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燈の眼

其ノ十九 『信望』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:04/10/ 9




























 我が神、我が神、何故わたしをお見捨てになるのですか……?

 雄牛が群がってわたしを囲み、バシャンの猛牛がわたしに迫る。
 餌食を前にした獅子のようにうなり、牙をむいてわたしに襲い掛かる者がいる。
 わたしは水となって注ぎ出され、骨は悉くはずれ、心は胸の中で蝋のように溶ける。
 口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎に張り付く。
 あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
 犬どもがわたしを取り囲み、さいなむ者が群がってわたしを囲み、獅子のようにわたしの手足を砕く。
 骨が数えられる程になったわたしのからだを、彼らは晒しものにして眺め、
 わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。

 主よ、あなただけはわたしを遠く離れないでください。
 わたしの力の神よ、今すぐにわたしを助けてください。
 わたしの魂を剣から救い出し、わたしの身を犬どもから救い出してください。
 獅子の口、雄牛の角からわたしを救い、わたしに答えてください。
(旧約聖書 詩篇 第二十二章 2節、及び13−22節(一部変更))









































 混濁する全ての中でその紅い雄叫びは、確かにピエトロ・ド・ブラドーの意識に届いていた。
 それは赤く、赫く、紅い。――見た者がいれば、その刹那に全てを諦め得たであろう……慟哭の奔流。涙は、ない。






 それは、紅。





(――ひの、め……?)

 狂気。

 ――ふと、そのような言葉が思い浮かぶ。
 もし……そう、“もし”だ。もしここで自分が死んだとするならば、果たして彼女はどのような行動を取るだろうか――?
 その答えは、無理矢理に見開いた蒼い瞳の先に顕現していた。

(ひのめぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!)








 心中。――彼は、絶叫した。













































   ★   ☆   ★   ☆   ★













































 紅い世界に、独り。

 常に心の片隅に存在した、絶望の欠片。
 ――ただ、今はそれが暖かい。炎は常に、底冷えのする冷たさと共に顕現した…………それが――――今は、ない。

 ただあるのは、心。――そして、それを突き動かすべく迸る激情。

「ふうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 そして、紅い力は心のままに躍る。
 眼前にあった、旧世紀の木造建築。彼女自身が昨夜までその中にあった、ピートの教会。――それは、瞬く間に赤色の轟音に包み込まれた。
 肌をくすぐり、乾燥させる暖気――その感触を、無造作に払いのける。意味のある行動ではないし、意味を付ける事もない。
 ――ただ感じられるのは……眼前の教会の中で急速に燃え尽きてゆく、一人の狙撃者の命の感触だけだった……

(一人……だけ……?)

 ……否、そんな筈はない。
 そのひのめの予測を裏付けるかのように放たれた次弾は、高熱の障壁に阻まれて燃え尽きた。――プシュ……!――サプレッサーでくぐもった銃声は、弾丸そのものの消滅に大分遅れて聞こえた――
 既に、教会を灼く焔は赤々と天に上がっている。チラリと見る限りでも、野次馬が発するざわめきを多数聞くことが出来る……ここで力を使ったら――――

(人を……巻き込んじゃう!?)

 恐らく――姿を見せずに銃撃を続ける狙いはそこにあるのだろう。自らの姿さえ見せなければ、焔に巻かれる危険性は格段に減る。……そもそもひのめ自身が目標とする者を把握できず、更に嫌でも集まってくる野次馬により、炎を抑えざるを得なくなる――
 既に焔は、狭隘な敷地内を取り巻いていた。ひのめの意思が続く限りそれは消えず、またひのめの意思も既に、消すには強固な物となり過ぎた。

「くぅ……っ!!」

 深い――そう、消すには、あまりにも深い焔。その渦。自ら望むこと――それでいて猶、炎はひのめに取って制御できない存在になりつつあった。肌を刺す熱気を、ピリピリと感じる。






 だが――――






(あった……かい……)


 それが……何も不安じゃない。


 火はその本来あるが如く――否、それ以上の暖かさ、柔らかさで、ひのめの全身を包み込んでいる。
 そこに――――不安となるものは何もない……

(……だから――――)

 その思いは――自然と、焔を操っていた。
 瞬時に爆発的に広がった炎はその色調を紅から蒼へと変化させつつ、ごく自然に人の群れの中を行き過ぎて行く。――それはあたかも幻視の如く。……そこに、痛みはない。

