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短編連作シリーズ 『ある人々の一日』

ある聖職者の一日


投稿者名:みはいろびっち
投稿日時:04/ 4/ 3

窓から差し込む一条の日光とそこから聞こえてくる鳥のさえずりによって、今、一人の男が朝の目覚めを迎えていた。

彼は寝台から起き上がると一度小さく伸びをして、壁に掛けてある時計へと目をやり、時間を確認してから隣にたたんでおいてあった僧服へと手を伸ばした。

服を着、身なりを整えてから、彼は隣の聖堂に行き、その祭壇の前までゆっくりと歩いた。

そしてそこで膝をつき、頭をたれ、朝の祈りをささげる。

「父と子と聖霊の御名において。主よ、迷えるあわれな汝の子らが今日も一日心安らかに過ごせますよう。アーメン。」

穏やかに祈りをささげる彼の耳には、どこからともなく精霊たちの声が響いてくるのであった。






「だんな〜〜。今日の朝めしはまだですかい?」

「ナスビ〜、ナスビ、ナスビ〜〜〜。」

「あっし、とりあえず水がほしいんでげすが。」

「トーキビッ。ト〜〜〜キビッ。」






「しゅ、主よ。どうか!どうかあの飢えたる精霊たちに落ち着きと秩序を賜れんことを!アーメン……。」

彼は一心不乱に神への祈りをささげるのであった。






唐巣和宏50歳の春のことであった。






神父の一日というのは案外忙しいものだ。

彼は主に除霊を行うことによって得られるお礼でその生活を支えているのではあるが、神に仕える聖職者である以上、他のGSのようにただそれだけをやっているわけには行かない。

彼にとってもっとも大事な仕事は彼の教会を訪れる様々な人々に救いを与えることだといっても良いだろう。

この日もすでに迷える人々が何人も彼の教会に救いを求め、訪れていた。

神父はあるときは悩みを聞き、助言を行い、またあるときには静かに懺悔を聞き、慈父のような微笑を浮かべ、ただ許しの言葉を与えた。

こうしてあらゆる人々がその心に悩みを抱えてここを訪れ、晴れやかな顔になって去ってゆく、そんなこの教会にまた新たな人物が訪れたのだった。


「こんにちは。しんぷさま。」

「やぁ、こんにちは。ひのめくん。」

入り口から入ってきた愛らしい少女の姿を見て神父はとたんに顔をほころばせ、挨拶を返した。

「今日は一人で来たのかい?」

「はい。きょうはお母さんもおねえちゃんたちもおしごとで出かけてます。」

「なるほど。じゃあ今日はゆっくりしていくといいよ。」

「ありがとうございます。」

神父は礼儀正しく答えた少女をいとおしげに見つめてから語りかける。

「じゃあちょっとそこに座っててもらえるかな。お茶とお菓子をもってこよう。」

「はい。ありがとうございます。」






しばらくの間、二人はお菓子を食べながら話をしていた。

ひのめが今日幼稚園であったことを語り、神父はときおり相槌を打ちながら彼女の話に耳を傾けていた。

ひのめの話も一通り済んだところで神父は彼女に尋ねる。

「皆が帰ってくるのにはまだ時間があるだろうし、今日は何をして遊ぼうか?お絵かきでもするかい?」

神父の問いにひのめは少し考えてから答える。

「しんぷさまのおはなしがききたいです。お本をよんでもらえますか?」

「いいとも。ちょっとまっててね。」

神父はそう言ってから立ち上がり、本棚から一冊の本をとってくる。

「今日は『シンデレラ』にしようか。」

「はい!」

神父は輝くような笑顔を浮かべて答える少女に対し、優しく微笑んでから物語を語り始めるのだった。

「むかしむかしあるところに……。」







「……シンデレラは王子様と結婚し、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」

パチパチパチ

満面の笑顔で拍手をするひのめに、神父は少し照れてから真面目そうな顔をして語りかける。

「いいかい、ひのめくん。」

「はい。」

「シンデレラはね、わがままで、気が強くて、ケチなお姉さんや、計算高いお母さんに囲まれて育ったんだけど、素直で気性のまっすぐないい子に育ったんだ。だから彼女は最後に幸せになれたんだよ。」

