椎名作品二次創作小説投稿広場


求めるものは

第一話 予兆


投稿者名:湯
投稿日時:04/ 7/ 4

 ようやく陽が昇り始めた頃、ベンチに寝そべっていた横島は急に目を開けて、


「ちっ」


 と舌打ちし、したと思うとすぐさま跳ね起きた。ちらりと上方を見やって、それから四囲を素早く見渡した。空は微かに明るんでいたが、その陽光はいまだ地面に届いていない。


 視線を上空に戻してから、



(出るか…?)



 と、焦った。文珠が出ないとすれば、逃げることすらままならない。空をじっと見据えた横島は、じりじりと逸る気持ちを抑えて、急いで霊気を練った。



 やがて手中に固い感触が生まれた。



 ――ひとつ、か。



 まったくもって心許ないが、これで善しとすべきであった。つい先程まではカラに近い霊力だったのである。横島は縋りつくようにその文珠を握り締めてから、再び体内へと還元した。


 なんにしろ、使いどころを見極めることこそ重要であった。おいそれと切り札を使ってしまっては、おそらく今回は生き残れないだろう。横島はそういう覚悟をどうしても持たざるをえない。恐ろしく力強い魔力の余波が、上空から彼に向かって叩きつけられているのである。



 文珠の生成に少し遅れて、生ぬるい風が吹きつけてきた。


 遙か上空に、人影が見えた。その影と遠く霞むような距離を挟んで、



(昨日のやつじゃない…)



 と、横島は静かに落胆した。


 初めての相手ともなれば、そもそもが非力な人間に過ぎない彼にとってはやり難いことこの上ない。昨夜の敵であったら、その癖や性質を掴んでいたこともあって、おそらく逃げ切れる可能性は増していたであろう。



 ふと、その落胆を見抜いたわけではないだろうが、彼の落胆に倣うように、影が揺らいだ。そう見えた瞬間、空気が刺すように張り詰めた。



 ――結界っ!?



 と、横島は動揺し、わずかに浮き足立った。


 薄い膜のようなものが大きく周囲を覆っていた。それを見た横島は、一瞬空からの脅威を忘れ、そこから注意を逸らした。


 途端、人影は空を駆け降り、横島に肉薄した。横島は大きく遅れをとって、その目視はかなわず、代わりに何かを肌で感じ、感じるままに横っ飛びに跳びずさった。



 その残影を光弾が貫いた。土砂が舞い、土煙がひしめいて昇った。その只中にあって、横島は闇雲に駆け出していた。



 ――止まったら、死ぬ。



 そう直感していた。彼はもとより自分の直感を信じて疑わなかったが、それは彼の師である美神令子から叩き込まれたことでもある。



(美神さんなら、どうする…?)



 と、こういうとき彼は常にその模倣に努めた。それはいまをしても例外とはなりえない。


 煙の中から脱し、視界はいよいよ鮮明になった。が、彼はそれでも止まろうとしない。脇目も振らず走って、走りつつ霊波刀を右手に出現させた。霊気の放出感が身体を駆けぬけ、それを追って馴染み深い重みが掌に加わる。


 同時に、視界の端で何かが光った。



 ――後ろ…!?



 意表を衝かれ、心臓が波打った。が、横島はそれに危うく気付き、気付いたときには振り向きざまに霊波刀を走らせている。


 そのまま力任せに横薙いだ。引き裂かれたそれはあらぬところへ飛び散って、四散した。



 またしても光弾であった。魔力が凝縮されたそれは、触れるだけでも大きな痛手となる。



 ともあれ、なんとか無難にやり過ごしているといえるだろう。その甲斐あって、横島にもようやく余裕のようなものが生まれてきた。



 ――いけるか。



 という自信が湧き、立ち止まって真向かいの敵と対峙した。



 やがて、土埃が晴れた。眼前の魔族は舐めるようにこちらを窺っていた。



 無論、それは横島の初めて見る顔であった。身体中が墨に濡れたように黒く、同様に黒く染まった翼がふさふさと茂っている。眼は細く吊り上がっていて、頭から突き出た角と相まって恐ろしい相貌であるといえるだろう。


 上背は、頭三つ横島より抜き出て大きかった。その巨体さもあって、全身から力が溢れているような、動物のように躍動感に満ちた肢体である。



 その魔族をじろじろと眺めてから、横島は、



「どうした? そんなもんでお終いか、このカブト野郎」



 と挑発してみた。それから、いっぱしに名乗ってみろよ、聞いてやるぜ、と憎たらしげな顔で続けた。


 が、内心は、



(こんな恐ろしげな奴とは付き合っとれんわっ!)



 と、まったくひどい弱腰であった。何しろ理性があるかどうかさえも分からないような、獣じみた不安定さをその体躯に滲ませているのである。


 こういうヤバそうなのは美神さんたちに退治してもらわんと、と彼にすればまったく妥当な計算をし、もはや逃げおおせることしか頭に浮かばない。ここまで危なそうな魔族を想定していなかったし、それに加え、彼の習性であるかのように染み付いた臆病さが、そうするように彼に働きかけているのである。



 だが、なんであれ横島はそういう惰弱さを一切表に出さないでいる。ある程度の経験を重ね、さすがの彼でもおおよそ弱みを悟られることの危険を学び、自制の術を覚えるまでになっていた。



 魔族は荒々しい呼吸を繰り返した。その両眼を赤々と血走らせ、おびただしい唾液を滴らせながら、



「……ゲシュタルトと呼べ」



 と、低く唸るように言った。


 言い終わるなり、引き締まった体躯を絞るように屈めた。早速なにかしらの行動をおこすつもりなのだろう。


 横島はそれを察し、その機先を制すように、



「ちょっと待った!」



 と、声を張り上げて霊波刀を消した。ついで降参したように両手を挙げた。


 ゲシュタルトはいまにも飛びだしそうな即発さではあったが、それでも長い舌をぶらぶら垂らし、不思議そうに横島を見やった。



「どうした」



 と喉の奥で呟いた。



「お前の目的は?」


「……目的?」


「ああ、もしそれが分からないまま死んだんじゃ、死んでも死に切れないからな。お前、かなり強そうだし」



 淀みなく言いながらも、横島は当然のように、



(どないせいっちゅーんや!!)



