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燈の眼

其ノ二十 『信条』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:04/12/27






























 我が神、我が神、何故わたしをお見捨てになるのですか……?

 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します。
 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。
 ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。
 イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
 主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。
 御顔を隠すことなく、助けを求める叫びを聞いてくださいます。
 それゆえ、わたしは大いなる集会であなたに賛美をささげ、
 神を畏れる人々の前で満願の捧げ物をささげます。
 貧しい人は食べて満ち足り、主を尋ね求める人は主を賛美します。
 いつまでも健やかな命が与えられますように……
(旧約聖書 詩篇 第二十二章 2節、及び23−27節(一部変更))


























 向けられた銃口の先には、眼があった。……"眼"。あるいは、"視線"―― そう言い切ってしまう事すら出来そうな程、その男は純粋に、ひのめを見つめる視線となり続けていた。
 その視線に……ひのめは、軽い違和感を覚えた。

(――違う……?)

 今まで何度となく感じ、ぶつけられ、抗い、争ってきた感情――"敵意"。明らかに自分に相対しようとしているにも関わらず……この相手の眼には、それが感じられない。むしろ、感じられる感情は――

「あなたは……誰ですか?」

 ――怯え……?

 放った言葉は相手に届いたようだった。むしろその言葉を待っていたかのように、男は銃口を向けたまま、唇を開いた。
 恐怖を向けられた事は、何度もある。――だが、この男のそれは、何かが違う気がする。背後で硬直するピートを庇いつつ、男の言葉を待つ――

「美神ひのめさん」

 男からの第一声は、自らの名前だった。意外に――若い。その言葉の中にもまた、庇い切れない怯えがにじみ出ている事を感じた。
 ――背後のピートの事が気になった。銃口を向けられている為振り返る事は出来ない。――が、ピートの反応は明らかに、驚愕を表している。
 ――ピートは……この人を知っている。先刻呟いた、名前らしきものも気になった。確か――

「俺の名は――」

 思考は、男の言葉にかき消された。

「――西条、誠といいます」

 その名前に、瞬時に意味を見つけ出す事は出来なかった。――ただ、銃口とその男自身が、ひのめの感覚を過去へと飛ばす引き金になった。西条…… 西条……?

「大分昔になりますが――会った事もある筈です。……お久しぶりです」

 そして――ピートの反応。脳裏に去来した数々の事象がひとつに纏まった瞬間、ひのめの胸中で――過去の記憶が色を持った――

 ――その男の死の瞬間を、実を言うとひのめは見てはいない。"彼"はひのめの意識を覚醒させ、同時に、ひのめ自身に吹き飛ばされたと後で聞いた。



 西条、輝彦。



 思い当たった事を察したのだろう。西条誠はすぐに、言葉でその推測を裏付けた。

「そうです。あなたが殺した西条輝彦は……俺の、父です」

 やっぱり――

 理解と同時に心中に再び去来したのは、やはり警戒――そして、鈍痛だった。消えない原罪。――理解し、覚悟していたとは云え――やはり、痛い。
 銃口は、動かない。
 だが――

(やっぱり……だ……)

 西条誠は、その眼の奥に怯えを隠している。――ひのめの炎に対する、根源的な怯えだけではない。どちらかと言えば――

(――自分……?)

 自分に対する、怯え。
 洞察力には自信があるつもりだった。向けられてきた悪意の数は、言い換えればそのまま場数にもなる。自信は――言い換えればそのまま、過敏とも言える……
 その男――西条誠の眼は、明らかに揺れていた。

「アタシを……どうする気なの?」

 背後のピートを庇いつつ、静かに地面に降ろす。――ひのめはむしろ笑いたい気分だった。覚悟した瞬間――やって来た過去。現在。未来。その具現。
 その言葉に、西条誠は答えなかった。一瞬――唇が開きかけたようには見えたが、それはそのまま、言葉を紡がずに閉じる――
 ――やっぱり……この人は迷って……怯えている……
 その事実は、ひのめに更なる確信を齎した。

