と横島忠夫として、なにやら運命的な二人っぽい流れになっていたのだ。


「悩まないわけないものね……。」


そこへきて横島に恋人が出来、その恋人であるルシオラと言う女魔族は、
自分の霊体を彼に分けて死んでしまった。1000年前の悲恋ではなく今世の悲恋だ。
あれ以来、彼には美神やおキヌでも触れられない部分が出来てしまった気がするのだ。


「複雑なのよね……相談に乗るとは言ったものの……―――――――はぁ。」


美神はひとつだけ横島に対して、悪い事をしたと後悔している事があった。
それは横島にルシオラが、彼の子供として転生してくる可能性があると聞かせてしまった事だ。
彼女を復活させたかった横島にそんな事を言っても、何にもなりはしないし苦しめるだけ。
それなのに、思いついたままにそれを彼に聞かせてしまったのだ。


「恋人が自分の子供として生まれる……か、
 そんな事言われたら、私だって困るものねぇ
 何を考えて私も……ハッピーエンドだなんて言ったんだか。」


ひどく落ち込む横島を見ていられなくて、明るく元気付けようと発した言葉だった。
彼もその場では、悩むのを止めてふっきれたように話を合わせてくれていたのだが、
ここ最近の彼の様子を見る限りでは、その時もきっと無理をして笑っていてくれたのだろう。


「とはいえ、これ以上話をしないのも……良くないわよね。」


美神は髪をバサリと下ろすと氷で薄まったウィスキーを一気に飲み干した。
太陽もあと30分もすれば昇って来るだろう、いつまでもモヤモヤしているのは気分が悪い。
彼の悩みをちゃんと聞き、吐き出すものを吐き出させてあげようと心に決める。
美神は寝室へそっと入るとバスローブを脱ぎ捨て、気合の入った服に着替える。


「よしっ―――――――ッて、な、何よ!?」


ズキン。


美神が気合を入れようとした瞬間、彼女の霊感が悲鳴を上げるように警鐘を鳴らした。
突然頭の中で鳴り響く甲高い音の嵐に頭を押さえて数歩よろめく、
その悲鳴は切り裂くような余韻を残して、すぐに美神令子の中から消えてしまった。



ツツゥ―――――――



乱暴な何かの警告が過ぎ去ると、不思議とそれまで感じていた不安感が消えている。
ただ一滴の涙が美神令子の右目からこぼれ、頬にそのあとを残していった。


「ッ…何だったの……今の、何かとても悲しかったような……。」


―――――――何か……とても切ないような。


流れた涙を静かにぬぐいながら、美神令子は過ぎ去った感情を必死に思い出そうとする。
だが、いくら思い出そうとしても、それは彼女に二度と戻っては来ないものだった。


「もうっ、なんなのよ……一体。」


コンコン。


コンコン。


その時、美神令子とおキヌの泊まる部屋のドアが静かにノックされた。


「誰よ……まだ夜明け前よ……?」


いぶかしみながら、身支度をした後で良かったと美神は思った。
もっとも寝起きであったなら、こんな時間の来客など迎えるつもりも無いのだが。


コンコン。


美神がドアに近づくと三度目のノックが聞こえてきた。
一応警戒しつつ距離を置いて「誰よ?」と尋ねると聞き慣れた声が返ってきた。




「あ、すんません。俺です、横島です。」




来客は、横島忠夫であった。






第三話―――――――『縁(えにし)の断絶――全篇』






《横島忠夫が美神令子の部屋を訪ねる2時間前》


彼女達の泊まる、豪華なスウィートルームとはワンランク違う一般の客室。
それでも横島忠夫の生活レベルから見れば、とんでもなく豪華なつくりである。


「ルシオラっ待っててくれよ、俺すげー頑張ってお前との
 ラブラブでウハウハな生活を復活させてやるからなっ。
 そしたら、あんな事もこんな事も毎晩毎晩―――――――ブフゥゥ!」


