椎名作品二次創作小説投稿広場


求めるものは

第二話 すれ違い


投稿者名:湯
投稿日時:04/ 7/ 5

 頭のてっぺんから、無数の小さな虫が、サーッと駆け下りていくような怖気を感じて、眠りの淵から一瞬で浮かび上がった。

 咄嗟に、美神令子は跳ね起きた。

 全身が隈なく熱を帯びていた。荒い息を整えてから、じんわり滲んだ額の汗を、シーツで拭った。


(イヤな感じね……)


 美神は剥き出しの腕をさすりながら、頭をゆっくり振った。ついで、時計に目をやった。

 ――五時。まだ寝ていても、誰に非難されることもない時間であった。といっても、非難されようがされまいが、彼女にとってはどうでもいいことではあったが。

 なんであれ、早すぎる時間であるといえる。

 美神は、もう一眠りしようと身体を深く横たえ、眼を閉じてみるのだが、しかしどうにも目が冴えてしまって、眠れない。それどころか、胸のなかの不安はますます大きくなった。


(……これは、なにかあるかも)


 一応、覚悟だけはしておくべきかもしれない。

 美神は、パンッと両頬を軽く叩き、気を引き締めてからベッドを抜け出た。そのまま歩いていって、カーテンをそっと開く。

 空は白み始めていたが、まだまだ暗い朝であった。

 こんな早起きは、いつ以来だろうか。

 早朝からの仕事は、面倒なのであまり取らないことにしていた。それが、まったく珍しいことに、こうやって自分の方から進んで起きてしまうとは。――健康的に早起きをする自分。想像してみるだけで、おかしかった。

 ちょっとした笑いが込みあがってきたが、それはすぐに引っ込んでしまった。胸騒ぎが止まらないのだ。いい加減、心配にもなってくる。

 
 優れたGSである美神にすれば、こういう不自然な胸騒ぎは、なにかしらの前触れである可能性が高かった。現に、幾度かこういう体験をしたこともある。単なる思い込みで終わったこともあったし、そうでないときもあった。

 だんだんイライラしてきて、頭を軽く掻いた。こういうときこそ、横島のやつを殴ってやって、すっきりしたいところである。

 そう思ったら、少し唇が緩んだ。横島の、いつまで経っても変わらない、あの情けなさを思い出したのだ。

 緩んだ顔をしたまま、


(――アンタ、いつまで私の助手なんかやってるつもり?)


 と、宙に向かってうそぶいた。

 美神は、よくよくそのような質問を、彼に向かって投げかけてみたくなるのだった。しかし今のところは、言わないつもりでいる。もう少しだけこのままの関係でいても、きっと罰は当たらないだろう。


 横島くんとおキヌちゃん、タマモにシロ――それと、私。


 その関係は、美神には悪くないように思われた。ちょっと騒がしいかもしれないが、それくらい賑やかな方が、かえってちょうど良いに違いない。 


 不意に、美神は、重々しげに息を吐いた。最近の彼女の、癖になりつつある仕草である。

 というのも、彼女には分かっていたからだ。その関係の終わりが、もう間近に迫ってきていることを。


 ――横島忠夫。十九歳。


 当初は、まるで普通の一般人であり、彼がやがて霊能に目覚めると気付いた人間が、果たして何人いただろうか。一番身近にいた美神でさえ、その才能に気付くことはなかったのである。

 しかし彼は、いつしかGSになっていて、助手ではあったが、いまでは正式な社員として美神の事務所で働いている。給料も人並みに上げてやったので、もうかなり貯えはあるだろう。その実力も、ここ最近ぐんぐん伸びてきている。

 しかし実力が増すにつれて、彼特有の情けなさの質が変わってきてもいた。美神にはそれがよく分かった。ずっと一緒だったのだ。それくらい、すぐに気付いて当たり前である。


(――本気だとは思うんだけど、ね)


 彼の情けなさの奥底に、どこか余裕が感じられるのだ。

 おそらく彼本人としては、グロテスクなゾンビなどを、いまだに真剣に怖がっていて、怯えたりしているのだろう。しかし自身でさえ気付かない心の奥深いところで、昔の彼からすればぞっとするような冷静さを宿しているのだ。