 次瞬、西条誠は唇を開いた――














   ★   ☆   ★   ☆   ★















 対霊防御が、人類の持ち得る最高レベルで施されたその部屋の中に、今は一人の男がいる。
 その部屋は日本のGS協会の頂点たる男のために造られた真新しい物であり、過去、男の他にその部屋の主となった者はいない。――男は日本GS協会会長であり、その部屋にいる限り、男に他の名は必要なかった。
 男の部屋の中央に鎮座するデスク、その上にある小型ディスプレイは、たった今、男にあまり面白くはないニュースを伝えて来た。

(また……失敗か)

 男は、頬を覆う無精髭の中からため息を軋り出した。
 公式には存在しないモノ、暗殺部隊。――GSを相手にする為の訓練を充分に積んだ、GSバスターとも呼ぶべきモノである。
 その、暗殺者達からの連絡――それが、つい先刻、途絶えた。何があったか……それは解らない。だが、想像はつくし、その想像は恐らく間違ってはいまい。

「美神ひのめ……やはり、簡単にはいかないか」

 唇から漏れるのは、今更となった嘆息。いや、寧ろ詠嘆か。今更。全ては、今更の事だ……
 生きているのかどうかも解らない――いや、全滅した公算が高いだろう――暗殺者達に、胸中で問いかける。

「やはり……公的指名手配をするしかないのか……?」

 それが出来れば話は簡単だ。この国の警察組織は非常に優秀であるし、民間人からの情報は、その優秀な警察に更なる鋭敏さを与えてくれる。更に、民間GS達の協力も堂々と得る事が出来る。最も――ごく一部のGS達に対しては警戒が必要となるが……
 無論、そんな事は出来ない。故に、このまま"個人的な"暗殺者を放ち続けるしかないのだ。
 賽は、既に投げられた。今更……道を変える訳にはいかない。
 既に、常識的な方法は使い尽くした。動かせない。故に――狙い続ける。放ち続ければ、美神ひのめを仕留める事はそう遠い事ではないだろう。その"作業"に従事する暗殺者達の生命さえ勘定に入れなければ――だが。
 それは――仕方がない。彼らとて、それは解っているだろう。

「そう……仕方がない」

 それは――必要な犠牲であり、全てのGSの為の尊い生贄であるのだから。

「仕方がない――」











 本当に――そうか?











 ――――!?

 ちょっと待て、今、私は何を考えた? いや、これは私――?

「誰だ!?」

 ドアが開いた気配はなかった。――そもそも、部屋のドアの前に常時張り付いている四名のSP、それに加えて、この建物内の至る所に存在する警備員、職員、監視カメラ、霊的な物も含めたその全てを欺くなどといった事は、少なくとも只の人間や妖怪には不可能に近い。


 そう、只の――


「……そうか、出て来たか。遂に――」

 そして、疑問はその考えに至って氷解した。この世界で、この部屋に勝手に入れる程の能力を持つ者は何人もいないだろう。そして、自分の知る限り、この一件に絡んできそう人物と云えば―― 一人しか、いない。

「日本に戻って来ていたとは聞いていたが…… お会い出来て光栄だよ。美神さん……」



 その言葉に、眼の前の空間がグニャリと揺れた。














   ★   ☆   ★   ☆   ★














 その人物の持つ能力は、稀有な物であると云わざるを得なかった。使い方次第で応用力は殆ど無限大に広がる上、それによって起こる事象そのものは本人の霊力に拠る物ではない。つまり――ストックが出来る。
 だからという訳ではないだろうが……眼前に現れたその人物は、当然消費したであろう筈の莫大な霊力に見合わぬ、飄々とした物腰で男を睥睨していた。

 美神、忠夫。

 かつて――そして、休職中とはいえ今も猶、最強のGSと畏怖される美神令子の、元弟子であり現夫。――つまり、令子の妹である美神

ひのめに対しては、義兄の間柄にある。本人も優秀なGSであり、妻、令子の陰に隠れているとは云え、その実力は世界で高く評価されている……
 その人物が――今、男の眼の前にいる。