「そうなんですか?」

不思議そうな顔をしてたずねるひのめに神父は大きくうなずいてから続ける。

「うん。だからね。ひのめくんも素直でまっすぐないい子になるんだよ。」

「はい!」

神父は元気に答えるひのめに何度もうなずきながら、机の下で小さくガッツポーズを取るのであった。






「さて、次の話は何にしようかな。」

まだ時間があることから、何かもう一冊本を読もうと考えた神父は立ち上がって本棚で本を探していたが、ふと先ほどから少女の声が聞こえないことに気づき、振り返った。

「ひのめくん?どうしたんだい?」

「え?」

うつむいていた少女は神父の声に顔を上げ、驚いたような声を上げたが、優しげな顔をして尋ねる神父に対し、ためらいながら尋ねる。

「あの、しんぷさま。」

「なんだい?」

「シンデレラさんにはお父さんはいないんですか?」

「え……。」

その質問に一瞬言葉が詰まった神父であったが、ひのめの真剣な表情にここで適当にごまかしてはいけないと感じたようだ。

「シンデレラのお父さんはね、まだシンデレラが幼いころに亡くなってしまったんだよ。」

「えっ。……。」

神父の言葉にひのめは驚き、泣きそうな顔になってつぶやく。

「そんな……かわいそうです…。」

「そうだね。シンデレラはお継母さんやお姉さんとも打ち解けることができなかったから、とってもさびしかっただろうね。」

神父は優しく微笑みながら少女に語り掛ける。

「でもね、シンデレラはいつも幸せになろうと一生懸命だったんだ。そんな彼女だったから魔女さんは彼女を助けようとしたし、王子様は彼女を好きになったんだよ。」

「シンデレラさんは……すごいです。」

心からそう感じたのか真剣な表情で話すひのめに、神父は顔をほころばせてたずねる。

「そうだね。ひのめくんもシンデレラさんみたいになりたいかい?」

「はい!」

「じゃあ、がんばらないとね。」

神父はそういってひのめの頭を優しくなでるのだった。






神父はしばらくしてから本棚からとってきて以来持ったままだった本のことを思い出し、ひのめにたずねる。

「あぁ、そうだった。まだ時間もあるし、もう一つお話をしようか。」

「はい。」

神父は答えるひのめに優しく微笑みかけてから新たな物語を語り始める。

「これは『リア王』という王様のお話なんだ。リア王には三人の娘さんがいてね、上の二人はわがままで、気が強くて、ケチなお姉さんたちだったんだけど三番目の娘はとても心の優しい子だったんだ。……。」