(……やっぱり変な奴よね)


 そう思わざるをえない。本気で怖いのに、実は怖くない。どっちつかずの、奇妙な精神をしているといえた。


(ま、アイツが変なのは、昔からか) 


 ――いまさらであった。そんなことは、初めて会ったときから分かりきっていたことではないか。

 なんだか妙におかしくなってきて、また笑いが込み上がった。美神は、今度こそうまく笑えるような気がしてならなかったのだが――。

 しかし、あともう少しというところで、美神は飛ぶように駆け出していた。強烈な魔力を、そう遠くない辺りから感じたのである。

 すぐに感傷のようなものを脱ぎ捨てて、


「まったく、朝っぱらから迷惑な奴ねっ!」


 と、悪態をついた。

 急いで装備を取って、着替え始めた。それと同時に、ドタドタと階段を下りてくる足音が聞こえた。少し遅れて、おキヌも起きたようだった。すぐそこのドアが開く音がする。


(――流石にみんな早いわね)


 満足そうに頷いてから、寝室のドアを開けた。目の前には、すでに全員が揃っている。


「美神殿っ!」


 と、一番に声を上げたのはシロであった。「あの魔力、いったい何事でござるか!」


 言いつつ、美神に詰め寄った。その白い顔は、いまではうっすら赤みがかっていて、息もねっとりと熱い。血気盛んな、シロらしい興奮であった。

 美神はそれに押される形で、後ろ歩きで寝室に戻った。ぞろぞろと皆が続いた。

 全員が寝室に入り終わる頃に、


「――分からないわ。だけど、ヤバイってことだけは確かね」


 と、美神はシロを見つめて言った。ついでタマモとおキヌに目をやった。二人はなにも言わず、眼だけで頷いてみせた。

 それに頷き返してから、


「じゃあ」


 と口を開き、これからの指示を出しかけて――そこで、ふと魔力が消失した。


「えっ?」


 と言ったのは、誰だったか。もしかすると、この場にいた全員であったのかもしれない。

 ともあれ、どういうことかは分からないが、魔力を感知できなくなったことだけは確かであった。美神は皆の呆然とした顔を眺めながら、


(まずいわね――)


 と、ことの危険さに焦った。

 誰かがなんらかの結界を張って、戦闘に突入している可能性もあるが、もし魔力を隠蔽できるような敵であったら、不意打ちを喰らいかねない。


(……殺されたっていうのは、いくらなんでもあり得ないわよね)


 一瞬で殺されるというには、その魔力が強大すぎた。可能性は低い。

 となれば、結界か、あるいは特殊な敵であるかの二択ぐらいしか思い付かなかったが、今回はおそらく前者であろう。魔力を消すタイミングが、いかにもお粗末過ぎたのだ。あれでは気付いてくださいと言っているようなものである。


「――人工幽霊一号」


 と、鋭く呼びかけた。


「この辺りで、不自然な歪みのある場所はない? なんでも良いわ、あったらすぐに教えて」


『畏まりました』


 すぐさま、きびきびした返事が帰ってくる。

 しかし美神はその声を聞き流していた。

 誰かが戦っているとしたら、こちらも参戦するべきかどうか、それを決めかねていたのである。相も変わらず、彼女はそういう損得勘定の狭間で揺れ動いていた。

 悩みつつも、美神は視線をおキヌたちに戻した。先程の言葉で緊張を取り戻したのか、彼女たちは真剣な眼でこちらを見つめている。

 その顔は、妥協などまるで許さないような、真摯なもので溢れていた。


(――そういえば、この子たちが黙ってるはずもないか)


 所長である、この美神令子の思惑など、彼女たちにはあまり関係ないことなのだろう。

 今の美神には、不思議とそれが心地良く感じられた。すっきりした思いで、


「まずは待機するしかないわ」


 と、全員に声を掛けてから、


「――おキヌちゃん、お茶煎れてくれない?」と言って、優しく微笑んだ。


「はいっ!」


 緊張が抜けないのか、おキヌはやたら張り切った様子で台所に向かった。

 つぎに、横島の家へと電話をしてみたが、いくら待っても、でる気配はない。


(なにやってんのよ、あのバカは……)