 愛しい……

 今は、自然にその感情が胸を衝いた。
 この――"炎"。
 自ら、忌わしいものとしていたモノ。
 だけど――今、この力は……自分を守ってくれている。
 この力は……自分になってくれている――――
 この力がなくなれば……自分は、解き放たれると思っていた。――何からか。そんな事はわからない。ただ……西条を、唐巣神父を……多くの人々を殺し、傷つけたこの力は、この世に……自分にあってはならないものであると思っていた。

(違うんだ……)

 それも、ただ逃げていただけだった。今ならわかる。



 唐巣神父の、最期の言葉。その――本当の意味。



「神父は……火が怖くないように……してくれたんだね……」



 伊達雪之丞が常々行っていた説教、その中に秘められた、一抹の優しさ。そして――悲しみ。



「伊達さんは――アタシがもう子供じゃないって……言おうとしてたんだね……」

 そして――――


「……ピート……」


 誰よりも優しく……誰よりも温かく……自分を迎え入れてくれた、人。
 誰よりも傷つき、誰よりも疲れていながら、自らと同じように、ひのめをも迎え入れてくれた、人。……そして。

「壊れそうな心に怯え――アタシと、心を溶け合わせた人……」

 ふと――感じた事だった。……今になって。……いや、恐らく、解ってはいたん――だろう。
 傷ついていたのが、ひとりだけである筈がない。自分と言う人間に――恐らく四年前から、最も深く関わり、それが為に全てを失って猶、自分と共にいようと言ってくれた人。
 傷を舐め合うだけでも――それでも……
 誰かを傷つけるよりは、いい。

 自分たち以外、誰も傷つけることなく過ごす事が出来るのならば……

 ……でも、違う。

 現実は、違う。

 誰も傷つけずに生きて行く事など出来ないし、傷つかずに生きて行く事など出来ない。……だからこそ、自分は生きている。厄災そのものの存在であって猶、自分は……生きている。
 そして、その言葉自体も……証明している。
 美神ひのめが……確かに今ここにいる事を。美神ひのめが……確かにここにあった事を。美神ひのめが……この世にあって何を為し、何を為さずに消えていったか……その、証明を。


 ――そう……アタシは……消える。


 何となく、そんな事を漠然と思った――


 かぶりを振る。



「でも――――」

 再び、傍らを見下ろした。――そこに在るのは、ピート。微かに全身を震わせ、血走った碧眼を自分に――?

「ピート……大丈夫なの!?」

 跪き、ピートの顔を覗き込む。――背後で再び銃弾が蒸発した気配があるが、既にそんな事は些事だった。
 ピートは碧眼を上向け、倒れたまま身を震わせている。――乾燥した金髪はくすみ、その姿に生気はまるで感じられない。だが――この眼は確かにアタシを見ている……
 その眼から、一筋の涙が流れ落ちた。

「――ピート?」

 慈愛、悔恨……漏れ出でる幾億の想い。その底に、何が秘められているかは解らない。――だが。

「やっぱり……ピートは優しいよ。優しすぎるから……きっと一番――アタシよりももっと、アタシの事で苦しんじゃうんだ……」

 傷つけたくない。だからこそ、傷つく。殺すのは自ら…… ピートは恐らく、全て他人の為だけに傷つき、他人の為だけに自らを埋没させていった。背負った傷の重みに耐え、更にひのめの傷を背負わんとして――

「もう……いいんだよ、ピート」

 見開いた、蒼い瞳。その涙を、指で拭う。

「アタシは……大丈夫だから……」

 言い、ひのめは立ち上がった。先ほどから意識に上げていなかったが、銃撃は先刻からやんでいるように思える。ただ闇雲に発砲する事の無駄を悟ったのか――?



 ――いや、



(違う……)

 そんな事で諦めるような事ではない。そんな事では――結局自分のやってきた事……やってきてしまった事が何であったのか、またわからなくなってしまう……

「ちょっと――我慢してね、ピート」

 力を込めると、ピートの身体は意外としっかりと持ち上がった。ぐにゃりとした手ごたえを予想していた分、やや後ろにつんのめる。意外に、軽い。――ふと、気づいた。今のピートには片腕がない。身体に力が入っているのも、半分はその所為であろう。
 背負う。しっかりと。
 この期に及んで、背後からの銃撃はなかった。既に炎は自らの周囲を覆っているのみとなっている。――周りで無責任なざわめきを続ける野次馬達からは、自分とピートの姿がしっかりと見えているだろう。これだけいっぱいいれば、いくらサプレッサーがあるからといって、銃声を聞いている人も一人や二人ではない筈だ。
 まさか、その全てを始末するなどという事も出来ないだろうが……