 と、嘆いている。破れかぶれの挑発をしてはみたものの、その効果は認められず、逃げる機となるような、ほんの小さな隙すら生じないのである。


 しかし、とにかくいまの最善は時間を稼ぐことには違いない。



(こげなイカレ野郎に殺されるのはイヤやっ!!)



 と、自らを奮い起たせ、鬼気迫る形相でゲシュタルトを睨んだ。


 ゲシュタルトは考え込むようにその緊張を解いて、頭を垂らした。それから右や左に身体を揺らし、空を仰いだりしてから、



「お前…、お前が、俺を呼んだ」



 と分かったような分からないようなことを口走った。



「俺が呼んだ?」


 
 横島は呆けたように聞き返した。


 が、



 ――まただ。



 と、妙な胸騒ぎを覚えてもいた。


 昨夜、突然現れて攻撃を仕掛けてきた魔族も、それと似通ったことを言っていたのである。かれら魔族はどことなく分かっている風であったが、しかし当の彼にはさっぱり分からなかった。第一、自分がこんなぶっ飛んだ魔族を呼ぶはずがないではないか。



「いつ俺がお前を呼んだんだよ」



 と、探るように言った。



「……」



 しかしゲシュタルトは口を閉ざし、律儀に答えるつもりもない。やがて痺れを切らしたように一声吼えると、一歩、二歩、と重々しく歩を進めた。


 横島はその動きを冷静に見つめつつ、しかし微動だにしなかった。


 やがて呆れたように肩を竦めて、



「――まあ待てよ」



 と、言った。


 嘲るような声であった。ゲシュタルトの接近をまるで意に介さないような、そういう不遜さを隠そうともしていない。


 意味深な笑みと共に、



「もうちょっと落ち着いたほうが良いんじゃないか?」



 言われて、ゲシュタルトはまたしても止まった。見かけによらず用心深いようで、横島の見せる過度な余裕が気になったのかもしれない。


 味わうように、その挙動を探っている。



(…こいつ、意外と良い奴なのかも)



 しかし横島にすれば、それは嬉しい誤算であった。この魔族はその力が強大である分、頭が中途半端に回らないらしく、正直すぎるように思えたのである。


 となれば、



 ――逃げられなくも、ない。


 
 彼には文珠がある。その特性として、一瞬の機会で立場を逆転させることも不可能ではない。


 
「この俺が、お前みたいな魔族と意味もなく話すと思うか?」



 と、切り出した。そしてさらに笑みを深めてから、「後ろを見てみろよ」と意地悪そうに顎をしゃくった。



 自然、ゲシュタルトはのっそり顔だけで振り返った。もちろん、そこになにかしらの仕掛けがあるはずもない。そんな暇は横島にはなかった。


 が、魔族の関心が離れたその瞬間、その小さな隙を、横島は待っていた。



『速』



 念を、文珠に込めた。込めると同時に、横島は風のように駆けていた。ゲシュタルトは慌てて横島を探したが、そのときには、彼は公園の出口、結界の境い目にまで到達している。


 勢いに乗ったまま、一気に結界を突き破ろうとした。霊気を大量に費やし、身の丈ほどもあるかという霊波刀を創りだして突っ込んだ。が、



 ――なんだっ…!?



 と、思いのほか手応えが感じられず、代わってぬるっとした感触が手に走り、横島はいよいよ焦った。


 結界はゴムのように霊波刀を包み込み、ついには飲み込もうと蠢いている。横島は結界に足をつき、地面と平行になって霊波刀を引き抜いた。


 振り向くと、すぐ後ろにはゲシュタルトが迫っていた。長い爪を振りかざし、大きく口を開いて威嚇している。


 それを見たときには、すでに横島は無我夢中のなかで叫んでいた。


 絞るような大声に乗って、様々な不安が吹き飛んでいく。白いなにかが靄のように頭をよぎり、血が騒いだ。


 結界を足場にし、その反動で思い切り跳んだ。かっと身体の芯が燃えて、霊波刀が膨れ上がった。



「こん、悪魔がぁっ!!」



 絶叫と共に、袈裟斬りに斬りおろした。その情動の激しさを前にし、ゲシュタルトはわずかに鼻白んだが、両手の爪を幾重にも交差させ、なんなくそれを受け止めた。


 横島はしかし気にせず、咄嗟に空いた左腕を振り上げた。意識したわけではなかった。彼自身の意識は朧と化し、別のなにかが彼を動かしているようでさえあった。


 ともあれ、そこから巨大な霊波刀が生えるやいなや、ゲシュタルトの腹を貫いていた。ギャッと喚いて、その両腕がやや下がった。横島はすかさず右手の霊波刀を押し込んで、そのまま真っ二つに切り裂いた。



 魔族の血が飛び散った。途端、結界は消えた。


 横島はその場で仰向けに寝転んだ。息は荒い。戦いの余韻が深く身体に沁みいり、熱っぽかった。


 ふと、もう辺りが暗くないことに気付いた。どうにも落ち着かなくなって、重い腰を上げた。



 ――じゃあな。



 と、千切れた亡骸に一瞥を残し、よろよろと自宅に向かって歩き出した。


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