なにやら神父の話す物語の登場人物に激しい偏りが見られる気がするのは、何か狙いがあってのものなのであろうか。







仕事帰りにスーパーでの買い物を済ませたその青年は、買い物袋を片手に教会へ向かう道を歩いていた。

「ん?よう、ピート。今帰りか?」

突然横から話しかけられた声に驚いてそちらを向くと、そこには彼がよく知る友人の姿があるのだった。

「横島さん。こんばんは。僕は仕事帰りに買い物を済ませてきたところですよ。横島さんも仕事帰りですか?」

「あぁ。昨日から泊まりの仕事があってな。いや、もう苦労したよ。ホント。」

心底疲れ果てたかのように言う横島にピートは笑いながら答える。

「お疲れ様です。」

「ピートはいいよなぁ。公務員は定時で帰れるんだろ?」

「まぁ、基本的にはそうですけど、結構残業とかもあるんですよ。」

なだめるように話すピートに横島は心底うらやましそうに言う。

「残業って残業手当がつくんだろ。いいよなぁ。」

「なんなら横島さんもオカGに入りますか?隊長たちは歓迎してくれると思いますよ。」

いたずらっぽい笑みを浮かべながらそう問いかけるピートに横島は心底いやそうな顔をして答える。

「ゲゲッ。勘弁してくれよ。あの二人の下で働くのは死んでもごめんだよ。おまえよく我慢できるよなぁ。」

自分の上司のことをすっかり忘れてそういう横島に、ピートは苦笑を浮かべつつ答える。

「あれで結構部下からの人望は厚いんですよ。隊長と西条さんが上層部にいろいろ掛け合ってくれるおかげで、僕たちの待遇はだいぶ改善されましたしね。」

「まあ西条のやつはともかく、あの人に脅しかけられたら上層部も嫌とは言えんだろうなぁ。」

横島の言葉にピートは首をすくめて答える。

「えぇ。この間なんか、隊長がどこかに電話をしたと思ったら五分もしないうちにその相手が駆けつけてきましたよ。」

「へぇ、上層部のやつか?」

「どこかで見た顔だと思ったらオイズミ首相でしたよ。」

「……。」

「……。」

二人は顔を見合わせ、しばらく気まずい沈黙の時を過ごした後、まるでそれまでの会話が何もなかったかのように新たな話題に移るのだった。


「せっかくあったんだし、帰りにどっか飲みにでも行くか?」

「いいですねぇ。どうせなら教会で飲みませんか?」

ピートの言葉に横島はチラリと彼の持つ買い物袋に目をやってから答える。

「トマトジュースで一杯とかって言うんじゃねぇだろうな?」

「違いますよ。教会になら神父の秘蔵の日本酒がありますからね。」

笑いながら答えたピートの言葉に横島は驚いてさらにたずねる。

「あの人日本酒なんか飲むのか?」

「たまに飲んでるみたいですよ。このあいだ夜中に聖堂に明かりがついてたんで行ってみたら、神父が祭壇に向かって一人で泣きながら飲んでました。」

「……忘れよう。な。」

「……そ、そうですね。」

二人はある特定の女性たちによって与えられたであろう神父の苦労に思いをはせ、そっと涙をぬぐうのだった。






「……こうしてリア王と三番目の娘は二人仲良く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」

パチパチパチ

どうやら神父は二冊目の物語も語り終えたらしい。

聞かせる相手への配慮か、神父はシェークスピアの悲劇の傑作を無理矢理ハッピーエンドにしてしまったようだ。

「どうだい。面白かったかい?」

「はい。とってもおもしろかったです。」

神父は元気に答えるひのめをうれしそうに見つめてから、壁の時計に目をやって言う。

「そろそろ美智恵君たちも帰ってくるころかな?」

神父の言葉にひのめが少し考えているところに、この教会のもう一人の住人の声が聞こえてくるのだった。

「ただいま帰りました。」

「おっじゃまっしまーす。」

後から続いて聞こえてきた聞きなれた声にひのめが即座に反応する。

「お兄ちゃん!」

「あれ?ひのめちゃん。今日は教会に来てたの?」

「はい。お兄ちゃんはおしごとはおわったのですか?」

「やっとね。それで帰ってくるとこでピートと会ってね。」

横島は少し苦笑いを浮かべてからピートの方をさしながら答え、ひのめはそちらにいる人に気づいて挨拶をする。

「こんばんは。ピートさん。おじゃましてます。」

「こんばんは。ひのめちゃん。今日は神父の相手をしててくれたのかい?」

冗談交じりに問いかけたピートに対し、ひのめは笑って答える。

「しんぷさまにお本をよんでもらいました。」

「へぇ、何を読んでもらったんだい?」

「『しんでれら』と『りあ王』です。」

にっこりと笑って答えるひのめの様子にピートは顔を引きつらせてたずねる。

「リ、リア王って……た、楽しかったかい?」

「はい。とってもおもしろかったです。」

ピートは満面の笑みを浮かべるひのめを見て、自分の知るリア王の物語と悲しい結末とを思い浮かべ、この感性の違いは人間と吸血鬼という種族の差なのか、それとも700年ほどの開きのある世代の差なのか、大いに頭を悩ませるのであった。