「うし……っ!」

 そしてひのめは走り出した。――崩れて炎上を続ける、教会の中へ。先刻のピートの言葉が、脳裏に鮮やかに蘇った。

『あの中には、昔――君のお姉さんが用意していた隠し通路がある』

 姉。往年の最強GS、美神令子。

 詳しい場所は知らない。そもそも、この教会に来たのだって、昨日が四年ぶりなのだ。
 だが――解る。"あの"……良くも悪くも、"あの"美神令子のかつての行動パターンは、当時の美神除霊事務所チームを除けば、恐らく自分が一番良く理解している。――更に、四年前にも同じような隠れ家に命を拾われている……
 銃撃は――来ない!

 ひのめは、教会内に飛び込んだ。









































   ★   ☆   ★   ☆   ★










































 ――ドサリ。





 熱風が吹きすさぶ。
 目の前に倒れた黒いTシャツの男を静かに見下ろし、西条誠は長息を吐いた。

 長く……長く。

 男の手には、長大なサプレッサーが着いた、にび色のライフルがある。――つい先刻まで炎の中の目標を狙い続けていた、暗殺者の爪…… 今は、虚しく沈黙している。

(そうか……あの人が……美神、ひのめ……)

 男を気絶させたスタンガンをその場に放り棄て、代わりにその倒れた男の懐をまさぐる。――程なく探り当てた目的の物は、銀色に光る小さな拳銃だった。
 この男で……最後の筈だ。
 眼前の目標に集中している暗殺者を倒すのは、案外簡単な事だった。今回は相手が相手であったという事もあるのだろうが……一片の隙もなく目標を捉え続けるスコープの後ろ側から、静かに脇腹にスタンガンを押し当てる――それだけでいい。



 後は……



「…………」

 掌の中に納まった、小さな小さな凶器を見下ろす。

 思惟は……殺す事に思惟はいらない。凶器があれば事足りる。――現に、今自分が倒した暗殺者達は、何の意味も、感慨もなく美神ひのめを始末しようとしていた。そして……失敗した。

 黙して、拳銃を懐に収める。
 ただあると信じていたのは希望だった。何処かで答えが見つかるものだと思い込んでいた…… その目的も知らず、訳も解らぬまま、ただただ答えを求めていた。
 結果として、今自分の懐には凶器がある。
 自分が望んでいたのは、果たしてそのようなモノだったのか……?

 フ――ッ……

 口腔から漏れ出でるは、嘆息。――答えは……ずっと求め続けていた答えは……すぐ傍にいる筈だった。教会内の隠し通路の事なら、知っている。ずっと昔に造られた物だとも、知っていた。そして……その出口、行き着く先も――


 ――どちらにせよ、行かねばならない。……美神ひのめに……師、ピエトロ・ド・ブラドーに……







































 ――ケリをつける。







































   ★   ☆   ★   ☆   ★








































 遠くに聞こえる喧騒の中に、焦りを含んだ荒い息が混じる。
 血煙を吐き出し続ける右腕を横目に見ながら、ピエトロは遅い来る睡魔と必死に戦っていた。
 先刻まで全く動かなかった身体は、今は多少は自らの意思で動かす事が出来るようになった。ただ、血を多量に失った所為か……意識が朦朧とする。屍体のようにひのめに体重を預けながら、意識を保っている事に集中し続ける――

 タッタッタッタッタッ…………

 はっはっはっはっはっ…………

 薄暗い地下通路を蹴る足音。荒い息…… それが、遠くに聞こえる。――ひのめ。彼女の……

(――僕の……心……か……)

 恐らく――いや、間違いはないだろう。
 彼女は目覚めた。眼を開いた……と言うべきか――
 先刻の炎。意識の底でピエトロが感じた恐怖の現象――そこに、攻撃性はなかった。……あったのはただ、純粋な思い。……恐らくは、自分に対しての……

(……ひのめ……)

 護ろうと思った。護るつもりだった。だが――結局は、自分はひのめに護られた。
 だが――不思議とその事に関して、悔悟の念は沸いて来なかった――

(そうだな……護る事は――出来たんだ……)




 耽溺していた愛の形より、表面的な所で。




 耽溺していた愛の形より、奥深い所で――




 なぁ――ひのめ。君は感じているかい?

 考えているかい?