 なんとも口惜しかったが、とりあえずは諦めて受話器を下ろした。文珠の戦力は惜しいが、この際仕方がないだろう。

 タマモはそれを興味なさそうに眺めていたが、


「ねえ、ちょっといいかしら?」


 と、今日初めて口を開いた。「私とシロなら、現場なんてすぐに分かるけど」


 タマモはシロをちらりと見てから、美神に問いかけた。


「どうする?」


「――そうでござるよっ! タマモもたまには良いこと言うでござるな!」


 シロは、嬉しそうに大声を上げた。「美神殿、拙者に任せてくだされ!!」


「……あんたたち、あんな強い魔力の中で分かったの?」


 美神は目を丸くして言った。先程のような強大なエネルギーであったら、普通、霊感が狂わされてしまって、正確な場所など分かろうはずもないのだ。


「もちろんでござるよっ!」


 しかしシロはこともなげに言ってのける。反応こそ乏しいが、タマモも当然のように澄ました顔をしていた。


「――やるじゃない、二人とも」


 美神は挑戦的な笑顔を浮かべて言った。身体の深いところが、ぞくぞく震えてくる。「おキヌちゃん、お茶は後回しよっ! すぐに出るわ!」


 確認するように二人を見据えてから、寝室を出た。その後ろをシロとタマモがついてくる。二人とも黙っていたが、その攻撃的な雰囲気は隠しようもない。

 ふつふつとテンションが上がってきた。今日の調子は悪くないらしい。興奮を抑えきれず、歯を強くかみ締める。


(どこのどいつか知らないけど、好き勝手やってくれるじゃない)


 ただし、私のシマを荒らしたんだから、この代償は高くつくわよ。


「――みんな、準備はいい?」


 玄関を前にして、ぐるりと三人の顔を見回す。それぞれが、程よく昂ぶった良い顔をしていた。準備は万全のようだった。

 ひとつ、小さく頷いてから、美神は軽快にドアを開けた。





 移動手段は、徒歩となった。遠く離れていないどころか、ごく近所であると、くんくん鼻を鳴らしながらシロとタマモが言ったのだ。

 徒歩にすると決めたら決めたで、二人はすぐさま駆け出した。


「――ちょっ、ちょっと早すぎるわよ!」


 人間ではない彼女たちが本気で走ると、とてもじゃないが、ついていけない。美神は、仕方なさそうに止まって待っている彼女たちに追いついてから、


「戦闘前に疲れたら、元も子もないでしょ?」


 と、少し恥ずかしそうにごまかした。二人についていけなかった自分が、ちょっと悔しかったのである。


「――それに、おキヌちゃんもいることだしね」


「わ、私なら、大丈夫ですから…」


 と、すでに息切れしているおキヌが言った。やせ我慢であることは、誰から見ても明らかだ。


「そんなことより、早く進まない?」


 と、待ちくたびれて、タマモが急かした。シロは遠慮したのか、一言も文句を言わなかったが、同意見であるらしい。退屈そうに、足をぶらぶら揺すっている。

「そうね」と、美神は頷いて、それから四人揃って小走りに走り出した。

 五分ほど走り通すと、


「近いわ」


 と、タマモが声を抑えて言った。

 美神はそれを聞いて、隣を走るシロを見た。シロは少し殺気立った声で、


「タマモの言う通りでござる」 


「そう。じゃあ、ここからは歩きましょう」


 神妙そうに美神は言った。

 周囲を警戒しながら、しかし足早に歩いていった。

 美神たちは、歩きながら集中を研ぎ澄ましていったが、一向に怪しい気配を感じなかった。その残滓のようなものはわずかに見受けられるのだが、いまいちピンとくるものがないのである。


「おかしいわね」


 と、こっそり呟く。「もう終わったのかしら」


 結界も見当たらなかった。いよいよ気が抜けそうになったとき、


『血の匂いっ!!』


 と、シロとタマモが同時に言って、一気に駆け出した。二人は公園の方に向かっている。


「拙者としたことが! この魔力の所為で気付かなかったでござるっ!!」


「ちょっと、二人とも待ちなさい! 危ないわよ!」


 美神の掛け声でも、二匹の本能は抑えきれない。おキヌと顔を見合わせてから、二人を追って全力で走り出した。





 公園には、ぽつんと魔族の死体が転がっていた。その付近には、攻防の為であろう二つの巨大な穴が、痛々しく地面に刻まれている。どうやら人間は死んでいないようだった。


(――やっぱり結界だったのね)