その室内にあって、彼は今ベッドの上で一人、妄想の果てに鼻血を噴出させた所である。
ボタボタとえらい量の血が彼の体内から失われたはずであるが、これは彼にとって日常の事。
貧乏生活でそれほど栄養があるわけでもないだろうに、彼の身体はしっかり血を補給してくれる。


『人間の身体構造上、普通なら高確率で貧血、あるいは大量出血で死亡するのだが。』


かつてルシオラと車で買出しに行った折、その車内を血まみれにした事もある横島の不死身ぶりに、
彼の使い魔となったラプラスも、驚きを通り越して呆れるしか他に対応の仕方を知らなかった。


「うるせぇなラプラスっ、これくらいはギャグキャラにとって必須スキルなんや!」

『……私には君が何を言っているのかわからないよ。横島忠夫君。』


今日知り合いルシオラ復活をかけて契約を結んだ悪魔と人間なのだが、その関係は上々と言えよう。
横島にとって《心眼》とで馴染みのある関係に似ている為、すでに仲間意識まで持ち始めている。
ラプラスにとっては―――――――上手く彼に取り入る事に成功した、といったところであろう。


―――――――彼に起こっていた変化のおかげだろうな。


使い魔ラプラスは、横島を最悪な未来へと向かわせる為、彼の心にそれとなく棲み付き、
彼の心の声として寝ている間や、深く悩む瞬間などに囁く存在になるよう本体に指示をされていた。
それが、彼に起きていた変化―――――未来からきた自分の記憶を思い出すという変化のおかげで、
可能性の限りなくゼロに近かった現状の関係が生まれているのであった。


「はぁ〜、ルシオラぁ〜早く会いてぇよ〜。」


呑気に横島がルシオラ復活を夢見ているのは、ラプラスにとって悪くない状況だ。
むしろ、そうあり続けるように囁いていかなければならないのだ。
ラプラスが変えるのは横島忠夫の人格ではない、心や気持ちの方向性なのだから。


『ふむ、それでは、ルシオラ君の復活に向けて君がやらなければならない事を話しておこう。』

「ッ……ああ―――――――頼むぜ、ラプラス。」


ラプラスがそう切り出すと、横島が瞬時に真剣な声で切り返す。
おちゃらけとシリアスの切り替えの早さも、彼の持ち味の一つである。


「俺はこれから何をすれば、ルシオラを復活させられるんだ?
 お前が言うには……なんかキツイ事クリアしねぇと駄目なんだろ?」


ルシオラ君復活の未来は君にとって過酷できついものになるだろう。そうラプラスは言っていた。


『そう、君にはいくつか乗り越えなくてはならない試練がある。
 それを乗り越えていかなくては、ルシオラ君復活の未来への可能性を上げる事は出来ない。
 だが、いきなり全ての試練を話しても、君のやる気を削ぐ事にしかならないと私は考える。
 だから君には一つずつ試練に立ち向かってもらおうと思うのだが―――――どうするね?』

「き、きっつい試練がいくつもあんのかよ……くぅ〜詐欺やっ、そんなん詐欺やっ!」


話が違うと、わめく横島忠夫だが、ラプラスは一度も試練がひとつだとは言っていない。


『いくつも、と言っても大きく分けて3つの試練だよ。』

「3つ……3つか、そ、それなら頑張れそうな気が少ししてきた。」

『……大丈夫かね? 少しでは困るのだが、いずれも困難である事に変わりは無いのだぞ?』


ラプラスに心配されずとも、横島忠夫は情けない自分を誰よりもよく理解している。
わかってはいても、こうしてふざけた態度を入れないと臆病な自分を騙せないのだ。
自分があきらめればルシオラは復活しない、そして自分の命もラプラスとの契約で失う。
そう信じている横島は、ふざけて手に入れた少しの余裕を勇気に変え、試練へと挑むのだ。


「大丈夫だっ!! さあ、いいぜ教えてくれ、最初の試練ってのは何なんだ!」


意気込んで尋ねた横島にラプラスが返した答えは………






『最初の試練は―――――――君の女性関係だよ。』






あまりに彼のやる気を削ぐものだった。


「ああぁ!? お前、喧嘩売っとんのか!?
 俺の人生のどこに女性関係が転がってるというんじゃ〜!!
 俺はルシオラを復活させんと―――――――生涯童貞の運命なんや〜!!」


