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求めるものは

第四話 続く戦い


投稿者名:湯
投稿日時:04/ 7/21


「――イチイチ確認しなくたっていいじゃないですか」


 ヒャクメはふてくされたように言った。

 美智恵は、ちょっとだけ顔を緩めて、


「さすがにそういうわけにも……」


 と、受話器を置いた。

 ギシリと美智恵の椅子が軋んだ。少しだれ気味の姿勢を正したのである。

 本腰を入れて話そうというのだろう。それを察したヒャクメは、ソファーに深く沈めていた身体を起こして、


「どうするつもりなんですか?」


 と、訊いた。


「そうですね……」


 美智恵は軽く俯いて、細い指で顎のあたりを撫でていた。考え深そうなしわが眉間に刻まれている。

 美智恵とヒャクメは、美智恵のデスクを挟んで、向かい合う格好で座っていた。わりと大きめの部屋である。装飾は素っ気なく、機能的であるともいえるかもしれない。

 暫くすると、美智恵は顔を上げて、


「とりあえずは、彼――横島くんの保護を最優先に考えます」


 と、静かに口を開いた。「彼そのものに魔族が引き寄せられるとなると、もはや無視できる問題ではありません。周囲に被害が生じる前に、すぐにでも対処しなければならないでしょう」


「……妥当な判断ですのね」


 ヒャクメは深刻そうに息を吐いた。「神界からの干渉も難しいですし」


「やはり無理でしたか…」


「はい。なんでも、『神界と魔界の、現時点における極めて良好な関係を崩すには、いささか役不足な問題であることは否めない』とか、『むしろ被害者としての立場は魔族にこそ当てはまる』とか――本当に勝手ですのね」


「いえ、決してそんなことは……」


 美智恵は気持ち身を乗り出して、憤慨するヒャクメを宥めた。流石に神族だけあって、本気になられると、その雰囲気からして尋常ではないのである。


「――確かに神界の援助なしでは厳しいですが、ないものねだりをしても始まりません。なんとか私たちだけでやってみますから、ご安心下さい」


「そうですか……」


 ヒャクメはがっくりと首を垂らした。「私ったら、ホント役に立てなくって…」


「そんなことありませんわ。ヒャクメ様がいなければ、こうして原因にたどり着くことすら出来なかったかもしれません」


「そうですか?」


「そうです」


 暫らくの間、女ふたりは見つめ合った。

 辛い立場にお互いが置かれたからか、美智恵と自分との間を、なにか柔らかいものが通い合っていることを、ヒャクメの「眼」は敏感に感じていた。


「――それじゃあ私、そろそろ帰りますね」


 と、ヒャクメはなんだか照れたように言った。


「会っていかれないんですか?」


 美智恵は意外そうに訊いた。折角であったし、このまま一緒に行くものであると考えていたのである。


「私、これでも色々忙しいのね」


 と、宙に浮かびながら、ヒャクメはどこか空々しい声で言った。

 実際、いまの彼女にはそれほど切迫している仕事などなく、それはただ逃げるための口実に過ぎなかった。神族のひとりに名を連ねる者として、あるいは気まずかったのかもしれない。

 美智恵もそれには気付いているだろうが、


「そうですか。お忙しい中お呼びだてして、申し訳ありませんでした」


 と、言うのみである。

 ヒャクメは小さく頷いて、すぐに消えていった。

 美智恵はそれを見送ってから、ソファーに身体を横たえた。ヒャクメが座っていたため、少し生温かくなっている。


 はあっ。


 自然、大きなため息がこぼれ落ちた。もはや癖になっているのではないだろうか。

 美智恵は寝返りをうって、うつ伏せになってみた。それでもやはり、ため息は止まりそうにない。

 どうして自分ばっかり、こんな仕事を……。先ほどのヒャクメのように逃げ出せるなら、どれほど気楽だろうか。

 いつにも増して気が重かった。理想に燃えていられるような若さは、とうに失っている。


(――令子はなんていうかしらね)