「さてと、じゃあオレはひのめちゃんを送ってきますね。」

しばらくの間お茶を飲み、お菓子を食べながら四人で会話をしてから、時間を見計らって横島がそう声を掛けた。

「そうだね。お願いするよ。」

「はい。じゃあ、ひのめちゃん。荷物をとっておいで。」

「はい。」

神父の言葉にうなずいてから話しかけた横島の言葉にひのめは元気にうなずいて、隣の部屋に置いた荷物をとりに行った。

元気にかけていくひのめの様子を優しい目で見つめていた横島に、神父が声を掛ける。

「横島君。」

「はい?」

「……。」

「?」

切り出しあぐねたのか言葉に詰まった彼を不思議そうに見つめる横島に、神父は軽く笑って答える。

「いや、なんでもないよ。ひのめくんをたのむね。」

「……はい。」

横島はただ不思議そうな顔をして答えるのだった。






荷物をとって帰ってきたひのめの手を引き横島は教会を後にする。

「じゃあ、今日はご馳走様でした。」

「さようなら、ひのめくん。横島君。」

「さようなら、しんぷさま。ピートさん。」

「さようなら、ひのめちゃん。」

一通り挨拶をしてから横島はふと何かを思い出したのかピートに声を掛ける。

「あ、わりぃ。ピート、酒はまた今度な。」

「いいですよ。せっかくですからまた今度、雪之丞やタイガーも誘ってみんなで飲みましょう。」

「まぁ、あの二人はどうでもいいけど、弓さんと魔理ちゃんは誘っといてくれよな。」

そういって笑いかけつつ彼らは教会を後にするのだった。






「神父などといっても情けないものだね。一人の少女の悩みすら救えないとはね……。」

「え……?」

すでに二人の消えた曲がり角のほうに目をやりつつ自嘲するようにつぶやいた神父の言葉にピートは驚いて聞き返す。

「いや、まぁこれでいいのかもしれないね。あの子のことは彼に任せるとしよう。」

この五年間その成長を見守ってきた青年に思いをはせ、そうつぶやいた神父の顔には、少しの悔しさと彼に対する信頼とが見て取れるようだった。

ピートはただ不思議そうな顔をして頭をひねっていた。

「???」






教会からの帰り道、横島は困っていた。

原因は手をつないで隣を歩く少女である。

普段彼が目にするひのめは明るく礼儀正しい様子がほとんどであるといってもよかった。

そう、今のようにうつむきがちで沈んだ様子の彼女を目にする機会は彼にとってはあまりあることではないのだった。

教会で四人でいるときから彼女の様子に少し違和感を感じていた彼であったが、今こうして二人きりで歩いてみるとその違和感はいや増すばかりであった。

何しろ今日の彼女は何度も顔を上げようとしては途中で思いとどまり、またうつむいて歩くのである。

珍しいひのめの様子に横島は直接悩みを聞いてみるしか思いつかず、そうしようとしたが、ちょうどその時彼女もついに決心をしたのか一瞬早く彼に話しかけてくる。

「あの……お兄ちゃん。」

「えと、なんだい?」

「お兄ちゃんはわたしのお父さんのことをしってますか?」

「っ……。」

予想外のひのめの言葉に横島は一瞬硬直する。

「お兄ちゃんはお父さんにあったことがありますか?」

横島をじっと見詰めて問いかけるひのめに、少しためらってから答えを返す。

「……いや、オレはひのめちゃんのお父さん、公彦さんには会ったことは無いよ。」

「……そうですか。」

再びうつむいてしまったひのめに、横島は心を落ち着かせてからたずねる。

「お父さんのこと、知りたいのかい?」

「……わたしはお父さんのこと……よくしらないです。」

「……。」

「……あったことは……あります。でも、あまりよくしりません……。」

うつむいて小さな声でつぶやくひのめに横島は小さく深呼吸をしてから話しかける。

「オレが知っている話でよければ、ひのめちゃんのお父さんのこと、話してあげようか?」

「え……?」

驚いて顔を上げた少女に横島は優しく話しかける。

「唐巣神父に聞いた話でよければ……だけどね。」

「ききたいです。」

真剣な表情で答えるひのめの頭を優しくなで、近くにあった公園のベンチに二人で腰掛けてから、横島は彼らが生まれるよりも前の話を語り始める。

「この話はね、唐巣神父がひのめちゃんのお母さんと出会ったところから始まるんだ。……。」






「……そうしてひのめちゃんのお父さんとお母さんは結婚したんだ。」

かつて神父から聞いた話を一通り話し終えたあと、真剣な表情で静かに話を聞いていたひのめに横島は優しく語り掛ける。

「正直なところ、オレには公彦さんが日本に暮らす上での辛さっていうのはよくわからない。オレには他人の考えが聞こえてくるなんて力はないからね。」

横島はそういっていったん言葉を切り、一度目を閉じてから続ける。

「でも、隊長や美神さん、それにひのめちゃんをおいて一人で南米で暮らさなきゃいけないってことがどんなに辛いかは理解できると思う。」

「お父さんは……わたしのことはおぼえてないのかもしれません……。」

うつむいてそうつぶやいたひのめに対し、横島は彼女の肩に手を置いてゆっくりと話しかける。

「そんなことはない、と思うよ。オレはひのめちゃんのお父さんじゃないから断言はできないけどね。」

横島はそう言ったあと、うつむき沈んだままのひのめの様子を見てあわてて続ける。

「でも、ひのめちゃんはこんなにいい子に育ったんだ。もし、今覚えててもらえてなかったとしても、今度あったときにはもう絶対に忘れられないようになるさ。」

「でも……わたしはお父さんとあうときがほとんどありません。……それにばらばらにくらしててもおぼえててもらえますか?」

自信なさげにそう訪ねるひのめに、横島は自信を持って答える。

「美神さんなんてお父さんと打ち解けることができたのはハタチを過ぎてからなんだぜ。ひのめちゃんはまだまだ若いんだ、あせることはないよ。ひのめちゃんがお父さんと分かり合えるようになるチャンスだってこれから先いくらだってあるさ。」