横島は掴みかかる相手がいないため、枕を掴んで有りもしない首を絞め滝のような涙を流す。
ラプラスとて横島の影響で悪ふざけをした、という訳ではない。説明が足りなかっただけだ。


『言い方が悪かったようだ、もう一度言おう。
 最初の試練は君と縁の呪いで繋がっている女性達から、ルシオラ君との縁を守る事だ。
 ルシオラ君との縁が一番強くなれば、彼女を復活させる可能性が格段にあがるからね。』 

「縁の呪いって、俺が引き寄せられてるってやつか!?」

『そう、美神令子君はもちろんだが、氷室キヌ君、花戸小鳩君とも強い縁があるようだ。』

「お、おキヌちゃんや小鳩ちゃんとも!?」


言われてみると、確かに美神令子とは違うタイプではあるが、
彼女達それぞれとの新婚生活の妄想をした記憶が―――――――確かにある。


『縁はどちらか一方からだけでは結びつきはしない、彼女達から君に縁が伸びていても、
 君の近くには美神令子君がいる、君からの縁は彼女に一番強く引き寄せられてしまう、
 だから君が彼女達との縁を自覚する事は今まで無かったのかも知れないが、
 美神令子君が亡くなってしまう未来では、君は氷室キヌ君と結ばれている、
 氷室キヌ君も亡くなっている未来では、花戸小鳩君と結ばれているのだよ。』


ラプラスの話している事は横島忠夫の100年内で起こりうる可能性ある未来である。
そもそも、女性の風呂を覗き、下着を盗み、綺麗な女性なら反射的に飛びつくような男に、
普通の女性が嫌悪感も抱かずに一緒にいられるだろうか。
確かに、長く彼を見ていれば、彼の良いところや、たまには頼りになる所もわかるだろう。
だがしかし、何事にも限度というものがある。彼はそれを軽く越えてしまっている。
それなのに美神令子は彼を近くに置き続け、おキヌは部屋へ掃除や料理に出かけていく。
花戸小鳩にいたっては、出会って間も無いのに嫌な顔せず結婚式の真似事までしているのだ。
これを縁と呼ばず、何を縁と呼ぶのだろうか。


「ちょ、ちょっと待てよラプラス……お前の話はなんとなくわかったけどさ、
 ようするに俺は、ルシオラとの縁を一番強くしなきゃいけないんだろ?」

『ああ、その通りだよ。』


「お前、まさか―――――――俺に縁のある彼女達を、殺せ……とか言うつもりか?」


ルシオラの縁を強くするためには、横島の縁を引き寄せている女性達が邪魔になる。
ラプラスは縁の強い者が死ねば、次に縁の強い者と横島は結ばれていると話した。
ならば、ルシオラ復活の未来を得るためには、邪魔な縁を消さなくてはならなくなる。


「冗談じゃねぇぞ!! やっぱりてめぇは悪魔だっ!!
 誰がそんな事するかよっ、できるわけねぇだろうが!!」


横島忠夫は激しい怒りをラプラスに向けた。
それを受けているラプラスは思い通りの展開に満足していた。
ラプラスはわざと先程の話を出して横島に連想させたのだ。
横島忠夫に縁ある女性達を殺していけばルシオラの縁が強くなると。


―――――――君の素直な性格が私は好きになりそうだよ。


『私がいつ君を殺人者に導くと言ったのだね。横島忠夫君?』

「ああ!?、だってルシオラの縁を強くするためには、それより強い縁が邪魔なんだろ!?」

『ああ、だから君には美神令子君や他の女性から離れてもらいたいのだよ。』



―――――――へ?……は、離れる?