 怒るだろうか。ひょっとすると、隠れて泣いたりするのかもしれない。だけど……。


(だからって見逃すわけにもいかないのよ。それだけは分かって)


 自分は公務員である。いかなるときも、全体の奉仕者としての務めを果たさなければならない。

 その能力と功績いかんによっては、脱税くらいは目をつぶってあげられるが、人命がかかろうものなら、身内だからといって容赦は出来ない。

 また寝返りをうって、美智恵は天井を仰いだ。


「横島くんか……」


 ふと呟いてみる。


(彼には迷惑ばっかりかけてるわね)


 それも親子揃ってなのだから、いっそう質が悪いといえた。だが、それだけに感謝の念は大きい。

 しかし、


(私がやらなかったら、いったい誰がやるっていうのよ)


 ――なんということはない。自分が辞めたら、代わりに、別の誰かが仕事を引き継ぐだけであろう。それならば、出来うる限りの好待遇をもって、なにかと親しい自分が彼を保護すべきであった。

 分かりきっていたことではないか。いつもでそうだ。自分の代わりとなるような役職をもち、なおかつ自分以上に彼らを気遣える人間が、このGメンのどこにいよう。過去の、あのアシュタロスの時もそうではなかったか……。

 コンコン、と、ドアが規則正しくノックされた。

 美智恵は慌てて起き上がって、服装の乱れを直した。それから急いで自分の机に座って、


「どうぞ」


 と、冷静な声で言った。


「失礼します」


 ドアが開くと、西条が入ってきた。畏まった様子で美智恵の前に立つ。


「なにかしら?」


「はい。現場の指揮が終わったので、その報告をと思いまして」


「そういえばそうだったわね」


 美智恵は鷹揚に頷きながらも、ソファーに寝転がっていた時間の長さに驚いた。


「まず魔族の発見現場についてですが――」


「ごめんなさい。それに関しては報告書を読むから、後でいいわ」


 自分から命じておいてなんだったが、美智恵は西条の言葉を遮った。やはり、だらだらと報告を聞いていられる気分ではない。

 西条は少し拍子抜けしたようであったが、さしたる反応も示さず、素直に頷いた。


「ところで西条くん、あなた、今から抜けられる?」


「今からですか?」


「そうよ」


「部下たちに引き継ぎを任せれば、なんとかなりますが……」


「なら、ちょっと私に付き合ってくれない?」


 それを聞いて、西条は戸惑ったような顔をした。どうやら意外だったらしい。緊張していた身体も、ようやくほぐれてきたようで、


「それは仕事として、ですか?」


 と、意味深な笑みを浮かべた。


「そうね。言いようによっては仕事と言えなくもないかしら」


「……そうですか」


 どうやら期待はずれの答えだったらしい。西条はがっかりしたように肩を落としたが、すぐに、


「もちろん構いませんよ」


 と、胸を張って言った。


「ありがとう」


 軽く礼を述べつつも、美智恵はすでに立ち上がっていた。机の引き出しを引いて、拳銃を手にする。


「しかし先生、どこに行かれるお積もりですか」


 西条が声を抑えて訊いた。


「――令子のところよ」


 そっと引き出しを閉じて、美智恵は歩き出した。神妙な面持ちで、西条が後に続いた。






「遅いですね、横島さんたち」


 おキヌは、慎重に紅茶を注ぎながら言った。「やっぱり何かあったんじゃ……」


 コポコポと流れ出る紅茶を見ながら、おキヌはその水面に映った自分を見ていた。


(――私ったら、何言ってるんだろ)


 これでは美神を責めているみたいではないか。

 お茶が淹れ終わった。おキヌは気を取り直して、専用のティーカップを、


「はい、どうぞ」


 と、隣に座っている美神に差し出した。

 その際、チラッと美神の顔色を窺ったが、当の美神と目が合ったので、すぐに顔を逸らしてしまった。

 どことなく、気まずい雰囲気である。

 美神もやはりこうした雰囲気を好まないのか、


「ありがと」


 と言って、早速紅茶に口をつけた。


「どういたしまして」と、おキヌは小声で返すと、今度は自分の紅茶を淹れ始めた。


 紅茶の暖かい匂いが、鼻腔をくすぐっている。

 それを胸に満たしていったら、


(なんだかバカみたいね)


