静けさがゆったりと染み渡っている。
星は輝き、草木はそっと撫でるように風に揺られて、どこからか虫の鳴き声も響いてくる。澄んだような穏やかさで、その公園には人影らしきものは見えない。
と、不意に湿った風が針のように吹いて、眩い閃光が駆け抜けていった。辺りが昼のように照って、にわかに虫たちが鳴き止んだ。
次第に光は薄まり、いつしかそれはちりぢりに散っていった。そしてその粒子のように細かい多くの光点、そこから一人の男が浮き上がったとき、ゆるやかだった空気は途端に冷えたような引き締まりをみせた。風は止んで、この場が停滞したようでさえある。
その男は空を仰いでいた。じっと目を凝らし、その両眼は射抜くように鋭い。先程の光はもう消えていて、男の姿は溶けるように暗がりに沈んだ。
やがて大きく息を吐き出してから、男は脱力してその場に座り込んだ。すると空気が弾かれたように回転を再開した。剣呑な雰囲気はすっかり公園から霧散していったが、しかし依然として男の注意は空ばかりに注がれている。
(今来られたら、ほんと死ぬぞ…)
来るなよ、来るなよ、と男は念じるように口に出した。
事実、その男は呆れるほど疲れ果てていた。男の霊力はもとより、体力すらその底を尽きかけていて、およそ戦えるような状態は通り越している。
その疲労を物語るように、男の服は所々が裂け、そのほとんどから血が滲んで黒ずんでいた。痛そうにそれらを触ったり動かしたりしてみてから、さすがにもう来ないみたいだな、と目敏く見切りをつけて、ようやく立ち上がった。
(しっかし、結局何だったんだ、あいつ…?)
と男は首を捻った。あれこれ考えを巡らせながらのたのたと歩き、やがて手頃なベンチに倒れこんだ。浅く目を閉じてみると、あっという間にまどろんだ。
このことは今すぐにでも報告すべき内容であるかもしれなかったが、男にすればもう一歩も歩きたくない。自分には関係があっても、他の皆にはそう関係があるようにも思えなかったのである。
(……でも、めっちゃ好みだったな)
ふと先程の魔族を思い出し、まどろみのなか、男は好色そうな忍び笑いを漏らした。それから、あの乳は美神さん以上だ、などと傷の痛みも忘れて、すぐにいつものような妄想に耽り始めた。
それは無意識の所作ではあったが、男は知らず知らずのうちに自らの霊力を高め、自衛に備えている。男の霊力源は彼の嗜好と直結したところにあり、そういう意味において彼の霊力はまったく便利なものであった。
男は充分にそれを楽しみ、そして満足すると、代わって深刻な現状に思いを馳せた。が、
(――まあなんにしても、明日美神さんたちに話してみよう)
と、すぐさまきっぱりと打ち切った。考える役目は自分には求められていないだろうし、自分の頭がそれほど回るわけでもないことを知っていた彼は、信頼できる彼の上司と仲間とにその役を譲ることを惜しむはずもなかった。それになにより男は眠かった。彼の霊力源が煩悩であるように、彼の身体は本能に対して比較的従順にできているのである。
男はうっすらと目を開けて、もう一度空を見やった。異変はまったく感じられない。ただ星が瞬くばかりである。
(蛍、か……)
と、それらの星がふと蛍に思えて、男は久しぶりの感傷に没頭しようとしてみた。しかしどうにもうまくいかず、男は残念そうに頭を振った。打ち寄せる現実の波に過去の想いが色褪せ、その輝きを失ってしまったのはいつからだったか。
(俺は、ルシオラを殺してまで、こうして見苦しく生き抜いてまで、いったい何がしたいんだ?)
そう思わなくもなかった。男にすれば不思議でならなかったし、ときたまそういう自分が無性に許せなくもなる。
しかし、ふと感じるときがある。蛍の残り火、それが淡く身体の奥底で疼いて、その存在をか細く主張するのを。そういうとき、男は確かに生きることを肯定されていて、そして優しい彼女の想いもはっきりと思い出せるのだ。
(別に命日ってわけでもないのにな…)
男はどういうことか感傷的になっている自分を発見して、思わず嬉しくなった。感傷に浸ろうとして浸れるなど、今の彼にとってはそうそうあることではない。
暫くそのまま星を眺めてから、男――横島忠夫は、やがて深い眠りに落ちていった。全ては明日、最後の星明かりが費えてからのことである。