 君は今日、君になった。

 周囲の中で流れていく存在ではなくて、自らの意志で進んで行く存在になったんだ。

 思い出す――死に瀕した唐巣の意を受けて、自らひのめに語った言葉。――あの時は、ひのめに対して重荷にしかならなかったであろう……言葉。

『君が今、昨日のように自らの命を断つ……そんな甘っちょろい事が、出来ると思ったら大間違いだ。そんな事をする資格は――逃げる資格は君にはない』

 あの時……僕は、君に『死ぬな』と言った…… けど……死なないだけでは――生きているとは言わない……

 今――君は真に『生きた』存在になったんだ。

 生きる為に必要なのは意義。――それは、誰にとっても……自分にとっても、変わらない。そして、自分はそれを――希望を……信仰を……失った。そして――再び、それに代わるものを手に入れる事が出来た。

 そうだ……ひのめ。あの言葉は、僕自身に対する物でもあったんだよ……だから僕は、君に対する罪悪感すら感じていたんだ。僕は――卑怯な事をしたんだ……ってね。

 君は――生きる。四年前にも吐いた言葉が、舌の上に残る。今、ピエトロはその言葉にもう一文を付け加えた。そして――僕も……

 比翼――そんな言葉がある。二枚の羽根を、それぞれ重ね合わせ飛翔する鳥。――自分達は……だが、もう……そうではない。

「……そうだろう……? ひのめ……」

 唇から滑った言葉。それはしかし、自らの耳にすら届く事はなかった。
 足音の反響が変わってきた――そろそろ、出口が近いのだろう。

 ――そうだ。僕達は……もう、"比翼"じゃあないんだ。――もう、君は既に一人立ちしている…… 僕を必要とはしているけど、僕に寄り掛かってはいないんだよ。僕がいなくても――飛ぶ事は、出来るんだ……

















 僕は――どうだ……?


















「――もう少しだよ……ピート」

 沈んでいた思考の淵から、不意に現実に呼び寄せられる。……と言っても、ピエトロに出来た事は、物憂い視線をやや前方へと向ける事だけだった。

 ――確かに、前方に暗い光を放つエレベーターがある。確か――あの先は四年前にも利用した公民館前に繋がっている筈だ……
 ふと、脳裏を掠めたのは、単純な疑念だった。――果たして、"本当に"この隠し通路は発見されていないのか……?
 しかし、その疑念も揺れる意識に溶けて消えた。ピエトロは眼を閉じ、長く、息を吐いた。長く、長く――
 ひのめの息は荒い。――当然だろう。血液を大量に……更に右腕をも失っているとはいえ、ピエトロの体重は決して軽くない。あまつさえ、ひのめは先刻"力"を使った直後だ。本来ならば、この場でへたり込んでもおかしくはない位の疲労感が、今、ひのめを包んでいる筈だ。
 エレベーターの前に辿り着き、ひのめが肩で息をしながら扉を開ける。地上ではトイレのドアに擬態されていた為、このドアは手で開けるようになっていた。エレベーターにしては、珍しい方であると言える。――まずは、細く。確認して、滑り込む……
 トイレを模したエレベーター内部には、幸いにして何もいなかった。

「…………」

 エレベーターは動く。大仰な機会音を発しながら、それでいて、静かに。
 その音の奔流は、またしてもピエトロの精神を思考の渦の中に惑溺させる…… 痛みは、感じない。むしろ――頭の中は冷えて、澄み渡って来ている……
 何か……感じるものがある。引っかかるものがある。今はまだ……何か――起こるべき事が起こっていない――

 ――止まる。

 ガタン……! 決して小さくない音を立てて、擬態されたエレベーターは止まった。トイレのドアに偽装してある、外へと通じるドアを開ける……
 出たのは、女子トイレ。ひのめは殆ど最後の力を振り絞るといった体で、その中から屋外へと……


 ――止まった。


「…………誰?」

 瞬時に……周りの空気の色が変わる。ピエトロにもはっきりと解った。ひのめが……臨戦態勢に入った……!

 そして、見た。

 まず見えたのは、こちらへとその銃先を向ける、銀色の小型拳銃だった。別段、銀の弾丸などが装備されている気配はない。ただ単純な、人体殺傷用に進化した、文明の利器。
 しかし、ピエトロを驚愕――そして、暗澹たる心に叩き込んだのは、その凶器ではなかった。







「誠…………」






 揺れる意識の中、小さく小さく呟いた言葉。
 その言葉を受けて、西条誠はただ真っ直ぐに、銃先をこちらへと向け続けていた。













 〜続〜


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