 と、美神はちょっと笑えてきた。ウジウジしちゃって、まるで自分らしくもない。


「おキヌちゃん」


 と、陽気に呼びかけてみる。「横島くんのことなら心配いらないわよ。どうせいつもみたく寝坊でもしてるんでしょ」


 おキヌは、俯きがちの顔を上げて、ようやく美神と目を合わせた。


「そうですよね」


 と、ホッとしたように言う。「すみません。私、暗くなったりしちゃって」


「いいのよ、そんなこと。――でも、横島のやつは許せないわね。丁稚のくせに寝坊だなんて、生意気だわ。電話でもしてさっさと起こしてやらないと」


 とっちめてやるわ、と、美神はおキヌに微笑みかけた。

 それを聞いて、おキヌはハッとしたように立ち上がり、


「私、すぐに電話してみます」


 と、慌しく駆けていった。


(……なんだかなあ)


 そうしたおキヌの様子を眺めながら、美神はすっかり気の抜けてしまった自分を感じていた。


(まったく、あんなに取り乱しちゃって)


 幽霊の頃からちっとも変わらない、おキヌらしい振舞いであった。どこかそういう懐かしさに触れて、自分は安心してしまったのかもしれない。――おキヌのそれのように、変わらないものも確かにあったのだ。

 美神がひとり紅茶をすすっていると、事務所のすぐ前から、車のブレーキ音が聞こえてきた。


『美神オーナー、お客様です』


 と、すかさず人口幽霊一号がその旨を伝える。


「依頼人?」


『美智恵さんと西条さんのお二人です』


「ママと西条さん? 何の用かしら」


 と呟いてみたが、大体用件は分かっている。おそらくは今朝の魔族についてだろう。


(そういえば、連絡するの忘れてたわ……)


 うっかりしていた。あれほどの魔族だったら、Gメンの方でも動くに決まっているのに……。

 また小言を言われそうであったが、おキヌには電話を任せていたので、仕方なく美神は自ら玄関へと出向いていった。


「いらっしゃい、ママに西条さん」


 ドアを開きながら言った。


「やあ、令子ちゃん」


 と、軽く手を上げる西条。


「令子、久しぶりね」


 美智恵はちょっと頬を緩めながら言った。「急で悪いんだけど、いま時間空いてる?」


「ええ、大丈夫よ」


 美神は頷いて、二人を事務所へと招きいれた。

 応接室のソファーに座らせると、


「――今朝の魔族のことでしょ?」


 と、美神はすぐに切り出した。

 おキヌはまだ戻っていなかった。やはり朝の自分と同じように、電話が繋がらなかったのかもしれない。


「そうよ」


 美智恵は冷ややかに言った。「西条くんが現場を発見したの。令子、あなたの事務所からそう遠くないわ」


「知ってるわ」


 美神は西条と美智恵を交互に眺めている。「――私たちもそこに行ったのよ。魔族はもう死んでたけどね」


 だから眠くて眠くて、と、空とぼけてみせた。

 美智恵は顔色を変えず、


「そのとき、横島くんも一緒だった?」


 と、端正な足を組み直しながら訊いた。


「横島くん? いなかったわよ」


 美神は、自然な様子で、「タマモとシロは、横島くんの匂いがするって言ってたけど……」


「やっぱり」


 美智恵は西条に目を走らせた。


(もう疑問の余地もないわね……)


 おそらく西条は、ヒャクメから直接話を聞かされていなかったので、確信を持つまでには至らなかったのだろう。だが、人狼と妖狐の超感覚となれば、それだけで信じざるをえない。

 西条は俯いたまま、顔を上げなかった。


「その横島くんの匂いは、現場で?」


「ええ、そうよ」


 と、美神が答えたきり、なぜか会話は途切れてしまった。

 重苦しい静けさが、部屋を包んでいる。

 美神はたちまち手持ち無沙汰になってしまい、


(……そういえば、お茶も出してなかったわね)


 と、ひとり後悔した。こういうとき、お茶かなにかあれば、それだけで時間を潰せるのに……。

 美智恵は黙って考え込んでいる。西条は疲れきったようにうなだれていた。

 それらを冷めた目で眺めながら、


(おキヌちゃんはまだかしら?)