「お久しぶりです、会長。こんな状況なんで、勝手に上がらせて貰いました」

 肩をすくめ、美神はおどけた調子で挨拶する。残念ながら――男に、そのユーモアに付き合っているだけの精神的余裕はなかった。硬い調子で唇を開く。

「何の用かね?――生憎だが、私は今非常に忙しい」

「そう言わずに、付き合って下さいよ。こっちだて、LAからわざわざ危険を冒して飛んできたんだ」

 美神はにべもなかった。元より、こちらの都合などに頓着するつもりはないであろうが。――嘆息を、ひとつ。極まった――

「――部隊を全滅させたのは……君か?」

 椅子に深く腰掛けたまま――男は、眼前のGSに問い掛けた。――敢えて、"暗殺者"とは言わない。それこそ、美神には解り切った事だろう。
 それに対する答えもまた、軽い調子で返って来た。

「違いますよ。まぁ……予想はしてましたけどね」


 苦笑。


 それは男には、恐ろしく場違いなモノに思えた。片頬が、僅かに引き攣る。

「ならば……"何をしに"来たんだ……?」

 直前の問いに対してのものではなかった。――その問いにして答え――それに対し、美神の片眉が僅かに反応する。相変わらず表情は軽い。……が、その奥の眼光は、先刻までとは明らかに異質なモノとなっていた。
 ――が、それも一瞬だった。次の瞬間には美神の眼からその光は消え、軽薄な皮膜が容貌を覆う。

「……何をしにきたと、思いますか?」

 むしろ、こちらを揶揄するように。――瞳の奥の爪。明らかに見えた。
 美神の、目的。



 ――解っている。



「……君が死ぬぞ? この場で私に手を出す事の難しさ。まさか、君ほどの者が解っていない訳でもあるまい。……いや、実際、もう既に君はここから無事に逃げ延びる事は難しい……」

「何とかしますよ。――そして、あなたはそれを気にする必要はないです……」

「――そうか」


 ――嘆息。


 男は、椅子に腰を預けた。
 実際、そうだろう。最早自分がそれを気にする必要は全くないと言える。むしろ、そんな事に気を回していたら、眼前にいる美神に爆笑されるだろう。
 微笑む。――というよりは、ただ、頬を歪める。眼前には、逃れようもない絶望。ただただその渦中に身を任せるしかない――暗い、展望。

「美神さん……私は、全てのGSを守り、導く立場にある」

 ただ――言葉だけは滑り出でた。
 漏れ出た音は、今更意識するまでも、改めて言葉にする必要すらも感じられない程の、当たり前の――事実。そして、信念。

「GSが今の社会に認められ、特殊技能として認知されるに至るまでに歩んだ、苦難の歴史―― GSならば、まさか知らない訳じゃあな

いだろう?……そうだ。GSは既に、生身のままで"人間以上"……本来、ヒトとして存在していてはならない存在だ。一度……社会からの

『信』を失えば……恐怖の対象というだけの存在に……いとも簡単に堕する……!」

 美神は、動かない。

 ――否。唇が、開く。

「だから……GSの"面汚し"であるひのめちゃんを明るみに出る前に始末しようという訳ですか……? 本来、GSですらないひのめちゃんを、非合法な手段を使ってまで――」

 表情に張り付いた、緩み。――その鉄壁に、罅が、入る。男は言葉を続けた。見えざる銃口は、未だに突きつけられ続けている……

「世間にとって、霊能力者は即ちGSだ。他の何者でもない。不信はそのまま、GS全体への不信になる。だから……」

 一度、言葉を切る。向けられている眼光は、既に猛禽のそれとなっている。その渦中には、明らかに男に対する殺意があった。

「だから……傷つく訳にはいかんのだ! GS全ての為に……協会の……GSの歴史には!……僅かばかりの汚点すら残してはいかんのだ……!」

「…………」

 叫び終え、男は椅子にペタリと腰を下ろした。――いつの間にか、激昂のあまり立ち上がっていたらしい。デスクに肘を着き、眼を伏せる。

「君は……一人のGSでしかない」

 叫びは――呟きへと変わる。

「圧倒的多数の為の正義……その為に、私は常に裁断者であり続けねばならない。そう、常に……だ。だから――」

「それ以上……言わないで下さい」

 言葉を――止める。美神の肩は震えていた。それがただ怒りの為でない事も――今の男には解り過ぎる程に解った。
 理解、出来る。だが、認められない。個人同士の思いは常に相容れないモノであり、相容れてはいけないモノだ。それが"公"となった瞬間、それを覆すだけのモノとなる。
 男は、"公"。その具現。……だが、今この瞬間、一人の"人"でしかない――