「離れるって……どういう事だ? 事務所を辞めろって事か?」

『君は美神令子君の所で働きながら、その合間にルシオラ君を求める気だったのかね?』

「!?――――そ、そんなつもりは……ねぇけど。」


ラプラスに言われて横島は、美神除霊事務所を辞めるという考えが抜けていた事に気づく、
美神令子と結婚する未来へは絶対に向かわないと決めているが、
事務所を辞める事は考えていなかった。いや、考えに浮かばなかったのだ。
余りに濃い時間を過ごしていたため、事務所は彼にとって家に近い感覚になっていたのだ。


「でも……そうだな、ルシオラとの未来を目指すって決めたんだから、
 あそこにいる理由はないんだよな、もともと美神サン狙いで入ったんやし。」


―――――――辞めなきゃいけないよな。


横島忠夫はルシオラの為に美神除霊事務所を辞めなくてはいけないと自覚し始める。


『辞めるのが嫌ならば、君の言う殺すという方法でも私は構わないが?』

「ばっ、バカ野郎っ! そんな事できねぇって言っただろうがっ!!」

『クックックック、それはそうだな、君に美神令子君を殺せるわけがない。
 なにせ高確率で返り討ちにあい、君が殺されると予測されるからね。』

「ぐっ……ラプラス、お前俺で遊んでるやろ!」


どこか笑いを含んだようなラプラスの声に、横島は少し恥ずかしくなった。
悪魔なのだから別に構わないのかもしれないが、ラプラスを悪魔と罵倒し、
怒りを思いきりぶつけたのに、見事に勘違いだったのだから顔も赤くなるだろう。


「あ〜その、悪るかったなラプラス。お前の事悪く言っちまった。」

『クックック、悪いと思うのなら、私に君の決意表明を聞かせてくれると嬉しいのだが。』

「決意表明……?」

『そう、君はこれからルシオラ君復活の未来に向けて、
 長い時間をかけて過酷な試練を越えていかなくてはならない。
 だが君からはその過酷な試練に耐えられるような強い意思を感じないのだ。
 だからまずは、美神令子君と向き合い、君の意思で彼女から離れてもらいたいのだ。
 そして私はその意思を君からの決意表明として感じ取りたいのだよ。』


横島忠夫の脳裏に、真っ赤な髪の毛をユラユラと怒りの振るわせる美神令子が浮かんだ。
怖い、とにかく恐ろしい。横島にとって美神令子は憧れのスタイルを持つ美女であるが、
それ以上に逆らってはいけない恐怖の雇い主でもある。
殴られ蹴られ半殺しの目にあった数など、それこそ星の数である。


「み、美神サンに……クビにされるんじゃなく、自分から事務所を辞めると言えと?」

『そうだよ、君にとっては過酷な第一試練だよ。横島忠夫君。』


そんな事、あのプライドの高い美神令子が許すはずがない。まさにこれは試練であった。
横島忠夫のような男に去られるという経歴をあの美神令子が承諾するはずがないではないか。
だがしかし、ルシオラの為である。ルシオラ復活とラブラブウハウハ生活の為である。


「わ、わはは、ルシオラ〜俺、死ぬかもしれん。」


激しく涙を飛び散らせ、ガクガクと震える身体で恐怖と戦う横島忠夫。
ラプラスは何も言わず、ただ横島忠夫の決意が固まるのを待つ。
彼が自分で決め、自分で選ばなくてはならない場面なのだ。
ここまではそれとなく囁き、誘導してきたが、ここは彼の決断の場面なのだ。


「でもな〜ルシオラ、お前は絶対……絶対に生き返らせてやるからな。」


横島忠夫の震えは次第におさまり、今度は小刻みに肩がゆれはじめる。
口元がゆるみ、笑い声がもれはじめる。ついに恐怖に打ち勝ったのだろうか。


「ふ、ふはは、ふはははは、ラプラスっいいだろう聞かせてやるぞ!
 この俺、横島忠夫の正真正銘、命がけの決意表明を!!
 ルシオラ復活にかける俺の死に様、とくと見ておけよ!!」