「ほんとうですか?」

横島を見上げて不安げにたずねるひのめに横島は大きくうなずいてから、神父の昔話で聞いた言葉を思い出しながらさらに続ける。

「それにばらばらに暮らしてたって大丈夫だよ。ひのめちゃんのお母さんならきっとこう言うよ。『私たちは同じ時代の同じ星の上に生きているのよ。』ってね。ひのめちゃんが会いたくなったらいつだって会いに行けばいいさ。」

「……はい。」

小さく微笑んでうなずいたひのめを見て、横島はほっと胸をなでおろすのだった。






ひのめが少し落ち着いたのを確認してから再び帰路に着いた横島は、夕暮れの道を歩きながら意を決して彼女に声を掛ける。

「あのさ、ひのめちゃん。」

うつむき歩いていた顔を上げて横島のほうを見たひのめに、彼は指で頬を掻きながら問いかける。

「公彦さんがいなくてさびしいときはさ。……オレがお父さんの代わりっていうんじゃ……だめかな?」

「え……。」

横島の言葉に驚いた顔を浮かべたひのめは再び下を向き、しばらく考えてからポツリとつぶやいた。

「お兄ちゃんは……お父さんじゃありません。」

ひのめの言葉に横島は一度夕暮れの空を見上げ、再び彼女に顔を戻して話しかける。

「……そうか。そう……だよね。」

その横島の言葉に、ひのめはポケットから一枚の紙を取り出し、それを彼に手渡す。







『父兄参観のおしらせ。』






「え……?」

その紙に書いてある文字を見て呆然とつぶやいた横島に、ひのめは上目がちに尋ねる。

「あの……きて、もらえますか?」

「オ、オレが行ってもいいの?……これ。」

呆けたような表情でそう尋ねる横島に、ひのめはにっこりと微笑んで答える。

「はい。わたしのお兄ちゃんはひとりしかいません。」

「……ありがとう。」

横島は泣き笑いの顔でただそうつぶやくのだった。






「あれ、何を探してるんです?」

ピートは教会の前の掃除を終えたあと、書庫の明かりにきづいて、なにやら探し物をしているらしい神父に声をかけたのだった。

「ん?あぁちょっと今度ひのめくんに読んであげる本をね。」

「はぁ……。」

神父はふと手にした本を見てそばに立っているピートに問いかける。

「この話はどんなストーリーだったかね?」

「『源氏物語』ですか。それなら古文の授業で習いましたよ。」

ピートは神父の示した本を見て、高校のときに教師から聞いた話を思い出す。

「たしか主人公は光源氏……だったかな。なんか横島さんみたいな女好きの人だったのを覚えてますよ。」

「ほう。」

笑いながら語るピートの言葉に興味深げに反応を示す神父に、ピートは授業を思い出しながら答える。

「えと、たしか主人公が女の子を幼いころから自分の理想の女性になるよう育てて、その子と結婚したりするんですよね。」

「……却下だね。」

「?」

ピートの言葉に突然興味をなくしたのか、一言つぶやいて再び本棚をあさる神父にピートは不思議な顔を浮かべるのだった。







「ピート君。」

「はい。」

「女好きの男が人生に失敗する……みたいなおとぎ話はないかな?こう、男は誠実なのが一番!みたいなさ。」

「は?……どんなおとぎ話ですって?」

「いや。なんでもない。気にしないでくれたまえ。はっはっは。」

怪訝そうに聞き返すピートに、神父はさわやかに笑ってごまかしつつ、みたび本を探し始めるのだった。

どうやら神父の横島に対する信頼というのはそれほど厚くはないようである。






「ねぇ、ひのめちゃん。」

「はい。」

先ほどまでとは打って変わって上機嫌に事務所への帰途を歩く横島がひのめに声をかける。

「父兄参観に行くための服装って何がいいかなぁ?」

「はい?」

横島の意外な質問にひのめは彼がいつも着ている服装を思い浮かべ、どんなレパートリーがあるのかを疑問に思っているようだ。

「やっぱり幼稚園の授業参観ともなるときれいな女の先生や若奥さんもいるよなぁ。」

「お兄ちゃん?」

ひのめの声はなにやら妄想の世界へと旅立ってしまった横島の耳には届いていないようだ。

「よし!やっぱりここはいつかのタキシードにトランペットで決まりだな。そうときまったら早速おキヌちゃんに洗っといてもらわなくちゃ。」

「……お、おねがいですから、それはやめてください。お兄ちゃん。」

遠い目をして語る横島に、ひのめは頭を押さえてそうつぶやくしかないのだった。

早くも自分の選択の過ちを悟るひのめであった。





−おしまい−


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