 と、美神は顔をしかめながら思った。これ程の戦闘の激しさであれば、一瞬で終わったとは考えにくい。

 ひどく、魔族の血が臭っていた。人間でここまで臭うなら、シロとタマモはかなりきついだろう。そう思って二人を見たら、案の定辛そうにに鼻をつまんでいた。美神は手で口を覆いながら、魔族に近づいていった。

 その魔族は、無残にも二つに切り離されていた。流石の魔族であっても、これでは生きてはいられまい。

 よくよく見ても、美神にはそれ以上分かることがない。すぐに飽きて、


「タマモ、シロ。あんたたち、何か分かる?」


 と、駄目元で聞いてみた。

 二人はちょっと躊躇ったが、鼻から指を離した。堪えるように顔を歪めながら、魔族に近づき、匂いを嗅いでいく。

 暫くすると、シロの身体がピクンと震えて、


「――これ、先生の?」


 と、喉の奥で言った。


「そういえば、横島の匂いに似てるかも…」


 タマモも続いて言った。


「横島くんの?」


 と、美神が意外そうに言うと、二人は曖昧に頷いた。


「確信は持てないけど、多分、そうだと思うわ」


 そうよね、とタマモは同意を求めて、シロを見た。自分よりも、シロの方が横島に詳しいと思っているのだろう。


「拙者もそう思うでござる。これはちょっと違うけど、確かに先生の匂いでござるよ」


 美神は腕を組んで考え込むふりをしたが、実際考えるまでもなかった。二人がここまで言うなら、おそらくそれは事実なのだろう。

 それよりも、横島の底知れない勝負強さにこそ、驚いていた。


(あの横島くんが、ここまでやれるなんて――)


 複雑な想いが、なくはない。これでも、一応は師匠を名乗っている者としては、弟子の成長は素直に嬉しかったが、ここまで強いとなると……。

 もちろん、純粋にやり合って勝ったとは、いくら美神といえども思いつかない。誰かと共闘したか、もしくは、なにか特別な幸運のようなものが彼にはあって、今回もそれが作用したのだと考えている。

 しかし事実は事実であった。横島が魔族と戦って、勝ったことには変わりはない。

 美神は、いつの間にか自分に視線が集まっていることに気付いて、はっと我に返った。慌てて、


「横島くんなら大丈夫よ。魔族は死んじゃってるし、無駄足だったみたいね」


 と、言った。「さ、帰って寝直しましょ」


「――美神殿は、先生のことが心配でござらんのか」


 帰ろうとして足を動かしたら、非難がましく、シロが言った。

 言われて、美神は自分が動転していて、横島の安否について深く考えられなかったことに気付いたが、いまさら心配するのも、なんだか過保護のように思えて、そのプライドが許すところではない。


「あいつは殺したって死なないような奴なんだから、大丈夫に決まってるじゃない」


 と、切り捨てた。「いいからさっさと帰るわよ」


 美神は率先して自宅へ引き返していったが、三人は戸惑ったように動き出そうとしなかった。


「拙者、先生の家に行ってみるでござる」


 と、やがてシロは反対方向へと走り出した。自然、タマモもそれに同行した。なにも言わないまま駆けていった。


「美神さん…」


 と、おキヌは呟いて、美神にそっと寄り添った。


「おキヌちゃんも、遠慮なんかしないで行っていいのよ」


 どうしてか無性に腹立たしくて、美神は突き放すように言った。

 
「いいんです、私は」


「そう……」


「そうなんです」


 ちょっと笑ってみせてから、おキヌは顔を俯けて、黙ってしまった。二人の靴音が、静かに朝の空気を震わせていた。


「――ほんと、バカね」


 美神は疲れたように言った。おキヌのことか、自分のことか。あるいは、その両方であったのかもしれない。


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