どうやら、玉砕する覚悟が決まっただけのようだ。


「死に花や〜! 俺の死に花咲かせたる〜!!」


無事に帰る事を考えず敵の戦艦に爆弾を抱えてつっこんだ神風特攻隊。気分はあれである。

なにはともあれ、決死の覚悟で横島忠夫は美神令子の部屋へ向かい―――――――






カチ。コチ。カチ。コチ



カチ。コチ。カチ。コチ。





その扉の前で1時間24分立ち続け―――――――ノックする事すら出来なかったのであった。


「くぅぅぅ、自分の情けなさに涙が止まらねぇ。」


扉の前で泣き崩れている横島忠夫は、ただ単に美神が恐ろしくてノック出来ない訳ではない。
美神除霊事務所を辞める理由についてずっと考えこんでいたのだ。
ルシオラの事を言うわけにはいかない、それは横島にもわかっている。
なぜなら死人を生き返らせるというのは、普通に考えてもかなり危険な考えだ。
そんな事を正直に話して美神令子が、はいそうですか、と言うわけがない。
かといってアナタと結婚したくないから辞めるんですなんて言ったら、即あの世行きだ。
そうなると、辞める理由が見当たらないから困っているのだ。


「ま、まだ朝日も昇ってないし、じ、時間はあるんだ、考えろ俺っ、
 殺されないで美神さんに送り出してもらえるような、そんな方法を考えるんだ!」


この男は本気でルシオラを復活させたいのだろうか。
そんな事を考えたくもなるラプラスだが、今の状況になるのを予測しなかったわけではない。
美神令子に横島忠夫が真正面から挑んで、言葉で勝てる可能性など元々低いのだから。
それでもここまで黙っていたのは、横島に美神から離れる必要性があることを自覚させる為だ。


―――――――それには成功したのだが、さて、どうしたものだろうな。


ラプラスは、美神と横島の縁の呪いを軽くは見ていない。
横島と美神を引き離しても、どこかでばったり会う可能性が高いのだ。
出会うたびに感情がフラフラされては、ラプラスとてやりづらいというものである。


―――――――ヒャクメ君のように現存世界を視れるならば逃げ回る事もできるのだが。


ラプラスは自分の世界に似た平行世界や、時間軸の違う世界の事を視る事ができるのだが、
自分の世界を視ることはできない。だから、多くの世界から確率で未来を予測しているのだ。
そして今の横島とラプラスは無限に近く存在している世界の中でも希少な存在であり、
なおかつ、使い魔と主の関係で契約まで交わしているというレア中のレアなのである。
ラプラスがいかに他の似た世界を視ても、予測通りになるとは限らなくなってきているのだ。


―――――――ふむ、効果の程はやってみなければわからないが、試してみるかね。


『横島忠夫君。それほどに美神令子君が怖いのは今世の縁によるものだけかね?』

「え? ん〜確実に俺の積み上げてきた歴史というか、なんちゅうか。」

『ふむ、今世の縁に効果があるかわからないが、
 ひとつ―――――――呪い(まじない)をしてみないかね。』

「まじない?」



『君の文珠を使った―――――――縁切りの呪いだ。』



横島忠夫は文珠に関して、便利なアイテム程度の認識しかないがそれも無理は無い。
なにせ神族、魔族にすら使い手がいないのだから教えようもないのだ。
最高神や魔王なら知っているかもしれないが、世界の危機でもなければ教える事はないだろう。

菅原道真という人神が文珠使いだったのだが、彼は雷と学べ励めの文字しか込められない。
合格祈願に来る学生達に僅かな集中力とやる気を与える事に燃えている学問の神様なのだ。
雷はかつてアシュタロスと戦う際、陰陽道の流れで文珠を呪符代わりに使ったのだろうが、
彼自身も詳しく文珠を理解している訳ではないし、精霊石より便利程度の認識かもしれない。

ではラプラスも、この文珠についての知識がないはずだ、というとそうではない。
なぜラプラスがそんな事を知っているかといえば、違う世界の横島忠夫を知っているからだ。
文珠使いとして覚醒している―――――――希少な横島忠夫を視て知っているのだ。