「たとえ、あなたの信念が何であろうとも。それが……何を齎そうとも……」

 先刻見た、瞳の奥の爪。今度ははっきりと見える。はじめて見る事になる――美神の真顔。既に美神にも、飄々とした態度は取れなくなっているという事か…… その事実に、大いなる満足を覚える。

「俺は……ひのめちゃんをあなた達なんかに殺させる気は……ねぇ……!」

 美神の吐いたその言葉は、そのまま男自身の運命を予見していた。デスクの上に組んだ手の上に、静かに頭を乗せる。息を、吐く。

「それならば……そうすればいい。先刻、君が言った通りだ。私は……もうこれ以上を気にするのはやめる事にする。やりたまえ」


 目を瞑る。





「ただ――」





 続き。


「その為に、俺の信念を曲げるのもおかしいと……たった今、気づきました。その事については感謝します……」


 …………?


 眼を、開ける。
 その刹那、視界に飛び込んできたのは圧倒的な光だった。















 ――『暗』『示』……!!


















   ★   ☆   ★   ☆   ★


















 軟禁生活というモノも、慣れて来ればそう悪いものでもないと思えてきた。
 それなりに広い、白い白い部屋。一日中つけっぱなしのTVからは、下品な英語の歌が流れ続けている。この部屋に来てから、既に十日以上が過ぎていた……
 何処に行くにも監視が付いて来るとは雖も、妊娠九ヶ月と少し。既に買い物に行くにも夫と共にでないと不安であった彼女としては、無料のルームサービスは確かにありがたい。

(これも洗脳って言うのかしらね?)

 一人きりの部屋の中。令子はベッドに腰掛けて苦笑を漏らした。
 四十を越えての初妊娠に、不安がなかった訳ではない。勿論、肉体的な不安もさる事ながら、妹の事件に関わっての突発的事態も充分予測できた。そして現に今、そうなっている。
 それでも――産む事を決めたのは、夫が望んだという以上に、自ら思った事が強かったのだろう。

 妹。

 ひのめ。

 まさしく、彼女にとっては娘のような存在であった。――小さく、弱く、手間がかかった。愛しい、存在――

「アナタは……どんな"ひのめ"に生まれ変わるのかしらね……?」

 膨らんだ腹部を撫でて微笑んだ。時。

 TVの画面が、突然変化した。

 注意を、画面に向ける。画面は、明らかに放送局からの直接中継と解る緊急ニュースのものとなっていた。金髪のアナウンサーが、画面に唾を飛ばしながら原稿を読む――

『先刻、日本時間12時10分。日本GS協会支部長が、重大な声明を発表しました。それによると、日本GS協会は、本日、日本時間にして9時34分。非公式に国際指名手配されていた霊能力テロリスト、美神ひのめを殺害した模様です。これより、発表の映像を――』



 ドン……!

 めきめきめき……



「なんで……すって……?」

 その発表を、最後まで耐える事は出来なかった。
 テーブルに叩き付けた拳を戻そうともせず、令子は呻いた。
 映像は、日本GS協会支部長の発表の場面へと切り替わる――

 続く――――

「…………!」

 そして、気づいた。

 GS協会幹部達と共に、発表の席に臨む支部長。その幹部の一番端に、見慣れた姿が見えた。
 その男は列席者達に隠れてこっそり欠伸をし、そして画面に向けてウインクをひとつ。……その最中にも、支部長の発表は続く。
 ――が、その衝撃的な発表の内容など、既に令子の耳には入らなくなっていた。

「あの……バカ……!」

 毒づきつつも、頬が緩むのは隠せない。こうしてTVに一緒に出演する事の危険性は、アイツなら解っていた筈だ。それを敢えてしたのは……バカだという事もあるだろうが……自分を、安心させたかったのだろう……
 なるほど――確かにこれで、ひのめはもう"死んだ"。公式にも、非公式にも。死んだ人間を追う必要はないし、ましてや殺す事などは不可能だ。

「ふぅ……驚いて損しちゃったわ……」


 未だニュースキャスターの驚愕を映し出しているTVを消し、令子は窓を開けた。――脱出防止に細くしか開かない窓からは、それでも心地よい風が吹き込んで来た。
















 〜続〜


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