 と、美神は事態の変化を待っていた。分かっている、どうせ碌でもないことを、この二人は伝えに来たのだ。

 暫くして、ノックの音が部屋に響いた。すぐにドアが開いて、


「すみません、遅れちゃって」


 と、お盆にお茶菓子を載せて、おキヌがゆっくり入ってきた。そのまま美神の隣に座る。


「遅かったわね」


 と、美神は小声で言った。「どうだった?」


「駄目でした。横島さん、家にいないのかもしれません」


 おキヌはお茶を配りながら囁いた。

 どう声を掛けてやれば良いのだろう……。美神は言葉を探してみたが、気の利いた慰めなど見つかるべくもない。


「そう…」


 と応えて、目を伏せた。

 美智恵はふとおキヌの顔を見やって、


「――そういえば令子、他の皆はどうしたの?」


 と、訊いた。

 今まで気付かなかったが、ここで寝泊りしているシロとタマモがいないというのは、どういうことだろう。


「横島くんの家よ」


 と、美神はぶっきらぼうに言った。「あいつのことが心配だって、とんで行っちゃったわよ」


「横島くんのところ……」


 美智恵はかみ締めるように呟いて、さわさわと顎を撫で始めた。ソファーの背もたれから熱が広がっていく。


「どれくらい経つの?」


「そうね……だいたい五時間ってところかしら」


 と、美神は時計を見ながら言った。

 その隣で、おキヌが無言で頷いてくる。


「五時間、ね」


 嫌な予感がした。美智恵は、西条を横島のもとへ向かわせようと、口を開きかけて――固まった。


「魔力……」


 呆然と、呟いた。

 携帯が鳴り響いた。西条は色のない顔で、ポケットから携帯を取り出した。






「どうしよう?」


 と、横島は情けない声で言った。

 入り組んだ路地裏に足音が続いている。細い道をもつれ合うように走りながらも、横島はなんなく背後に目をやった。


「タマモ、何か良い作戦はないのか?」


 と、訊いてみる。


「そんなこと私に聞かないでよ」


 タマモは焦ったように手を振った。「だいたい、こんなところじゃ狭すぎてどうにもならないわよ」


 事実、二人並べるか並べないかという横幅の狭さであった。もし見つかったら、全員が袋叩きにあうことは間違いないだろう。立ち並ぶビルが壊されたりするだけでも、それらの下敷きになりかねない。


「今更引き返すわけにもいかないし…」


 と、口惜しそうにタマモは言う。

 率先して路地裏に逃げ込んだ横島は、それを聞いて、


「仕方なかったんやあ!」


 と、突然頭を振って叫びだした。「堪忍や! まさかこんなに長いとは思わなかったんや!」


 長いというより、迷ったというべきであった。敵から逃れようとジグザグに進路を取っていたら、どういうわけか路地裏から出られなくなってしまったのである。

 そんな横島をタマモの後ろから眺めながら、


「先生、拙者に任せるでござるよ」


 と、シロが自信ありげに言った。それから真っ直ぐに横島を見つめる。

 シロの妙な視線に気がついて、横島はちょっとうろたえたが、


「いいぞ、シロ! 流石は俺の弟子だ!」


 と、感動したように大声で言った。


 そうこうしつつ、彼らは走り続けている。障害物を縫うように避けながらも、風を切っては駆け抜けていく。




「――ちょっと」


 と、苦しそうな声が、シロの背後から聞こえてきた。


「少し、休ませてくれませんか……」


 顔を真っ赤に染めながら、息も絶え絶えに弓は言った。

 横島は思い出したように立ち止まった。シロとタマモもそれに倣った。

 弓の激しい息遣いが、ひっそりと路地裏に染みこんでいった。


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