『文珠を今いくつ出せるかね?』

「ん〜今出せるのは4・5個かな? たくさんいるのか?」

『いや、おそらくそれで足りると思うが、出してくれるかね。』


横島の手の平から光がこぼれ、4つの光玉が現れる。
やや青みがかった淡い光を放つ空色の霊玉、これが文珠である。


「で? 縁が切れますように〜って願えばいいのか?」

『ああ。今の君の力でどれほどの効果があるかはわからないが、
 多少は美神令子君に対する恐怖心も和らぐかもしれないと思ってな。』

「やるっ、すぐやるっ、絶対にやるっ!!」


美神令子に対する恐怖心がよほどに大きいのか、和らぐと聞いて俄然やる気を出す横島。
「切れろ〜切れろ〜美神さんから縁切れろ〜」とぶつぶつ呟き、集中していく。
二つの文珠が横島の強い念に反応し、輝きを増していく。




『縁』『切』




文珠に文字が込められると、光は一気に広がり横島忠夫を包み込んだ。
光は一瞬で消え、力を解放した文珠も消えてしまった。



「……………………。」



『……………………。』



だが、縁など感じられるものではないため、効果があったかどうかわからない。


「……………ラプラス、俺、何か変わったか?」

『私にはわからないが、君の方はどうだね?
 美神令子君に対する恐怖心は、少しは和らいだかね?』


横島は自分の身体を触って確かめながら、先程までの自分と比べてみる。
美神令子に辞めると話しに行く、そう考えてみると、どことなく懐かしさが胸によぎった。
なんだかよくわからない気持ちに横島は首を横にひねった。


―――――――なんで、懐かしいんだ……?


「それになんか……これ、悲しい―――――――のか?」



ツツゥ―――――――



横島がそうこぼした時、彼の右目から涙が一滴流れ、頬をぬらした。







そしてこの時――――――――――――――美神令子も右目から涙を流していたのだった。







ラプラスは横島の様子で、今の文珠『縁』『切』の効果があった事を知る。
それは確かに横島と美神の間にある何かを切り、涙を流させたのだ。
横島忠夫の涙なのか、彼の前世が流した涙なのかはわからないが、確かに縁は切られたのだろう。
それが横島にどのような効果を与えたのか、今のラプラスにはわからなかった。


「ん〜、なんか悲しかった気がするけど、さっきまでより全然怖くないぞ!?」

『そうなのかね? それは良かったではないか。横島忠夫君。』

「わはははははは、まじない最高っ! これならいけるっ!
 今の俺なら、美神サンに口で勝てそうな気がするぞ!!」

『では、美神令子君と君の話が終わるまでは声をかけないから頑張りたまえ。』

「おうっ! まかせとけ、ラプラス!!」


ラプラスは横島忠夫の心の中へと存在を隠し、声を出さずに見守ることにした。
使い魔となったとはいえ、万が一にも美神玲子に気づかれるわけにはいかないからだ。


「フゥ――――――――――――――よしっ。」


気合を入れ、横島忠夫は美神玲子の部屋をノックする。



コンコン。 


―――――――コンコン。


――――――――――――――コンコン。



「誰よ?」


三度目のノックで美神令子の声が返ってきた。


「あ、すんません。俺です、横島です。」

「横島クン!? どうしたのよ、こんな朝早くに……?」


さっきの呪いが効いているのか、美神の声を聞いても横島に動揺はみられない。
横島はゆっくり呼吸をひとつとり、自分の気持ちを確かめる。


―――――――これは、ルシオラ復活への最初の試練だ。


そして、扉の向こうにいる美神令子へと声を届けた。






「聞いてもらいたい話があるんです。美神サン。」






それは、横島忠夫が美神令子から離れる決意の第一声。











「俺、美神除霊事務所―――――――辞めます。」











その声を祝福するかのように、サン・ピエトロ教会の鐘が夜明けを告げていた。








―――――――文珠使い 第三話 縁の断絶――全篇 END―――――――
 


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